"Piping
Times"《1982年》
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P27 Piper's Choice は、昨年11月号で紹介した、Falkirk Tryst Contest 200周年記念コンペティションに於いて、招待された 13人のパイパーが、それぞれ事前にチョイスして申告した 10曲の内訳を分析したレポート。 13人が選んだ曲の総数は 68曲。その中で最も多く選ばれたのは、言わずもがなの“Lament
for the Children”で、のべ 6人のパイパーが選んだとのこと。 以下、トップ 10は次のとおり。 3位(equal/5人) 6位(equal/4人) 10位(equal/3人) 以下、2人に選ばれた曲は次の 16曲。 残りの1人だけが選んだ 39曲の中には、The Vaunting、MacIntosh's Lament、MacLeod's Salute、The Prince's Salute、な どが含まれているということです。 このリストを眺めて「30年前もポピュラーな曲は余り変わらないんだな〜」という印象を持つ一方で、ちょっと不思議 な感じがするのは、この中に Lament for Patrick Og MacCrimmon、Lament for the Laird of Anapool、Lament for MacSwan of Roaig といった、近年は取り上げられることが多い曲が出てこない ことです。まあ、残りの 30数曲の中には入っているのでしょうけど、やはり、時代とともに人気曲の傾向も若干なりとも変遷しているということなのですね。 新年号は例によってこれといってめぼしい記事が無いの
で、P4の David Naill & Co. の広告ページを紹介します。
以前に一度、1980年 2月号の広告
ページを紹介しましたが、このメイカーの常套手段として、過去一年間の戦歴を誇らしげに謳って宣伝しています。 |
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この号はこの年初のピーブロックネタ登場。1981年7 月号 以来となる、 Roderick Cannon に よ る P22 Tune of the Month で "The Old Woman's Lullaby" が取り上げられています。 この曲は、Angus MacKay や John MacKay のマニュスクリプトに載っていますが、我々にとってお馴染みのピーブロック・ソサエティーのバージョン(PS book No.4・P113/Kilberry No.36)は Sandy Cameron が父親の Donald Cameron による演奏と伝えるものだということです。 Cannon が、この曲について記している「Taorluath も Crunluath も演奏される事の無いこの曲はコンペティションで演奏されることは極めて稀ではあるが、それにも関わらずよく知られてい るーおそらく、全てのショート・ チューンの中で最も遍く親しまれている曲であろう。」という言い回しに異議を唱える人は誰も居ないでしょう。 Cannon はその理由を、この曲が Queen
Victoria のパイパーであった William Ross
の楽譜集(1896年)に収められていたからだろう、と推測します。 さて、Tune of the Month の通例に従って、これ以降、Cannon は曲の構造の細かな解析に入ります。(この曲の伝承ストーリーについては「パイプのかおり第22話」のここを⇒) 通常、この曲はウルラールと2つのバリエイションについて、同じようなパターンで4小節が繰り返される 'even-lined' な曲であるされていますが、もう少し詳しく見ていくとこの曲のウルラールの構造は次のとおりと解析できるということ。 つまりは、次のようなパターンだということ。 ちなみに、このようなパターンの曲としてこの他に "Lament for the Viscount of Dundee"、 "In Praise of Morag"、"Mclaine of Lochbuie's Lament"(この曲は初耳)といった曲があるそうです。 さてしかし、このように解析した場合、2nd バリエイションについてはこのパターンに当てはまらなくなります。ところが、Campbell Canntaireachd MS に於いては、バリエイション2のもっとずっと長いバージョンが収録されていて、この場合にはウルラールとより近くシンクロしているということ。Cannon はこの号のセンター見開きページの左右2ページ分を使って、次のような MacKay バージョンと Campbell バージョンを比較し た楽譜を載せています。(クリックで拡大) …かと言って、Campbell バージョンが MacKay バージョンより「正しい」かと言い切れる訳ではなく、例えば "Lament for Donald of Laggan" や "Cha Till Mi Tuille" に於いても見られるように、曲の一部が失われるようなことは、ある曲が口承伝承される場合にはごく当たり前に有り得るこ とだとしています。 Cannon はこれに続けて「このような変遷がいつの時代で起こったのか?」ということについて、音の並びによるアクセントの変化か ら推敲を重ねます。ここら辺りにな ると例によって私には書いてある意味が十分に理解出来るわけではなくなり、その内容を上手く紹介することができません が、どうやら、MacKay のバージョンのようになっ たのは、およそ1800年頃のことだろうと推察しています。 現在、ごく一般的に演奏されている Sandy Cameron の バージョンと、ここで紹介されている MacKay や Campbell のバージョンを比較すると、微妙に音が違っている箇所が沢山あること(ウルラールの最後の小節が特に顕著です)から推し て、この曲は印刷された楽譜を基に 演奏されるのが一般的だったのではなく、あくまでも口承で伝承され続けてきた曲であることが推測される、としています。 短くも美しく、多くの人に遍く愛されてきた名曲故の姿。正統的 Living Tradition の一つなのですね。 |
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P12 High and Low は Editorial ページの下段に配置された小さな記事。 曰く「パ イプメイカー Grainger and Campbell はこのほど Lowland Bagpipes の製作に取り組むようになった。一昔前のこのバグパイプに対する関心は最近とみに高まってきており、楽器に対する需 要も急速に増加している状況である。先 般、Lowland Pipers Society も設立され、今後、定例的なミーティングが持たれることが見込まれている。」という内容。 それは、僅か7行のごくごく小さな情報欄でしたし、それだけで引き込まれるようなタイトルではなかったこともあり、
私は当時この記事を読んだ記憶はありません。 前月に引き続き登場のピーブロックネタ、P13 Pattern and Structure
in Piobaireachd は、A. G.
