CANNTAIREACHD - MacCrimmori's Letter - No.13

ブリテン諸島の編物(2)

1st March 1994

 リテン島の編み物のことについて書いた1985年5月の Canntaireachd No.5 のことを覚えていらっしゃるでしょうか。たしか私はあの手紙で最後に「来冬こそは本物のガーンジーヤーンを使って本物のガーンジーセーターを編みたい」というようなことを書きました。しかし、現実は全くそのとおりにはなりませんでした。

 際には私が次に編んだのは1987年に生まれた子供のための"おくるみ"でした。赤と白のストライプで作ったこのおくるみではフードの部分で2色の編み込み模様をやりました。その前に作った自分のセーターで縄編み針を使って縄編みに挑戦したところだったので、今度はフェアアイルのような多色編みをやってみたかったのです。結局、白地に赤でハート型やダイヤを編み出すという非常に初歩的なことをやってみてとりあえず満足しました。次に編んだのは子供が4才になって幼稚園に通い始めたときのベスト。そしてその次に、子供が小学生になった今年の冬に再びベストを編みました。つまり、自分のガーンジーセーターを編むという夢は果たされないままに、何年かおきに子供のものばかり編んでいた訳です。

 かし、今年の冬はちょっと違います。子供のベストをノルウェー(なんといってもリレハンメレオリンピックが開催された今年の冬はノルウェーのトラッドで決まり!ですからね)のフリティディスガンという毛糸で編んだら、非常に良い雰囲気でできたので、調子に乗ってお揃いのベストを自分用に編みました。そうしたところ、ますます編み物づいてしまい、9年目振りにやっとガーンジーセーターを編む気分になったのです。


 は、私は3年程前にブリテン島のセーターに関する極めつけの本と出会っていて、ガーンジーセーターに対する思いはますますつのっていました。その本というのは手芸関係の出版社である日本ヴォーグ社から出版された「海の男たちのセーター"All About British Seaman's Sweaters"」(¥4500/1989年出版)というタイトルの本で、染織作家をパートナーに持ちご自身が工芸分野における翻訳家という《とみたのり子》さんという方がブリテン島の各地を訪ねて、土地の人々が編みだした様々な編み物について克明に研究した内容をまとめたものです。
 ハードカバー・A4版サイズ・120ページで、各種のセーターを生み出した風土を切り取った美しい写真がきれいにレイアウトされた合間に、それぞれのセーターに関する詳細な解説が書かれていて、実に見ごたえ読みごたえがあります。
 英国羊毛公社の会長が寄せている
「英国の伝統ニットを語ることは英国を語り人々を語ることでもあります。英国各地に伝統ニットを訪ねそれに関する人々に会い、語る中で、英国伝統ニットを単にニットとしてではなく、その土壌となった土地、歴史、そして人々、生活との関わりの中でとらえ、紹介する素晴らしい本として本書を推薦いたします」という言葉がこの本の価値をなによりよく表しているように思えます。

 目次は、1.ガンジー昔と今、2.東海岸にガンジーを訪ねる、3.スコットランドのガンジーを訪ねる、4.コーンウォル半島のガンジー、5.チャネル諸島のフィッシャーマンセーター、6.シェトラント諸島のニット、7.ふたつの編込み手袋、8.アランセーターを追ってというもので全体の6割以上がガンジーセーターに関して割かれています。

 ぜ、この筆者がそれほどまでにガーンジーセーターにこだわっているかというと、実はブリテン島のニット製品の中で純粋に生活に根ざしたものというのはガーンジーセーターだけだからなのです。その他のシェトランドのフェアアイルやアランセーターなどは、羊毛産業の最終製品として当初から商品として生み出されたものでありその歴史も思いのほか新しいものだということなのです。

 なみにあのアランセーターについては1908年が起源だとする説があるそうです。その説とは、アラン諸島で一番大きい島イニッシュモア出身で1906年にアメリカに渡ったマーガレット・デュレインという女性が2年後の1908年に島に帰ってきた際、アメリカ滞在中にヨーロッパ各地の移民から習った縄編みやハニーコムなどの編み物技法と、ガーンジーセーターの技法とを併せて生みだしたのがアランセーターの起源だとするものです。この説も含めて、残された古いセーターや写真、そして、いろいろな人の話しなどに基づいて、筆者はアランセーターの起源を次のようにまとめています。

