30年前の“Piping Times”《1982年》

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1982年1月号

January/1982

Vol. 34/No.4

PT8201contents P27 Piper's Choice は、昨年11月号で紹介した、Falkirk Tryst Contest 200周年記念コンペティションに於いて、招待された 13人のパイパーが、それぞれ事前にチョイスして申告した 10曲の内訳を分析したレポート。

 13人が選んだ曲の総数は 68曲。その中で最も多く選ばれたのは、言わずもがなの“Lament for the Children”で、のべ 6人のパイパーが選んだとのこと。
 そして、同じく6人に選ばれて1位に並んだ曲は“Park Piobaireachd No.2”。

 以下、トップ 10は次のとおり。

3位(equal/5人)
The Daughter's Lament
・Lament for the Earl of Antrim
・Lament for Mary MacLeod

6位(equal/4人)
I Got a Kiss of the King's Hand
・The Old Men of the Shells
・Lament for Donald Duaghal MacKay
・Craigellachie

10位(equal/3人)
Lament for the Viscount of Dundee
・Earl of Seaforth's Salute
・Battle of the Pass of the Crieff
・The Unjust Incarceration

 以下、2人に選ばれた曲は次の 16曲。
 The Battle of Auldearn、Beloved Scotland、The King's Taxes、Lachlan MacNeil Campbell of Kintarbert、Lament for Captain MacDougall、In Prise of Morag、Glengarry's March、Donald Gruamach、Black Donald's March、MacCrimmon's Sweetheart、MacLeod of Colbeck's Lament、Lord Lovat's Lament、Lady MacDonald's Lament、Lady MacDonald's Salute、Scarce of Fishing、Too Long in This Condition.

 残りの1人だけが選んだ 39曲の中には、The Vaunting、MacIntosh's Lament、MacLeod's Salute、The Prince's Salute、などが含まれているということです。


 このリストを眺めて「30年前もポピュラーな曲は余り変わらないんだな〜」という印象を持つ一方で、ちょっと不思議な感じがするのは、この中に Lament for Patrick Og MacCrimmon、Lament for the Laird of Anapool、Lament for MacSwan of Roaig といった、近年は取り上げられることが多い曲が出てこないことです。まあ、残りの 30数曲の中には入っているのでしょうけど、やはり、時代とともに人気曲の傾向も若干なりとも変遷しているということなのですね。


 新年号は例によってこれといってめぼしい記事が無いので、P4の David Naill & Co. の広告ページを紹介します。以前に一度、1980年 2月号の広告ページを紹介しましたが、このメイカーの常套手段として、過去一年間の戦歴を誇らしげに謳って宣伝しています。
  それにしても、1981年シーズンもグランドスラムどころか、メジャータイトルをほぼ独占状態。錚々たるものですね。

⇒ 1988年1月号広告ページ

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1982年2月号

February/1982

Vol. 34/No.5

PT8202contents この号はこの年初のピーブロックネタ登場。1981年7月号以来となる、 Roderick Cannon による P22 Tune of the Month "The Old Woman's Lullaby" が取り上げられています。

 この曲は、Angus MacKay John MacKay のマニュスクリプトに載っていますが、我々にとってお馴染みのピーブロック・ソサエティーのバージョン(Soc.book Vol.4・P113/Kilberry No.36)は Sandy Cameron が父親の Donald Cameron による演奏と伝えるものだということです。

 Cannon が、この曲について記している「Taorluath も Crunluath も演奏される事の無いこの曲はコンペティションで演奏されることは極めて稀ではあるが、それにも関わらずよく知られているーおそらく、全てのショート・ チューンの中で最も遍く親しまれている曲であろう。」という言い回しに異議を唱える人は誰も居ないでしょう。

 Cannon はその理由を、この曲が Queen Victoria のパイパーであった William Ross の楽譜集(1896年)に収められていたからだろう、と推測します。
 Ross はこの曲の出典を明らかにしていませんが、多分、彼自身もこの曲を Cameron 一族の演奏から得たものと想像されます。そのことは、Donald Cameron が Seaforth のパイパーであり、葬式に於いてたびたび演奏したと伝えられている中、Ross がコレクションのインデックスでこの曲に "Seaforth's Lament" というもう一つのタイトルを示していることから伺えます。

 さて、Tune of the Month の通例に従って、これ以降、Cannon は曲の構造の細かな解析に入ります。(この曲の伝承ストーリーについては「パイプのかおり第22話」のここを⇒

 通常、この曲はウルラールと2つのバリエイションについて、同じようなパターンで4小節が繰り返される 'even-lined' な曲であるされていますが、もう少し詳しく見ていくとこの曲のウルラールの構造は次のとおりと解析できるということ。

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 つまりは、次のようなパターンだということ。

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 ちなみに、このようなパターンの曲としてこの他に "Lament for the Viscount of Dundee"、 "In Praise of Morag"、"Mclaine of Lochbuie's Lament"(この曲は初耳)といった曲があるそうです。

 さてしかし、このように解析した場合、2nd バリエイションについてはこのパターンに当てはまらなくなります。ところが、Campbell Canntaireachd MS に於いては、バリエイション2のもっとずっと長いバージョンが収録されていて、この場合にはウルラールとより近くシンクロしているということ。Cannon はこの号のセンター見開きページの左右2ページ分を使って、次のような MacKay バージョンと Campbell バージョンを比較した楽譜を載せています。(著作権に配慮して小さな画像でご勘弁を…。)

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 …かと言って、Campbell バージョンが MacKay バージョンより「正しい」かと言い切れる訳ではなく、例えば "Lament for Donald of Laggan" や "Cha Till Mi Tuille" に於いても見られるように、曲の一部が失われるようなことは、ある曲が口承伝承される場合にはごく当たり前に有り得ることだとしています。

 Cannon はこれに続けて「このような変遷がいつの時代で起こったのか?」ということについて、音の並びによるアクセントの変化から推敲を重ねます。ここら辺りにな ると例によって私には書いてある意味が十分に理解出来るわけではなくなり、その内容を上手く紹介することができませんが、どうやら、MacKay のバージョンのようになったのは、およそ1800年頃のことだろうと推察しています。

 現在、ごく一般的に演奏されている Sandy Cameron のバージョンと、ここで紹介されている MacKay Campbell のバージョンを比較すると、微妙に音が違っている箇所が沢山あること(ウルラールの最後の小節が特に顕著です)から推して、この曲は印刷された楽譜を基に 演奏されるのが一般的だったのではなく、あくまでも口承で伝承され続けてきた曲であることが推測される、としています。

 短くも美しく、多くの人に遍く愛されてきた名曲故の姿。正統的 Living Tradition の一つなのですね。

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1982年3月号

March/1982

Vol. 34/No.6

PT8203contents P12 High and Low は Editorial ページの下段に配置された小さな記事。

 曰く「パ イプメイカー Grainger and Campbell はこのほど Lowland Bagpipes の製作に取り組むようになった。一昔前のこのバグパイプに対する関心は最近とみに高まってきており、楽器に対する需要も急速に増加している状況である。先 般、Lowland Pipers Society も設立され、今後、定例的なミーティングが持たれることが見込まれている。」という内容。

