#01/2007/5/23 The Pentangle“Cruel Sister”(Transatlantic Records TRA 228/1970/国内盤) パイパー森がこのコーナーで最初に取り上げるのは、何を置いて もこのアルバムの他には有り得ません。現在のパイパー森があるのはとりもなおさずこのアルバムのお陰。というか、ア ルバム2曲目でジャッキー・マクシー が無伴奏で淡々と歌う "When I Was In My Prime" との 運命的な出会いがあったからです。 セルフインタビューのページに も書 いた様に、小学〜中 学と順当に正しいロック少年の道を歩んでいた私は、高校一年になったばかりの1970年のある日、いつものとおりラ ジオでロック番組を聴きながら机に向かっていました。そこに突然流れて来たのがこの曲でした。確か、その番組の ニュー・リリースのコーナーで紹介されたのだと思いま す。
今となってはその番組のディスク・ジョッキーが誰であったかは全く記憶に残っていませんが、その方はなんともマニ
アックな選曲をしたことでしょう。よりに
もよって、このアルバムを紹介するのに、収められている曲の中で唯一の、さらに言えば実際のところペンタングルの演
目としてはごくごく稀な例である《無伴
奏シンギング》の曲を放送したのですから。そういう意味から言えば、パイパー森にとっての本当の恩人はこの曲を選曲
したこの方こそかもしれません。 直ぐに、このアルバムを求めてレコード店に走って、走って、走って、走って、そのままず〜っと走り続けて38年、気が つくと遥か彼方のスコットランド高地にまでたどり着き、ピーブロックというディープな世界に完璧にハマってし まっていた、というのがパイパー森の偽らざる今の心境です。
以下、このアルバムに収められている曲のタイトルと、その他の曲に関するコメントを少しだけ… 《ブリ
ティッシュ・トラッド》という概念がまだまだ一般的では無かったこの当時、ペンタングルの音楽はどちらかというとトラッド愛好者というよりもフォーク、
ロック、ジャズといった幅広い分野の愛好家、中でもとりわけギター・サウンドを追求するような人々が特に深い関心を
寄せていたものと思われます。そのような需要を受けて、ペンタングルだけでなく、古くは
1960年台半ばに遡るバート・ヤンシュとジョン・レンボーンのソロアルバムも含めて、ペンタングル関連のアルバム
はかなり早い時期から日本盤が盛んにリリースされていました。 LP レコードというものは、中身のレコード盤自体に刻まれた音だけでなく、アルバム・ジャケットまでも含めて一つのアー トとして鑑賞に値するものである、とい うことは改めて言うまでもないでしょう。パイパー森が出会った幾多のトラッド・アルバムの中にも、様々な優れたデザ インのアルバムがあり、その印象は中身 の音楽とともに記憶の奥底にしっかりと刻まれています。 そのようなトラッド・アルバムの中でも一番最初に出会ったこのアルバムは、それが最初だったからということを斟
酌せずとも、そのデザインの秀逸さは飛び抜けていると思います。ベージュ色のジャケットの表と裏中央に、中世
の銅版画を排しただけのシンプルなデザインのこのジャケットを初めて目にした時の鮮烈な印象は、38年経った今でも殆ど変わりません。 日本盤とイギリス盤でジャケット・デザインは全く変わりませんが、イギリス盤はジャケットの紙は薄くてペナペナなの は例のとおり。その代わり、印刷の色に ついて は日本盤ではオリジナルの地色が再現されているとはとても言えません。日本盤は「クリーム」といった感じの地色ですが、本来のオリジナル盤の地色は「ベー ジュ」で、デューラーの銅版画と絶妙の色合いでマッチしていて、当初のデザイナーの意図が良く伝わります。このよう な色の表現の無神経さは当時の日本盤製 作の際によくあった事で、今考えると少々悲しいものがあります。 |
#02/2007/5/23 Fairport Convention“Angel Delight”(King Record AML(i)1006/1971/国内盤) 松平さんへ
の追悼文に書いた
ように、私がかのブラック・ ホークに初め
て足を踏み入れた1971年初頭の冬のある日、3時間近くあの堅い椅子に座ってい
