30年前の“Piping Times”《1977年》

1977年10月号

October/1977

Vol. 30/No.1

 この当時(正確には1999年9月号 Vol.51/No.12まで)の“Piping Times”の表紙は、毎号異なったタータン模様をバックに、中央に誰かしらパイパーが写った小振りの写真を配置する、というのが決まったパターンでした。
 目次の一番下にクレジットされているように、この号の写真は、D.R.Maclennan と Malcom MacPherson のお二人です。

 毎年10月号の“Piping Times”は直前の8月末に行なわれる P10 The Argyllshire Gathering のパイピング・コンペティションのリポートが掲載と相場は決まっていますので、この号も冒頭にそのレポートが掲載されています。
 この時の Open Piobaireachd コンペのトップは最近では聞かない名前の Duncan MacFadyen (有名な John MacFadyen の弟の一人)で、曲は“The Stewarts' White Banner”。
 2位以下はお馴染みの名前ばかりです。2nd は当時は海外(スコットランド以外)から本場のコンペに挑戦するというパイパーはまだ珍しかった中で果敢に各地のコンペを転戦していたという(カナダの) William (Bill) Livingstone 。曲は“The MacDonald's Salute”です。
 3rd はかの Murray Henderson です。曲は“The Menzies Salute”。この人も元々はニュージーランド出身ですが、既にこの頃には活動拠点をスコットランドに移していたと思われます。
 そして、4th には、本年(2007年)Andrew Wright から The Piobaireachd Society のチェアマンを引き継いだ Jack Taylor で、曲は“Mary's Prise”。
 その他、Gold Medal コンペティションの参加者も含めて見てみると、Malcom Macrae、といった名前や、最近活躍の著しい Ian Spiers の父親である Tom Spiers なんて名前も見受けられます。

 しかし、なんといってもこの記事から感じることは、これらのパイパーの中でも唯一、未だに第一線でトップ争いをしている(それも、一度リタイアした後にカムバックした)マエストロ Murray Henderson ってのは本当に息の長いパイパーだな〜、ということですね。


 目次2番目の P18 Piobaireachd in Norfolk というタイトルが気になりますが、読んでみると、去る9月3日にノーフォーク(つまり、イングランド国内ってこと)のあるカントリー・フェアー会場で、なんとピーブロックのコンペが行なわれたということが報告されています。
 とはいっても、やはりその様子(会場の騒々しさ、奏者と観客が共に少ない!など…)は惨澹たるものだったようです。う〜ん、なんとなく想像して余りあるだけに、少々哀しいものがあります。


 毎号、何らかのパイプチューンを紹介してくれる、P20 Tune of the month は目次にあるとおり“MacIver's March”という曲です。タイトルだけ見るとマーチと勘違いしそうなこの曲、実はこのコーナーとしては至って珍しくピーブロックです。ちょうど中綴じ真ん中の見開きページ一杯を使って、楽譜が延々と印刷されています。


 さ〜て、しかし何と言ってもこの号で一番の掘り出し物は全てのピーブロックの中で最も長い演奏時間を要する曲 P24 "The Lament for the Harp Tree" に関する記事でしょう。

 この曲については、例の Haddow の本にもその由来に関する記述はありません。頼りになるのは音のある暮らし2006年9月で紹介した Angus Mackay の楽譜集の Historical Notes の記述だけです。(実はもう一つ David Glen の楽譜集にも例によって“Fionn”名義の説明がありますが、こちらの方はもっと短くてたったの4行…。)

 しかし、困った事に、実はこの Angus MacKay の説明を読んでみても、この曲が「妖精の物語に関連した非常に古い由来を持つ曲」であるということは分かっても、肝心の曲の背景については今一つピンと来ません。

 この曲についてはずっとこんな悶々とした思いを抱いていたので、2枚の写真と1枚の手書きの地図まで使い、5ページにも渡ってこれまでに無く詳しく書かれたこの文章を、今回改めて非常に興味深く読み進めました。
 思い起こせば、30年前にこの記事と出会った当時は、このような記事は全くもって「猫に小判」状態だった訳ですから、30年の時を経てやっとモノにすることが出来るのは感慨深いものがあります。

 この文章は、Sumas MacNeill と共に Colleg of Piping
を創設した創立メンバーの一人、Thomas Pearston の手になるものです。
 マクリモン一族のことについて紹介した CANNTAIREACHD No.17 に、この人がマクリモンのルーツを辿ってはるばるイタリアのクレモナにまで足を運んだ逸話を紹介したように、この Thomas Pearston という人は、個々の ピーブロックの由来や背景、あるいは著名なパイパーの足跡などを求めて、あちこちにフィールド調査(ピアストン自身は  "piobaireachd safari" と表現)を実施しては興味深いレポートをよく書いています。

