パイパー森の音のある暮らし《2006年
2006/1/3
(火)

パイパー達に合掌

 正月の年賀状と相前後して届いた "Piping Times" 2006年1月号の表紙写真は Gordon Duncan の演奏風景でしたが、なんとその上に "Tragic Loss" の文字が重なっていました。「えっ?」と思いながら目次ページにある表紙写真の説明を読むと、懸念したとおりやはりこの若き有能なパイパーが先月、突然亡くなったとのこと。なんとまだ、41才の若さでした。


 Gordon Duncan はこれまで3枚のソロアルバムをリリースしていました。正統的に習得された正確無比かつ超絶な演奏技巧を持ち、伝統的な曲の演奏だけでなく、オリジナル曲の多彩さと完成度の高さに類い稀な非凡な才能を感じない人は居なかったはずです。

 また、3枚の内2枚のアルバムの中にはそれぞれ1曲づつのピーブロックも収録されています。その2曲というのは "MacDougall's Gathering" "Massacre of Glencoe" で、共になかなかの名演奏。
 私のコレクションの中で、"MacDougall's Gathering" についてはこの他に、 Murray Henderson、Bill Livingstone、Angus MacDonald、といったそうそうたるパイパーの音源がありどれも名演奏ですが、中でもどれか一つだけを選べと言われたら、私は Gordon Duncan の音源を選びたいと思います。彼の終始ゆったりとテンポを保ち悠然とした演奏は他の巨匠たちの演奏に遜色なく堂々とした素晴らしいものなのです。
 また、1994年リリースのアルバム "Just for Seumas" に収められていた "Massacre of Glencoe" はというと、2002年にリリースされた Andrew Wright のアルバム "Canntaireachd and Piobaireachd" に収録されていたもう一つの音源が入手できるまで、スコットランド戦国史上で最も有名な出来事の一つであるこの事件を描いたピーブロックの唯一ともいえる音源として大変貴重な存在でした。

 Fred Morrison Dougie Pincock と共に、才能ある若手 Piper & Composer の一人として今後の活躍が益々期待されていたこの人の余りにも早すぎる死は、なんとも残念で仕方ありません。


 振り返ると、昨年後半には Thomas PeastonJohn Burgess という、私のパイピング人生の中で大きな位置を占める2人の偉大なパイパーが相次いでこの世を去りました。
 Donald MacPerson が80才を超えてまだまだあのように素晴らしい演奏を聴かせてくれるということからすれば、この二人、特に71才という若さ(?)で亡くなってしまった John Burgess には、これからもまだまだ素晴らしい演奏を聴かせて欲しかったと願うところです。 


 今年のパイプ吹き初めは、偉大なパイパー3人に合掌しつつ、心を込めて“Lament for the Children”を演奏しました。

2006/2/11
(土)

電子辞書はエライ!

 電子辞書を買い換えました。

  これまで使っていたものは数年前に買った英語専用のコンパクトタイプで英和と和英が1種類づつしか入っていないベーシックなもの。でも、両手で持つと上手 い具合に左右の親指の動作範囲内に全てのキー(ボタン)が入るというコンパクトなサイズなので、親指を駆使して文字入力が極めて素早く出来るという利点が あり、標準サイズの電子辞書に手を伸ばす気になかなかなりませんでした。

 しかし、いかんせん収録語彙数が余りにも少ないの で、ちょっとでも難しい単語になると全く役に立たないというおバカな代物であることは紛れも無い事実。ハリー・ポッターを読む程度ならそれでも「まっ、 いっか〜」ってな感じですが、寒さの厳しいこの冬は、部屋の奥まで差し込む日差しが心地よいリビングのソファーに座って Bridget MacKenzie "Piping Traditions of Argyll" といったピーブロックに関する本に目を通すような機会が多くなり、そうなると古いこの電子辞書のおバカさ加減にほとほと嫌気がさすようになってきました。


 新たに入手したのはカシオ EX-word シリーズの英語専門の標準サイズのもの。さすが英語専門のシリーズだけあって、共通装備される英和辞書は「リーダーズ英和辞典」「リーダーズプラス」(合計46万語/研究社)、「ジーニアス大英和」(25万5千語/大修館)、という具合にそれなりの語彙数を収めたものが入っています。ただ、悩ましいのは、英英辞書として「OED(Oxford English Dictionary)」が入っているのはシリーズの4グレードの中で一番値段が高いものに限られることです。OEDの入っていない下位3グレードの英英辞書は「ロングマン現代アメリカ英語辞典」というものに格下げされます。また、SDカードやCD-ROMのフォームで用意されている幾つかの追加コンテンツの中にもOEDは用意されていないのです。
 大いに悩んだ挙げ句、研究者でもあるまいし贅沢は止めてOEDは諦めました。ただ、もしかして将来的に追加コンテンツとしてOEDが用意されるようになった時のために、コンテンツが追加可能なタイプのものを選びました。

 さて、実際に使い始めてみても、膨大な語彙数を誇る2つの英和辞書は、これまで使っていたものとは桁違いに賢く、さらに、2種類の英和辞書で微妙に異なるそれぞれの訳語を参照することができるのはいたって便利です。
 一方、やはり大いに後悔した事には、ロングマンとやらいう英英辞書はハッキリ言っててんで使いものにならないということです。ちょっと混み入った言葉を2種類の英和辞書で調べてそれなりの訳語を確認した後、試しにこのロングマンで英語の意味を調べようとするのですが、「なんと、該当の語彙が無〜い!」ってなことが再三あるのです。アチャ〜ッ!こりゃダメだ〜ッ!
 どうせ、ネットショップで定価の半額以下で購入したのですから、もうちょっと奮発してやはりOEDの入ったものを買うべきでした。「安物買いの銭失い」を実感。


 でも、現実的には2種類の和英辞書の賢さに免じて「ま、いっか〜」と思い直して愛用しています。特に "Piping Traditions of Argyll" に散々出てくるスコットランド方言などについても、これらの2種類の英和辞書には丁寧に訳語が載っているのが嬉しくなります。
 中でも最近、特に重宝したのは、イギリスの貴族階級の称号に関する説明です。

 ピーブロックの中には、Earl of Seaforth's Salute、Marquis of Argyll's Salute、Lament for the Earl of Antrim、Lament for the Viscount of Dundee、Lament for The Laird of Annapool、The Duke of Atholl's Marchなどといった具合にタイトルに貴族の称号がでてくるものがよくあります。
 また、地方のクランにまつわる様々なストーリーが描かれている "Piping Traditions of Argyll" にも、当然のように貴族の称号を持った人の話が沢山出てきます。

 先日も、ある人物の名前に "peer" という言葉が冠されていたので、「凝視する」といったような意味しか知らなかったこの言葉について、新しい辞書で調べてみると、なんと「(英国の)貴族」という意味がある事を知りました。
 さらにここの訳の中に英国の貴族の爵位の序列は、Duke(公爵)→Marquis /Marquess(侯爵)→Earl(伯爵)→Viscount(子爵)→Baron(男爵)、であるという解説があり、英国の混み入った貴族の称号の順位がやっと理解できました。
 もちろん、現代ではネットでちょこっと検索すれば、このような疑問点について解説したページが山ほど出てくるの分かっていますが、迅速かつ簡単明瞭という点ではやはり座右の電子辞書の便利さにはかないません。


 そんな訳で、この新しい電子辞書が来て以来 "Piping Traditions of Argyll" を読みふける時間がますます増え、およそ300ページのこの本も残すところあと50ページ程になりました。そして、読み進める程にピーブロックに関するさまざまな興味深いストーリーと沢山出会えるので、読む度に本当にワクワクさせられています。
 例えば、上でも名の出た、タイトルに爵位が出てくる
"Lament for the Earl of Antrim" まつわる話題。1月のこのコーナーで触れた昨年末に突然亡くなった Gordon Duncan の名演奏で忘れられない "MacDougall's Gathering" の由来となった、かつまた有名なパイプメイカーとしても有名な MacDougall 一族に関する話題。"Lachlan MacNeil Of Kintarbert's Fancy" の由来となっている MacNeil Campbell of Kintarbert 一族に関する話題などなどです。 

 でも、どうやら Brigdet MacKenzie さん、非常に好評な "Piping Tradition シリーズ" の3冊目に当たる "〜of Western Isles" という本を執筆中とのことですから、もたもたしていると、これらの興味深い話をパイプのかおりの記事として紹介する間もなく、次作の読書に没頭するようになるかもしれません。大体、彼女の処女作であり、興味深い話題がてんこ盛りだった "Piping Traditon of North of Scotland" について、これまで何も紹介できていませんものね…。

2006/3/12
(日)