Kenneth によるピーブロックをテーマとした新シリーズの第一弾。 P25 The Development of Piping since 1945
は、何故かタイトルが微妙に異なっていますが、その実体は紛れもなく先月号 P28 The
Development of the Bagpipe の続編。そして、その内容はという
と、Seumas MacNeill が2月にブルター
ニュで行った「第二次世界大戦後のハイランド・パイプ界の変遷」に関する 講演の記録です。 今回の講演で Seumas は、スコットランド
以外の国々に於けるハイランド・パイプの興隆の状況について紹介しています。 まずは、アイルランド、南アフリ
カ、オーストラリア、ニュージーランドなどの英連邦の国々の状況に続いて、リビアやサウジアラビアといったちょっと意外
な国々の状況を説明。そしてその締 めくくりとして、日本の事についても触れているのです。 そして、さらに話は若い頃の
Seumas 自身がグラスゴー大学の助手の立場でありながらプ
ロフェッショナルなパイパーとして初めて世に出た(コンペティションに出場した)時の様子に至ります。 シェーマスのこのレポートに合わせた訳ではないでしょうが、たまたまこ
の号の P5 にはこんな珍しい人材募集広告が掲載されていました。オマーンの王立近衛師団のパイプ教師の求人です。
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今月号は紹介するような目ぼしい記事が有りません。仕方 が無 いので、P13 Piobaireachd Society Conference の 記事から…。 例によって講演録は別途取り纏められますので、ここでレポートされているのは実際の講演の記録ではなくて、主にカン ファレンス全体の雰囲気や、合間合間に演奏された曲の演奏者や曲名などに関するレポートです。 肝心の 1982年の講演題目は、Piobaireachd Society のオフィシャル・サイトで誰でもチェックすることが出来ますが、参考までに以下に転記しま す。 ● Session 1 講演録については、非会員でも一部づつ購入できます。また、会員であれば会員セクションから自由に閲覧&ダウンロー ドが可能です。タイトルを見て興味を惹かれた方はどうぞお目通しください。 特に、"The Desperate Battle of the Birds" の作者たる、Angus MacKay of Girloch の家系について詳細に紹介されている Session 1 の講演録は、現在のように便利な世の中になる遥か以前、CoP のオンライン・ショップから紙ベースで購入した際に大変興味深く読んだ記憶があり(…で、今ではどんな内容だったか殆ど忘れてしまってい)ます。 |
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P15 Emigrants はちょっと興味深い記事です。 曰く、「Jimmy McIntosh と Murray Hendreson の両夫妻がアメリカ合衆国へ の移住を決断した、というニュースは太平洋の両岸の彼らの多くの友人たちを驚かせた。」…と。 記事は、この二人のプロフィールとキャリアの紹介から始まります。 ニュージーランド出身の若き Murray Hendreson は、スコットランドでの適正試験(原文では tryout とありますが、正直なところ意味不明です。)の後、Angus エリアに居を構えることとし、そこで、彼女自身も優れたパイパーであった、Patricia と結婚したということ。 なんとその後、(多分、親子程歳が離れているハズですが)この二人は共同で McIntosh and Henderson reedmakers という会社を起こしました。多くの人々は彼らがその後も営々とスコットランドでこの会社を運営し続けると考えていたのですが、4月半ばにはまず Jimmy McIntosh が渡米し、続いて夏ごろ に Hendreson 夫妻と Mrs McIntosh が渡米する予定とのこと。 さて、実際のその後の成り行きとしては、Jimmy
McIntosh は確かに米国に移住しましたが、Hendreson
夫妻は相変わらずスコットランド在住のままなのはご存知のとおり。 P20 The MacLeod of Gesto Canntaireachd は
文字通りカンタラック関連記事。良く知られている Campbell Canntaireachd
との相違などについて、詳しく紹介されているようなのですが、元々の Campbell
Canntaireachd
自身を十分に理解していない私には、その解説文は少々難しすぎて上手く紹介できそうにありません。 この号、何故か目次ページが
スカスカなのですが、その訳はどうやら Seumas が
ちょっとボーっとしていたようです。なんと P40 The Structure of
Hindro, hindro というピーブロックネタの索引が抜けています。 最後の一文は、この曲の特徴的な cadence に
ついて記されています。 この曲は Campbell Canntaireachd MS
Vol.1 に入っている Nameless Tune で、通常の楽譜は Piobaireachd
