ハイランド・パイプに関するお話「パイプのかおり」 |
第29話(2008/1) 2つの Piobaireachd シリーズ Donald MacLeodの“The Classic Collection of Piobaireachd Tutorials”シリーズは、Vol.1 がリリースされた2002年からおよそ6年間の歳月を掛けて2007年に完結。当初予定されていた Vol.20 を超えて最終的には Vol.21までリリースされました。全てダブルアルバムなので総 CD 枚数は 21×2 の 42枚、収録曲数は 238曲という某大なシリーズが完成しました。 ■“Roddy MacLeod - Piobaireachd”シリーズ■ その一つは、The National Piping Centre(NPC)の代表を務めるる傍ら、ソロパイパーとして第一線で活躍中のRoddy(Roderick J.)MacLeod がスタートさせたシリーズ。 そして、その後届いた、Piping Today(No.30)の記事によると、Roddy MacLeod は最終的には100曲を目標に今後順次新たに録音していく計画ということで、既におよそ40曲は録音済みとのこと。いやはや、これまた CD アルバムにして10数枚になる大シリーズの刊行という訳です。 早速、その関連サイトを訪れてみました。しかし、威勢の良いアナウンスとは裏腹にやはりそこはしっかりとブリティッシュ・タイムで、しばらくの間は文字通り「ホームページ」だけでした。他のページはどれも準備中でしたが、2007年も押し詰まった頃になってやっと中身がほぼ出揃ってきました。 サイトを訪れところでふと思い付いて、先に手にした Vol.1 アルバムを改めてパソコンのディスクトレイに入れてみました。通常はパソコンに CD を入れると自動的に iTune が立ち上がって音源再生可能になります。一旦 iTune に取り込んでしまえば、CD を再びパソコンで再生することはないので、全く気が付かなかったのですが、iTune を画面から隠してデスクトップを見てみると、そこには確かに通常の Audio CD のディスク・イメージとは別に Music files のディスクイメージも表示されていました。そして、Music files のディクス・イメージをクリックすると、楽譜と BMW のフォルダが表示され、それぞれのファイルが表示されたのです。 まあ、文句はさておき、特に CD-R 形式をうたってないにも関わらず、このような形式になっている音楽CD ってのは初めてだったので、何かすごく得した気分になりました。もちろん、私のように既に全ての楽譜を持っている(その代り、マックな人なので Bagpipe Music Writer は持っていない)人には、あまり意味がないかもしれませんが、手元に楽譜が無くてこれから新しくピーブロックに取り組んでみようという方には、理想的なコンセプトだと思いました。アルバムを聴いて気に入った曲の楽譜がその CD の中に入っているのですから…。 さらに、このシリーズというかプロジェクトの優れているところは、私のように全ての音源をできるだけ圧縮されていないデータをディスクなどの記録媒体に入れた形で手元に置いておきたいというのでなければ、あえて CD アルバムを購入するまでもなく、関連サイトにアップされた MP3 ファイルを試聴した後「これは!」と思う曲をダウンロードして聴き込む。そして、その曲に馴染んで演奏してみたくなったところでその曲の楽譜をダウンロードする、という方法も選べるということです。 今後のこのシリーズ(プロジェクト)の充実に大いに期待したいところです。 ■“William M. MacDonald - Piobaireachd”シリーズ■ さて、最新の録音音源を最新のデジタル技術とインターネットをフルに活用して構築された Roddy MacLeod のシリーズとは対称的なシリーズがもう一つ、静かにスタートしています。それが、この“William M. MacDonald - Piobaireachd”シリーズです。 これは、既に 2002年に84才でこの世を去っている William M. MacDonald というパイパーが、晩年に自宅で録音した音源を、遺族の協力を得てシリーズとしてリリースしようというものです。 William Munro MacDonald は1918年にインバネスで生まれ、2002年に生まれ故郷で亡くなっています。ゲール語を話す素晴らしいシンガーだったという母や、やはり素晴らしいシンガーだったという伯母、そして、アコーディオンを弾く兄弟などに囲まれて育ったということで、自身もバグパイプの他に、アコーディオン(ボタンと鍵盤両方)、ピアノ、フィドル、クラリネットなどを演奏しました。 