マウス・ミュージック

>  先月、誕生日に「ケルトのバグパイプ(LA ZAMPOGNA IN EUROPA/THE BAGPIPE IN EUROPE)」というCDをプレゼントされました。この中に1曲 "MacKintosh's Lament" が入ってて、さらに1曲 (?) Canntaireachd が入ってました。
 「へ〜カンタラックは初めてだ」なんて思いつつ、CDのアタマから再生して聴いているうち、曲順なんか忘れ去ってました。
 するとどこからか、おっさんのうなり声というか、まじないのような声が…。たまに曲の前後にセリフのようなパートが入る曲もあるので、そんな感じかな、と思って聴いてても一向に音色が出てこない。気づけばこれがカンタラック?!
 bugpiperさんから聞いていたカンタラックはもっと音楽的で、それ自身も曲のようであったのに対し、このカンタラックは曲調も不明で怖いというか ちょとキモい…(笑)。CDには何の曲のカンタラックかも記されておらず、夜中に聴くには軽いホラーショウです。
 でもこのCD、中の説明書きには各種バグパイプの説明や挿絵があって興味深し。カンタラックについては一切の記述がありませんでしたが。とりあえず贈り主に感謝!
 これって知らない人が興味本位で購入して聴いたら驚くだろうなぁ。


 Matt.B.B.さんが今年2月の掲示板で上のように話題にされていた、"MacKintosh's Lament" と妙なカンタラックとが入っているというアルバム "LA ZANPOGNA IN EUROPA"「ケルトのバグパイプ」(キングレコード/アルバトロス名盤復刻シリーズ/KICC-5761)を聴きました。通して聴いてみてびっくりしたことに、その中のガリシアのガイタによる“Muineira(ムイネイラ)”という曲は、以前に一度聴いたことのある音源でした。

 それを聴いたのはパイプのかおり第3話のここに 書いた1976年5月25日に放送された「世界の民族音楽」の「ヨーロッパのバグパイプ」という番組の中。つまり、ちょうど今から30年前ということで す。もちろん、一度聴いただけというのではなく、その番組は録音して何度か繰り返し聴いたものですし、今でもそのカセットはちゃんと保存してあるから確か です。

 キングレコードのサイトのアルバトロス名盤復刻30選のページの解説によると、アルバトロスでは「200枚余にも及ぶLP盤が出されたことが1977年の同社のカタログからよみとれる。そのうち120枚ほどが地元イタリアもの、その他のヨーロッパ、アジア、アフリカがそれぞれ20枚」とのことですから、この時の音源はそのうちのヨーロッパものの20枚の中の一枚だったのでしょう。さすが、民族音楽の権威の小泉さん、当時の日本でこんなレコードをコレクションしていたのは多分この方だけでしょう。

  その番組ではもちろんハイランドパイプ(パイプバンドのマーチ)もイリアンパイプも紹介されましたが、それらはどちらもこのアルバムからではありませんで した。結局、このレコードから使われていたのはこの一曲だけで、他のヨーロッパ各地のバグパイプの音源も含めて、アルバトロスのその他のアルバムか、 フォークウェイズやオコラのレコードからではないかと想像されます。

 さて、先ほど紹介した解説では、アルバトロスの音源の 特徴は、アラン・ロマックスの手法を見習ってフィールドレコーディングにこだわっていたとのことで、ここで聴けるハイランド・パイプの演奏も、それ程名手 とはいえないローカル・パイパーの素朴な演奏だといえるようです。
 例の“MacKintosh's Lament”の演奏もドローンが不安定だったり(もっとも、これは名手パイパーの演奏でも結構ありますが)、装飾音の表現が稚拙だったりして、ピーブ ロックの素晴らしさを実感するための音源としては少々もの足りないものがあります。


 さてはて、それよりもなによりも件の「妙なカンタラック」が曲者ですね。
 大体、解説を書いているこのアルバトロスのシリーズの製作者であるロベルト・レイディと言うイタリア人は、ハイランドパイプの音楽についてはあまり詳しくはないようで、ピーブロックの解説の部分でも結構いい加減なデタラメを書いています。
 そして、その挙げ句にこの曲を Canntaireachd (カンタラック)として紹介するというのにはなんとも困ったものです。

 この曲はピーブロックを口承するための Canntaireachd などではなくて、マーチやダンス曲といった Lithg Music を声で表現する音楽表現(マウス・ミュージック/日本で言うところの「口三味線」)の一手法で、ゲール語で Puirt-a-beul 、英語で Lilting などと呼ばれるものです。

Mat.B.B.さんが
>おっさんのうなり声というか、まじないのような声が…。〜このカンタラックは曲調も不明で怖いというかちょとキモい…。
と表現したこの曲を歌っているのも、実はおっさんなどではなく、(多分)ヘブリディーズ諸島の Barra 島辺りの女性です。

  ケルト圏には、このようなさまざまなマウスミュージックの伝統が根強く残っています。その理由としては、手元に適当な楽器が無い時に、声で演奏するダンス 曲を伴奏にしてダンスを楽しむという文化があったということ、そして、特にパイプミュージックについては、1746年の Culloden の戦いの後、スコットランド全土に施行された武装解除法でハイランドパイプも武器の一つとみなされてその演奏が禁止された状況下において、その伝統を絶や さないために、パイプチューンを口承で伝えるために特に発達したと言われています。


 さて、そのようなケルト圏のマウスミュージックをたっぷりと味わいたい人に絶対にお薦めなのが、文字どおりそのものズバリのタイトル名のアルバム "Celtic Mouth Music" (ellipsis arts / CD4070/ 1997年)です。
 このアルバムは Donald MacPherson の "Living Legend" と同様の CD&BOOK 形式でリリースされているもので、ケルト圏の様々なマウスミュージック37曲を収めた1枚のCD、そして、1950年代頃のローカル・シンガーたちを中心 にした白黒写真をふんだんに収めつつ、マウスミュージックについて懇切丁寧に解説した64ページにもなる本文とを、分厚いハードカバーのブックレットに収 めた、まさにコレクターズ・アイテムの逸品です。

 残念ながらこのアルバムは現在、絶版になっているようですが、不幸中の幸いな事にアマゾンのカタログ(右のジャケット写真をクリック)にこのアルバムがまだ掲載されたままになっている上に、37曲全てについてサンプル音源を聴く事ができます。

  ケルト圏のマウスミュージックについて深く知りたければその詳細な解説に目を通すことがなによりであることに変わりは有りませんが、まあ、とりあえずは Matt.B.B.さん言うところの「おっさんのうなり声」のようなでもその実おばさんの声といった例(テイク20)を始めとして、本物のおっさんのうな り声、そして、天使の歌声を思わせる女性シンガーの歌など、多様な37曲のサンプル音源を聴くだけでも、大いに参考になる事は請け負います。

 それとも、皆さんあまりのキモさに口あんぐりかも?

2006/4/30
(日)

PIPING TODAY

 The National Piping Centre の発行する隔月刊の機関誌 "PIPING TODAY" Piping Links のページで書いたとおり、「大判でビジュアル、そしてインタビュー記事が多い紙面は現地の雰囲気が良く伝わる/GHBに限らず多様なバグパイプに関する記事も多く楽しめる」というのは確かですが、その実、「どの記事も中身が薄くて、読後に強く印象が残る記事に出会ったことが無い」というのが率直な印象でした。毎回、写真を中心にざっと目を通したところで「殆ど読むところが無いな〜」という思いを抱いたまま本棚に直行させていました。特にピーブロックについては然りで、正直な気持ち、購読更新の度に「もう止めようか?」と毎回逡巡するのが常でした。


 ところが、今年3月に届いた No.20 にはビックリ。実に読みごたえのある記事が、それも複数掲載されていたのです。

 まず、巻頭のトップ記事として、19世紀半ばの著名な Publisher & Pipe-Maker である Donald MacDonald(1767-1840)が製作し、Waterloo の戦いの際に演奏されたといわれるチャンターのレプリカに関する記事。
 レプリカ製作の経過や実際に演奏してみた際の古式ゆかしき音色などについてのレポートです。詳しい内容は書ききれませんが、締めくくりの次の一文が泣かせます。実際に音色を聴いてみたいものです。
 "Playing piobaireachd on the Donald MacDonald chanter and playing piobaireachd on a modern chanter are like night and day, the difference between a glass of fine red wine and a suck of cheap plonk."

 そして、それに続く記事として、やはり同じ様な19世紀の Publisher & Pipe-Maker である William Gunn(1789-1867)の生涯と、彼が残したさまざまな楽譜集や楽器に関する詳細なレポートです。これもまた一読の価値有り。
 いや〜、このような記事はこれまで "Piping Times" でしかお目にかかれなかったものです。というか、かえって最近の "Piping Times" ではあまりお目にかかれなくなっています。

 それに続くのが、Angus J. MacLellan さんによる昨年秋の "The Glenfiddich Piping Championship" のレポートで、これは同じく Angus J. による同様のレポートが "Piping Times" にも掲載されていたので別に目新しくはありませんが、こちらの方が写真が大きくて目を引きます。


 そして、今回の号で最も印象的だった記事は、フランスはオルレアン在住の女性(60才のおばさん)パイパー Anne Lore さんとその活動に関する記事です。
 この女性は彼の地で長年に渡りピーブロックの布教(?)に務めてきたとのこと。記事の最初に掲げられているのは、彼女がブルターニュの海岸でピーブロッ クの演奏を録音した際に撮られた写真。岸辺に立てられたマイクスタンドの前で演奏する彼女の姿が非常に印象的です。
 レポート本文では彼女のパイプとの出会いからこれまでに歩んで来たパイピングライフについて詳しく紹介されていますが、興味を惹いたのは、最近、彼女は自分が率いているフルーティスト、ギタリスト、ハ−パーなどを擁した Dihun Keltique というグループとして、ピーブロックだけをテーマにして製作したというCDです。

