パイパー森
の音のある暮らし《2006年》
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正月の年賀状と相前後して届いた "Piping Times" 2006年1月号の表紙写真は Gordon Duncan の演奏風景でしたが、なんとその上に "Tragic Loss" の文字が重なっていました。「えっ?」と思いながら目次ページにある 表紙写真の説明を読むと、懸念したとおりやはりこの若き有能なパイパーが先月、突然亡くなったとのこと。なんとまだ、 41才の若さでした。 Gordon Duncan はこれまで3枚のソロアルバ ムをリリースしていました。正統的に習得された正確無比かつ超絶な演奏技巧を持ち、伝統的な曲の演奏だけでなく、オリジ ナル曲の多彩さと完成度の高さに類い稀な非凡な才能を感じない人は居なかったはずです。 また、3枚の内2枚のアルバムの中にはそれぞれ1曲づつのピーブロックも収録されています。その2曲というのは "MacDougall's Gathering" と "Massacre of Glencoe" で、共になかなか
の名演奏。 Fred Morrison や Dougie Pincock と共に、才能ある若手 Piper & Composer の一人として今後の活躍が益々期待されていたこの人の余りにも早すぎる死は、なんとも残念で仕方ありません。 振り返ると、昨年後半には Thomas Peaston
と John Burgess
という、私のパイピング人生の中で大きな位置を占める2人の偉大なパイパーが相次いでこの世を去りました。 今年のパイプ吹き初めは、偉大なパイパー3人に合掌しつつ、心を込めて“Lament for the Children”を演奏しました。 |
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電子辞書を買い換えました。 これまで使っていたものは数年前に買った英語専用のコンパクトタイプで英和と和英が1種類づつしか入っていないベーシッ クなもの。でも、両手で持つと上手 い具合に左右の親指の動作範囲内に全てのキー(ボタン)が入るというコンパクトなサイズなので、親指を駆使して文字入力 が極めて素早く出来るという利点が あり、標準サイズの電子辞書に手を伸ばす気になかなかなりませんでした。 しかし、いかんせん収録語彙数が余りにも少ないの で、ちょっとでも難しい単語になると全く役に立たないというおバカな代物であることは紛れも無い事実。ハリー・ポッター を読む程度ならそれでも「まっ、 いっか〜」ってな感じですが、寒さの厳しいこの冬は、部屋の奥まで差し込む日差しが心地よいリビングのソファーに座って Bridget MacKenzie の "Piping Traditions of Argyll" と いったピーブロックに関する本に目を通すような機会が多くなり、そうなると古いこの電子辞書のおバカさ加減にほとほと嫌 気がさすようになってきました。 新たに入手したのはカシオ EX-word
シリーズの英語専門の標準サイズのもの。さすが英語専門のシリーズだけあって、共通装備される英和辞書は「リーダーズ英和辞典」&「リーダーズプラス」(合計46万語/研究社)、「ジーニアス大英和」(25万5千語/大修館)、という具合にそれ
なりの語彙数を収めたものが入っています。ただ、悩ましいのは、英英辞書として「OED(Oxford English Dictionary)」が
入っているのはシリーズの4グレードの中で一番値段が高いものに限られることです。OEDの入っていない下位3グレードの英英辞書は「ロングマン現代アメリカ英語辞典」というものに格下げされます。
また、SDカードやCD-ROMのフォームで用意されている幾つかの追加コンテンツの中にもOEDは用意されていないのです。 さて、実際に使い始めてみても、膨大な語彙数を誇る2つの英和辞書は、これまで使っていたものとは桁違いに賢く、さ
らに、2種類の英和辞書で微妙に異なるそれぞれの訳語を参照することができるのはいたって便利です。 でも、現実的には2種類の和英辞書の賢さに免じて「ま、いっか〜」と思い直して愛用しています。特に "Piping Traditions of Argyll" に
散々出てくるスコットランド方言などについても、これらの2種類の英和辞書には丁寧に訳語が載っているのが嬉しくなりま
す。 ピーブロックの中には、Earl of
Seaforth's Salute、Marquis
of Argyll's Salute、Lament for the Earl
of Antrim、Lament for the Viscount
of Dundee、Lament for The Laird
of Annapool、The Duke of
Atholl's Marchなどといった具合にタイトルに貴族の称号がでてくるものがよくあります。 先日も、ある人物の名前に "peer" という
言葉が冠されていたので、「凝視する」といったような意味しか知らなかったこの言葉について、新しい辞書で調べてみる
と、なんと「(英国の)貴族」という意味がある事を知りました。 そんな訳で、この新しい電子辞書が来て以来 "Piping
Traditions of Argyll" を読
みふける時間がますます増え、およそ300ページのこの本も残すところあと50ページ程になりました。そして、読み
進める程にピーブロックに関するさまざまな興味深いストーリーと沢山出会えるので、読む度に本当にワクワクさせられ
ています。 でも、どうやら Brigdet MacKenzie さん、非常に好評な "Piping Tradition シリーズ" の 3冊目に当たる "〜of Western Isles" という本を執筆中とのことですから、 もたもたしていると、これらの興味深い話をパイプのかおりの記事として紹介する間もなく、次作の読書に没頭するよう になるかもしれません。大体、彼女の処女作であり、興味深い話題がてんこ盛りだった "Piping Traditon of North of Scotland" について、これまで何も紹介で きていませんものね…。 |
