#01/2007/5/23
The Pentangle“Cruel Sister”(Transatlantic Records TRA 228/1970/国内盤)

 パイパー森がこのコーナーで最初に取り上げるのは、何を置いてもこのアルバムの他には有り得ません。
 現在のパイパー森があるのはとりもなおさずこのアルバムのお陰。というか、アルバム2曲目でジャッキー・マクシーが無伴奏で淡々と歌う“When I Was In My Prime”との運命的な出会いがあったからです。

 ここにも書いた様に、小学〜中学と順当に正しいロック少年の道を歩んでいた私は、高校一年になったばかりの1970年のある日、いつものとおりラジオでロック番組を聴きながら机に向かっていました。
 そこに突然流れて来たのがこの曲でした。確か、その番組のニュー・リリースのコーナーで紹介されたのだと思います。

  今となってはその番組のディスク・ジョッキーが誰であったかは全く記憶に残っていませんが、その方はなんともマニアックな選曲をしたことでしょう。よりに もよって、このアルバムを紹介するのに、収められている曲の中で唯一の、さらに言えば実際のところペンタングルの演目としてはごくごく稀な例である《無伴 奏シンギング》の曲を放送したのですから。そういう意味から言えば、パイパー森にとっての本当の恩人はこの曲を選曲したこの方こそかもしれません。
 とにもかくにも、ロック・ミュージックとは対極にあるように思える、たおやかな女性ヴォーカルによるトラディショナルなスタイルの無伴奏シンギングの持 つ、これまで経験した事の無い何とも形容し難い真の迫力に「ガ〜ン!」と脳天をぶちのめされたのです。正にこの曲から
「天の啓示を受けた」というような感じでした。

 直ぐに、このアルバムを求めてレコード店に走って走って走って走って、そのままず〜っと走り続けて38年気がつくと遥か彼方のスコットランド高地にまでたどり着き、ピーブロックというディープな世界に完璧にハマってしまっていた、というのがパイパー森の偽らざる今の心境です。


 以下、このアルバムに収められている曲のタイトルと、その他の曲に関するコメントを少しだけ…
A-1. Maid That's Deep in Love
A-2. When I Was in My Prime
A-3. Lord Franklin

 →珍しく、ジョン・レンボーンがリード・ ヴォーカルを取る曲なので、他とはひと味違う所が印象的でした。トラッド音楽と付き合う中で、その後、さんざん耳にする様になるコンサーティーナの音色を 初めて聴いたのもこの曲でした。なんと、コンサーティーナを弾いているのはバート・ヤンシュです。
A-4. Cruel Sister
 →一般的には、“Two Sisters” というタイトルで知られる《超》定番のバラッド。こんなディープなバラッドと16才にしていきなり出会ってしまったのは、幸か不幸か…。
B-1. Jack Orion
 →B面全部を占める長〜いこの曲と、パイパー森の最終到達音楽「ピーブロック」との関連性については、ここに長々と書いてあります。


 《ブリ ティッシュ・トラッド》という概念がまだまだ一般的では無かったこの当時、ペンタングルの音楽はどちらかというとトラッド愛好者というよりもフォーク、 ロック、ジャズといった幅広い分野の愛好家、中でもとりわけギター・サウンドを追求するような人々が特に深い関心を寄せていたものと思われます。そのよう な需要を受けて、ペンタングルだけでなく、古くは 1960年台半ばに遡るバート・ヤンシュとジョン・レンボーンのソロアルバムも含めて、ペンタングル関連のアルバムはかなり早い時期から日本盤が盛んにリ リースされていました。
 ですから、私が当時入手していたのもその殆どが日本盤のアルバムです。現在と違ってあらゆる情報の入手が容易ではなかったあの頃、ブリティッシュ・ト ラッドに関しては まだまだ初心者だった当時の私にとっては、先人たちによって詳細に記された日本盤のライナー・ノートは貴重な情報源、知識の宝庫でした。
 そんな中で、この記念すべきアルバムについては、珍しく日本盤の他にオリジナル・イギリス盤が手元にあります。元々これは私のパートナーが結婚前に所有していたものです。

 LP レコードというものは、中身のレコード盤自体に刻まれた音だけでなく、アルバム・ジャケットまでも含めて一つのアートとして鑑賞に値するものである、とい うことは改めて言うまでもないでしょう。パイパー森が出会った幾多のトラッド・アルバムの中にも、様々な優れたデザインのアルバムがあり、その印象は中身 の音楽とともに記憶の奥底にしっかりと刻まれています。

 そのようなトラッド・アルバムの中でも一番最初に出会ったこのアル バムは、それが最初だったからということを斟酌せずとも、そのデザインの秀逸さは飛び抜けていると思います。ベージュ色のジャケットの表と裏中央に、中世 の銅版画を排しただけのシンプルなデザインのこのジャケットを初めて目にした時の鮮烈な印象は、38年経った今でも殆ど変わりません。
 パイパー森が出会った幾多のトラッド・アルバムの中で、ジャケット・デザインのトップ10を選ぶとしたら、どう考えてもこのアルバムを外す訳にはいかないでしょう。
 そして、初めて耳にする中身のトラディショナル・ミュージックと絶妙にマッチしたその銅版画は一体何なんだろう?と思い、目を皿の様にしてクレジットのコーナーに目を通し、今では老眼鏡無くしてとても読めないような小さな文字列の中に“Engravings : Durer”という文字を見つけた私は、その時初めてあのアルブレヒト・デューラーの名前を知ったのでした。

  日本盤とイギリス盤でジャケット・デザインは全く変わりませんが、イギリス盤はジャケットの紙は薄くてペナペナなのは例のとおり。その代わり、印刷の色に ついて は日本盤ではオリジナルの地色が再現されているとはとても言えません。日本盤は「クリーム」といった感じの地色ですが、本来のオリジナル盤の地色は「ベー ジュ」で、デューラーの銅版画と絶妙の色合いでマッチしていて、当初のデザイナーの意図が良く分かります。このような色の表現の無神経さは当時の日本盤製 作の際によくあった話で、今考えると少々悲しいものがあります。


#02/2007/5/23
Fairport Convention“Angel Delight”(King Record AML(i)1006/1971/国内盤)

  松平さんへの追悼文に書いたように、私がかの“ブラック・ホーク”に初めて足を踏み入れた1971年初頭の冬のある日、3時間近くあの堅い椅子に座っていた間に、松平さんがターンテーブルに載せた唯一のブリティッシュ・トラッドのレコードがこのアルバムです。
 つまり、文字通り私にとっての“ブラック・ホーク”時代の幕開けを飾る記念碑的アルバムなのです。このアルバムを聴く度に、あの日の“ブラック・ホーク”の様子が、初めてお目にかかった松平さんの終始クールな表情が、まるで走馬灯のようにくっきりと甦るのです。

A-1. Lord Marlborough
A-2. Sir William Gower
A-3. Bridge over the River Ash
A-4. Wizard of the Worldly Game
A-5. Journeyman's Grace
B-1. Angel Delight
B-2. Banks of the Sweet Primroses
B-3. Instrumental Medley : The Cuckoo's Nest / Hardiman the Fiddler / Papa Stoor
B-4. Bonny Black Hare
B-5. Sickness and Diseases

 このアルバムは、フェアポートとしては、多くの人が最高傑作と位置づける前作“Full House”(パイパー森的には“Liege and Leaf”の 方が上ですが…)のラインナップから、誰もがフェアポート・サウンドの《要》と目していたリチャード・トンプソンが抜けてしまった中で作成されました。た だ、当時の私は フェアポートについては殆ど知識がありませんでしたので、そんなことは後で知ったこと。ですから、このアルバムについてはさほど強い先入観を持たずに聴き ました。

