パイパー森の音
のある暮らし《2015年》
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ハイレゾ…??? |
2013
年5月の音のある暮らしで、ハイレゾ音源を使った空間音響環境
Koone(クーネ)の事について書きました。ハイレゾという概念が言われ始めて間もなかった頃の事。 私はこの状況に妙な違和感を覚えます。 メイカーだけでなく専門誌やマスコミまでもが《ハイレゾ》という全く新しい概念が突然出現したかのように喧伝してい
ますが、そりゃ無いでしょ。 アナログレコードで再現されていた《本物に近い音》が、コンパクトディスクではすっかりスポイルされてしまうということ は、コンパクトディスクが出回り始 めた1980年代初頭に多くの見識ある人々が強く主張していたことです。音楽産業関係者にとっては、CDブームに水を刺 しかねないこの理論は危険思想。音響各社のお抱え学者や多くのマスコミや専門誌はその主張を無視。この理論そのものを潰 しに掛かります。→参考資料(その1) また、《聴こえない音》が人体に及ぼす影響については、大橋力さんたちが《音環境》という概念を通じてこの間長年訴 えてきた理屈。これまでも新聞等で取り上げられていますし、このサイトでも散々引用させていただいています。→参考資料(その2)、参考資料(その3)、参考資料(その4)、参考資料(その5) それを、何を今更…。 そもそも1970年代にソニーとフィリップスでコンパクトディスクの規格を定めるに際して、彼らは人の可聴域を超えた 《音》を意図的にカットしてしまいま した。もちろんその理由の一つとしては、コンパクトディスクの容量が限られていたこと。でも、もう一つの言い訳は「どう せ人の耳には聴こえないのだか ら。」ということでした。 ですから、この期に及んで手のひらを返したように「可聴域超の《音》は耳には聴こえてなくても身体
では感じている大変重要な情報」と臆面もなく喧伝するのであれば、メイカーサイドは「過
去の判断が間違っていたことを真摯に反省してこの程方針転換をすることとしました。」と正直に懺
悔すべき。特に大橋さんには土下座して許しを請うべきでしょう。 ところで、コンパクトディスクのみならずアナログレコードやハイレゾ音源とて《本物の音》では無いことに変わりはあ りません。エジソンの発明以来の全ての音源再生システムに言えることは、それらはあくまでも《再生音》なのであって《本 物の音》ではありません。 カセットテープ再生専用機という新しい概念を打ち出したソニーの初代ウォークマンは音楽の聴き方を劇的に変えました。コ ンパクトディスクの出現も同様。針 交換の煩わしさや盤面のスクラッチノイズを気にすることなく、頭出しだろうと曲の再生順だって自在になったその変化は正 に革命的。そして、時代は下って MP3ファイルに代表されるさらに圧縮されたデジタル音源は音楽鑑賞のスタイルをより一層解放してくれました。 これらはどれも音楽を楽しむ上では大きな《革新》と言える事象です。しかし、これらの革新はどれもが《本物の音》を 求めてなされたものではありません。《再生音》の「新しい聴き方」を生み出すために なされたものです。 《本物の音》はそもそも「自らで楽器を演奏する」か「他人が演奏するその場に居合わせる」事なくして体感できないも の。《再生音》はあくまでも再生音です。 《再生音》を手軽に聴くという 意味から言えば、アナログレコードよりもコンパクトディスクが、そして、コンパクトディスクよりもデジタルデータを iPod や iPhone などで聴く方が優れているのは言うまでもありません。
音楽の聴き方・楽しみ方が根本的に変容し、CDを初めとする記録媒体の販売からは収益が見込めなくなっています。メイ
カー各社がこぞってハイレゾを持て囃 すのは、そういった状況を打破するための一つの方策なのでしょう。 ハイレゾ機器に血道をあげ、挙句の果てになんとも浮世離れした高価なウォークマンをリリース。ジョブスが生きていた
ら、かつて師と仰いだソニーの今の有り様を見てどのようにコメントするか? 推して知るべしです。 |
The Sister's Lament |