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> 先月、誕生日に「ケルトのバグパイプ(LA
ZAMPOGNA IN EUROPA/THE BAGPIPE IN
EUROPE)」というCDをプレゼントされました。この中に1曲 "MacKintosh's Lament"
が入ってて、さらに1曲 (?) Canntaireachd が入ってました。 Matt.B.B.さんが今年2月の掲示板で上のように話題にされていた、"MacKintosh's Lament" と妙なカンタラックとが入っているというアルバム "LA ZANPOGNA IN EUROPA"「ケルトのバグパイプ」(キングレコード/アルバト ロス名盤復刻シリーズ/KICC-5761)を聴きました。通して聴いてみてびっくりしたことに、その中のガリシアのガ イタによる“Muineira(ムイネイラ)”という曲は、以前に一度聴いたことのある音源でした。 それを聴いたのはパイプのかおり 第3話のここに 書いた1976年5月25日に放送された「世界の民族音楽」の「ヨーロッパのバグパイプ」という番組の中。つまり、ちょ うど今から30年前ということで す。もちろん、一度聴いただけというのではなく、その番組は録音して何度か繰り返し聴いたものですし、今でもそのカセッ トはちゃんと保存してあるから確か です。 キング レコードのサイトのアルバトロス名盤復刻30選のページの解説によると、アルバトロスでは「200枚余にも及ぶLP盤が出されたことが1977年の同社のカタログからよみ とれる。そのうち120枚ほどが地元イタリアもの、その他のヨーロッパ、アジア、アフリカがそれぞれ20枚」と のことですから、この時の音源はそのうちのヨーロッパものの20枚の中の一枚だったのでしょう。さすが、民族音楽の権威 の小泉さん、当時の日本でこんなレコードをコレクションしていたのは多分この方だけでしょう。 その番組ではもちろんハイランドパイプ(パイプバンドのマーチ)もイリアンパイプも紹介されましたが、それらはどちらも このアルバムからではありませんで した。結局、このレコードから使われていたのはこの一曲だけで、他のヨーロッパ各地のバグパイプの音源も含めて、アルバ トロスのその他のアルバムか、 フォークウェイズやオコラのレコードからではないかと想像されます。 さて、先ほど紹介した解説では、アルバトロスの音源の
特徴は、アラン・ロマックスの手法を見習ってフィールドレコーディングにこだわっていたとのことで、ここで聴けるハイラ
ンド・パイプの演奏も、それ程名手 とはいえないローカル・パイパーの素朴な演奏だといえるようです。 さてはて、それよりもなによりも件の「妙なカンタラック」が
曲者ですね。 この曲はピーブロックを口承するための Canntaireachd などではなくて、マーチやダンス曲といった Lithg Music を声で表現する音楽表現(マウス・ミュージック/日本で言うところの「口三味線」)の一手法で、ゲール語で Puirt-a-beul 、英語で Lilting などと呼ばれるものです。 Mat.B.B.さんが ケルト圏には、このようなさまざまなマウスミュージックの伝統が根強く残っています。その理由としては、手元に適当な楽 器が無い時に、声で演奏するダンス 曲を伴奏にしてダンスを楽しむという文化があったということ、そして、特にパイプミュージックについては、1746年の Culloden の戦いの後、スコットランド全土に施行された武装解除法でハイランドパイプも武器の一つとみなされてその演奏が禁止され た状況下において、その伝統を絶や さないために、パイプチューンを口承で伝えるために特に発達したと言われています。 さて、そのようなケルト圏のマウスミュージックをたっぷりと味わいたい人に絶対にお薦めなのが、文字どおりそのもの
ズバリのタイトル名のアルバム "Celtic Mouth
Music" (ellipsis arts / CD4070/ 1997年)です。 残念ながらこのアルバムは現在、絶版になっているようですが、不幸中の幸いな事にアマゾンのカタログ(右のジャケッ ト写真をクリック)にこのアルバムがまだ掲載されたままになっている上に、37曲全てについてサンプル音源を聴く事がで きます。 ケルト圏のマウスミュージックについて深く知りたければその詳細な解説に目を通すことがなによりであることに変わりは有 りませんが、まあ、とりあえずは Matt.B.B.さん言うところの「おっさんのうなり声」のようなでもその実おばさんの声といった例(テイク20)を 始めとして、本物のおっさんのうな り声、そして、天使の歌声を思わせる女性シンガーの歌など、多様な37曲のサンプル音源を聴くだけでも、大いに参考にな る事は請け負います。 それとも、皆さんあまりのキモさに口あんぐりかも? |
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The National Piping Centre の発行する隔月刊の機関誌 "PIPING TODAY" は Piping Links のページで書いたとおり、「大判でビジュアル、そしてインタビュー記事が 多い紙面は現地の雰囲気が良く伝わる/GHBに限らず多様なバグパイプに関する記事も多く楽しめる」と いうのは確かですが、その実、「どの記事も中身が薄くて、読後に強く印象 が残る記事に出会ったことが無い」というのが率直な印象でした。毎回、写真を中心にざっと目を通した ところで「殆ど読むところが無いな〜」という思いを抱いたまま本棚に直行させていました。特にピーブロックについては然 りで、正直な気持ち、購読更新の度に「もう止めようか?」と毎回逡巡するのが常でした。 ところ が、今年3月に届いた No.20 にはビックリ。実に読みごたえのある記事が、それも複数掲載されていたのです。 まず、巻頭のトップ記事として、19世紀半ばの著名な Publisher & Pipe-Maker
である Donald MacDonald(1767-1840)が
製作し、Waterloo の戦いの際に演奏されたといわれるチャンターのレプリカに関する記事。 そして、それに続く記事として、やはり同じ様な19世紀の Publisher & Pipe-Maker である William Gunn(1789-1867)の生涯と、彼が