 しかし、なによりも私が感銘を受けたのは所々に引用されている彼女自身のピーブロックに対する想いを述べた言葉です。
 それらの言葉に非常に強く共感を覚えた私は、早速それらの言葉を「ピーブロック名言集」のページに収めさせてもらおうと、ネットで彼女のメアドを探し当てて、彼女の言葉に心から共感した事を伝えるとともに引用の許可、そしてCDの入手方法についてのメールで問い合わせました。
 メールは彼女個人のメアドとグループのものと思しき2ヶ所に送ったのですが、残念ながら1ヶ月待ってもどちらからも返事がきませんでした。

 仕方が無いのでそちらの方面は潔く諦め、改めて "PIPING TODAY" の編集責任者である Mike Paterson さんにメールを書いて Anne Lore さんの名言の引用の許可を求めることにしました。(版権ということでは本来はこちらこそが本来の許可権者でしょうが、私としては Anne Lore さんにとにかく共感の気持ちを伝えたかった…。)
 幸いな事にこちらからは直ぐに返信があり、Anne Lore さんの言葉のピーブロック名言集への引用を快く許可してくれました。


 Anne Lore さんのピーブロックに対する想いを述べた熱い言葉、ぜひとも「ピーブロック名言集」で目を通してみて下さい。ピーブロック好きならば共感するところ大だと思います。

"PIPING TODAY" の 後日談

2006/5/5
(金)

The Highland Bagpipe and its Music

 まとまって落ち着いた時間が取れないまま、いつまでたっても Bridget MacKenzie "Piping Traditions of Argyll" はなかなか読み終わらないのですが、そんな折、まだ読んでいなかったちょっと気になるタイトルの本を入手したので、"Pipigng Tradition 〜" の方は一旦中断してその本の方を読みふけってしまいました。


 その本のタイトルは "The Highland Bagpipe and its Music"。う〜ん、そのものズバリですな〜。
 そして、著者はあの "A Bibliography of Bagpipe Music" (1976)などの著者であり、そして、Joseph MacDonald "A Compleat Theory of Scot Highland Bagpipe"1760)の復刻版(1994)の編集者でもある著名なバグパイプ・ミュージックの研究者 Roderick D. Cannon とくれば、こりゃ〜見逃す訳にはいきません。

 この本が最初にリリースされたのは1988年ですが、その後の社会情勢の変化を踏まえ、最新の情報を加えて一部修正された第2版が2002年にリリースされています。
 通常このような本のリリースは、"Piping Times" を毎号きちんとチェックしていれば見逃すハズは無いのですが、実はパイパー森は1985年〜1991年までの数年間のほとんどパイプに触れなかったブランクの時期があり、その間は "Piping Times" の購読も中断していたのです。この本のリリースは、丁度その間だったのですっかり見逃していたようです。
 さらに、何故か2002年の第2版のリリースは "Piping Times" で取り上げられることもなく、また、 CoP のオンライン・カタログにも掲載される事も無いままだったので、その後も相変わらずこの本の存在には気が付かないままでした。

 先日、ネットサーフィンをしている折にたまたまこの本の存在を知り、慌ててオンライン・ショップを探したところ、幸い、 NPC のオンライン・カタログにはちゃんと載っていたので早速取り寄せたという次第です。


 ハンディサイズのペーパーバックでページ数は200ページ余りと手頃なボリューム。そして、内容は次のとおりです。

Ch.1 Origins
Ch.2 The Highland Bagpipe
Ch.3 Bagpipe Music - Introductory
Ch.4 Ceol Mor
Ch.5 The Ceol Mor Tradition
Ch.6 The Origin of Piobaireachd
Ch.7 Music for Dancing
Ch.8 Music in the Army
Ch.9 Competition Music
Ch.10 Music for Pleasure
Ch.11 The Pipe Band
Ch.12 Piping Today

 限られたページ数の中でこれだけ盛り沢山の内容について言及しているので、それぞれの項目についてはそれ程深く掘り下げられている訳ではないのですが、例によって偏執狂的資料分析魔の Cannon らしく、本文中や脚注に数多くの文献や人名が出てきて、またそれらの一つ一つに年代が入っていたりするので、いつもするようにマーカーを片手に読み進んでいると、いつの間にかページがまっ黄色になっているといった具合。
 もちろん、その多くは私にとっては既知の話ばかりなので、これまでの情報を整理するという意味で有効したが、目から鱗といった新たな知識の収穫はそれ程多くは有りませんでした。


 そんな中で、一つ大いに笑えたのが、例によって Cannon ならではの詳細な脚注の中に書かれていた興味深いエピソードです。
 それは、Ch.2 The Highland Bagpipe の中、Bagpipe manufacture の項に記述されていた19世紀半ばから1980年まで続いた有名なパイプメイカー Glen の創立当時の話です。
 1827年に当初ディーラーとしてスタートした GlenThomas Glen が1840年にパイプの製作を手掛け始めてメイカーとしての一歩を踏み出しましたが、それから3年後に弟の Alexander が独立して別の工房を立ち上げました。結果として前者が John & Robert Glen として1980年まで、後者が David Glen & Sons として1950年まで続く老舗メーカーとして一世を風靡した訳です。(この辺の経過は Jeannie Campbell の "Highland Bagpipe Maker,1740 - 1960"(2001)に詳しい。)
 ここで、もともと一緒だった Thomas Alexander がたもとを分かつことになった理由というのが、その章の脚注に書かれているのですが、それが何ともふるっているのです。
 つまり、なんとこの2人はバグパイプに使うヘンプの色について意見が合わずに喧嘩別れをしたと言う事なのです。
 
曰く、Alexander はリードもジョイント部分も同じ黄色のヘンプを使用する事を主張したのに対して、Thomas はリードは黄色だが、ジョイント部分には(何と!)赤色のヘンプを使用する事を主張したという事。

 な んとも些細なことですし、どうでもいいような事だと思うのですが、結果としてその後、両者が別工房としてライバル意識を持って切磋琢磨した(?)ことが、 両者ともに100年を超す歴史を築く原動力になったのだとしたら、それはそれで良かったのではないでしょうか。この本で知った新たな事実として最も興味深 かったエピソードです。それにしても、赤色のヘンプなんて見たこと無いですよね〜。


 まあ、ハイランドパイプ生活の異様に長いパイパー森にしてみるとこんな紹介の仕方になってしまいますが、本質的にはこの本は初心者がハイランドパイプの全体像を把握するためには非常にためになることは請け負います。

 つまり、バグパイプ入門コースとして、バグパイプ全般のハードウェアに関しては、Anthony Bains "Bagpipes"(Oxford/1960)で学び、ハイランドパイプの主にソフトウェアに関してはこの本で学ぶといったコースを辿るのはどうでしょう。そして、その後、特にピーブロックに関してもう少しつっこんで知りたい人は Seumas MacNeill による "PIOBAIREACH"(BBC Pub./1968)に目を通すといったところでしょうか。なんといっても、ピーブロック愛好家にとって Seumas のこの本は必読です。


 さて、パイパー森としては、新しい知識のインプットという意味ではこの本は少々物足りなかったので、そのフラストレーションを解消するために、この本の中でも触れられている、以前から気になっていたある本を入手することにしました。それは Alistair Campsie "The MacCrimmon Legend, the Madness of Angus MacKay"(1980)という本です。
 MacCrimmon 一族の真の評価と Angus MacKay の楽譜集の信憑性について疑問を投げかけたこの本は、出版当時かなり物議を醸し出した様ですが、Cannon「この本が呼び起こした論争がきっかけとなって、多くのパイパーがより一層深く研究に取り組む様になったという意味に於いては評価すべき側面がある」としています。これまではそんな論争の種となったような本に手を出すのはイマイチ気が引けたのですが、Cannon にこう書かれてしまうと、やはり《恐いもの見たさ》のミーハー精神が刺激されてしまいました。

 …といっても、今から26年前に出版されたこの本、CoP のオンラインカタログに掲載されていないし、果たして入手できるのでしょうか?
 ところが、ダメもとで Amazon の検索に掛けてみるとなんと、ちゃんとヒットするではないですか。う〜ん、恐るべし Amazon!ですね。さらに興味深いのは、Amazon.co.ukAmazon.com で検索すると古本しかヒットせず、値段もイギリスで£23〜50前後、アメリカで$50前後と両方ともかなり高価なのですが、何故か Amzon.co.jp で検索すると古本だけでなく新品がヒットして、値段も円換算で¥1,664と驚く程安いんです。ここで、また「う〜ん?」と唸ってしまいました。

 さて、1980年に出版されたこの本の新品が在庫されていたとなると、1975年に出版された Francis Collinson のあの有名な "The Bagpipe. The history of a musical instrument" ももしかして?と思い立ち、検索してみました。そうしたところ、何と今度も見事に Amazon.co.uk と Amzon.co.jp の両方で新品がヒットしました。
 う〜ん、ますます恐るべし Amazon です。これまでは、このようにちょっと古くて再版もされず、 COP のオンライン・カタログにも載っていない様な本の入手は無理だと勝手に思い込んでいたのですが、ものは試しに検索してみるものですね。COP や NPC といったハイランドパイプ組織のオンラインショップよりも、 Amazon の方が余程スゴイ!


