ハイランド・パイプに関するお話「パイプのかおり」

第14話(2003/7)

復刻された“BINNEAS IS BORERAIG”

 Canntaireachd No.15 でも書いたように、ピーブロック愛好家たちの世界に於いては(というか、これはブリティッシュ・トラッド全般に共通していますが…)、古い楽譜集や本の復刻版が出版されることは珍しくありません。
 この2003年春にもある一冊の貴重な楽譜集がカレッジ・オブ・パイピングから復刻・出版されました。

 “BINNEAS IS BORERAIG”と いうタイトルのこの楽譜集が初めて出版されたのは1959年のことですから、それからまだ僅か40年余りしか経過していない訳で、ジョセフ・マクドナルド の本のように250年も前の本が復刻されたという程にはインパクトは強くはないかもしれません。しかし、ピーブロック愛好家にとって、実際の演奏面でのそ の価値は、それに勝るとも劣らないものがあります。

 ゲ−ル語のタイトル“BINNEAS IS BORERAIG”とは“Melody and Boreraig”いう意味だそうです。
 もちろん、 Boreraig というのはスカイ島のはずれに位置するマクリモン一族の居住地、スコットランド中から多くのパイパーがマクリモンのその優れた技を学びに集まってきていた有名なパイピング・カレッジがあった土地の名前です。


 実は、この“BINNEAS IS BORERAIG”は1990年に一度、今回と同様にカレッジ・オブ・パイピングにより「復刻されかかった」こ とがあります。その時は、まず全6巻だったオリジナルの第1巻だけが復刻され(パイパー森はもちろん購入しました)、それに続いて全ての巻が順次復刻され ることになっていました。しかし、何故か第2巻以降はいつまでたっても復刻されることなく、そのままいたずらに時が経過していました。

  久しぶりにこのタイトルの楽譜が出版されるというニュースを見て「第2巻が出るまでに、なんとも時間が掛かったものだな〜」と思っていたら、なんと、今回 は全6巻が一冊に合册された体裁で、つまりは仕切り直して復刻されるとのこと。「じゃ、13年前のあの1冊目は何だったんだ?」と不思議に思っていたので すが、新しい復刻版の序文にその理由が書いてありました。
 つまり、当初はオリジナルと同じ様に6分冊の体裁で第1巻を復刻してみたが、以降も同様に6分冊として復刻するのはコストが掛かり過ぎる(つまりは値段が高くなり過ぎる)と推測されたので、著者である Dr. Roderick Ross の同意を得て、今回新たに全6巻を1冊にまとめた形で復刻することにした、とのことです。
 元々、6巻に収められているピーブロックは全部で112曲ですから、楽譜のボリュームとしても例のレッドブック“Kilberry book of Ceol Mor”と同程度になる訳で、決して無理な合冊ではありません。そして、今回は1冊で£30というリーズナブルな値段で復刻できたのですから、その目標は十分達成されたといえるでしょう。サブタイトルに“THE COMPLETE COLLECTION”とあるのは、そういう意味なのです。
 今回はパイピング・タイムス5月号と6月号に掲載された、この復刻本の出版をリポートした記事から一部を引用しつつ、この貴重な楽譜集について紹介しましょう。


 この楽譜集の大きな特徴の一つは、他の多くのピーブロック楽譜集が、ある特定の個人の演奏を表わすものでは無いのに対して、これはあくまでも Malcolm Ross MacPherson (1907〜1966)という一人のパイパーの演奏を忠実に表したものであるということです。著者である Dr. Roderick Ross は、このパイパーの112曲の演奏を全てテープに録音して採譜していったということです。

 そして、ここでさらに重要な事は、このこの Malcolm R. MacPherson は単なるこの時代の一人のパイパーというだけでなく、マクリモンの演奏を直系で受け継ぐマクファーソン一族の末裔にあたる人物であること。つまり、この楽譜集は往年のマクリモンの演奏への掛け橋となる重要な役割を果たしているのです。

 マクリモンの音楽の系譜は現代に至までに2つの大きな流れで伝わって来ています。(右図参照)

 両方ともが最後の2人の MacCrimmon(マクリモン一族の詳細な歴史については Canntaireachd No.17 を参照してください。)と John MacKay of Raasay をルーツとします。

 一つのラインが、 John Ban MacKenzie から4人の Cameron Family (キャメロン一族)を経て、John MacDougall Gillies、そして、Robert Reid へと繋がるライン。これを The Cameron Line と言います。

 そして、もうひとつのラインが、The MacPherson Line と呼ばれるもので、およそ150年間に渡ってマクファーソンという一つの家族を通じて代々伝えられてきた系譜です。そして、“BINNEAS IS BORERAIG”のソースとなった Malcolm Ross は、このラインの元祖となる1800年生まれの Angus から数えて4代目にあたります。歴代のマクファーソンの中でも最も有名な Malcolm MacPherson、別名“Calum Piobaire”の孫に当たります。関連記事⇒