 先ほどの追悼文に書いたとおり、このアルバムは私がブラック・ ホークに足を運ぶようになる直前に,初めて購入したペンタングル関連以外のトラッド・アルバムでした。何事にも一旦ハマると、とことん追求してしまう性格 である私は、その頃までには当時リリース済みのペンタングルの全てのアルバムは当然のこと、バート・ヤンシュやジョン・レンボーンの各々のソロアルバムも 片っ端から購入していました。
 ですから、ブリティッシュ・トラッドといってもペンタングル・サウンドに偏った、どちらかというと繊細なサウンドに馴染んできた私の耳には、フェアポー トの音楽は当初どことなく少々《がさつ》な音楽に聴こえたものです。ドラムはドカスカ、ベースはブンブン、ギターはギュンギュン、フィドルはヒュー ヒューって感じ? “Cruel Siste”“Jack Orion”と同様に、バラッドを現代風にアレンジした
A-1.“Lord Marlborough” を最初に耳にした時は、正直なところ「あれっ?」って思いました。

 しかし、聴き込むうちに当初の違和感は程なく消え去り、以降、パ イパー森とフェアポート一派の音楽との長〜い付き合いが始まったのです。元々ロック少年だった私がそのサウンドに馴染まない訳が無かったのが根本的な理由 でしょう。でも、もう一つの大きな理由としては、もしかしたらみじめな思いですごすごと引き揚げることになったかもしれない、私の“ブラック・ホーク”デビューの日を、一瞬にしてほのぼのとした思い出に変えてくれた因縁のアルバムだったからなのかもしれません。

 私がこのアルバムで最も好きな曲は、B-2.“Banks of the Sweet Primroses”です。サンディー・デニーもリチャード・トンプソンも居ない中で、この歌を声高らかに歌い上げているデイブ・スウォブリックの清々しい歌唱は今でも強く耳に残っています。


#03/2007/5/23
The Pentangle“Sweet Child”(Transatlantic Records TRA 178/1968/国内盤)

  ペンタングルの“Cruel Sister”でブリティッシュ・トラッドにすっかり開眼してしまった私は、それ以降、既にリリースされているペンタングルのアルバムを買いまくりました。
 しかし、それらを入手してみて分かったことは、全てがトラッド・チューンであった“Cruel Sister”と いうアルバムは、ペンタングルとしてはどちらかと言うと異質な存在であり、本来のペンタングルの演奏というのは、よりフォーク・ブルースやジャズに軸足を 置いたスタイルだということでした。1968年にリリースされたファースト・アルバムは正にそのような雰囲気満点でした。
 そして、いきなりライブ録音盤とスタジオ録音盤を1枚づつ収めたダブル・アルバムという形式でリリースされたこのセカンド・アルバム“Sweet Child”も、そのような彼らの特質が良く表されているアルバムでした。ですから純粋なブリティッシュ・トラッド・チューンといえるのはほんの僅かで、バラッドに至っては全22曲中たったの2曲だけです。

 そんな中で、このアルバムの一番の聴きどころは、私を深淵なるブリティシュ・トラッドの世界に一瞬にして引きずり込んだ、“When I Was In My Prime”と同じく、ジャッキー・マクシーの無伴奏シンギングによる“So Early In The Spring”という曲です。1枚目のライブ盤の収められているナンバーなので、ライブ会場である大きなロイヤル・フェスティバル・ホール全体が、ジャッキー一人の歌声を除いて水を打ったようにシーンと静まり返る様が、なんともスゴイ迫力です。

 そして、このアルバムが私のブリティッシュ・トラッド・ライフに大変重要な意味を持っている点がもう一つあります。それは、やはりライブ盤の中で、彼らが Anne Briggs(アン・ブリッグス)作になる“The Time Has Come”という曲を演奏していることです。ライナーノートには“Written by Anne Briggs a traditional singer from Nottingham, and a favourite of The Pentangle”とクレジットされていました。
 その当時入手した、ペンタングル関連のアルバムとして、バート・ヤンシュとジョン・レンボーンが 1966年にリリースしたその名も“Bert And John”という超絶ギター・アルバムがあります。バート&ジョンはいうなれば、ペンタングルの前身とも言えるユニットって訳です。実は、彼らは既にこのアルバムの中で、“The Time Has Come”を取り上げて歌っているのです。

 当時は今と違って「知らない名前が出て来たらとにかくネットで検索を掛けてみる。」なんて時代ではありませんでした。現地の情報は非常に少なく、特にアン・ブリッグスに関する情報は何故か殆ど伝えられていませんでした。ですから、ただただ「アン・ブリッグスね、アン・ブリッグス、アン・ブリッグス …、ブツブツ…」と唱えながら、ペンタングルのメンバーのお気に入りであるこの素敵な曲を作ったシンガーの姿を想像力たくましく想い描くしか成す術は無かったのです。

 う〜ん、なんとも、ロマンチックな古き良き時代ではありませんか。


#04/2007/5/23
Anne Briggs“Anne Briggs”(Topic 12T207/1971)

 “ブラック・ホーク”に通い始めてまだ日も浅いある日、私はいつもの様にお気に入りの窓際の席で、ホーロー製のコーヒーカップに入ったあの不味い泥水のようなコーヒーをすすりながら英 -1のサイクルが来るのをじっと待っていました。
 そして、いよいよ英 -1が巡ってきた時、松平さんは何気ない風を装いながら、その実、そこに居合わせるトラッド・ファンの反応を強く意識しつつ、レコードブースのガラス外側のいつもの場所にこのアルバム・ジャケットを掲げました。

 「あっ、ア、ア、アン、ブ、ブ、ブリッグスだ!」私は思わず心の中で叫び声を上げていました。

  曲が流れ出しました。“Black Water Side”でした。
 ペンタングル関連のアルバムを片っ端からかき集めた中の一枚、バート・ヤンシュのソロ・アルバムの中でも特にトラッド色の濃い“Jack Orion”(Transatlantic Records TRA 143/1966)で既に聴いた事があったので直ぐにそれと分かりました。
 でも、バートのシンギングよりもずっとたおやかでなんとも印象的な歌声でした。私は一瞬にしてアン・ブリッグスの歌声の虜になってしまいました。

A-1. Black water Side
A-2. The snow it melts the soonest
A-3. Willie o Winsbury
A-4. Go your way

A-5. Thorneymoor Woods
B-1. The Cuckoo
B-2. Reynardine
B-3. Young Tambling
B-4. Lying by the water
B-5. Maa bonny lad

 しばらくして、私は“ブラック・ホーク”の客が、気になるアルバムがプレイされた時にする定番の動作を行ないました。つまり、席を立ってレコードブースのガラス仕切りに立てかけられたアルバム・ジャケットを手に 取り、裏返してライナー・ノートを読むのです。
 追悼文にも書いた様に、そんな時でもレコード・ブースの中の松平さんと客とは言葉を交わす事はありません。でも、その時の私には松平さんが心の中で
「どうだい? これが、アン・ブリッグスだよ。いいだろう?」とつぶやいている声がしっかりと伝わってきました。  

  アン・ブリッグスと愛犬クレアとのシルエットをコラージュしたシンプルな表ジャケット(そのアンニョイ漂う風情にどれだけ心を動かされたことでしょう。) と同様に、裏ジャケットはシルエットを反転させて背景を茶色地とした上に、白抜きの文字で解説がかかれていました。う〜ん、つまり、彼女の顔がはっきりと 写った写真はまたもやどこにも無いのです。この人はいつまでもなんとミステリアスな存在で有り続けるのでしょう。

 当時私はまだ16才でしたので今の様に(老眼で)小さな文字が読み難いって訳ではありませんが、薄暗い“ブラック・ホーク”の 室内でライナー・ノートにびっしりと書かれた細かい文字の隅々まで読み通すまでには至りません。第一、そんなことをしていたら、肝心の音楽を聴くのがおろ そかになります。まして、この「席を立ってアルバム・ジャケットを見に行く」という行為の主たる目的は松平さん(と、他の客)に対して「私はこの音楽が好 きです。」という意志表示なのですから、その段階ですでに目的は達成されているのです。


 ところで、“ブラック・ホーク”の店内に入った時に「レコードプレイのサイクルがどの辺なのか?」と いう事は大きな意味を持ちます。なぜなら、レコード・プレイのサイクルは一巡するのに3時間かかるからです。ですから、店に入った時が運悪く英 -1が終了した直後だとすると、次の英 -1が巡ってきて純粋なトラッドが掛かるまでにはほぼ3時間我慢しなくてはならない訳です。
 もちろん、多くの場合それほどまでに不運な事は無く、入ってしばらくすると英 -1タイムが巡ってきます。そうしたら、あと3時間じっと我慢していれば次の英 - 2タイム、そして英 -1タイムが巡ってきて、コーヒー一杯で都合2回はエレクトリック・トラッドと純粋トラッド、都合4枚のアルバムを聴く事ができるのです。当時の私の“ブラック・ホーク”での過ごし方は、概ねそんな感じでした。