 はてさて、 Bridget MacKenzie さんの "Piping Traditions of Argyll" も読み終わらず、さらに近々次作がリリースされようとしているのに、またまたこんなお楽しみを仕入れてしまいました。毎年そうなのですが、パイパー森は夏休みが射程に入ってくると早々にお楽しみの本を揃えてしまう悪いクセがあるのですね。

 いや〜、ハイランドパイプって本当に興味が尽きないですね〜。

2006/6/18
(日)

CoP の IT 革命

 CoP のオンライン・ショップ・システムのここ2、3年の混乱ぶりは酷いものでした。最近はやっと修復されたようで、注文の最終画面でいきなりシャットダウンす ることはなくなりましたが、未だに以前のような注文確認メールは来ません。ただし、注文した品物はなんとか無事に届くのでそれで良しとしましょう。
 しかし、その一方で、オンラインならではの利点を活かしたサイト自体のシステムの充実ぶりは、最近とみに目覚ましいものがあります。


 その一つ、ストリーミング・ラジオのページ CoP Radio では月替わりで1時間程の番組が放送されていて、その中で毎月のようにピーブロックの貴重な音源を聴く事が出来ます。

 例えば、今月(2006年6月)は、まず最初に、以前にこのコーナーで紹介したあの Barnaby Brown が自主制作した野外録音による音源から、彼が Campbell Canntaireachd を読み解いて復元した "Piobaireachd aon Chnocan" という曲を聴くことができます。大西洋の荒波の音をバックに、洞窟に反響する古式ゆかしきハイランドパイプの音色は、誰もが一度聴いたら決して忘れる事が出来ないでしょう。

 これに続いて Finlay Johnston という若者の演奏で "Lament for the Donald of Laggan" が1曲通して放送されるのも嬉しいところ。この名曲のコレクションに新たな音源が加わりました。

 そして、今月の音源でパイパー森にとって最も興奮させられたのが、アーカイブからの音源で、78回転のレコードに収められていたという、あの Masters たる Brown & Nicol の師匠である John MacDonald of Inverness の演奏する "Lament for the Children"(Urlar のみですが…)でした。
 この人が亡くなったのは1953年ですから、確実に半世紀以上前の音源のはずですが、最近のデジタル処理のお陰なのでしょうか、想像以上にクリアな音にびっくり。なんとも貴重な音源です。


 さて、最近はこの CoP Radio に加えて、 PT Extra というページで、Piping Times の記事に関連した音源や映像が配信されるようになったことも画期的です。
 Piping Times の レポートの中には様々な楽譜が出てくることは度々ですが、いわゆる音楽的素養が全く欠如しているパイパー森にとっては、いくら楽譜が出て来ても、実際の音 を聴かずに楽譜を読むだけで音符どおりに正しく表現するというのは、実は簡単なことではないのです。ですから、紙面に出ている楽譜をきちんと演奏した音源 がそのままストリーミング配信されるというのは、私にとってはなによりの大きなメリットです。

 今日現在、最新の音源として配信されているのは、 Vol.58 No.8(つまり先月号)"Lament for the Departure of King James" の記事に出ていた楽譜の演奏。このスコアは、現存する最も古いピーブロック集の一つである、18世紀半ばの Donald MacDonald の楽譜集に収められているものですが、これなどは、実際の演奏音源を聴かなくては、レポ−トの中身がイマイチ理解しづらいというもので、この音源がなければ意味不明のままに読み飛ばしてしまうところでした。


 Robert Wallace が編集長になってから、ピーブロック関連の記事が極端に少なくなって、Piping Times に対する不満が高まっていたところでしたが、このようにインターネットの最新トレンドを積極的に導入して、50年余りの歴史あるこの雑誌を、マルチメディアを駆使して活性化するという路線については、大いにエールを送りたいと思います。

2006/7/23
(日)

Amazon のシステムは良く出来ている?

 今年5月に書いた、Alistair Campsie "The MacCrimmon Legend, the Madness of Angus MacKay" Francis Collinson "The Bagpipe. The history of a musical instrument" のその後の顛末です


 これらの2冊をオーダーしたのがそれぞれ5月1日と4日でした。

 当初からの配送予定である4週間後を迎えた6月初旬には、今や遅しと毎日発送通知メールを待ちわびていたのですが、その代わりに両方ともきっかり5週間+2日後の6月7日と10日に相次いで遅延のお知らせメールが入りました(両方とも発信時間は何故か夜中の3時過ぎ)。
 どちらの本も
「まだ確保できていないので、商品の発送がさらに4〜6週間程遅れます。」とのこと…。

 はてさて、気を取り直して待つこと6週間。

 今回もきっかり6週間+2日後の7月20日と23日に相次いで次の様なお詫びのメールが入りました(今回も前回同様に夜中の3時過ぎに発信)。

 曰く…、
 「 誠に申し訳ございませんが、大変残念なご報告があります。お客様のご注文内容のうち、以下の商品については入手できないことが判明いたしました。
(注文した本の名前)
 お客様にこの商品をお届けできる見込みでしたが、現時点ではどの仕入先からも入手できないことが判明いたしました。お客様のご期待に背くお知らせとなりますと共に、お客様にご迷惑をおかけしたことをお詫びいたします。
 私どもでは、ごく最近までこの商品を入手可能なものと見込んでおりました。
 この結果がわかるまでに長い時間がかかったことについても、心よりお詫びいたします。
 勝手ながらお客様の注文からこの商品をキャンセルさせていただきました。なお、国内発送の場合、この商品がキャンセルされた事により他にご注文いただい ている商品の合計金額(税別)が一定額を下回ると、配送料がご請求額に加算される場合がございますのでご了承ください。」

 良く言うよ。
 あらかじめ用意された返信フォームに商品名だけを入れて送り返しているのはよく分かるんだけど、
>
私どもでは、ごく最近までこの商品を入手可能なものと見込んでおりました。
 
…っ て言うところが取って付けたようでいかにもわざとらしい言い回しだよね。最初の時点で入荷見込みが無いことが判明していても、さも一生懸命手を尽くしてい るという風に装って、一定の時間を経過すると遅延メール、そして、さらに一定の時間が経過したところで注文された商品をキャンセルする旨のお詫びメールを 送信するようにプログラムされているのが見え見え。
 だから、別々に注文した2冊の本ともまるで判で押したように、同じ時間的経過を辿るんですね。

> この結果がわかるまでに長い時間がかかったことについても、心よりお詫びいたします。
 
…なんて言い分けしないで、最初から入手出来ていないものなら、そんなものをカタログに載せた不備を正直に詫びて欲しいですね。

 実は、最初の遅延メールには、
 
「Amazon.co.jp では、商品の価格と在庫情報の把握に細心の注意を払っておりますが、仕入先の在庫状況の変化を、Amazon.co.jpサイトにすべて反映できない場合 もあります。価格や在庫状況が正確に把握できていなかったため、お客様にご迷惑をおかけしたことを重ねてお詫び申し上げます。」
 …という一文があって、この時点で「今後とも入荷する見込みはありません。」と正直に謝ってもらった方がずっと気分がよかったのですがね〜。


 …ってな訳で、今年の夏休み用の本については見事にあてが外れましたが、タイミング良くこんな本→がリリースされたので、気を取り直してこの本を入手することにしましょう。

2006/8/28
(月)

良い演奏は良い姿勢から?

 パイプのかおり第13話に加筆して紹介したように、またまた名手たちの演奏風景をビジュアルに鑑賞することが出来る DVD がリリースされました。
 パイパー森は現地での本物のコンペティションなどを観に行ったことが無いので、昨年紹介した The Band Room の DVD や、その他の幾つかの現在手元にあるビデオ映像なども含めて、これらの映像は名手たちの演奏風景を知ることのできる貴重な資料です。


 私は常々書いているとおり、ハイランド・パイプは「この世に存在する数多の楽器の中で、演奏姿勢が最も美しく凛々しい楽器」だと信じています。そして、自分としてもそのようなパイパーの凛々しい姿に対して強い憧れを持っています。

 実際、マクリモンの時代の絵画などに描かれている古(いにしえ)のパイパーの姿というのは、それがたとえ後ろ姿であったとしても、《凛》とした風情が醸し出され、得も言えぬ趣(おもむき)があるものです。(⇒2003年9月

 19世紀後半以降は、名パイパーを写した写真が数多く残されていますが、それらを観ても、やはり颯爽とした良い姿勢のパイパーが目に付きます。特に、パイプのかおり第20話でも書いたとおり、往年の名パイパー Robert Reid の立ち姿は思わず目が釘付けになってしまう程に見事なものです。

 ハイランド・パイプのハードウェア、メンテナンス等について指南している CoP のカレッジ・チューター Part 2 にも、ブローパイプのくわえ方から始まって正しいパイプの構え方について丁寧な記述があり、いかに「正しく美しく清らかな姿勢」でパイプを演奏するか、ということに関して細かい注意事項が書かれています。そして、パイパーとして良くない姿勢について、"Head-twisters" "Caber-tossers" "Star-gazers" といった風に幾つかの典型例が挙げられています。細かい説明は省きますが大体言わんとすることはご理解いだだけるでしょう。