残したさまざまな楽譜集や楽器に関する詳細なレポートです。これもまた一読の価値有り。 それに続くのが、Angus J. MacLellan さんによる昨年秋の "The Glenfiddich Piping Championship" のレポートで、これは同じく Angus J. による同様のレポートが "Piping Times" にも掲載されていたので別に目 新しくはありませんが、こちらの方が写真が大きくて目を引きます。 そして、今回の号で最も印象的だった記事は、フランスはオルレアン在住の女性(60才のおばさん)パイパー Anne Lore さんとその活動に関する記事です。 しかし、なによりも私が感銘を受けたのは所々に引用されている彼女自身のピーブロックに対する想いを述べた言葉で
す。 仕方が無いのでそちらの方面は潔く諦め、改めて "PIPING
TODAY" の編集責任者である Mike
Paterson さんにメールを書いて Anne
Lore
さんの名言の引用の許可を求めることにしました。(版権ということでは本来はこちらこそが本来の許可権者でしょうが、私としては
Anne Lore
さんにとにかく共感の気持ちを伝えたかった…。) Anne Lore さんのピーブロックに対する想いを述べた熱い言葉、ぜひとも「ピーブロック名言集」で目を 通してみて下さい。ピーブロック好きならば共感するところ大だと思います。 ⇒ "PIPING TODAY" の 後日談 |
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まとまって落ち着いた時間が取れないまま、いつまでたっても Bridget MacKenzie の "Piping Traditions of Argyll" はなかなか読み終わらないのですが、そんな折、まだ 読んでいなかったちょっと気になるタイトルの本を入手したので、"Pipigng Tradition 〜" の方は一旦中断してその本の方を読みふけってしまいました。 その本の
タイトルは "The Highland Bagpipe and
its Music"。う〜ん、そのものズバリですな〜。 この本が最初にリリースされたのは1988年ですが、その後の社会情勢の変化を踏まえ、最新の情報を加えて一部修正
された第2版が2002年にリリースされています。 先日、ネットサーフィンをしている折にたまたまこの本の存在を知り、慌ててオンライン・ショップを探したところ、幸 い、 NPC のオンライン・カタログにはちゃんと載っていたので早速取り寄せたという次第です。 ハンディサイズのペーパーバックでページ数は200ページ余りと手頃なボリューム。そして、内容は次のとおりです。 Ch.1 Origins 限られたページ数の中でこれだけ盛り沢山の内容につい
て言及しているので、それぞれの項目についてはそれ程深く掘り下げられている訳ではないのですが、例によって偏執狂的資
料分析魔の Cannon
らしく、本文中や脚注に数多くの文献や人名が出てきて、またそれらの一つ一つに年代が入っていたりするので、いつもするようにマーカーを片手に読み進んで
いると、いつの間にかページがまっ黄色になっているといった具合。 そんな中で、一つ大いに笑えたのが、例によって Cannon ならではの詳細な脚注の中に書かれていた興味深い
エピソードです。 な んとも些細なことですし、どうでもいいような事だと思うのですが、結果としてその後、両者が別工房としてライバル意識を 持って切磋琢磨した(?)ことが、 両者ともに100年を超す歴史を築く原動力になったのだとしたら、それはそれで良かったのではないでしょうか。この本で 知った新たな事実として最も興味深 かったエピソードです。それにしても、赤色のヘンプなんて見たこと無いですよね〜。 まあ、ハイランドパイプ生活の異様に長いパイパー森にしてみるとこんな紹介の仕方になってしまいますが、本質的には この本は初心者がハイランドパイプの全体像を把握するためには非常にためになることは請け負います。 つまり、バグパイプ入門コースとして、バグパイプ全般のハードウェアに関しては、Anthony Bains の "Bagpipes"(Oxford/1960)で学び、ハイラ ンドパイプの主にソフトウェアに関してはこの本で学ぶといったコースを辿るのはどうでしょう。そして、その後、特にピー ブロックに関してもう少しつっこんで知りたい人は Seumas MacNeill による "PIOBAIREACH"(BBC Pub./1968)に目を通すといったところでしょうか。なんといっても、ピーブロック愛好家にとって Seumas のこの本は必読です。 さて、パイパー森としては、新しい知識のインプットという
意味ではこの本は少々物足りなかったので、そのフラストレーションを解消するために、この本の中でも触れられている、以
前から気になっていたある本を入手することにしました。それは Alistair
Campsie の "The MacCrimmon
Legend, the Madness of Angus MacKay"(1980)という本で
す。 …といっても、今から26年前に出版されたこの本、CoP
のオンラインカタログに掲載されていないし、果たして入手できるのでしょうか? さて、1980年に出版されたこの本の新品が在庫されていたとなると、1975年に出版された Francis
Collinson のあの有名な "The Bagpipe. The history of a musical
instrument" ももしかして?と思い立ち、検索してみました。そうしたところ、何と今度も見事に
Amazon.co.uk と Amzon.co.jp の両方で新品がヒットしました。 はてさて、 Bridget MacKenzie さ んの "Piping Traditions of Argyll" も 読み終わらず、さらに近々次作がリリースされようとしているのに、またまたこんなお楽しみを仕入れてしまいました。毎年 そうなのですが、パイパー森は夏休みが射程に入ってくると早々にお楽しみの本を揃えてしまう悪いクセがあるのですね。 いや〜、ハイランドパイプって本当に興味が尽きないですね〜。 |
