パイパー森
の音のある暮らし《2011年》
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昨年末に義父が亡くなり、檀家に
なっているお寺の斎場でごく身内だけの家族葬としてこじんまりと葬儀を済ませました。
年齢からいっても、そして、誰もが望むピンピンコロリンを地でいったようなスマートな最期だったこともあり、残され た者が悲嘆に暮れるような状況ではな かったこと、さらに、家族葬故に弔問客の相手をする煩わしさからも解放されて、終始和やかな気持ちで読経を堪能する ことができました。 さらに贅沢なことにもその読経は住職一人ではなくて、住職の下で修行中のお坊さんが一緒にあげて下さったので、お弟 子さんが奏でる大小二つの鈴(りん)の 音色と木魚のリズムに乗せて、声質が微妙に異なる二人のお坊さんの読経がハモる(低音のお弟子さんがドローン 役?)、というなんとも素晴らしい《音世界》に没 入できました。私自身もしばしあちらの世界にトリップ。いまさらながら自分が 好む《音世界》はどのようなものである のかを再確認した次第。 そんな訳で、読経に浸った2日間の後は読経に最も近い曲、"Lament for the Harp Tree" をループで聴い ては、その独特の《音世界》に没入し てあちらの世界に渡る(寝入る)という毎日です。 |
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この本
は、CoP
オンラインカタログに数年前から掲載されていたのですが、中身が良く分からなかったのでしばらく手を出さずにいました。2年前の
"Piping Times" の購読更新手続きの際に「ついでに何か買いたいな?」という不純な動機で購入した次第。
そんな訳で手元に届いた時にざっと目を通しただけで、以来放った らかしにしていたのですが、このお正月休みに本棚から取り出して読み始めたら、これがなかなか面白い。 内 容は、私がこれまで読んで来たハイランド・パイプやピーブロックに関するノンフィクションや史実(歴史的事実) に関する本のそれとは違い、ハイランド・パ イプのみならずその他のバグパイプも含めた様々なパイパーに関する(史実というよりは)伝承の物語、妖精物語などが紹介されています。 今は、全7章の内の第一章「マクリモン一族」に関する章を読んで いるところですが、1ページからせいぜい数ページのさまざまな小話が紹介されているので、根を詰めて取り組む必 要も無く、ちょいと手に取って一話読む、ってな感じで大変取り組み易い。 マクリモン一族に関する話しも、純粋な史実ではなくて「その巧み なスキルがどのようにして妖精から伝承されたか?」というようなストーリーが幾通りものバージョンで紹介されて いて、「伝説の一族、マクリモン」ってな雰囲気が盛り上がってきて、否が応でも楽しめます。 例の、"A Flame of Wrath for Patrick Caogach" に関する、Donald Mor の民家焼き討ちストーリーも、ここではひ と味違って、まるで歴史ドラマのように描かれていて、ワクワクドキドキ、血湧き肉踊る状態で読み進むことができま す。 元々、ブリティッシュ・トラッド、中でも伝承バラッドの世界から この音楽(ピーブロック)に入って来た私としては、大変親しみ易い世界です。ぐるっと巡ってルーツに戻った、と いうところでしょうか。 また、そのようなフィクションの中にも、日本人たる私が知らな かった中世スコットランドの人々のリアルな暮らしぶりが描かれていたりして、それはそれで新たなトリビア的知識 が得られます。 例えば、当時のハイランダーが羽織っていたプレイド(腰から下はキルト)は、山野で野営する際には身を包んで寝 袋的役割を果たしますが、その際に生地を一 旦水に浸すことによってより一層暖かさが保たれるということ。これは未脱脂の天然ウールならではの性質で、当時 のハイランダーはそのことを経験的に知った のでしょう。ヒートテックに代表される現代の発熱布地のルーツと言えるのではないでしょうか? |
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2011/1/ 18
(火) 足掛け20年 |
私が“Lament for
Patrick Og MacCrimmon”に最初にチャレンジし始めたのは、1992年11月に Angus J. MacLellan さんから直接手ほどきを
得られるチャンスを得た時です。それ以来、20年近くの時間を費やして、このお正月休みにやっとどうにかこうに
かパイプで演奏できるようになりました。
