パイパー森は1977年8月、渋谷の道玄坂にあったブラック・ホークという喫茶店を拠点に、この
お店のレコード係であった故松平稚秋さん等と共にブリ
ティッシュ・トラッド愛好会(British Trad Appreciation Society)
を設立。その機関誌として“OAK-British
Trad Review” を
発行 しました。⇒ My Roots
Music
しかし、この機関誌がその後、トラッド愛好会の優秀な会員
たちの手によってあまりにも立派に成長しすぎてしまったので、より自分勝手なことについて書く場所が欲しくなり、ある特
定のトラッド仲間に書き送る形の手紙文形式のエッセイとし
てこの Canntaireachd シリーズを、当初
は - Scotish Folk Letter - と
いうサブタイトル、ペンネームは MacMori とし
て書き始めました。そして、書いた文章は実際に複数のトラッド仲間たちに一方 的に送
りつけたり、当時5月3日と11月3日の年2回、新宿「かしわホール」で開催されていた Folk Club
Night(実際には昼に開催)の会場で配ったりしていました。
さしずめ、現代だったらホームページを開設して掲載するところですが、なにしろこのエッセイを書
き始めた1984年というのは海の向こうでやっとあのアップル2が登場した年(つまり、Mac OS
の原型が産声を上げた年)ですから、インターネットはおろかコンピューターがパーソナルなものとなる時代の到来までには
まだかなりの時間がありました。
ですから、当初は当時のミニコミのオーソドックスなスタイルである手書き文字でスタートし、大分経ってか
らワードプロセッサを使う様になり、PC(東芝の dynabook)〜Mac(Classic II)
へと入力ツール自体はそれなりに変遷していますが、とにもかくにもアウトプットは紙の印刷物でした。
テーマの多くはハイランド・パイプやピーブロックに関することですが、ときどきセーターのことや
ケルト紋様のことなど、音楽とそれにまつわる話題(と勝手に思うこと)について。No.1を書いた
1984年から、途中子育て等で余裕がなくて殆ど音楽を聴かなかった(当然、演奏も…)6年のブランクをはさんで、最後
の号を書いた1998年までの14 年間に通算17通の手紙を書きました。
このサイトでは、これらの Canntaireachd の
内、手書きだったり既にデジタルデータが残ってい ない No.1〜
No.8 についてはスキャン画像 を、デジタルデータになっている No.9 〜 No.17
は新たな写真やイラスト等の資料を加えるなど少々手を加えたものをアップロードしました(オリジナルのスキャン画像も添
付)。No.5 だけは新たにデジタルデータとして入力
しました。
特に初期のものはかれこれ40年近く前の文章であり、手書きの紙面などが私自身にとって懐かしく思
い出深いというだけの、言うなれば「パイパー森のアーカイブ」と
いった感じのコーナーです。リサイクルできる文章はサイトの中にあちこちで使い回しているので、内容としては特段目新し
いものはあ りません。
(Canntaireachd -カンタラック-
とはパイパーによる伝統的な「歌によるピーブロックの伝承法」のことです。)