パイパー森
の音のある暮らし《2008年》
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2006
年8月にも書いたように、パイパー森はピーブロックをたしなむハイランド・パイパーのはしくれとして、
パイプを演奏する際には何よりも良い姿勢で凛々しく演奏する事にこだわります。
しかし、その強い願望とは裏腹に、体調が万全でない時、あるいは、リードが堅くてハードな時、はたまた、単に長い曲
を演奏していて疲れて来た時には、自分の姿勢がどんどん悪くなってくるのが分かります。私が家の中でいつもパイプを演奏
しているクローゼットの壁には、全身を写す姿見があるので、自分の姿勢がどんな風なのかが直ぐに解るのです。 演奏中の自分の姿勢をなんとかして清く正しく保つためのトレーニングの一つとして、ちょうど目線の高さにあるクロー ゼットの作り付けの棚のラインに目線を保持して演奏する、なんて方法で努力しますが、それでも直ぐに棚から目線がそれて いることが往々にしてあります。 このような自分の姿勢をなんとか矯正しようとずっと頭を悩ましてきましたが、最近、ある根本的なことに気が付きまし
た。 そういえば、ピーブロック名言集に引用した言葉の中に「ピーブロックは偉大なヨガ・ミュージックだ!」というのがありま したね〜。 ここまで書くと、パイパー森がすごい悟りの境地に至ったかのような感じですが、実は、そんな崇高なことではなくて、 私が言うところのヨガってのは、今をときめく NINTENDO のゲーム機 Wii のソフト“Wii Fit”でやるヨガのことなんです。アハハ…。 いや〜、でも、これはバカにできません。これって本当に優れものです。 普通、「自分自身の重心を意識する」こと、そして「その重心を自分の身体の真ん中に持ってくる」なんてことは、余程 のヨガの達人にならなくては会得できないでしょうが、“Wii Fit”に付属している“バランス Wii ボード”の上なら直ぐにそれが 体感できるのです。(“Wii Fit”と“バランス Wii ボード”についてご存知無い方は Wii Fit のサイトで…。) “Wii Fit”で は、その日最初に起動するとまずは身体を測定するのですが、その際にまず自分自身の重心の動きも表示されます。また、ト レーニング・プログラムにあるさま ざまなヨガのポーズをする際にも、重心の動きは刻々と表示され、バランス良く重心が取れているかどうかが得点として表示 されます。
私が最初に身体測定をした時は、その重心は身体の中心からかなり離れた場所にあり、また、測定中にあちこち動き回ってい
て、それは酷いものでした。しか
し、毎日の身体測定時、そして、さまざまなヨガのポーズをする中で、常に身体の中心と重心を一致させるということを意識
するようになると、不思議なもので
道を歩いている時や電車の中で立っているときなどにも、自分自身の重心を意識するようになります。そして、そのお陰で私
の姿勢はかなり改善されたように思 えるのです。 皆さん、“Wii Fit”でするヨガで、偉大なヨガ・ミュージッックであるピーブロッ クを凛々しい姿で演奏する素敵なパイパーになりましょう! |
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巷のお酒の席でウイスキー離れが顕著なようです。 しかし、私が成人してお酒の席に(いやいやながら)付き合わなくてはならなくなった1970年代の酒席では、乾杯のビール の後のメインのお酒と言えば日本酒&ウイスキーの水割りというのが定番でした。 酒席の片隅には必ずウイスキーのボトル(多くの場合はあのダルマ=サントリー・オールド)が氷のバレルと水の入ったピッ チャーと共に置かれました。そし て、後輩&女性は先輩&男性の好みに合わせて、ウイスキーを底の方にちょこっと入れたグラスに氷をドカドカ入れ、水を加えて キンキンに冷えた「ウイスキー の水割り」を作るのが常でした。 私は、日本酒と水割りウイスキーの両方とも苦手でした。日本酒はあのお燗されたお酒から立ち上るホンワリとした独特の香り が、そして、ウイスキーは冷たさ&水っぽさが…。 そんな状況下で私が酒席をこなす処世術(と言う程のことではありませんが…)は、真っ赤な顔で「もう酔っ払ちゃいま
した」って風を装って、ビールをちびりちびりやりながら何とか時間をやり過ごすということでした。 そんな私が、純粋に「このお酒、美味しいな〜?」っと思うことが稀にあります。 そして、もう一つのお酒は、スカイ島唯一のシングル・モルト・ウイスキーであるタリスカーです。このお酒に辿り着い た経緯は2007年5月に書いたとお り。 さて、今朝、毎週日曜日の日経新聞に挟み込まれている大判のビジュアル・ペーパー“THE NIKKEI
MAGAZINE”をめくっていると、いきなりそのタリスカーの全面広告が載っていてびっくり。 不思議だ。 いや〜、カッコイイ!