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CoP
のオンライン・ショップ・システムのここ2、3年の混乱ぶりは酷いものでした。最近はやっと修復されたようで、注文の最
終画面でいきなりシャットダウンす
ることはなくなりましたが、未だに以前のような注文確認メールは来ません。ただし、注文した品物はなんとか無事に届くの
でそれで良しとしましょう。 その一つ、ストリーミング・ラジオのページ CoP Radio では月替わりで1時間程の番組が放送されていて、その中で毎月のようにピーブロックの貴重な音源を聴く事が出来ます。 例えば、今月(2006年6月)は、まず最初に、以前にこのコーナーで紹介したあの Barnaby Brown が自主制作した野外録音による音源から、彼が Campbell Canntaireachd を読み解いて復元した "Piobaireachd aon Chnocan" とい う曲を聴くことができます。大西洋の荒波の音をバックに、洞窟に反響する古式ゆかしきハイランドパイプの音色は、誰もが 一度聴いたら決して忘れる事が出来ないでしょう。 これに続いて Finlay Johnston という若者の演奏で "Lament for the Donald of Laggan" が1曲通して 放送されるのも嬉しいところ。この名曲のコレクションに新たな音源が加わりました。 そして、今月の音源でパイパー森にとって最も興奮させられたのが、アーカイブからの音源で、78回転のレコードに収
められていたという、あの Masters たる Brown & Nicol の師匠である John MacDonald of Inverness
の演奏する "Lament for the Children"(Urlar
のみですが…)でした。 さて、最近はこの CoP Radio に加え
て、 PT
Extra というページで、Piping Times
の記事に関連した音源や映像が配信されるようになったことも画期的です。 今日現在、最新の音源として配信されているのは、 Vol.58 No.8(つまり先月号) の"Lament for the Departure of King James" の記事に出ていた楽譜の演奏。このスコアは、現存する最も古いピーブロック集の一つ である、18世紀半ばの Donald MacDonald の楽譜集に 収められているものですが、これなどは、実際の演奏音源を聴かなくては、レポ−トの中身がイマイチ理解しづらいというも ので、この音源がなければ意味不明のままに読み飛ばしてしまうところでした。 Robert Wallace が編集長になってか ら、ピーブロック関連の記事が極端に少なくなって、Piping Times に対する不満が高まっていたところでしたが、このようにインターネットの最新トレンド を積極的に導入して、50年余りの歴史あるこの雑誌を、マルチメディアを駆使して活性化するという路線については、大い にエールを送りたいと思います。 |
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今年5月に 書いた、Alistair Campsie の "The MacCrimmon Legend, the Madness of Angus MacKay" と Francis Collinson の "The Bagpipe. The history of a musical instrument" のその後 の顛末です。 これらの2冊をオーダーしたのがそれぞれ5月1日と4日でした。 当初からの配送予定である4週間後を迎えた6月初旬には、今や遅しと
毎日発送通知メールを待ちわびていたのですが、その代わりに両方ともきっかり5週間+2日後の6月7日と10日に相
次いで遅延のお知らせメールが入りました(両方とも発信時間は何故か夜中の3時過ぎ)。 はてさて、気を取り直して待つこと6週間。 今回もきっかり6週間+2日後の7月20日と23日に相次いで次の様 なお詫びのメールが入りました(今回も前回同様に夜中の3時過ぎに発信)。 曰く…、 良く言うよ。 > この結果がわかるまでに長い時間がかかったことについても、心よりお詫びいたしま
す。 実は、最初の遅延メールには、 …ってな訳で、今年の夏休み用の本については見事にあてが外れました が、タイミング良くこんな本→がリリースされたので、気を取り直してこの本を入手することにしましょう。 |
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パイプのかおり第13
話に加筆して紹介したように、またまた名手たちの演奏風景をビジュアルに鑑賞することが出来る DVD
がリリースされました。 私は常々書いているとおり、ハイランド・パイプは「こ の世に存在する数多の楽器の中で、演奏姿勢が最も美しく凛々しい楽器」だと信じています。そして、自 分としてもそのようなパイパーの凛々しい姿に対して強い憧れを持っています。 実際、マクリモンの時代の絵画などに描かれている古(いにしえ)のパイパーの姿というのは、それがたとえ後ろ姿であったとしても、《凛》とした風情が醸し出さ れ、得も言えぬ趣(おもむき)があるものです。(⇒2003年9月) 19世紀後半以降は、名パイパーを写した写真が数多く残されています が、それらを観ても、やはり颯爽とした良い姿勢のパイパーが目に付きます。特に、パイプのかおり第20 話でも書いたとおり、往年の名パイパー Robert Reid の立ち姿は思わず目が釘付けになってしまう程に見事なものです。 ハイランド・パイプのハードウェア、メンテナンス等について指南している CoP のカレッジ・チューター Part 2 にも、ブローパイプのくわえ方から始まって正しいパイプの構え方について丁寧な記述があり、いかに「正しく美しく清らかな姿勢」でパイプを演奏するか、ということに 関して細かい注意事項が書かれています。そして、パイパーとして良くない姿勢について、"Head-twisters" "Caber-tossers" "Star-gazers" といった風に幾つかの典型例が挙げられています。細かい説明は省きま すが大体言わんとすることはご理解いだだけるでしょう。 ところが、最初に触れた Masters の DVD などを観ていて気が付いたのは「名手といえども、必ずしも良い姿勢で演奏する人ばかりじゃな い。」と いうことです。 確かに、Gordon