 また、この The MacPherson line に属するパイパーとしては、20世紀初頭の著名なパイパーである John MacDonald, Inverness、そして、その弟子にあたる Robert Brown Robert Nicol、そして、さらには Donald MacLeod などの名が挙げられます。


 さて、この楽譜集の位置付けについてはこの位にして、次はそのユニークな内容について見てみましょう。

 まず、この楽譜集を何よりも特徴づけているのはその表記法です。なんとその譜面は5線譜ではなく3線譜なのです。
 これまでも何度も触れている通り、ハイランド・パイプの音域は1オクターブ+1音しかないので、確かに3線の上下に等しく1本づつ加線を加えればそれで事足りる訳なのですね。

 そして、さらに大胆なことに小節を区切る縦のバーも省かれています。
 このことはこの楽譜の重要なポイントなのです。Malcolm R. の父親で、かつ彼より長生きした Angus Macpheson(1877〜1976) が1956年に次のように語っているのです。

 “Once piobaireachd got imprisoned in bars that it lost its soul.”

  元々、ピーブロックを紙の上で表す事は邪道と言えば邪道。そうかと言って、20紀半ばにもなって紙に書いた楽譜を全て否定するのも時代錯誤なことでもあり ます。マクリモンの演奏を直系で伝承してきたマクファ−ソンのパイパーとしてのジレンマが、この言葉に全て込められているように思えます。

 著者はこのAngus Macpheson の 言葉を尊重して縦のバーを削除。その代わり、通常の2小節分を一つのフレーズとしてまとめて表記するとともに、その長さを常に一定に保って表記するように しています。つまり、他の楽譜ではごく当たり前に行われるような、一列に収まる小節数を変化させて(つまりは均等割りして)楽譜の左右の列を合わせるよう なことはしないのです。ですから、楽譜は列によって凸凹していますが、その代わり、その構造は一目で分かる訳です。

 さらにもう一つ、曲の構造を一目で分かり易くするシステムとして「ウルラールは緑、普通のバリエイションは黒、タールアーとクルンルアーは赤と いういう仕分けで譜面を色分けしていることです。想像してみてください、1959年当時にハイランド・パイプの演奏をテープレコーディングしたということ もさることながら、このような楽譜がカラー印刷で出版されていたということ自体もスゴイことですよね。古臭いイメージとは裏腹に、実はこの楽譜は当時の最 先端の技術を駆使して製作されたと言えるのかもしれませんね。

 また、このフレーズ毎の表記というシステムに加え、あるフレーズが前に出て来たフレーズと同じ場合には、“AS ABOVE ”とか、“REPEAT PHRASE 1. ”というような指示が記されていて、繰り返しの並び方などが分かり易くなっています。

 これらの様々な工夫により、この“BINNEAS IS BORERAIG”という楽譜はピーブロックの複雑な構造を一目で理解し把握することが容易なシステムになっているのです。
  概ね10分程度から長いものでは20分近い演奏時間になるピーブロックを覚えるためには、まずその曲の構造を読み取る必要がありますが、実はこれにはいつ もかなり手間取ります。これまではプラクティスチャンターで何度も何度もおさらいしつつ、時には色鉛筆やマーカーで同じフレーズの並びに色付けしたりしな がらその構造を読み取ったりしていましたが、その苦労から考えるとこの Dr.Roderick Ross の工夫した表記システムは確かに有効で便利に思えます。

 最後にもう一つ、この楽譜の見た目のユニークさということで言えば、以上のような独特の表記の譜面が全て手書きで描かれている、ということも見逃せません。
  実は私が最初に接したハイランド・パイプの楽譜、ドナルド・マクロードの教則本もその楽譜は全て手書きだったのですが、どう言う訳か、それらパイパーたち による手書き楽譜ってのは、何故かおたまじゃくしの頭の向きが通常と逆向きなんですよね。その辺もこの手書き譜面が少々奇異に感じられる要因の一つでもあ りそうですね。


 この復刻版でオリジナルと異なっている点は、6分冊が1冊に合冊されたということの他にもう一つ、とても大きな付加価値が付けられています。それは、それぞれのピーブロックについて情感を込めてその曲を演奏するためには欠かせない、その曲に関する解説が加えられているのです。
 解説文は他の文献などから引用されたものに加え、最近になって判明した事実等については新たに書き下ろされている箇所もあり、その曲の生い立ちや背景などが簡潔に解説されています。
  解説としては特に際立って詳細なものではありませんが、これまでは、あるピーブロックが「いいな〜」と思えた場合、まずはレッド・ブックなりピーブロッ ク・ソサエティー・ブックでその楽譜を確認し、そして、おもむろに Alex Haddow の“The History and Structure of Ceol Mor”を引っ張り出して来てその曲が生まれた背景や歴史を知るという手順が必要でしたけど、これからはこの一冊で事足りてしまうのでとても便利です。