 それは、僅か7行のごくごく小さな情報欄でしたし、それだけで引き込まれるようなタイトルではなかったこともあり、私は当時この記事を読んだ記憶はありません。
  しかし、これから暫くして本誌面上に掲載された Grainger and Campbell の広告欄で、このメイカーが Lowland Pipes を手掛け始めたことを知った私が程なくしてこの楽器をオーダーしたこと。そして、悪戦苦闘の末にこの楽器はハズレだったということが明らかになった顛末と、この記事に名前が出てくる(正式名称は) "The Lowland and Border Piper's Society" に関するストーリーは、2004年3月18日付け“パイプのかおり”をご参照下さい。


 前月に引き続き登場のピーブロックネタ、P13 Pattern and Structure in Piobaireachd は、A. G. Kenneth によるピーブロックをテーマとした新シリーズの第一弾。
 …ということなのですが、タイトルどおりの内容について僅か4ページしか無い今回の記事は、その実、シェーマスの BBC 本“PIOBAIREACHD”などで解説されている以上のことが書かれている訳でもなく、特に詳しく紹介するような内容ではありません。


 P25 The Development of Piping since 1945 は、何故かタイトルが微妙に異なっていますが、その実体は紛れもなく先月号 P28 The Development of the Bagpipe の続編。そして、その内容はというと、シェーマス・マックニールが2月にブルターニュで行った「第二次世界大戦後のハイランド・パイプ界の変遷」に関する講演の記録です。
 先月はあえて取り上げるような内容が無かったのですが、今月号の内容にはちょっと興味深い下りがあったので紹介します。

  今回の講演でシェーマスは、スコットランド以外の国々に於けるハイランド・パイプの興隆の状況について紹介しています。まずは、アイルランド、南アフリ カ、オーストラリア、ニュージーランドなどの英連邦の国々の状況に続いて、リビアやサウジアラビアといったちょっと意外な国々の状況を説明。そしてその締 めくくりとして、日本の事についても触れているのです。
 当然ながら、それは主に山根教授の熱意と行動に関する紹介となっていて、具体的には、山根教授やその弟子たちの毎年のカルフォルニア・スクールへの参 加、東京パイプバンドのこと、山根教授が開発したハイランド・パイプ専用チューナーやウォータートラップ付きのプラクティス・チャンターのことなどについ て紹介されています。


 そして、さらに話は若い頃のシェーマス自身がグラスゴー大学の助手の立場でありながらプロフェッショナルなパイパーとして初めて世に出た(コンペティションに出場した)時の様子に至ります。
 シェーマスによると、この当時のコンペのジャッジを務めていた(プロフェッショナル・パイパーでは無くて)弁護士や医者といった立場の人々にとっては、 学者と一流のパイパーであることを両立させたシェーマスの登場は大きな反感を持って迎えられたというのです。
 その理由は、このような人々は自分たちが一流のパイパーに成れない事を「勉学や研究が忙しくてコンペに競技者として参加する(ほどに上達する)ことなど到底出来ないのだ。」と言い訳していたからです。
 シェーマスは、そのような言い訳が単なる言い訳に過ぎないこと、熱意さえあれば誰もが(学者・弁護士・医師といったインテリ職と一流のパイパーという)両方の立場に立つことが出来るということを実例をもって証明してみせた最初の存在だった、と振り返っています。


PT8202ad シェーマスのこのレポートに合わせた訳ではないでしょうが、たまたまこの号の P5 にはこんな珍しい人材募集広告が掲載されていました。オマーンの王立近衛師団のパイプ教師の求人です。
 募集対象は「元英国軍人でパイパー達をトップグレードに仕立てることが出来る人材」。契約条件としては「2年間の内に直ちに効果が上げられること (immediate effect for a period of two years)、 同伴者無し、6ヶ月ごとに30日間の休暇、制服貸与、給与と階級は経験と資格に依る」ということです。
 それにしても、いかにも西洋的というか中東的というか、至って直接的な書き方ですね〜。2年間で直ちに効果が上げられなかった場合には、どうなっちゃうんでしょう? 鞭打ちの刑にでもされるのでしょうか?

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1982年4月号

April/1982

Vol. 34/No.7

PT8204contents 今月号は紹介するような目ぼしい記事が有りません。仕方が無いので、P13 Piobaireachd Society Conference の記事から…。

 例によって講演録は別途取り纏められますので、ここでレポートされているのは実際の講演の記録ではなくて、主にカンファレンス全体の雰囲気や、合間合間に演奏された曲の演奏者や曲名などに関するレポートです。

 肝心の 1982年の講演題目は、Piobaireachd Society のオフィシャル・サイトで誰でもチェックすることが出来ますが、参考までに以下に転記します。

● Session 1
 The MacKays of Gairloch/by Alex MacRae
● Session 2
(i) What Kind of Piobaireachd Society do we want?/by Tom Speirs
(ii) Preparation for Piobaireachd Competition/by Iain Cameron
Session 3
 Piping Reminiscences/by Colin Caird

 講演録については、非会員でも一部づつ購入できます。また、会員であれば会員セクションから自由に閲覧&ダウンロードが可能です。タイトルを見て興味を惹かれた方はどうぞお目通しください。

 特に、“The Desperate Battle of the Birds”の作者たる、Angus MacKay of Girloch の家系について詳細に紹介されている Session 1 の講演録は、現在のように便利な世の中になる遥か以前、CoP のオンライン・ショップから紙ベースで購入した際に大変興味深く読んだ記憶があり(…で、今ではどんな内容だったか殆ど忘れてしまってい)ます。

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1982年5月号

May/1982

Vol. 34/No.8

PT8205contents P15 Emigrants はちょっと興味深い記事です。

 曰く、「Jimmy McIntosh Murray Hendreson の両夫妻がアメリカ合衆国への移住を決断した、というニュースは太平洋の両岸の彼らの多くの友人たちを驚かせた。」…と。

 記事は、この二人のプロフィールとキャリアの紹介から始まります。
 それによると、Jimmy McIntosh は、The Queen's Own Cammeron Highlanders のパイパーとして活躍した後、Dundee エリアのパイプバンドの活動に関わってきました。
 ピーブロックプレイヤーとしては、Bob Brown に師事し、1981年のリタイヤまで、長年に渡って最高のピーブロックプレイヤーの一人として活躍。その後、優れたリードメイカーとして世界中に名を馳せました。(このことは、知りませんでした。)

 ニュージーランド出身の若き Murray Hendreson は、スコットランドでの適正試験(原文では tryout とありますが、正直なところ意味不明です。)の後、Angus エリアに居を構えることとし、そこで、彼女自身も優れたパイパーであった、Patricia と結婚したということ。