た間に、松平さんがターンテーブルに載せた唯一のブリティッシュ・トラッドのレコードがこのアルバムです。 A-1. Lord Marlborough このアルバムは、フェアポート としては、多くの人が最高傑作と位置づける前作 "Full House"(パイパー森 的には "Liege and Leaf" の 方が上ですが…)のラインナップから、誰もがフェアポート・サウンドの《要》と目していたリチャード・トンプソ ンが抜けてしまった中で作成されました。た だ、当時の私は フェアポートについては殆ど知識がありませんでしたので、そんなことは後で知ったこと。ですから、このアルバム についてはさほど強い先入観を持たずに聴き ました。 先ほどの追悼文に書いたとお り、このアルバムは私がブラック・
ホークに足を運ぶようになる直前に,初めて購入したペンタングル関連以外のトラッド・アルバム
でした。何事にも 一旦ハマると、とことん追求してしまう性格
である私は、その頃までには当時リリース済みのペンタングルの全てのアルバムは当然のこと、バート・ヤンシュや
ジョン・レンボーンの各々のソロアルバムも 片っ端から購入していました。 しかし、聴き込むうちに当初の 違和感は程なく消え去り、以降、パイパー森とフェアポート一派の音楽との長〜い付き合いが始まったのです。元々ロック少年だった私がそのサウンド に馴染まない訳が無かったのが根本的な理由 でしょう。でも、もう一つの大きな理由としては、もしかしたらみじめな思いですごすごと引き揚げることになった かもしれない、私のブラック・ ホークデビューの日を、一瞬にしてほのぼのとした思い出に変えてくれ た因縁のア ルバムだっ たからなのかもしれません。 私がこのアルバムで最も好きな 曲は、B-2."Banks of the Sweet Primroses" です。サンディー・デニーもリチャード・トンプソンも居ない中で、この歌 を声高らかに歌い上げているデイブ・スウォブリックの清々しい歌唱は今でも強く耳に残っています。 |
ブラック・ ホークに
通い始め
てまだ日も浅いある日、私はいつもの様にお気に入りの窓際の席で、ホーロー製のコーヒーカップに入ったあの不味い泥水のようなコーヒーをすすりながら英
-1のサイクルが来るのをじっと待っていました。 「あっ、ア、ア、アン、ブ、ブ、ブリッグスだ!」私 は思わず心の中で叫び声を上げていました。 曲が流れ出しました。"Black Water Side" でした。 A-1. Black water Side しばらくして、私はブラック・ ホークの
客が、気になるアルバムがプレイされた
時にする定番の動作を行ないました。つまり、席を立ってレコードブースのガラス仕切りに立てかけられたアルバム・
ジャケットを手に取り、裏返してライナー・ノートを読むのです。 アン・ブリッグスと愛犬クレアとのシルエットをコラージュしたシンプルな表ジャケット(そのアンニョイ漂う風情にど れだけ心を動かされたことでしょう。) と同様に、裏ジャケットはシルエットを反転させて背景を茶色地とした上に、白抜きの文字で解説がかかれていました。 う〜ん、つまり、彼女の顔がはっきりと 写った写真はまたもやどこにも無いのです。この人はいつまでもなんとミステリアスな存在で有り続けるのでしょう。 当時私はまだ16才でしたので今の様に(老眼で)小さな文字が読み難 いって訳ではありませんが、薄暗いブラック・ ホークの店内でライナー・ノートに びっしりと書かれた細かい文字の隅々まで読み通すのは無理です。第一、そんなことをしていたら、肝心の音楽を聴くの がおろそかになります。まして、この「席を立ってアルバム・ジャケットを見に行く」という行為の主たる目的は松平さ ん(と、他の客)に対して「私はこの音楽が好 きです。」という意志表示なのですから、その段階ですでに目的は達成されているのです。 ところで、ブラック・ ホークの
店内に入った時に「レコードプレイのサイクルがどの辺
なのか?」と
いう事は大きな意味を持ちます。なぜなら、レコード・プレイのサイクルは一巡するのに3時間かかるからです。ですか
ら、店に入った時が運悪く英 -1が終了した直後だとすると、次の英
-1が巡ってきて純粋なトラッドが掛かるまでにはほぼ3時間我慢しなくてはならない訳です。 しかし、プレイされるのは1回につき LPレコードの片面ですから、お気に入りのアルバムと出会ったとしても、もう片方の面を聴くためには、次にそのアルバムがプレイされる機会にタイミング良 くもう半面が選択される幸運を待つことになります。 話はさらにそれますが、中には松平さんの好みでどうしてもある特定の 片面に偏る、あるいは極端な場合は片面しかプレイしないというアルバムもありました。あの Earnie Graham の "Earnie Graham"(Livety LBS-83485)などはその最たるものです。松平さんとして は、フェアポートの "Sloth" に 比較し得る唯一のエレクトリック・トラッド・ナンバー "Belfast" を、ただただ皆に聴かせたかったので しょう。毎回必ず "Belfast" の収められ ているB面だけをプレイし、その度レコードブースの中から「どうだ、これを聴け!(Hark it ! )」ってな感じの視線で店内を睥睨するのでした。 (さて、話を戻して…) さて、当然ながらこのアルバムはその後輸入レコード店で購入しましたが、これは