Society Book Vol.12 P382 にあります。 ちなみに、 "Beinn a'Ghrian" に ついては The Piobaireachd Society サイトのメンバー ズ・セクション内、Sound Clip Library の中で Bruce Gandy の演奏音源を聴くことが出来ます。 実は目次から抜けているのはこれだけではありません。最初に紹介した P15 Emigrants の記事の続きに P16 Record Review の ページがあるのです。レビューされているのは、故 John MacFadyen によるコンペティションでのライブ録音やスタジオ録音が収めた "The Music of Dunvegan, John MacFadyen, B.B.C. Records" と いうアルバム。 A面最初は、"Rory
MacLeod's Lament" ですが、この音源はなんと“Piping Times”1979年2月号の John MacFadyen 追悼文に出てくる、John の Silver Chanter
コンペティションに於ける唯一の出場&優勝録音(1969年)という貴重なモノ。 B面は全て BBC スタジオ録音の音源。まず最初は長大なる "Lament for Donald Ban MacCrimmon" 。 John が 1972年の Oban の Open Piobaireachd コンペティションに於いてこの曲で優勝した直後のスタジオ録音とのこと。続いて、同様に 1972年の録音による "Lament for the Earl of Antrim" 。そして、アルバム最後を飾るのは "Squinting Patrick's Flame of Wrath (A Flame of Wrath for Patrick Caogach)" と いうなんとも豪勢な曲目の数々。 敬愛する朋友の貴重な音源を収めたレコードですから、Seumas MacNeill のレビューも力が入って いて、それぞれの曲毎に丁寧な 解説とその演奏に対するコメントが詳しく記述されています。その結果、たった1枚のレコードについて掛け値なく3ページ 分ビッシリと書きこまれているので すが、それにしてはどうしてこのような力作のレコードレビューを目次ページから落としちゃったんでしょうね? |
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今月号は目次ページがきちんと書かれています。そして、それらのタイトルを眺めると、やたらとピーブロック関連の記事が
多いように思えますが、その実、そ
れぞれコンペティションの結果報告や課題曲の告知だったり、ピーブロック・ソサエティーの A.G.M.(Annual
General Meeting)のレポートなどだったりしますので、それらについては、あえて紹介しません。 一つ目は、P20 Structure Patterns in 4 - Lines
Tunes 。 A(1) Line 4, first half is the same as first half of line 3 ; second half the same as second half lines 1 and 2. Examples : Lament for the Old Sword, Struan Robertson's Salute, Kinlochmoidart's Lament tune 1 and 2. A(2) Differs from typical example of A(1) in that mid and/or end of line 3 and 4 differ from mid and/or end lines 1 and 2. Line 4 ending usualy deffers. Examples : Young Laird of Dungallon, McKenzie of Applecross, Battle of Glensiel, Sobieski's Salute, Mary MacLeod, MacFarlanes' Gathering B Line 4 repeats line 1 and 2 exactly or with some variation. Examples : Good Health to You Donald, Prince's Salute, Isabel MacKay, Lady MacDonald's Lament C Line 4 starts with first bars of second half of line 3. Examples : Patrick Og, MacLeods' Salute, Gathering of the MacNabs D Line 4 starts with second half of line 2. Examples : This may be unique of Port Urlar E Lines 3 and 4 are identical or nearly so. Examples : Finger Lock, The Vaunting F Line 3 is identical to line 1. This may be unique to The Marquis of Argyll's Salute G First harlf Line 4 more of less equals second half line 1. Examples : Tulloch Ard, This may be unique. H Line 1, 2 and 3 start the same - line 4 deverges. Example : MacLeod's Salute I Second half line 3 equals