CANNTAIREACHD - MacCrimmori's Letter - No.9

Angus J. MacLellanさんとのピーブロック三昧

3rd November 1992

 10月18日(日)の ジャパン・スコティッシュ・ハイランド・ゲームのための来日したアンガス・マクレラン(Angus J. MacLellan)さんを独り占めしてピーブロック漬けになった 17日は実に素晴らしい一日でした。
 
アンガス・マクレランさんについては有名なストラスクライド・ポリス・パイプバンドのパイパーをリタイアした後、現在 はカレッジ・オブ・パイピングのインストラクターとしてピーブロックも教えている、ということぐらいしか知りません でした。でも、私にとっては1983年に来日したトマス・ピアストン (Thomas Pearston) さん以来、久しぶりに本物のピーブロック・ティーチャーに会えるとあって期待に胸をふくらまして いました。


 在 先の英国人宅の玄関先に停めた私のタウンエースの助手席に、まるでハンプティ・ダンプティーにキルトを着せたような 巨体を窮屈そうに押し込んだアンガスは、車が動き出した途端にピーブロックについて熱っぽく話し始めた私の気持ちに 応えるかのように、家につくまでの間、次から次へとカンタラックを気持ちよさそうに歌ってくれました。喧噪の東京を 走る私の車の中に、しばしの間スコットランドが満ち溢れました。

 
についてからは一息つくのももどかしく、この数カ月間一途に練習をしてきた“ Lament for Mary MacLeod ”をプラクティスチャンターで手ほどきを受けました。
 4人のパイパーの録音を元に独習してきた私の演奏は「おおむね良し」といったところでしたが、Cからのthrow on E(C- E- LowA - F - LowA - E)のLowAがDになってしまっているということを鋭く指摘されてしまいました。自分では楽譜どおり演奏しているつもりだったのですが…。やはりこのよ うなピーブロック特有の装飾音を正しく美しく演奏するということには十分気をつけなければなりません。
 しかし、このようなある決まった装飾音を不完全に演奏することにかけてはそれほどに厳しいのですが、4人のパイ パーがバリエイションの2段目の最終パートのCをそれぞれ異なった装飾音で演奏していることについて「どれがいいの か?」と聞いたところ「自分の好きなのでやればいい」と軽く言われてしまいました。つまり極端なことでなければパイ パーによって表現上の細かな差は当然有り得るといったところなのでしょう。
 そう、重要なのは細かな演奏技術の追求ではなくて、1人のパイパーとして「そのピーブロックをどのように表現する か?」ということなのです。ですから、そのような微妙なニュアンスを伝授してもらうことが、今回のように本物のピー ブロック・プレイヤーから直に教わるということの最も大きなメリットなのです。アンガスも要所要所でカンタラックを 歌いながら、それぞれのパートを一体どのように表現するべきかを丁寧に教えてくれまして。

 
らにいえば、あるピーブロックを本当に味わうた めにはその曲の作られた背景について知っている必要があります。ところが、この“Lament for Mary MacLeod”についてはピーブロック・ソサエティー・ブックにも、Dr.Haddowの“The History and Structure of Ceol Mor”にもその背景について の説明がありませんでした。
 しかし、アンガスが来るというので何か見つけて勉強しておかなくてはと、必死になって
Piping Timese のバックナンバーをめくっていたら、1979年6月 号の "Checking the Tune" のコーナーでシェーマスがこの曲について詳しく説明している記事を見 つけました。


 れ によると、この曲は(マクリモン一族が仕えていた)スカイ島ののマクロード家に仕えていて、“One of Skye's greatest poets and Bards”と呼ばれてい た Mariri Nighean Alasdair Ruaidh という女性の死を悼んで作られたということです。マリー・マクロードと言うの で、私はてっきりマクロード一族の女性のことだと思っていたのですが、血の繋がりとは関係なく、マクロードというクラン自体に仕えた人をこのように呼ぶこともあるのですね。

 これは、スコットランドの厳しい気象・土地条件のなかで身を寄 せ合って生活していく必要性から生まれたクラン制度というのは、「領主が土地を所有し人民たちは小作として領主に支 配される」というような封建制度とは異なり、「土地はクランの共有財産であり、チーフはクランに属する全員を代表し て土地を管理し、住民を保護して生活を保証する責任を持つ」という共同体組織、言ってみれば大きな家族のような体制 であったことによるのではないでしょうか。
 マリーは気位が高く独立心の強い女性だっということで、一時はマクロードのチーフと対立してしばらくの間スカイ島 を離れましたが、後に和解し再び元の地位に戻ったということです。
 その詩の中でパイパーやパイプミュージックについて多くの素晴らしい言葉を書いているという彼女は、実は
“more than freindly with Ptrick Mor MacCrimmon”と伝えられています。