Walker や Iain Speirs、そして、Angus MaColl、
などは《凛》とした風情が漂い、正しいパイパーの姿勢をしています。 しかし、当代随一のピーブロック名手である William McCallum はアゴが上がってどちらかと言うと少々 "Star-gazer" ぎ みだし、Bruce Gandy は猫背とまでは言いませんが背筋がシャンとしていなくて、 Caberを抱えて投げる前の "Caber-tosser" っ ぽいと言えなくもありません。 そして、なんといっても極めつけは Jack Lee で、「あ〜、なんてこった」っていう姿勢です。 もう一人私が特に敬愛する Murray Henderson
については、これまでも古いビデオで演奏風景を観た事がありましたが、2005年のマスターズ DVD
で、改めて良く観察してみると、この方も結構ルール違反者ですね。 しかし、ご存じのとおり、これらの人たちは誰をとってみても超一流の名パイパー。そして、姿勢がどうであれ、紡ぎ出
す音楽はどれも天上の調べなのです。 なんというのでしょうか、とどのつまりこれこそ、ピーブロックのアイロニーと言えることなのでしょう。 |
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スケートボーダーであり、かつバイオリン&ハイランド・パイプ練習中である若いお二人のヘルプのために、夜の駒沢公園に 出向きました。 駒沢公園には小学生の頃から40年余り、様々な形で足 を運んでいます。もちろん、その頻度には波があって、特に頻繁に通ったのは自分自身が小学生の頃、そして、自分の息子が 乳幼児の頃とその息子が自転車で一緒に出かける様になった頃でしょうか。でも、これまで一度も夜の駒沢公園を 徘徊したことはなく、今回が初めての経験でした。
夜の8時を回った公園では、昼間は一番目立つ家族連れやカップルたちは殆ど見当たらず(もっとも夜のカップルは見当たら
ないところに居るのでしょう
が…)、ナイター照明が煌々と輝くグランドでサッカーをやっている一団を除くと、なんといってもいつも元気なランナーた
ちが最大の人口です。 さて、主たる目的のパイプの手ほどきの様子はご当人たちに報告して頂くとして、何よりも今回は、パイパー森自身が夜 の公園での演奏を心から楽しむことが出来たのが最大の収穫でした。 いくら広い公園だからといって、フェンスの外はすぐに閑静な住宅街ですし、昼の日差しを避けてひたすら精進する寡黙 なランナーたちの数は決して少なくはないだろう、ということは実際に足を運ぶ前から想像して余りありました。 ですから、最初にお二人が夜の駒沢公園で(バイオリン
はともかく)ハイランド・パイプの練習をしようとしている、と知った時には「隣
近所や他の利用者に迷惑にならないんだろうか?」というのが正直な思いでした。 ところが、40年間見なれた鬱蒼とした木々に溢れた駒沢公園も、とっぷりと暮れた夜のとばりの中では昼間とは全く異なった風情が漂い、また、折か ら通過中の前線の影響で低い雲がたれ込め、直前には雨がパラつく様なまるでスコットランドのような怪しい天候も幸い (?)して、なんとも神秘的でスピリチャルな雰囲気に満ちていていました。 …で、手ほどきが一段落したところで自分のパイプを手 にした途端、次の瞬間には、もう他人の迷惑なんか気に するよりも先に、自分自身がピーブロックの演奏にすっかり陶酔しきっていました。 今から10年程前に“精霊・英霊・鎮魂歌ーケル
ト・ヨイク・ピブロック”と題して、横浜の保土ヶ谷にある「英連邦墓地」(外人墓地とは違う)のイギリス風に作られている墓
守りさんのお宅で、シンガーである友人と一緒に、ピーブロックとヨイク(ラップランド人の喉歌)を披露する夕べを催した
事があります。 それから10数年、飛躍的に進歩したハードウェアを手に、かつ、夏の夜ということもあり、今回は完璧なまでに演奏に 没頭することができました。 演奏中、何人ものランナーたちが脇を走り過ぎて行ったはずですが、正直なところ、それらの方々を気遣うような《分別のある考え》は全く沸き起こりませんでした。自分が陶酔でき るとなると、なんとも身勝手な人間なのでしょうか。…と、反省すらしたくない程、気持ちエガッタ…! パイパー森は以前からハイランド・パイプの音色が映える様々な《音環境》を求めてあちこちで演奏してきました。 今回は図らずも「都市の中の大規模な公園で日没後に演奏する」というシチュエーションが、意外な程に素敵な《音環境》であることに気付かされました。この場合は、多分に太陽の光 (が無い)という《光環境》も影響していると思われます。 木々の精霊に囲まれて演奏するのは以前から大変好
むところですが、まさか、蓼科の森の中では、日没後は正に「漆黒の闇」になってしまうので、とても演奏するどころで
はありません。 大きな公園の木々に精霊に囲まれた《音環境》の下、さらに気分が集中し神秘的でス ピリチャルな雰 囲気が高まる日没後という《光環境》の中でピーブロックを演奏するという行為にハマってしまいそうです。 ※ちなみに、この夜演奏したのは“The Desperate Battle of the Birds”と“The Vaunting”の2曲でした。 実は、私の現在の職場の近くには自然地形を活かした大規模な公園があり、陽気が良い時は時たま弁当を持って昼食を食
べに行くことがあります。 |
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私が特に好きなパイパーである Murray
Henderson が9月初旬に開催された
Inverness の Northern
Meeting
でのコンペティションに於いて、数有るピーブロックの中でも最長の演奏時間を誇る演奏時間25分超の "Lament for the Harp Tree" を演
奏して優勝したそうです。
この曲については、Bill Livingstone
の "A
Piobaireachd Dairy" に収録されている音源で初めてその実際
