パイパー森の音のある暮らし《2003年
2003/1/3
(金)

マクリモンの栄枯盛衰

 お正月休みに昔の文章をアップロードしました。マクリモン一族の栄枯盛衰について書いた Canntaireachd No.17 です。オリジナルの原稿を書いたのは1998年3月ですから、もうほぼ5年も前のことですが…。

  さて、いよいよこれで紙媒体に書いていた Canntaireachd (の内、デジタルデータになっているもの)は全てです。ネタ切れって訳だ。そろそろ新しい文章(Canntaireachd の名に相応しい真面目なヤツね)を書き下ろさなくてはなりませんね。書きたいネタは沢山あるのですが、なかなか集中できなくていけません。ぐずぐずしてい る内に、老眼が進んで資料をおさらいするのが辛くなる。トホホ…、情けない。

 ところで、今回アップしたマクリモン一族の物語はいかがでした? ピーブロックの歴史を知る上で、欠かす事の出来ない物語なんですが…。

 といっても、こんなお話、一体誰が読むんですかね?

 多分、一番の読者は私自身なんでしょうね。

 大体、このような文章ってのはピーブロックフリークたるパイパー森が、ピーブロックに関する様々な資料に目を通して知り得た事実を、自分自身が忘れないようにまとめておくというのが一番の目的なんです。

 なんせ、当然ですがそれらはみんな英語で書かれた資料なので、読んだその時には「へ〜、そうなんだ」って感心したとしても、しばらくすると一体どの資料のどこに書いてあったかが分からなくなってしまう。
 その度に「え〜と、え〜と、あれでもない、これでもない、どのページだったっけ?」ってな具合にトンマな作業を繰り返すことになるんですね。

 ですから、これらの文章はまさに私自身にとっての備忘録って訳。

 今回も、久しぶりに自分の文章を読みながら、遠い国での遠い昔の出来事に思いを馳せ、一人で悦に入っていました。
 ウフフ…、なんとまあ、幸せなヤツ…。


 ところで、あの文章の最後は、まるでマクリモン一族が消え去ってしまったかのような印象を与えたかも知れませんが、それはあくまでもピーブロックという音楽に関する影響力に限ったこと。当然ですが、血のつながりとしてのマクリモン一族はその後も永々と続いた訳です。

 …で、世はまさにインターネットの時代。“MacCrimmon”で検索するとこんなサイトがあるんです。

 すごいですね〜。なんと世界中に散らばったマクリモンの末裔たち、616家族、1969人の消息が全てデータベース化されているんです。

 もちろん、一族の歴史について書かれたセクションもありますが、私がさまざまな資料から読み取った以上には、特に目新しいことは書かれていませんでした。

 …と言いたいところでしたが、なんと驚いたことに、Family Tree of Piping の ページに目を通してみると、1825年に死去した Donald Ruadh 以来、途絶えていたクラン・マクロードの世襲パイパーの地位が、長いブランクの後にそれに続く第9代目として1942年〜1978年までの間、まさに正統 なマクリモンの血を引く Malcolm Roderick MacCrimmon というパイパーによって受け継がれ、さらに1978年以降は第10代としてその息子である Iain Norman MacCrimmon によって引き継がれているというのです。

 う〜ん、な、なんと、マクリモン・パイパーの伝統は現代に復活していたのです。

2003/1/16
(木

30周年!

 今日はパイパー森がピーブロックという音楽に出会った日からちょうど30年目にあたる記念すべき日です。

 その経過は「パイプのかおり」第3話のここに書いたとおり。
 その時のカセットテープはその後も時々引っぱりだしてきては聴き返しますが、今日も久しぶりに聴いてみました。

 今では想像もできませんが、当時はFM放送ってのはNHK・FMとFM東京(その当時はまだFM東海といっていた頃かもしれませんが…)しかなかったんですよね。そして、そのNHK・FMで毎週火曜日の午後10時から、かの「世界の民族音楽」という名番組が放送されていた訳です。