 ところが、最初に触れた Masters の DVD などを観ていて気が付いたのは「名手といえども、必ずしも良い姿勢で演奏する人ばかりじゃない。」ということです。

 確かに、Gordon WalkerIain Speirs、そして、Angus MaColl、などは《凛》とした風情が漂い、正しいパイパーの姿勢をしています。
 特に、Gordon Walker は身体は小さいにも関わらず、アゴが引けて背筋はビシッと伸び、ゆったりと伸ばした腕でチャンターを地面に垂直にホールドする姿勢の良さ、さらに、チャン ターを操作する指もピンと伸びきっていて、あらゆる点からその演奏風景は正にパーフェクト! いつ見てもその凛々しい姿には惚れ惚れします。
 また、Iain Speirs はその細面の顔と、足の運びに関わらず顔面の上下位置が終始微動だにせずに、ス〜ッと水平移動する様子が、まるで能楽師が能舞台の上を摺り足で移動する様を思わせます。

 しかし、当代随一のピーブロック名手である William McCallum はアゴが上がってどちらかと言うと少々 "Star-gazer" ぎみだし、Bruce Gandy は猫背とまでは言いませんが背筋がシャンとしていなくて、Caberを抱えて投げる前の "Caber-tosser" っぽいと言えなくもありません。

 そして、なんといっても極めつけは Jack Lee で、「あ〜、なんてこった」っていう姿勢です。
 カレッジ・チューターには「演奏中の顔」に関する項でやってはイケナイ事として「吹く時に頬を膨らませない」「唇の端でブローパイプくわえてはいけない」と書かれていますが、Jack Lee は律儀にもその2つを完璧に遂行してくれます。
 唇の端でブローパイプをくわえるので顔がねじれ、かつ天を仰ぐ、まるで "Head-twister & Star-gazer" のダブル・ゴールドメダリスト。さらに多分ブローパイプが長いのでしょう、首が右にねじれていてもチャンターのトップはさらに遠くにあるので、チャンタ−が斜めにホールドされていて見栄えがしません。
 また、演奏中は殆ど目をつむったままで、かつ、上背の有る人にありがちに少々猫背ぎみの姿勢で、よたよたと歩く。「目をつむっていてどうやって上手く歩けるんだろ?」と不思議に思えるんですが…。
 笑えるのは最後の一音を出し終えて演奏を終えた途端に、それまで15分以上ず〜っと曲がっていた首がシャンと真っすぐになり、会釈して壇上を去る姿です。「な〜んだ、首真っすぐなるんじゃん」って感じ。

 もう一人私が特に敬愛する Murray Henderson については、これまでも古いビデオで演奏風景を観た事がありましたが、2005年のマスターズ DVD で、改めて良く観察してみると、この方も結構ルール違反者ですね。
 Jack Lee と同じく「唇の端でブローパイプをくわえ、頬を膨らませる」んです。それも、ブローパイプをくわえた側の左側の頬だけをプーッと膨らませる。…で、つまりは少々 "Head-twister" ぎみ。Jack Lee と違って背筋はピンと伸びていますが、僅かに "Star-gazer" ぎみなのに短めのブローパイプを使っているからか、チャンターのホールド位置が高く、ボトムハンドがカクッと直角に曲がっているので、 Gordon Walker のようなどっしりとしたカッコ良さに欠けます。また、以外なことに、指もまたまるまっちく曲がって演奏するんですね〜。


 しかし、ご存じのとおり、これらの人たちは誰をとってみても超一流の名パイパー。そして、姿勢がどうであれ、紡ぎ出す音楽はどれも天上の調べなのです。
 特に、Jack Lee の演奏は、当人ばかりではなく観ている者も一緒にあっちの世界に連れて行ってくれそうなまでに、演奏者自身が見事にあっちの世界に行ってしまった、何とも言えない味のある趣を醸し出しています。

 なんというのでしょうか、とどのつまりこれこそ、ピーブロックのアイロニーと言えることなのでしょう。

2006/9/2
(日)

真夏の夜の夢?

 スケートボーダーであり、かつバイオリン&ハイランド・パイプ練習中である若いお二人のヘルプのために、駒沢公園に出向きました。


 駒沢公園には小学生の頃から40年余り、様々な形で足を運んでいます。もちろん、その頻度には波があって、特に頻繁に通ったのは自分自身が小学生の頃、そして、自分の息子が乳幼児の頃とその息子が自転車で一緒に出かける様になった頃でしょうか。でも、これまで一度も駒沢公園を徘徊したことはなく、今回が初めての経験でした。


  夜の8時を回った公園では、昼間は一番目立つ家族連れやカップルたちは殆ど見当たらず(もっとも夜のカップルは見当たらないところに居るのでしょう が…)、ナイター照明が煌々と輝くグランドでサッカーをやっている一団を除くと、なんといってもいつも元気なランナーたちが最大の人口です。
 また、中には昼間と同じく木陰でサックスなどの練習をしている人も居ましたが、何故か、遠くから我々とは別にハイランド・パイプの音色が聴こえていました。


 さて、主たる目的のパイプの手ほどきの様子はご当人たちに報告して頂くとして、何よりも今回は、パイパー森自身が夜の公園での演奏を心から楽しむことが出来たのが最大の収穫でした。

 いくら広い公園だからといって、フェンスの外はすぐに閑静な住宅街ですし、昼の日差しを避けてひたすら精進する寡黙なランナーたちの数は決して少なくはないだろう、ということは実際に足を運ぶ前から想像して余りありました。

 ですから、最初にお二人が夜の駒沢公園で(バイオリンはともかく)ハイランド・パイプの練習をしようとしている、と知った時には「隣近所や他の利用者に迷惑にならないんだろうか?」というのが正直な思いでした。
 …なので、事前に、その旨メールで尋ねたところ「今 のところ、一度もクレーム等を受けたことはないので、大丈夫だと思います。駒沢公園は、警察の方もよく見回りに回っておられますが、私達のように目的が明 確な人(楽器やスケートボードをしている人)にはあまり声をかけないです。彼らはむしろ、何もしていないような、怪しい人に注目しているみたいです。」ということでしたが、やはり、行くまでは?が消えませんでした。

 ところが、40年間見なれた鬱蒼とした木々に溢れた駒沢公園も、とっぷりと暮れた夜のとばりの中では昼間とは全く異なった風情が漂い、また、折から通過中の前線の影響で低い雲がたれ込め、直前には雨がパラつく様なまるでスコットランドのような怪しい天候も幸い(?)して、なんとも神秘的でスピリチャルな雰囲気に満ちていていました。

 …で、手ほどきが一段落したところで自分のパイプを手にした途端、次の瞬間には、もう他人の迷惑なんか気にするよりも先に、自分自身がピーブロックの演奏にすっかり陶酔しきっていました。


 今から10年程前に“精霊・英霊・鎮魂歌ーケルト・ヨイク・ピブロック”と題して、横浜の保土ヶ谷にある「英連邦墓地」(外人墓地とは違う)のイギリス風に作られている墓守りさんのお宅で、シンガーである友人と一緒に、ピーブロックとヨイク(ラップランド人の喉歌)を披露する夕べを催した事があります。
 12月だったこともあり、シンガーの友人はマキストーブが燃える室内で歌ったのですが、ハイランド・パイプの私は当然ですがベランダの外の鬱蒼として木 々に囲まれた庭で演奏しました(聴衆はリビングの開け放した窓ごしに鑑賞する)。その時は、まだシンセティックなリードが発明される前であり、師走の寒い 夜中に野外で演奏したパイパー森は、凍える指で暴走するリードとの果てしなき戦いに終始し、とてもとても演奏を楽しむどころではありませんでした。

 それから10数年、飛躍的に進歩したハードウェアを手に、かつ、夏の夜ということもあり、今回は完璧なまでに演奏に没頭することができました。

 演奏中、何人ものランナーたちが脇を走り過ぎて行ったはずですが、正直なところ、それらの方々を気遣うような《分別のある考え》は全く沸き起こりませんでした。自分が陶酔できるとなると、なんとも身勝手な人間なのでしょうか。…と、反省すらしたくない程、気持ちエガッタ…!


