CANNTAIREACHD - Scottish Folk Letter - No.5
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ブリテン諸島の編物(1)3rd May 1985 長い間ごぶさたしていました。あっという間に春のFolk Club Nightの日になってしまいました。 実はこの間、私はとても面白いことをして過ごしていました。というのは、昨年暮れから今年1月にかけて急に編み物に懲り始め、ベストとセーターをそれぞれ1着づつ編み上げていたのです。それまでは、奥さんが隣で編んでいるのを指をくわえて見ているだけで、とても自分ではできないと思っていたのですが、何の拍子か突然やってみる気になって始めてみると、これが何とも面白くてやめられなくなってしまったのです。正月休みなどは、どこへも出かけずに2人でせっせと編み物に熱中していました。もっとも、私がベストを編む間に彼女はワンピースを編んでしまいますし、セーターを編む間に、帽子付きのハーフコートを編んでしまう、という程のスピードの違いはありますが…。ブリティッシュ・ウールで編み物をしながらトラッドを聴いていれば、冬の夜など最高にトラッドな気分に浸ることができます。 トラッドなセーターとして何といってもまず最初に思い浮かぶのは、アラン・セーターと呼ばれる、アイルランドのアラン島のフィシャーマン・セーターでしょう。日本でもとてもポピュラーで、スーパーのバーゲンで3900円なんてものから、手編みと称して数万円のプライスの付いたものまで、生成りのアイボリーのアラン・セーター(と呼ばれるもの)がうんざりする程出回っています。しかし、うんざりする程出回っているとは言っても、全面にアラン模様がきっちりと編み込まれた本物のアラン・セーターは、防寒の面からもトラッドな雰囲気からも最高のものでしょう。 さて、俗に「アラン模様」と呼ばれている編み込み模様は、それぞれ「ケーブル」「ダイヤモンド」「生命の木」「ハニーカム」などの名称が付けられていて、それなりの意味が込められているのです。いわく「ケーブル」は漁師の使うロープを表し大漁を願い、「ダイヤモンド」は成功と富を象徴し、「ハニーカム」は骨の折れる仕事に対する報酬を、「生命の木」は長命と丈夫な息子の誕生を願うといった具合です。これらの模様は、アラン島の人々によって何代も受け継がれてきたごく素朴なFolk Art と言えるものですが、興味深いことにこれらの模様にケルトの石の遺跡にみられる渦巻きや菱形の模様と何となく良く似ているものがあるということです。まさか、ケルトの時代からこれらの模様が編み続けられていたとは考えられないでしょうが、アラン島の人々が模様編みのモチーフを身の回りに求めた時、海に関するものだけでなく、ケルト人の残した模様からインスピレーションを得たとしても決して不思議ではないでしょう。 アラン・セーターについて伝えられていることがもう一つあります。それはアランの女たちは、夫や恋人が万が一海で遭難したとしても遺体がすぐに判別できるようにと、各々の編み手が独自のパターンをあみ出したいったという話しです。厳しい北国の生活が偲ばれるような気がします。 アラン島のフィッシャーマン・セーターも元々は漁師たちによって海伝いに伝えられてきたものですが、そのルーツとも言えるセーターが、イギリスとフランスの間に点在するチャネル諸島のガーンジー島を起源とする、ガーンジー・フィシャーマン・セーターです。ガーンジー島は、編み目の細かいメリヤス地やその製品の代名詞ともなっている「ジャージー」の名の由来のジャージー島と並んで位置し、両方ともヨーロッパの編み物の歴史の中でとっても重要な位置を占めて居ます。ジャージーの名は、その名を冠した乳脂肪率の高いジャージー牛として、あるいはヴィクトル・ユゴーが流された島としても有名で「レ・ミゼラブル」はこの地で書かれたということです。 チャネル諸島では、いつの頃からかニット産業が盛んになり、最盛期の16-17世紀には、フランス、スペイン、イギリスなどへ靴下やチョッキなどを大量に輸出していたそうです。スコットランドのメアリー女王が処刑された時には、ガーンジー製の靴下を履いていたと言われているそうです。 しかし、盛んだった両島の手編みニット産業も、18世紀を迎えてからは、産業革命による機械ニット産業の出現やフランスのニット製品への課税措置などによって衰退の道をたどることになます。しかし、その中から、ニット産業に続いて19世紀中期のチャネル諸島の中心的な産業となる造船業や漁業のために、長年つちかってきたニット技術を活かしたフィシャーマン・ガーンジー・セーターが生まれる訳です。 ガーンジー・セーターは、アラン・セーターと同様に、海に関する様々な模様などを編み込んだセーターですが、この2つのセーターはその模様の編み出し方が決定的に違っています。 