 その日は10時の時報に続いて、いきなりツウィードを紡ぐ女性たちのウォルキングソングが流れました。そして、そのままその音楽をバックにあの小泉文夫さんのやさしい声で「皆 さん、ごきげんいかがですか? 小泉文夫です。今夜の世界の民族音楽は、今流れている音楽、ちょっと聴くとまるで日本のアイヌの民謡のように聴こえます が、実はこれはスコットランドのヘブリディーズ諸島の女性たちによる、糸紡ぎの歌なんですね。さあ、今日は皆さんと一緒にこのヘブリディーズ諸島の音楽を 聴いていきましょう。」ってな感じで番組が始まりました。

 いつ聴き直してみても、その晩のことがまるで昨日の事のように思い出されます。私がブリティッシュ・トラッドの道に足を踏み入れるようになったのも、偶然にラジオから流れて来たペンタングルを聴いたことが きっかけでしたし、ピーブロックという音楽にこだわるようになったのも、やはりラジオで聴いたこの晩の音楽がきっかけでした。現在のように様々なメディア を通じて、多くの情報が溢れんばかりに飛び交っている訳では無い時代だったからこそ、僅かな情報をつかみ取る鋭い感性だけがたよりだったのです。

 その時に初めて聴いたピーブロック“MacGregor's Salute”は、その後、私の大事なレパートリーの一つとなり、演奏時間8分余りとピーブロックの中では比較的短かめの曲だということもあり、パイプを手にするたびに毎回のように演奏しますが、何度演奏しても飽きる事のない味わい深い曲です。

  30年という年月はそれなりに長い時間でしょう。でも、私にとってピーブロックとの取り組みということから言うと、本当にあっという間でした。ピーブロッ クについてこれまで一体何ができたんだろう? 演奏の技術がどれほど上達したんだろう? 何曲のピーブロックを習得したんだろう? というように考えた 時、それは本当に僅かな歩みでしかありません。
 ピーブロックという大きな大きな宝の塊のほんの僅かな一端をかじっただけでしかないように思えます。

 イアン・L・マッカイの言葉を引用するまでもなく、ピーブロックというのは偉大な奥深さを持った音楽だと思います。私もこれからの残された人生をかけてこの音楽を味わいあれこれ考察していきたいと思います。

 もし、私が長生きの人生を歩むとしたら、これからさらに30年後もきっと同じような気持ちでいるような気がします。それほどにも、このピーブロックという音楽は奥が深いと思うのです。

2003/2/9
(日)

低音雄バチ?

 このところ、パイプのかおりシリーズを精力的にアップしています。

 でも、実は第11話などは、最初はこの音のある暮らしのコーナーに書いた文章なんですね。パイプに関する話としてちょっとまとまりそうだったので、加筆してあちらに載せてしまいました。まさに、手抜きの極意!

 また、第10話で挿入した、フランシス・コリンソンの“The Bagpipe, Fiddle, and Harp”ら引用した記述は、デジタルデータになる前(つまり手書きってこと…)なのでこのサイトにはアップしていな幻の Canntaireachd No.4 に使ったネタ。手抜きその2。

 第12話は、ピーブロックをコンパクトに説明した文章として重宝していたので、以前から英文のまま人に紹介していました。
 でも、今回、日本語に訳して改めてじっくり読み込んでみると、ピーブロックの説明というよりは、どちらかと言うと「ピーブロックはどうして人の耳に馴染みにくいのか?」ってな文章だな〜、ってことに気がついたので、そのような意味で紹介してみました。
 つまり自分のようにピーブロックフリークではないごく普通の人にとっては、この音楽ってのはかくのごとく理解しにくい面があるのだと…。