 パイパー森は以前からハイランド・パイプの音色が映える様々な音環境を求めてあちこちで演奏してきました。

 今回は図らずも「都市の中の大規模な公園で日没後に演奏する」というシチュエーションが、意外な程に素敵な《音環境》であることに気付かされました。この場合は、多分に太陽の光(が無い)という《光環境》も影響していると思われます。

 木々の精霊に囲まれて演奏するのは以前から大変好むところですが、まさか、蓼科の森の中では、日没後は正に「漆黒の闇」になってしまうので、とても演奏するどころではありません。
 その点、都市の中の公園というのは、防犯上もあり、ある程度の照明は必ず着いていますから、日の暮れた後に演奏するということが実際に可能だという点では、思わぬ穴場ということになりそうです。

 大きな公園の木々に精霊に囲まれた《音環境》の下、さらに気分が集中し神秘的でスピリチャルな雰囲気が高まる日没後という《光環境》の中でピーブロックを演奏するという行為にハマってしまいそうです。

※ちなみに、この夜演奏したのはThe Desperate Battle of the BirdsThe Vauntingの2曲でした。

 実は、私の現在の職場の近くには自然地形を活かした大規模な公園があり、陽気が良い時は時たま弁当を持って昼食を食べに行くことがあります。
 その中に小規模な「ステージ&すり鉢状の観客席」が整備されたスポットがあり、「ゆっくりと左右に歩きながらピーブロックを演奏するのに最適だな〜」と、かねがね乱入する機会を伺っていたのですが、こうなったら、いつかきっと、仕事が終わった後の夕暮れの時間帯に乱入することを本気で企て始めました。(→ 9/4の夜に実行しました。)

2006/9/19
(火)

Lament for the Harp Tree

 私が特に好きなパイパーである Murray Henderson が9月初旬に開催された Inverness Northern Meeting でのコンペティションに於いて、数有るピーブロックの中でも最長の演奏時間を誇る演奏時間25分超の“Lament for the Harp Tree”を演奏して優勝したそうです。

 この曲については、Bill Livingstone "A Piobaireachd Dairy" に収録されている音源で初めてその実際の演奏を耳にしましたが、その時は、さすがのパイパー森にとってもこの曲は少々長過ぎるように思え、また曲自体が抑揚に乏しくひどく凡調に聴こえて、正直なところ?っていう感じでした。
 しかし、今回はなんといっても Murray Henderson の演奏とあって、心構えが違ったのか、何かスッとハマってしまいました。
 その後、続けて Livingsotne の演奏も聞き直してみたのですが、今度は何故かそんなに凡調に感じられず、 Henderson の演奏と同様に引き込まれてしまいました。

  いつも感じるのですが、ある曲に開眼するタイミングというのは、必ずしも初回からいきなりとは限りません。今回のように自分自身の心構えやその時の体調、 あるいは前後に聴いた曲などによっても、そしてまた当然ですがその演奏自体から発せられるオーラのようなものによっても、ある時ある瞬間に、突然スイッチ が入るようです。
 Murray Henderson の演奏を初めて聴いたときが、私にとって、このピーブロック最長の名曲に対するスイッチが入った瞬間のようでした。ピーブロックの神様が「パイパー森ももうそろそろいいんじゃない?」といって、スイッチオンしてくれたような気がします。


 さて、この曲の背景についてですが、 Angus Mackay の楽譜集の Historical Notes には次の様に書かれています。

 This piobaireachd, so unlike all others, is evidently from its style, of very high antiquity.
 We have not been able to procure any satisfactory account of Cumhadh Craobh nan teud , which is usually translated,“Lament for the Harp Tree,” i.e. the tree of strings.
 It strikes us that this is a bardic expression for the instrument itself, as we should say “the Bag of Pipes.”
 There appears, however, some superstitious opinions connected with it. In the North it is called Bean Sith ,* either from being “the fairy tune,” or so named from a noted hill in Sutherland, distinguished as the fairy mountain.
 The notion that it is a lamentation for the destruction of a tree on which the bards were wont to hang their harps, is too like the practice of the Jews, who, as related in Scripture, when in captivity, hung“their harps on willow trees,”to permit its being received as the just explanation of so singular an appellation.

* Literally, the woman of peace, “the good folk.” Bean , a woman. Bein , a hill.


 もし、手元に楽譜があれば演奏を聴きながら目を通して頂ければ分かるとおり、一見して《感動的な程に長くかつ単調な曲》です。それ故、この曲はごく原始的なピーブロックであると推測されるという説明も、十分に頷けるのではないでしょうか。
 ちなみ、この2人が演奏しているのは Killberry の楽譜ではなく、Var.2 に Campbell Canntaireachd からの楽譜が書かれている Piobaireachd Society Book 12 のものです。 


 Murray Henderson の演奏を聴いてこの曲がやみつきになってから、通勤途上、昼休み、就寝時など、暇があれば2人の演奏をエンドレスで聴き続けています。
 そんなことを続けていてふと思ったのですが、これはもう《音楽》というよりは殆ど《読経》《声明》の世界ですね。
 ウルラールからバリエイションへとほんの僅かずつしか変化しないメロディーを延々と聴いていると、気が付くとス〜ッと自分の魂があっちに行ってしまいます。…つまり、眠ってしまうんです。
 先日など、Murray Henderson の演奏を流しつつ、楽譜を見ながら届いたばかりの technopipes で一緒になぞっていたら、自分の演奏を聴きながらそのまま、ス〜ッと逝ってしまいました。

 パイパー森としては、この25分を越すピーブロックを「いい《音楽》ですよ。ぜひ聴いてみて下さい。」と、だれ彼ともなく薦めるつもりはありません。殆ど本気で「お坊さんたちの《読経》を聴くのが好きな人は試してみませんか?」とお薦めしてみたいとは思いますが…。


 3年前のピーブロック・プチ・ライブの際に聴きに来てくれた、現在はあるお寺の住職をやっている高校時代のクラスメートが、私のピーブロックの演奏を聴いて「元気が出る音楽だな〜」と表現したことの意味が、なんとなくよく分かるような曲の典型例といえるのかもしれません。


⇒ 関連記事1「30年前の“Piping Times”1977年10月号」 

⇒関連記事2「読経とピーブロック」

⇒関連記事3「Iain Speirs の舞に酔いしれる」

2006/10/21
(土)

《音環境》は心の有り様?

 パイパー森の音楽人生に於ける大事なキーパーソンの一人である松平稚秋さんが亡くなってから、この10月15日で7年目を迎えました。
 パイパー森はかねてから、小田原にある松平さんの墓前で鎮魂の演奏を捧げることを思い描いていました。しかし、実際にはその思いはなかなか果たすことが出来ないまま、いたずらに数年間が経過してしまいました。

 しかし、とうとう先日、今年の命日から数日経った19日の木曜日に休みを取り、長年の思いを果たしてきました。


  小田原の市街地郊外の山を切り開いて作られたその霊園に続く、鬱蒼とした針葉樹の林を抜けるつづら折りの急坂を登りながら「いや〜、こりゃ、いかにも松平 さんらしい場所に居を構えているな〜」と痛感。たどり着いた松平家のお墓は、眼下に小田原の街と太平洋が見渡せる素晴らしいロケイションに位置していまし た。

 松平さんに「いや〜、すんません、長い間待たせちゃて…」とあやまりつつ、墓前で、 "Lament for the Children" を演奏。目をつむって淡々と演奏しながら、頭の中では松平さんと最初に出会った当時からのさまざまなシチュエーションが走馬灯の様に巡りました。

 心を込めてこの19分間のラメントを演奏した後、一息ついてから、松平さんが特に好きだった軽快なマーチ、亡くなる直前にホスピスで最後のお別れをした際にも演奏した、アルビオン・カントリー・バンドでお馴染みの "The Battle of the Somme" を演奏しました。思ったとおり、えらく喜んでくれたようで、例によってリズムを取るために「ボールペン貸して」って言う様な声が聞こえた様な…。


 今回は、お墓に眠る松平さんに敬意を表して、いつものようなピーブロック・ウォークではなくて、墓石に向き合って直立不動で演奏したのですが、その演奏の際にちょっと意外だったのが、いつもとはちょっと異なった音の響きでした。

 狭い室内で聴こうものなら、その暴力的な高音域の音量に誰もが辟易してしまうハイランド・パイプですが、本来の演奏場所である開けた野原の様な場所で演奏すれば、パイプから発せられた音は、大空に向かって広く拡散して心地良い音色となります。
 ところが、余りに木々が立て混んだ森の中のような空間では、(特にチャンターの高い)音が周囲の木々や足下の草などに吸収され過ぎてしまって、ハイランド・パイプらしい迫力や勇ましさが感じられなくて何となく物足りなく感じられる、というのが《音環境》の微妙なところ。無反響室とまでいかなくても、音波吸収性が高過ぎる状態というのは音楽を楽しむ空間としてはイマイチなのでしょう。

 そのような中で、パイパー森のお気に入りの場所は、川辺や湖畔などといった「前面に水面のある」演奏スポット。そのような場所では、チャンターから発せられた音色が、水面に反射して遠くまで伸びやかに響くので、実に爽快な気分に浸ることが出来ます。

 こういったちょっとした《音環境》の違による反射音の強弱は、自分自身の音にまみれて演奏しているパイパー自身には余り関係無いのでないかと思われるかもしれませんが、その実、心地良さという点では非常に大きな差があります。《音》というモノの不思議な振る舞いなんですね。


 さて、今回、松平さんの墓石に至近距離で対面して演奏していて感じたのは、周りが開けていて適当に木々が点在していて、本来ならば音の吸収性が良すぎる状態にも関わらず、その音色が想像以上に大きく響いたことです。

  実は、今回私はいつも室内の狭いクローゼットの中で練習するときに使っている柔らかいリードではなくて、もう一段堅いリードを装着して演奏をし始めまし た。初め、音が大きく響くのはそのせいかな?と思わなくもありませんでした。ところが、ここ数日間演奏していなかったため堅いリードではやはり苦しくなっ てしまったので、途中でいつもの練習用の柔らかいリードに取り替えたのですが、音の響きはさほど変わりませんでした。

 程なく、その理由に思い当たりました。

 つまり、チャンターから発せられた音波が目前にある磨き挙げられた墓石の表面に反射して、演奏者の方に戻って来ているため、いつも野外で演奏する時以上に音の響きが大きかった、と思われるのです。