私にとってトラッド専門の Topic
レーベルのアルバムを購入した最初の一枚でした。なぜ、それを憶えているかというと、実は、当初私はこのアルバムのタイトルが
"Topic" だ
と思い込んでいたからです。 さて、このアルバムを手にしてやっと A.L.Loyd によるライナーノートをじっくり読む事ができました。そして、なんといっても印象的だったのが、冒頭の次の様な彼女に関する紹介文でした。 Getting Anne Briggs into a recording studio is like enticing a wild bird into a cage. Nor is she best at ease when she's trapped there. Walls don't suit her as well as woods, and she's more given to stravaging than to settling. Which is why she, one of the most admired singers in the folk song revival, is so seldom heard on record.(中略)So here is the first LP she's had all to hereself, and many people will say : 'Welcome, dear Anne; we've been waiting for this' Ewan MacColl と並ぶブリティッシュ・トラッド界の重鎮である
A.L.Loyd が手放しで賞賛するこの女性シンガーはやはりただ者ではなかったのです。 ところが、その後、1977年にいよいよブリティッシュ・ト ラッド愛好会が立ち上がり、会に集う皆さんとそれぞれのお気に入りアーティストなどについて言葉を交わ ずようになって何よりもびっく りしたのは、日本のトラッド・ファンの集う巷には、まるで “アン・ブリッグス・フェチ” とでもいうようなア ン・ブリッグスのカルト的ファンが溢れているということでした。「な〜んだ、俺だ けじゃなかったんだ。」 もしかしたら、そのようなファンたちが集って「アン・ブリッグス学
会」なんてのが成立するんではないか?と思えてしまう程。少なくとも「アン・ブリックスを考察するシンポジウム」は
いつでも開催可能だと思います。 まあ、アホな空想はともかく、そんなカルト的ファンたちの熱い想いの
集大成が、1990年にキングレコードからリリースされたCDアルバム "Anne
Briggs/Black Water Side - Complete Recordings From
TOPIC"(King Record KICP 2082/1990)です。
これは、A.L.Loyd のライナーノートでも紹介されていた、"The Iron Muse"(12T86/1963)、EP "The Hazards of
Love"(TOP94/1963)、"The Birds In The
Bush"(12T135/1966)という、このファースト・ソロ LP
のリリースまでに彼女が Topic
レーベルで録音してきた全ての音源を一枚のCDに納めてしまう、という傑作企画の産物です。「CD一枚にこれらの音源全てが収録可能である。」と言う見事
なロジックを発見し、企画したのはもちろんトラッド愛好会の設立当初からのメンバー、白石さんと牛沢さんの二人。 いつの時代も極端に露出度が低くてミステリアスな存在であり続けるアン・ブリッグスに関して、これまで最も濃い情報は、共にイギリスの音楽雑誌である "SWING51"(No.13/1989)と "MOJO"(1998/03)に掲載された(前者はインタビューそのもの、後者 はインタビューを元にした)記事です。私は前者はTKさん、後者は大 島豊さんという共にトラッド仲間から現 物やコピーを頂戴しましたが、両方とも彼女の音楽人生やトラッド界から完全に身を引いた後の半生が克明に描かれてい て非常に興味深く読ませてもらいまし た。彼女は "MOJO" の インタビュー当時は(多分その後も?)