 「19世紀から20世紀初めにかけてアラン諸島へ紹介され始めていたガーンジーセーターの影響を受けた人々が、アメリカ移民から戻った人たちが持ち帰った新しい編み物技術の助けを借りて生みだしたのがアランセーターの原型である。そして、当時のアランセーターの色は白ではなく、ガーンジーセーターの色でもあり、また島民自らが染めて織った彼らの伝統衣服の基本色でもある紺色である」。

 ラン模様とケルトの渦巻模様との類似性から類推して、アランセーターに数千年の歴史があるとするロマンチックな考えとはあまりに異なった現実的な歴史があるのです。アランセーターといえば必ず思い浮かべるあの「白い生成りの極太毛糸で作る、縄編みやハニーコムをちりばめたラグランスリーブのセーター」のイメージも、実は意図的に作られたものだというのです。

 のようなイメージでアランセーターを英国に紹介したのは、アラン島の名を一躍世界中に有名にした「マン・オブ・アラン」(1935年)という映画を見て、その中で島の人々が着ていたセーターに注目した英国のハインツ・キーヴァーという人物。編み物研究家であり、かつ手芸材料を扱う会社を経営する実業家でもあったこの人物は、商売人として抜け目のなさから、もう一方の研究者としての顔で、アラン模様とケルトの渦巻模様を結び付けたロマンチックな仮説を加えて、さらに宗教的な意味などからその色を白色と決めつけたうえで、英国で意図的に流行らせたのです。
 ちなみにこの人物は1960年代には英国にカナダから
カウチンセーターを紹介して一大ブームを作った(そして多分、大儲けした)ということです。本当のところ、現在でもアラン島の生粋の島民の中で成人した男性は白いアランセーターは絶対に着ることはないということです。

 もちろん、だからといってアランセーターが民衆の生みだしたものではなくて価値が低いというのではありません。たまたま、意図的に有名にされてしまったただけで、その起源を振り返ってみれば分かるように、このセーターはあの大飢饉で決定的となったアイルランドの移民の歴史が作りだした、まさにアイルランドならではの価値のある一つの民衆文化に違いはありません。筆者も「ロマンチックな思い入れやストーリーがなくとも、陰影ある模様の美しさや、純朴な人々の手から生まれたこのボリュームある温かさは、着る人を不思議な優しさで包み込んでしまう。アランセーターは、糸による最高の彫刻だ」と書いています。


 統は全く違いますが、ブリテン島を代表するもう一つのニット製品であるフェアアイルについても、商品になるまでの経緯が詳しく書かれています。ノウルウェーの文化圏だったことも含めて、シェトランドの多色編み模様の伝統についていろいろと興味深い記述があるりますが、長くなりますので引用するのは控えます。興味があったらぜひこの本をお読みください。


 て、話は大きく遠回りしてしまいましたが、これらの商品としてのニット製品と一線を画して、ブリテン島のニット製品の中で特異な位置を占めているのがガーンジーセーターなのです。筆者は次のように書いています。

 「ガーンジーセーターは当初から、家族のために家庭内で編まれた編み物なのだ。それらが一つの形式にまで高められ、さらに、完成されて民衆の芸術と呼ばれるようになった後にも、長く、多少の例外を除いては、売買されずにあくまでも家族のための編み物として細々ながらも受け継がれてきたのである。だから、ガーンジーにはそれを作った人々と、それを着た人々の生活があり、ストーリーがある。つまり、このずっしり重いセーターからは海の男と海の女の、歴史とロマンが感じとれるのだ」。

 して、筆者は各地のガーンジーセーターの歴史とロマンを求めて、ヨークシャーを中心としてイングランド東海岸、スコットランド、コーンウォル半島、そして名前の元になったガーンジー島、ジャージー島のあるチャネル諸島といった各地を訪ね、それぞれのガーンジーセーターの特徴を詳しく紹介してくれます。しかし、私にとってはやはりスコットランドのガーンジーが最も気にかかります。