 パトリック・オグ(Patrick Og/1640〜1735) の 父親であるパトリック・モア (Patrick Mor/1595〜1670) “Lament for the Children”を 始めとする多くの優れたピーブロックを作曲した人で、さらにその父親であるドナルド・モア(Donald Mor/1570〜1640)と並んで栄えあるマクリモン・パイパーの中でも最も偉大な作曲 家と伝えられている人です。
 この
“Lament for Mary MacLeod”は当 初、マリー・マクロードと親密な関係にあったパトリック・モア自身によって作曲されたと信じられていたそうですが、 その後、パトリック・モアはマリー・マクロードの死よりかなり前に死んでいるということが明らかになり、本当の作者 は息子のパトリック・オグだという説が有力になっています。このことにより「パトリック・オグは確かにマクリモン・ パイパーのなかで最も優れた演奏者・ティーチャーではあるが、こと作曲者としては先代の2人ほどは優れていなかっ た。」という評価を変えることになったということです。

 この曲についてシェーマスは、「飛び抜けたメロディの美しさをもち、長すぎもなく、短すぎも なく、コンペティションで優勝するだけの水準の難しさも兼ね備えていることにより、すべてのピーブロックの中で最も 好まれている曲である」と書いてい ます。 ⇒さらにディープな話

※ このサイトのあちこちにオリジナル書き下ろしの楽譜をご提供いただいている bugpiper さんは、この“Lament for Mary MacLeod”をこよなく愛されていますが、なんと今回はカンタラック付きの 楽譜を書き上げられました。こんな力作、普通の楽譜集でもなかなか見られません。ぜひ皆さんもこの恩恵をご享受下さ い。クリックすると大きなファイルにリンクしています。(score by bugpiper さん)


  て、一通り“ Lament for Mary MacLeod ”の練習が終わったところでアンガスもすっかり調子づいてきて「何でも教えてやるよ」などと言って くれるので、厚顔だとは思いましたが、あの名曲中の名曲「Lament for Patrick Og MacCrimmonを教えて欲しいのですが…」と切り出してみまし た。アンガスは顔色一つ変えずに手ほどきを始めてくれましたが、申し出た私の方がよっぽど「(まだ未熟な私がこんな 大曲に取り組んでしまって)いいのかなー?」と緊張してしまいました。

 実はアンガスの来日に先立つ2週間ほどの間、このあこがれの曲のウルラールをそれな りに練習はしていたのですが、まさか本当に教えてもらえるチャンスがくることは余り期待していなかったのです。
 特に、苦労しながら集中的に練習を積んできたKeyがGのペンタトニック(GABDE)からなるこの曲のウルラー ルにたびたび出てくる
聴かせ所の Low G からHigh Gへのthrowsを、涼しい顔をしてアンガスとユニゾンで音をなぞることができたときには、思わず鳥肌が立つくらい感激してしまいました。
 この印象的な名曲を著名なパイパーの演奏で聴くのもそれはそれで素晴ら しいのですが、やはり自分自身で奏でることによってそれとは比べものにならない位深い感動を覚えることができるとい うことを実感しました。

 私はウルラールだけでいいと思ったのですが、アンガスは顔を真っ赤にしながら、 シェーマスがあのBBCのピーブロックの本の中で「the most beautiful in pipe music」と書いているバリエイション1までも演奏してくれました。
 余りに顔を赤くして苦しそうに吹いているので旅の疲れも重なって心臓マヒでも起こされたらそれこそ事だと思ったの で、そこで止めてもらいました。ところが、なんとアンガスは口からプラクティスチャンターを離した途端に「他に は?」などとのたまうので、「えーい、もうこうなったら倒れられてもかまわん」と、
“Lament for the Children ”をリクエストしてしまいました(ヤッターッ!)。ここに至った時の私の興奮がどんなだったかは想 像におまかせいたします。