 なんとその後、(多分、親子程歳が離れているハズですが)この二人は共同で McIntosh and Henderson reedmakers という会社を起こしました。多くの人々は彼らがその後も営々とスコットランドでこの会社を運営し続けると考えていたのですが、4月半ばにはまず Jimmy McIntosh が渡米し、続いて夏ごろに Hendreson 夫妻と Mrs McIntosh が渡米する予定とのこと。

 さて、実際のその後の成り行きとしては、Jimmy McIntosh は確かに米国に移住しましたが、Hendreson 夫妻は相変わらずスコットランド在住のままなのはご存知のとおり。
  そして、私が知っている限り、Hendreson Reedmaker として名を馳せつつ、David Nail & Co. と長年にわたり友好な提携状態にあった事。そして、その後、袂を分かって、自身のパイプブランド、Strathmore を立ち上げつつ、ソロパイパーとして現在まで第一線で活躍を継続、スコットランド本土のハイランド・パイプ文化の振興に多大な貢献をし続けています。そして、 Hendreson 夫妻の忘れてならない功績の一つとして、 Faye Hendreson を世に出したことがありますね。


 P20 The MacLeod of Gesto Canntaireachd は文字通りカンタラック関連記事。良く知られている Campbell Canntaireachd との相違などについて、詳しく紹介されているようなのですが、元々の Campbell Canntaireachd 自身を十分に理解していない私には、その解説文は少々難しすぎて上手く紹介できそうにありません。
 …ので、カンタラックに関心のある方のために、その発音を記した見開きページの一覧表を転載して、お茶を濁します。(左右別々に大きな画像にリンクしています。)


 この号、何故か目次ページがスカスカなのですが、その訳はどうやらシェーマスがちょっとボーっとしていたようです。なんと P40 The Structure of Hindro, hindro というピーブロックネタの索引が抜けています。
 A. G. Kenneth によるこの記事は曲のストーリーや背景を紹介したものではなくて、正にタイトルどおりの内容。つまり、曲の構造を解説したものです。…といっても、さほど高度な内容ではありません。
 どちらかというと、ピーブロック初心者向けに「ピーブロックというのは、一見難しそうに見えるけど、その骨組みさえ見抜いてしまえば、割りと単純なものなんですよ。」といったことを伝えたいと思って書かれた記事のようです。
 面白いなと思ったのは「骨組みを見抜くために、曲を最後の方から辿ってみましょう」と、実際に Taorluath doubling 〜 Taorluath singling 〜 Variation 1 doubling 〜 Variation 1 singling 〜 Urlar の順に紹介していること。確かにこれは初心者に(ごく一般的な構造の)ピーブロックの骨組みを理解してもらうためには、大変理解し易い紹介の仕方ですね。

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 最後の一文は、この曲の特徴的な cadence について記されています。
 曰く、この曲の cadende は Urlar と Variation 1 に於いては up-beat なのですが、Taorluath と Crunluath singling に於いては down-beat だということ。そのような意味でこれと似通った構造をしている曲として "Beinn a'Ghrian" があること。また、その他に "I Got a Kiss of the King's Hand" の Urlar にも up-beat cadence が出てくるということです。

 この曲は Campbell Canntaireachd MS Vol.1 に入っている Nameless Tune で、通常の楽譜は Piobaireachd Society Book Vol.12 P382 にあります。
 また、音源としては 2005年にリリースされた2枚組 CD アルバム "The Northern Meeting 1995-2004" の中に、Gordon Walker が 2002年の Clasp で 2nd に入った時の演奏が収録されています。特徴的な cadence の変化を一度聴いてみるのもよろしいかと…。

 ちなみに、 "Beinn a'Ghrian" については The Piobaireachd Society サイトのメンバーズ・セクション内、Sound Clip Library の中で Bruce Gandy の演奏音源を聴くことが出来ます。


 実は目次から抜けているのはこれだけではありません。最初に紹介した P15 Emigrants の記事の続きに P16 Record Review のページがあるのです。レビューされているのは、故 John MacFadyen によるコンペティションでのライブ録音やスタジオ録音が収めた "The Music of Dunvegan, John MacFadyen, B.B.C. Records" というアルバム。

 A面最初は、"Rory MacLeod's Lament" ですが、この音源はなんと“Piping Times”1979年2月号の John MacFadyen 追悼文に出てくる、John Silver Chanter コンペティションに於ける唯一の出場&優勝録音(1969年)という貴重なモノ。
 続く "The Fairy Flag" は、John が既にコンペティターとしては参加することを止めた 1973年の Silver Chanter コンペティションに於いて、ジャッジたちが競技結果を審議している間に披露された演奏ということです。
 シェーマスによると、A面のベストテイクは次の "MacLeod of Colbeck's Lament" 。1972年にBBC のスタジオでの録音だそうです。そして、A面は John の絶頂期に於ける "The MacLeod's Controversy" の演奏で締めくくられます。

 B面は全て BBC スタジオ録音の音源。まず最初は長大なる "Lament for Donald Ban MacCrimmon"John が 1972年の Oban の Open Piobaireachd コンペティションに於いてこの曲で優勝した直後のスタジオ録音とのこと。続いて、同様に 1972年の録音による "Lament for the Earl of Antrim" 。そして、アルバム最後を飾るのは "Squinting Patrick's Flame of Wrath (A Flame of Wrath for Patrick Caogach)" というなんとも豪勢な曲目の数々。

 敬愛する朋友の貴重な音源を収めたレコードですから、シェーマスのレビューも力が入っていて、それぞれの曲毎に丁寧な 解説とその演奏に対するコメントが詳しく記述されています。その結果、たった1枚のレコードについて掛け値なく3ページ分ビッシリと書きこまれているので すが、それにしてはどうしてこのような力作のレコードレビューを目次ページから落としちゃったんでしょうね?

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1982年6月号

June/1982

Vol. 34/No.9

PT8206contents  今月号は目次ページがきちんと書かれています。そして、それらのタイトルを眺めると、やたらとピーブロック関連の記事が多いように思えますが、その実、そ れぞれコンペティションの結果報告や課題曲の告知だったり、ピーブロック・ソサエティーの A.G.M.(Annual General Meeting)のレポートなどだったりしますので、それらについては、あえて紹介しません。
 …が、中にはちょっと読み応えのあるピーブロックネタも有ります。


 一つ目は、P20 Structure Patterns in 4 - Lines Tunes
 タイトルの Tunes というのはいうまでもなく、Piobaireachd Tunes のことです。筆者は、前月号で The Structure of Hindro, hindro という記事を書いていた A. G. Kenneth で、この記事もお得意の構造解析モノ。
 今回はタイトルどおり、4 - Line の曲の骨組みのパターンを分類しています。A〜Lまで全部で13類型に分けられたそのパターンは次のとおりとのこと。

A(1) Line 4, first half is the same as first half of line 3 ; second half the same as second half lines 1 and 2. Examples : Lament for the Old Sword, Struan Robertson's Salute, Kinlochmoidart's Lament tune 1 and 2.