編み物には表目と裏目が出来るのですが(普通のセーターの表側に出ているのが表目で、裏側になっているのが裏目です。)、アラン・セーターは裏目の地に表目で模様を浮き立たせていくのに対して、ガーンジー・セーターでは表目の地に裏目で模様を作っていくという、正反対の方法を取るのです。この違いについては一見どちらが古いかということははっきりしない様に思えますが、2つのセーターを比べてみると、アラン・セーターの方法の方が模様がよりはっきり浮き出て見えることは一目瞭然ですので、アラン模様はガーンジー模様に飽き足らなかったアラン島のある人が考えだした、より進歩した方法だと考えて良いのではないでしょうか。 ガーンジー・セーターが古い形を留めていることは他の面にも見られます。セーターの形を見てみると、ガーンジー・セーターはT字型をしていて、編み上げる時に「減らし目」という技術を最小限におさえるようになっています。アラン・セーターで多く見られるラグラン・スリーブの場合だと、そでを作る時も、胴を作る時も減らし目が続くので、模様が込み入っている場合には、それはもう大変に複雑な作業となってしまうのです。ガーンジー・セーターではそのような複雑な作業をしなくてもよい様にごく単純な形をしているわけですが、漁師が着るものですから、機能的である必要があるので、腕の動きを妨げないようにわきの下には必ず菱形の「まち」が入っているのが特徴です。 ガーンジー・セーターの古さを示すもう一つの例としては、その昔、漁師がセーターの裾をズボンの中に入れていた頃の名残りが残っていて、模様入りの場合でも、総模様ではなく胸から下は模様なし、というデザインのものが多いということです。アラン・セーターもごく古いものでは同じ様に胸から下には模様を入れなかったということですが、現在のものにはその様な名残りは見られません。ガーンジー・セーターの一見した特徴はこの胸部分での切り替えデザインだとも言えるでしょう。 さらに、ガーンジー・セーターの特徴は用いられる毛糸が独特な昔からのものに限られているということでしょう。ガーンジー・ヤーンと呼ばれるこの毛糸は、他の毛糸にない程強く撚りがかかっていて、毛ばだちもなく、手触りは普通の毛糸の様にフワフワしていません。いかにも、これで靴下を作ったらさぞかし頑丈だっただろうと思わせるような原始的な感じで、わりとふんわりとした手触りのアラン・セーターとは対照的です。 ガーンジー・セーターは漁師達よって北方へ伝わって行き、コンウォール、サフォーク、ノーフォーク、ヨークシャー、ノーサンバランドなどにその名残りがあるそうです。今では発祥の地であるチャネル諸島ですら作られていないという伝統的な手編みのガーンジー・セーターですが、スコットランドのヘブリディーズ諸島にある定期船も通わない人口わずか350人の島、エリスキー島では何人かのニッターたちによって現在でも細々とガーンジー・セーターが編み続けられているということです。ヘブリディーズ諸島というのは本当に文化的化石の島々といった心引かれる場所ですね。 さて、もう一つ日本でも名の知れたセーターに、シェトランド・セーターがあります。シェトランド・セーターはシェトランド諸島とオークニー諸島の間にあるフェア島の名を冠したフェアアイル・パターンと呼ばれる模様が特徴です。ファエアイル・パターンは、細めで甘く撚りをかけた何色ものシェトランド・ウールを使い、細い編み針を用いて編み出したもので、アランやガーンジーと決定的に違うのは、模様を《編み出す》のではなく、色違いの毛糸で模様を《描く》ということです。 この、色違いの毛糸で模様を作ると言う手法は、より北方のスカンジナビア諸国や、アイスランドなどのニットと共通点が大で、特にシェトランドが以前属していたノルウェーのセーテスダール地方の民族衣装として有名なルース・コフタと呼ばれるセーターの模様との近似性は誰の目にも明らかだと言えるでしょう。また、輪編みで作る丸ヨークの形は、日本でもスキー・セーターとしてポピュラーなアイスランドのロピー・セーターとも似ています。 このように、日本で出版されている編み物の本(ムック)をひも解いただけでも、色々と面白い事実に気づかされるのですから、「セーターを通じた文化の流れ」なんてことを本気で研究しだしたら、随分と興味深いことだと思います。 でも、それよりまず、今の私の目標は「来冬こそは本物のガーンジー・ヤーンを使って、本物のガーンジー・セーターを編み上げる。」ということです。何事も、眺めているだけでなく自らの手で実際にやってみることこそが、その伝統文化の本質にふれる最も手短な手段だと思うからです。 Yoshifumick Og MacCrimmori
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