 しかし、プレイされるのは1回につき LPレコードの片面ですから、お気に入りのアルバムと出会ったとしても、もう片方の面を聴くためには、次にそのアルバムがプレイされる機会にタイミング良くもう半面が選択される幸運を待つことになります。


 話はさらにそれますが、中には松平さんの好みでどうしてもある特定の片面に偏る、あるいは極端な場合は片面しかプレイしないというアルバムもありました。あの Earnie Graham“Earnie Graham”(Livety LBS-83485)などはその最たるものです。松平さんとしては、フェアポートの“Sloth”に比較し得る唯一のエレクトリック・トラッド・ナンバー“Belfast”を、ただただ皆に聴かせたかったのでしょう。毎回必ず“Belfast”の収められているB面だけをプレイし、その度レコードブースの中から「どうだ、これを聴け!(Hark it ! )」ってな感じの視線で店内を睥睨するのでした。


(さて、話を戻して…)
 ですから、このアルバムのようにどうしても繰り返し聴きたいというものついては、やはり自ら購入しなくてはなりません。しかし、高校の近く(ということ は新宿の場末ということ)のラーメン屋でラーメン一杯が160円で食べられたこの当時、輸入盤は大体 2,800円程度はしていました。ですからアルバイトもしていない若干16才の高校生の僅かな小遣いの中でやりくりして輸入盤を購入するというのは、それ なりの選択眼が求められることなのです。
 でも、幸いなことに、私は“ブラック・ホーク”に於いて実際にそのアルバムを聴いてから本当に欲しいアルバムだけを購入していたので、今振り返ってみても、当時購入したアルバムはどれ一つとってもハズレというものは無く、皆印象深いものばかりです。

 さて、当然ながらこのアルバムはその後輸入レコード店で購入しましたが、これは私にとってトラッド専門の Topic レーベルのアルバムを購入した最初の一枚でした。なぜ、それを憶えているかというと、実は、当初私はこのアルバムのタイトルが“Topic”だと思い込んでいたからです。
 ジャケット表面の大きな写真でも分かるとおり、上部中央に配置された“Anne Briggs”というロゴと、それと水平にレベルを合わせて右側に配置された“Topic”というロゴは“Topic”の方が僅かに小さいというだけで、全く同じ木版画のような書体が使われています。
 一方、ジャケット裏面右上にあるレコード番号 12T207 の前にはレーベル名の“Topic”の文字がありません。そんな訳で 次の Topic レーベルのレコード(それが何であったかは忘れました)を購入するまでの間、私はずっと“Topic”というがこのアルバムのタイトルと勘違いしていたのです。

 さて、このアルバムを手にしてやっと A.L.Loyd によるライナーノートをじっくり読む事ができました。そして、なんといっても印象的だったのが、冒頭の次の様な彼女に関する紹介文でした。

 Getting Anne Briggs into a recording studio is like enticing a wild bird into a cage. Nor is she best at ease when she's trapped there. Walls don't suit her as well as woods, and she's more given to stravaging than to settling. Which is why she, one of the most admired singers in the folk song revival, is so seldom heard on record.(中略)So here is the first LP she's had all to hereself, and many people will say : 'Welcome, dear Anne; we've been waiting for this'

 Ewan MacColl と並ぶブリティッシュ・トラッド界の重鎮である A.L.Loyd が手放しで賞賛するこの女性シンガーはやはりただ者ではなかったのです。
 とにもかくにも、私はその後ずっと、密かにこのアン・ブリッグスを最もお気に入りのシンガーとして崇拝しつづけていました。多分、そんな変わり者は松平さんと私だけだろうと思いながら…。

 ところが、その後、1977年にいよいよ“ブリティッシュ・トラッド愛好会”を立ち上げ、会に集う皆さんとそれぞれのお気に入りアーティストなどについて言葉を交わずようになって何よりもびっくりしたのは、日本のトラッド・ファンの集う巷には、まるで “アン・ブリッグス・フェチ” とでもいうようなアン・ブリッグスのカルト的ファンが溢れているということでした。「な〜んだ、俺だけじゃなかったんだ。」

 もしかしたら、そのようなファンたちが集って“アン・ブリッグス学会”なんてのが成立するんではないか?と思えてしまう程。少なくとも“アン・ブリックスを考察するシンポジウム”はいつでも開催可能だと思います。
 考察事例としては例えば「アン・ブリッグスとフォーク・リバイバル」「アン・ブリッグスの無伴奏シンギング」「アン・ブリッグスのオリジナル・ソング」 「アン・ブリッグスとその他の女性シンガー比較」「アン・ブリッグスとブズーキ」「アン・ブリッグスとあの時代の男性トラディストたちの交遊関係」「ア ン・ブリッグスはトラッド界のクレオパトラか? 楊貴妃か?」
「アン・ブリッグスとジミー・ペイジを繋ぐ糸」「アン・ブリッグスと愛犬クレア」etc.…  

 まあ、アホな空想はともかく、そんなカルト的ファンたちの熱い想いの集大成が 1990年にキングレコードからリリースされたCDアルバム“Anne Briggs/Black Water Side - Complete Recordings From TOPIC”(King Record KICP 2082/1990)です。
 これは、A.L.Loyd のライナーノートでも紹介されていた、“The Iron Muse”(12T86/1963)、EP“The Hazards of Love”(TOP94/1963)、“The Birds In The Bush”(12T135/1966)という、このファースト・ソロ LP のリリースまでに彼女が Topic レーベルで録音してきた全ての音源を一枚のCDに納めてしまうという傑作企画の産物です。
 実はこの「 Anne Briggs の Topic 音源を一枚のCDに納める」という日本のカルト的アン・ブリッグス・ファンのオリジナル企画は、なんと本国イギリスでそのままパクられてしまい、全く同じ様なCDアルバム“Classic Anne Briggs”(Felsside FECD 78/1990)としてリリースされています。

 いつの時代も極端に露出度が低くてミステリアスな存在であり続けるアン・ブリッグスに関して、これまで最も濃い情報は、共にイギリスの音楽雑誌である“SWING51”(No.13/1989)“MOJO”(1998/03)に 掲載された(前者はインタビューそのもの、後者はインタビューを元にした)記事です。私は前者はTKさん、後者は大島豊さんという共にトラッド仲間から現 物やコピーを頂戴しましたが、両方とも彼女の音楽人生やトラッド界から完全に身を引いた後の半生が克明に描かれていて非常に興味深く読ませてもらいまし た。彼女は“MOJO”のインタビュー当時は(多分その後も?)西スコットランドのある島で、周囲2マイルに全く人気の無いというコテッジで静かに暮らしているそうです。

  スコットランド西方の島といえば、ピーブロック・プレイヤーたるパイパー森の聖地であるスカイ島のある方面です。なんと、16才の私が恋い焦がれた女性 が、正に私の現在の音楽の聖地の近く(いや、もしかしたらその島というのはスカイ島そのものかもしれません。)で暮らしている、というのはやはり何かしら 強い縁を感じない訳にはいきません。(…と、パイパー森お得意のいつものこじつけ)

 ところで、大島さん、この記事の最後に書いてあったインタビュアーの Colin Harper が準備しているというアン・ブリッグスに関する本ってのはその後リリースされたのでしょうか?