first half line 1and 2. Example : Little Prince you are my Choice J Second half line 3 equals second half lines 1 and 2. Example : Lament for the Deperture of King James K Line 2 differs widely from line1. Examples : Port Urlar, Nameless"Hiharin dro odro" L Line 3 and 4 are not directly relate to line 1 and 2, and differ from each other. This is the largest group and many of the great tunes belong here. Examples : Rory MacLoud's Lament, Unjust Incarcerations, Nameless"Hihorodo tra cheredeche", The Lament for the Harp Tree, Praise of Morag, Lament for Donald Duaghal MacKay(S.Fraser's Setting), Old Woman's Lullaby, Sister's Lament, Lament for Red Hector of the Battle, Company's Lament, Lochiel's Salute, Daughter's Lament, Nameless"Hiharin droodro", Lament for Queen Anne, The Little Supper, Larid of Anapool's Lament, Pride of Barra, Lament for the Children, The Bicker, Catherine's Lament, Park Piobaireachd, Nameless"Cherede darievea", Kings Taxes いや〜、なんともマニアックな分類には敬服しきりですが、ところでこれってパターン分けと言えるのでしょうか? 例えば、Port Urlar が D と K の両方の分類に出てきているところからも、絶対的な分類ということよりも、ひとつの曲を複数の側面から分類しているのよ うですし、この分類に一体何の意味があるのか? …にわかには理解しがたい面もありますが…。 もう一つのピー ブロックネタは P25 Highland Society of London です、実は目次ページでは省略されてこのように表記されていますが、この記事の本当のタイトルは The Higland Society of London and the Publishing of Piobaireachd という長いものです。
スコットランドの古(いにしえ)の音楽(ancient
music=Piobaireachd)の保存と伝承を大きな目的の一つとして 1778年に設立された Highland
Society of London は、その目的達成のために 1781年に Falkirk
に於いて、1746年の武装解除令施行以降としては初のコンペティションを開催しました。 ここで感慨深いのは、この号が実際に発行された1982年当時には、たとえそれらのタイ トルと解説を読んで興味が湧い たとしても(そして、このように黄色のマーカーをしたところで)、現地の博物館や図書館にでも出向かない限り、実際にそ れらの現物(の中身)を目にするこ とは到底かなわぬ夢でした。ところがそれから 30年経った 2012年には、それらの出版物の中には立派な復刻版がリリースされた例も有りますし、そうでなくてもここに紹介されて いる出版物や手書き原稿の殆どがデ ジタルデータとして、その気になれば即、パソコンの画面から閲覧可能な状況になっている、ということです。 いや〜、何ともいい時代になったものです。 |
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まだ7月号ですから、P26 The Northern Meeting 1982 は、当然ながら結果報告ではありません。9月8〜9日に開催される この年のイベントに向けて開催された最終打ち合わせの結果、コンペティションの夫々の部門のジャッジの顔ぶれや、運営シ ステムが一部変更されることが決定した、というお知らせ記事です。 この当時、ピーブロックのコンペティションに於いて、プレイヤーがオーディエンスにとって耐え難い程の長時間に渡っ
てチューニングに延々と時間を費やすことが大きな問題となっていたのは、以前にも紹介したことがあります。 …で、この年のコンペティションでは、「オーディエンスが一時間に少なくとも4曲のピーブロックを聴くことができる
ように」するためのルールを試みることが決まったということです。 ミーティングの運営サイドとしては、課題解決にかなりの切迫感を感じて真剣に取り組んでいたことが伺われますね。 P31 A Structure for Piobaireachd はこのところ連続している A. G. Kenneth モ ノとは違います。Ramsay Traquair と いう人による記事ですが、内容的には特段目新しいものでもありませんし、サンプルとして取り上げられているのが "Hector MacLean's Warning" というちょっとレアな曲なのでちょっと紹介しにくいところです。今回の記事は Part 1 で「次回へ続く…」ということなので、次回を読んでから、それなりに紹介に値すると思えれば、その際にまとめて紹介する こととしましょう。(果たして、次 回はあるのやら?) 最後に、P18 South West Ross Piping Society -17th Annual Competition のレポートにあった一枚の写真をご紹介。このコンペ ティションのジャッジ団です。当時の代表的なシニア・パイパーの面々ですね。 |