の演奏を耳にしましたが、その時は、さすがのパイパー森にとってもこの曲は少々長過ぎるように思え、また曲自体が抑
揚に乏しくひどく凡調に聴こえて、正直なところ?っていう感じでした。
いつも感じるのですが、ある曲に開眼するタイミングというのは、必ずしも初回からいきなりとは限りません。今回のよ
うに自分自身の心構えやその時の体調、
あるいは前後に聴いた曲などによっても、そしてまた当然ですがその演奏自体から発せられるオーラのようなものによっ
ても、ある時ある瞬間に、突然スイッチ が入るようです。 さて、この曲の背景についてですが、 Angus Mackay の楽譜集の Historical Notes には次の様に書かれています。 This piobaireachd, so unlike
all others, is evidently from its style, of very
high antiquity. * Literally, the woman of peace, “the good folk.” Bean , a woman. Bein , a hill. もし、手元に楽譜があれば演奏を聴きながら目を通して頂ければ分かるとおり、一見して《感動的な程に長くかつ単
調な曲》です。それ故、この曲はごく原始的なピーブロックであると推測されるという説明も、十分に頷けるのではない
でしょうか。 Murray Henderson の演奏を聴
いてこの曲がやみつきになってから、通勤途上、昼休み、就寝時など、暇があれば2人の演奏をエンドレスで聴き続けて
います。 パイパー森としては、この25分を越すピーブロックを「いい《音楽》です よ。ぜひ聴いてみて下さい。」と、だれ彼ともなく薦めるつもりはありません。殆ど本気で「お坊さんたちの《読 経》を聴くのが好きな人は試してみませんか?」と お薦めしてみたいとは思いますが…。 3年前のピーブロック・プチ・ ライブの際に聴きに来てくれた、現在はあるお寺の住職をやっている高校時代のクラスメートが、私のピー ブロックの演奏を聴いて「元気が出る音楽だな〜」と表 現したことの意味が、なんとなくよく分かるような曲の典型例といえるのかもしれません。 ⇒ 関連記事1「30年前の“Piping Times”1977年10月号」 |
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パイパー森の音楽人生に於ける大事なキーパーソンの一人である松
平稚秋さんが亡くなってから、この10月15日で7年目を迎えました。
パイパー森はかねてから、小田原にある松平さんの墓前で鎮魂の演奏を捧げることを思い描いていました。しかし、実際に はその思いはなかなか果たすことが出来ないまま、いたずらに数年間が経過してしまいました。 しかし、とうとう先日、今年の命日から数日経った19日の木曜日に休みを取り、長年の思いを果たしてきました。 小田原の市街地郊外の山を切り開いて作られたその霊園に続く、鬱蒼とした針葉樹の林を抜けるつづら折りの急坂を登り ながら「いや〜、こりゃ、いかにも松平 さんらしい場所に居を構えているな〜」と痛感。たどり着いた松平家のお墓は、眼下に小田原の街と太平洋が見渡せる素 晴らしいロケイションに位置していまし た。 松平さんに「いや〜、すんません、長い間待たせちゃて…」とあやまりつつ、墓前で、 "Lament for the Children" を 演奏。目をつむって淡々と演奏しながら、頭の中では松平さんと最初に出会った当時からのさまざまなシチュエーション が走馬灯の様に巡りました。 心を込めてこの19分間のラメントを演奏した後、一息ついてから、松平さんが特に好きだった軽快なマーチ、亡く なる直前にホスピスで最後のお別れをした際にも演奏した、アルビオン・カントリー・バンドでお馴染みの "The Battle of the Somme" を 演奏しました。思ったとおり、えらく喜んでくれたようで、例によってリズムを取るために「ボールペン貸して」って言 う様な声が聞こえた様な…。 今回は、お墓に眠る松平さんに敬意を表して、いつものようなピーブロック・ウォークではなくて、墓石に向き合っ て直立不動で演奏したのですが、その演奏の際にちょっと意外だったのが、いつもとはちょっと異なった音の響きでし た。 狭い室内で聴こうものなら、その暴力的な高音域の音量に誰もが辟易してしまうハイランド・パイプですが、本来の
演奏場所である開けた野原の様な場所で演奏すれば、パイプから発せられた音は、大空に向かって広く拡散して心地良い
音色となります。 そのような中 で、パイパー森のお気に入りの場所は、川辺や湖畔などといった「前面 に水面のある」演奏スポット。そのような場所では、 チャンターから発せられた音色が、水面に反射 して遠くまで伸びやかに響くので、実に爽快な気分に浸ることが出来ます。 こういったちょっとした《音環境》の違による反射 音の強弱は、自分自身の音にまみれて演奏しているパイパー自身には余り関係無いのでないかと思われるかもしれません が、その実、心地良さという点では非常に大きな差があります。《音》と いうモノの不思議な振る舞いなんですね。 さて、今回、松平さんの墓石に至近距離で対面して演奏していて感じたのは、周りが開けていて適当に木々が点在していて、本来ならば音の吸収性が良すぎる 状態にも関わらず、その音色が想像以上に大きく響いたことです。 実は、今回私はいつも室内の狭いクローゼットの中で練習するときに使っている柔らかいリードではなくて、もう一段堅 いリードを装着して演奏をし始めまし た。初め、音が大きく響くのはそのせいかな?と思わなくもありませんでした。ところが、ここ数日間演奏していなかっ たため堅いリードではやはり苦しくなっ てしまったので、途中でいつもの練習用の柔らかいリードに取り替えたのですが、音の響きはさほど変わりませんでし た。 程なく、その理由に思い当たりました。 つまり、チャンターから発せられた音波が目前にある磨き挙げられ た墓石の表面に反射して、演奏者の方に戻って来ているため、いつも野外で演奏する時以上に音の響きが大きかっ た、と思われるのです。 松平家の墓石は、一般的な四角柱のものではなく、最近多くなっている横に広い平面的なものだということも、このこと をさらに強調しているようでしょう。た だ、お墓というのは墓石本体だけでなく台座なども全て磨き挙げられた石で出来ている訳ですから、結果として敷かれた 玉砂利も含めてあらゆる石の表面で音が 反射していると思われます。 パイパー森が以前よく演奏していた野外ステージも、板張りのデッキと周囲のログハウスの壁の お陰で、野外にしては響きが良くて気に入っていたのですが、そのような木質系の面の反射とは違って、質量のある石面 の響き方は、たとえ反射面の絶対的な面 積がごく小さくても、まったく別物なんだということを実感しました。 また、閉鎖された空間と違って、一旦反射された音はそのまま空に抜けて行くということで、乱反射による音のぶつ