もちろん、当初はいつの日にかこの難曲を自らで演奏できるなどという大それた思いをマジで持っていた訳ではなく、「Angus J. から手ほどきしてもらえるなんておいそれとは得難い機会だから、幾つかの超難解な装飾音について具体的に手ほどきしてもらおう!」と、にわか練習をしてそ の場に臨んだという、まあ半分は冗談のような、どちらかと言うとそれほど前向きでない気持ちでした。 ですから、それ以来、日常的に technopipes で楽譜をなぞってみる程度のことはしていましたが、本当にパイプで演奏する自分の姿を想像できる程に習得できたという実 感を持つに至るまでにはほど遠い日々でした。 …ので、本気でこの曲をパイプで演奏しようと決意したのは、ほんの3年程前、2008年の新年にその年に達成すべき 事を決意を記した時でした。結局それからさらに3年掛かってしまいましたが…。 毎度のことですが、人の浅はかさで、ある曲を一旦演奏できるようになってみると、根を詰めて練習すればもっとずっと早く 演奏できるようになれたような気が してくるのも正直なところ。でも、実際にはある曲との付き合いにも熟成の期間ってのがあるような気がします。正に機が熟 すという感じで、パイプの神様が 「いいよ、もうそろそろ…」って言ってくれる時がやっと到来したのかな、と思えるのですね。 |
ピーブロックという音楽は探求すれば探求する程に、つくづく「(人に)聴かせるための音楽ではなくて、(自分自身が)感じ入るための音楽である」と
いう思いを強く抱くようになります。
もちろん、Lament for the Children の ように、どちらかというと聴かせる曲もありますが、Patrick Og や The Vaunting、そして、(まだ自分では 演奏できないけど、多分そうではないかと思う曲として)Unjust Incarceration などは、何を置いてもパイパー自らが陶酔することを大前提としている 曲のように思えます。 そして、ピーブロックという音楽が「自分自身が感じ入るための音楽」であればある程、人前で演奏するということをイメー ジしなくなります。実際、私が最後 に他人の前でピーブロックを演奏したのはいつだったか? 年単位の遥か昔であることは確かです。 このことのマイナス面は、モチベーションの維持です。そう、ある曲をいつまでに習得しようとするモチベーション。 私は 30年前の "Piping Times" のページなどでコンペティションの結果を度々紹介していますが、その実、個人的にはコンペティションっても のには全く興味はありません。純粋 に音楽を楽しむという意味から言えば、コンペティションなんてものは全く無用だと思っています。 しかし、古今東西を通じ て、それなりの様式を持った音楽の舞台が宮廷や貴族・領主たちの館であった時代、お抱え楽士たちが仕える相手を喜ばせる ために(そうでなくてはリストラさ れる訳ですから、つまりは生活を掛けて)切磋琢磨していた時代が去った後、楽士達の演奏技量アップのモチベーションを高 めるために最も効果的なのが、他の プレイヤーとの技の競い合いの場、つまりはコンペティンとかコンクールの類いであるのは疑う余地がありません。 クラン制度 が崩壊した後にも、それなりの熟練と研鑽を必要とするピーブロックという音楽様式が、その水準を全く落とす事無く現代ま で連綿と継承されてきたことの最も 大きな原動力が、1781年の Falkirk でのコンペティション以来の幾多のコンペティションであったことは紛れも無い事実です。 その意味から、私の様にコンペティションや演奏会が控えている訳でもなく、純粋に一人で「自分自身が感じ入るため」 だけにピーブロックを楽しんでいるようなパイパーにとって、最も悩ましいのがモチベーションの維持です。 だからこそ、Patrick Og の習得に20年も掛かった訳。 対外的に明言するということでモチベーションを上げる、というか、まあ自己暗示に掛けるということもあって3年前の正月 に願を掛けましたが、実際には誰も チェックする訳ではないこともあり、また自己暗示にかかる程に素直ではないこともあり、これは余り効果がなくてその実殆 ど目立った進歩はありませんでし た。 そんな中で今回、私にとって突然のモチベーション高揚のきっかけになったのは、なんといっても昨年12月17日の Pipeline に於いて、幾多の Patrick Og の 演奏の中でも私が最も好きな Murray Henderson の 新しい感動的な演奏が聴けたこと。 やはり、私のような孤独なパイパーにとっては、心動かされる演奏を聴く事がなによりも励みになり、動機付けになる得 るということを改めて認識しました。モチベーションの維持のために優れた演奏の音源を漁る作業は大事ですね?。 |