 まずは、冒頭で「この長くかつ重厚な作品は、現在に伝わる全てのピーブロックの中で最も古いものと思われる。」という Donald MacDonald の言葉が紹介された後、これまでよりも格段に詳細にこの曲の背景が紹介されています。


 曰く「昔々、北方の民族(Fingallians)がスコットランドのハイランドに居住していた頃の事、スカイ島のある住居の傍に1本の大きなオークの木があった。彼らはいつもその聖なる木の梢の下で、儀式を執り行い、そして、宴を催し酒を酌み交わしてはハープの音色に合わせてダンスを踊った。
 一般的には飼い犬の綱は木に結び付けるものだが、この北方の民族たちは大地に突き刺さった石柱に結び付けるのを常としていた。
 また、彼らは鹿肉を茹でるための大鍋を据えるための3つ揃った石を所有していた。(それらの石をゲール語で“Sornach”とか“Chorre”とか “Fhinn”とか言うそうな…。)彼らは、その場所の周辺の鹿を食べ尽くすまで、あるいはデーン人などの敵に追い払われるまでは一ヶ所に留まるのを常と していた。
 長い時間を経て北方の民族たちが全て死に絶え、彼らの家は焼き払われ彼らの所有した全ての物が失われた後には、古く由緒あるあの聖なるオークの木、3つ揃いの石、そして、飼い犬をつなぎ止めた石柱が残った。

 そらからかなりの長い時間を経て、その昔、鹿が住んでいた場所で羊が飼われるようになった頃、二人の盗人が何頭かの羊を盗み、と殺した羊をあの聖なるオークの木の枝に吊るした。
 そこに、年老いた猟師が通り掛り、羊の屍の残骸がその聖なる木に吊り下げられたままになっているのに気が付いた。若い頃、その木の下で、歌や踊りを伴っ た非常に盛大な宴会が行なわれていたのを目撃したことのある(つまりその木が聖なる木であることを知っている)その猟師は、その木に羊の屍が吊るされた光 景を見て、非常に恐れ、そして、深く嘆き悲しみながその場を後にした。
 彼はバグパイプのチャンターに似た楽器を持っていたので、その楽器でこのもの悲しいエアーを作曲したのだった。」


 う〜ん、ピーブロックの由来を説明した文章の中にはこんな風に脈略が混沌としているものが決して少ないとは言い難いのですが、中でもこれはかなり手強いスト−リーです。
 原文を何度も読み返しても、説明されている時間軸の長さをどう解釈していいのか、書かれているのが民族の一般的な振る舞いなのか、ある特定の人物の事を 言っているのか? 突然、北方人の飼っていた特定の犬の名前が出て来たりする…。3つの石とか石柱とかは、ドルメン(巨石群)の事を指しているようにも読 めますが、それにしては古代に遡り過ぎる…。北方人たちがオークの木の下で宴を催していたのは、少なくとも百年単位でず〜っと昔の話だと思われるけど、 じゃあ、その老猟師が若い頃見かけた宴会ってのは、一体だれの催していた宴なのか? 大体、Angus MacKay の説明にあったバルドが枝にハープを掛ける木の話との関連は? …ってな感じで、まともに読んでいったら突っ込みどころ満載って感じで、容易にはとても理 解し難い文章です。
 ということで、苦労して私なりにアレコレを推し量りつつ、かつ大胆に端折りながら大筋を意訳してみた結果がこのザマです。

 でも、どうやらこのストーリーでは、“Harp Tree”というのは「ハープが奏でられる儀式が盛んに執り行われていた聖なる木」と言う意味、そして、この曲は「その聖なる木が穢されたことに対する嘆きの曲」だということのようですね。

 意味合いを十分に理解できているかどうかはともかく、遥かな昔に遡るこのようなファンタジック(?)なストーリーや、曲にまつわるリアルな風景を想い浮かべながら、この曲を味わえば、嫌が応でもこの曲に対する想いが深まることだけは間違いありません。

 Thomas Pearston は、この後、例の Angus MacKay の説明にあった、Beann Sith と記載されている丘を、フィールド調査に基づいて特定していきます。
 詳細な説明は省きますがその探査結果を示したのが上のピアストン手書きのマップ。そして、この写真が、彼が Angus MacKay の説明で Beann Sith として名の出て来る丘だとする Ben Hee の姿という訳です。


 何とも盛り沢山のこの号には、さらに、まだまだ興味深い記事があります。
 最後の P33 Characteristics of the Sound Level of the Highland Bagpipe は 正にタイトル通りの内容について、図表やグラフまで駆使して記述されたごく科学的なレポートです。残念ながらこの記事自体は Part2 なので全体像は分かりませんが、この号では、パイパーの人数によってどのような音量に成り得るか?など、至って科学的な分析結果が紹介されています。