かり合いも発生しないので、程よい心地良さが得られるのではないでしょうか。 丘を吹き上がってくる太平洋からの涼しい海風を背中に受けて「確かに野外に居る」事を否が応でも実感させられつ つ、音のカプセルの中に抱かれて外界からプロテクトさ れているという安心感に満たされた中で、完璧に演奏に没頭することができました。意外な場所で思いがけなく心地良い《音環境》を発見した瞬間でした。 でも、実のところあの場での演奏がなによりも心地良かった理由は、敬愛する人生の先輩の「魂との一体感」から来るものだったのかもしれません。 「(“2001
年宇宙の旅”に出て来る、あの)“モ
ノリス”の前でハイランド・パイプを演奏したら、多分こんな敬虔な気持ちになれるんじゃないだろうか?」と、
ちょっと異次元的な妄想に耽りつつ、長年の思いを果たした満足感に満たされながら、湘南の海辺の道路をドライブして
家路につきました。 |
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このところ、古くからの馴染みの2曲にハマっています。"Lament
for Donald Duaghal MacKay" と "Lament
for Donald of Laggan" です。
名曲中の名曲であるこの2曲は、いうなればピーブロックのスタンダード・ナンバーとして、ピーブロック愛好家な
らば誰もが幾度となく聴き親しんでいる曲でしょう。 しかし、こと自分の演奏となると、前者の "Donald
Duaghal MacKay" は、ここ数年間はパイプでは殆ど演奏していませんでした。 後者の "Donald of Laggan" は 曲として「短すぎる」ため、パイパー森的好みからする と「演奏するにはちょっと面白みに欠けるな〜?」って ことで、実はパイプでは殆ど演奏したことがなかったのです。 ところが、最近になってある時、真面目になって演奏してみると、突然開眼しました。この曲のウルラールの表現の要はまさに《間》の取り方であ
る、ということに…。 いつかボブさんのフォーラムで Ron Teague さんが最も演奏が難しいピーブロックと位置づけていた "The Old Woman's Lullaby" と同様に、絶妙な《間》の取り方がこの曲に命を吹き込 むみます。そのような曲では絶対にリズムを取ろうとしてはいけないの です。 さて、Canntaireachd No.16 に書いたとおり、1994年のピーブロック・ソサエティー・カン ファレンスに於いて、Bridget MacKenzie 女史によりこの曲の作者について、これまでの定説が覆されました。つまり、それまで考えられていたようにこの曲を作 曲したのは Donald Mor MacCrimmon で はなくて、Iain Dall MacKay であ る、という新たな解釈が示されたのです。これにより Iain Dall の残した遺産にまた一つ大きな至宝が加 わったことになり、Iain Dall のファンの 一人としては、何となく嬉しく思いました。 しかし、その一方で、"Donald Duaghal MacKay" に親しめば親しむ程、いたって平易な技法を用いながら、美しく流れるようなメ ロディー・ラインを持つこの曲には、高度な指使いが求められる事が多い Iain Dall のその他の作品よりも、どちらかというと、同じ様に平易でかつ美しい "Lament for the Children"( by Patrick Mor MacCrimmon) に通じるものを強く感じさせられます。 そして、このことはまた同時に、やはり同じく Patrick Mor の作である "Donald of Laggan" についてもそのまま当てはまることです。つまり、"Children" と "Donald of Laggan"、そして、"Donald Duaghal MacKay" の3曲 は、そのたおやかな雰囲気がある意味で非常に似通っていると思うのです。そして、どれもに共通しているのが、これら の曲を情感豊かに表現するためには絶妙な《間》の取り 方が命である事…。 そして、一旦その曲の《間》の取り方が上手く会得
できてしまえば、どの曲も、ウルラールの最初の小節を一旦演奏し始めると、後は頭で何も考える事無く、指が自然とメ
ロディーを奏で始め、バリエイションで盛り上がって、また最後にウルラールに自然に戻って終わる。 《間》が命であるピーブロックという音楽は、その 意味からも日本人である私の感性に強く訴えかけるものがあるな〜、ということについて、強く感じ入っている今日この 頃です。 |
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本日12月8日は世界史的には日本軍の真珠湾攻撃により太平洋戦争がぼっ発した日。
…ですが、そんな時にはまだ生まれていなかったパイパー森的には、1980年のこの日にジョン・レノンが射殺されたという事実の方が重い意味を持ちます。 あれから早いもので26年が経過しました。 ちなみに同じ年の私の誕生日である9月25日には、レッド・ツェッペリ ンのドラマージョン・ボーナムが大酒を 飲み続けた後、自分の吐瀉物で窒息死しているのが発見されました。そして、彼の死を受けて世紀のロック・バンドであったレッド・ツェッペリンは解散したのです。 つまり、ロック史的には1980年というのは大きな転換点の年でした。 さて、ここに書い
たように、私の様なロック中年をターゲットにした 実は、“AERA in Rock”は、最初の号 のヒットに気を良くしたのか、半年後の昨年9月に既に“AERA in Rock 2”という続編がリリースされているので、今回のものは正しくは続々編ってとこ ろ。 後者は、あの日経系列の日経BP社が“日経エンタテイメント”の増刊号として季刊で定期発行している雑誌です。