  松平家の墓石は、一般的な四角柱のものではなく、最近多くなっている横に広い平面的なものだということも、このことをさらに強調しているようでしょう。た だ、お墓というのは墓石本体だけでなく台座なども全て磨き挙げられた石で出来ている訳ですから、結果として敷かれた玉砂利も含めてあらゆる石の表面で音が 反射していると思われます。

 パイパー森が以前よく演奏していた野外ステージも、板張りのデッキと周囲のログハウスの壁の お陰で、野外にしては響きが良くて気に入っていたのですが、そのような木質系の面の反射とは違って、質量のある石面の響き方は、たとえ反射面の絶対的な面 積がごく小さくても、まったく別物なんだということを実感しました。

 また、閉鎖された空間と違って、一旦反射された音はそのまま空に抜けて行くということで、乱反射による音のぶつかり合いも発生しないので、程よい心地良さが得られるのではないでしょうか。
  パイプから直接発せられる音と、墓石に反射する音が相まって、私の周りに音のバリヤーがはり巡らされて、言うなれば《セルフ・サラウンド・システム》といった風情。

 丘を吹き上がってくる太平洋からの涼しい海風を背中に受けて「確かに野外に居る」事を否が応でも実感させられつつ、音のカプセルの中に抱かれて外界からプロテクトされているという安心感に満たされた中で、完璧に演奏に没頭することができました。意外な場所で思いがけなく心地良い《音環境》を発見した瞬間でした。

 でも、実のところあの場での演奏がなによりも心地良かった理由は、敬愛する人生の先輩の「魂との一体感」から来るものだったのかもしれません。
 《音環境》の善し悪しという事は、突き詰めて考えれば単に物理的なものだけでなく、その時その場に於ける 奏者自身の心の有り様 が大きく作用するという、ある意味では逆説的かつ単純な真理に気付かされた次第です。


 2001年宇宙の旅”に出て来る、あの)“モノリス”の前でハイランド・パイプを演奏したら、多分こんな敬虔な気持ちになれるんじゃないだろうか?」と、ちょっと異次元的な妄想に耽りつつ、長年の思いを果たした満足感に満たされながら、湘南の海辺の道路をドライブして家路につきました。

2006/11/25
(土)

ピーブロック、表現の要は《間》の取り方

 このところ、古くからの馴染みの2曲にハマっています。"Lament for Donald Duaghal MacKay" "Lament for Donald of Laggan" です。

 名曲中の名曲であるこの2曲は、いうなればピーブロックのスタンダード・ナンバーとして、ピーブロック愛好家ならば誰もが幾度となく聴き親しんでいる曲でしょう。
 パイパー森自身についても、この2曲ともにピーブロックを聴くようになったかなり初期の頃から、Donald MacPhersonSeumas MacNeill の音源でお馴染みの曲で、この30年近くの間に聴いた回数は大袈裟ではなくて3桁の回数ではないかと思います。

 どちらの曲のウルラールもごくごく親しみ易いメロディーで、「たおやかな風がそよそよと吹き抜けて行くがごとく、ごくごく自然な音の流れ」が、聴く度にうっとりさせられる、なんとも心地の良い曲です。

 しかし、こと自分の演奏となると、前者の "Donald Duaghal MacKay" は、ここ数年間はパイプでは殆ど演奏していませんでした。
 それというのも、演奏するたびに Var.1 に入ったところでついつい指が走ってしまいがちになり、この曲の持つたおやかな雰囲気がどうしても上手く表現出来なかったからです。
 ところが、何故か最近になって突然開眼しました。上手くタイミングを溜められるようになったのです。

 一方、後者の "Donald of Laggan" は曲として「短すぎる」ため、パイパー森的好みからすると「演奏するにはちょっと面白みに欠けるな〜?」ってことで、実はパイプでは殆ど演奏したことがなかったのです。

 ところが、最近になってある時、真面目になって演奏してみると、突然開眼しました。この曲のウルラールの表現の要はまさに《間》の取り方である、ということに…。
 
悟ったその瞬間、正直背筋に 衝撃 が走りました。うわ〜っ!この曲はスゴイ!って…。

 いつかボブさんのフォーラムで Ron Teague さんが最も演奏が難しいピーブロックと位置づけていた "The Old Woman's Lullaby" と同様に、絶妙な《間》の取り方がこの曲に命を吹き込むみます。そのような曲では絶対にリズムを取ろうとしてはいけないのです。


 さて、ピーブロック・チューン・ストーリーにも書いたとおり、1994年のピーブロック・ソサエティー・カンファレンスに於いて、Bridget MacKenzie 女史により "Donald Duaghal MacKay" の作者は、それまで考えられていたように Donald Mor MacCrimmon ではなくて、Iain Dall MacKay である、という新たな解釈が示されました。これにより Iain Dall の残した遺産にまた一つ大きな至宝が加わったことになり、Iain Dall のファンの一人としては、何となく嬉しく思いました。

 しかし、その一方で、"Donald Duaghal MacKay" に親しめば親しむ程、いたって平易な技法を用いながら、言葉にならない程美しく流れるようなメロディー・ラインを持つこの曲からは、妙なるメロディーの裏に非常に高度な指使いが隠されていることが多い Iain Dall の作品よりも、どちらかというと、同じ様に平易でかつ美しい "Lament for the Children"( by Patrick Mor MacCrimmon)に通じるものを強く感じさせられます。

 そして、このことはまた同時に、やはり同じく Patrick Mor の作である "Donald of Laggan" についてもそのまま当てはまることです。つまり、"Children" "Donald of Laggan"、そして、"Donald Duaghal MacKay" の3曲は、そのたおやかな雰囲気がある意味で非常に似通っていると思うのです。そして、どれもに共通しているのが、これらの曲を情感豊かに表現するためには絶妙な《間》の取り方が命である事…。

 そして、一旦その曲の《間》の取り方が上手く会得できてしまえば、どの曲も、ウルラールの最初の小節を一旦演奏し始めると、後は頭で何も考える事無く、指が自然とメロディーを奏で始め、バリエイションで盛り上がって、また最後にウルラールに自然に戻って終わる。
 その間、演奏している当人は文字通り《無我の境地》でバッグに空気を吹き込み&バッグをプレスする作業に没頭しつつ、ただただその類い稀な美しいメロディーに身を委ねるだけ、というのがこの3曲を演奏するときに共通した有り様です。


 《間》が命であるピーブロックという音楽は、その意味からも日本人である私の感性に強く訴えかけるものがあるな〜、ということについて、強く感じ入っている今日この頃です。

⇒関連記事「日本音楽のキモは《間》です」

2006/12/8
(金)

老壮にも通じる「間合い」の妙

 本日12月8日は世界史的には日本軍の真珠湾攻撃により太平洋戦争がぼっ発した日。
 …ですが、そんな時にはまだ生まれていなかったパイパー森的には、1980年のこの日にジョン・レノンが射殺されたという事実の方が重い意味を持ちます。あれから早いもので26年が経過しました。
 ちなみに同じ年の私の誕生日である9月25日には、レッド・ツェッペリンのドラマージョン・ボーナムが大酒を飲み続けた後、自分の吐瀉物で窒息死しているのが発見されました。そして、彼の死を受けて世紀のロック・バンドであったレッド・ツェッペリンは解散したのです。
 つまり、ロック史的には1980年というのは大きな転換点の年でした。

 さて、ここに書いたように、私の様なロック中年をターゲットにした
雑誌やムックの分野が相変わらず活況を呈しています。
 つい最近も、書店の音楽コーナーにまるで同じ様な構図のペイジ&プラント(もちろん ZEP 全盛期の…)のステージ写真を表紙に使った雑誌が並んでいたので、パイパー森は思わず両方とも購入してしまいました。ひとつは例のアエラ臨時増刊“AERA in Rock / 再びの、ロック”の続編、“AERA ROCK HARD!”(朝日新聞社)と、もうひとつは“大人のロック / Vol.9”(日経BP社)

 実は、“AERA in Rock”は、最初の号のヒットに気を良くしたのか、半年後の昨年9月に既に“AERA in Rock 2”という続編がリリースされているので、今回のものは正しくは続々編ってところ。

 後者は、あの日経系列の日経BP社が“日経エンタテイメント”の増刊号として季刊で定期発行している雑誌です。実は、創刊号がリリースされたのが、2004年10月ということですから、多分この手の雑誌の嚆矢だった訳ですね。
 “大人のロック”シリーズはこれまで購入したことは有りませんでしたが、たまたま新聞の広告でリリースを知った“AERA ROCK HARD!”を買いに行った折、隣に並んでいたこの号の表紙が前述の様にペイジ&プラントの写真であり、さらにその上に「天国への階段&初来日から35年−レッド・ツェッペリン−轟音伝説の完成」という、ZEP の初来日を多感なティーンエイジャー時代に実体験しているパイパー森の琴線にもろ触れるようなタイトルが踊っていたので、思わず手を出さずには済みませんでした。


 さて、この手の雑誌の中身ってのは読み手も作り手も特段目新しいことを期待している訳ではないのですが、そのような中で一つ、とても新鮮な解釈に出会いました。それは、“AERA ROCK HARD!”の記事「10大ギタリスト解体新書」の中に出て来た、デヴィッド・ギルモア(もちろんピンク・フロイドの…)に関する記事です。