 さて、最後に一つのお宝画像を。
 アン・ブリッグスはこのアルバムに続いて、オリジナル曲を中心にコンテンポラリーな曲で構成された“The Time Has Come”(CBS S-64612/1971)をリリースしてからしばらくの間、ブリティッシュ・フォーク・シーンで活躍していたようですが、70年代半ば以降はすっかりお隠れになってしまいました。

 ここで紹介するのは 1975年に私のパートナーが渡英した際に手にした Cecil Sharp House の地下にあったフォーク・クラブ“THE CELLAR” のチラシです。ここには、ちゃんと彼女の名前が出ているのです。つまり、少なくとも 1975年までは彼女はまだまだ活動中だったということですね。
 それにしても、その他のシンガーたちの名前もそうそうたるものがありますね。


 さらに、巷のアン・ブリッグス・ファンの間では既に周知の映像ですが、正に時代を反映した「21才当時の《動く》アン・ブリッグス」を観ることができるトンでもないお宝映像をご紹介。あ〜、松平さんにも見せたかったな〜。(コメントも興味深いですよ。)


#05/2007/5/25
Nic Jones“Ballads and Songs”(Trailer LER 2014/1970)

 ある時、“ブラック・ホーク”で英ー2サイクルとして“Sir Patrick Spence”の入っているフェアポートの“Full House”B面がプレイされた後に、英ー1サイクルとしてこのアルバム一曲目の“Sir Patrick Spence”が店内に流れた時に私が受けた衝撃は、今でも昨日の事の様に鮮明に記憶に残っています。
 さらに“The Duke of Marlborough”のシンギングを耳にして、私はそれまで何度も聴いていたフェアポート・コンベンションの
“Sir Patrick Spence” (Full House)と “Lord Marlborough”(Angel Delight)のアレンジが、いかに伝承のスタイルに忠実なものであったのか、ということを知ると同時に、限りなく装飾をそぎ落とした伝承バラッド・シンギングの持つ力強さと美しさに深く感銘を受けました。
 そして、A面を締めくくる“Annan Water”の胸が締め付けられるようなニック・ジョーンズのシンギングを聴きながら、あっという間にその時の英 -1タイムが終了した後は、しばし感慨に耽ってしまいました。

A-1. Sir Patrick Spence
A-2. The bucher and the tailor's wife

A-3. The Duke of Marlborough
A-4. Annan Water
B-1. The noble Lord Haukins
B-2. Don't you be foolish, pray
B-3. The outlandish knight
B-4. Reynard the fox
B-5. Little Musgrave

 当 然のように、プレイ中にレコード・ブースのいつもの場所にアルバムを手にしに行った私は、ライナー・ノートの曲目リストを目にして、今回ばかりは日を改め て次の英 -1タイムにB面を聴くことが出来るまで待つ必要は全く無いと悟り、できる限り早くこの傑作アルバムを入手すべく行動を起こすことを決意しました。

 想い起こせば、アン・ブリッグスのアルバム“Anne Briggs”とともに、この“Ballad and Songs”は、私がペンタングルとフェアポート・コンベンションの現代風にアレンジされたトラッドの世界から、より一層コアなブリティッシュ・トラディショナル・ミュージックの世界へと、さらに深く足を踏み込む契機となった記念碑的アルバムの一つです。


  ところで、このコーナーで使用するレコード・ジャケットの画像は、ネット通販のカタログなどから勝手に拝借させてもらっています(ただし、アン・ブリッグ スの画像はあちこち探しても結局見つける事が出来なかったので、仕方ないので自分で撮影しました。だから、少々歪んでいるんです。)。
 ニック・ジョーンズのこのアルバムについても、あちこち検索して結構手こずった末、最終的には見つけましたが、その過程で、なかなか良さげなサイトを見つけました。
 “Selected English Folk Singers”と いう、このコーナーで取り上げようとしている 70年代のイングリッシュ・シンガーにスポットを当てたサイトです。各々のアルバムに収められている楽曲の歌詩(聞き取り&資料から引用)や様々なリンク 先などがてんこ盛り。深みにハマるのが恐いので、実はまだ殆ど見ていませんが…。

  当然ながら、パイパー森はWeb 情報についてもハイランド・パイプ関係には結構詳しいですが、この方面については至って不案内なので、こんなサイトを初めて見ると、30数年前との隔世の 感の極みですね。当時は、あるバラッドの歌詩を一つ知るだけでも大変苦労したものです。

 手元にこのアルバムある方はものは試しにこのサイトにお世話になって、“Annan Water”の歌詩でも眺めながら、ニックの素晴らしき世界に耽ってみて下さい。


 なお、当の松平さん自身がこのアルバムをヤマハ渋谷店のイギリス盤コーナーで見つけた時の様子が「松平稚秋の仕事」「トラッドの受け入れられ方」の項に書いてあります。そこに書かれている「何人かのトラッド好きの客の顔」の一つが私でした。
 また、「ニック・ジョーンズ『ペンギン・エッグス』」の項には、当時松平さんがどのような思いを込めて、このアルバムをターンテーブルに乗せていたか、などについて書かれています。
 メッセージの受け手の一人としての私の姿とともに、投げ手としての松平さんの姿が目に浮かぶことと思います、


#06/2007/6/1
Archie Fisher, Barbara Dickson & John MacKinnon“The Fate o'Charlie”(Trailer LER 3002/1969)

 このアルバムは、当時のコレクションの中では珍しく“ブラック・ホーク”で中身を聴いてから買ったものではありません。
 私の記憶に中には、某輸入レコードショップのトラッド・コーナーのボックスの中身を一枚一枚チェックしていた時、そのジャケットの絵画に何故か吸い寄せられる様に手が止まった瞬間の印象がまるで昨日のことの様に鮮明に残っているからです。
 そして、もう一つ、私の手を停めたキーワードはそこにクレジットされていた3人のシンガーのトップに書いてあった
“Arichie Fisher”(アーティー・フィッシャー)の名。この人は確かあのバート・ヤンシュが(ギターの)師匠として名を上げていた人物だったような…?

 とは言っても、当時の私はタイトルの“Charlie”というのが誰の事を指すのか? を知らない程のブリティシュ・トラッド超初心者でした。大体、 o' という of の省略形を知ったのもこれが最初でした。
 さらに言えば“songs of the Jacobaite Rebellions”というサブタイトルを読んで
「ふ〜ん、ジャコバン派ね〜? フランス革命と関連したブリティッシュ・トラッドって訳か?」などというトンデモナイ勘違いをする程、スコットランド史については全くの無知でした。  

 そんな私が、ボニー・プリンス・チャーリーの率いるジャコバイトの軍勢が、ジョニー・コープの率いるイングランド軍を打ち破った 1745年9月21日の“プレストンパンズの戦い”(ロ ンドンからフライング・スコッツマンに乗って旅をすると、エジンバラのちょっと手前でこの町を通過します。)を描いた表ジャケットの絵画に、ビビッ!と感 じる瞬間がもし無かったとしたら、スコットランド文化の真髄であるピーブロックを鑑賞し、そして、自ら演奏することを生き甲斐とするような現在の私があっ たでしょうか?
 つまり、このアルバムは、私が
《ブリティッシュ》トラッドの中でも特に《スコティシュ》なトラッドに開眼する原点となった記念すべきアルバムなのです。

 ペンタングルの“When I Was In My Prime”との出会いといい、このアルバムとの出会いといい、人生の岐路(大袈裟?)というのはつくづく偶然のなせる技だな〜、と思わせられます。


 さて、スチュアート朝復活の企て “The Jacobaite Rebellions”に 関するこのコンセプト・アルバムのライナー・ノーツを読んで初めて、Bonnie Prince Charlie こと Charlie Stuart 王子と Jacobaite Rebellions の歴史を知った私は、その後、スコッティッシュ文化の深みに加速度的にハマって行くのでした。

 例えば、各クランの領土を色分けした上に古戦場などの歴史的な場所を克明に記した“The Histrical Map of Scotland”という大きな古地図(丸善の洋書売り場で購入)を壁に張り、受験勉強に疲れると古戦場のマークを探しては、「おっ、Killcrankie ってここなんだ〜!」とか「うん、Prestonpans ね…」、「プリンス・チャーリがフランスから船で来て上陸した Glenfinnan ってのはここか〜 」なんて風に、遥か 18世紀のスコットランドに想いを馳せる、なんてことをよくやっていたものです。

 ところで、ここではごく一般的なイギリス史的視点から、タイトルは Jacobite Rebellions となっていますが、スコットランドの人々は基本的にこの一連の行動のことを《Rebellion=反乱》とは言わず《Rising=蜂起》と言います。例えば、1745年のボニー・プリンス・チャーリーの蜂起は《 '45 Rising》といったように表現するのです。