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↑の日記を
書いていて「思えば随分久しく公衆の面前で演奏していな〜?」と思い至りました。そこで、ふと閃いて職場近くにある横浜市の都筑(つづき)公会堂の予約状
況をインターネットで確認してみたところ、一番近い日程で3月上旬の夜間(17:30〜22:00)にメインホールが空いて
いるのを見つけ、これ幸いとさっさと会場を確保してしまいました。
公共の公会堂のホールはたいてい半年前から予約を受付けますが、利用料金が大層お手頃なため人気も高く、早々に予約が塞 がってしまいます。特に予約が殺到 する週末や平日昼間は抽選で利用者を決定するというのが一般的。まして、横浜市の中でも今一番活気のある港北ニュータウ ンの中心に位置する都筑公会堂は、 昼夜を問わずいつでもフ ル稼働の賑わいです。そんな中、意外にも平日の夜間ってのは狙い目なんです ね。 利用料金は会場使用料としてなんとたったの 14,000円(平日夜間/料金徴収なしの場合)。照明やマイクを手配しても2万円で十分にお釣りがくるという正にデフ レ時代に相応しいお手頃価格。さら に嬉しいことには、音楽コンサート用に用意されている反響板(←写真参照)の設置については、なんと無料!とのこと。打 ち合わせに出向いた際に迷うことな く手配してしまいました。 一瞬の閃きからの思わぬ展開で《野外の音環境》と
は一味違った、室内空間としてはかなり心地良さげな音の響きが味わえそうな気がしてきました。 ハイランド・パイプを演奏する目的が《自己陶酔》以外の何ものでも無いパイパー森的には、何を置いてもこの素敵な《音環 境》を独り占めしてたった一人で演 奏しまくる、というのが最も望むべきシチュエーション。しかし、なんせ公会堂というのは貸しスタジオと違って公共の空間 なので、いくら使用料を支払ったか らといえども、ちょっとそれはひんしゅくを買う行為でしょう。
ちなみに、都筑公会堂には右のようなリハーサル室もあるのですが、平日夜間 3時間半の利用料金は僅か
2,000円ポッキリ!ということで、それこそ多分に貸しスタジオ的にフル活用されているようで、メインホールの利用状
況とはほぼ関係なく殆どのコマが予 約で塞がっています。 さて、ひんしゅくを買わない程度に聴衆を入れて時間を過ごすとなると、ピーブロックを延々と2時間演奏しまくるとい
うのは如何なものか?(もちろん当人の体力的なこともありますが)と考えました。 …で、考えた末に、一般的にはそれだけで珍しいハイランド・パイプという楽器、そして、その文化的な背景、特にピー ブロックという難解な楽曲についての説明と演奏を織りまぜながら、2時間を過ごすという趣向にしました。 ただ、↓のフライヤーには書いてありませんが、唯一の息抜き、そして、もう一つの音の響きを鑑賞するという趣向とし て、根曲がり間伐材で作るセルフメイドのアルプホルンを嗜む同僚に、アルプホルンを演奏してもらうという企画を織り込ん でいます。 さ〜て、どんな心地良い《室内の音環境》が楽しめるの か、今から楽しみです。 |
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2011/2/ 11
(金) ボブさんのピーブロック・フォーラム |
このサイトの中でも折りに触れ引用することの多いボブさんのピー
ブロック・フォーラム。 1、2年前にシステムがリニューアルされて、登録しているメンバーはパスワードの変更手続きをするように連絡がありまし た。素直に指示に従って操作した のですが何故かスムーズに出来ません。何度かトライしていたのですが、本来なら直ちに返送されてくるはずのメールも、トラブ ルの際の対応ページから送信し た問い合わせメールにも一切返信なし。 まあ、ゲストとしてディスカッションを閲覧するだけならば不自由はないので、思い出す毎に何度かトライしつつ、根本的な問 題解決についてはさほど真面目に取り組みませんでした。 ところが、閲覧以上に困ったことはシステムのリニューアルに伴ってサーバー自体が変更になったようで、このサイトからリ ンクを張っていた過去の特定のス レッドとの関連が切れてしまったこと。そして、それらを手直しするために過去ログを検索して現在の URL を特定しようとしても、過去ログの検索はログイン状態でしか出来ないためそれもままならず、仕方なしに長い間リンク切れ のまま放置していました。 しかし、本当を言うとどうしても気になっていたのは、ピーブロック・フォーラムの書き込みから多数引用している、ピーブロック名言集の文章の扱