 正直なところ、前半部分を日本語にしている時は、「ピーブロックの変てこな特徴を実に的確に暴き出しているな〜。」って感心する反面、「いや〜、そんなに言う程難しくないんだけどな〜。」っていう気もして、この文章を紹介するのよそうかな?って悩みました。
 でも、最終的に、「ピーブロックはチャンターとドローンとの《和音の響き》を味わって欲しい。」って部分で、目から鱗が落ちました。さらに、たまたま第10話で紹介した“The Vaunting”という曲がまさにそのようなことを実感させる曲だったこともあり、「我が意を得たり。そうなんだよね。」って感じがしたので、ぜひ多くの人に読んで欲しいと思いました。


 実はこの英文を日本語にするため、まずは大雑把な日本語訳が欲しかったので、インターネット上にある翻訳サイトで翻訳してみました。もちろん、そのまま使えるとは思ってはいませんでしたけど、それにしてもけったいな訳が続出して笑えました。

 例えば、“Piping”は「配管 」、“The air of the Ground”は「地面の大気」、“Chanter”は「歌い手」、ってな感じです。ならば、“Piper”ってのは「配管工」になるかなって思ってたら、ちゃんと「笛吹き」ってなっていました。
 でも、なんていっても一番笑えたのは“drone”を「雄バチ」って訳してくれたことでした。ついでに“tenor”は「要旨」と訳されますから、本来「ベースドローンはチャンターの主音(tonic)のオクターブ下、テナードローンはチャンターの主音に合わせてチューニングされます。」と訳されるべき文章が「低音雄バチおよび要旨は強壮剤(tonic)を備えた調和の中で『ぶう〜ん』といいます。」ってな具合に訳されるんです。

 ス、スゴ〜イ! あまりにも凄すぎる。

2003/2/10
(日)

パイピングキャット

 ホームページの壁紙として使っているイラストは、イオナ&ピーター・オーピー夫妻の The Oxford Nursery Rhyme Book に出てくるバグパイプを吹くネコの版画。「トマス・ビュウィックについて」で書いたとおり、ウッド・エングレービングの真似事をして、見よう見まねで彫った版画の一つです。

 それ以来、私の購入するバグパイプ関係の本や楽譜にはすべてこのパイピングキャットのスタンプが押してあります。蔵書印って訳ですね。


 ネコと言えば、我が家には「みいちゃん」というネコがいます。数年前に隣の植木畑に捨てられていたのを拾いました。目も開かない位の小さな身体で「み〜、み〜」鳴いていたので「みいちゃん」と名付けました。

 昨年12月に、またまた、今度は隣の家との境の塀の上で鳴き続けていた子ネコを救出しました。「みいちゃん」に引き合わせたら、いきなり「は〜ッ!」と威嚇したので、「はあちゃん」と名付けました。

 2匹合わせて「ミーハー」です。

 どうも…、(;^_^A アセアセ・・・でした。

2003/5/10
(土)

久しぶりに多摩川で…

 東京は5月上旬のこの時期が一年中で一番清々しい。

 その清々しい陽気につられて、多摩川辺のいつもの演奏場所に夕方出かけ、落ちていく夕日が川面に映る様を眺めながら、最近のお気に入りの曲である Lament for the Earl of Antrim を演奏しました。

 この日は風が強かったので、岸辺で風に立ち向かい、葦が奏でるサワサワという音をバックに演奏するのはなんとも爽快!
 目を瞑ると心はスコットランドに…。まるで右の絵のようなマクリモンパイパーになった気分。

 他人に言われるまでもなく、つくづく「俺ってナルシストだな〜」と悟った次第。


 ふと、気が付くと、小さな子どもを連れたお母さんが間近にしゃがんで私の演奏に聴き入っていました。多分、少し離れたところでバーベキューを楽しんでいた家族連れの一員だったのでしょう。耳なれない音色に引き寄せられ、葦原を漕ぎ分けてその場所に来た様子。

 でも、曲が曲だけにパイパー森としてはその親子に愛嬌を振りまく訳にもいかないので、例によって自己陶酔の境地で目を瞑ったまま坦々と演奏していたら、その内に居なくなっていました。
 そりゃそうだろう、「わ〜、バグパイプだ〜!」って思って子どもを連れて来たら、なにやら訳の分からんメロディーを延々と18分近く演奏しているだけだもんね。