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P8 Grant's Championship
は例年コンペティション・シーズンの最後(※シーズンの考え方については 1978年12月号を参照して下さい)を飾るイベントですから、前月号の
The Northern Meeting 1982
の記事と同様、コンペの結果報告ではありません。やはり、運営システムのちょっとした変更に関する予告記事です。 P9 John MacFadyen Memorial Tour
は没後3周年に当たる John MacFadyen を
偲ぶイベントのレポート。 講演者は David Murray で、パイパー としては John D. Burgess、P/M Angus MacDonald、そして、ガーリックシンギングで著名な(パイパーでもある)Finray MacNeill によるガーリンク・シンギング が披露されたとのこと。 短い報告に続いて同じページから P9 I am proud to play a Pipe というタイトルのこの時の David Murray の 講演録が3ページに渡って掲載されています。 ちなみ、P16 Scothish Pipers' Association の この間の組織の活動報告(報告者はチェアマンの Angus J. MacLellan )の中でこの John MacFadyen Memorial Tour で演奏された曲が報告されていました。それによると、 John D. Burgess は“The Battle of Waternish”と“Lament for Ronald MacDonald of Morar” 、P/M Angus MacDonald は“Sir James MacDonald of the Isle”と“MacDougall's Gathering”を演奏したということです。 P28 Highland Society of London は、6月号の The Higland Society of London and the Publishing of Piobaireachd Part 1 の続編たる Part 2。 今回は、印刷にかかる様々なコストについて詳しく解説がされていて、当時の出版の様子が伺えて中々興味深いところです。 冒頭で引用されているのは、1824年に John Gow と いう人によって書かれた手紙で、70ページに 30曲のピーブロックが収められたある印刷物の場合の具体的なコスト内訳が示されています。 当時の楽譜は繰り返しも一切省略せずに全てを淡々と記するような形式が多く、例えば、Donald MacDonald's Book の場合は 117ページを費やしてたったの 23曲、Angus MacKay's Book の場合は 171ページに 61曲しか収められなかったということなどについて触れられていますが、これらも今は実際に確認出来ます。30年前にこ の記事読んでもピンと来なかったで しょうが、いい時代になったものですね。 P32 Donald MacLeod は上の Highland Society of London の記事の最終ページ・ボトムに至って素っ気無く書かれている僅か7行の記事。 没後 30年に当たるを 2012年には様々なイベントが催されている、Donald MacLeod の死亡告知記事です。犬猿の仲に
あった Sumas MacNeill
にとっての喪失感は、John MacFadyen に
対するそれと は段違いに小さなものだった事が推し量れます。でも、George
Moss の様に無視するよりはマシですが…。 |
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この号の白眉は何と言っても、P12 Angus MacKay Chanter というタイトルの記事。 これは、1980年1月号 P14 You and Your Pipes と同じ趣向の「古(いにしえ)の名器」を詳しく解析する記事です。そして、筆者はこの号の表紙写真の人物で、かつ、この名器の現在の所有者たる Bill Paterson という人。 今回の名器はタイトルどおりあの Angus MacKay が 1850年に製作したチャンター。といっても、この場合のチャンターはパイプ・チャンターではなくて、プラクティス・チャンターのこと。 ところで、恥ずかしながら私はこれまで Angus MacKay
がパイプメイキングも行っていたという事は頭にありませんでした。 まあ、 Angus MacKay をビクトリア 女王に紹介した、同時代の先輩格にあたる稀代の名パイパー John Ban MacKenzie はパイプのかおり第30話で紹介したとおり、名パイプメイカーでもあった訳 で、いつの時代も優れたパイパーが優れたパイプメイカーであった例は枚挙に暇がありませんので、Angus MacKay がパイプメイキングを行っていたとし ても、決して不思議ではありませんが…。 さて、肝心のレポートに戻りましょう。このチャンター、素材はエボニー材、マウントにはシルバーとアイボリーが用い