A(2)  Differs from typical example of A(1) in that mid and/or end of line 3 and 4 differ from mid and/or end lines 1 and 2. Line 4 ending usualy deffers. Examples : Young Laird of Dungallon, McKenzie of Applecross, Battle of Glensiel, Sobieski's Salute, Mary MacLeod, MacFarlanes' Gathering

B Line 4 repeats line 1 and 2 exactly or with some variation. Examples : Good Health to You Donald, Prince's Salute, Isabel MacKay, Lady MacDonald's Lament

C Line 4 starts with first bars of second half of line 3. Examples : Patrick Og, MacLeods' Salute, Gathering of the MacNabs

D Line 4 starts with second half of line 2. Examples : This may be unique of Port Urlar

E Lines 3 and 4 are identical or nearly so. Examples : Finger Lock, The Vaunting

F Line 3 is identical to line 1. This may be unique to The Marquis of Argyll's Salute

G First harlf Line 4 more of less equals second half line 1. Examples : Tulloch Ard, This may be unique.

H Line 1, 2 and 3 start the same - line 4 deverges. Example : MacLeod's Salute

I Second half line 3 equals first half line 1and 2. Example : Little Prince you are my Choice

J Second half line 3 equals second half lines 1 and 2. Example : Lament for the Deperture of King James

K Line 2 differs widely from line1.  Examples : Port Urlar, Nameless"Hiharin dro odro"

L Line 3 and 4 are not directly relate to line 1 and 2, and differ from each other. This is the largest group and many of the great tunes belong here.  Examples : Rory MacLoud's Lament, Unjust Incarcerations, Nameless"Hihorodo tra cheredeche", The Lament for the Harp Tree, Praise of Morag, Lament for Donald Duaghal MacKay(S.Fraser's Setting), Old Woman's Lullaby, Sister's Lament, Lament for Red Hector of the Battle, Company's Lament, Lochiel's Salute, Daughter's Lament, Nameless"Hiharin droodro", Lament for Queen Anne, The Little Supper, Larid of Anapool's Lament, Pride of Barra, Lament for the Children, The Bicker, Catherine's Lament, Park Piobaireachd, Nameless"Cherede darievea", Kings Taxes

 いや〜、なんともマニアックな分類には敬服しきりですが、ところでこれってパターン分けと言えるのでしょうか? 例えば、Port Urlar D K の両方の分類に出てきているところからも、絶対的な分類ということよりも、ひとつの曲を複数の側面から分類しているのようですし、この分類に一体何の意味があるのか? …にわかには理解しがたい面もありますが…。


 もう一つのピーブロックネタは P25 Highland Society of London です、実は目次ページでは省略されてこのように表記されていますが、この記事の本当のタイトルは The Higland Society of London and the Publishing of Piobaireachd という長いものです。

PT8206HSOL スコットランドの古(いにしえ)の音楽(ancient music=Piobaireachd)の保存と伝承を大きな目的の一つとして 1778年に設立された Highland Society of London は、その目的達成のために 1781年に Falkirk に於いて、1746年の武装解除令施行以降としては初のコンペティションを開催しました。
 そして、もう一つの目的達成の手段として、ピーブロックに関する様々な印刷物(主に楽譜集)のリリースを直接行ったり支援したりした訳ですが、この記事ではそれらの名を一つ一つ挙げながらその背景や概要を説明しています。
 今回は Part 1 ということで、ソサエティー設立直後の 1780年から 1822年頃までに延々とリリースされてきたおよそ 30タイトル以上の様々な出版物や手書き原稿(Manuscript)が 7 ページに渡って紹介されています。

 ここで感慨深いのは、この号が実際に発行された1982年当時には、たとえそれらのタイトルと解説を読んで興味が湧い たとしても(そして、このように黄色のマーカーをしたところで)、現地の博物館や図書館にでも出向かない限り、実際にそれらの現物(の中身)を目にするこ とは到底かなわぬ夢でした。ところがそれから 30年経った 2012年には、それらの出版物の中には立派な復刻版がリリースされた例も有りますし、そうでなくてもここに紹介されている出版物や手書き原稿の殆どがデ ジタルデータとして、その気になれば即、パソコンの画面から閲覧可能な状況になっている、ということです。

 いや〜、何ともいい時代になったものです。

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1982年7月号

July/1982

Vol. 34/No.10

PT8207contents まだ7月号ですから、P26 The Northern Meeting 1982 は、当然ながら結果報告ではありません。9月8〜9日に開催されるこの年のイベントに向けて開催された最終打ち合わせの結果、コンペティションの夫々の部門のジャッジの顔ぶれや、運営システムが一部変更されることが決定した、というお知らせ記事です。

 この当時、ピーブロックのコンペティションに於いて、プレイヤーがオーディエンスにとって耐え難い程の長時間に渡ってチューニングに延々と時間を費やすことが大きな問題となっていたのは、以前にも紹介したことがあります。
 いつの時代もパイパーのチューニング・タイムというのは忌み嫌われるものである事は変わりませんが、多分、現在のようにシンセティックなドローン・リー ドが一般的になる前、つまり、全てがケーンのドローンだった当時は、それが現在よりもケタ外れに著しかったことは想像して余りあります。

 …で、この年のコンペティションでは、「オーディエンスが一時間に少なくとも4曲のピーブロックを聴くことができるように」するためのルールを試みることが決まったということです。
 プレイヤーがプラットフォームの上で許されるチューニング・タイムはきっかり5分間。壇上には赤・緑・黄色のシグナル・ランプが用意され、プレイヤーが チャンターの音を出した瞬間からタイムキーパーがストップウォッチをオン。それと同時に緑色のランプが点灯。4分経過したところで黄色のランプに切り替わ りチューニング・タイム終了の予告。そして、5分経過すると赤ランプが点灯し、プレイヤーはその前までに演奏に入らなくてはなりません。これが守らなけれ ば即失格、ジャッジが席を離れてしまう、という厳しいシステムとのことです。

 ミーティングの運営サイドとしては、課題解決にかなりの切迫感を感じて真剣に取り組んでいたことが伺われますね。


 P31 A Structure for Piobaireachd はこのところ連続している A. G. Kenneth モノとは違います。Ramsay Traquair と いう人による記事ですが、内容的には特段目新しいものでもありませんし、サンプルとして取り上げられているのが "Hector MacLean's Warning" というちょっとレアな曲なのでちょっと紹介しにくいところです。今回の記事は Part 1 で「次回へ続く…」ということなので、次回を読んでから、それなりに紹介に値すると思えれば、その際にまとめて紹介することとしましょう。(果たして、次 回はあるのやら?)