A-1. Come Ye O'er Frae France
A-2. The Three Healths
A-3. Wha Wadna Fight for Charlie
A-4. The White Cockade
A-5. The Bonny Hieland Laddie
A-6. The Highland Widow's Lament
A-7. Prestonpans
A-8a. The Battle of Prestonpans
A-8b. Killcrankie
B-1. O'er the Water to Charlie
B-2. Prince Charlie
B-3. Highland Harry
B-4. The Fate o' Charlie
B-5. The Highlander's Lament
B-6. O'er the Water
B-7. The Flowers o' the Forest

 追悼文に も書いたとおり、このアルバムはその後、当時の私たちに共通のフェイバリット・アルバムの一つとして、下北沢のグッディーズで繰り返し聴いたものです。ま た、歌とインストゥルメンタルナンバーが絶妙に調和しているこのアルバムに収められている曲は、どれもが余りにも素晴らしすぎてどの曲がどうのこうのって いうのは野暮ですが、中でもいくつか思い出深い曲について書いてみましょう。

 A-6. The Highland Widow's Lament 松平さんの大のお気に入り。その妙なるメロディーラインを東野さんにレコードと同じ様にフィドルで弾いてもらっては、至極ご満悦でお気に入りのジンを口に運んでいたものです。

 A面を締めくくる A-8b Killcrankie という曲はギターをバックにコンサーティーナとフィドルがユニゾンでメロディーを奏でる印象深い楽曲です。この曲を聴いて、当時まだ耳新しかったコンサー ティーナの優しい音色がどうしても耳について離れなくなってしまった私は、間もなくイギリスに行く予定だった東野さんに、イギリスで「コンサーティーナか バグパイプ」を買ってきてくれるように頼んでしまいました。そして、結果として、彼女がハイランド・パイプ(のプラクティス・チャンターと教則本)を買っ てきてくれたことにより、私の運命は決定したのです。
 もしも、あの時彼女がコンサーティーナを買ってきていたら、私はこの曲を彼女のフィドルとユニゾンで演奏できるように励んだことでしょうが、それはまた、現在のパイパー森は無かったということを意味する訳です。

  後日、私と日常生活を共にするようになる彼女は、あの時に優しい音色のコンサーティーナではなく、暴力的な音色のハイランド・パイプ(のガチョウを絞め殺 す時のような音色)のプラクティス・チャンターを選んだことを後々まで呪うようになるのですが、それはまさに後の祭りでした。

 ハイランド・パイプを演奏するようになってからしばらくした時、楽譜集を片っ端から演奏していて“Mairi's Wedding”という曲を演奏してみると、なんとそれが聴き慣れた A-5.“The Bonny Hieland Laddie”のメロディーだったときは、とても嬉しくなって何度も演奏してしまいました。ここでは、John MacKinnon がリードを取って歌うのですが、2小節目のスコッチスナップの箇所で、“〜Laddie、〜plaidie、〜daddie”と韻を踏んでリズムが跳ねるのが、いかにもスコットランドらしいムードを出していて好きなところです。

 フェアポート・コンベンションが“Full House”のラストで演奏していることでも有名な B-7.“The Flowers o' the Forest”はハイランド・パイプのどんな楽譜集にも必ず載っている最も代表的な Funeral March(Slow Air)。“Amazing Glace” などとともに、私がハイランド・パイプで演奏する数少ないピーブロックでは無い曲の中の一つです。

 そして、1980年の年末に“ブラック・ホーク”で開催されたトラッド愛好会の例会で、直前の12月8日に亡くなったジョン・レノンを偲んで私が演奏したのもこの曲でした。


#07/2007/6/6
Fairport Convention“Liege & Lief”(Island Records ICL 37/1969/国内盤) 

 私がフェアポート・コンベンションのアルバム“Angel Delight”“ブラック・ホーク”デビューの日を無事に過ごした後、ほぼ週3回のペースで通い始めてから、毎回巡って来る英ー2(エレクトリック・トラッド)の時間にターンテーブルに載るのが、圧倒的にフェアポート一派だったということは言うまでもありません。
 中でも、当然ながら
“Full House”と並んでこのアルバムの音楽が最も頻繁に店内に流れていました。

 1969 年にリリースされたこのアルバムが70年代のブリティッシュ・トラッド(フォーク)・リバイバルに果たした役割と意義の大きさついては、私がここで改めて 記すまでもなく、既に散々言い尽くされている通りですから、あえてここでは繰り返しませんが、それぞれの曲についてちょこっと書いてみます。

A-1. Come All Ye
 
→サンディー・デニーとアシュレイ・ハッチングスの共作とクレジットされているこの曲は、やはりハッチングスの手になるスティーライ・スパンの 1st アルバム“Hark! The Village Wait”A-1“A Calling On Song”と同じ《前口上》の歌。共にハッチングスの心意気を強く感じることができる曲です。
A-2. Reynardine
 
→頭を垂れて聴き入るのみ…。アン・ブリッグスとは違った味わいも良しです。
A-3. Matty Groves
 
→「バラッドは淡々と歌うべき」という伝統をぶち破った最初の一歩。
A-4. Farewell, Farewell
 
→B-4.と共にリチャード・トンプソンの非凡さが如実に表れた名曲。30年経た今でも、サンディー・デニーの歌声が耳に残ります。このアルバムで最も好きな曲です。
B-1. The Deserter
B-2. Medley: The Lark In The Morning / Rakish Paddy / Foxhunter's Jig / Toss The Feathers
B-3. Tam Lin
 
→妖精ものバラッドをエレクトリファイした最初の例でしょう。
B-4. Crazy Man Michael
 
→R. トンプソンのオリジナル曲は様々なミュージッシャンにカバーされています。…といっても、その実私はその後のトラッド界には余り詳しくないので全体像は知 らないのですが、この曲のカバーについてはたまたま10年前に入手したアイリッシュ・バンドのアルバムで出会ったことがあります。それは、若手超絶イリア ンパイパーである John McSherry の兄弟姉妹バンド“Tamalin”“Rhythm and Rhyme ”というアルバムです。曲自体が良いのが最大の要因ですが、ここではイリアンパイプのバッキングがいい雰囲気を出していてなかなか聴かせます。ちなみにこのバンド、このアルバムでレッド・ツェッペリンの、ボンゾのドラムが効いた曲“Poor Tom”もカバーしています。


 ただ、このアルバムにはその音楽の素晴らしさと同時に、忘れてはならない重要な意義がもう一つ有るのです。
 それは、2つ折になっている LPレコード・ジャケットの見開きに記されている記述です。(私は、当時の LPレコードしか持っていないので、最近の CD フォームのこのアルバムのジャケットにこの記述が再録されているかどうかは知りません。)

 私は“ブラック・ホーク”で このアルバムを最初に聴いた時、例によってアルバム・ジャケットを手に取りに行きました。2つ折りのジャケットを開いてみると、見開きには10枚の絵画や 写真がカードの様な体裁でコラムとしてランダムにレイアウトされていました。そして、それぞれの絵画や写真の下にはなにやらごく細かい文字で解説が書いて ある。当時も今も私の視力は1.5ですが(ただ、今は老眼がプラスされています)、“ブラック・ホーク”の店内の薄暗い照明の下ではとても満足に読み取れる様なものではありません。

 ですから、これらの記述にじっくりと目を通すことができたのは、その後、自分でこのアルバムを購入してからでした。ちなみに、10個のコラムのタイトルは次のとおりです。

【上段左から】
・Pace-eggers
・Francis James Child
・Cecil Sharp
・George Wyatt & freind
・Down Among The Dead Men
【下段左から】
・Padstow hobby-horse
・Burry man
・Broadside seller
・Morris dancing
・Hunting of the Wren


※各々のコラム部分から大きな画像にリンクしています

 この中でイングランドのカントリーサイドに伝わる古い伝承行事や老人シンガーについて解説しているコラムなどは、今、改めて読み返してみてもあまりピンと来ないようなものもあります。しかし、当時の私たちにとって何よりも意義深かったのは、この場で初めて“Cecil Sharp”“Framcis James Child”“Morris dancing”という言葉に出会ったことです。