そのルポの中では、最終的に採用されたその写真の他に、その写真家がこの広告の為に撮り下ろした4枚の写真が掲載さ
れています。それらは全て同じアングルの写真なのですが、それぞれ見事に風情が異なります。 う〜 ん、お酒にはからっきしダメだった私が初めて「本当に美味しい!」と感じて虜になってしまったウイスキーは、こんな にも個性的でディープなシングル・モルトだったのですね。 ちなみに、Google Earth で割り出したこの写真の撮影ポイント(湾を挟んで Cuillin 山を仰ぎ見る位置)は次の場所のようです。
さて、その広告ページ
の一番下にはご他分にもれず広告主“MHD ディアジオ モエ ヘネシー”が運営するサイト SINGLEMALT.JP
の URL(※) が書いてありました。 男性的で荒々しいというタリスカー10年に比べて、さらに年数を重ねたタリスカー18年について、コンクールの審査 員の一人は「エレガントで、素晴らしいスモーキーさとかすかな甘いフルーツのとのバランスが保たれている。グラスの中と 舌の上で絶えず変化し続ける。穏やかな味わいの波が押し寄せ、上等なバランスとクラシックなペッパーを感じるフィニッ シュ。とぎれなくつづいていく」とコメントしています。 この二つの年代物の対比を私なりにピーブロックの世界に置き換えてみると、タリスカー10年が Donald Mor と彼の作品、そして、タリスカー18年は Patrick Mor と彼の作品、という風にバッチリ当てはまる ような気がします。 はてさて、それではこの次は「なにも育たない土地」スカイ島が育てた二つの至宝、世界最高のシングル・モルト・ウイ
スキー、タリスカー18年を取り寄せて、マクリモン最高のコンポーザーである Patrick Mor
の最高傑作“Lament for the
Children”を聴きながら、じっくりと味わってみることにしましょう。 |
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最近つ
くづく感じ入るのはあのピーブロック・ソサエティーも徐々に変わりつつあるということ。いつの間にかリニューアルされたサイ
トは、どうしようもなく古くさ
いデザインで、かつ、とてつもなく使い難かった以前のサイトとは見違える程にスマートで、ごく当たり前のように使い易い。 そして、充実したリンク一覧や、今回紹介したように Manuscripts のインデックス・ページからは pippetunes.ca や CEOL SEAN のサイト経由のページににダイレクト・リンクが 張られるなど、以前の様な頑なまでの閉鎖性もすっかり陰をひそめて、非常にオープンかつ有用性の高いサイトになっています。 ここで、いくつかの新たなお薦めポイントを紹介しましょう。 ●トップページのバナー右側“Newflash”の
コーナーには、その週の BBC Pipeline や CoP Radio
でオンエアされているピーブロック音源について、そのタイトルと演奏者の情報が表示されています。 このサイト、なんてったってピーブロックの総本山のサイトですから、これらの新しいページに限らず、様々な楽譜
集のインデックスや年次カンファレンスの概要報告、そして、Roderick D. Cannon の“The Making of Thomason's Ceol Mor”
といったような論文がまるまる掲載されるなど、元々中身は非常に濃いものでした。 |
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ここ10数年間、我が国では(小さな波は有りながらも)ケルト文化にスポットが
当たる日々が継続しています。そのお陰でケルト関連の出版物については、日本人による書き下ろし、翻訳物ともに数えきれない
程出回っています。 試しに Amazon の和書で「ケルト」と検索してみると、ざっと170冊以上がヒットします。また、昨今のシングル・モルトブームなどにも表れ ているように、旅行や文化の対 象としてのスコットランドはいつでも人気の的。先ほどと同様に「スコットランド」で検索するとさらに沢山、なんと260冊以 上がヒットします。 そ
れらの中のいくつかは読んだものも有りますが殆どは未読です。正直に言えば存在すら知らなかった本ばかり。1970年代
初頭、私がブリティッシュ・トラッドに馴染み始めた当時
だったら、ケルトやスコットランドなどという言葉がタイトルに入っていれば、片っ端から入手して読み耽ったことでしょう
が、今ではそのような日本語の本は 殆ど読まなくなってしまいました。 そんな
訳で、ケルトやスコットランドといったキーワードを頼りに本屋さんをうろつくこともとんと無くなった昨今ですが、先日、
友人との待ち合わせの時間潰しにたまたま立ち寄った本屋さんで、偶然に「上玉」の本と出会いました。「スコットランド 歴史を歩く」(高橋哲雄著/2004年)と
いう岩波新書。 しかし、読み終えてみるとそれは実に蘊蓄に富んだ内容で大変勉強になりました。 この本の扱っているのは、宗教改革(1560年)から19世紀初めま
でのおよそ2世紀半の近世史。イングランドと共通の王
を戴くようになった同君連合(1603年)から名誉革命(1688年)を経て、イングランドとの議会合同による合邦
(1707年)で頂点に達し、そのいわば揺れ戻しに当たるジャコバイトの乱(1745〜6年)に至る間。こ
の約140年間にスポットを当ててスコットランドのナショナル・アイデン
ティティ確立の歩みを振り返ります。そして、さらに18世紀半ば以降の西欧の「啓蒙の世紀」に於いて
めざましい存在となった「スコットランド啓蒙運動」の成果
を、その時代の歴史に名を残す多彩な人物たちを通じて、概観します。 Donald Mor MacCrimmon の
生年は1570年。そして、Donald Mor
から数えて5世代目に当たる最後のマクリモンたる Donald
Ruadh の没年が1825年。そして、John
Ban MacKenzie や Angus
MacKay が活躍したのは正に19世紀の前半です。
しかし、私にとってこの本が蘊蓄に富んでいると感じたのは、単に扱っている時代がピーブロックの時代とダブっているから
という訳ではありません。なにより
も、正にその時代こそが「スコットランド人のナショナル・アイデンティティの確立の要となった時代だった」ということ
が、具体的な事例を基に実に
丁寧に説明されていいたからです。その結果、様々な時代背景とある特定の事象の意味が、まるで霧が晴れる様に理解できる
ようになりました。 本の後半では、何事にも《実》の世界を求めるスコットランド啓蒙運動の特質が克明に解説されています。そこに登場す
る偉人たちの名前を単純に羅列しただけでも、膨大なリストになります。スコットランド人が近代史に残した甚大な成果につ
いて改めて認識させられました。(例えばこんな感じ、
アダム・スミス、ジョン・ミル、ディヴィッド・ヒューム、ジェイムズ・ワット、カーネギー、アラン・ラムゼイ、
サー・ウォルター・スコット、スティーブンスン、リヴィングストン、クック、ロバート・アダム、チャールズ・マッキ
ントッシュ、etc.…) もう一つ、大きな意外な事実を知りました。それは、スコットランドの揺るぎないアイコンとでもいうべき《クランの固有タータン》という概念が、実は長い歴史のある伝統で は無かった事。クラン・システムが実質的に崩壊した後世になってから、コマーシャルベースで、意図的に創り出された新し い《伝統》であるという真実です。 既に 2004年に出版されていたこの本、手軽な新書版ながらピーブロックの生まれ育ったスコットランドの時代背景を知るためには、なによりも必須の参考図書で す。 |