 だれだって、呆れるわな〜。

2003/5/11
(日)

ベータマックスがとうとう壊れた

 もうすでにお気付きのとおり、パイパー森はかなりのへそ曲がり。何事においても世の中の主流となるものにはついては、何故か乗り切れないっていう困ったちゃんです。

 ですから、愛用のパソコンがマックであると同様に、ビデオは当然ベータマックスだった訳です。

 しかし、すでに生みの親であるソニーにまで見放されたベータマックスに未来はあるはずもなく、我が家でも現在使っているデッキが壊れたらそれまで…、という状態だった訳ですが、いよいよその時がやってきました。

 先日、見終わったテープを取り出そうとしたら「ウギ〜ッ!」っという音共にテープが斜になったきり見事にスタック。
 …で、カバーを外してごちゃごちゃ弄っていたら突然、テープを吐き出した。どうやら、テープを出し入れするユニットの片方のプラスティック製の突起が折 れてしまい、テープを正常に排出できない様子。でも、その時に指で介添えしてやればなんとかテープが出てくるということが分かりました。

 仕方がないので、どうしても保存しておきたい貴重な映像はVHSにダビングすることにしました。(へそ曲がりだけど、現実的にはVHSがなければレンタルビデオだって見れない訳だから、当然、VHSも持っているのだ。)

  貴重な映像ってのは、アンガス・マクレランさんの演奏風景を納めたもの(これは元々は8mmビデオで撮影したものをベータにダビングしたものなのだが、や はりソニー製の8mmビデオカメラはとっくの昔にぶっ壊れているので、今ではオリジナルのテープは再生できない。)や、子どもの幼稚園が一緒だった縁で ピーター・バラカンさんから借りてダビングさせてもらった、本国で放映されたままのオリジナル5時間ものの “Bring It All Back Home”など数点。

 テープを出す時に介添えしながらだましだましダビングしていたけど、それらの数点をダビングし終えたところで、「もういい加減にしてくれ!」とばかりに我が家のベータマックスはとうとうウンともスンとも動かなくなってしまいました。

 仕方が無いので、残された100本以上のテープはこの際きっぱり諦め廃棄することにしました。多くは、BSで放映されたエルキュール・ポワロやシャーロック・ホームズもので、今ではその気になりさえすればDVDで入手できるものも少なくはなくなりましたしね。

 でも、ベルリンの壁崩壊を記念して1990年にロジャー・ウォータースが主催した“ウォール”のコンサートや、やはり同じ年のマドンナの日本公演のビデオなど、繰り返し楽しんだものもあったのですがね〜。

 それにつけても、昨今のオーディオ&ビジャルに関する記録媒体の進歩というか移り変わりの激しさには、なんともやるせなさを感じずにはいられませんよね。


 ところで、そんな中、パイパー森が今一番心待ちにしているのは、レッド・ツェッペリンの結成35周年を記念して、日本ではこの6月11日に発売されるオフィシャルDVD&CDです。

  これまで、映画「狂熱のライブ」しか無かった彼等のオフィシャル映像を5時間余り収めたDVD、そして、彼等がそのキャリアの中でも最強のパフォーマンス を披露していたと言われる1972年当時(つまりは私が武道館に見に行った頃)のロスでのライブを収めた3枚組CDが同時にリリースされるっていうのです から、巷のツェップファンの間ではこのところなんともまあ話題騒然なのです。

 もちろん、私もとっくにHMVに予約を入れてあるのですが、それにしても「早く見たいな〜」と首を長くしてその日が来るのを待っている今日この頃です。

2003/5/25
(日)

高校の30周年同期会に出席しました

 我がクラスは物好きが多いのか、全8クラスの出席者約120人のおよそ1/4を占める高出席率。
 クラスの連中とは前回私が出席した12年前のクラス会以来だったけど、その他は本当に30年ぶりに会う友人ばかり。