  何度も書きますが、ブリテン島の民俗音楽や大衆文化に関する情報は当時は非常に限られていました。パソコンに向かってちょこちょこっとキーワードを入力 し、数回クリックすればどんな情報でもいとも容易に入手できる今のような良き時代とは全く違うのです。当時のブリティッシュ・トラッド愛好家には、僅かな 分量のクレジットの行間を深読みしてさまざまな事を推測する豊かな想像力が必要だったのです。

 例えば、“Cecil Sharp”のコラムの中にある“Cecil Sharp House”“EFDSS”という名称と、裏ジャケットの中央に記されたクレジットの最後の“with special thanks to the English Folk Dance & Song Society Library at Cecil Sharp House”という記述から、これらの絵画や写真の出所に想いを巡らせ、そして、“EFDSS”というのがどうやら“English Folk Dance & Song Society”という組織の頭文字であるということを推測する、ってな具合です。

 今では、日本語の翻訳本までリリースされる程にお馴染みになっている、伝承バラッド研究の第一人者であるフランシス・ジェイムス・チャイルドの名前に当時のブリティッシュ・トラッド愛好家が初めて出会ったのも、そして、イングランドの伝承音楽研究の第一人者セシル・シャープの名前を知ったのも、どれもこれもこの見開きジャケットの中だったのです。

 そして、さらに、Morris dancing という言葉と、例の白い衣装に身を包み、両手に白いハンカチをもって踊るモリス・ダンサーたちの姿を記録したモノクロ写真を目にしたのも、紛れも無くこれが最初の最初。
 フェアポートがこのアルバムの中で取り上げているインストゥルメンタル・メドレーの曲はこの時点ではどれもまだアイリッシュ・チューンでしたが、すでにこの時点で
アシュレイ・ハッチングスの頭の中には純粋なイングランドのカントリー・ダンス、モリス・ダンスをテーマにした1973年製作のアルバム“Morris On”へと続く布石が打たれていたものと思われます。

  そのようにして想いを巡らせてみると、この10個のコラムに取り上げたテーマはチャイルドの他は(チャイルドはより広域なエリア、イングランド〜スコット ランドの伝承バラッドの研究者)、どれもがイングランドのカントリー・サイドの民衆文化に深く根ざしたものだというのに気が付きます。
 ということから、これらのテーマと資料の選択には、このアルバムを最後にフェアポートを離れ、その後よりイングランドの伝統に根ざした音楽をとことん追求していく
アシュレイ・ハッチングスの嗜好が強く反映されている、と考えるのはいたって妥当な推測ではないでしょうか。


  このアルバムは、フェアポート一派のその後の各々の活動への出発点=分岐点となった重要な意味を持つだけでなく、当時の日本のブリティッシュ・トラッド愛 好家たちにとっても、それぞれの嗜好に沿ってよりコアなブリティッシュ・トラッドを追求して道への出発点となり得るような様々な情報がぎっしりと詰まって いた、という意味からも大変意義深いアルバムでした。


【後日追記】
 最後に書いたことは、当然ながら現地でも同様だった訳で、この文章を書いた後に知ったのですが、このアルバムは BBC Radio2 Folk Awards 2006 に於いて“
Most Influential Folk Album of All Time”という特別賞に輝いたということです。
 そして、それを記念して(今は亡きサンディー・デニーを除いた)当時のメンバーが一堂に会して、こんなコンサートが開催されたということです。クリームの再結成にも勝るとも劣らぬ記念イベントですね。



#08/2007/6/9
Richard Thompson“Henry The Human Fly”(Island Records ICL 38/1972/国内盤)

 “ブラック・ホーク”の例のレコードブースのガラス外側に松平さんによってこのアルバム・ジャケットが掲げられた時の映像が、何故か目にくっきりと焼き付いています。
 “ブラック・ホーク”に 長く通い詰めて幾多のアルバムをそのようにして眺めていた訳ですが、もちろん全てアルバムがそのように目に焼き付いている訳ではありません。アルバム・ ジャケットが目に焼き付くか否かはジャケット単体のインパクトの強さがまずはなによりも必要条件ですが、その他にも幾つかの要素があるように思えます。

 その幾つかの要素の中に、写真を用いたアルバムの場合には、その写真の雰囲気が“ブラック・ホーク”のインテリアの雰囲気にマッチしているということが大きな要因となるような気がします。
 このアルバムの場合はデザイン的にいえば決して優れているという訳ではありませんが、インパクトの強さは飛び抜けています。典型的なイギリス風な古い館 の中で、赤い目のハエを模したマスクを付けたトンプソンがギターを抱えて立っている。そこに、ケバケバしいピンクとブルーのいたってモダンな字体でタイト ルが入っている。
「トラッドなのか? 何なのか?」正に、このアルバムの性格を見事に表現しているようにも思えます。
 しかし、なによりもこのバックの古色蒼然たるインテリアのムードがあの煤けた“ブラック・ホーク”の雰囲気に絶妙に溶け込むのです。

 実は、当時“ブラック・ホーク”たびたびプレイされていたアルバムの中でもう一枚、お店の雰囲気に絶妙にマッチするジャケットのアルバムがありました。それは、まあ、言わずもがなですが、つまりはサンディー・デニーの、あのThe North Star Grassman and the Ravens”です。

unharlfbricking そして、さらにもう一つ、“ブラック・ホーク”の雰囲気にばっちりハマると個人的に思っているアルバム・ジャケットがあるのですが、この場合はちょっと例外的です。というのも、この場合は裏ジャケットなので…。そのアルバムは、フェアポート・コンベンション“Unhalfbriking”です。
 ところで、前からずっと思っているのですが、このショットはなかなか意味深なシーンだと思うんです。私にはどうしても次の様な会話(とつぶやき)が聴こえてくるのですが…。

・アシュレイ・ハッチュングス:オレたちは、もうそろそろディランのナンバーを取り上げることから卒業すべきだよ。これからは、伝承バラッドやアイリッシュ・チューンも取り上げてみよう。そして、最終的には自分たちの DNA に流れている、イングランドのトラッドを追求したいと思っているんだ。
・サンディー・デニー:(じ〜っ)ふ〜ん…
・サイモン・ニコル:…で、イングランドのトラッドってのは、何かい(モグモグ)、アイリッシュのやつらが「おかまのダンス」って揶揄するあのモリス・ダンスのことかい?
・リチャード・トンプソン:(モグモグ…、ふん、また、アシュレイの熱弁が始まった…)
・マーティン・ランブル:サンディー、このベーコン、ちょっと火の入れ過ぎだな〜


A-1. Roll Over Vaughn Williams
 →チャック・ベリーの(というか、我々世代にとっては、ビートルズのカバーした)“ロールオーバー・ベートーベン”に掛けたこの曲のタイトルで、私は初めて20世紀前半に活躍したイギリスの作曲家かつフォークソング収集家でもあった Vaughn Williams の名前を知りました。
 その後、丸善だったか紀伊国屋だったかの洋書売り場で
V.Williams & A.L.Loyd によって編集された“The Penguin Book og English Folk Songs”を 入手した時はひどく興奮したのを憶えています。 何故かと言うと、この本に収められている70曲には、フェアポート、スティーライは言うに及ばず、ニック・ジョーンズやシャーリー・コリンズなどなど、 ピュアなトラディストのレパートリーまで、当時の私たちが耳にするイングリッシュ・トラッド・ナンバーの殆どが網羅されていたのですから。

A-2. Nobody's Wedding
この曲には、最初に聴いた瞬間から特に惹かれるものがありました。ジョン・カークパトリックのアコーディオンとバリー・ドランスフィールドのフィドルで軽快に演奏されるその間奏曲を聴いて「何だか分からないが、このメロディー、このリズムこそがトラッドだ!」と ビビッと反応したのをはっきりと憶えています。 実は、その時点ではこの曲がスコットランドのストラスペイというリズムのダンス曲であることなど知る由も無かった訳ですが、後日、ハイランド・パイプに手 を染めるようになってからしばらくしたある日、“Scots Guards”の分厚い楽譜集をパラパラめくっていてストラスペイのコーナーの中にこの曲“Highland Whisky”を見つけた時は、自分のスコットランド好みの DNA が解析できたような思いがしたものです。