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お盆明けから蓼科に来ています。
今年は、我が家がこちらに来た途端に全国的に前線が繰り返し到来し雨模様が続き、気温も下がってすっかり夏が終わってし まったかの如く。ここ蓼科でも 2003年の異常気象の夏と同様(今年の場合は既に8月も下旬ですが…)に雨がちで気温も低く、毎朝暖炉をガンガン焚い て部屋を暖める始末です。でも、な んせ山の天気なので、晴れる時はそれなりにカーっと強烈な陽が刺して爽やかな夏の陽気になります。 ところで、2005年7月に 書いたように、私が勝手に「パイパー森の専用ステージ」と称していた森の中のウッドデッキのステージは、当然ながらあの 夏以降、勝手には使えなくなりました。そして、それ以来、パイパー森の蓼科でのパイプの演奏場所は標高1900mの木立 の中になっていました。
ところが、今回山荘に到着した日の夕方、一年振りの体力測定の意味で例のステージのある場所まで、自転車で国道を標高差
150m(距離はおよそ2km)の
ヒルクライムをしたところ(一度も休まずに一気に登れたのでひとまず今年も合格!)、時間は5時をほんの少し回ったとこ
ろでしたが、なんと入り口にチェー
ンが掛かっていて、敷地内にはもう誰も居ません。チェーンはあくまでも車の進入を止めるためのものですから、チェーンを
潜って中に入ってしまえば、誰に咎 められることもなく敷地内を勝手に散策することができます。 日を改めて、今日5時過ぎに出掛けてみると先日と同様に入り口にチェーンが掛かっていて誰も居ません。チェーンの外側に は十分な駐車スペースがあるので、 以前と同様にそこに車を停めると、パイプケースを下げて100m程奥まった所にある懐かしい森のステージに向かいます。 3年ぶりの森のステージは、以前は所々朽ちて穴が開いていたウッドデッキや、今にも崩れそうだった丸太の手すりや階
段などが丁寧に補修され、以前にも増して居心地が良くなっています。 実は、昨日も5時過ぎに来てみたのですが、その時はまだチェーンは掛けられておらず居残っているスタッフのものと思 わしき車も見えたので、残念ながらいつもの木立に囲まれた場所まで行って演奏しました。 そして、昨日と今日、二つの場所で続けて演奏してみてつくづく実感したのは、森のステージの《音環境》の素晴らしさです。 2006年10月に
も書いたように、同じオープンエアという状況ながら、昨日演奏した木立に囲まれたパイピング・スポットは、チャンターの
音が周囲の木々や足下のクマザサな
どに吸収され過ぎてしまって、ハイランド・パイプらしい迫力に欠けて何となく物足りなく感じられるのです。そのような場
所で演奏する際は、どうしても
「もっと迫力を!」を力んでしまいがちになり、結局のところ早々に疲れてしまう。そして、そのくせ、なんとなく満足感、
充実感、達成感が得られ難い。
細かく見ると、片方(→写真の左側)のログハウスは単純な長方形ではなくて、玄関部分が出っ張った凸状になっているの
で、結果として直角の壁に囲まれた凹
部が2ヶ所出来ています。また、ドアや窓は平板な木製ですし、一部にはガラスが嵌め込まれているので、その部分の反射は
丸太よりも鋭いはず。 このように非常に多彩な音(の反射)環境ですから、コンペティションのステージでパイパーたちがやるように、演奏しなが らステージの上を静々とピーブロッ ク・ウォークすると、立ち位置や方向によってチャンターだけでなくドローンの音も微妙に違って聴こえるのがはっきり解り ます。 今回演奏した "Desperate Battle" の
場合、鳥たちの争いのクライマックスを表現した最後の Crunluath-a-Mach
バリエイションに差し掛かった時には、直角の壁の間に位置取りして壁に45°で対面して演奏すると、まるで全身音まみれ
になってもうタマリマセン。脳内α 波が一気に高まり、酸欠状態も相まって完璧に恍惚状態に入れます。 あ〜、これだからハイランド・パイプは止められない。まるで麻薬 だ〜。 暫く離れていたからこそ、そして、木立の中のパイピング・スポットとの対比ができたからこそ、この森のステージの《音環境》の素晴らしさに改めて感じ入りました。 今年の夏の初め、横浜のみなとみらい地区にある臨港パークで 夜9時過ぎに演奏する機会がありました。演奏したのは波が打ち寄せる岸壁の端から数m、足下は石畳という場所。遠方にラ イトアップされたベイブリッジを眺 めながら(といっても、実は演奏を始めると直ぐに目をつむってしまうのですが…)、石畳から反射するチャンターの音に包 まれ、一種独特な心地良さの中で恍 惚となることができました。 この時の演奏といい、今回の3年ぶりの森のステージでの演奏といい、精神的なものも含めて《音環境》の不思議さをつくづく実感させられました。 そういえば、以前、このサイトを開設する時にお世話になったす宇都宮市在住の Jailbird さんと、栃木県の大谷市にある大谷石採掘後の地中の大空間で 演奏することを目論んでいたことがありました。また、以前からの夢なのですが、教会のチェペル、できたら大聖堂みたいな所で演奏してみたいと思っています。あと、やはとみ なとみらいのドックヤード・ガーデンの底(ランドマーク・タワーのふもとの人工滝の流れる前)ってのも狙っ ているスポット。あ〜、まだまだやり残していること沢山あるな〜。 演奏している自分自身が誰よりも心地良くなれるような演奏場所を追い求めてあちこちを彷徨う、パイパー森の「音環境の旅」はまだまだ終わりそうにありません。 |
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今回は天気が安定しないので無理ですが、通常なら夏季に蓼科に滞在する際は
2〜3回はベランダでバーベキューをやります。その際、上手に(炭に)火を起こすことが出来ると、なんとなく男が上がったよ
うで気分が良いものです。 バーベキューの火起こしで問われるのはタイミング。食材の準備が終わった時にまだ火が起きていないという状況は絶対避けな ければなりません。これまでい ろいろと試行錯誤してきた結果、炭に火を起こすのは、ボンベ式のガストーチ(バーナー)を使うのがベストな方法だという結論 に達しています。風情などを気 にしていてはイケマセン。ガストーチを使って予定した時間までに迅速にかつ確実に、あくまでもビジネスライクに火を起こすの みです。
しかし、暖炉は違います。暖炉なんて実用性より趣味性が大。単に部屋を暖かくしたければ、オイルヒーターのスィッチを入
れればいんですから…。 お陰様で火起こしも大分上手になりました。 暖炉の火起こしにはそれなりの技術が必要です。だからと言って、ガストーチを使うなんて不粋な事をしては意味があり ません。技術はただただ試行錯誤の繰り返しで身に付けるのみです。 山荘自体が落葉松林の中に建っていることもあり、我が家の暖炉で燃やすのは殆ど全てが冬季に雪の重みでもげて落ちて来た 落葉松の枝。一番太い部分が手首程 の太さ、長さは2〜3m程のものを夏の滞在中に丹念に拾い集め、ナタで暖炉に入る長さに切り揃えておきます。山荘内の納 戸にはそのようにして切り揃えた 《薪?》をぎっしり詰めた段ボール数箱と焚き付け用の小枝類の箱がストックしてあります。また、その他にも長いままの 枝、切り揃えた枝をそれぞれ軒下に積 み上げてあります。 さて、落葉松の枝を使った暖炉の火起こしの手順。 サラ〜っと書きましたが、実はここに至るまでには結構時間が掛かっています。 しかし、先にも書いた通り、我が山荘の暖炉焚きは基本的に「敷地内の管理・清掃活動の延長、敷地内リサイクル」のス