 
ィータイムをはさんで2時間ほどみっちりとチャンタープラクティスを受けた後、二人で多摩川の河 原にある私のお気に入りの演奏場所へ繰り出してパイプを演奏しました。
 私の
“ Desperate Battle of the Birds ”を聴いてもらった後、ア ンガスがいくつかのピーブロックのウルラールとバリエイションを演奏してくれました。ススキが風にそよぐ多摩川の河 原に、さわやかなハイランドの風が吹き抜けて行きました。
 実はアンガスは
Left Hander のパイパーで、普通とは全く反対側にパイプをかまえ ます。河原から引き上げる道すがら、私が「Left Hander のパイパーを初めて見たよ」言ったところ、広々とした野外で気持ちよくパイプを吹いてすっかり機嫌のよくなったアンガスはま じめな顔をして「いやこれが本当は Right(正しい)Handなんだ」と言いました。私が一体何を言 おうとしているのか分かりかねた顔をしていると「だって、パトリック・オグ・マクリモンはLeft Handerだったんだ。」と言って、いたずらっぽくニヤリと笑いました。私はそういえばどこかでそのことを読んだのを思い だし「それは素敵だ!」と言ってやりました。
 そして、このジョークのお返しとして私が自分の事を
Yoshifumick Og MacCrimmori と自称しているということを言うと、アンガスは「そいつはいいや」と大笑い、二人で大いに盛り上がりました。17世紀に生きていた一人のパイパーを同じようにヒーローと感 じている者同士でこういう冗談を交わすことができるということに、私はすっかり満ち足りた気分になりました。

 再び家にもどってきたところで今度はカンタラックを何曲か歌ってもらいました。たっ ぷりした容積のある体で歌うアンガスのカンタラックはスマートなシェーマスが歌うそれとはまた違った低音の響きのあ るもので、ガーリック・シンガーとして非常に味わい深いものがありました。



 の晩、ハイ ランド・ゲームの前夜祭のケイリーが開催されるイギリス大使館に向かう車のなかでは、ピーブロックについてだけ でなくスコットランドのトラッド全般についていろいろと話しが弾みました。
 アンガスはなんと、マーチ、リール、ホーンパイプなど多くの名曲を作曲した20世紀を代表するパイパー、
ドナルド・マクロード( Donald MacLeod )の直弟子だったそうです。そして、彼からピーブロックを教わっ ている頃にドナルド・マクロードはアンガスのうまく動かない指をからかって“Batter Fingers”という曲を作ってくれたことがある、ということなどを話してくれました。
 マクレランというのはユースト島のクランだということから、ユースト島に関する曲をよく演奏していた
Ossian の話しになり、さらに Ossian のパイパーの Iain MacDonald のことから The Battlefield Band Boys of the Lough (ボー イズ・オブ・ザ・ロック)、そ して Aly Bain から Phil Cunningham、さらには Capercaillie にまで話しが及びました。
 そして、もっと驚いた事にアンガスはパイピング・ティーチャーとして、あのハイランド・パイプをフィーチャー した初のトラッドバンドとして私たちに大きな衝撃を与えた
Alba のパイパー、Allan MacLeod や、The Battlefield Band 等で活躍した若手の超絶パイパー、Dougie Pincock といっ た連中を教えていたということだそうです。このように私が常々聴いているようなブリティッシュトラッド全般につ いて話しができるパイパーと出会ったのはこれが初めてのことでした。

 して同時に、こんなに気の良いカンタラック・シンガーと一緒にいるのも初めてのことでした。 なにしろ私と顔を合わせていさえすれば、なにかしら口ずさんでは「Yoshi、この曲知ってるか?」「あー、知っている。 何々でしょ」と言えば「じゃ、お前も歌え!」とか、「これ、知ってるか?」「知らないなー」「うん、これは今、 私が作った」とニヤリ、といった具合。つい先ほどまで見ず知らず だった親子ほどにも年の違う英国人と日本人が、まるで旧知の仲のように話しが弾んでしまうのも、同じようにピー ブロックを愛する者同士ならではだな〜と、感慨深いものがありました。

 本当に久しぶりに本物のパイパーと楽しい時間を過ご すことができた、実に素晴らしい午後でした。では、今回はこの辺で…。

Yoshifumick Og MacCrimmori

P.S. このとこ ろ定例の Phil Cunningham 賛歌 をまた一つ。
今年の夏、あのイリアン・パイパーとして有名な大阪の原口さんに会ったとき聞いたのですが、原口さんが 1985年にアイルランドとスコットランドに行ったときに観た
Relativity のコンサートでは、あの Phil Cunningham がアコーディオンでピーブロック風の曲を10分以上も演奏 していたそうです。う〜ん、Phil Cunningham って 本当に会って話をしてみたい人だなー。