パイパー森の音のある暮らし《2013年

2013/1/12
(土)

Piobaireachd Society サイトのリニューアル

 昨日夕方帰宅後にいつものとおりいくつかのサイトをチェックしていて、ピーブロック・ソサエティーのサイトが大々的にリニューアルされているのに気が付きました。
  ところが、いざメンバーズセクションにログインしようとしたところ、何故かログイン出来ません。リニューアルに際して、またなんかドジしたんだろう。…ま、その内バグも修正されるでしょう、と思っていたところ、今朝になってチェアマンの Jack Taylor からサイトリニューアルについての会員あてお知らせメールが来ました。

  それによると、2年以上前に加入したメンバーについては、以前のユーザーネイムがそのまま保存されてるとのことですが、ただ、パスワードは自分で設定され ていたものではなくて全て自動的に firstname-surname と設定されているとのこと。道理でログインできない訳です。

  早速、そのとおり試しました。…ですが、今度もやはりダメでした。何度か繰り返した後、いよいよメールで問い合わせするか?と思い始めた頃、ふと思って、 苗字と名前を入れ替えて、surneme-firstname の順でパスワード入力したところ、無事ログイン出来ました。

  そして、自分のプロフィール画面に行ってみると、案の定、苗字が firstname、名前が surname と認識されていました。確かに日本人の氏名は英国人にはどちらが surname か分からないんでしょうね。プロフィール内容を修正、ついでに、パスワードも元々使っていたものに戻しました。

 さて、そんなかんなで今のところ、サイトリニューアルの全容を知るところまで行っていませんが、ざっと見たところでもその内容の充実度はかなり期待できそうです。

  まず気がついたのは、チューン・インデックスとサウンド・ライブラリーが合体したようで、それぞれの曲タイトルの横にある Listen マークがをクリックすると多くの曲で以前のサウンド・ライブラリーにあった演奏音源などその曲の演奏音源が聴けるシステムになっているようです。演奏音源 が無い場合でもクリック先には曲の簡単な説明が記載されています。

 う〜ん、なんという素晴らしい時代が到来したのでしょうか。実に感慨深いものがあります。

⇒関連記事

2013/2/11
(月)

Kilberry Book of Ceol Mor
デジタル版
入手完了

  Didital Kilberry Book for PC について最後に書いたのは 2012年12月18日 ですが、その後の経緯について報告しましょう。ホントに呆れるばかりです。

 CoP からのオーダー受理通知メールは、オーダーに対する自動返信システムだと思われるので、それは無味乾燥なものでも仕方ありませんが、問題なのは「出荷準備」というのがどういう事なのか?ということ。

  まあ、直ぐにオンラインのダウンロード先を指定してこないということは、今さらながら CD-ROMで送ってくるのかな?と思わせられました。 そうだとしたら、ちょうどクリスマスシーズンなので、何時もよりも大分時間が掛かっても仕方ないだろう、と思って我慢していました。

 でも、年が明けても一向に送ってくる気配がありません。

  しびれを切らして、自動返信メールが届いてからちょうど一ヶ月後の 1月16日に、送られてきたメールを引用しながら「このメールを一ヶ月前に受け取っているが、未だに荷物は手元に届いていない。そもそも、荷物は CD-ROM で送られるものなのか? それとも、オンライン(ダウンロード)なのか? どっちなの?」というようなメールを出しました。

 しかし、それに対しても一切の返信なし。完全に無視されました。

 もう、これでまたお金をドブに捨てさせられたんだな〜、と思いつつ、それからさらに半月以上経った 2月4日(月)に過去のメールを引用しつつ「なんでもいいから、返事してくれないかな〜?」と書き送りました。

 そうしたら、21:12に送ったそのメールに 9分後の 21:21に Moira Livingstone という人から即返メールが届きました。

 曰く「あなたが、Digital Kilberry Book を未だに受け取っていないのを知って申し訳無く思います。水曜日には ○ndrew Wallace が帰る(どこから?)から、彼が対処するでしょう。」と。

 そして、そのとおり水曜日に ○ndrew Wallace から「私は、あなたのログイン情報を記したこのメールを再送信します。あなたのログイン情報は以下のとおりです。」と、ログインID(メアド)、とパスワードを知らせてきました。しかし、そのメールには Moira のメールにあったような詫びの言葉(Sorry)も一切無く、再送信(resending)という言葉に暗に「一度送ったメールをお前が見逃したんだろう?」と言わんばかりの書き振り。

 その挙句、教えられた IDとパスワードでログインしようにも、一体どこからログインするのかが書いてない!

 本当だったら、頭から湯気を吹きそうなところを、グッとこらえて丁寧な言葉遣いで「ログイン情報教えてくれてありがとう。でも、一体どこからログインするんだい?」と直ぐに問い返し、返信メールでやっとのことでログイン URLを知らせさせました。

 …で、一ヶ月半かかってやっと Didital Kilberry Book for PC を入手することが出来ました。

 さて、結論として、以上のような呆れるばかりの顛末を抜きにしても、このデジタル版は買わない方が良いと思います。

  何故かというと、パソコン用のデジタル版は違法コピーを防ぐことを目的としているのか、パイピング・タイムスと同様な電子ブックの形式で供給されるからで す。つまり、ファイルを開こうとする度に ID とパスワードを入力してログインする必要があるのです。それは、ダウンロードしたオフライン・バージョンのファイルでも同様。

 いやいや、使いにくいったらありゃしない。まあ、マックの場合、複数のデスクトップの一つに常にこのファイルを開けた状態にしておけば良いんですが。…でもね〜。

 電子ブックの形式とはいえ、元となっているのは紙ベースをスキャンした画像を電子ブックにバインドしただけなので、そうであるならば紙版の Kilberry Book を裁断し自炊して PDF ファイルにする方がずっとマシです。そうすれば、パソコンでも iPad でも自在に読めますし…。

  今後、ピーブロック・ソサエティー・ブック(楽譜集)も徐々に電子版が提供されるようになるでしょうが、多分同様のシステムで供給されると思われるので、 私は早々に手持ちのブックを裁断して自炊しようと思い至りました。我が家では、最近 A3版がスキャンできるスキャナー&プリンターを購入したので、A4版より若干大きめのソサエティー・ブックでも難なくスキャンできるので…。

 「貧乏根性の CoP よ、Steve Scaife さんを見習え!」と言いたい。

 以上、長くなりましたが、かなりの憤慨を込めて報告します。

⇒デジタル版 "Kilberry Book" に関する3年後の後日談

↓次もデジタル版 “Piping Times” に関する関連記事です

2013/3/9
(土)