タンスを取っています。ですから、よくあるように暖炉用の薪を購入などは一度もしたことがありません。 さて、日々、このようにして暖炉に断続的に薪をくべながら、炎をぼんやりと眺めている中で、何故か《炎が出す音》を意識するようになりました。 よく、「メラメラと燃えさかる炎」という表現がされま すが、それはあくまでも《視覚的》な様子を表現した言葉で す。暖炉の炎を《音的》に表現すると「メラメラ」ではなくて、どちらかというと「ヴォ〜、ヴォ〜」とか「フォ〜、フォ〜」といった低く唸るような音がします。それこそ、 メラメラと燃え上がる炎が一気に上昇気流を作り出し、煙突の中に空気が流れ込む音なのでしょう。その合間を縫って、油を 含んだ落葉松の枝が勢い良く爆ぜる音が「バチ、バチ」とか「パチ、パチ」という風に聴こえてきます。その他にも、木材の中の 空気が熱せられて勢い良く吹き出して「シューッ!」という 音を出すこともあります。 頭をからっぽにして炎をジ〜ッと見つめながらこのような《音》を
聴いていると、それらがまるで「音楽」のように聴こえてく
る瞬間があります。それもまるでピーブロックのように…。 外はまた雨降り。さあ暖炉を焚くとしましょう。 |
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William
Donaldson による分厚い(518ページある!)“The Highland Pipe And Scottish Society
1750 - 1950”(Tuckwell Press
Ltd./2000)に、Skye島の Boreraig にあの MacCrimmon Cairn
が建立された際の除幕式(1933年8月2日)の様子について触れた箇所がありました。
クラン・マクロードのチーフに率いられて集まった人々を前に、当時の トップ・パイパーたちがマクリモン・チューンを次々演奏したそうな。そのメンバーと曲がとにかく凄い…。 John MacDonald(of Inverness) が“I got a Kiss of Kings Hand”、Robert Reid は“The Lament for the Children”、そして、Angus MacPherson が“MacCrimmon's Sweetheart”、Angus の兄である John MacPherson が“MacCrimmon will never Return”を演奏したということ。そして、セレモニーの最後には全員がアンサンブルで (!?)“The Lament for Donald Ban MacCrimmon”を演奏 したということです。 これらの曲の平均的な演奏時間は、それぞれ14分、16分、11分、9分、20分ってところですから、実に聴き応え あったことでしょう。なによりも演奏者 たちの顔ぶれ、そして、そのシチュエーション共に、これ以上考えられないものだったのですから、ピーブロック愛好者 にとっては、ある意味で20世紀で最も 胸を打つイベントだったと言えるかもしれません。 そして、式典で Dr. Norman MacLean という人が述べた式辞が、これまたとても詩的かつスピリチャルな内容で非常に印象的です。次の様な感じ…。 No man can judge the bagpipes or
set a value on MacCrimmons unless he has been
familiar with the sound of the piobaireachd in
its native element... . う〜ん、なんとも熱い想いの込められた言葉ですね〜。 |
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MacCrimmon Cairn の除幕式で演奏された曲を、iTune
に入っている手持ちのお気に入り音源でセットしてみました。
“I got a Kiss of Kings Hand” …しめて、1時間12分28秒。聴き応えありまっ せ〜! |
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The National
Piping Centre の発行する隔月刊の機関誌“PIPING
TODAY”については、2006
年4月の冒頭に書いたとおりです。たまたま、No.20
にはピーブロックに関する印象的な記事が複数掲載されていたので、あのようなことを書きましたが、その後の号についても、基本的には冒頭に書いたとおりの
印象は変わりません。 また、その方面に興味のある方にとっては大変有り難いのでしょうが、元々パイプバンドの記事が必ず一定のボリュームを占め ている上に、最近は、世界中で あらゆるバグパイプの復刻が続いているムーブメントを反映してイギリス以外のパイプの記事が号を追う毎にそれなりのボリュー ムを占めるようになりました。 つまり、私の興味のある記事の割合が益々少なくなっている、ということ。 さらに、年に必ず一回は極端な遅配(数ヶ月遅れで届いたりする)があったりして、その度に、先方にEメールでクレー ムを付けなければならない煩わしさもあります。 そんなかんなで、この夏の No.35 で年間購読が満了する機会に購読更新はしないことにしました。 ところが、本日、帰宅したら購読更新手続きしてないはずの“PIPING TODAY” が届いていました。特にヨレヨレになっている訳でもないし、見た記憶のない表紙だったのですが、なに気に Issue No.を見たら、No.34 とある。 「あれっ? 確か、最後に届いた号は No.35 で、別途郵送されてきた購読更新のお願い文書にも『あなたの購読は No.35 でお仕舞いになる』って書いてあったような気がしたがな〜?」 手元のバックナンバーを引っくり返してみると、確かに No.34 は届いて無い。…ってことは、この号、またまたどこかをさまよっていたってこと? 余りにもたびたび遅配されるので、この号が未配だったってことすら気が付かなかった。 大体、“PIPING TODAY” 自体には Issue No.と発行年は書いてあっても、それが何月号かってのはどこにも記載されていない。 パイピング・センターのサイトで確認しようとしたら、これもまたお粗末なもので、未だに No.33 までしか紹介されていない。でも、その No.33 は April/May 2008 ということなので、No.34 は June/July 号ってことになりますね。やはり、3、4ヶ月さまよっていた訳だ。 まあ、もう、これで本当に最後なのでどうでもいいですけど、いい加減にして欲しいよね。 |
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2003年11月に書いた高校時代の同級生の坊さん、その後、無事に
寺の落ち着き先が決まり、仮住まいであったマンション25階の天空の寺から地上に舞い降りてきました。