られつつ大変入念に製作されており、現代の最高に高価な製品と比べても「一見して際立つもの」だということです。 Presented Buckingham Palace, 2nd July, 1850 (最後の一行はプレートの裏側) ここで「この James Luias とは誰?」という疑問が湧くのですが、筆者が参照した "Black's Surnames of Scotland"(スコットランド苗字録?)にもそのような名前はないとのことで、「 Luias はおそらく Lowis や Lewis といった苗字の古いバリエイションではないか?」と推測しています。 このチャンターはここ13年間に(つまり 1969年以来)ロンドン〜オーストラリア〜北米西海岸と長い旅を経て、筆者の手元に来たということ(つまりは、この人は北米西海岸在住のようですね)。 最後の旅は、MacKay という名のオーストラリア在 住のあるパイプメジャー(Angus MacKay の 末裔?)とのやり取りを経て、最終的に筆者が買い取ったという事です。 筆者はその顛末について「 An impatient wait of several months は十分に報われた」と書いています。確かに、インターネットの無い時代の海を越えたやり取り(国際郵便の発信&返信、代 金の決済 etc.…)というのは、今から思えばなんとも膨大な時間を要するもので、その待ち遠しさ、そして、それが最終局面に到 達したときの嬉しさは、あらゆる物 事がいとも容易にかつ光速レベルの超スピードで処理できてしまう 21世紀に生きている現代人が味わうことのできない、無上の喜びであることは、この筆者と同時代を生きてきた私にも十分 に理解することが出来ます。 そして、筆者は、数多くのスコットランド人の移住先であったオーストラリアやニュージーランドは、移住者たちとともに海 を渡った古文書や MMS(マニュスクリプト)などの保管庫として、スコットランド・ハイランド文化(財)の保存伝承に大いに貢献してい る。そして、この楽器はそのような保 存伝承例の最大の成功例(the most successful survivor)として、そのことを証明していると強調します。 この楽器が今日まで(この記事が書かれた当時まで 132年間も)大切に引き継がれてきた理由としてはいくつかの要素が考えられるますが、その一つとしては、当時としても 最高に高価かつ高品質の素材が惜し げもなく使われ、それを卓越したクラフトマンシップの下、細心の注意を持って入念に細工されていること、それ故、これほ ど長年持ちこたえるだけの耐久性が 備えられている事だとします。 ちなみに、このチャンターは、右の写真でも明らかなように (右側は比較のために並べられた 1920年代のシルバー&アイボリーの Henderson 製チャンター)、通常よくあるソールだけでなく、本体トップのボール部分までもがアイボリーがあしらわれています。私も これまでこのようなチャンターは目 にしたことがありません。 そして、当然ながらアイボリー製のマウスピースが装備されたリードキャップ部のボトム部
分にまでアイボリーのリングが挿入されているのです。 さて、この古(いにしえ) のチャンターの肝心の音色はどんなものだったのでしょうか? 筆者は、幸いなことに、つい最近バンクーバーに於いて、P/M Angus MacDonald と John MacDougall にこのチャンターを演奏して
もらう機会を得たということ。 素晴らしいその音色、演奏のし易さ、優雅で均整のとれた美しさ、そして、それらを生み出 した繊細で優美なクラフトマンシップ故に、この由緒ある古いチャンターは世代を超えて代々伝承されてきたのであろう。し かし、なんといってもこのチャンターの作者があの Angus MacKay である、ということがなによりも最大の理由であることは疑う余地が無い、と Bill Paterson さんはこのレポートを締めくくりま す。 う〜ん、実にロマンチックな名器の物語でした。 →名器ではありませんが、趣味性の濃いプラクティス・チャ ンターの話 |
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表紙の写真は、キャプションによるとユーゴスラビアのバグパイプとのこと。 一時は完全に廃れてしまっていたヨーロッパ各地の各種バグパイプは、ここ20年ほどで完全復活した感がありますが、 今から 30年前には、このような写真一枚でも大変に印象深かったものでした。 P14 The Battle of Langside は 1980年6月号以来のシェーマス・マク ニールの朋友、The College of Piping の共同創立者たるト マス・ピアストンお得意のバグパイプに関するフィールド・リサーチ記事。 今回は地元グラスゴー市内のとあるラウンドアバウトにあるモニュメントの話題。 さて、トマス・ピアストンが単に古戦場跡のモニュメントを紹介するだけの記事を書く訳がありません。当然ながら何かしらハイランド・パイプにまつわる話 題があるのです。ということで、今回は楽器そのもののレリーフ。
台座の一面に、このようなパイプ&ドラムのレリーフが彫られているのです。16世紀半ばの戦いを記念するモニュメントで
すから、そこに彫り込まれるレリー
フのテーマも当然ながらその当時を偲ばせるものでなくてはなりません。そこで、この記念碑の製作者が選んだのは16世紀