"Piping Times"
online Edition の購読更新

 2012年2月10日に書いた様に大騒動の末“Piping Times” をオンライン版にして一年が経過しました。

 これまで、紙版の場合には、購読が切れる号に次号からの更新依頼をするための用紙が同封されてきました。まあ、毎年のことですから大体その時期になると心構えていますし、同封されてきた用紙を見て直ぐにオンラインで購読更新の手続きをしたものでした。

 しかし、オンライン・エディションはスゴイ! (凄く不親切という意味)

 3月1日に毎月の如く、あの ○ndrew Wallace から、  
 
 "Hi all,Simply click on the following link to view the March 2013 Piping Times" 

 と、リンク先を示す URL が書かれたメールが届いたので、リンク先をクリックしページを開こうとしていつものとおり、ID とパスワードを書き込むと「Sorry, あなたの ID の期限は切れています」とメッセージが出る。

 そうでしょう、そうでしょう、確かに私の購読期間は2月で切れているハズだもんね。

 …だったら何故、購読期間が切れた読者にそのことを事前にリマインドしないまま、何事も無かったの如く、読めないリンク先のURLを知らせてくるんだよ !!!

 でも、愚痴っても仕方ないのでぶつぶつ唸りながら、オンライン・ショップで購読更新の手続きをしました。

 そこで気がついたのですが、このところで CoP のオンライン・ショップのシステムもリニューアルされているんですね。
 これまで、何もせずに自分の情報が先方のサーバーにキャシュで残っていたようですが、リニューアルされたシステムでは事前にメンバー登録しておく必要が あるようです。でも、一度キチンと登録しておくと、以後は大分楽になりそうです。まだ、初めてなので分かりませんが、支払い方法も登録されるようでした ら、こらまでよりはずっとマシです。

 さて、直ぐに購読更新の注文を受け付けた旨のメールが届き、先ほど手続きした My Account のページにはちゃんと購買履歴として表示されている。

 それが、3月2日の事。

 それから、毎日、リンク先 URLにアクセスして “Piping Times” にログインしようと試みるけど、いつまで経ってもログインできず「Sorry, あなたの…」のメッセージが出るばかり。

 業を煮やして、5日後の3月7日20:49(イギリス時間の勤務時間ど真ん中)に「Hi ○ndrew, ワチシは3月2日に購読更新の手続きを済ましたのだけどログイン出来ない? どうしたらいい?」とメールを送信すると、すかさず4分後に ○ndrew Wallace から、

 "Hi, This should work now."

 と返信があり、確かに今度はスムーズにログイン出来ました。

 でも、何が "Hi, This should work now." だよ。そんなに簡単なら、購読更新受け付けた瞬間に操作しろよ。そして、メールの冒頭に謝りの一言ぐらい書けよな!

 実はさらにもう一つ愚痴りたいことがあります。

 リニューアルされたサイトでは、UK 以外というロケーションを選んでも、付加価値税抜きの金額が表示されないまま決済されてしまったのです。
 本来、税抜で £16 の筈なのに、英国内と同様の £19 のまま。

 最近の CoP はまたまた昔に逆戻り。頭に来ることばかりですね。

⇒CoP のデジタル書籍の混乱はまだ終わりません

2013/3/23
(土)

"Book of Kells"
デジタル版

 ピーブロックとケルト装飾的思考の関連性については、1993年に Canntaireachd No.11 で書いたところですが、そこで触れた貴重な「ケルズの書」を所蔵している Trinity College Library Dublin は、つい先日のオフィシャルブログで、この本の全ページをオンラインで無料にて閲覧できるようになったこと告知しました。

 ⇒ 無料公開を伝える2013年3月15日付けのブログ

 ⇒ Direct link to the Book of Kells online 

 このページは結構重いようで、サムネイルが開くのに若干時間が掛かりますが、一旦開いてみるとそこにはめくるめくケルト装飾の世界が広がり、背筋がゾクゾクするような興奮を覚えます。 

 さらに、このブログでは、iPad 用の "The Book of Kells for iPad" と いうアプリが紹介されています。さすがにこちらは無料ではなくて APP Store で 1,100円のコストが掛かりますが、このアプリは単にオンライン時の閲覧ソフトというものでは無く、アプリ自体にケルズの書の全ての情報(743MB) を含んでいます。つまりは、アプリというより「デジタル版ケルズの書」そのものといえるもの。ですから、一旦このアプリをインストールすると、オフライン でいつでもどこでも全てのページを(全くのストレスフリーで)閲覧することが出来る訳です。そう思えばこれは極めて破格なお値段と言えるのではないでしょ うか?     

 ネット社会は文化の楽しみ方を根底から変えますね。iPadapp

2013/4/30
(月)

一人卒業式

  20011年2月7日の日記に1ヶ月後の 2011年3月8日に当時の職場近くの横浜市都筑公会堂で「凛として響きを奏でる夕べ」と称したイベントの開催を計画していることを書きました。

 そして、このイベントは予定通り開催できたのですが、日程を振り返って頂けば思い起こされるとおりこのイベントの3日後に我々はあの 3.11 東日本大震災に見舞われた訳です。ですから、イベントの直後にその様子について報告するような状況に無かったのは言うまでもありません。
 しかし、実はその一方で、一定の時間が経過して震災の混乱も収まった頃になっても、私はこのイベントのことを報告する気になれなかったというのが正直なところです。その理由は単純。当日の演奏が到底満足すべき出来ではなかったからです。

20110308  開催を思いついたのがイベントの1ヶ月余り前。その時点から、ある意味では大いに楽しみながらも、いつもは怠けているパイパーとしてのフィジカル・トレー ニング(つまり、実際にパイプを演奏すること)にそれなりに励んで当日に臨んだのですが、僅か1ヶ月のにわか仕立ての結果は正直なモノで、当日の演奏は惨 憺たるものでした。

 音程安定を重視してチャンター・リードはシンセティックなものを用いたのですが、後で bugpiper さんが撮影してくださった動画でその音色を聴いたら、やはりシンセティックなチャンター・リードの音色はとてもじゃないけど他人にお聴かせするようなもの ではないということが良く分かりました。

 そして、入念に調整したはずのドローンも本番の舞台に至った段階では、主に体力的な問題で空気圧が一定せず、終始「ワオ〜ン、ワオ〜ン」と唸りどおし。とても演奏に集中できるような状況に至りませんでした。

  体力不足にも関わらず背伸びして選んだ曲とその演奏順もマズかった。最初に演奏技量的には高度ではないけれどとにかく長大な "Lament for the Children" を演奏して十分に疲弊した後に、演奏時間は短いとはいえ習得したばかりで人前で演奏するのは初めてという、そして、何よりも格段に高度なテクニックが要求 される "Lament for Patrick Og MacCrimmon" を演奏。いやいや、もう完全にボロボロ状態。

