前回の手紙でお約束したとおり、
今回は久しぶりに真面目にピーブロックに関することを書きます。Joseph
MacDonald という人物によって1760年に
書かれた "The Compleat Theory of the
Scots Highland Bagpipe" と いう本の復刻版が昨年(1994年)、
The Piobaireachd Society
から出版されました。今回はおよそ250年の間、非常に数奇な運命をたどってこの復刻版に至った貴重な書物のことについて紹介します。
この本の著者である
Joseph MacDonald は1739年、スコッ
トランドの北のはずれにある Durness という土
地の牧師の息子として生まれました。牧師の息子として高度な教育を受けたようで、14才で英語とガーリック(スコットラ
ンド人は Gaelic
をゲーリックとは発音しません)のみならず、ラテン語やフランス語を上手に読み書きできたということです。また、父親はガーリックの詩人であるとともに良
いシンガーだったということで、Joseph
自身も小さい頃からいろいろな楽器に親しみ、14才の頃には、フルート、オーボエ、バイオリンを巧みに演奏するだけでなく、ガーリックの詩に合わせた曲を
作曲したそうです。そして、15才になる頃にはバグパイプも上手に演奏できるようになっていたということです。
さて、若き
Joseph 青年は21才になったばかりの1760年、東インド会社の
仕事に就くために希望に胸を膨らませてカルカッタに渡りました。これは多分、当時としては超エリートコースだったのでは
ないかと思われます。ところが非情なことに、それからわずか3年後の1763年、彼はその地で悪性の熱病にかかってしま
い、わずか24年の短い生涯を終えてしまったのです。
"The Compleat Theory of the Scots Highland Bagpipe"
はこの航海途上あるいはインドでの滞在中に書かれたと考えられますが、実
はこの著作の存在は彼の死後、だれの目にも触れる事なく放置されたままになっていました。
ある人物に発見されてやっと日の目を見たのは、彼の死から実に20年余
り経過した1784年になってからのことです。発見者はこの著作を英国に持ち帰り、各方面に出版を働
きかけますが、様々な事情でこの最初の出版計画はスムーズには進まみませんでした。そして、紆余曲折を経てやっとのこと
でこの著作が出版されたのは、さらに20年近く経過した1803年の
ことでした。
ところが、この初版は原版を作る段階での細かな転記ミスなどが多く、あまり完成度の高いものとは言えず、当時のハイラ
ンド・パイプの世界にさほど大きなインパクトを与えないまま、その存在はほどなく全く忘れられてしまいます。
そして、最初の出版
から実に100年以上もの時が流れた1927年、この本はインバネスのと
ある競売場で「再発見」されます。その人物はこの本の内容の素晴らしさに感激し、早速全ての原稿をタ
イプし直して(1803年版でのミスもそのままに)再版しました。そして、それ以降この本の存在はハイランド・パイプの
世界で広く知られるようになった訳です。
この1927年の復刻版は1950年代まで売られ続けますが、その後さらに、1971年には Seumas
MacNeill
の序文を伴った新たな復刻版がイングランドの出版社から、また、1973年には別の復刻版がアメリカの出版社から出版されました。
しかし、なによりも
現代のほとんどのパイパーがこの本のことを知るようになった最大のきっかけは(ちょうど私がそうだったように)、1948年に出版された我らが「レッドブック」"The Kilberry Book of Ceol Mor"
の中で、著者の Archibald Campbell がこの本の内容を詳しく引用し紹介したことによります。
また、ちょうどこのレッドブックが出されたころに、Joseph MacDonald
の自筆の原稿がエディンバラ大学の図書館で発見されます。そして、これによって1803年版でのミスや曖昧だった部分もすっかり解明することができるよう
になり、この価値ある著作の本当の姿が明らかになりました。
そして、Joseph MacDonald
がオリジナル原稿を執筆してから実に234年を経過し
た1994年、あの分厚い "A
Bibliography of Bagpipe Music" の編者である Roderick D.Cannon が Joseph MacDonald
の自筆の原稿を基に、徹底的な分析と非常に詳細な解説を加えて、究極の復刻版として完成させたのが今回の本なのです。
タイトルから想像すると、この本