西スコットランドのある島で、周囲2マイルに全く人気の無いというコテッジで 静かに暮らしているそうです。 スコットランド西方の島といえば、ピーブロック・プレイヤーたるパイパー森の聖地であるスカイ島のある方面です。なんと、16才の私が恋い焦がれた女性 が、正に私の現在の音楽の聖地の近く(いや、もしかしたらその島というのはスカイ島そのものかもしれません。)で暮 らしている、というのはやはり何かしら 強い因縁を感じない訳にはいきません。(…と、パイパー森お得意のいつもの こじつけ。) ところで、大島さん、この記事の最後に書いてあったインタビュアーの Colin Harper が準備しているというアン・ブリッグスに関する本ってのはその後リリースされたのでしょうか? さて、最後に一つのお宝画像を。 ここで紹介するのは
1975年に私のパートナーが渡英した際に手にした Cecil Sharp House の地下にあったフォーク・クラブ "THE CELLAR"
のチラシです。ここには、ちゃんと彼女の名前が出ているのです。つまり、少なくとも
1975年までは彼女はまだまだ活動中だったということですね。 さらに、巷のアン・ブリッグス・ファンの間では既に周知の映像です
が、正に時代を反映した「21才当時の《動く》アン・ブリッグス」を観ることができる、トンでもないお
宝映像が YouTube にアップ さ
れているのでご紹介。 |
#05/2007/5/25 Nic Jones“Ballads and Songs”(Trailer LER 2014/1970) あ
る時、ブ
ラック・ ホークの
英ー 2サイクルとして
"Sir Patrick Spence" の
入っているフェアポートの "Full House"
B面がプレイされた後に、英ー1サイクルとしてこのアルバ
ム一曲目の "Sir Patrick Spence" が店内に流れた時に私が受けた衝撃は、
レコード盤に針を落とす際の松平さんのいかにも意味有りげな目つきと共に、今で
もつい昨日の事の様に鮮明に記憶に残っています。 A-1. Sir Patrick Spence 当然のように、プレイ中にレコード・ブースのいつもの場所にアルバムを手にしに 行った私は、ライナー・ノートの曲目リストを目にして、今回ばかりは日を改め て次の英 -1タイムにB面を聴くことが出来るまで待つ必要は全く無いと悟り、できる限り早くこの傑作アルバムを入手すべく行 動を起こすことを決意しました。 想い起こせば、アン・ブリッグスのアルバム "Anne Briggs" と ともに、この "Ballad and Songs" は、私がペンタングルとフェアポート・ コンベンションの現代風にアレンジされたトラッドの世界から、より一層コアなブリティッシュ・トラディショナル・ ミュージックの世界へと、さらに深く足を踏み 込む契機となった記念碑的アルバムの一つです。
ところで、このコーナーで使用するレコード・ジャケットの画像は、ネット通販のカタログなどから勝手に拝借させても
らっています(ただし、アン・ブリッグ
スの画像はあちこち探しても結局見つける事が出来なかったので、仕方ないので自分で撮影しました。だから、少々歪ん
でいるんです。)。 当然ながら、パイパー森はWeb 情報についてもハイランド・パイプ関係には結構詳しいですが、この方面については至って不案内なので、こんなサイト を初めて見ると、30数年前との隔世の 感の極みですね。当時は、あるバラッドの歌詩を一つ知るだけでも大変苦労したものです。 手元にこのアルバムある方はものは試しにこのサイトにお世話になっ て、"Annan Water" の歌詩でも眺めながら、ニックの素晴らしき世界に耽ってみて下さい。 なお、当の松平さん自身がこのアルバムをヤマハ渋谷店のイギリス盤
コーナーで見つけた時の様子が「松平稚秋の仕事」の「トラッドの受け入れられ方」の項に書いてあります。そこに書かれて
いる「何人かのトラッド好きの客の顔」の一つが私でした。また、「ニック・ジョーンズ『ペンギン・エッグス』」の項には、当時松平さ
んがどのような思いを込めて、このアルバムをターンテーブルに乗せていたか、などについて書かれています。 |
#06/2007/6/1 Archie Fisher, Barbara Dickson & John MacKinnon“The Fate o'Charlie”(Trailer LER 3002/1969) このアルバムは、
当時のコレクションの中では珍しく事前にブラック・ ホークで中身を聴いてから買ったものではありま
せん。 とは言っても、当時の私はタイトルの "Charlie" というのが誰の事を指すのか?