 演奏終了後に舞台上から来場者に向かって宣言したのは「僅か1ヶ月では完全に準備不足でした。なんとも酷い演奏で無念です。次回、必ずリベンジします。」という言葉しかあり得ませんでした。


  その後、リベンジの機会はどのようにして設定すべきか?と、アレコレ思いを巡らせていました。一方、私は 2011年の秋に本来の定年まで2年を残して 2013年3月末で早期退職することを決心しました。そこで思いついたのが、35年間のサラリーマン生活の締めくくりの《卒業式》としてしかるべき会場で 再び夕べを開催し、サラリーマン時代にお世話になった方々とのお別れの場とし、今度こそ満足すべき演奏で締めくくるということです。

ph02 2012年4月、退職まで一年を残したところで幸か不幸か私に異動の辞令が下り、最後の一年間の勤務地が横浜市中区の関内になりました。
  今度の職場の最寄りには馬車道の関内ホールが あります。関内ホールには席数 1,102の大ホールと席数 264の小ホールが備えられ、年間を通じてさまざまな芸能イベントやコンサートが催されいて、横浜市内ではそれなりに名の知れたイベント会場です。しか し、その実この施設は横浜市内各区の公会堂と同様に純粋な公共施設なので利用料は至ってリーズナブル。小ホールの平日夜間利用で最低限のマイクや照明に絞 れば、都筑公会堂でやった時と同様に2万円程度で利用出来るのです。当然の流れとして、私のサラリーマン・ライフ卒業式たる次の夕べは関内ホール・小ホー ルで執り行うことにしました。

 ホールの予約は半年前から可能なので退職日まであと半年を切った 2012年秋、ホームページで空き状況を確認し 2013年3月半ばの夜を確保しました。この夕べが無事に終了すれば、あとは退職日までの半月間を一気に駆け抜けるのみ、という魂胆です。

 今回はあくまでも私のサラリーマン・ライフの卒業式ですから、主に職場の仲間や業務上の知り合いにこのパンフを社内LANや通常のメールで送付、それぞれの受け手にはさらに転送や口コミによる情報拡散をお願いしました。(↓はパンフ裏面) 

2013013_2 このパンフレットを作成して広報を開始した時点では、パンフで謳っている通り《一人語り&独奏=Talk&Live》とするつもりでした。
 …かと言って、仕事に関することや退職後のことについて話すつもりは当初から毛頭無く、話したい内容は趣味の音楽のことだけです。
 この35年間、私がハイランド・パイプの演奏を趣味としていることをチラ見せする度に「ハイランド・パイプってどんな楽器なんですか?」「いつからやっ ているんですか?」「やり始めたきっかけは?」「どこで練習するの?」「スカートは履かないんですか?」「そもそもどうしてハイランド・パイプなんです か?」ってな様々な質問が投げかけられてきました。
 そして、その度「それを話しだすと時間がかかるんだけどな〜」と、いつも適当にお茶を濁して来たましたが、それって結構フラストレーションが貯まるもの です。…かと言って、それらの答えは殆ど全てこのサイトに書いてあるので「サイトを隅から隅まで読めば分かりますよ。」と言うのは余りにも失礼ですし、こ の際それらの内容を全て一気に話しさせてもらい日頃からのストレスを発散しようという、至って自己中心的な考えです。

 話したい内容を一言で総括すると「私の音楽趣味の変遷と《音環境》という概念に関する想い」ということになる のですが、いざこのテーマに沿ってレジュメを書き始めてみると、なんせ話したいことが山ほどあるので、箇条書きにしたにも関わらずあっという間に数ペー ジ・2,500文字を優に超える膨大な量になってしまいました。2曲のピーブロック演奏時間(12分+18分=30分)との配分を考えると、どうしても怒 涛のマシンガン・トークにならざるを得ません。これでは自分自身は満足したとしても来場者の皆さんはさぞかし辟易するでしょうし、さらに、自分自身だって 話し疲れてしまえばそもそもの演奏にも差し障えかねません。それでは元も子も無い。

TitforTat そのような思案をしていた1月末頃、かねてからの音楽仲間であるメロディオン米山さんがイタリア在住のアコーディオン仲間であるナオコさんとのユニットで急遽ゲスト出演してくれることになりました。
 そこで、この際トークはほどほどにして、何よりも今回は満足すべき演奏をすることを主眼にすることと思い切りました。
 また、二人がゲスト出演してくれることによって、私の演奏が思いとは裏腹にまたまた惨憺たるものとなった場合でも、二人の演奏によって集まってくれた人 々を満足させられることが保障されたも同然なので、正直なところ私としては「今度こそ絶対失敗できない!」という精神的な重圧感から開放されました。

 そうは言っても、やはりなんとしてでも前回と同じ轍を踏まないために今回は最大限の努力をしました。チャンター・リードはやはり本物のケーンを用 いることとし、本番用に複数のリードを確保するための入念な吹きこみとフィジカルトレーニングを兼ねて、直前の3ヶ月間は出来るだけ頻繁なパイプ演奏を心 掛けました。特に最後の1ヶ月間は仕事から帰宅後のくつろぎタイムにほぼ連日のように演奏していたので、奥さんからは大いにひんしゅくを買って正に一触即 発状態、いつ演奏禁止令が発令されても不思議じゃないような緊迫した日々でした。

 さらに、今回はパイプを演奏するだけ ではなくて文字通りのフィジカルトレーニングも積みました。実は、2012年秋のサラリーマン時代最後の健康診断で、どうやら私も歳相応に若干の高血圧気 味であることが判明。その対策として積極的に身体を動かす目的で 2013年1月からフィットネスクラブに入会し、週2、3回の頻度でスイムに励むようにしました。ちなみにスイムは平泳ぎで 25m×20往復の1,000mが定番メニュー。それも単に肺活量を増やすことを目指すだけではなくて、パイプ演奏に重要な役割を果たしている僧帽筋、大 胸筋、上腕二頭筋といった筋肉を重点的に鍛えるように、出来るだけ腕を広くゆっくりかいて腕中心で泳ぐようにするという、筋力トレーニングにも重点を置く 涙ぐましい努力のスイムです。

 選曲と演奏順も反省。1曲目に長年演奏し続けて完全に身に付いている "Desperate Battle" を、そして、最後に全ての精力を使い果たす気持ちで "Children" を、という構成です。それぞれの曲専用のチャンター・リードと予備のリードも順調に仕上がり万全を期しました。