Willie は1936年18才の時に The Queen's Own Cameron Highlanders にパイパーとして参加します。その当時、非常にレベルの高いバンドとして有名だった Cameron Highlanders に入ったということは、彼のパイピングの技量がそれなりに高かったということを証明するものです。 終戦後、復員兵支給金として£76を支給された彼は、直ぐにボタン・アコーディオンを買いました。というのも、長い捕虜生活ですっかり身体が弱ってしまったため、パイプを吹けるようになるためにはしばらくリハビリの時間が必要だったのです。そして、やっと1947年になってから同じインバネス在住のあの John MacDonald(ツリー図参照)に師事することになります。それから John が亡くなる1953年までの6年間、Willie は John MacDonald の最後の弟子として彼の家に通ったのです。 John MacDonald の教習は全て(カンタラック)シンギングのみで、特に肉体的に辛くなった後年はプラクティス・チャンターすら吹かず、また、本や印刷された楽譜などは一切使うことが禁じられていました。つまり、「教えた事は全て頭に入れるべし」ということで教わった内容をメモったりすることも出来なかったようです。ですから、Willie はレッスンが終わると直ぐさま、家の外に停めた車の中に隠しておいたソサエティー・ブックやキルベリー・ブックに、つい今しがた教わった事を忘れない内に大急ぎ書き停めたということです。そして、後年その曲を演奏する際にその書き込みを読み直して、John MacDonald から教わったポイントを反芻したのでした。 1955年に、Willie はダブル・ゴールドメダリスト(8月末の Argyllshire Gathering/Oban と9月上旬の Northern Meeting/Inverness 各々のコンペで同年の内に続けて優勝すること。)になります。その時、Oban に於いては“The Vaunting”、Inverness では“Lament for Patrick Og MacCrimmon”で優勝したということ。彼にとって記念すべきこれらの曲は両方とも Vol.1 に納められています。 ここで、ライナー・ノートに大変興味深いエピソードが紹介されていました。 1948年9月、インバネスで Northern Meeting が開催された折、John MacDonald の家に、Willie MacLean、“two Bobs”たる Nicol and Brown、George Moss、Donald MacLeod、そして、Willie M. MacDonald、といった当時の蒼々たるパイパーが集まって、ピーブロック全般について、あるいは特定の曲の細部について、侃々諤々議論を交わしました。 う〜ん、やはりそうですか〜、共感するところ大ですね〜。…って、ちょっとおこがましいか? さて、Willie は60才を過ぎた1970年代末から、彼の全てのピーブロックのレパートリーをパイオニア製テープレコーダー(多分、オープンリール)を使って自宅で録音する作業を始めました。そして、世界中のパイパーからの求めに応じて、録音した音源をカセット・テープにダビングして送るというサービス(ビジネス)をしたということです。 録音したのは(スタジオではなくて)自宅ですし、使用機器もそれ程専門的なものではないため、録音状態は必ずしも理想的なものでは無ありません。また、録音機器やパイプの調子がイマイチだったり、Willie 自身がミスをして、あるいは単に疲れてしまって、途中で演奏を止めてしまっているような録音も有るなど、残された録音全てがリリースに耐え得るものばかりでは無いということです。 しかし、たとえ録音状態が理想的なものでは無かったとしても、マクリモンの流れをそのまま受け継ぐあの John MacDonald の演奏様式を、彼の最後の弟子である William M. MacDonald という優れたパイパーの演奏を通じてほぼそのままの形で鑑賞することが出来るこのシリーズは、同じく John MacDonald の弟子であった Nicol and Brown のマスターズ・シリーズとお互いに補完しあう存在ともいえる、実に貴重なシリーズだといえましょう。 さらにもう一つ、私がこのシリーズのことを特に高く評価する点は、その演奏の内容が大変貴重だということもさることながら、それぞれの曲の解説をあの Bridget MacKenzie が書いているということです。