 筆者によるとスコットランドのガンジーの特徴は

(1)糸が細かく目が詰んでいる。色も他の地方のものに比べてかなり濃く、黒に近い濃紺である。
(2)模様はたいてい縦縞状に配置されており、旗や錨をアレンジした模様がよく使われた。また、ショルダーバンドと呼ばれる、肩はぎ部分に沿った細長い帯状の模様が必ず用いられる。
(3)衿にボタンのついたものが多い。

 ということです。そして、模様は一般的に北に行くほど、あるいは他の文化に接する機会が少ない地域ほど複雑であると言われていて、その典型がウエスタンアイルズのエリスキー島のパターンだといいます。そして、エリスキーガンジーの代表的な作品の写真がのっているのですが、それはまさに《究極のガーンジーセーター》という感じで本当にほれぼれしてしまいます。人口350人のエリスキー島では数年前に協同組合が組織され、12人の女性がいまでもかなり複雑なパターンのガーンジーを編んでいるということですが、年間総生産数はたったの50枚程度だということ。どちらにしてもこれは、どうしても自分でトライするしかないという気分にさせられる素晴らしい民衆の芸術品、それがエリスキーガーンジーなのです。


 こで私は早速、毛糸の品揃えでは随一の蒲田のユザワヤに勇んでガーンジーヤーンを買いに行きました。ところが、売り場にガーンジーヤーンがないのです。9年前のヴォーグ社の本では日本でも6社がガーンジーヤーンを輸入していると紹介されていましたし、実際にその当時私の奥さんはガーンジーヤーンでガーンジー編みのワンピースを作ったことがあります。
 ところが、今ではガーンジー編みをやる人がいないのでどの会社も輸入していないというのです。仕方がないので、ガーンジーヤーンに一番近いものを探してもらい、あるイギリスのメーカーの
"クラシック・アラン"という紺色の毛糸を買ってきました。しかし、家に帰って本物のガーンジーヤーンと比べてみると、色は問題ないのですが撚りが甘くふわふわとしていて、手触りが本物のガーンジーとは全く違います。
 こうなると、生来のこだわり症がむくむくと頭をもたげてきて「何がなんでもガーンジーヤーンを!。」ということになります。かくなる上はイギリスのメーカーに直接手紙を書いて送ってもらうしかない、ということで、メーカーの住所を教えてもらおうと日本ヴォーグ社に電話をかけ事の次第を話したところ、幸いな事に「今はもう輸入はしていないけれど在庫がまだある」ということが分かりました。
 「ジャーン!」。と言うわけで、現在、私の目の前には、きっちりと撚りの掛かったずっしりと重い濃紺のガーンジーヤーンがあるのです。


 は、その気になったら待つ事ができない性格の私は、このガーンジーヤーンが着くのを待つ間に、例の"クラシック・アラン"の毛糸で、カーンジー編みの練習のためにベストを1着編み上げました。その結果、この練習だけでもガーンジーの編み方についてとても勉強になりました。
 ガーンジーとアランとでは表メリヤス地に裏編みで模様を出していくか、あるいはその逆かという違い以上に、模様の出し方自体の思想が大いに異なっているように思えます。
 
アランの場合は、縄編み針を多用してとにかく模様を浮き立たせて立体的にすること重点が置かれています。よりの甘い太い糸を使ってざっくり編むようになったのも、この延長にあると思われます。
 それに対して、
ガーンジーの場合は込み入った模様を編むにしても一般的に縄編みを編む時に一時的に編み目を避けておくために使う《縄編み針》は殆ど使いません。今回私が編んだデザインでは全く使いませんでした。その代わり、表メリヤス編みをベースにしながら、裏目と表目の組み合わせ方をさまざまに変化させる中で、あるときは模様が浮き出るように、またあるときは沈みこんだ模様になるように使い分けるのです。今回のデザインでも、私は2種類のダイヤモンドを編みましたが、興味深いことに表目と裏目の微妙な組み合わせによって、一方は浮き出て、一方は沈み込んで表現されるのです。ここには、純粋な漁師の労働着として防水性と防寒性を保つために、きっちりと目をつめて編みながら、生地の厚みと多様な模様を追求してきたガーンジーセーターと、都会人向けの商品として、ファッション性を意識してきたアランセーターの違いがはっきりと表れているように思えます。