 そして迎えた当日の演奏は如何に?
 努力の甲斐あってか、最後の最後になんとか満足すべき演奏ができました。「最後の最後」というのは文字通りの意味。

 30分ほどのトークの後の一曲目 "Desperate Battle of the Birds" で は、この曲用に準備していたリードを当日朝に最後に吹き込んだ際に(多分?)クラックが入ったのでしょう、演奏し始めた途端にリードの異常に気が付きまし たが時既に遅しです。だましだまし演奏しましたが、案の定演奏に集中できずまたしても「トホホ…」の出来でした。やはりこれも実力の内か?

pipermori 米山永一さんとナオコさんの新ユニット "Tit for Tat" の演奏を挟んだ2本の短いトークの後、入念に調整したとっておきのリードに交換し、ラストの "Lament for the Children" に臨みます。

 実はこの日はある同僚の息子さん(私の息子と同い年でした)が、社会人になられたばかりの 2010年4月に事故で急逝されてから2年11ヶ月目の月命日でした。私は自分の卒業式としてこの日を設定した当初から、その場でこの前途有望だった青年 と残されたご遺族のためにこの曲を全身全霊を込めて演奏しようと心に決めていました。そして、当日は会場にその同僚も来られていることが分かっていたの で、なんとしてでも入魂の演奏を成功させようという強い思いがありました。

 人前で演奏する度に気を使うのが、演奏が始まるのを待っている聴衆を飽きさせない程度のチューニングタイムです。マス ター・パイパーたちがコンペティションでするようにせめて10分程度の時間を掛けさえすればチャンターとドローンが完璧にマッチするのは分かっているので すが、それをやったら聴衆はすっかり呆れ果ててしまうことは言うまでもありません。この時も、最低限のチューニングを済ませとりあえずドローンが合ったか な?というところで曲に入りました。

 案の定、演奏を初めてから程なく徐々にチャンターとドローンの音程がずれ始め、ドローンが僅かに唸りはじめました。こ うなると途端に演奏に集中出来なくなります。仕方無しに私は奥の手の演奏中チューニング(曲中のトップハンドの音の間に素早く右手でドローンを合わせる) でドローンを合わせようと試みました。実は、2011年3月8日の夕べの際も同様の試みをしてなんとかドローンを合わせようとしたのですが、この時はそも そも体力切れでバッグの空気圧を安定させることが出来なかったので、どうあがいてもドローンはマッチしませんでした。

 しかし、今回は私の強い思いが通じたのでしょうか、あるいは地道なフィジカルトレーニングの成果でしょうか、 Var.1の中程でドローンが完璧にマッチ。それからの10分余りはドローンを自在に合わせることが出来る自宅での練習の際と同様に完璧な演奏が出来まし た。正直なところ、ピーブロックを演奏するようになって以来、大勢の人前での演奏としては初めて(少なくとも曲の後半は)完璧な演奏ができたと言えるかも しれません。

pipermori2 実は、この夕べにはなんと総勢100人を超す方々が集まって下さったのですが、前回(2011/3/8)の時に参集者のお顔を全て覚えきれなかった反省から、今回の来場者の皆さんには最後に小さなメッセージ・カードを出して頂きました。
 今回の私の演奏が上手く出来た、というのが単に自己満足ではない証拠に、これらのカードのコメントやホール出口でのお見送りの際の皆さんから頂いた感想の言葉として、「感動した」「涙が止まらなかった」「ラストの演奏が良かった」という言葉とともに「眠くなった」と言われる方が複数居られたことです。

 通常、音楽を聴いて「眠くなった」というのは「退屈した」と同義語ととられがちですが、ことピーブロックの場合は別です。このよう なコメントを述べられた方に共通しているのは、ちょっと申し訳なさそうな顔をしながらも同時に不思議そうに「聴き入っている内に何故か気持ちよくなって眠くなって しまった…」という言い方をされます。

 この夕べのトークの中で私は、私自身がここ 20年来こだわってきた「《聴こえない音》の心地良い音環境」について語りました。楽器の生の音色や自然環境豊かな《音環境》には聴こえない音が満ち溢れている。そして、そのような《聴こえない音》こそが脳内α波の発生を活性化させ人の気持ちを安らかにさせる、ということを紹介したのです。

 この夕べでの私の演奏を聴いて眠くなった方々は、直前にそのような話を聴いていたからこそ、《聴こえない音》に満ち溢 れた(上手に演奏された場合の)ハイランド・パイプの音色に身を委ねた自分が心地良く眠くなった理由が漠然と理解されていたのではないでしょうか。

 ですか ら、普通だったら演奏者に対して失礼に当たると思われる「(あなたの演奏を聴いて)眠くなった」という感想を素直に伝えて頂けたのだと思います。私もそのような感想を述べられた方々にはすかさず「それは最高の褒め言葉です」とお返ししました。それを聞くと皆さんはホッとした顔をされ、こ の夕べでの自分の心と身体の反応について納得されたようでした。

 頂戴したメッセージ・カードのコメントにはこの他にも、もっと直接的に書かれている方もいました。曰く「以前から音楽は聴くものではなくて感じるものだと、生演奏が良いのは体に響く感じが心地良いからだと思っていたので、聴こえない音を聴いているのだというお話をきいてやっぱりそうだよなと思いました」と書かれた方。
 また、抽象的だけど大変嬉しい「聴く人がいろんな想いを巡らせる事ができる素晴らしい音楽」「心に響き色々な思い出が浮かびなつかしい思いがした」といった感想も。
 更には「なんだか、初めてガムランを聴いた時みたいな気分になりました」「雅楽を聴いているようなおおらかさを感じた」「モンゴルの口琴や日本の声明にも通じるところを感じる」いったメッセージも…。私が常々感じている「マージナル文化の共通性」を敏感に感じ取られた方々が居たのは、正に我が意を得たりというところです。

Mori&Yoneyama 多くの方はピーブロックはおろか、ハイランド・パイプという楽器を見るのみ聴くのも初めてという人ばかりだったので、かえって先入観の無い素直な感想が聞けたような気がします。

 見るのも聴くのも初めてなのはハイランド・パイプだけでなく、メロディオンやコンサーティーナといったボタン式アコー ディオンも同様だったようで、皆さん米山さんとナオコさんの演奏には一様に感じ入っていられました。さらにこの場合は、楽器自体の珍しさだけでなく、お二 人の奏でる音楽が、紛れもなく現在日本で聴くことの出来る最高峰のものであることも、一段と印象を深めた要因であったのは間違いありません。
 ピーブロックとは対照的にストレートに楽しいその楽曲と共に、何よりもつい最近入籍されたばかりというお二人の絶妙に息の合った演奏は、この日会場に居 合わせた全員の心を虜にしたようでした。カードのコメントにはお二人の演奏を絶賛したコメントに満ち溢れていました。米山さん、ナオコさんありがとう!