当時に演奏されていたドローンが2 本だけのバグパイプ。ベースドローンが登場するのはこの戦いの時点からおよそ
200年後の18世紀半ばです。 いつの時代も、バグパイプは何かと象徴的に描かれることは多いのですが、自身がパイパー でない人がパイプを表現する際には、このような誤解というか曲解というか、いい加減というか、真面目に表現する意欲に欠 けた例は枚挙に暇がありません。 さて、とにもかくにも皆さんは前回と同様、現代のテクノロジーに則って、グーグルアースとストリートビュー、そして、画 面のあちこちに貼りつけられた個人 投稿の写真で現地を探索してみては如何でしょう? ちょっとした旅気分が味わえます。 "Glasgow Langside Monument" で検索してみて下さい。 P17 The Composition of Ceol Mor は図版等を一切含まない、文字だけがぎっし り書きこまれたページが 8ページにも連綿と続く力作論文。著者は、Bruce Campbell という人。 その内容は、タイトルの直訳「ピーブロックの作曲について」というものからイメージされ
るような楽理的な内容ではなく、より基本的な視点からピーブロックという楽曲成立の歴史を、MacCrimmon、MacArtur、MacDoughall、MacKay、
etc.…といった名の知れたパイピング一族について時代を追って紹介しつつ、それらの一族の名のあるパイパーによって
折々に生み出されてきた名曲の数々を紹介した内容です。ですから、どちらかと言うと、The
Historical Background of the Composition of Ceol Mor
と言ったタイトルの方が相応しい内容になっています。
ただ、要約版と言っても、実際にはシェーマスの本と出会う前であった当時の私にとっては、正に目から鱗がボロボロ落ち
るような内容だったようで、30年
ぶりにページを開いてみると、どのページも黄色のマーカーだらけ。当時の私が如何に熱心にこの記事を読み耽ったかが伺わ
れます。
私は、どんな書籍でもその書籍を購入した際には、必ず表紙見返しに入手日を記するようにしていますが、手元にあるシェー
マスの "PIOBAIREACHD" の見返しページを見てみると
「29/12/82」 と記されています。 当時の個人輸入は、「注文したい物の送料込みの値段を手紙で問い合わせる」→「先方から送料込みの料金を知らせてくる」 →「郵便局から国際小為替で送金す る」→「荷物が届く」という手順を踏む必要があった訳で、かつ、それぞれの「→」に一週間から10日、下手すると二週間 ほど掛かるのが通例でしたから、 10月にこの記事を読んでいたく感動して直ぐに行動を起こしたとして、そして、全ての手順が順調に進捗したとしても、年 末にやっと荷が届く、というのはご くごくありふれたシナリオです。なんせ、こちらが発注を出したと思われる頃、先方はクリスマスギフトの受付と送付でてん てこ舞いだったでしょうから。 この記事の各ページの膨大なイエローマーカーから見えてくるのは、この記事が実に思い出 深い、そして、その後の私のピーブロック人生を決定づけるきっかけになった、記念碑的に重要な記事だったと言うことで す。 P30 On The Cremona Theory は対照的に僅か2ページの短い記事ですが、これがまた面白い。 …とは言っても、この記事が面白いと思えるのは、現在の私だからであって、30年前の私
にはこの記事の意味するところは、多分チンプンカンプンだったはずで、真面目に目を通したとは思えません。 The Cremona Theory というのはピーブロック愛好家なら誰もが知っている、MacCrimmon 一族の由来に関する諸説の一つで「MacCrimmon 一族はイタリアのクレモナから渡来した」という説 です。 この記事は筆者である A.MacRaonuill が、1800年初頭から現代までの様々な書籍やマニュスクリプトを分 析し、それらの中にこのマクリモン・クレモナ起源説が登場しているか否かについて、解析した結果を報告したレポートで す。 著者の解析によると、全部で 23件の書籍&マニュスクリプトの中で、クレモナ説が出てくるのは、1867年に Norman MacLeod が ゲール語で著した"Caraid Nan Gaidheal" という本と、1901年に W. L. Manson が(これは英語)著した "The Highland Bagpipe" という本のみである、とのこと。 一方、F. T. MacLeod は 1933年の "MacCrimmon of Skye" の中でクレモナ説を排除、また、Setan Gordon は 1929年の "The Banatayne Manuscript" の中でクレモナ説は嘘っぱちだとし、Black は 1946年の "The Surnames of Scotland" の中で「マクリモンがイタリア起源だというのは余りにもバカげている。」と記述している、ということです。 この解析の結果 A.MacRaonuill が到達した結論は「初期の著者たちは誰もクレモナ説について触れてな いない。それは、クレモナ説は Norman MacLeod に よって、1845年以降に《発明》されたからである。そして、それ以降の著者たちの多くも、クレモナ説を排除、ないし無 視している。それは、クレモナ説は史実などではなく、全くのフィクションだからだ。」ということです。 いや〜、世の中にはマメな人がいるもんですね〜。 |