今年6月に5年ぶりに催された高校卒業35周年の同期会の際、例によってやたらと出席率の良い我がクラスの連中、坊 さんが新しい寺に落ち着いたという話を聞きつけ「今度は、ぜひその寺でクラス会をやろうじゃないか!」といって盛り上が りました。 …で、今日がそのクラス会の当日でした。 横浜市の巨大動物園「ズーラシア」にほど近い場所に位置するその新しい寺は、これまでとは極めて対照的に鬱蒼とした
木々に囲まれた中、寺が経営する広大な墓苑に隣接した場所にあります。 幹事の計らいで、出し物(鳴り物?)は坊さんのシタール演奏とパイパー森のバグパイプ。そして、疑似講義として、こ のところ NHK などにも出演したりとかなりメジャーになったクラスメートである吉村仁先生による「素数ゼミのお話」を聞くというもの。 当初、パイプの演奏はその広大な墓苑のど真ん中で、とも考えましたが、なんせ土曜日なので墓参りの方々の迷惑にならない 様に、寺の駐車場ですることになり ました。まずは、最寄りの駅からクラスメートが三々五々タクシーで到着する頃合いを見計らって、我が校歌をバグパイプで ウェルカム演奏。ほぼ皆が集まった ところで、いよいよ本番です。 我々の年代としてはある意味奇跡的にも47人の我がクラスメートで現在のところ亡くなった方 は皆無です(音信不通は2人居ますが…)。しかし、担任を務めて頂いた3人の恩師の内お二人が既に亡くなっていますし (最も若い最後の一人の先生は今回の クラス会に参加して下さいました)、3年間の高校生活にお世話になった幾人かの恩師も既にこの世に居られません。また、 他のクラスを見渡せば、既に亡く なった同期生も少なからず居る訳です。 そんな方々への想いを込めて、いつもの“Lament for the Children”を演奏しました。 10台程度の駐車スペースがある寺の駐車場は、ニ面がほぼ垂直に立ち上がった(自然石風に凸凹とした表面の)コンク リート擁壁に囲まれており、もう一面は寺の建物、そして、最後の一方が樹林地に向けて開放しているいるという、至って理 想的な《音環境》でした。コンクリート擁壁をバックに、ク ラスメートたちには開放した樹林地の方面に立ってもらい、演奏を始めた途端、いとも簡単にあっちの世界に入り込むことが 出来ました。 バグパイプの演奏の後、皆で本堂に座り、御本尊を拝みつつ坊さんの先導に併せて読経しました。 読経に続いて予定されていた「素数ゼミのお話」は、当日になって当人が風邪で熱を出したとかでドタキャンになり実現しな かったのは残念でしたが、袈裟から インド風の上衣に素早く衣装直しした坊さんによるシタール演奏は、マンションの一室とは違って、さすが天井の高い今回の 本堂の《音環境》が良かったのでしょう、5年前に聴いた時 にも増して味わい深いものがありました。 さまざまなドローン・ノートまみれになった、善き響きの一日でした。 |
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2008/10/26
(日) 三つ子の魂百まで |
ピーブロックという音楽を、これまで一度も聴いた事が無い人たちに先入観なしに
聴いてもらい、その感想を聞くというのはなかなか興味深いものがあります。特に今回は、自分の若い頃を知っている古い友人た
ちなので、いつもにも増してリアクションが興味深い。
ロック仲間だったクラスメートには、演奏終了後「どうだ い?“Lament for the Children”ってまるで“天国への階段”だろ?」って聞 いたところ、直ぐに「いや〜、正にそのとおりだな〜。」と いう答えが返ってきました。「自分がギター弾けないフラストレーション、 これ(ハイランド・パイプ)で晴らしている、っての解るよな?」と追い打ちをかけるように問えば、「うん、解る、解る。」という返事。 もう一人、17年ぶりに会ったあるクラスメートはもうちょっと違った経緯。 計らずも、2人のクラスメートに自分の揺るぎなく一貫した音楽嗜好の証人になってもらった様で、何だか妙に嬉しい気 持ちになった夕べでした。 |
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このサイトを開設した2002年頃からずっとお世話になってきたアップルのノート
パソコン iBook も、さすが入手から6年以上も経過すると世
の中に付いて行くのが大変ツラクなってきました。CPU
の性能もメモリの容量も、現代のインターネットから降り注ぐ膨大な情報を処理するのには絶対的にパワー&容量不足。
You Tube なども、高画質で配信されている動画はコマ落としのようにしか観れないので、これといった動画は渋々ながら家族のウィンドウズ・マシンを借りて観ていまし た。 OS
も 10.2.8 止
まりだったので、現行の
10.5.5 との格差が余りにも開いてしまったため出回っているフリーソフトも非対応のも
のばかり。ですから、Cop
Radio や Pipeline の音源をゲットするにも、やは
りウィンドウズ・マシンにインストールした「超響録」のお世話にならざるを得ませんでし
た。 これまで私は自分のラップトップで使うパーソナルなノートパソコンについては、常に家族(妻と息子)のお下がりを 使っていました。現行の iBook も しかり。ところが、この6年の間に、なんと家族は揃ってウィンドウズ・マシンに乗り換えてしまったのです。…で、頼みの お下がりパソコンが期待できなくなってしまい、このように更新インターバルが長期化してしまった訳。 まあ、(パソコンで)大した事している訳でもないし「まっ、いっか〜!」と、古いマシンをだましだまし使ってきまし たが、如何せん余りにも時代遅れになってしまったので、いよいよ更新することにしました。 実は、パソコンをなか
なか更新しなかったもう一つの理由に画面サイズの問題があります。 この10月に MacBook シリーズになって以来最大規模 のモデルチェンジがあり中身のみならずデザイン面でもかなり大幅に刷新されたのですが、残念ながら画面サイズに ついは従来の MacBook どおりに 13.3 インチのままで据え置かれました。 …で、更新するにしても「現行よりも画面サイズが小さくなるというのは、はて、いかがなものか?」と、じっくりと熟 考した結果、最終的に MacBook に 先行して2007年8月にビッグモデルチェンジ、さらに、今年5月にマイナーチェンジ(CPUクロック数アップ&プライ スダウン)して以来、その美しいデザインとコストパフォーマンスの高さで巷で大変に人気が高いと評判の、一体型デスク トップパソコン iMac の方を購入することにしました。 我が家では iMac については、あ の衝撃的なボンダイ・ブルーの初代(新聞の 全面広告にあのマシンがどっか〜んと載った時の鮮烈な印象は忘れられません。見た瞬間に「これ、買いッ!」とビビッと来 たものです。)と、それに続いてインディゴ・ブルーの 2代目を、ほんの2、3年前までノートパソコンと併用して使っていました。 この時代の iMac は、奥行きの あるブラウン管タイプのずんぐりむっくりした形状ですからやたらとスペースを取りますが、最新の iMac はまるでディスプレイだけかと思わせるようなな んともスリムなデザイン。画面サイズは最もベーシックなものでも 20インチもあり、かつ、新しい MacBook シリーズに比べても CPU も HD もワンクラス上のモノが載っていながら値段が安いとくれば、確かに「コストパフォーマンスが良い」と評判になる訳です。 