 素晴らしい卒業式が出来たこと、ナニヨリでした。

⇒ 2015年3月12日の音のある暮らし「ハイレゾ…???」
⇒ 2017年12月10日の音のある暮らし「超高周波音は皮膚で聴く?」

2013/5/ 1
(火)

人工的《音環境》
KooNe
(クーネ)

LsQua 4月の日記で書いた、私が今年1月に入会したフィットネスクラブというのは、東京ドームシティ・ラクーア(LaQua)の中にあるフィットネスクラブ東京ドームです。自宅から至近という訳ではありませんが、夫婦で始めた新しい仕事の関係で週1、2回は通う現場の近くに位置していることで選びました。

 このフィットネスクラブの良いところは、会員(の種類によって)はメイン施設であるスパ・ラクーア(Spa LaQua)の施設も使えること。ちなみにこのスパ施設は地下1,700mから汲み上げている天然温泉が売り。複数の内湯と露天風呂やサウナ室を備えたスパゾーンに加えて、別フロアにはヒーリング・バーデと 呼ばれる岩盤浴(低温サウナ)専用の施設が併設されています。フィットネスジムとプールは8階、露天風呂も含めてスパゾーンは6階、ヒーリングバーデは 8、9階にという具合にこれらの施設はラクーアビルの最上層階、目前に巨大なパオのような形をした白いドーム屋根を見下ろす絶好のロケーションに位置して います。(フロアマップ参照)

m_bath  スパゾーンは当然ながら男女別ですが、スポーツ・ウェアや水着を着用するフィットネスクラブ内だけでなく、レストランや様々な女性向けエステティックサロ ンがある5階のリラクセーションフロア、ヒーリング・バーデ内は専用の室内着が用意されていて男女が一緒に過ごすことが可能です。

 私たち夫婦が加入したフィットネスクラブのゴールド会員は、ジム・スタジオ・プールに加えこれらのスパ・ラクーアの施設全てが年中終日使い放題。 ですから、一仕事終えた後、フィットネのプールで「私はスイム&奥さんは水中ウォーキング」というメニューを消化した後、しばしヒーリングバーデで過ごし 最後は温泉で仕上げるというのが定番コースになっています。そして、時間帯によってはこれらの一連の行程の間にレストランで食事を摂ることもしばしば有り ます。

 ただ、プールでのメニューが夫婦でちょっと異なるように、ヒーリングバーデでの過ごし方も若干異なります。最 近ちょっと高めの私の最低血圧値がほぼそのまま自分の最高血圧値という超低血圧かつ極端な冷え性である奥さんは当然ながらあちこちの岩盤浴に籠りますが、 基本的に暑がりでサウナはどちらかというと苦手、入浴の際も真冬でも天空のそよ風に吹かれながらの露天風呂オンリー派の私は殆ど岩盤浴はしません。
 ではどこで一体何をしているのか?というと、東京ドームシティのアミューズメント施設を眼下に見下ろすバーデ内の休憩スペースにあるデッキチェアでひた すら昼寝に勤しむのです。バーデ内の室温は真冬でも常に 28度ほどあるので正に常夏。室内着一枚で籐製のデッキチェアに寝転がっていても暑さ寒さとは一年中無縁の世界。iPod に詰め込んだピーブロック音源を聴きながらの昼寝が一番のリラクセーションタイムです。

Healing

 さて、2013年4月半ば、このスパ・ラクーアはオープン10周年を機に一部リニューアル工事が実施されました。このリニューアルの目玉でかつ一般的に受けるのは5階リラクセーションスペースのソファのグレードアップやカウチソファの導入、ITの進化(タブレット端末導入)などになると思われますが、何よりも私がビビッと反応したのは「ヒーリングバーデへの空間音響デザインソリューション『KooNe(クーネ)』を導入!」という見出しでした。曰く…

 「大自然の音環境を再現!より高次元なリラックス・リフレッシュ空間に。脳を活性化すると言われる自然界の音に含まれる高周波成分をハイレゾリューション音源により実現。豊かな自然音(森の音・波の音)を“音のサプリメント”として体感いただけます。」

 ナニナニ?これって《聴こえない音》に満ちた音環境の事じゃないの?

 早速、ネットで KooNe を検索してみると、正にそのとおり。
brainimage CDの登場によって《聴こえない音》が一般のオーディオシステムから切り捨てられ、大橋力さんがこの概念の重要性を主張し始めてから20余年、遅ればせながらも世の中がやっと《聴こえない音》の重大さに気がつき始めたようです。
 KooNe とはビクターエンタテインメントが提案する聴こえない音によるリラクセーション空間を創造するハードとソフトをセットにしたシステムのブランド名でした。

 プレスリリース資料によると、ビクターエンタテインメントがこのシステムを発表したのは、2012年12月のことですが、その事を取り上げた 2013年1月の日経トレンディネットの記事に は既に複数のオフィスや店舗などで導入されていると書かれています。導入事例としてインパクトの有りそうな幾つかの施設について、発表時に間に合うように 事前に実績を作っておいたのでしょう。スパ・ラクーアもシステム発表からこれほど日が浅い時点でのシステム導入については、改修のタイミングと合わせてビ クターエンタテインメントから早々に売り込みを受けたであろうことは想像に難くありません。

 昔からの暮らしを振り返ってみれば、元来日本人は《聴こえない音》を含めた音環境や風情を楽しむことに掛けては卓越した能力を持つ民族だったはずなのですが、急速に近代化が進む中でそのような感性が鈍くなっていたのではないでしょうか。そこへ、海外から《サウンドスケープ》といった概念が入ってきて以来、どこでどう取り違えたのか「不快な《聴こえる音》を打ち消すために、心地良さげと思われる別の《聴こえる音》を上塗りする」といったようなことばかりしてきたように思えます。その挙句、街にはあらゆる《聴こえる音》の不協和音が満ち溢れるようになった。そのような混沌の時代を経て、遅ればせながらでも世の中がこのような勘違いに気がつき始めたことは大変好ましいことだと思います。

 もちろん、私は本物の自然の中の《聴こえない音》が満ち溢れた音環境の中に身を置くことの方を好むのは言うまでもありません。しかし、少なくとも 心地良さげと勘違いしているけどその実ちっとも心地良くない《聴こえる音》を押し付けられるよりは、人工的な環境と言えども《聴こえない音》に満ち溢れた 本当に心地良い音環境に身を置くことが出来るのであれば、それはそれで大変嬉しい限りです。

 当然ながら、以前とは ヒーリングバーデでの過ごし方が変わりました。KooNe 導入以前はデッキチェアに位置取りするなりいち早くイヤフォンをして iPod でピーブロックの世界(当然ながら《聴こえない音》はカットされている)に没入していたのですが、今は周りで余程うるさい会話がされていない限り、イヤ フォンはせずに KooNe システムから流れてくる鳥のさえずりや葉の擦れる音、川のせせらぎの音に身を委ねる様になりました。気のせいか、これまでよりも周囲のデッキチェアでもお しゃべりをする人が減って、安らかなスリープ状態に入っている人が増えたような気がします。