 さて、今回はピーブロックに関する記事も特に多かったので、特別に濃い内容となりましたが、今後は、誌面に掲載されている広告などにも触れながら、もっと俗っぽくかつ軽々しくその号の内容を紹介しつつ、30年前の世間を振り返りたいと思います。

 それにしても、当時の誌面にはピーブロックに関する記事が多いことに、今さらながら感心します。正に古き良き時代ですね。

1977年11月号

November/1977

Vol. 30/No.2

 先月が、The Argyllshire Gathering のリポートとくれば、当然、今月は The Northern Meeting のレポートと相場は決まっていますが、その前に、6月〜のサマーシーズンにスコットランド各地で開催された、ハイランド・ゲームに於けるパイピング・コンペティションの結果を一覧で紹介する Round the Games のページがあります。
 それらをザッと眺めると、当時活躍していたパイパーの名前が推測できる訳です。まあ、概ね先月の The Argyllshire Gathering に登場しているような名前がちらほら見えます。気が付いたのですが、Murray Henderson の所属はまだ New Zealand ってなっていますね。そして、あちこちのゲームでもう一人、Donald Bain という New Zealand のパイパーの名前が度々目に付きます。8/20 の Glen Urquhart のコンペでは見事1位を獲得しています。最近話題の Alan MacDonald のお兄さん(弟じゃないよね?)である Dr. Angus MacDonald の名前も見えます。そして、もちろん John BurgessIain MacFadyen なども…。

 さて、いよいよ P14 The Northern Meeting の結果レポートに目を通しましょう。

 この年の Gold Medal のチャンピオンは先の Oban (Argyllshire Gathering)で2nd だった William Livingstone で、 曲は“MacKay's Short Tune”。もう一歩でこの年の Double Gold メダリストになるところですね。彼は、先ほどの Round The Games の一覧によると 8/27 の Cowal でも 1st になっているし、いやはや大活躍ってところです。
 2nd は William Weatherspoon による“Lament for Donald of Laggan”、3rd は Malcolm MacRae による“Welcom Johny Come Back Again”と続きます。その後は、割と知らない人が続く中に例の Donald Bain の名も出てきます。

 一方、Clasp の方は、1st が James MacIntosh、2nd Malcolm MacRae、3rd Andrew Wright、Iain MacFadyen、Murray Henderson、(Oban で 1st の)Duncan MacFadyen、Hugh MacCallum という順序です。お馴染みの名前が多いですね。


 ページは戻りますが、この当時の P9 Editorial は、当然ながら Seumas MacNeill が書いています。この人の文章はとても分かりやすくて読み易いのが特徴。ですから、当時はエディトリアルによく目を通したものです。(現在は余り目を通してないってこと。)
 この月は、アーティストに対する財政的支援のことについて書いていますが、その中で出て来るのが Grants の名前。Grants は今では、Glenfiddich の傘下に入ってしまいましたが、当時はこの名前で出ています。今で言う Glenfiddich Piping Championship は当時は、Grants Whisky Championship という名称でした。左は当時、毎月のように表紙裏一面の特等地に掲載されていた、Grants Whisky の宣伝。


 宣伝といえば、Editorial のページの反対側のページに2冊の本の宣伝が出ていますが、その内一つが、Anthony Bains の名著“BAGPIPES”です。
 この本はこの後、いっとき絶版になるのですが、数年前にリイシューさて再び入手可能になったのは大変喜ばしいことです。
 この本が出版された当時(私の持っているのは 1973年の Rivisede Edition なので、初版は多分1960年代でしょう)には、この本で取り上げられているバグパイプの多くは絶滅あるいは絶滅寸前状態だったのですが、今ではそれらよ りもさらに多種多様なバグパイプが復刻されて各地で盛んに演奏されています。現在のこのような「バグパイプ完全復活」ともいえる状況に至るまでの唯一の道 標であったこの本の意義は計り知れません。
 天国のベインズ先生はどんな気持ちで、今の状況を御覧になっているのでしょう。


 中とじ部分に、Index to Volume 29 つまり1976/10〜1977/9 一年間の総索引が綴じ込まれています。4ページ(つまり、紙は一枚)なので、ホッチキスをほぐしてこのページだけ抜き出すために中とじ部分に入れていある ので、ページもここだけ飛ばしてあります。索引は内容別になっているのですが、特に Historical の項が興味深いですね。

 1年間に6つの記事があるようなのですが、“Eary MacCrimmon Records”(77/2)、“The MacCrimmon and the '45”(77/3) 、“The End of the MacCrimmon College”(77/5)という具合に、その内3つのタイトルに MacCrimmon の名が出て来ています。さらに、もう一つ“MacKay of Gairloch”(77/6)という記事も有るし、やはり当時のパイピング・タイムスはピーブロック記事満載って感じですね。遡ってバックナンバーも揃えなくてはならないか?と考えさせられます。