の内容は楽器自体についての解説のように思えるかも知れませんが、実際のところは " Compleat Theory of the Ceol Mor" と
いうタイトルこそがより適切なもので、その中身は様々なバリエイションを
中心にピーブロック演奏のポイントを事細かに解説した内容になっています。
復刻版の後ろの方には Joseph MacDonald
の手書きのオリジナル原稿がそのままフォトコピーとして収められていますが、当然のことながら
200年以上を経てあちこちにシミや汚れがついた原稿はそのままでは判読できないので、本文として新たに原文どおりに書き直されて再現されています。そし
て、編者によって著者自身の綴のミスや当時の綴や古い言い回しなどが一言一句、脚注で解説されるとともに、楽譜について
は装飾音の足を現在とは反対方向に表記するなど、ちょっと見慣れないオリジナルの楽譜と並べて、現在の表記方法で書き直
した楽譜が挿入され、双方が比較できるようにレイアウトされています。
この復刻版の楽しみ
方としては、そのような当時の楽譜や原文をながめることもさることながら、偏
執狂的分析魔ともいうべき Roderick D.Cannon
がまさに重箱の隅をつつくように細かく分析をしている解説部分や、Joseph MacDonald
の生い立ちやその当時の様子、さらにはこの本から読み取れる当時のピーブロックの状況を現在と比較をしながら解説した部分を読むのも非常に興味深いことで
す。
本文を眺めていて気がついたのは、この本の中に
Crunluath(クルンルアー)より一層複雑な装飾音が沢山でてきたことです。ご存知のとおり現代のピーブロックの演奏では
Crunluath そして Crunluath とはタイミングが逆になる
Crunluath-a-mach(クルンルアー・ア・マッハ)
が最も複雑な装飾音で、それぞれテーマノートの間に7個ないし8個の装飾音が入ります。しかし、この本をパラパラめくっていると、もっと多い数の装飾音が
入った楽譜が次々目に入ってきました。そして、最高に複雑なものではなんと18
個!の装飾音があるのです。当時のピーブロックではそのように複雑な装飾音が演奏されることもあった
のです。
この本の存在価値
というのは、簡単には計り知れないものがありますが、なによりも貴重なことはこの本がハイランド・パイプとりわけピーブロックについて書かれた最初の書物であるということです。そ
して、さらにそこに書かれているのがまさにピーブロックの最盛期の姿であ
るということにもさらに大きな意義があるといえます。
考えてもみて下さい。この本が書かれた1760年というのはあのプリン
ス・チャーリーによるジャコバイト・リベリオンから僅か15年しか経過していないのです。(そういえ
ば、今年1995年はプリンス・チャーリーがジャコバイト・リベリオンのためにスコットランド本土に上陸してから250
周年目の記念すべき年なのですよね。)
また、ピーブロックの世界で言えば、あの偉大なる Patrick
Og MacCrimmon が死んだのが1730年。Patrick Og の息子の一人
Donald Ban は1746年にジャコバイト・リベリオンでの戦い Rout of Moy
で命を落としていますが、もう一人の息子 Malcolm はちょうどこの本が書かれた1760年まで生きています。
そして実は、MacCrimmon
時代最盛期の息吹ということで言えばもっと重要なことは Patrick Og の一番弟子であったあの "The Blind Piper" Iain Dall MacKay が
98才になる1754年まで生きていたということです。そ
してさらにいえば、Joseph MacDonald
の生まれた育ったスコットランド北端の地 Durness という土地は the MacKay country
であり、Iain Dall があちこちとその拠点を移しながら MacCrimmon
の伝統を伝え教えていた土地そのものなのです。1739
年に生まれた Joseph
がどこかでこの年老いた偉大なる盲目のパイパーと遭遇していたとしても、少しも不思議ではないのです。
さらにもう一つ忘れ
てならないのは、その頃のピーブロックの伝承はカンタラックによる口承だ
けで行われていたので、普通のパイパーはこの本に書か
れているような楽譜は一切使っていなかったということ
です。そのことを考えると、その当時のピーブロックの
様子がこのような形で紙の上の記録として残されているという事自体がある意味では非常に貴重なことだと言えるのです。
牧師の息子として高度な教育を受け、西欧のクラシック音楽の演奏や楽理に精通しながらも、スコットラン