いでした。 システムの改変はボブさんが亡くなった後であり、引き継いだシステム管理者がボブさんと私の約束を知る由もなし。さら に、私がいつまでもパスワードの変更 がままならず、ログイン出来ないのはシステム管理者側の問題なので、私に非があるのでもないし、…などと、問題の解決を 先延ばしにしていました。 しかし、正直に言ってこういう事ってのはどこか引っかかるものがあるものです。
そこで、最後にもう一度だけ指示どおりの手順を試してみて、どうしても埒があかないということを確認した末、以前登録し
ていたユーザーネームはそのままに
して、機械的に新しいユーザーネームを登録することにしました。そして、以前と全く同じプロフィールを書き込んでチョ
ン。ボブさんが生きていれば、きちん
と手間を掛けてメールのやり取りをして問題解決を図ったと思うので、こういうことがあると、やはりボブさんを失ったこと
が悔やまれて、ちょっと寂しいです ね〜。 …と、簡単に書きましたが、これは実はそれなりに手間の掛かる作業でした。 でも、老眼をしょぼしょぼさせながらこの作業をなんとかやり遂げた後は、お陰さまで久しぶりにボブさんに堂々と顔向 けできるようになった気がして、胸の仕えが取れて清々しい気分に浸ることが出来ました。 作業を終えたところで、気分転換と背骨伸ばし、さらには来るべき3月のイベントに向けたブラッシュアップを兼ねて、Lament for the Children と Lament for Patrik Og MacCrimmon を天国のボブさんに捧げて演奏し、大いに満足した気分になりました。
名言集のページの一番下に書いたとおり、引用したのはオリジナル投稿文のほんの一部であるケースが殆どです。それぞれ引
用文が出ているようなスレッドはス
レッド全体が大変充実した投稿で満たされているケースが多く、今回の作業をする中で久しぶりにオリジナルのスレッドを閲
覧していると、思わず読み耽ってし まいそうになりました。 |
War or Peace |
今週の Pipeline は、 Bill Livingstone の特集。 ピーブロックは、演奏音源としては大変珍しい "War or Peace" です。 実は昨日、来月1日にアップする予定の 30年前の “Piping Times” の記事を書くために 1981年4月号を紐解いていたら、Roderick Cannon によって古い楽譜を参照しながらこの曲が取り上げられていました。 これまで、この曲の演奏音源はピーブロック・ソサエティーの Sound Clip Library でしか耳にしたことがありませんでしが、実はこの音源も Bill Liveingstone によるもの。詳細に照らし合わせた訳ではありませんが、多分異なった音源だとは思います。ちなみに、今回オンエアされて いるのは、2000年の The Northern Meeting、Clasp コンペティションで 2nd に入った時の演奏とのこと。 珍しいだけでなく、この曲とっても 素晴らしい んです。 Haddow も、例の "The History and Structure of Ceol Mor"
の中で、"This is the battle piobaireachd par
excellence and probably has so for hundreds of
years."(斜体強調文字も原文どおり)と書いています。 この曲の楽譜は PS Book 10 や、Angus MacKay の楽譜集にも入っていますが、Bill Livingstone の演奏は、それらのどちらとも違って、今回紹介した Cannon バー ジョンに忠実なものです。そして、この演奏がやたらと 興奮させられるのは、古式ゆかしき 18世紀当時のスタイルで演奏されているからだと気が付きました。それはどういうことかというと…。 Cannon の楽譜の表記自体は次のような構造です。 しかし、実際の演奏は、 という具合に、ご丁寧にも Leumluath、Taorluath、 Crunluath
のそれぞれのバリエイションの後に Urlar に戻っていて、Urlar
は都合4回演奏されているのです。ただし、(2) から (4) の Urlar
は本来のゆったりとしたテンポではなくて直前のバリエイションとシンクロしたテンポで演奏されるのでバリエイションの盛
り上がりが途切れる印象はありませ ん。 う〜ん、こんなピーブロックの演奏、初めてです。正に The Battle Piobaireachd !