 最後の方にちょこっと P35 Pill for Pipers?という興味深いタイトルの記事が…。

  曰く、「(この当時から遡って)10年程前に出て来た“beta-blocker”(血圧降下剤)が、舞台の上であがってしまうような(バイオリン、チェ ロ、ビオラなどの)新人アーティストの精神を安定させて、舞台上で落ち着いて演奏できるようにする効果がある、という研究成果が報じられた。」という紹介 記事でした。一般的な精神安定剤であるトランキライザーなどは、演奏自体に影響を及ぼすことがあるが、このような“beta-blocker”はそのよう なことが無い、とのことらしいです。
 コンペティションのプラットフォームの上であがってしまうようなパイパーにもお勧めではないか?ってな意味合いの記事のようです。詳しくは来月号で、とのことでした。

1977年12月号

December/1977

Vol. 30/No.3

 先々月の The Argyllshire Gathering 、先月の The Northern Meeting に続いて、今月はいよいよ10月29日(土)に開催された P11 Grant's Whisky Championship (現在の Glenfiddich Piping Championship )のレポートです。
 冒頭で「第4回目のコンペティション」と書かれているところから判断すると、このコンペティションが始まったのは1974年のことのようです。

 1st は Iain MacFadyen で曲は“MacLeod of Colbeck's Lament”ですが、Iain は2年前にも同じ曲で優勝しているとのことです。
 2nd は活躍著しい Bill Livngstone で曲は“Lament for the Earl of Antrim”。3rd は Hugh MacCallum 、そして、Malcom MacRae、Murray Henderson、John MacDoughal、John Burgess と続きます。その他の参加者として名前が挙がっているのが、Tom Speirs、Arthur Gillies、Duncan MacFadyen、Iain Morrison、Iain Clowe、ということです。最後の人の名前だけは初見です。

 コンペティションのレポートですから、当然ながら各パイパーの演奏内容について論評されていますが、いまさらそれを紹介しても仕方ありませんのでそんなことはしませんが、中にちょっと興味深い記述がありました。それは、Bill Livngstone の“Lament for the Earl of Antrim”の演奏についての記述です。
 このレポートを書いた Seumas MacNeill は、ビルの指使いの正確さや歯切れの良さなどを散々褒めた後、“The drone were going slightly out of tune towards the end, and this was not improved by his addition of crunluath a mach variation which surely is completely out of place in this fine lament. ”とはっきりと言い切ります。

 「ラメントでは(一部の例外を除いて)原則として clunluath a mach は演奏するべきではない」という定石の意味深さを、このようなコンペティションのレポートを通してまでも世に啓蒙しようと務めているのです。
 そして、さらにそのことを強調するために次の様なエピソードまで挿入しています。

 It is perhaps not inappropriate to remind pipers of the old story of the Highlander who went to a funeral, and when hte returned home his wife asked him how things had gone. “Very well,” he said . “Except that the piper ruined the day by playing a crunluath a mach on the lament.”

 う〜ん、厳格な原理主義者たる Seumas MacNeill の姿勢が明らかですね。
 私、個人的には“Lament for the Earl of Antrim”の clunluath-a-mach ってスゴク盛り上りますし、どちらかというと演奏しやすい a-mach なので、調子に乗ってついつい演奏してしまいがちなのですが…。トホホ。
 やはり邪道ですかね〜? シェーマスさん…。


 オセアニア地方を拠点とするパイパーの Who's Who とも言うべき、P24 Notices of Australasian Pipers というコーナーはどうやら不定期に連載されているようで、この号では5ページに渡って、L〜Mの頭文字のパイパー18人が紹介されています。
 古い人などは19世紀に遡るので、殆ど名前も知らない人ばかりですが、唯一知っているパイパーとして、このサイトの English Index Page のトップやピーブロック名言集に引用しているピーブロックに関するあの名言中の名“It is music of great depth, and one can study or ponder over a PIOBAIREACHD for a lifetime, and still progress in one's understanding of the music and find new depths in it.” を記した張本人 Ian L McKay が紹介されていました。


 今回の号では余り紹介することが無いので、CoP 自身の宣伝が掲載されている裏表紙をスキャンしました。

 それによると。当時の“Piping Times”年間購読料は£4、カレッジ・チューターは概ね各々£1ってところです。
 ちなみに、現在は前者は£23、そして、後者が£12です。ただし、現在のカレッジ・チューターには CD や DVD が付いていますが…。

 こられの物価の変化に(そして、裏表紙の黄ばみ具合にも)、嫌が応でもこの30年間の時代の変化を感じさせられますね。

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