 最後に、過日《音環境》について考えさせられるもう一つの印象的な出来事がありました。
 2011年1月1日の日記
で その前年の暮れに亡くなった義父の葬儀に於ける音世界のことを書きましたが、昨年臨席したある方のお葬式でも義父の時と同様に二人のお坊さんがハモリなが らの読経があげられました。ところが、その時の音世界は義父の葬儀の際の音世界とは全く別モノでした。読経を聴いている内に妙にイライラして来て「この読 経、早く終わってくれないかな〜」と思わせられたのでした。
 何故そのような違いが生じたのか?…と思いを巡らせてみたのですが、どうやらその葬儀が義父の葬儀を執り行なったような適度な残響がある木造のお堂では なく、残響が殆ど無い最近流行りの鉄筋コンクリート造りのしゃれたセレモニーホールで執り行なわれたからではないかな?と思い当たりました。
 《聴こえない音》を切り捨ててしまうのは、生音を録音&再生する際ばかりでなく、生音をそのまま聴く場合でも空間の規模や残響の大小など、その場の《音環境》が大きく作用するのではないでしょうか。

⇒関連連記事「《音環境》は心の有り様?」

2013/8/1
(木)

日本音楽のキモは《間》です

G187cover 富士ゼロックスの企業広報誌「グラフィケーション」についてはおよそ 20年前に書いた CANNTAIREACHD No.12 の中で、私が《音環境》という概念に目覚めるきっかけとなった記事が掲載されていた冊子ということで紹介しました。今になって振り返ってみても、その No.62/1992年8月号に掲載された大橋力さんの対談記事「音環境の研究を通して文化を問う」は私にとっては正に《天啓の書》と言っても過言ではないものです。

 富士ゼロックスではこの「グラフィケーション」を 1967年から(現在は隔月刊で奇数月に)発行しています。つまり、この冊子は足掛け半世紀近くの歴史を持つ由緒ある定期刊行物なのです。
 単に息の長い企業広報誌ということなら他にも有るのかもしれませんが、そもそもこの「グラフィケーション」はおよそ企業広報誌らしからぬ企業広報誌だと いえます。一応、発行目的は「企業文化の発信」となっているのですが、フルカラー48ページの誌面のどこにも富士ゼッロックスの企業活動や製品に関する情 報が提供されている訳ではないのです。そうかといって CSR活動について自慢げに紹介しているのかというと、そうでもない。

 では、一体どんな内容の冊子なのか? 富士ゼロックスのサイトには「グラフィケーション」のコンセプトについて以下の様に書かれています。

 私ども富士ゼロックスでは、1967年以来、コミュニケーション文化を基調とした社会のあり方を考えるため、企業広報誌『グラフィケーション』を発行し て参りました。本誌はその名に冠するとおり、グラフィックページの充実に特に留意しつつ、なお混迷の続く社会の中でわずかでも光明を感じとり新しい秩序へ の手がかりを得るべく、科学、文化、自然の3つを機軸とし、これらの多元的なあり方をテーマに毎号取り組んでいます。

  富士ゼロックスの原点とも言える“Better Communication”にコンセプトを求めており、特に近年は、人と環境、人と地域など、人を中心に周囲との関係性に視点を置いて、私たちの身近な 社会生活の考察を行なっています。企業や市民として何を考え、どのような行動が求められているのか、複雑な現代社会を読み解くヒントを探ってまいります。

 正に「シンクタンク『富士ゼロックス社会科学研究所』調査隔月報」といったようなサブタイトルこそがお似合いのコンセプト。

  このコンセプトに基づき年間テーマが設けられていて、ちなみに 2013年の年間テーマは「価値を再発見する」、2012年は「循環の思想を求めて」、2011年は「未来につながる生き方を考える」、2010年は 「“つながり”を求めて」、2009年は「新しい関係の哲学を求めて」、2008年は「知と教養の再生に向けて」といった具合。
 そしてさらに、この年間テーマをベースにして時代の流れを冷静に読みつつ適時に的確に各号毎の特集テーマが組まれ、テーマに添ったその道の達人たちの研 究成果や意見が展開されます。それも、単に時の人を引っ張り出して来てお茶を濁す訳ではなく、一般的なメディアにはなかなか登場しないようなマイナーな人 でも、そのテーマに関する真の専門性と揺るぎない視点を持った最適任者を見抜いて登場させる選択眼はピカイチ。

  登場者から引き出された情報は、対談やインタビューという手法で誌上に展開されるのが「グラフィケーション」のお得意とするところ。なによりも感心させら れるのは、その対談やインタビューのまとめ方が極めて巧みなため、どんなに高度に専門的な内容でも常に読み手の頭の中にスッと入って来るのです。
 「グラフィック・コミュニケーション」に基づく合成語「グラフィケーション(Graphication)」 を標榜してはいますが、かといってよくあるようなやたらにビジュアルを強調した凝りすぎた誌面デザインに陥ることなく、あくまでも「文字の読み易さ」をと ことん追求した目に優しくシンプルなレイアウトと相まって、それは正に「グラフィケーション・マジック」とでも言えるもの。
 このように揺るぎない真柱が一本通った編集方針をかくも長年に渡って維持し続けている「グラフィケーション」には、定期刊行物の本来あるべき姿、編集の王道・神髄を見る思いがします。


  実は、私は今を去る事 20数年前、「グラフィケーション」の編集製作を一貫して請け負ってきた "LE MARS (ル・マルス)" という編集プロダクションに所属するエディターの方から、当時の私の業務に関してある本に収める記事のための取材を受けた経験があります。
 その時、出来上がった原稿に目を通して、自分が伝えたい事が一つの誤解も曲解も無くかつ過不足無く取り上げられていること、しかも、その表現が極めて巧 みなため、自分で同じことを書くよりも百倍も分かり易く表現されていることに、心底感じ入りました。「あ〜、このような技を持つ人が本当のエディターと言 うのだ」と…。それまで、新聞や雑誌などの記者に取材を受ける度に、自分の伝えたいことの半分も記事にならないという事をいやという程経験してきた挙げ句 だったので、《本物》のエディターとの出会いは正に衝撃的でした。

  それ以来、その方が毎号編集に携わっている「グラフィケーション」を購読し続けて足掛け四半世紀の間、折々に大変示唆に富んだ情報や考え方を提示し続けて くれる貴重な存在です。私と同様にその登場者の言わんとすることが 100%伝えられていることを信じているからこそ、登場者の話しがどれも重く響きます。大袈裟ではなく、社会人になってからの私の後半生はこの広報誌からの情報に依って来た、と言っても過言ではありません。