ですね。 |
War or Peace |
"War
or Peace" は今年のセットチューンになっているので、3月の Pipeline での Bill Livingsotne の
音源に続き、8月の Cop Radio では Brian Donaldson による演奏音源、そして、9月11日週の Pipeline
では直前に行われたばかりの The Northern Meeting での Jack Lee による演奏音源がオンエアされました。 そして、先日の掲示板で FarEastPiper さんが「Jack Lee の演奏では Taorluath と Clunluath で間の Low Aで一瞬タメが入るやり方で演奏している事」を教えてくれました。つまり、"Redundant A"(不必要なA)が入ったオールドスタイルな Taorluath と Clunluath を演奏しているのです。 この様な演奏には初めて気づかされました。おそらく、FarEastPiper さんの指摘がなければ絶対に気がつかなかったでしょう。他にもこの様なオールドスタイルな Taorluath と Clunluath を演奏している音源はあるのでしょうか? (2014年追記:その後、"The Daughter's Lament" の John MacLellan と William McCallum の演奏音源で出会いました。) 因みに、2011年セットチューンとしてのこの曲の楽譜は、Gesto Setting として指定されていて PS サイトのこの曲のページに掲載されています。リストのトップに示されている War or Peace Gesto Score には、 Leumluath、Taorluath、Clunluathの各バリエイションの最後に Urlrar に戻る事が明示されています。 また、これは 1981年4月号 "Piping Times" で紹介した Patrick MacDonald による "A Collection of Highland Vocal Airs" に収められている楽譜(に Cannon がバグパイプ・アレンジメントを加えたスコア)とセッティングとして の違いはありません。 |
円高?ポンド安? |
ギリシャの金融危機に端を発してヨーロッパ&アメリカ共に経済状況に対する見通しが悪く、このところ、ずるずると円
高が長引いています。 真面目にスカイ島の家を物色すべきですね? |
Steve Jobs |
2 011年10月5日にスティーブ・ジョブスが亡くなってから1ヶ月余りが経過しました。 まるでジョブス死去に合わせたように最新の iPhone 4S が
発表され、私も 2010年2月に購入した iPhone 3GS を
直ぐさま iPhone 4S に更新しました。 一方で 2010年6月に手元に来た、愛すべき iPad の 方はその後の iPad 2 の登場により僅か1年にし て旧型(クラッシック)になってしまいましたが、そんなことには関わらずこの魔法のツールを手にして以来 iPad は私にとっては公私のあらゆるシチュエーションに於 ける必須の IT ツールとして、文字通り常に座右(30cm以内)に在り続けています。 さらに iPhone 4S の発表と併せてリリー スされた iOS5 と iCloud によって、ユーザーが意識することなく自動的にシ ンクロ(※)するようになった iMac × iPad × iPhone のデジタル世界の心地良さを実感する都度、天国のジョブスに感謝するのみです。(※例えば、iMac で新しいサイトをブックマークしたり、アドレスブックに連絡先を追加すると、iPad と iPhone のブックマークやアドレスブックも 自動的に同期するなど…。) さて、ジョブスの死去とともに様々なジョブス本がリリースされていますが、中でも死の 数ヶ月前から予約が始まっていたウォルター・アイザックソンによるジョブス公認の伝記 "Steve Jobs" がいよいよ出版されて注目を集めています。私も早速 iPad で この伝記を読もうと思い立ちました。 ところが、日本でのこの本の翻訳・版権を取得した「講談社」の余りにも時代錯誤かつ無見識な販売方法に頭から湯気を 上げるような憤りを覚える事態に…。 それは、なんと英語版の実売価格が18ドル( 約1350円)程度なのにも関わらず、日本語版はなんと上下2巻でそれぞれの定価が 1995円、つまり合わせて 3990円という価格。日本では再販制度によってこの定価=実勢価格になる訳で、つまりは英語版のほぼ3倍という暴利。 いくら翻訳料が加算されるといって も、いくらなんでもこんな値段設定は有り得無いでしょう。「マニアはジョブスの翻訳本なら多少高くても買うだろう。」 と、足元を見ている。 