 でも、会わなかった年月にはあまり関係なく、その風貌が卒業時や12年前と変わってしまったヤツ(おっと女性にはヤツっていい方は失礼)と、まるで変わらないのとがいるのが面白い。
 パイパー森は体型については後者なのだが、ほんの一部、体の一番てっぺんの部分だけについては完璧に前者ですが…。

 でも、誰もが性格や行動はまるで変わらない。乱痴気さわぎになると、単なるおバカな18才のまま。

 音楽好きだった友人と「お〜い、ちゃんとロックンロールしてるか〜?」と肩を叩き合い、「オレは、ストーンズもに行ったゾー!」ってヤツには、「オレは息子とツェッペリンのトリビュートバンド見に行ったゾ。」と答える。

 う〜ん、万年ロックンロール少年バンザ〜イ!

 何人かには、ロック魂でハイランド・パイプを演奏するパイパー森の勇姿を見てもらいたくて、このサイトのことを教えておいたので、来てくれるかな?

 もし、このサイトにたどりつくようなことがあったら、遠慮なく掲示板に書き込みしてくれ〜!

2003/6/12
(木)

レッド・ツェッペリンはなんとも凄い!

 待望のツェップの CD & DVD が届いた。

 「凄い! 生きてて良かった!」としか言い様が無い。

 ツェップの活動初期から後期までにわたる演奏風景をあんなにくっきりとした映像で観られるなんてまるで夢のようだ。そして、最盛期1972年の完璧なライブテイク…。(イントロに“LA Drone”っていう名を付けるところが泣かせるね〜)

 それにしてもジミー・ペイジってなんてかっこいいんだろう。ネブワース・フェスで汗を吹き飛ばしながら“Achiles Last Stand”の演奏に没頭している姿は神々しいまでに感動的だ。
 特に中盤のめくるめくギターソロを仰け反りながら弾きまくるその姿は、パイパーがクルンルアー・ア・マッハの高みで陶酔している姿とオーバーラップして、何度見ても涙がちょちょぎれそうになる。
 そして、あの“Kashmir”の壮大さ…。

 余りにも凄すぎる演奏ばかりで、どれがどうのって書くのは野暮だけど、ちょっと意外な発見が2つ程あったことについてだけ書いてみよう。


 一つは1975年のアールズコートでの“Bron-Yr-Aur Stomp”の演奏の中で、な、なんとボンゾが(ウッドの)スプーンズを演奏しているということ。
 1972年のカルフォルニアでのライブを収めたライブCD“How The West Was Won”に収められている同じ曲を聴いてみたら、ここでもなんとやはりスプーンズの音が聴こえる。

 1972年当時、あの界隈でスプーンズを演奏していたのはスティーライ・スパンのマディ・プライア位しか思い浮かばないので、ことによったら彼女から伝授されたのかもしれないな〜、なんてミーハーなことを想像して楽しくなった。

 それにしても、ボンゾのあの大きな身体にスプーンズってのはちょっと不釣り合いで笑えてしまう。やっぱりスプーンズってのはマディみたいなか細い女性にこそ似合うよね。


 もう一つは、1970年のロイヤル・アルバートホールでのライブでのペイジのギターソロによる“White Summer”という曲。

 この曲は、バート・ヤンシュの演奏するトラッドナンバー“Black Water Side”をペイジが大幅にアレンジしパロッて“Black Mountain Side”て名付けた曲を含むインスト・ナンバーなんだけど、これが凄い!
 だって、ところどころでボンゾのドラムスをバックに従えながらも、ダンエレクトロのエレキギター1本で12分間、聴かせちゃうんだもの。

 特に、後半でボンゾと一緒になってシタール&タブラの世界を完璧に再現した部分はまさに圧巻!