私が購入したのは最もベーシックな機種ですが、オプションとしてワイヤレス・マウスとワイヤレス・キーボードを注文しま した。オンラインの Apple Store で購入すれば差額を支払うだけでそれぞれワイヤードのキーボードとマウスがワイヤレスのものに交換された上で送られて来 るので、安上がりかつ無用なものが ダブって付いてくる無駄がありません。 しかし、メモリについ て言えばベーシックなタイプに標準で搭載されているのはたったの1GB なので、最低でも2GB にしたいところ。ただ、メモリだけは Apple Store で購入すると相場よりかなり高価だということなので、Yahoo のオンライン・ショップで格安な4GB(iMac が対応する上限)のものをゲットしました。ちょうど Apple Store でオプション設定されている 2GB のメモリと同程度の価格でした。 初代&2代目の iMac についてはそのサイズからして当然ながら文字通 りデスクトップに置いて使っていましたが、今回購入した最新の iMac については、これまでのラップトップ・ノートパソコンに置き換わる形で使用するため、家に居る間の殆どを過ごすマイ・ソ ファー(アームレストにあるノブを引くと、オットマンが立ち上がり、同時に背もたれが倒せるようになる)に座った状態で 使えるようにする必要があります。 そこで、iMac が到着する前に、ラップトップに代わる役割を果
たす専用のパソコン台を造作しました。パソコンを使用しない時はソファーの脇に置いておいて、使用する時だけキャスター
によってコロコロと目の前に移動させるのです。 スタンドアローンでし かもキャスターが付いた移動式ということで、地震の際には簡単に倒れてしまいそうなので、iMac のアルミ製スタンドをアクリル版でホー ルドするようにしてあります。また、膝元の棚上段には Mac OS 10.5 の売りの一つである自動バック アップシステム Time Machine 用 のハードディスク、棚下段には双方への専用電源タップを据えました。 このオリジナル・ パソコン台に加えて、ワイヤレスのキーボード&マウ スを使うことによって、これまでと全く変わらないというか、これまで以上の使い心地を 確保することができました。なんせ、従来の14インチに比べて40%も画面サイズが大きい20インチのディスプ レイは大迫力。さらに、美術工芸品とも言え るような卓越したデザインでコンパクトかつ軽量、そして、何よりも絶妙のキータッチを持ったワイヤレス・キー ボードの使い心地は、全くもって実に感動的で す。 Mac OS X の最新のバージョンに接するのは本当に久しぶ り。それも、10.2 から10.5 Leopard へと 3階級特進の大幅バージョンアップなので、さぞかし戸惑うかと思いきや、全くそんなことは無いのがさすがマックな世界。「これはこうか な?」「あれはそうかな?」と想像を働かせれば、大概の新しい機能も直ぐに操作を憶えられます。 何よりも凄いと思ったのは、最初に起動してから、指示に従って設定作業を進めて行くと「以前にもマックを使っていた場合は、古いマックの内容を移設するので2つのマッ
クをFireWireで繋いで下さい。」ってな指示が出るのです。 新しいパソコンを入手した時というのは、データの移設だけでなく、やたら面倒臭いインターネットの設定だの、一体どこに 保存されているんだ?というような メールデータの移設だの、ブラウザーのお気に入りのインポートだの、前に使っていたソフトの再インストールだの、なんや らかんやら作業しなくてはならない ものだと観念していたのですが、そんなことは一切無し。 まるで、新築の家が建ち上がったので引っ越ししてきたら、便利屋さ んが先回りして引っ越し荷物の梱包を手早く解いて、家具や家電製品を設置、毎日使っていたお茶碗やお皿を食器棚に納め、 蔵書を本棚に並べ、家中に掃除機を 掛けてくれていて、「さあ、どうぞおくつろぎ下さい。」とばかりに玄関のドアを内側からさっと開けられた、といった感 じ。 つい1時間ばかり前に梱包を解いたばかりの真新しいパソコンに向かって、まるで何事も無かったように「新着メールをチェックして、以前のとおりのフォルダに投げ込み、ブラウザーを立 ち上げてお気に入りに入れたサイトをあちこちチェックする。」という風に、当たり前のことが当たり前 のようにできてしまうところが、これぞ正にマッ クな世界。 考えてみれば、新しい洗濯機や冷蔵庫を買ってきた時に、なんやかや設定しないと洗濯ができない物が冷やせない、などとい うようなことは考えられません。あ る意味、マックのこの真のユーザーフレンドリーさは、最近の複雑なデジタル放送対応テレビを「設置して視聴できるように 設定する」ということよりも、さら にストレスフリーであるような印象です。 もう一つ、大変嬉しい誤算がありました。 ところが、上記のようにオートマチックに移設された様々な古いソフトのアイコンを次から次へのクリックしてみると、
それぞれみんな無事に立ち上がるではありませんか。何故か唯一、Photshop だけはダメでしたがアップグレードに最もコスト
の掛かる Adobe Go Live
がごく当たり前のように立ち上がった時は「やった〜!」と小躍りしました。(メーカーが対応を保証しているのは、確か
10.3頃までだったようですが…) これまで、ウィンドウズマシンの「超響録」
にお世話になっていたインターネットラジオの音源ゲットも、マックな友人で
もある大島豊さんに教えていただいた、Audio Hijack
Pro というシェアウェアを購入して無事解決。なんせ、折からの円高のお陰で今なら
代金 $32が 3,000円チョイで済むのですから超ラッキーでした。 言うまでも無い事ですが、6年のブランクを経て体験する最新のパソコンの性能は正に目を見張るばかり。インターネッ
トの閲覧や動画モノの視聴が、全くストレスフリーになったのは大いに助かります。 使い始めてからまだ日が浅いので Mac OS
10.5.5 の
機能には日々新しい発見があり、その度「おっ、こんな風にできるのか。」「いやいや、確かにこんなことが出来たら便利だ
よな〜。」という具合に感心することしかり…。 このように、単にパソコンをいじるだけで思わず笑みがこぼれてくるような楽しみ方ができるのは、ウィンドウズ・マシ ンのくびきに捕われている限り絶対に体験することの出来ない、ユーザーに対する深い愛情と遊び心に満ちたマックな世界 に身を置く者だけの特権です。 |
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Mac OS 10.2
から 10.5
にアップして実感するのは、この間、Mac OS X
は使い勝手が着実に向上しているということ。
漢字Talk7(もしくはもっと以 前?)以来、基本プラットフォームは不変なままに進化を続け、マックなオベレーション・システムとしてはある意味で洗練 の極に達していた Mac OS 9 か ら、基本プラットフォームを抜本的に Unix ベースの ものに変更した Mac OSX にアップグレードされた際、実は多くのマックユーザーが少なからず戸惑ったはずです。私もそんな中の一人でした。 確かに、システムの安定性は飛躍的に向上しましたし、Aqua と呼ばれるその斬新なインターフェイスは、旧来のもの( Windows のみならず Mac OS9 も) とは段違いに進歩的なもので、見ているだけでワクワクさせられましたした。ですから、パソコンを操作することが単に喜び に繋がるという「マックな世界観」の延長上 にあるという意味では、まさに正統的な進化型ではありました。 しかし、その一方で、「自由自在」そのものであったファイルやフォルダの開閉操作性は少なからず損なわれ、まるで現