 最後に、P18 South West Ross Piping Society -17th Annual Competition のレポートにあった一枚の写真をご紹介。このコンペティションのジャッジ団です。当時の代表的なシニア・パイパーの面々ですね。

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1982年8月号

August/1982

Vol. 34/No.11

PT8208contents P8 Grant's Championship は例年コンペティション・シーズンの最後(※シーズンの考え方については 1978年12月号を参照して下さい)を飾るイベントですから、前月号の The Northern Meeting 1982 の記事と同様、コンペの結果報告ではありません。やはり、運営システムのちょっとした変更に関する予告記事です。
 今回は、それほどドラスティカルな内容ではなく、ピーブロック・コンペの開始時間が遅くなること。そして、それに従い晩餐会の始まりも遅くなるので、参集者は晩餐会が始まる頃には空腹感を感じることになるだろう…、などといった内容です。


 P9 John MacFadyen Memorial Tour は没後3周年に当たる John MacFadyen を偲ぶイベントのレポート。
 何故タイトルが Lecture/Recital ではなくて Tour かというと、今年のイベントは例年のようなある一箇所のホテルで開催する一夜限りの講演会/リサイタル形式ではなく、John MacFadyen ゆかりの地を巡るツアー形式で開催されたということです。
 巡った場所は、Thurso〜Ullapool〜Benbecula〜Skye〜Fort William〜Campbeltown〜Glasgow〜Edinburgh といった場所。

 講演者は David Murray で、パイパーとしては John D. Burgess、P/M Angus MacDonald、そして、ガーリックシンギングで著名な(パイパーでもある)Finray MacNeill によるガーリンク・シンギングが披露されたとのこと。

 短い報告に続いて同じページから P9 I am proud to play a Pipe というタイトルのこの時の David Murray の講演録が3ページに渡って掲載されています。

 ちなみ、P16 Scothish Pipers' Association のこの間の組織の活動報告(報告者はチェアマンの Angus J. MacLellan )の中でこの John MacFadyen Memorial Tour で演奏された曲が報告されていました。それによると、 John D. Burgess は“The Battle of Waternish”と“Lament for Ronald MacDonald of Morar” 、P/M Angus MacDonald は“Sir James MacDonald of the Isle”と“MacDougall's Gathering”を演奏したということです。


PT8208HSoLPart2 P28 Highland Society of London は、6月号の The Higland Society of London and the Publishing of Piobaireachd Part 1 の続編たる Part 2

 今回は、印刷にかかる様々なコストについて詳しく解説がされていて、当時の出版の様子が伺えて中々興味深いところです。

 冒頭で引用されているのは、1824年に John Gow という人によって書かれた手紙で、70ページに 30曲のピーブロックが収められたある印刷物の場合の具体的なコスト内訳が示されています。

 当時の楽譜は繰り返しも一切省略せずに全てを淡々と記するような形式が多く、例えば、Donald MacDonald's Book の場合は 117ページを費やしてたったの 23曲、Angus MacKay's Book の場合は 171ページに 61曲しか収められなかったということなどについて触れられていますが、これらも今は実際に確認出来ます。30年前にこの記事読んでもピンと来なかったで しょうが、いい時代になったものですね。


 P32 Donald MacLeod は上の Highland Society of London の記事の最終ページ・ボトムに至って素っ気無く書かれている僅か7行の記事。

 没後 30年を回顧して今年様々なイベントが催されている、Donald MacLeod の死亡告知記事です。 Sumas MacNeill にとっての喪失感の深さから言うと、John MacFadyen とは段違いに小さなものだった事が推し量れます。

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1982年9月号

September/1982

Vol. 34/No.12

PT8209contents この号の白眉は何と言っても、P12 Angus MacKay Chanter というタイトルの記事。

 これは、1980年1月号 P14 You and Your Pipes と同じ趣向の「古(いにしえ)の名器」を詳しく解析する記事です。そして、筆者はこの号の表紙写真の人物で、かつ、この名器の現在の所有者たる Bill Paterson という人。

 今回の名器はタイトルどおりあの Angus MacKay が 1850年に製作したチャンター。といっても、この場合のチャンターはパイプ・チャンターではなくて、プラクティス・チャンターのこと。

 ところで、恥ずかしながら私はこれまで Angus MacKay がパイプメイキングも行っていたという事は頭にありませんでした。
 いよいよボケが来たか?と思いつつ、Angus MacKay の生涯について記されている 1994年 Piobaireachd Society Conference の Proceeding“Masters of Piping”(両方とも by Seuma MacNeill)に改めて目を通してみました。しかし、どちらにもハイランド・パイプ・ミュージックの楽譜編纂に於ける Angus MacKay の後世に残した偉大な足跡に関する詳細な記述こそあれ、彼のパイプメイキングに関しては一切触れられていません。

 まあ、 Angus MacKay をビクトリア女王に紹介した、同時代の先輩格にあたる稀代の名パイパー John Ban MacKenzie パイプのかおり第30話で紹介したとおり、名パイプメイカーでもあった訳で、いつの時代も優れたパイパーが優れたパイプメイカーであった例は枚挙に暇がありませんので、Angus MacKay がパイプメイキングを行っていたとしても、決して不思議ではありませんが…。

 さて、肝心のレポートに戻りましょう。このチャンター、素材はエボニー材、マウントにはシルバーとアイボリーが用いられつつ大変入念に製作されており、現代の最高に高価な製品と比べても「一見して際立つもの」だということです。
 トップ部分に貼られたシルバーのプレートは、下方半分がぐるりと一周してマウント(Ferrule)の役割を果たしています。つまり、ネームプレートと Ferrule を両立させている訳です。そこに次のような銘が刻まれています。

PT8209AMchanter1

Presented
By the maker
Angus MacKay
to
Mr. James Luias
As a mark of Esteem & Respect

Buckingham Palace, 2nd July, 1850

(最後の一行はプレートの裏側)

 ここで「この James Luias とは誰?」という疑問が湧くのですが、筆者が参照した "Black's Surnames of Scotland"(スコットランド苗字録?)にもそのような名前はないとのことで、「 Luias はおそらく Lowis Lewis といった苗字の古いバリエイションではないか?」と推測しています。

 このチャンターはここ13年間に(つまり 1969年以来)ロンドン〜オーストラリア〜北米西海岸と長い旅を経て、筆者の手元に来たということ(つまりは、この人は北米西海岸在住のようですね)。最後の旅は、MacKay という名のオーストラリア在住のあるパイプメジャー(Angus MacKay の末裔?)とのやり取りを経て、最終的に筆者が買い取ったという事です。

  筆者はその顛末について「 An impatient wait of several months は十分に報われた」と書いています。確かに、インターネットの無い時代の海を越えたやり取り(国際郵便の発信&返信、代金の決済 etc.…)というのは、今から思えばなんとも膨大な時間を要するもので、その待ち遠しさ、そして、それが最終局面に到達したときの嬉しさは、あらゆる物 事がいとも容易にかつ光速レベルの超スピードで処理できてしまう 21世紀に生きている現代人が味わうことのできない、無上の喜びであることは、この筆者と同時代を生きてきた私にも十分に理解することが出来ます。