 確かツェップ本の中で読んだんだけど、世界中の様々な音楽に興味があるペイジは「当時のポップス界のだれよりも早く、シタールをインドから送ってもらっていた。」そうで「ラヴィ・シャンカールがファショナルブルになる何年も前から、彼を見に行っていた。」ということ。
 でも「早晩だれかがレコードで使うのが目に見えていたので、自分では一度もレコードでは使わなかった。何千年もかけて開発された楽器を単なるギミックとして使うことなんてとてもぼくにはできやしない。」と述べている。

 ペイジが言った通り、その後、ジョージ・ハリスンがビートルズのアルバム“リボルバー”の中でシタールを使ったのは御存知のとおり。

 …で、ギミックとしてシタールを使う事を良しとしなかった彼はこの“White Summer”というインストナンバーの中で、なんとエレキギターでシタールの音を表現しようとした訳だ。

 伝統楽器とその楽器が生み出して来た音楽を愛好はするけど、その楽器自体を安易に人前で演奏するようなことはせず、あくまでも自分の最も得意とするギターで表現しようとする、ペイジなりの伝統音楽に対する敬意の表し方に感じ入った次第。

2003/7/25
(金)

雨の蓼科は落ち着く

 例年のごとく夏休みで蓼科の山荘に来ています。

  今年は、まさに異常気象で梅雨明けを待たずにこちらに来ました。標高1700mのこの辺りはまさに山の天気なので、気まぐれに抜けるような晴天になるかと 思えば、一転にわかにかき曇り天が抜けたかと思うような大粒の雨が降る、あるいは霧に煙る中でしとしとと弱い雨が降り続く…、なんて風に雄大な自然を満喫 しています。

 でも、晴れてしまうと黒ずんだベランダのカビをたわしでゴシゴシ落としたり、フローリングの水拭&ワックス掛け やら窓拭き、そして山荘周りの草刈やら落ち葉掻き、さらには、冬の間に雪の重さに耐えかねて折れて落ちている落葉松の枝をナタで薪にするなどなど…、つい ついなんやかやと精を出してしまいがちです。

 ですから、負け惜しみではなく、雨降りは決してイヤな事ばかりではありません。というか、昨年も書いたように、私はこのような「雨降りの森」の中に居ることが大好きです。

  落ち着いて音楽を聴いたり(決して静かな音楽ばかりとは限りません)、新しいピーブロックの習得に励んだり、本を読んだり(小難しい本じゃないですよ。今 年の夏はハリー・ポッターの最新作“The Order of The Phoenix”です)、サイトのページづくりに励んだりすることに集中できるからです。

 …で、今日は最近カレッジ・オブ・パイピングから復刻・出版された古いピーブロックの楽譜集“BINNEAS IS BORERAIG”についてパイプのかおり第14話としてまとめ作業がはかどったので、無事アップロードすることができました。

2003/7/29
(火)

山々に響き渡るパイプの音色

 いつものパイパー森のパイピングスポットは山荘から車で2、3分の標高1800m程の国道に面した広場にあります。

  以前にも書いたと思いますが、そこは、国道が冬の間通行止めになるゲートのある場所にあり、冬はそこで車を停めてそこからはクロスカントリ−スキーに履き 替えて山に分け入ったり、国道を登って行きます。ですから、元々は冬場のクロスカントリースキーの基地のような位置付けで、夏は単なる草っ原広場って感じ でした。

 ところが、バブル経済華やかりし頃に突然、中腹にある某リゾートマンション専属の冬の遊び場としてログハウスのコテッジが数棟建てられ様相は一変しました。トイレ棟までパウダールーム付きの小さなログハウスだったりして…。もちろんウォッシュレット付きで。
 でも、蝶ネクタイ姿のボーイがレストハウス棟でゲストを丁重に相手していたり、いい歳したおじさんが指導員に教えられながら、おっかなびっくりスノーモービルを乗り回すようなバブリーな光景は、結局その冬限り。その年にバブルが弾けてチョン…。