在の Windows OS のように
どことなくぎこちないその操作性は、ちょっとマックらしからぬものになってしまった、という印象は否めませんでした。 その後、私のマックは長い間そのようなぎこちなさが残る Mac OS 10.2.8 の世界に留り、一方で職場や家庭で折に触れイライラさせられるウィンドウズ・マシンと付き合いつつ、そんな思いをずっと抱き続けていましたが、今回 10.5.5 の世界を体感してみて深く印象的だったのは「あ〜、やっぱりマックは努力 して、あのいささかマックらしからぬ時期をとっくの昔に脱していたのだな〜。」ということ。 以前、不自由だったファイルやフォルダの開閉操作性についても、ちょっとしたやり方さえ飲み込めば、OS 9 で満喫していた自由奔放な世界にごく近 くなっていました。「近くなった」というのは、以前よりも格段にアクションの選択肢が多様になった分、シンプルで何も考 えなくても良かった OS 9 とは単 純には比較できないからです。 どちらにしても、現在の Mac OS 10.5.5 に
至っては、XP だの Vista だの何だのと言いいながらも、ほん
の些細な見た目を除けばその実、殆ど進歩らしい進歩をしていない Windows
OS
と比べて、その使い心地は(再び以前のように)天と地ほどに差が付いたという感じがします。 そして、その多様な機能の中でも、特に今回の 10.5 Leopard から取り入れられた Cover Flow の概念については、本当に感心してただただ頭を垂れるのみです。 ご存知のとおり、この Cover Flow の機能は、OS
に先行して iTune や iPod でアルバム・ジャケットをめくるように
閲覧するシステムとしてお馴染みでした。 ところが、OS 10.5 からその
Cover Flow が Finder の機能の一部としても位置づけら
れ、ファイルなどの閲覧にも使えるようになったことにより、その意味は全く異なってきました。 Cover Flow は、私がいつでもさっと取り出して参照したいためにドックに常駐させている Ceol Sean の復刻版楽譜集や pipes|drums のサイトからダウンロードした William Donaldson の解説付き楽譜類など、膨大な数の PDF ファイルを閲覧する際に特に絶大な威力を発揮します。 なんせ一冊の楽譜をまるまる写し込んだものですから、これらの
PDFファイルの数はそれぞれの楽譜毎に数個から多い場合は30個程もあり、さらにそれぞれの
PDFファイル自体が数ページから数十ページほどのボリュームがあります。 しかし、Cover Flow はそ れとはちょっと違って、このようなデジタル復元された旧い楽譜集と接する上で、それらを単なる貴重なデータのストック・ ヤードとして扱うのではなくて、まるで、本物の楽譜をめくるような(ア ナログ的な)行為が持つ、いうなれば「本をめくる楽しみ」を も再現してくれるのです。 「ドッ クにある楽譜のフォルダを納めたスタックをクリックしてフォルダを展開させる/いずれかの楽譜集のフォルダをクリッ クして開ける/18世紀のイラストが何 とも懐かしい表紙が納められた PDF ファイルを手始めに、次々とファイルをめくって行く/興味深いページが見つかったところで、その PDF ファイルをクリックしてビューアーで 開く/じっくり目を通す。」といった一連の動作は、実のところ「(本物の)楽譜をめくって、興味深いページに出会ったら、おもむろに老眼鏡を掛 けてじっくり目を通す。」といった動作となんと似ていることでしょう。 マックな世界 というのは、このように「デジタル技術を駆使しつつも、同時に人類 が長い間親しんできたアナログ的な手技をいかにして再現するか?」ということを目指して いるのではないでしょうか。デジタル時代ならではのヒューマンニズム溢れる心地良さを求めて…。 Cover Flow と並んでもう 一つ、当初はその意味が理解できなかった機能に、Spaces があります。 これは「複数の仮想デスクトップを次々と切り替えて使う」と
いう風に説明されていますが、実は私はそう言う説明を読んでもイマイチぴんと来ませんでした。 しかし、この機能も実際に使ってみるとその便利さに目から鱗が落ちました。ある意味、異常なほどに潔癖性で整理整頓
魔である私にとっては最適の万能ツール。 話はそれますが、このような時に実感するのがメモリを 4GB に増設しておいたことのメリット。これもまた便利な機能である Dashboard に 設定してあるシステム・モニター・ウィジェットでシステム各部のリアルタイムな活動状況をモニターしてみると、幾つもソ フトを立ち上げっぱなしにした場 合、やはりそれなりにメモリを占有する様で、マルチタスクを駆使して作業をしていると、メモリの未使用部分が 2GB を下回ることがままあります。しかし、そんな時でもまだまだ1GB 以上のメモリが残っていると思えば、使っていないソフトを終了させる事もせずに漫然と作業が続けられるのは、何よりもス トレスフリーで快適です。 もう一つ、便利で安心な機能が言わずと知れた Time
Machine 。 先日、Adobe Acrobat Reader
の設定を元に戻したいけど戻し方が分からなくなったことがあったので、これ幸いと早速 Time Machine を立ち上げ、iMac を最初に立ち上げた11月1日まで遡っ
て復元してみました。 いや〜、ユーザーに対する底知れぬ愛に満ちた マッ クな世界 に身を置くということの心地良さを実感する日々です。 |
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「世界遺産」とい
う言葉はよく耳にしますが、浅学な私は「世界《無形文化》遺産」と
いう概念があることを、先日11月5日付けの新聞記事を読んで初めて知りました。
その新聞記事によると、ユネスコの無形文化遺産委員会が11月4日にイスタンブールで開かれ、90件を無形文化遺産 代表リストに初めて登録したとのこと。日本からは、能楽、人形浄瑠璃文 楽、歌舞伎が登録されたそうです。 この登録の根拠となっている「無形文化遺産の保護に関する条約 (無形遺産条約)」は、これまで、民 族文化財、フォークロア、口承伝統などと呼ばれてきた無形の文化を人類共通の遺産としてとらえ、保護していくこ とを目的に作成され、2003年の第32回ユネスコ総会において採択されたということで す。 ユネスコでは、無形遺産条約に先立ち、無形の文化遺産を保護するための事業して、2001年より隔年で、世界の伝統 的な文化の表現形式や文化空間を「人類の口承及び無形遺産の傑作の宣言」と して発表し、口頭伝承や無形の文化形式の大切さを認識すると同時に、政府、地方自治体、NGOなどが率先してそれらの保 護活動を行い、未来へ継承していくことを目指してきたそうです。 今回登録された90件の一覧など、詳しくは「世界無形文化遺産」等
で検索を掛けてヒットしたサイトを読んでいただきたいのですが、私はこの90件の中に何故ピーブロックが入っていないのか?