を知らない程のブリティシュ・トラッド超初心者でした。大体、 o' という of
の省略形を知ったのもこれが最初でした。 そんな私が、ボニー・プリンス・チャーリーの率いるジャコバイトの軍
勢が、ジョニー・コープの率いるイングランド軍を打ち破った 1745年9月21日の "プレスト
ンパンズの戦い"(ロ
ンドンからフライング・スコッツマンに乗って旅をすると、エジンバラのちょっと手前でこの町を通過します。)を描いた表ジャケットの絵画に、ビビッ!と感
じる瞬間がもし無かったとしたら、スコットランド文化の真髄であるピーブロックを鑑賞し、そして、自ら演奏すること
を生き甲斐とするような現在の私があったでしょうか? ペンタングルの "When I Was In My Prime" と の出会 いといい、このアルバムとの出会いといい、人生の岐路(大袈裟?)というのはつくづく偶然のなせる技だな〜、と思わ せられます。 さて、スチュアート朝復活の企て "The Jacobaite Rebellions" に 関するこのコンセプト・アルバムのライナー・ノーツを読んで初めて、Bonnie Prince Charlie こと Charlie Stuart 王子と Jacobaite Rebellions の歴史を知った私は、その後、スコッティッシュ文化の深みに加速度的にハマって行くのでした。 例えば、各クランの領土を色分けした上に古戦場などの歴史的な場所を克明に記した "The Histrical Map of Scotland" という大きな古地図(丸善の洋書売り場 で購入)を壁に張り、受験勉強に疲れる と古戦場のマークを探しては、「おっ、 Killcrankie ってここなんだ〜!」とか「うん、Prestonpans ね…」、「プリンス・チャーリがフランスから船で来て上陸した Glenfinnan ってのはここか〜 」なん て風に、遥か 18世紀のスコットランドに想いを馳せる、なんてことをよくやっていたものです。 ところで、ここではごく一般的なイギリス史的視点から、タイトルは Jacobite Rebellions となっていますが、スコットランドの人々は基本的にこの一連の行動のことを《Rebellion=反乱》とは言わず《Rising=蜂起》と言い ます。例えば、1745年のボニー・プリンス・チャーリーの蜂起は《 '45 Rising》といったように表現するのです。 A-1. Come Ye O'er Frae France 追悼文に も書いたとおり、このアルバムはその後、当時の私たちに共通のフェイバリット・アルバムの一つとして、下北沢のグッ ディーズで繰り返し聴いたものです。ま た、歌とインストゥルメンタルナンバーが絶妙に調和しているこのアルバムに収められている曲は、どれもが余りにも素 晴らしすぎてどの曲がどうのこうのって いうのは野暮ですが、中でもいくつか思い出深い曲について書いてみましょう。 A-6. The Highland Widow's Lament 松平 さんの大のお気に 入り。その妙なるメロディーラインを東野さんにレコードと同じ様にフィドルで弾いてもらっては、至極ご満悦でお気に 入りのジンを口に運んでいたものです。 A面を締めくくる A-8b Killcrankie
という曲はギターをバックにコンサーティーナとフィドルがユニゾンでメロディーを奏でる印象深い楽曲です。この曲を
聴いて、当時まだ耳新しかったコンサー
ティーナの優しい音色がどうしても耳について離れなくなってしまった私は、間もなくイギリスに行く予定だったTさん
に、イギリスで「コンサーティーナか
バグパイプ」を買ってきてくれるように頼んでしまいました。そして、結果として、彼女がハイランド・パイプ(のプラクティス・チャンターと教則本)を買っ
てきてくれたことにより、私の運命は決定したのです。 後日、私と日常生活を共にするようになる彼女は、あの時に優しい音色のコンサーティーナではなく、暴力的な音色のハ イランド・パイプ(のガチョウを絞め殺 す時のような音色)のプラクティス・チャンターを選んだことを後々まで呪うようになるのですが、それはまさに後の祭 りでした。 ハイランド・パイプを演奏するようになってからしばらくした時、楽譜 集を片っ端から演奏していて "Mairi's Wedding" と いう曲を演 奏してみると、なんとそれが聴き慣れた A-5."The Bonny Hieland Laddie" のメロディーだったときは、とて も嬉しくなって何度も演奏してしまいました。