ド固有の伝統音楽ピーブロックをこよなく愛した Joseph MacDonald
という人物が、MacCrimmon
の息吹がまだ生々しい丁度いい時に、まさにその場所に居たということ。そしてさらには、その彼にこの大作を書き下ろすだけのたっぷりとした時間があったと
いうこと。このような、様々な偶然と好運が重なって、200年以上前の絶
頂期のピーブロックの様子を克明に伝えてくれる貴重な書物が奇跡的に残されたということなのです。
さて、このような本を前にして当時のピーブロックの
息吹を感じなが ら鑑賞する今回の曲は "Lament for
Donald of Laggan" です。なぜかというと、この曲には実は先ほど紹
介した Clunluath より長い装飾音、 Clunluath
Breabach
(クルンルアー・ブレバックと発音するのでしょうか?)が使われているのです。ただし、当時と違って現代の表記では普通の
Clunluath
ともう一つの装飾音群という風に分解して表記されますし、演奏自体もそのようなタイミングで演奏します。
この
曲は Seumas MacNeill が "one of the
most beautifull piobaireachd we have" というようになん
とも言えないほどに美しいメロディをもった曲です。この曲を捧げられたのは Donald of Laggan(1543〜1645)で、その
死に際して MacCrimmon一派の中で最高の作曲家といわれる
Patrick Mor MacCrimmon(Patrick Og
の父親)によって作曲されました。Donald of Laggan
の娘である Iseabal Mhor が
Dunveganの Rory Mor MacLeod と結婚していた関係で、言うなれば Rory Mor
が義父の死に際して、当代最高のお抱えパイパーに Lament を作曲させたという訳です。
Iseabal 自身この曲を大層気に入り、毎晩自分が寝入るまでベッ
ドルームのドアの外で演奏させたというエピソードが伝えられています。実は彼女も102才まで生きた父親と同じく非常に長命でなんと103才まで長生きしたということですから、彼女のお抱えパイパー
は一体この曲を何回演奏させられたのでしょうか。※右の楽譜をクリックすると楽譜の大きなファイル(a
score by bugpiper さん)にリンクしています
この名曲の唯一の欠
点は「短すぎること」であると言われています。
確かに、他の著名な MacCrimmon
tune、例えば同じく Patrick Mor
の作になる、全てのピーブロックの中で最高の傑作として位置づけられているあの "Lamnet for the Children"(演奏時間
およそ19分)に比べたら、この曲のバリエイションは非常にシンプルですし、演奏時間もおおむね9分程度です。しかし、
短いながらもなんともいえない美しいメロディーと、一分の隙もないバランスの取れたバリエイションの展開をもつ名曲だと
言えます。⇒関
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そういえば、最近、
私のピーブロックの好みもますます偏屈になってきました。以前は「静かなウルラールから始まってバリエイションでぐーん
と盛り上がってクライマックスを迎え、そしてまた静かなウルラールに戻る」というような定番パターンのピーブロックが何
よりも好きでしたが、最近はこの "Lament for Donald
of Laggan" のようにバリエイションが複雑でないものや、バリエイションがウルラールと
ほとんど変わらず、これといったクライマックスがなく最初から最後までほぼ同じテンポで通して演奏されるような曲が好み
になってきました。具体的に言えば "The Old Woman's
Lallaby" とか "Lament for
Duncan MacRae of Kintail" "Rory Mor MacLeod
Lament" といったような曲です。
このような曲では、そのゆったりとした曲の流れが始めと終わりを全く意
識させず、曲に引き込まれて行くうちにその妙なるメロディーが永遠に続いていくのではないかという錯覚にとらわれて
しまいます。
大体、曲の長さに関わらず、素晴しい曲というものはウルラールのメロディーがスーッと心の中に入ってきて、いつまでも
その余韻が心に残るものです。そのような雰囲気を感じさせる名曲の一つとして、比類なく美しいこの "Lment for Donald of Laggan" を
じっくりと味わってみて下さい。