 らに、今回のガーンジーの試し編みでもう一つ気がついた事があります。ブリテン島のニッターたちが使う道具で"シース"とか"ニッティングスティック"とか呼ばれる編み針受けがあります。(ガーンジーやフェアアイルを編む編み棒は、日本の編み棒の号数でいうと0号とか1号、つまり直径2.1mm-2.4mm位のごく細いものなので、編み棒というよりは編み針という方が適切です)。
 この道具は多くは木で出来ていて、片方の筒状になっている部分を上に向けて腰に巻いたベルトにはさみこみ、筒の部分に片方の編み針の下の部分を差し込みます。こうすると、糸の重さがあまり手にかからず、また針を手から離す事ができるため、より自由により速く編む事ができるというのです。なんと、
手の速いニッターになると1分間に200目(!)も編むといわれています。実は、このような説明や使っている姿の写真などを見て、この道具の使い方が分かったような気分になっていたのですが、今回、実際にガーンジー編みに挑戦してみて、この道具の役目が本当に理解できました。

 いうのも、ガーンジーセーター裾や袖の先の方が擦り切れたときに、目を拾って編み直しができるように胴も袖もみな《輪編み》で編むのです。
 つまり、あらかじめ胴の太さに併せて輪の形に作り目をして裾のゴム編みから上に向けて一気に筒状に編み始め、脇のまちの部分で一旦前身頃と後ろ身頃に分けて肩まで編み上げ、肩のところではぎ合わせます。そして、袖は本体から目を拾って筒状に編み始め徐々に減らし目をしながら袖口まで編むのです。
 ちなみに、ごく一般的なセーターの編み方は、前身頃も後ろ身頃もそして袖もみな布のように平に編んでから脇や肩をはぎ合わせたり、とじたりして筒状に作っていき、最後にそれぞれの筒をつなぎ合わせていきます。ですから、それぞれの部分を編む時に編み棒にかかる毛糸の重さはそれほど重くありません。
 それに比べて、ガーンジーセーターの編み方だと、最後の袖口を編むときには
「それまで編んできたセーターのその他の部分を全て引きまわしながら編む」という大変なことになるわけです。最近ではアルミニュームの2本の短い編み針をナイロンのコードで繋いだ"輪編み針"というものがあるので輪編みには大変重宝しますが、以前はそのようなものはなくて、4-5本の編み針で輪にして編んでいたわけですから、その煩わしさは想像して余りあります。ですから、今回ガーンジーの試し編みをしてみて、このような編み針受けが考案された理由も十分うなずけました。

 のような事は出来上がったセーターや道具を見ているだけではなかなか理解できません。生活に根ざした道具、そして、それを生みだした文化というものは、自らの5感を最大限活用して接してみて、初めてその本質を理解することができるのだということをあらためて認識させられました。


 て、そのような訳で今はとにかく本物のガーンジーヤーンを目の前にして、どのようなパターンを編み込むかということを考えながら、にやにやするという、実に幸せな毎日を送っています。今年はもう春も間近ですから、急ぐことなく次の冬が来るまでに、じっくりと味わいながら編み上げるつもりです。1枚のエリスキーガーンジーを編み上げるころには、また、少しだけスコットランドの文化の真髄に近づけるのではないか、ということを期待しながら・・・。

 
The Knitting Piper Yoshifumick Og MacCrimmori

【後日談】
 
本物のガーンジーヤーンを前にして、どのような柄を編むかということについて、長い時間かけて考えた私は、結局エリスキーガーンジーの中でも最も複雑で込み入った柄を編むことにしました。およそ1キログラム近い毛糸を使い、5カ月かけて丹念に編み上げた本物のエリスキー・ガーンジー・セーターはずっしりと重く、このセーターが育まれた北緯57度あたりの寒風吹きすさぶ海の上でこそ着るのに丁度良いような、とてもいい雰囲気のセーターに仕上がりました。パイパー森の編んだガーンジー・セーターの写真→

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