ここでは、John MacKinnon がリードを取って歌うのですが、2小節目のスコッチスナップの箇所で、"〜Laddie、〜plaidie、〜daddie" と韻を踏んでリズムが跳ねるのが、いかにもスコットランドらしいムードを出してい て好きなところです。 フェアポート・コンベンションが "Full House" の ラストで演奏していることでも有名な B-7. "The Flowers o' the Forest" は ハイランド・パイプのどんな楽譜集にも必ず載っ ている最も代表的な Funeral March(Slow Air)。 "Amazing Glace" などとともに、私がハイランド・パイプで演奏する数少ないピーブロックでは無い曲の中の一つです。 そして、1980年の年末にブラック・ ホークでのト ラッド愛好会の例会で、その直前の12月8日に亡くなったジョン・レノンを偲んで私が演奏したのもこの曲でした。 |
#07/2007/6/6 Fairport Convention“Liege & Lief”(Island Records ICL 37/1969/国内盤) 私がフェアポート・コンベンションのアルバム "Angel Delight" でブラック・ ホークデビューの日を無事に過ごした後、ほぼ週3回
のペースで通い始めてから、毎回
巡って来る英ー2(エレクトリック・トラッド)の時間にターンテーブルに載るのが、圧倒的にフェアポート一派だった
ということは言うまでもありません。 1969 年にリリースされたこのアルバムが70年代のブリティッシュ・トラッド(フォーク)・リバイバルに果たした役割と意 義の大きさついては、私がここで改めて 記すまでもなく、既に散々言い尽くされている通りですから、あえてここでは繰り返しませんが、それぞれの曲について ちょこっと書いてみます。 A-1. Come All Ye ただ、このアルバムにはその音楽の素晴らしさと同時に、忘れてはなら
ない重要な意義がもう一つ有るのです。 私はブラック・ ホークで このアルバムを最初に聴いた時、例によってアルバム・ジャケットを手に取りに行きました。2つ折りのジャケットを開 いてみると、見開きには10枚の絵画や 写真がカードの様な体裁でコラムとしてランダムにレイアウトされていました。そして、それぞれの絵画や写真の下には なにやらごく細かい文字で解説が書いて ある。当時も今も私の視力は1.5ですが(ただ、今は老眼がプラスされています)、ブラック・ ホークの店内の薄 暗い照明の下ではとても満足に読み取れる様なものではありません。 ですから、これらの記述にじっくりと目を通すことができたのは、 その後、自分でこのアルバムを購入してからでした。ちなみに、10個のコラムのタイトルは次のとおりです。 【上段左から】
この中 でイングランドのカントリーサイドに伝わる古い伝承行事や老人シンガーについて解説しているコラムなどは、今、改め て読み返してみてもあまりピンと来ないようなものもあります。しかし、当時の私たちにとって何よりも意義深かったの は、この場で初めて "Cecil Sharp" "Framcis James Child" "Morris dancing" という単語に出会ったことです。 何度も書きますが、ブリテン島の民俗音楽や大衆文化に関する情報は当時は非常に限られていました。パソコンに向かっ てちょこちょこっとキーワードを入力 し、数回クリックすればどんな情報でもいとも容易に入手できる今のような良き時代とは全く違うのです。当時のブリ ティッシュ・トラッド愛好家には、僅かな 分量のクレジットの行間を深読みしてさまざまな事を推測する豊かな想像力が必要だったのです。 例えば、"Cecil Sharp" のコラムの中にある "Cecil Sharp House" "EFDSS" という名称 と、裏ジャケットの中央に記されたクレジットの最後の "with special thanks to the English Folk Dance & Song Society Library at Cecil Sharp House" という記述から、これらの絵画や写真 の出 所に想いを巡らせ、そして、"EFDSS" というのがどうやら "English Folk Dance & Song Society" という組織の頭文字であろうと推測する、ってな具合です。 今では、日本語の翻訳本までリリースされる程にお馴染みになってい る、伝承バラッド研究の第一人者であるフランシス・ジェイムス・チャイルドの名前に当時のブリティッシュ・トラッド愛好家が初めて出会ったのも、そして、イ ングランドの伝承音楽研究の第一人者セシル・シャープの名前を知ったのも、どれもこれもこの見開きジャケットの中だったのです。 そして、さらに、Morris dancing という言葉と、例の白い衣装に身を包み、両手に白いハンカチをもって踊るモリス・