最近のパイピング・ライフは相変わらず、The Daughter’s Lament の習得に励んでいます。しかし、この曲はテクニカル的に最高難度モノなので早々簡単に習得完了までには至りません。そうは言っても、やればやるなりに徐々 に一つ一つの装飾音が綺麗に表現できるようになりつつあり、一歩一歩前進していることを実感。日々楽しんでいます。 そして、このように高難度の装飾音盛り沢山の曲に取り組む事の副産物として、この曲で研 鑽を積んだ装飾音が出てくる他の曲もさらに綺麗に演奏できるようになります。Children も Patrick Og も演奏するのがより一層楽しくなります。ある意味 で、Daughter's Lament は「装飾音練習曲」と 言えるかもしれません。 読み物の方は Bridget
MacKenzie さんの “Piping Tradition of the
Isle of Skye” の2回目に取り掛かっています。 曲の背景としては Haddow の本に記載されていた内容と大きく違いはないのですが、幾つかの興味深い内容もあり大いに楽しめました。例えば、Iain Lom の詩が紹介されていて、その詩の中で二人の殺害は「金曜日の朝」に実行されたと謳われていることに従って1663年のカレンダーをめくると「凶行の実行日 は9月25日ではなくて正しくは9月28日だったはずだ。」といった説明など…。 そんなかんなで練習の方も息抜きがてら久しぶりにこの曲に取り組んでみました。 い や〜、実に良い曲です。いつ聴いても心動かされます。 表現力が問われる曲ですが、Daughter’s Lament に比べればテクニカル的には難度は低いし、長さも3分の2のほどのショートチューンでもあること、そして、雰囲気が全く 異なるので気分転換にもなるのでこの際並行して練習することにしました。 さて、真剣に取り組んでみて初めて気がついたのですが、最後の
Var.3の2段目3小節目に唐突に登場する2つの Hi-G に強い違和感を感じました。 そこで、これは「Cannon の楽譜のミスプリなんじゃないか?」と僭越ながら到底有りそうもないミスを疑って、Donald MacDonald のオリジナル楽譜を確認しましたがやはり Hi-G でした。Cannon が間違える訳ないですよね。 仕方が無いので「ここは Donald MacDonald オリジナル楽譜自体のミスだ!」と勝手に決め付けることにしました。私は絶対《非》音感の持ち主なので良く聴き分けるこ とが出来ないのですが、William McCallum 自身もこの箇所は Hi-A で演奏しているような気がします。 ところで、このようなことを見比べる際には、bugpiper さんが書き出して下さった Campbell vs MacDonald の並列比較楽譜が大変重宝 しました。改めてお礼申し上げます。 いや〜、それにしてもピーブロックを巡る世界は楽しさ尽きませんね。 |
2014
年2月26日の日記に「独自ドメインとサーバーの確保」ということを書きました。 しかし、このサーバーは時折りトラブルが発生。何故かこのサーバーからのメールがどうしても届かない相手が居たり
と、肝心のメールの送受信も不安定で使い勝手が良くありません。さらに、サーバーの海外移転や経営統合など、会社自体に
も何やら怪しい気配が漂います。 幸いなことに "maccrimmori.◯◯◯"
なんてドメイン名を考える人は他に居ないので、その気になれば慌てる必要もなく .net でも、.jpでも、.com
でも、何でも確保し放題なのは予てより確認済みです。後は料金とサービスの問題。 さて、会員登録から手順を踏んで無事 maccrimmori.com のドメインを取得。サーバーに反映されるまでに数時間待ちましたが、その後は各種設定〜サイトのアップまでスムーズにこなし、半日足らずでサイト丸ごと新 居に引っ越し完了。 今日は、この9月に満61才を迎えた私の手元にやっと年金証書が届きました。12月15日の初回年金支給日をもって 私もいよいよ年金生活に突入することになります。 2016年を目前にして、あれこれ心機一転といったところ。 そんなかんなで、Highland Pipe Corner のトップページの新しい URL
はシンプルかつストレートに maccrimmori.com
です。今後ともよろしくお願いいたします。 |
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