 ストラスペイというのは、4/4のリールの一種で、スコッチ・スナップという、《つんのめる》ようなリズムが特徴的なスコットランド独特のダンス曲ですが、当時はそんな事を全く知らずにただただ身体が反応した訳です。
 さて、
“Nobody's Wedding”は このストラスペイを間奏曲として演奏した後、最後を4/4のパイプマーチ“Mairi's Wedding”で締めくくられます。この曲は先の“The Fate o'Charlie”の“My Bonnie Highland Laddie”のメロディーとして紹介した曲です。
 そして、この曲もまた、スコッチ・スナップ満点のスコットランドならではの曲ということ。つまり、何の先入観も無い段階で聴いたこの2つのメロディーに 素直に反応した私は、いずれにせよスコットランドの伝統音楽の深みにハマるのが必然だったと言えそうです。

A-3. Poor Ditching Boy
 
→実に印象的な名曲ですね〜。B-5. に次ぐ傑作。大のお気に入りです。

A-4. Shaky Nancy
 →何故かクレジットには無いのですが、間奏でちょこっとだけ聴こえるティン・ホウィッスルの音色は多分、私にとってのこの音色の初体験だったと思います。これにもビビッと来て、その糸は Vin Garvutt “The Valley Of Tees”に続くのでした。(このアルバムは後日、このコーナーで必ず取り上げます。

A-5. Angel's Took My Racehorse Away
A-6. Wheely Down
B-1. New St. George
 →歌詩はイワン・マッコール作と言っても通じる?

B-2. Painted Ladies
B-3. Cold Feet
B-4. Mary and Joseph
B-5. Old Changing Way
 → 「コンテンポラリー・トラッド」(こんな言い方があるならばですが…)の唯一無二の最高傑作です。古今東西、私の中でこれを超える曲はありません。 そしてまた、この曲ほどそのジャケット写真とともにブラック・ホークの空間に似合う曲もありませんでした。雨がそぼ降る日に、あの縦長のガラス窓から外を 眺めながらこの曲を聴くと最高に《ブラック・ホーク》してました。 この曲を“ブラック・ホーク”の空間で(松平さんと一緒に)繰り返し聞く事ができた自分は本当に幸せです。この曲を聴けば、“ブラック・ホーク”の椅子に 座って不味いコーヒーを飲みながら好みの音楽にまみれていた、あの青春の日々の自分に一瞬にして戻る事ができるからです。

B-6. Twisted

…てな訳で、私にとってこのアルバムはリチャード・トンプソンのソロアルバムの中でも特別の愛聴盤である、というのがご理解いただけたでしょうか?


#09/2007/6/14
Dick Gaughan“No More Forever”(Trailer TER 2072/1972)

 当時愛聴していたトラッドの LP レコードの中で、その後 CD として購入し直したものは、ほんの数える程しかありません。このアルバムは数少ないその中の一つです。
 しかし、その CD を手にして最もガックリきたのは、 LP レコードのアートとしてのジャケットデザインが全く失われてしまっていたことでした。
 表面はほぼオリジナルがそのまま縮小されただけですからまあ我慢するとして、なんと CD ではジャケット裏面が全く省略されて中央にそっけなく曲名を記しただけになっていたのです。

 本来の LP レコードのジャケット裏面には、古びたレンガ造りの工場のような建物を写した表面から続く一連の写真の左端に、アンニョイ漂う風情のいかにも労働者階級の男然としたディック・ゴーハン自身のポートレイトが写っているのです。
 ポートレイトをあえて表面に載せず裏面に配したその《粋》といい、あえてモノクロ写真を使ったデザインの《渋さ》といい、このアルバム・ジャケットに日本のワビ・サビに通じるものを感じたのは私だけでしょうか?

 もちろん、私はこのアルバム・ジャケット単体にシンパシーを感じたのではなく、このジャケット・デザインと中身の音楽(生粋のスコットランド人による生粋のスコティシュ・トラッディショナル・ミュージック)が見事な程にマッチしていたからこそ深く印象に残ったのです。


A-1. Rattlin' roarin' Willie / The friar's britches
 
→ナンセンス・ソング&ダンスチューン(ジグ)のメドレー。前者については、ブリティッシュ・トラッド愛好会の機関誌“OAKーBritish Trad Review”No.3(1978/2)に歌詞&対訳が掲載されています。
 ゴーハンとしては「冒頭に軽〜く一発!」ってな感じの選曲なのでしょうが、聴かされた方としては、いきなりこの軽快なジグの演奏を聴かされて、ゴーハンのその超絶ギターテクに思わずのけぞったものでした。

A-2. MacCrimmon's Lament ; Mistress Jamieson's favourite
 
→ まだ、のけぞったままで居るところに、今度は対照的にしんみりとしたラメント&スロー・エアー。このアリー・ベインによる涙チョチョギレの妙なる旋律を初 めて聴いた時には、我が身の無能さを一瞬忘れて「俺もフィドルを手にしようか?」というバカな夢想が頭をよぎったものでした。
 このアルバムを“ブラック・ホーク”で初めて聴いたのが正確にいつだったか? という記憶は残念ながら今のボケた頭に残ってはいません。…が、概ねそれが私がピーブロックという音楽を初めて耳にした1973年1月16日の前後であったことは、このアルバムのリリース時期から推測してほぼ間違いありません。
 私は当時はまだハイランド・パイプのハの字も始めていなかった頃ですし、ピーブロックについてもなんの知識もなかった訳ですが、それにも関わらず、この時このアルバムにおいて、その後の私の音楽人生の殆どを占めることになる
《ピーブロック》という音楽形式の創始者(一族)である MacCrimmon の名前と出会ったというのは、単なる偶然とは思えません。
(※
MacCrimmon 一族については、ここを⇒

A-3. Jock o' Hazeldean
 
Sir Walter Scott が古いバラッドに基づいて書いたという曲。静かなギター伴奏に載せて歌われるこの旋律のなんとも美しいことでしょう。

A-4. Cam' ye ower frae France
 
“Fate o'Charlie” ですでにお馴染みになっていたこのジャコバイト・ソングですが、無伴奏で歌われるゴーハンのバージョンは、より一層緊迫した雰囲気に満ちていました。ベインがフィドルで締めくくる最後のフレーズの繰り返しがなんともカッコ良かった。

A-5. The bonnie banks o' Fordie
 
→私にとっては、生粋のスコッツが歌う伝統的なスコティッシュ・バラッド・シンギングを聴いた最初の例です。そして、この曲で初めて出会ったスコットランドなまりの英語としては次の様な表現がありました。
 
a' =all、oot=out、flour=flower、pou'd=pulled、doun=down、hadna=had not、ane=one、ye=you、wee=little、twyned=parted、hae=have、sair tae thee=sore to you 
 なお、これらについて解説されていた、当時の我々のトラッド鑑賞の唯一のよりどころであった、東野さんの私家版“BALLAD”から、この曲の解説部分を転載します。
 
Child No.14、別名“Babylon”「作られたのは、エリザベス及びスコットランド女王メアリーの時代(16世紀)と推測されます。当時の北部国境の人々 は、狂暴、残酷で氏族意識が強く、互いに絶えず殺しあっていましたが、名誉を重んじ、誇り高く、荒削りの誠実さを持っていました(ちょうど、このバラッド の主人公バビロンのように…)。また、残酷な行為を自ら犯していたにもかかわらず、その生まれながらの詩人としての才能を生かして、犠牲者をいたみ、美し いバラッドを作り出したのでしょう。」(“BALLAD - A Selection of British Traditional Songs”Compiled and Edited by Kazuko Tono/1975)

B-1. The thatchers o' Glenra

B-2. The fair flower of Northumberland
 
→いとも麗しいメロディーに載せて歌われる再びのチャイルド・バラッド(Child No.9)。これも歌詩&対訳が“BALLAD”に収録されています。そして、この曲に出て来たスコットランドなまりは次のとおり。
 
mane=moan、gin=if、baith=able、muir=moor、baith=both、ain=own、dea=do、hame=home、tyne=part