(これまで紹介したライナー・ノートのプロフィール紹介も同様です。) それに対して、このシリーズのそれは Bridget MacKenzie が彼女の持つあらゆる知識を駆使して、このシリーズのために書き下ろしたものです。どの曲の解説も歴史的背景だけでなくセッティングの違いなどに対する解説も深く掘り下げられていて、これまで目にしたどんな解説よりも詳細かつ簡潔。また、あちこちに新しい逸話も折り込まれているので新鮮な気持ちで楽しめます。こういうストーリーを読むと、既に良く知っているつもりの曲についても、さらに新しい面が見えて来てその曲に対する興味が益々沸き上がってくるのです。 自分自身の家系(MacDonald)があの虐殺の生き残りの血筋の末裔であるため、Willie 自身が特別な想いを持っていた曲として Vol.1 Track3 に“The Massacre of Glencoe”が収められていますが、この曲の解説における歴史背景の描写などは、まるで17世紀のその場所に我が身を置くかのような臨場感あふれるものになっています。また、その一方で、Willie が残したこの曲の数種類の音源の異なったセッテイングに関して、微に入り細に入りリファレンスすべき楽譜等が解説されていて、この曲を演奏する上での興味が尽きません。 Vol.2 Track3 には、多くの人に人気の高い Patrick Og MacCrimmon 作の“Lament for Mary MacLeod”が収録されていますが、このピーブロックの主人公 Mary MacLeod の生涯にスポットを当てたその解説も、これまであいまいだった人間関係や史実が克明に解説されていて、実に興味深いものです。この曲に関するピーブロック・チューン・ストーリーを補完する意味で以下に抄訳を載せます。 Mary MacLeod (ゲール語で Mairi nighean Alasdair Ruaidh、つまり、赤毛の Alasdaire の娘 Mary)は、North Uist 島の外れにある Bernera 島のマクロード家の出身である。しかし、彼女が育ったのはスカイ島だったので、その後、彼女は Dunvegan 城のマクロード・チーフの子供たちの保母/家庭教師として雇われることになった。 彼女は、まず最初に Mull 島に送られた。しかし、彼女がそこでもまだ歌や詩を作り続けたことは、スカイ島まで聴こえて来た。そこで、次に彼女は Lorne 入り江にある Scarba 島に飛ばされた。その後、彼女は Harris 島の外れにある Pabay に住む彼女の兄の庇護の下に入った。 しかし、最終的には Dunvegan のチーフが代替わりするとともに、彼女の帰還は許された。彼女は Dunvegan への帰還に際して、銀色の頭をした黒いイタチを連れていた。そして、そのイタチは、以前、彼女に辛く当たった人を見つけると容赦なく飛びかかったと伝えられている。 彼女は90才を超す高齢で亡くなった。そして、Harris 島の南の Rodel の St Clement 教会の墓地に埋葬された。彼女は遺書の中で、自分を顔を下向きに埋葬するように言い残したといわれている。魔女を埋葬する際のやり方であるこの埋葬方法を彼女が指示したのは、彼女が次ような意志を示したかったからである。「あなた方は、私を生涯に渡って魔女のように扱った。だから、私をそのように埋葬しなさい。そしたら、私は化けて出てあなた方に付きまとうでしょう。」 Mary MacLeod はゲール語の詩作の発展に於いて、厳格でクラシカルな韻律とより抒情的でフレキシブルな若い世代との橋渡し役として重要な役割を果たした。彼女へのラメントを作曲するにあたり、Patrick Og MacCrimmon はピーブロックとしてはそれまでに無い非常にユニークな構造を使ったが、それは Mary MacLeod が詩作に於いて導入した新しい手法を参考にしたものと想像される。 どうです? これまで“Lament for Mary MacLeod”のバック・グラウンド・ストーリーを幾つか読んだ限りでは、マリーの人柄とか、マリーとマクロード・チーフの確執の原因、そして、帰還の理由などがイマイチもやもやしていましたが、今回の解説で非常にすっきりしました。 そして、このように、さもその場に居合わせたかのような臨場感溢れるストーリーを描けるのが、正に Bridget MacKenzie の面目躍如ってもんです。 それにしても、ピーブロックって奥が深いですね。 …てな訳で、今回紹介した2つのピーブロック・シリーズは、それぞれ別の理由でどちらも甲乙付け難く超お薦めということです。皆さん、せいぜいピーブロックを楽しんで下さい。 |
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