PT8209AMchanter3  そして、筆者は、数多くのスコットランド人の移住先であったオーストラリアやニュージーランドは、移住者たちとともに海を渡った古文書や MMS(マニュスクリプト)などの保管庫として、スコットランド・ハイランド文化(財)の保存伝承に大いに貢献している。そして、この楽器はそのような保 存伝承例の最大の成功例(the most successful survivor)として、そのことを証明していると強調します。

  この楽器が今日まで(この記事が書かれた当時まで 132年間も)大切に引き継がれてきた理由としてはいくつかの要素が考えられるますが、その一つとしては、当時としても最高に高価かつ高品質の素材が惜し げもなく使われ、それを卓越したクラフトマンシップの下、細心の注意を持って入念に細工されていること、それ故、これほど長年持ちこたえるだけの耐久性が 備えられている事だとします。

 ちなみに、このチャンターは、右の写真でも明らかなように (右側は比較のために並べられた 1920年代のシルバー&アイボリーの Henderson 製チャンター)、通常よくあるソールだけでなく、本体トップのボール部分までもがアイボリーがあしらわれています。私もこれまでこのようなチャンターは目 にしたことがありません。

 そして、当然ながらアイボリー製のマウスピースが装備されたリードキャップ部のボトム部分にまでアイボリーのリングが挿入されているのです。
 …と言っても、このアイボリーリングは、通常、外観上は一切露出しておらず、↓写真のようにリードキャップ部を本体からとりはずした際にしか目にすることができません。
 ご覧のとおり、木部はほぼ半分の薄さまで削られ、その周りにほぼ同程度の厚みのアイボリーのリングが嵌めこまれていて、さらにその周囲を上で紹介したシ ルバーのプレート・リングで飾るという、大変に込み入った細工の、なんとも贅沢な仕様なのです。

 さて、この古(いにしえ)のチャンターの肝心の音色はどんなものだったのでしょうか?

PT198209AMchanter2 筆者は、幸いなことに、つい最近バンクーバーに於いて、P/M Angus MacDonald John MacDougall にこのチャンターを演奏してもらう機会を得たということ。
 その結果、二人の意見は揃って "good" 。そして、当然ながら想像して余りありますが、当時の水準からしても僅かにピッチの低いその音色は、特にピーブロックの練習には大変に心地良いものだ、という評価だったそうです。

 素晴らしいその音色、演奏のし易さ、優雅で均整のとれた美しさ、そして、それらを生み出した繊細で優美なクラフトマンシップ故に、この由緒ある古いチャンターは世代を超えて代々伝承されてきたのであろう。しかし、なんといってもこのチャンターの作者があの Angus MacKay である、ということがなによりも最大の理由であることは疑う余地が無い、と Bill Paterson さんはこのレポートを締めくくります。

 う〜ん、実にロマンチックな名器の物語でした。


→名器ではありませんが、趣味性の濃いプラクティス・チャンターの話

PT8210front

1982年10月号

October/1982

Vol. 35/No.1

PT8210contents 表紙の写真は、キャプションによるとユーゴスラビアのバグパイプとのこと。

 一時は完全に廃れてしまっていたヨーロッパ各地の各種バグパイプは、ここ20年ほどで完全復活した感がありますが、今から 30年前には、このような写真一枚でも大変に印象深かったものでした。


 P14 The Battle of Langside1980年6月号以来のシェーマス・マクニールの朋友、The College of Piping の共同創立者たるトマス・ピアストンお得意のバグパイプに関するフィールド・リサーチ記事。


 今回は地元グラスゴー市内のとあるラウンドアバウトにあるモニュメントの話題。
 グラスゴー市内とはいっても、ここは街の中心部からクライド川を挟んで南方向に少し離れ場所。中世にはまだ街の郊外の田園地帯だったこの場所で、1568年にタイトル名になっている大きな戦いがあったという事。つまりは古戦場跡です。
 その後、徐々に市街地が拡大し田園風景が失われ、かつての古戦場跡が市街地に飲み込まれんとする中で、由緒ある闘いの記憶が失われてしまうことを危惧し た人々により 1887年、闘いのあった正にその場所にこのモニュメントが建てられたということです。市街地はその後、モニュメントを取り囲むように広がっていったので しょう、ストリート名にも Battlefield Road なんて名が見受けられます。

LangsidemonumentLMInscription

 さて、トマス・ピアストンが単に古戦場跡のモニュメントを紹介するだけの記事を書く訳がありません。当然ながら何かしらハイランド・パイプにまつわる話題があるのです。ということで、今回は楽器そのもののレリーフ。

LMRelief

  台座の一面に、このようなパイプ&ドラムのレリーフが彫られているのです。16世紀半ばの戦いを記念するモニュメントですから、そこに彫り込まれるレリー フのテーマも当然ながらその当時を偲ばせるものでなくてはなりません。そこで、この記念碑の製作者が選んだのは16世紀当時に演奏されていたドローンが2 本だけのバグパイプ。ベースドローンが登場するのはこの戦いの時点からおよそ 200年後の18世紀半ばです。
Langsidemonument3  とはいっても、このレリーフの彫刻者自身はどうやらパイパーではなかったようで、テナードローンとして、本来同じ長さであるはずの2本のドローンパイプの 長さが微妙に異なります。この記念碑作成当時の 19世紀後半にはごく一般的であった3本ドローンのハイランド・パイプのイメージに引きづられてしまったのでしょうか? そして、チャンターに至っては、 なんと指穴が4つしかありません。思いっきりデフォルメされているのです。

 いつの時代も、バグパイプは何かと象徴的に描かれることは多いのですが、自身がパイパーでない人がパイプを表現する際には、このような誤解というか曲解というか、いい加減というか、真面目に表現する意欲に欠けた例は枚挙に暇がありません。

  さて、とにもかくにも皆さんは前回と同様、現代のテクノロジーに則って、グーグルアースとストリートビュー、そして、画面のあちこちに貼りつけられた個人 投稿の写真で現地を探索してみては如何でしょう? ちょっとした旅気分が味わえます。 "Glasgow Langside Monument" で検索してみて下さい。

Langsidemonument2


PT8210CoCm1 P17 The Composition of Ceol Mor は図版等を一切含まない、文字だけがぎっしり書きこまれたページが 8ページにも連綿と続く力作論文。著者は、Bruce Campbell という人。

 その内容は、タイトルの直訳「ピーブロックの作曲について」というものからイメージされるような楽理的な内容ではなく、より基本的な視点からピーブロックという楽曲成立の歴史を、MacCrimmon、MacArtur、MacDoughall、MacKay、etc.…といった名の知れたパイピング一族について時代を追って紹介しつつ、それらの一族の名のあるパイパーによって折々に生み出されてきた名曲の数々を紹介した内容です。ですから、どちらかと言うと、The Historical Background of the Composition of Ceol Mor と言ったタイトルの方が相応しい内容になっています。
 シェーマス・マクニールの名著 "PIOBAIREACHD"(BBC pub. 1968) の主たるパイピング・ファミリーの歴史部分について書かれた章の要約版、といったところです。…と書けば、おおよその内容は推測していただけるのではないでしょうか? 