「円高で国内産業は大打撃!」というプロバガンダの陰に隠れて、このような暴利を臆面も無く貪る出版社の姿勢には、 その昔1ポンド=約460円の固定相場の時代に、のうのうと1ポンド=800円換算の販売価格を付けていた某大手洋書店 同様の浅ましさを感じます。 ただ、今回の私の憤りが収まらないのはこの(紙版の本に関する)話だけではありません。真の怒りの源はこの本の電子 書籍(日本語翻訳)版の価格設定についてです。 ジョブスの伝記は iPad で読む他には考えられ ないと思っている私は、このような紙ベースの本の価格差は自分には関係ないと思いつつ、より安価であるはずの電子書籍版 をダウンロードすべく、講談社のサイトを探しました。 …ところが、どこを探しても電子書籍版を思わせる(ずっと安価な)定価が表示されたアイコンが見当たりません。しば らく探し回った挙句にたどり着 いた結論は、どうやら、電子書籍版も何故か意味不明に上下2巻に分けられていて、それぞれの定価が 1900円、つまり合わせて 3800円ということらしい。 バカにするんじゃないよ! 朝日新聞のデジタル版が登場した際、紙版と殆ど違わないその値段設定について日本中から激しいバッシングが浴びせられたことは記憶に新しいところ。 日本の出版業界は世の趨勢を見て、最近ではこぞって電子書籍に参入しようとしているようだけど、その実、その意味と 意義を少しも理解していないようですね。 出版業界がこのような経営感覚を持っている以上、日本に於ける電子書籍の普及は、世界の趨勢から遥かに取り残されて いくことでしょう。 私は、一にも二にもなく、米国アマゾンから Kindle 版 の "Steve Jobs" を購入しました。原語版の電子書籍は紙版に比較して当然ながらリーズナブルな値段で、それも発売当初よりさらに値下がりして現在の実勢価格は僅か 11.99ドル。日本円換算でたったの約 900円です。 Kindle で電子図書を購入したのは初めてです が、感心したのは、当初 iPad にダウンロードした ものが自動的に同じアカウントで Kindle アプリ を搭載している iPhone と iMac の両方に プッシュされるのですね。どうやら、購入したコンテンツは Kindle Cloud というサーバーを介して相互にシンクロしているようです。そして、任意のパソコンのブ ラウザから Kindle Cloud Reader と いうアプリを介してログインすることで自分が購入した本にアクセスできるなので、必要であれば職場のパソコンなど出先の どのパソコンなどからも同じ本が読 めるようです。それぞれの端末の本はクラウドを介してブックマークなどが自動的にシンクロするのですから便利この上な い。 私は、帰宅して夕食後に iMac でしばらく読
んだ後、寝る前にはベッドの上で iPad
で続きを読みますが、ブックマークした場所から途切れることなく読み続けられるので、まるで紙の同じ本を手にしながら読み続けているような感覚です。 スティーブ・ジョブスは真に世の中を変えてくれました。 …が、同時にその新しい世界を理解していない旧態然とした人々の存在には、いつもながらタメ息が出るばかりです。 |
2011/11/ 12
(土) Lament for Alan, My Son |
先日届いた最新号の “Piping Times”、例によってざっと目を通して本棚に直行! の寸前に目に止まったのが、noticeboard ページのとある New CD の告知。 タイトルは "Pipes and Strings - Suite for Alan" Duncan Johnstone の末息子、Neil Johnstone さんがプロディースした "Bows and Drones" の第2弾目? iTunes Store でも(つまりオンラインで)購入できるとのことだったので、早速サーチ。 パイパーとしては、Alan MacDonald、Iain MacDonald 兄弟、Roddy
MacLeod が参加とのことだったのですが、メイン・テーマたる Duncan 作の感涙ピーブロックである
“Lament for Alan, My Son” はRoddy MacLeod が演奏しています。 これまで、この曲の音源としては、アルバム "Duncan in Dunfarmline" に収録されている作者 Duncan Johnstone 自身による演奏(カセットなので音質悪し)の他には、Robert Wallace によるものが3つあるだけだったので、掘り出し物です。 いや〜、それにしても、CD一枚を買わなくて、欲しい曲だけを購入できるなんてなんて便利なんでしょう。 |
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