不思議かつ残念で仕方ありません。 |
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今から数年前、当時の旧 iMac
の内蔵 HD の容量がたったの 6GB しか無いにも関わらず、iTune
の音源ファイルがどんどん増殖するので、どうにもしようがなくなり、オンライン・ショップで外付け HD を探しました。 その当時、容量 60GB のものが確か2万数千円程度になっていて「いや〜、随分安くなったもんだ。」と、やたら感心する一方で「一体、60GB なんてどうやって使い切るんだい?」ってな思いも抱きつつ、その安さに釣られて購入したのを憶えています。 ニュー iMac も当初はシステムも含めて本体 HD の使用量は 50GB にも満たなかったので、とりあえず Time Machine 用の外付け HD としては、これまで使っていたその Yano 製 60GB HD をあてがいました。 しかし、人間ってのは便利に成れば成ったで、何かとどうでもいいことをし始めるもんです。なんせ、ニュー iMac の内蔵 HD の容量は 250GB もあるもんで、ついつい釣られていくつかのピーブロック関連の DVD を MP4 ファイルに変換してどんどん本体に取り込んでしまいました。 そのお陰で、ソファーに座ったままでマエストロたちの演奏風景を次々と画面に呼び出しては、Techopipes
で一緒に演奏する、という楽しみ方が簡単に出来る様になりました。 しかし、そんな事をすれば当然ながら、あれよあれよという間に本体 HD の使用領域は急速に膨らみ、あっという間に 60GB の外付け HD ではバックアップが出来なくなったのです。 …で、今回もオンライン・
ショップで新しい外付け HD を漁りました。 当初は、せっかくなら iMac に 装備されている書き込み速度が最も早い FireWire 800 対応のものにしようかと思いましたが、価格コムの書き込み情報によると、FireWire 接続の場合は本体との電源連動機能が巧く効かないということだったので、わざわざ高いものを買うまでもないと考え直し、 ごくベーシックな USB 2.0 接続タイプのものにしました。これだと値段も最安値でなんと1万2千円台。いや〜、時の流れは早いですね〜。 最安値の店がたまたまアマゾンだったのでエクストラ 350円のお急ぎ便を指定して、昨夕発注したブツはほぼ24時間後の本日夕方到着。 長年お世話になった Yano 製 60GB HD には清くお引き取り願ったその場所には、今では何事もなかったかのように IO DATA 製 500GB HD が鎮座し、せっせと Time Machine システムによるバックアップに励んでくれています。 これで周辺機器まで含めてニュー iMac 体 制が完璧に整ったことになります。チャンチャン…。 |
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マッ クOS
の楽しみ方の一つとして、フォルダのアイコンなどを様々にカスタマイズする作業があります。カスタマイズといっても、自
分でアイコンをデザインするって程
に本格的なことではなくて、それこそ世界中にゴマンと居るマックフリークたちがせっせと作成したやたらと素敵なカスタム
アイコンをダウンロードして、適当 にあしらうだけですが…。 精緻にデザインされたこれらのアイコンはそ れぞれがフォルダに設えられているので、内容に応じて、例えばアルミ・アタッシュケースやレザー・ブリースケースには書 類のファイル、スイスアーミーナイ フのフォルダにはユーティリティーのアプリケーション、バイオリンやカセットなどのフォルダにはオーディオ関連のアプリ ケーションやファイルを入れるな ど、外観と中身の関連づけをあれやこれやと思い浮かべながら使い分ける訳です。 あるフォルダを開けた瞬間にこれらのカラフ ルなフォルダが楽しげに並んでいる様には思わずニヤリとさせられます。また、デスクトップのドックに置いたスタックをク リックすると、ファン形式で様々な フォルダが、まるでびっくり箱のように飛び出して来る様子が楽しくて、意味も無くスタックをクリックしてしまったり…。 単にパソコンに向かってフォルダやデスクトップのレイアウトをあれこれいじり回しているだけで楽しめるってのが、ま さに マックな世界の楽しみ な んです。
さて、そんな風に、デザインされた新しいフォルダに元のフォルダの中身を移し替える作業をいそいそとやっていると、つい
やってしまいがちなのが、本来削除
してはいけないフォルダやアイコンをうっかり削除してしまうこと。なんせ、私は徹底した潔癖性で、ドックにある金属メッ
シュのゴミ箱にゴミが溜まったまま になっているのは我慢ならない性分なので、ゴミ箱はしょっちゅう空にします。 先日も、写真を閲覧しようとしても何故か iPhoto (マックの写真閲覧ソフト)が立ち上がらない。確かにアプリケーション・フォルダを探しても iPhoto のアイコンはどこにも見つからないところから察するに、どうやら気が付かぬ内にうっかり捨ててしまったらしい。 そんな時、俄然威力を発揮するのが例の Time Machine システムです。Time Machien は単なるバックアップとは異なり、過去のある時点に於けるマックの姿を全て保存しているので、こんな時にはそのアイコン を誤って削除したと思わしき時点よ りも前の時点に遡ってそのアイコンを探し出し、復元ボタンをクリックしさえすればそのアプリケーション自体がいとも簡単 に復元できるのです。CD などから再インストールすることとは比べ物にならない程に超イージー。 いや〜、マックには深い愛を感じます。付き合っていて本当に楽しいですよ〜。 |
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