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                  "Piping Times" 《1977年》 
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              この当時(正確には1999年9月号 Vol.51/No.12まで)の“Piping
              Times”の表紙は、毎号異なったタータン模様をバックに、中央に誰かしらパイパーが写った小振りの写真を配置する、というのが決まったパターンでし
              た。目次の一番下にクレジットされているように、この号の写真は、D.R.Maclennan と Malcom MacPherson のお二人です。  毎年10月号の“Piping Times”は直前の8月末に行なわれる P10 The
                  Argyllshire Gathering
                のパイピング・コンペティションのリポートが掲載と相場は決まっていますので、この号も冒頭にそのレポートが掲載されています。 しかし、なんといってもこの記事から感じることは、これらのパイパーの中でも唯一、未だに第一線でトップ争いをして いる(それも、一度リタイアした後にカムバックした)マエストロ Murray Henderson ってのは本当に息の長いパイパーだな〜、ということですね。  目次2番目の P18 Piobaireachd in Norfolk というタイトルが気にな
                りますが、読んでみると、去る9月3日にノーフォーク(つまり、イングランド国内ってこと)のあるカントリー・フェアー
                会場で、なんとピーブロックのコンペが行なわれたということが報告されています。 
 さ〜て、しかし何と言ってもこの号で一番の掘り出し物は全 てのピーブロックの中で最も長い演奏時間を要する曲 P24 "The Lament for the Harp Tree" に関する記事でしょう。 この曲については、例の Haddow の本にもその由来に関する記述はありません。頼りになるのは音のある暮らし2006年9月で紹介した Angus Mackay の楽譜集の Historical Notes の記述だけです。(実はもう一つ David Glen の楽譜集にも例によって“Fionn”名義の説明がありますが、こちらの方はもっと短くてたったの4行…。) しかし、困った事に、実はこの Angus MacKay の説明を読んでみても、この曲が「妖精の物語に関連した非常に古い由来を持つ曲」であるということ は分かっても、肝心の曲の背景については今一つピンと来ません。 
  この文章は、Sumas
                  MacNeill と共に Colleg of Piping  まずは、冒頭で「この長くかつ重厚な作品は、現在に伝わる全てのピー ブロックの中で最も古いものと思われる。」という Donald MacDonald の言葉が紹介された後、これまでよりも格段に詳細にこの曲の背景が紹介されています。  曰く「昔々、北方の民族(Fingallians)がスコットランド
                  のハイランドに居住していた頃の事、スカイ島のある住居の傍に1本の大きなオークの木があった。彼らはいつもその聖
                  なる木の梢の下で、儀式を執り行い、そして、宴を催し酒を酌み交わしてはハープの音色に合わせてダン
                  スを踊った。  そらからかなりの長い時間を経て、その昔、鹿が住んでいた場所で羊が
                  飼われるようになった頃、二人の盗人が何頭かの羊を盗み、と殺した羊をあの聖なるオークの木の枝に吊るした。 
 でも、どうやらこのストーリーでは、“Harp Tree”というのは「ハー プが奏でられる儀式が盛んに執り行われていた聖なる木」と言う意味、そして、この曲は「その聖なる木が穢されたことに対する嘆きの曲」だということのよ うですね。 
  Thomas Pearston
                は、この後、例の Angus MacKay の説明にあった、Beann Sith
                と記載されている丘を、フィールド調査に基づいて特定していきます。  何とも盛り沢山のこの号には、さらに、まだまだ興味深い記事があります。 さて、今回はピーブロックに関する記事も特に多かったので、特別に濃い内容となりましたが、今後は、誌面に掲載され ている広告などにも触れながら、もっと俗っぽくかつ軽々しくその号の内容を紹介しつつ、30年前の世間を振り返りたいと 思います。 それにしても、当時の誌面にはピーブロックに関する記事が多いことに、今さらながら感心します。正に古き良き時代で すね。  | 
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              先月が、The Argyllshire Gathering のリポートとくれば、当然、今月は The
                Northern Meeting
              のレポートと相場は決まっていますが、その前に、6月〜のサマーシーズンにスコットランド各地で開催された、ハイランド・ゲームに於けるパイピング・コン
              ペティションの結果を一覧で紹介する Round the Games のページがあります。それらをザッと眺めると、当時活躍していたパイパーの名前が推測できる訳です。まあ、概ね先月の The Argyllshire Gathering に登場しているような名前がちらほら見えます。気が付いたのですが、Murray Henderson の所属はまだ New Zealand ってなっていますね。そして、あちこちのゲームでもう一人、Donald Bain という New Zealand のパイパーの名前が度々目に付きます。8/20 の Glen Urquhart のコンペでは見事1位を獲得しています。最近話題の Alan MacDonald のお兄さん(弟じゃないよね?)である Dr. Angus MacDonald の名前も見えます。そして、もちろん John Burgess や Iain MacFadyen なども…。 さて、いよいよ P14 The Northern Meeting の結果レポートに目を通しましょう。  この年の Gold Medal のチャンピオンは先の Oban (Argyllshire