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P12 Around the Game は例年いつもこの時期の号に掲載されるサマーシーズンの各地のハイランド・ゲームに於けるコンペティションの結果報告。6/13 Ardrossan から 9/4 Braemar ま で、全部で 15のコンペティションの結果が報告されています。 ピーブロック部門での上位入賞者の顔ぶれは Iain
MacFadyen、Andrew Wright、Tom Spires、John MacDougall
といったところ。特にこの 1982年シーズンは、Iain
MacFadyen の活躍が目立ちます。 さて、P12〜19 までの8ページを費やしているこの Around the Game の記事の合間の P16 に、ある全面広告が挿入されているのですが、これが中々興味深いので、全面スキャンして掲載します。 最後のセンテンスにあるとおり、この Alexander
MacDonald of Glenurquhart という人物は、あの John MacDonald of Inverness の父
親ということ。 この号には(当然ながら)Around the Game とは別扱いで
P26 The Argyllshire Gathering
のレポートが掲載されています。 先月号の表紙写真にも通じますが、P33 Bagpipes
in Netherlands は
1980年代に入ってリバイバルの機運著しいヨーロッパ各地のバグパイプに関するレポート。 このブックレットでは、右のイラストの "Muzelzak" と呼ばれる
オランダのバグパイプについて、フランスのバグパイプ "Cornamusa" と
比較対象しながら解説されています。 |
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表紙の写真は、先月号の
Alexander MacDonald of Glenurquhart の肖像画以上に古く由
緒ある肖像画。 シビレますね〜。 P24 From the Piping Times
はこれまでも何度か紹介してきましたが、その号の10年前(1972年)、20年前(1962年)、30年前(1952
年)の記事を紹介するコーナー。言 うなれば、この「30年前の“Piping
Times”」シリーズの原型とも言えるコーナーです。…が、今回はそれとは別に、P26 Page
from the Past というページ(実質的には半ページ)が有ります。 その内容は、Charles Bannatyne が、
さる人から Mr. Bartholomew が最
近 Campbell's Canntaireachd
1803年マニュスクリプトを入手したという聞いたので「ぜひとも、一時それを貸してもらえないだろうか。」と強く頼み込んでいるものです。 これらのマニュスクリプトがオンラインで自在に閲覧可能になっている時代に生きて いる我々の幸せを噛み締めましょう。 読者投稿欄 P27 The Custemers Always Write のコーナーから、海外の読者からの投稿を二つ紹介します。ちなみに、当然ながら今とは違ってこの当時はこれらは E-mail ではなくて全て本物の mail(手紙)です。 一つ目は、デンマークの読者からの手紙で、日常的はハイランド・パイプを演奏している投稿者が、"half-size pipe" や "Reel pipe" に興味があるので、メイカーの名前や入手方法を尋ねているもの。ハイランド・パイプ以外のパイプに対する興味が徐々に盛 り上がってきつつあった当時の時代 背景を偲ばせます。 もう一つは、もっとずっと興味深い内容。 そんな彼が同様な悩みに直面しているはずの、近くにハイランド・パイパーが居ない場所で練習に励んでいるパイプ仲間たち のために提案しているのが、当時と しては極めて先進的な内容。なんと、1978年に発売され、パーソナルコンピュータという概念を世の中に定着させた記念 碑的パソコン Apple Uで動くソフトウェアで音源を聴く方法です。彼は、悩 める仲間のために、その音源を快く提供したい旨をこの投書で伝えてきたのです。 ちなみに、この Apple Uの販売台数は 1978年に 7,600台、1979年に 35,100台、1980年に 78,100台、1981年には約18万、1982年に約30万台と毎年倍々に増加し、パーソナルコンピュータの普及に 貢献すると共にアップルコンピュー タ社の礎を築きました。その生産は1993年まで続き、総計500万台が生産された、ということです。 世界中で 50万台以上の販売されれば、中にはハイランド・パイパーも少なからず居たことでしょうから、確かに有効な手段となり得たでしょうね。それにしても、およ そ 30年近くも時代を先取りした提案。さすがはマックな世界、… ですね。
今になって振り返ってみると、注目すべきこの重要なアピール P6 THE COLLEGE OF PIPING SURVIVAL APPEAL が初めて登場したのがこの号でした。 不思議なことに、この号のページを何度見返してもどこにもこのアピールの説明が無いのですが、訴えていることは非常 にシンプルです。曰く「バグパ イプ界に於ける我々の38年間の貢献を今後も継続するためには、控えめな目標として£20,000 or $40,000 (当時の日本円にして およそ1,000万円)が必要です。」…として、寄付を募っている訳です。 この後、この募金活動の経過報告が折りに触れて出てくる様になります。 |
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