 ただ、要約版と言っても、実際にはシェーマスの本と出会う前であった当時の私にとっては、正に目から鱗がボロボロ落ちるような内容だったようで、30年 ぶりにページを開いてみると、どのページも黄色のマーカーだらけ。当時の私が如何に熱心にこの記事を読み耽ったかが伺われます。
 最初のページの中段に、Binneas is Boreraig の中で、著者の Roderick Ross 「マクリモンのパイパーたちは、傑作を生み出すために食事と睡眠を極端に切り詰めて,自らを殆ど錯乱状態に近いほどの異常な精神高揚状態にして作曲に臨んだ。」 という説を披露している、という下りを「あ〜、この逸話はここで最初に読んだんだ。」と、感慨深く読み返しました。
 当時は、Binneas is Boreraig というのが楽譜集の名前であることすら知り得なかったですし、もし、知ったとしても 1959年に出版されたそのような楽譜集を実際に目にすることなど、到底望むべくもなかったことを思い返すと、隔世の感があります。

PT8210CoCM 私は、どんな書籍でもその書籍を購入した際には、必ず表紙見返しに入手日を記するようにしていますが、手元にあるシェーマスの "PIOBAIREACHD" の見返しページを見てみると「29/12/82」 と記されています。
 自分自身はすっかり忘れていますが、どうやら当時の私はこの記事に触発されて「ピーブロックは奥深いぞ!こりゃ、ちゃんと勉強せにゃアカンわ。」と一念発起し、直ちに College of Piping に "PIOBAIREACHD" を発注したのではないかと思われます。

  当時の個人輸入は、「注文したい物の送料込みの値段を手紙で問い合わせる」→「先方から送料込みの料金を知らせてくる」→「郵便局から国際小為替で送金す る」→「荷物が届く」という手順を踏む必要があった訳で、かつ、それぞれの「→」に一週間から10日、下手すると二週間ほど掛かるのが通例でしたから、 10月にこの記事を読んでいたく感動して直ぐに行動を起こしたとして、そして、全ての手順が順調に進捗したとしても、年末にやっと荷が届く、というのはご くごくありふれたシナリオです。なんせ、こちらが発注を出したと思われる頃、先方はクリスマスギフトの受付と送付でてんてこ舞いだったでしょうから。

 この記事の各ページの膨大なイエローマーカーから見えてくるのは、この記事が実に思い出深い、そして、その後の私のピーブロック人生を決定づけるきっかけになった、記念碑的に重要な記事だったと言うことです。


PT8120Ctheory1  P30 On The Cremona Theory は対照的に僅か2ページの短い記事ですが、これがまた面白い。

 …とは言っても、この記事が面白いと思えるのは、現在の私だからであって、30年前の私にはこの記事の意味するところは、多分チンプンカンプンだったはずで、真面目に目を通したとは思えません。
 ですから、ここに示したこの記事ページのスキャン画像のイエローマーカーは、上の記事とは対照的に今回新たに引いたものです。

 The Cremona Theory というのはピーブロック愛好家なら誰もが知っている、MacCrimmon 一族の由来に関する諸説の一つで「MacCrimmon 一族はイタリアのクレモナから渡来した」という説です。

 この記事は筆者である A.MacRaonuill が、1800年初頭から現代までの様々な書籍やマニュスクリプトを分析し、それらの中にこのマクリモン・クレモナ起源説が登場しているか否かについて、解析した結果を報告したレポートです。


 著者の解析によると、全部で 23件の書籍&マニュスクリプトの中で、クレモナ説が出てくるのは、1867年に Norman MacLeod が ゲール語で著した"Caraid Nan Gaidheal" という本と、1901年に W. L. Manson が(これは英語)著した "The Highland Bagpipe" という本のみである、PT8210Ctheory2とのこと。

 一方、F. T. MacLeod は 1933年の "MacCrimmon of Skye" の中でクレモナ説を排除、また、Setan Gordon は 1929年の "The Banatayne Manuscript" の中でクレモナ説は嘘っぱちだとし、Black は 1946年の "The Surnames of Scotland" の中で「マクリモンがイタリア起源だというのは余りにもバカげている。」と記述している、ということです。

 この解析の結果 A.MacRaonuill が到達した結論は「初期の著者たちは誰もクレモナ説について触れてないない。それは、クレモナ説は Norman MacLeod によって、1845年以降に《発明》されたからである。そして、それ以降の著者たちの多くも、クレモナ説を排除、ないし無視している。それは、クレモナ説は史実などではなく、全くのフィクションだからだ。」ということです。

 いや〜、世の中にはマメな人がいるもんですね〜。

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1982年11月号

November/1982

Vol. 35/No.2

PT8211contents P12 Around the Game は例年いつもこの時期の号に掲載されるサマーシーズンの各地のハイランド・ゲームに於けるコンペティションの結果報告。6/13 Ardrossan から 9/4 Braemar まで、全部で 15のコンペティションの結果が報告されています。

 ピーブロック部門での上位入賞者の顔ぶれは Iain MacFadyen、Andrew Wright、Tom Spires、John MacDougall といったところ。特にこの 1982年シーズンは、Iain MacFadyen の活躍が目立ちます。
 ここでちょっと私の目を引いたのは、8/21 Abernethy に於けるコンペティションの結果報告。ここでは、1st が Murray、3rd が Parricia という 両 Henderson おしどり夫妻が仲良く入賞しているのですが、クレジットに記載されているお二人の拠点が U.S.A となっているのです。
 この頃は、ニュージーランド出身のお二人がスコットランドに拠点を移してから、既にそれなりの時間が経過している頃だとは思いますが、さらにこの当時はその拠点をアメリカ合衆国に置いていたのでしょうか? それとも、単なる表記ミス?