                Gathering)で2nd だった William
                  Livingstone で、 曲は“MacKay's Short
                Tune”。もう一歩でこの年の Double Gold メダリストになるところですね。彼は、先ほどの Round
                The Games の一覧によると 8/27 の Cowal でも 1st
                になっているし、いやはや大活躍ってところです。  一方、Clasp の方は、1st が James
                  MacIntosh、2nd Malcolm
                  MacRae、3rd Andrew
                  Wright、Iain MacFadyen、Murray Henderson、(Oban で
                1st の)Duncan MacFadyen、Hugh
                  MacCallum という順序です。お馴染みの名前が多いですね。 
 
 中とじ部分に、Index to Volume 29 つまり1976/10〜1977/9 一年間の総索引が綴じ込まれています。4ページ(つまり、紙は一枚)なので、ホッチキスをほぐしてこのページだけ抜き出 すために中とじ部分に入れていある ので、ページもここだけ飛ばしてあります。索引は内容別になっているのですが、特に Historical の 項が興味深いですね。 1年間に6つの記事があるようなのですが、“Eary MacCrimmon Records”(77/2)、 “The MacCrimmon and the '45”(77/3) 、“The End of the MacCrimmon College”(77/5)という具合に、その内3つのタイトルに MacCrimmon の名が出て来ています。さらに、もう一つ“MacKay of Gairloch”(77/6) という記事も有るし、やはり当時のパイピング・タイムスはピーブロック記事満載って感じですね。遡ってバックナンバーも 揃えなくてはならないか?と考えさせられます。 最後の方にちょこっと P35 Pill for Pipers?という興味深いタイトルの記事が…。  
                曰く、「(この当時から遡って)10年程前に出て来た“beta-blocker”(血圧降下剤)が、舞台の上であがっ
                てしまうような(バイオリン、チェ
                ロ、ビオラなどの)新人アーティストの精神を安定させて、舞台上で落ち着いて演奏できるようにする効果がある、という研
                究成果が報じられた。」という紹介
                記事でした。一般的な精神安定剤であるトランキライザーなどは、演奏自体に影響を及ぼすことがあるが、このような
                “beta-blocker”はそのよう なことが無い、とのことらしいです。  | 
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              先々月の The Argyllshire Gathering 、先月の The Northern Meeting
              に続いて、今月はいよいよ10月29日(土)に開催された P11 Grant's Whisky
                Championship (現在の Glenfiddich Piping Championship
              )のレポートです。冒頭で「第4回目のコンペティション」と書かれているところから判断すると、このコンペティションが始まったのは1974 年のことのようです。  1st は Iain MacFadyen
                で曲は“MacLeod of Colbeck's Lament”ですが、Iain
                は2年前にも同じ曲で優勝しているとのことです。  コンペティションのレポートですから、当然ながら各パイパーの演奏内容について論評されていますが、いまさらそれを
                紹介しても仕方ありませんのでそんなことはしませんが、中にちょっと興味深い記述がありました。それは、Bill Livngstone の“Lament for
                the Earl of Antrim”の演奏についての記述です。  「ラメントでは(一部の例外を除いて)原則として clunluath a mach
                  は演奏するべきではない」という定石の意味深さを、このようなコンペティションのレポートを通してまでも世
                に啓蒙しようと務めているのです。 It is perhaps not inappropriate to remind pipers of the old story of the Highlander who went to a funeral, and when hte returned home his wife asked him how things had gone. “Very well,” he said . “Except that the piper ruined the day by playing a crunluath a mach on the lament.”  う〜ん、厳格な原理主義者たる
                  Seumas MacNeill の姿勢が明らかですね。  オセアニア地方を拠点とするパイパーの Who's Who とも言うべき、P24 Notices of
                  Australasian Pipers
                というコーナーはどうやら不定期に連載されているようで、この号では5ページに渡って、L〜Mの頭文字のパイパー18人が紹介されています。 今回の号では余り紹介することが無いので、CoP 自身の宣伝が掲載されている裏表紙をスキャンしました。  それによると。当時の“Piping
                Times”年間購読料は£4、カレッジ・チューターは概ね各々£1ってところです。 こられの物価の変化に(そして、裏表紙の黄ばみ具合にも)、嫌が応でもこの30年間の時代の変化を感じさせられます ね。  | 
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