ダンサーたちの姿を記録したモノクロ写真を目にしたのも、紛れも無くこれが最初の最初。
そのようにして想いを巡らせてみると、この10個のコラムに取り上げたテーマはチャイルドの他は(チャイルドはより
広域なエリア、イングランド〜スコット
ランドの伝承バラッドの研究者)、どれもがイングランドのカントリー・サイドの民衆文化に深く根ざしたものだという
のに気が付きます。 このアルバムは、フェアポート一派のその後の各々の活動への出発点=分岐点となった重要な意味を持つだけでなく、当 時の日本のブリティッシュ・トラッド愛 好家たちにとっても、それぞれの嗜好に沿ってよりコアなブリティッシュ・トラッドを追求して道への出発点となり得る ような様々な情報がぎっしりと詰まって いた、という意味からも大変意義深いアルバムでした。 【後日追記】 |
#08/2007/6/9 Richard Thompson“Henry The Human Fly”(Island Records ICL 38/1972/国内盤) ブラック・ ホークの
レコードブースのガラス外側に松平さんによってこのアルバム・ジャケットが掲げられた時の映像が、何故か目にくっき
り と焼き付いています。 その幾つかの要素の中に、写真を用いたアルバムの場合には、その写真
の雰囲気がブラック・ ホークのインテリアの雰囲気にマッチしているということが大きな要因となるよ
うな気がします。 実は、当時ブラック・ ホークでたびたびプレイされて いたアルバムの中でもう一枚、お店の雰囲気に絶妙にマッチするジャケットのアルバムがありました。それは、まあ、言 わずもがなですが、つまりはサンディー・デニーの、 あの "The North Star Grassman and the Ravens" です。 そして、さらにもう一つ、ブラック・ ホークの雰囲気
に ばっちりハマると個人的に思っ
ているアルバム・ジャケットがあるのですが、この場合はちょっと例外的です。というのも、この場合は裏ジャケットな
ので…。そのアルバムは、フェアポート・コンベンショ
ンの "Unhalfbriking" です。 ・アシュレイ・ハッチュングス:オレたちは、もうそろそろディランのナンバーを取り上げることから卒業すべきだ
よ。これからは、伝承バラッドやアイリッシュ・チューンも取り上げてみよう。そして、最終的には自分たちの DNA
に流れている、イングランドのトラッドを追求したいと思っているんだ。 A-1. Roll Over Vaughn Williams A-2. Nobody's Wedding ストラスペイというのは、4/4のリールの一種で、スコッチ・スナッ
プという、《つんのめる》ようなリズムが特徴的なスコットランド独特のダンス曲ですが、当時はそんな事を全く知らず
にただただ身体が反応した訳です。 A-3. Poor Ditching Boy A-4. Shaky Nancy A-5. Angel's Took My Racehorse
Away B-2. Painted Ladies B-6. Twisted …てな訳で、私にとってこのアルバムはリチャード・トンプソンのソロア ルバムの中でも特別の愛聴盤である、というのがご理解いただけたでしょうか? |
#09/2007/6/14 Dick Gaughan“No More Forever”(Trailer TER 2072/1972) 当時愛聴していたトラッドの LP
レコードの中で、その後 CD として購入し直すと、多くの場合 LP
レコードのアートとしてのジャケットデザインが全く失われてしまって残念な思いを抱きます。このアルバムのその様な例の一つ。 もちろん、私はこのアルバム・ジャケット単体にシンパシーを感じたの ではなく、このジャケット・デザインと中身の音楽(生粋のスコットランド人による生粋のスコティシュ・トラッディ ショナル・ミュージック)が見事な程にマッチしていた からこそ深く印象に残ったのです。 A-1. Rattlin' roarin' Willie /
The friar's britches A-2. MacCrimmon's Lament ;
Mistress Jamieson's favourite A-3. Jock o' Hazeldean A-4. Cam' ye ower frae France A-5. The bonnie banks o' Fordie B-1. The thatchers o' Glenra B-2. The fair flower of