 さて、P12〜19 までの8ページを費やしているこの Around the Game の記事の合間の P16 に、ある全面広告が挿入されているのですが、これが中々興味深いので、全面スキャンして掲載します。

PT8211AMG

 最後のセンテンスにあるとおり、この Alexander MacDonald of Glenurquhart という人物は、あの John MacDonald of Inverness の父親ということ。
 それにしても、19世紀のパイパーのポートレイトってのはどれも凛々しいですね〜。このようなレプリカを一枚ぐらいは我が家の壁にも飾りたいところです。


  この号には(当然ながら)Around the Game とは別扱いで P26 The Argyllshire Gathering のレポートが掲載されています。
  Senior 部門は、1st Andrew Wright "Earl of Seaforth's Salute"、2nd Murray Henderson "His Father's Lament for Donald MacKenzie"、3rd Iain MacFadyen "The Battle of Audearn"、4th John MacDougall "MacDougall's Gathering" 。
 Gold Medal 部門は、1st Evan MacRae (この号の表紙の人)、2nd Ronald MacShannon "The Battle of the Pass of Crieff"、3rd Chris Terry "Lord Lovat's Lament"、4th Wilson Brown "Lament for Iain Garve MacLeod of Raasay" ということですが、私の記憶にある限りではその後これらのどの名もとんと耳にしません。ところで、4th の曲名は初めて目にしました。当然ながら音源も耳にしたことがありませんし、Donald MacLeod's Tutorial Series でも取り上げられていません。この年は非常にレアな曲がセット・チューンになったのですね。
 一方、Silver Medal 部門の 2nd に Mike Cusack の名が見えます。Gold Medal 部門の人たちとは対照的に、彼についてはその後の活躍が著しいのはご存知のとおり。


 先月号の表紙写真にも通じますが、P33 Bagpipes in Netherlands は 1980年代に入ってリバイバルの機運著しいヨーロッパ各地のバグパイプに関するレポート。PT8211Nb
 レポーターの Jon J. van Ommenkloeke という人が 1795年にアムステルダムで出版されたオランダ語の "Muzijkaal kunstwoordenboek" (by J. Verschuere)という古いブックレットの内容を紹介しています。

 このブックレットでは、右のイラストの "Muzelzak" と呼ばれるオランダのバグパイプについて、フランスのバグパイプ "Cornamusa" と比較対象しながら解説されています。
 下に転載したスケール表によると、どうやらこの "Muzelzak" はオーバーブローや多様な指使いによって1オクターブを超える音域と、多くの半音を出せるタイプのバグパイプだったようですね。

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1982年12月号

December/1982

Vol. 35/No.3

PT8212contents 表紙の写真は、先月号の Alexander MacDonald of Glenurquhart の肖像画以上に古く由緒ある肖像画。
 1715年の第一次ジャコバイト・ライジングに際して Mar 伯に仕えた、Donald Mor MacGaraidh の凛々しい姿です。

 シビレますね〜。


 P24 From the Piping Times はこれまでも何度か紹介してきましたが、その号の10年前(1972年)、20年前(1962年)、30年前(1952年)の記事を紹介するコーナー。言 うなれば、この「30年前の“Piping Times”」シリーズの原型とも言えるコーナーです。…が、今回はそれとは別に、P26 Page from the Past というページ(実質的には半ページ)が有ります。
 これはなんと、1919年7月14日に書かれた Charles Bannatyne という人が Mr. Bartholomew という人に宛てた手紙を紹介しているものです。

 その内容は、Charles Bannatyne が、さる人から Mr. Bartholomew が最近 Campbell's Canntaireachd 1803年マニュスクリプトを入手したという聞いたので「ぜひとも、一時それを貸してもらえないだろうか。」と強く頼み込んでいるものです。
 "If this is so if you feel inclined to lend your copy to me for a time I shall be ever grateful as well as highly delighted."
ってな感じで、至って丁寧かつ熱烈に頼み込んでいる姿が、なんとも微笑ましく感じられます。
 手紙の書き主は数年前に "The Groat" の Campbell Canntaireachd 版の楽譜を見る機会があった旨、そして、その時の印象などを書き加えつつ、いかに自分がオリジナルのマニュスクリプトを見ることを渇望しているか、を連綿 と書き綴っています。

 これらのマニュスクリプトがオンラインで自在に閲覧可能になっている時代に生きている我々の幸せを噛み締めましょう。


 読者投稿欄 P27 The Custemers Always Write のコーナーから、海外の読者からの投稿を二つ紹介します。ちなみに、当然ながら今とは違ってこの当時はこれらは E-mail ではなくて全て本物の mail(手紙)です。


  一つ目は、デンマークの読者からの手紙で、日常的はハイランド・パイプを演奏している投稿者が、"half-size pipe" や "Reel pipe" に興味があるので、メイカーの名前や入手方法を尋ねているもの。ハイランド・パイプ以外のパイプに対する興味が徐々に盛り上がってきつつあった当時の時代 背景を偲ばせます。


 もう一つは、もっとずっと興味深い内容。
 投稿者はパイプの練習を初めてまだ日の浅い、名前からはスコットランド系と思わしきイタリア在住の読者。
 彼は(当時は)ハイランド・パイプを演奏する人が殆ど居ないイタリア在住のため、パイパーから直接の手ほどきを受けられない中で、CoP のグリーン・チューターで孤軍奮闘しているとのこと。そんな彼としては、できればカセットテープに収録された教則音源があればいいな〜、と望んでいまし た。ところが、残念ながらそのようなカセットテープについては、計画は進行してはいるが、未だ実現に至っていない旨を CoP との手紙のやりとりで知らされた、という事です。(もちろん、その後程なくして、チューターにはカセットが併売されるようになり、さらには、CD や DVD が用意されるようになったのはご存知のとおりです。)

Apple2  そんな彼が同様な悩みに直面しているはずの、近くにハイランド・パイパーが居ない場所で練習に励んでいるパイプ仲間たちのために提案しているのが、当時と しては極めて先進的な内容。なんと、1978年に発売され、パーソナルコンピュータという概念を世の中に定着させた記念碑的パソコン Apple Uで動くソフトウェアで音源を聴く方法です。彼は、悩める仲間のために、その音源を快く提供したい旨をこの投書で伝えてきたのです。

 ちなみに、この Apple Uの販売台数は 1978年に 7,600台、1979年に 35,100台、1980年に 78,100台、1981年には約18万、1982年に約30万台と毎年倍々に増加し、パーソナルコンピュータの普及に貢献すると共にアップルコンピュー タ社の礎を築きました。その生産は1993年まで続き、総計500万台が生産された、ということです。

 世界中で 50万台以上の販売されれば、中にはハイランド・パイパーも少なからず居たことでしょうから、確かに有効な手段となり得たでしょうね。それにしても、およそ 30年近くも時代を先取りした提案。さすがはマックな世界、…ですね。


PT8312donation

 今になって振り返ってみると、注目すべきこの重要なアピール P6 THE COLLEGE OF PIPING SURVIVAL APPEAL が初めて登場したのがこの号でした。

 不思議なことに、この号のページを何度見返してもどこにもこのアピールの説明が無いのですが、訴えていることは非常にシンプルです。曰く「バグパ イプ界に於ける我々の38年間の貢献を今後も継続するためには、控えめな目標として£20,000 or $40,000 (当時の日本円にして およそ1,000万円)が必要です。」…として、寄付を募っている訳です。

 この後、この募金活動の経過報告が折りに触れて出てくる様になります。

 

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