 右はパイパー森の最近のお気に入りのピーブロック“The Prince's Salute”の譜面と解説の例です。当然ですが、まさか解説にまで色が付いている訳ではありません。黄色は私の引いたマーカーです。ちなみにこの曲の普通の楽譜はこんな感じです。

  これまでの私のペースで行くと、これら112曲全部を習得するということは死ぬまでかかっても到底無理そうですが、表紙に素晴らしいパイパーの絵が描かれ た(古い絵画らしく、ドローンが2本なのに気付かれましたか?)この奇妙な楽譜集をペラペラめくり、手書き音符の柔らかなタッチとカラフルな色使いの譜面 を眺めながら解説に目を通し、それぞれのピーブロックの生まれた場面に想いを馳せているだけで、なんとも充実した時間を過ごす事ができることだけは確かで す。


 復刻版の序文の後に、オリジナル版の著者 Dr.Roderick Ross によるイントロダクションが収録されていますが、実はここにもなかなか興味深いことが書かれていました。

 まずは、ピーブロックの種類について書かれた部分です。パイプのかおり第3話の“The Desperate Battle of the Birds”の説明文の中でふれたように、ピーブロックは大きく分けて、Lament〜、Salute〜、Gathering〜、などに分類できます。
 …で、その“Lament”という英語はゲール語の“Cumha”を訳したものですが、筆者によるとこの訳は間違った訳だというのです。
 曰く、ゲ−ル語の“Cumha”“Cumhachd”という言葉と結びついていて、その意味は“power”だということ。つまり、“Cumha”は単なる“Lament”悲嘆に暮れた鎮魂歌」ではないというのです。いうなれば「悲しみの中にも力強さを秘めている曲」だということのようです。

  う〜ん、これは全く新しい知識でした。でも、そう言われてみれば、この説明はごくごく自然に納得できるような思いがします。いわゆる Lament のタイトルを冠したピーブロックからはどれも、その大きな悲しみを乗り越えようとする作者の強い意思のようなものを感じる事が多いからです。


 もう一つは、The MacCrimmons(マクリモン一族)について書かれた部分。
 3ページに渡って様々な興味深い話が書かれているのですが、全てを紹介していると長くなりますので、取り合えず冒頭の MacCrimmon の名前の由来の箇所を紹介しましょう。

 スカイ島のクラン・マクロードに1480〜1540年にチーフを務めた Alastair Crottachhumpbacked /せむし)と いう人物がいました。ある時、彼は宿敵であった400人のクラン・マクドナルドの人々を(それは、その土地の全ての人口にあたったということです)彼等の 居住地であった Eigg 島のある洞窟で皆殺しにしました。(19世紀初頭にサー・ウォルター・スコットがその場所を訪ねた時には、洞窟の中にはまだ人骨が散乱していたそうで す。)

 マクロードの人々が虐殺を終えて島を後にしようとした時、足が悪くて逃げ遅れたためかえって虐殺を逃れたクラン・マクドナルドの一人の老婆が、マクロードの人々に向けて次のような呪いの言葉を投げかけました。「クラン・マクロードの若きせむしのチーフにかけて、今後、乾いた麦わらが燃える事がある限り、マクロードには幾多のせむしが生まれるだろう。」

 “Cruime”というのは「まがった」という意味のゲール語ですが、著者はさまざまな根拠から“MacCrimmon”(ゲ−ル語では“Mac Cruimein”)一族は、この Alastair Crottach の設けた私生児をそのルーツとしていると結論付けられると書いています。
 Alastair は彼等に Dunvegan 城(クラン・マクロードの居城)から8マイル離れた Galtrigil という場所に土地を与え、そして MacCruimein という名を与えることによって、彼等の演奏する「大気を貫くピーブロックの音色」によってクラン・マクドナルドの老婆の呪いを解くことができると信じた、ということなのです。


 それにしてもピーブロックに関しては次から次へと知らない話が出てくるもの。なんとも奥の深い音楽文化だと実感します。

【2012年9月追記】
 CoP デジタル Bookstore ではピーブロック楽譜のデジタル版のリリースが徐々に始まっています。第一号がこの楽譜集です。何曲かの楽譜のページにはプレイヤー・ボタンが配置され、Malcolm R. MacPherson 自身によるその曲のカンタラック・シンギングを聴く事ができるようになっています。また、“BINNEAS IS BORERAIG” は 2014年に改訂版がリリースされましたが、デジタル版の良いところは既に購入済みのものが自動的に改訂版にアップデートされるということです。

【2016年6月追記】
 CoPデジタル版は使いにくいので、自家製デジタル版を作成しました。

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