B-3. The teatotaller ; Da tushker
 
→今度はリール2発、ギター〜マンドリンメドレーでぶっ飛びました。

B-4. The three healths
 
→再びのジャコバイト・ソングです。

B-5. The John MacLean march
 
→この歌詩の作者で“A Scottish poet, songwriter, socialist, humanist, soldier, intellectual, and living contradiction.”たるあの有名な Hamish Henderson の名を知ったのはこれが最初でした。

B-6. The green linnet
 
→アルバムを締めくくるのは、ナポレオンの生涯を歌った 7:39にも及ぶ長大な曲。ピーブロックと同様に、私はこの曲を聴いていると殆ど百発百中で安らかな眠りへ一直線となりました。


 チャイルド・バラッドからコンテンポラリー・ソング(といっても数十年前の作ですが…)まで、そして、ジグ、リール、スローエアーといったインストゥルメンタル・ナンバーも含めて、全てが濃厚なスコッティッシュ・フレイバーで彩られたこのアルバムにより、“Fate o'Charlie” で開眼した私の《スコティッシュ》トラディショナル・ミュージックに対する興味が、一気に加速された記念碑的アルバムです。


#10/2007/6/24
Vin Garbutt“The Valley of Tees”(Trailer TER 2078/1972)

 ビル・リーダーの率いるトレイラー・レーベルから、殆ど同じ時期にリリースされたアルバムであるにも関わらず、このアルバムのジャケット・デザインは前回紹介したディック・ゴーハン“No More Forever”とは見事に好対照です。それも、同じジャネット・カーの手によるデザインなのですが…。
 白地のど真ん中に、縦カールの長髪にギョロ目&ヒゲ面という、およそ上品とは言えないようなヴィン・ガーバットの顔がデンと据えられているジャケット。 デリカシーのカケラもないといっちゃ言い過ぎかもしれませんが、まあ、とにもかくにも、このジャケットの目立つこと、目立つこと。
 “ブラック・ホーク”で は、厨房(という程のものではありませんが…)から飲み物を出すカウンターの上部、天井までの間の壁面に、上下2列×各列(確か)5枚づつ、計10枚の LP レコードを掛けるスペースが設えてありました。そこに、新たに入荷したアルバムが、しばらく掲示されるシステムになっていた訳です。
 プレイ中のアルバムを掲示する例のレコード・ブースのガラス外面が、ガラスのはめ込まれた入口ドアからの光が届いて割と明るいのに比べて、こ の新着アルバム掲示スペースは奥まっていてかつ高い所に位置するため、入り口ドアからの光も室内の照明も殆ど届かず、掲示されているアルバムがはっきり くっきりと見える訳ではありません。
 #08 で「“ブラック・ホーク”の雰囲気に絶妙にマッチする」と紹介したサンディー・デニーの
“The North Star Grassman and the Ravens”などは、その新譜コーナーに掲示されている限り、一体何がなんだか分からないという状況になります。しかし、そのような中でも、ただただこのヴィン・ガーバットのこのアルバムだけは圧倒的な存在感を示し、暗闇からヴィンの顔がヌ〜ッと浮き出て見えたものでした。

A-1. Danny Danielle(Garbutt)
A-2. Jonny Hart(Trad.)
A-3. Glens of sweet Mayo(Trad.)
A-4. Gallahers frolics; Sally garden's; The High reel(Trad.)
A-5. The Valley of Tees(Garbutt)
B-1. Barney Bralleghan's courtship(Trad.)
B-2. Tim le Blanc(Garbutt)
B-3. Pat O'Donnel(Trad.)
B-4. The white hart; Garbutt's favourite(Trad.)
B-5. Steets of Stithes(Slater; Garbutt)
B-6. Mr. Gunman(Garbutt)

 さて、“Fate o'Charlie”“No More Forever”が私にとって《スコティッシュ》トラッドへの入り口となったアルバムであったと同様に、このアルバムは正に私にとっての《アイリッシュ》トラッド事始めのアルバムでした。
 フォーク・リバイバルが始まって日も浅く、まだ
PlanxtyBothy Bandもデビューする前とはいえ、それまで聴いて来たトラッドの中にアイリッシュ・チューンは何曲かありました。しかし、全体を通じてこれほど濃厚にアイルランドを感じさせられたアルバムには、その当時の私としては出会ったことがありませんでした

 アルバム全体からアイルランドを感じた要因は、なんといってもこのアルバムがアイルランド人が歌い奏でるアイルランドの曲によって構成されていたことによりますが、さらに直接的な要因は、多くの曲を彩るヴィンの巧みなティン・ウィッスルの演奏でしょう。
 もちろん、ティン・ウィッスル自体はアイルランド・オリジンでも、アイルランド固有でもありませんが、当時もそして現在も、アイリッシュ・トラッドの世 界で最も手軽に演奏される楽器として活躍していることは紛れも無い事実です。ですから、当時としてはティン・ウィッスル=アイリッシュというイメージが濃 厚でした。

 しかし、その後このアルバムをさらにじっくりと聴き込んでみると、もう少し意味深いものが見えてきました。それは、現代の《吟遊詩人》たるヴィン・ガ−バットの姿です。
 収められている曲の内、
A-4B-4のインスト・チューンを除いた残り9曲の歌の内訳は、トラディショナルなものが4曲、自作のものが5曲とほぼ拮抗した数ですが、その実、そられは、ライナーノートの解説を読まなければ、その歌詩の内容といい曲の雰囲気といいほとんど区別がつきません。

 例えば、伝承曲である A-3. Glens of sweet MayoB-3. Pat O'Donnel と自作曲である B-6. Mr. Gunman の3曲は、それぞれ1920年代、1880年代、1971年という歌の背景となった時代が違うだけであって、そこで歌われているテーマはどれも、みにくい争いの中で命を落とした者に対する深い嘆きの心情を淡々と歌ったもので、伝統的な歌やバラッドに不変のテーマです。
 ヴィンが
“t's a ballad of Tim le Blanc, a story I'd tell 〜”と正に吟遊詩人の前口上から歌い出す B-2. Tim le Blanc は、彼がヨーロッパ放浪中にスペインとジブラルタルで3ヶ月間一緒に過ごしたという、元アメリカ軍の脱走兵の友人のことを歌った曲。フェアポートが“Liege and Lief”B-1. Deserterで取り上げているテーマは、なにも中世のイングランドだけではなく、ベトナム戦争が泥沼化していたあの当時のアメリカにも、別の形で当てはまる状況だったということを、ヴィンは自作の歌で見事に歌い上げるのです。

 そして、故郷の美しい風景を切々と歌い上げたタイトル曲 A-5. The Valley of Tees もまた、いつの時代も変わらないトラディショナル・ソングの重要なテーマを歌った曲だというのは言うまでもありません。

 つまり、これまで歌い継がれてきたか、これから歌い継がれていくか、という違いだけであって、彼の自作曲は誕生した瞬間から見事な程に伝承歌(トラディショナル・ナンバー)としての資質を完璧に備えているということを実感させられるのです。

 一方、アイルランド紛争に関するラスト B-6. Mr. Gunman を 聴いて、そこで歌われている内容が正にその時代の事実であることを知ると、平和な日本に暮らす我々には本当の意味でその歌の重みを理解することは、実は大 変に難しいのではなかろうか? ということを否応無く突き付けられるような気がします。

 とにもかくにも、当時レコードがすり切れる程繰り返し聴いていたこのアルバム、“One sunny summer morning, as I ramble from my home 〜”というトラッドでは超紋切り型の導入句で始まる A-3. Glens of sweet Mayo を 聴くだけで、一瞬にしてあの時代の“ブラック・ホーク”に戻ることができます。最も、この導入句が定番で紋切り型であるということに気が付いたのは、大分 後になって沢山のトラッドを聴き込んでからのことで、当時はとにかくこの導入句がとても新鮮に、そして、いかにも《イギリスのカントリーサイド》の雰囲気 を強く感じたものです。

 ところで、例によって ジャケット写真を探してネットで検索していたところ(結局写真は見つからなかったので、自分で撮影しました)、なんとヴィンは今も盛んに活動中のようです ね。オフィシャル・サイトでは最新の公演の様子を写したビデオまで配信されていました。そして、さらに驚いたことに、眼鏡こそ掛けていますが相変わらずの ふさふさの長髪にギョロ目&ヒゲ面という風貌は殆ど不変でした。大したものです。