G187title

 さて、先日届いた最新号 No.187/2013年7月号もまたそんな風に、またまた大いに興奮させられる内容満載の号でした。
 特集のテーマは「古代に寄せる」
 曰く「伊勢神宮と出雲大社が揃っての遷宮、歴女(れきじょ)なる造語を生んだ一大ブーム、大型古墳の発見や発掘が進んだことで邪馬台国論争がますます熱 を帯びたりと、歴史の裾野は拡大の一途です。諸科学の進化は劇的で、従来の想像を覆すような事実を科学の裏付けを持って迫ってきています。何がこれほどま でに人を引き付け魅了するのか、古代史の周辺を考えてみました。」とのこと。
 「グラフィケーション」の編集でいつももう一つ感心させられるのは、その号の特集記事のみならず、レギュラー執筆者による連載モノについても可能な限り 特集テーマに沿った内容になっていること。今回もそれは同様で、ページの隅々まで「古代に寄り沿って」います。
 そうそう、書き落としていましたが「グラフィケーション」では、個性的な執筆者によるそれぞれの連載モノも中身が大変に濃く、どれも読み終わると次回が楽しみになるのが常です。連載完了後に単行本になった例も多々あるのです。

G187contents_s 右の目次ページにあるとおり、この号のメインの記事の一つには、あの「ケルト/装飾的思考」の鶴岡真弓さんが「縄文」と「ケルト」美術との繋がりについて書かれた文章があります。
 2009年秋、大英博物館では縄文土器の展覧会 "DOGUの力(パワー)" 展が開催されたそうで、その際に鶴岡さんは「ケルト〜中央アジア〜中国〜日本列島を結ぶ渦巻文様」というテーマで講演されたとのこと。渦巻模様を巡る汎ヨーロッパ的な繋がり、ケルトと縄文文化の関係性について「そうかそうか…」と頷かされることばかりでした。
 常々、考えているのですが、いつの日か鶴岡さんにぜひともピーブロックをお聴かせしたいと思っています。縄文やケルトの渦巻き模様のもつ輪廻、循環性とピーブロックという音楽の共通点について、鶴岡さんならすぐさま気付いてくれると確信しているので…。


 さて、そんな今回の号の中でも私が最も興味深かったのはやはり音楽に関するもの、P20 パーカッショニスト土取利行さん(⇒Wikipedia⇒公式サイト)へのインタビュー記事でした。
 私と4歳しか違わないのでほぼ同世代と言ってもいいような土取利行さんですが、なんせあちらは天才パーカッショニスト、ロック少年だった私がブリティッ シュ・トラッドの世界にやっと足を踏み入れた頃には、既にフリージャズや前衛音楽の第一線で活躍し世にその名が知られる存在でした。正に雲の上的存在。
 公式サイトのプロフィール欄に あるとおり、その後も 80年代初頭の銅鐸の演奏や、90年に縄文土器の太鼓を復元&演奏など、民俗音楽に関心を持つ者の世界では、折に触れ土取さんのお名前を目にする 機会は多々ありました。でも、私自身はその活動について特に深く調べたり音を聴いたりすることは無いままでした。その訳は…。
 その当時の土取さんの「長髪&口ひげにローブ風の着衣」という風貌は、シンセサイザー奏者の喜太郎さんやオカリナ奏者の宗次郎さ んとまるで見分けがつかない様な正にインド帰りのヒッピー然としたもの。テレビなどでちらっと目にする演奏風景もいかにも神がかっていて、どことなく怪し げな感じがしたのです。つまり、その音楽を真面目に聴いてどうのこうのというよりも、その風貌が余りにもその手の音楽を求める人のステレオタイプ過ぎるこ とから、元来のへそ曲がりな私は深入りする気がしなかった、というのが本音のところ。

G187interviewcover

 ところが、今回のインタビュー記事に写っている土取さんの顔写真はなんと温和な好々爺然としたものなのでしょう。まず この写真でこれまでの土取さんに対する先入観が一掃されました。そして、3ページに渡るこのインタビュー記事を読んで「あれれ、やっぱりこの方の活動はき ちんと追いかけておかなくてはならなかったんだな〜」って大いに反省した次第。

 中でも特に印象的だったのが次の下り。

G187interviewtext

 お気づきかもしれませんが、ここで主張されている内容は私がパイプのかおり第3話で紹介している故小泉文夫さんの言葉そ のものです。それも道理でなんとインタビューのその後の下りには、文字通りその小泉文夫さんに言及している部分も出てきました。まずはジャズドラマーとし て国際的にも有名になった人が最終的にはこのような境地に至るというのは、何を於いても日本人の DNA の成せる結果なのでしょう。大変印象的でした

 現代は本当に便利な時代。私は早速 YouTube の検索窓に「土取利行」と打ち込んで動画を検索。土取さんのこれまでの演奏活動やインタビューを徹底的におさらいし、ようやく長年のブランクを挽回しました。
G187doki 土取さんの活動を駆け足でなぞった中でも特に私が興味を覚えたのは、インタビューの中でも触れられていた最近の土取さんが強く意識されている《音響考古学》という概念。
 壁画で有名なラスコーのようなヨーロッパの先史時代の洞窟の中では《聴こえない音》(※)が聴こえてくる場所があってそのような場所には必ず壁画が描かれているそうな。
 そして、土取さんにとっては、それは何もヨーロッパの洞窟に限られた事ではなくて、我が日本の縄文遺跡にもそのような音と深く関係する場所が少なからず存在し、そこでは地霊音霊と言えるようなものが感じられるそうです。土取さんが洞窟で鍾乳石を演奏している様子が NHKテレビで放映された際の動画もありました。また、2008年には『壁画洞窟の音』という著作も書き下ろされているとのこと。1999年に書き下ろされた『縄文の音』とともに必読の書だなと思いました。

※この場合の《聴こえない音》というのは、いわゆる「可聴域を超えた高周波音」とはちょっと違って、もっとずっとスピリチャルな概念のことだと思われます。


 今回の記事、そして、土取さんが日本の音楽のルーツに回帰する一連の流れを改めて追いかけてみて、日本人としての私が《リズム》ではなく《間》の音楽であるピーブロックという音楽形式を愛好するのは至って自然な成り行きであることが、またもや強く納得できた次第。

 …と同時に「西洋音楽の中では極めて異端なこの音楽形式が ― しかも《リズム》命であるマーチやダンス曲を奏でる同じ楽器から ― どのような顛末で生まれ得たのか?」という純粋な疑問が益々強まりました。もしかしたらマクリモンルーツはそもそもスコットランド人どころか西洋人ですら無かったのかもしれませんね。