Northumberland B-3. The teatotaller ; Da tushker B-4. The three healths B-5. The John MacLean march B-6. The green linnet チャイルド・バラッドからコンテンポラリー・ソング(といっても数十 年前の作ですが…)まで、そして、ジグ、リール、スローエアーといったインストゥルメンタル・ナンバーも含めて、全 てが濃厚なスコッティッシュ・フレイバーで彩られたこのアルバムにより、"Fate o'Charlie" で開眼した私のス コティッシュ・トラディショナル・ミュージックに対する興味が、一気に加速された記念碑的アルバムで す。 |
#10/2007/6/24 ビル・リーダーの率いるトレイラー・
レーベルから、殆ど同じ時期にリリースされたアルバムであるにも関わらず、このアルバムのジャケット・デザイン
は前回紹介したディック・ゴーハン "No More
Forever" とは見事に好対照です。それも、同じジャネット・カーの手によるデザインなのですが…。 A-1. Danny Danielle(Garbutt) さて、"Fate
o'Charlie" や "No More Forever" が私にとって《ス
コティッシュ》トラッドへの入り口となったア
ルバムであったと同様に、このアルバムは正に私にとっての《アイリッシュ》トラッド事始めのアルバムでした。 アルバム全体からアイルランドを感じた要因は、なんといってもこのアル
バムがアイルランド人が歌い奏でるアイルランドの曲によって構成されていたことによりますが、さらに直接的
な要因は、多くの曲を彩るヴィンの巧みなティン・ウィッスルの演奏でしょう。 しかし、その後このアルバムをさらにじっくりと聴き込んでみると、もう
少し意味深いものが見えてきました。それは、現代の《吟遊詩人》たるヴィン・ガ−バットの姿です。 例えば、伝承曲である A-3. Glens of sweet Mayo、B-3.
Pat O'Donnel と自作曲である
B-6. Mr. Gunman
の3曲は、それぞれ1920年代、1880年代、1971年という歌の背景となった時代が違うだけであって、そこで歌われているテーマはどれも、みにくい
争いの中で命を落とした者に対する深い嘆きの心情を淡々と歌ったもので、伝統的な歌やバラッドに不変のテー
マです。 そして、故郷の美しい風景を切々と歌い上げたタイトル曲 A-5. The Valley of Tees もまた、いつの時代も変わらないトラディショナル・ソングの重要なテーマを歌った曲だというのは言うまでもありません。 つまり、これまで歌い継がれてきたか、これから歌い継がれていくか、とい う違いだけであって、彼の自作曲は誕生した瞬間から見事な程に伝承歌(トラディショナル・ナンバー)として の資質を完璧に備えているということを実感させられるのです。 一方、アイルランド紛争に関するラスト B-6. Mr. Gunman を 聴いて、そこで歌われている内容が正にその時代の事実であることを知ると、平和な日本に暮らす我々には本当 の意味でその歌の重みを理解することは、実は大 変に難しいのではなかろうか? ということを否応無く突き付けられるような気がします。 とにもかくにも、当時レコードがすり切れる程繰り返し聴いていたこのア ルバム、"One sunny summer morning, as I ramble from my home 〜" という ト ラッドでは超紋切り型の導入句で始まる A-3. Glens of sweet Mayo を 聴くだけで、一瞬にしてあの時代の“ブラック・ホーク”に戻ることができます。最も、この導入句が定番で紋 切り型であるということに気が付いたのは、大分 後になって沢山のトラッドを聴き込んでからのことで、当時はとにかくこの導入句がとても新鮮に、そして、い かにも《イギリスのカントリーサイド》の雰囲気 を強く感じたものです。 ところで、例によって ジャケット写真を探してネットで検索していたところ(結局写真は見つからなかったので、自分で撮影しました)、なん とヴィンは今も盛んに活動中のようです ね。オフィシャル・サイトでは最新の公演の様子を写したビデオまで配信されていました。そして、さらに驚いたこと に、眼鏡こそ掛けていますが相変わらずの ふさふさの長髪にギョロ目&ヒゲ面という風貌は殆ど不変でした。大したものです。 |