 ロック界では俗に、エリック・クラプトン、ジェフ・ベック、ジミー・ペイジを3大ギタリストと呼ぶのはごく一般的です。それに、それ以上の別格の存在としてジミ・ヘンドリックスを加えた4人については、ロック界に残した意義の大きさから、数多のロック・ギタリストの中でも飛び抜けた存在として扱うことについては遍く異論のない所でしょう。
 今回の記事では「彼らのいったい何がすごかったのか」というテーマで、この4人を含めた10人のロック・ギタリストついてのうんちくが記されています。

 10人の最初はやはりジミ・ヘン。そして、いつもの順序で3大ギタリストが続いた後は、いきなりちょっと意外なカルロス・サンタナ。でも、解説を読んで思わず納得しました。そして、パイパー森がブリティッシュ・トラッド趣味に全面突入する前、小遣いを工面してほんの僅かの枚数だけ厳選して購入したロックアルバムの中の一枚である“アブラクサス”の中の“Black Magic Woman”を繰り返し聴き込んでいた中学生の頃を懐かしく思い出しました。

 続いて、順当にギター・キッズの永遠のヒーロー、リッチー・ブラックモア。しかし、お次はキース・リチャーズと来ると。う〜ん、こりゃ渋い。でも、その後に何とポール・コゾフが出て来るとなると、今回の10人のセレクトの基準が決定的に明らかになってきます。
 そう、この10人のセレクトの基準は、若気が好みがちな「バカテク一番!」という単細胞的発想を超えて、「そのギタリストがどんな点で非凡な音楽を紡ぎ出したのか?」ということにスポットを当てたという、非常に的を得たものなのです。

 この“AERA ROCK HARD!”の冒頭特集は「初来日物語」なのですが、その中でも書かれているとおり、本場イギリスの本格ハードロックバンドとしては本邦初のコンサートはポール・コゾフがギタリストだった“フリー”のそれでした。
 その場で観たのは、前座のつのだひろ成毛滋の2人バンド“フライドエッグマシーン”で成毛滋が奏でたギターの半分以下の音数で、圧倒的なロックミュージックを奏でたポール・コゾフの野太いギターサウンドでした。コンサート会場の共立講堂で、他の聴衆と一緒に椅子の上で飛び跳ねたことがつい先日のように思い出されます。(共立講堂はその後、ロックコンサートを一切受け入れない様になったことは有名な話)

 さて、リストの最後を飾るのはスライド・ギターの名手であり、考えてみれば10人の中で唯一の白人系アメリカ人であるデュアン・オールマンですが、その前の9人目がデヴィッド・ギルモアです。


 ピンク・フロイドについては、実はリアルタイムで聴いたのは、1970年の“Atom Heart Mother”(日本語タイトル「原子心母」)までなのですが、当時はいわゆるプログレッシブ・ロックの一派として括られることが多かったこのバンドのサウンドは、当時から、バカテク名手達で構成されたエマーソン・レイク&パーマーキング・クリムゾン、そして、イエスといったその他のプログレバンドとは一風異なった雰囲気があったように思えます。
 もちろん、それはバンドの要であったロジャー・ウォーターズのメッセージ性の濃い作品のレベルの高さ故なのかとも思いつつ、それ程深く考察したことは無かったのですが、この記事の中でデヴィッド・ギルモアについて書かれていた次の様な記述を読んで目から鱗が落ちました。

■ギターのかっこよさ概念を変えた老荘に通じる《間合い》の達人■
・デヴィッド・ギルモアは《間》のギタリストだ。
・デヴィッド・ギルモアはギリギリまで音をためる。
・1小節の間にスティーブ・ハウ(元イエス)ならば16音くらい弾くところを、彼は4音くらいしか弾かない。
・ブルースとは違う独特の《間》を作り上げた。
・少ない音、間合いで空気感を描くという点で、ギルモアのプレイは禅や老荘思想に通じる。

 そして、この10人を選んで解説した辣腕プロディーサー&ギタリストは「自分は40才を過ぎて彼の良さに目覚めた。かっこいいリフを弾くだけがロックじゃないんだということを教えてくれたギタリストだ。」と締めくくっています。


 実は今年10月にピンク・フロイド "PULSE" というDVD がリリースされました。110回のコンサートで述べ300万人を動員したという伝説的な1994年のワールド・ツアーの際の映像を収めたものです。当然ですが、そこには80年代半ばにバンドを去ったロジャー・ウォーターズの姿はありません。
 一方、ウォーターズは 1990年、その前年に「壁」が崩壊したばかりのベルリンのポツダム広場に30万人を超す聴衆を集めて、仲間のミュージシャンやオーケストラとともに 1979年のピンク・フロイドの代表作である "The Wall" を完全演奏する "The Wall" コンサートを開催しました。以前、このコンサートの様子を収めたベータマックスのビデオを持っていたのですが、再生機器の消滅とともに観れなくなって久しい中、最近は DVD がリリースされている事を知ったので、"PULSE" の DVD と相前後してこの DVD も購入しました。

 “The Wall” コンサートについては言うまでもありませんが、ロジャー・ウォーターズ抜きのピンク・フロイドに於いても、演奏される楽曲の多く、そして、真に聴きごたえある楽曲というのは、コンサートの目玉として全曲演奏される "The Dark Side of the Moon" を筆頭にその殆どはロジャー・ウォーターズが中心になって作った曲です。

 しかし、この2つの DVD を観比べて実感したことは、たとえそれがロジャー・ウォーターズのコンセプトによる楽曲だったとしても、それを演奏して《ピンク・フロイドの音楽》と成し得るためにはデヴィッド・ギルモア《間合い》で空気感を描くギター・サウンドは欠かす事が出来ないということです。

 多分、長年に渡る仲たがいを経て、ロジャー・ウォーターズはその事をいやと言う程実感させられたのでしょう。2005年7月に開催された世界規模のチャリティーコンサート“ライブ8”に於いて、ピンク・フロイドが実に28年ぶりにオリジナル・メンバーでパフォーマンスを披露した際、ロジャーは終始上機嫌で嬉しそうな笑顔でした。


 さて、今回私が言いたかったのは、ピンク・フロイドロジャー・ウォーターズのバンドか?、それともデヴィッド・ギルモアのバンドか?、という論争に私なりに結論を出した、というような下世話な話題ではありません。

 先月の日記と正に同じ事を言いたかったのです。
 つまり、ピーブロックからロックまであらゆる音楽を聴く上で、私が共通して強く惹かれるのは《間合い》の妙を感じさせる音楽であり演奏である、ということです。

⇒関連記事「日本音楽のキモは《間》です」

2006/12/9
(土)

鐘の音に聴く「間合い」の妙

 先月の日記や昨日の日記で、私は《間合い》の妙を感じさせる音楽に強く惹かれる、と書きましたが、実はこのことは何も《音楽》に限ったことではありません。遍く《音》全般について当てはまることです。

 その事にハタと思い当たったのは、つい先日、イギリスのコッツウォルド地方の「世界一美しい村」をテーマとしたテレビ番組を見ていて、村人たちが教会の鐘を鳴らす様を何気なく見ていた時でした。
 村人たちは石造りの教会の塔のてっぺんにある鐘楼に釣り下げられた大きさの違う(つまり音色の異なる)複数の鐘を下から紐で引いて揺らして鳴らします。 それぞれの紐の引き手は別にタイミングを合わせる訳ではないので、鐘の音は重層的に重なりあって「ガランガラン〜ガランガラン〜ガランガラン〜」と延々と 途切れる事無く鳴り続けます。そこには《間》というものは全く存在しません。そう、これこそいかにもヨーロッパ的な「鐘の音」です。

 それに対して、日本の鐘の音というのは実に対照的ではないでしょうか。
 地面近くに築かれた木造の鐘楼に設えてあるのは必ずたった一つの重々しい鐘です。鐘を鳴らすためには、これまた重々しい撞木(しゅもく)を身体全体を 使って引き上げ、満身の力を込めて鐘に打ち付けます。鐘は一度だけ「ゴワ〜〜〜ン〜」と余韻を伴って鳴り響き、後にはしばしの静寂が訪れます。除夜の鐘を 思い浮かべれば分かりますが、日本の「鐘の音」は《間》に満ちています。つまり、日本で言うところの「鐘を音を聴く」という行為は、その実ほとんどが《間》を味わっているのです。


 このことに気が付いて思いを巡らせてみると、ピーブロックってのは要所要所で「ゴワ〜〜〜ン〜」っていうような余韻を残した音の溜め方をするによって、情感を込めた表現ができるようになる面があるな〜、と思い至りました。

 そして、このように、《間》こそが表現の要となるピーブロックという音楽は、一般的なの西洋音楽の域を超越した実に摩訶不思議な音楽だと改めて実感します。

 逆に言うと、ピーブロックを嗜むことが出来る感性を持った西洋人というのは、東洋的な禅や老荘思想に共感を持つ事ができる少数の人に限られるというような気がします。
 これまでの経験からも、パイプバンドの音楽しか理解できないスコットランド人ってのは絶対的に多数派なんですよね。もちろん、これは日本人にも当てはまりますが…。

⇒関連記事「日本音楽のキモは《間》です」

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