⇒関連記事「ピーブロック、表現の要は《間》の取り方」


【以下の記載内容については 2015年に一部アップデート】

 ご紹介した富士ゼロックスの企業広報誌「グラフィケーション」は、実はどなたでも購読可能です。しかも、さすがの大企業がメセナ的意識で発刊しているだけあって、購読料は一切掛からずに、申し込み手続きするだけで指定場所に送付してくれました。

G1cover 「…してくれました。」と過去形なのは、実は「グラフィケーション」は 2015年9月発行の200号を最後にデジタル版に移行。現在は、さらにアクセス容易になっています。

 まだ、購読されて無い方は是非ともこの機会に、富士ゼロックスのサイト「企業広報誌 GRAPHICATION 電子版」のページで案内に従って下さい。

 その際ついでに、コンセプト年間テーマ最新号の様子バックナンバーなどに目を通せば、この類い稀な「文化人類学雑誌・グラフィケーション」の全体像が見えて来るでしょう。

2013/10/31
(木)

Piobaireach Society Sound Library

 ピーブロック・ソサエティーのサイトがリニューアルされたことは、今年の1月に 報告しました。そこで「チューン・インデックスとサウンド・ライブラリーが合体したようで、それぞれの曲タイトルの横にある Listen マークをクリックすると多くの曲で以前のサウンド・ライブラリーにあった演奏音源などその曲の演奏音源が聴けるシステムになっているようだ」と書きました が、その後なんかかんか忙しくて実際の使い勝手のチェックにまで至らないまま日々を過ごしていました。
 さらに言えば、そもそも No.186とNo.187の二つの音源が追加された 2009年9月1日を最後に、ほぼ4年間はサウンド・ライブラリーの全体像の把握すら出来ていなかったのが実状です。

 そんなところに、一週間程前チェアマン Jack Taylor からの会員あてメールで「新たにいくつかの音源が追加された」旨のお知らせがありました。

  これは「いつまでも怠けていてはイケナイ」という指示と捉えて反省。この2、3日で現在アップされている音源を丹念にチェックしたところ、今回新たに追加 されたという音源以外にもこの4年間にはそれなりの数の音源がアップされていました。余りにも音質が悪すぎるモノや既出の音源とダブっているモノ、さらに 今回追加された James Campbell によるグース(つまりプラクティス・チャンター音色)による演奏音源を除いて新たに発掘したの音源は 32テイク。従来までのものと合わせておよそ 220程の音源がテンコ盛りになっていました。

 2009年の怒濤のアップロードからすると、4年間で 32テイクというのは少ないように感じられるかもしれませんが、このサウンド・ライブラリーにアップされるような音源は、かの Robert Reid の音源など、そんじょそこらの並の現役パイパーの演奏音源という訳ではなく(中にはそのような新しい音源もありますが)どれもが由緒ある出所の極めて貴重なモノばかり。特に年代の古い音源になればなるほどチャンターの音程が低く和みます。

 例えば、当時19才の John D. Burgess が 1953年の Bratach Gorm で優勝した際の "I Got a Kiss of King's Hand" などは、酷い音質の上に片チャンネルしか音が入っていないという代物ですが、一旦耳を傾けてみればそんなことすっかり忘れて聴き惚れるのみ…。終了後の万来の拍手が全てを物語ります。(ただ、最後の Crunluath-a-mach が少々暴走気味ではありますが…。)
 その意味では、この曲の新しい音源としてアップされていた、2012年、2013年とここ2年の Glenfiddich を連続制覇して今最も脂の乗り切っている現役パイパー、Iain Speirs による15分以上に渡る悠々たる演奏もまた秀逸。この曲の演奏音源の中では最も好ましいものです。

 Patrick Molard が 2012年のピーブロック・ソサエティー・カンファレンスでの講演の中で演奏した、Campbell Canntaireachd にしか収録されていない(つまりこれまで音符としては一切表記されていない)いくつかの曲なども大変貴重。

 まだ若いと思うのですがアメリカ出身ながらスカイ島に拠点を移し古(いにしえ)の演奏スタイルの研究に取り組む(先日の Pipeline でも紹介されていた)Decker Forrest の MacArther-MacGregor や Donald MacDonald setting のいくつかの演奏も聴き逃す事は出来ません。

 サウンド・ライブラリー音源の最大の提供者たる前チェアマン Andrew Wright 御大が新たに提供していたのは "The Old Woman's Lullaby" ですが、クレジットに(altenative setting) と名打っているだけあってこれはなんと 1982年2月号の "Piping Times" で紹介されていた Campbell バージョンそのものです。いや〜、これだけでも聴き逃せません。

 そんな中で、個人的に最も大きな掘り出しモノは、William MacDonald, Inverness による "Lament for Patrick Og MacCrimmon" の演奏音源です。
 手元にはこの曲の演奏音源が 17テイクありますがその演奏時間はおしなべて 11〜12分といった所。私の最もお気に入りの Murray Henderson の2つの演奏音源も 11:30 と 12:04 です。 20テイクある "Lament for the Children" の場合は演奏者によって15分〜19分とかなりバラつきがありますし、 "Ronald MacDonald of Morar's Lament" の場合は他のパイパーの演奏と完璧に一線を画する John D. Burgess の悠々たる演奏が印象的だったりしますが、Patrick Og の場合はほぼ一律の演奏時間が共通点でした。

 ところが、このWilliam MacDonald, Invernessの場合は他の演奏例とは全く違ってUrlar の最初の一小節目から明白にゆったりと始まります。「…えっ、こんなの有りなんだ」と思いながら聴き惚れていると、終始そのままにゆ〜っくりゆるりと演奏。なんと最終的に 14:35も掛けて正に「朗々と歌い上げ」ます。

 John D. Burgess Morar's Lament の演奏についても様々な意見があるように「ピーブロックはただただゆっくり演奏すれば良いという訳ではない。」と言う意見にも一理あります。しかし、個人 的には聴き応えがある限りゆ〜っくりと長ければ長い程味わい深い、と思っているのも正直なところ。ゆ〜っくり演奏するというのは、個々の装飾音の演奏ス ピードが緩慢になる訳ではなくて、メロディーを表現する上で絶妙な「間」を取り「こぶしを効かせる」ということですから、何よりも高度な技量に裏打ちされた優れた芸術的感性を必要とします。あの一見単純に聴こえる "The Old Woman's Lullaby" の表現が難しいのがその最たるところ。

 William MacDonald, Inverness のこの演奏は正にそんな私の琴線に触れる演奏です。
 今後、私が Patrick Og を演奏する際、細部の表現はさておいて少なくともテンポに関して言えば、Murray Henderson バージョンに替わって新たなメートル原器になりそうな予感がしました。

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