実は、創刊号がリリースされたのが、2004年10月ということですから、多分この手の雑誌の嚆矢だった訳ですね。 さて、この手の雑誌の中身ってのは読み手も作り手も特段目新しいことを期待している訳ではないのですが、そのよ うな中で一つ、とても新鮮な解釈に出会いました。それは、“AERA ROCK HARD!”の記事「10大ギタリスト解体新書」の中に出て来た、デヴィッド・ギルモア(もちろんピンク・フロイドの…)に関する記事です。 ロック界では俗に、エリック・クラプトン、ジェフ・ベック、ジ
ミー・ペイジを3大ギタリストと呼ぶのはごく一般的です。それに、それ以上の別格の存在としてジミ・ヘンドリックスを加えた4人については、ロック界に残し
た意義の大きさから、数多のロック・ギタリストの中でも飛び抜けた存在として扱うことについては遍く異論のない所で
しょう。 10人の最初はやはりジミ・ヘン。そして、いつも の順序で3大ギタリストが続いた後は、いきなりちょっと意外なカルロ ス・サンタナ。でも、解説を読んで思わず納得しました。そして、パイパー森がブリティッシュ・ト ラッド趣味に全面突入する前、小遣いを工面してほんの僅かの枚数だけ厳選して購入したロックアルバムの中の一枚であ る“アブラクサス”の中の“Black Magic Woman”を繰り返し聴き込んで いた中学生の頃を懐かしく思い出しました。 続いて、順当にギター・キッズの永遠のヒーロー、リッチー・ブ
ラックモア。しかし、お次はキース・リチャーズと
来ると。う〜ん、こりゃ渋い。でも、その後に何とポール・コゾフが
出て来るとなると、今回の10人のセレクトの基準が決定的に明らかになってきます。 この“AERA ROCK HARD!”の冒頭特
集は「初来日物語」なのですが、その中でも書かれているとおり、本場イギリスの本格ハードロックバンドとしては本邦
初のコンサートはポール・コゾフがギタリストだった“フリー”のそれでした。 さて、リストの最後を飾るのはスライド・ギターの名手であり、考えてみれば10人の中で唯一の白人系アメリカ人 であるデュアン・オールマンですが、その前の9人目がデヴィッド・ギルモアです。 ピンク・フロイドについては、実はリアルタイムで
聴いたのは、1970年の“Atom Heart Mother”(日
本語タイトル「原子心母」)までなのですが、当時はいわゆるプログレッシブ・ロックの一派として括られることが多
かったこのバンドのサウンドは、当時から、バカテク名手達で構成されたエ
マーソン・レイク&パーマーやキング・クリムゾン、
そして、イエスといったその他のプログレバンドとは一
風異なった雰囲気があったように思えます。 ■ギターのかっこよさ概念を変えた老荘に通じる
《間合い》の達人■ そして、この10人を選んで解説した辣腕プロディーサー&ギタリストは「自分は40才を過ぎて彼の良さに 目覚めた。かっこいいリフを弾くだけがロックじゃないんだということを教えてくれたギタリストだ。」と 締めくくっています。 実は今年10月にピンク・フロイドの "PULSE" というDVD
がリリースされました。110回のコンサートで述べ300万人を動員したという伝説的な1994年のワールド・ツアーの際の映像を収めたものです。当然で
すが、そこには80年代半ばにバンドを去ったロジャー・ウォーターズの
姿はありません。 “The Wall” コンサートについては言う までもありませんが、ロジャー・ウォーターズ抜きのピンク・フロイドに於いても、演奏される楽曲の多く、そして、 真に聴きごたえある楽曲というのは、コンサートの目玉として全曲演奏される "The Dark Side of the Moon" を 筆頭にその殆どはロジャー・ウォーターズが中心になっ て作った曲です。 しかし、この2つの DVD を観比べて実感したことは、たとえそれがロジャー・ウォーターズのコンセプトによる楽曲だったとして も、それを演奏して《ピンク・フロイドの音楽》と成し 得るためにはデヴィッド・ギルモアの《間合い》で空気感を描くギター・サウンドは欠かす事が出来な いということです。 多分、長年に渡る仲たがいを経て、ロジャー・ウォーターズは その事をいやと言う程実感させられたのでしょう。2005年7月に開催された世界規模のチャリティーコンサート“ライブ8”に於いて、ピンク・フロイドが実に28年ぶりにオ リジナル・メンバーでパフォーマンスを披露した際、ロジャーは 終始上機嫌で嬉しそうな笑顔でした。 さて、今回私が言いたかったのは、ピンク・フロイドがロジャー・ウォーターズのバンドか?、それともデヴィッド・ギルモアのバンドか?、という論争に私なりに結論 を出した、というような下世話な話題ではありません。 先月の日記と正に同じ事を言いたかったのです。 |
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先月の日記や昨日の日記で、私は《間
合い》の妙を感じさせる音楽に強く惹かれる、と書きましたが、実はこのことは何も《音楽》に限ったことではありません。遍く《音》全般について当てはまることです。
その事にハタと思い当たったのは、つい先日、イギリスのコッツウォルド地方の「世界一美しい村」をテーマとしたテレ
ビ番組を見ていて、村人たちが教会の鐘を鳴らす様を何気なく見ていた時でした。 それに対して、日本の鐘の音というのは実に対照的ではないでしょうか。 このことに気が付いて思いを巡らせてみると、ピーブロックってのは要所要所で「ゴワ〜〜〜ン〜」っていうような余韻 を残した音の溜め方をするによって、情感を込めた表現ができるようになる面があるな〜、と思い至りました。 そして、このように、《間》こそが表現の要となるピーブロックという音楽は、一般的なの西洋音楽の域を超越した実に摩訶不思議な音楽だと改めて 実感します。 逆に言うと、ピーブロックを嗜むことが出来る感性を持った西洋人というのは、東洋的な禅や老荘思想に共感を持つ事が
できる少数の人に限られるというような気がします。 |
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