 …で、国道からは直接は見えない程にちょっと離れたところにある、レストハウス棟として使われていた一番大きなログ・コテッジのウッドデッキが、今ではパイパー森の専用ステージになっている訳です。
 ガラス越しに覗ける室内には分厚いムートンが敷かれた豪勢なソファー、そしてテーブルの上には、まるでついいましがたまでゲストで賑わっていたかのよう に缶ビールが並んだまま。一方で、だ〜れも手入れをする訳ではない雨ざらしのウッドデッキは年を重ねる毎に確実に朽ちてゆきつつあります。
 バブルの残像が残るそんな場所でラメントを演奏するのは、人の世のはかなさを感じさせて、それなりに雰囲気があるな〜、と感じるところです。


 広場の入り口にはチェーンが掛かっているのですが、チェーンの外に数台分の駐車スペースがあるので、夏休み中の人出が多い時などは、時々車を停めて広場で遊んでいる人がいたりします。
 ですから、例年ですと(一応デリカシーのかけらはあるパイパー森としては)人の居そうにない夕方の遅い時間などを狙って行くのですが、今年は夏らしい夏が来ないので絶対的な人出が少なく、いつ行っても誰も居ません。
 …で、今年はいつでも気が向いたときに出かけて行ってパイプを思いっきり吹いてます。
 先日は朝の9時、昨日は午後3時、今日は4時ってな具合に。
 昨日は、最近のお気に入りの2曲、“The Vaunting”“Lament for the Earl of Antrim”を、今日は、20年来のお気に入り“Desparate Battle of the Birds”とパイブのかおり第14話で楽譜を紹介した“Prince's Salute”を演奏してきました。

 ウッドデッキのステージで演奏を始めて、ピーブロック特有のゆっくりした歩きで、原っぱの方に移動。
 低く垂れ込めた雲はまるでスコットランドを思わせ、スコットランドの国花であるアザミの群生をバックに、山々を仰ぎ見ながら、思う存分にピーブロックを演奏するのは、なんとも爽快そのもの。

 こんな、贅沢な音のある暮らしを堪能している人ってそんなに居ないだろうな〜、って思いつつ自己満足に浸っています。

2003/7/30
(水)

ピーブロックは身体で憶える

 今日は午後4時に森のステージに行き、今回の滞在中に完全習得を目指して練習してきた“Lament for MacSwan of Roaig”を初めてパイプで演奏してみました。
 この曲は、“Lament for the Children”の作者である Patrick Mor MacCrimmon の作とも、あるいはその父親である Donald Mor の作とも言われる曲で、シェーマス・マックニールはBBCのテレビ番組の中で「この曲は全てのハイランドラメントの中の最高傑作だと言う人々もいる。」と解説している程に、妙なる美しいメロディーのラメントです。

 ピーブロックには複雑そうに聴こえても割合すぐに覚えられる曲と、その反対にメロディーは馴染み易いのになかなか覚えられない、という曲があります。パイパー森にとって、“Park Piobaireachd No.2”などはまさに後者の代表例です。

 実はこの MacSwan of Roaig も大好きな曲なのでメロディーはすっかり頭に入っているし、簡単に覚えられそうだと思って練習を始めたのですが、なかなかどうして手強い曲でした。パターンがつかみ難い…。

 …で、とりあえず今日は「ウルラールだけでも…」って感じで演奏を始めたのですが、極上に美しいそのメロディーを演奏し始めたところで、一気に陶酔モードに入ってしまったら、あら不思議、ちゃ〜んと身体(指)が覚えているんですね〜。
 「じゃ〜、つっかかるところまで」って風に演奏を続けて行ったら、なんとタールアー・バリエイションまで演奏できてしまいました。これならもうすぐ完奏真近ですね。

 ドローンも絶好調だし、それだけで止めてしまうのはもったいなかったので、休止なしで連続して“The Vaunting”を完奏。満足満足!

2003/7/31
(木)

高地トレーニングの成果?

 今日は、昨日から繰り返しクルンルアー・バリエイション(シングリング&ダブリングね)をおさらいした成果はいかに?って感じで、“Lament for MacSwan of Roaig”完奏にチャレンジしました。
 う〜ん、なんとかだまだまし最後まで演奏したけど、まだまだ完奏とは言い難い。まだ、頭の中で次のフレーズを考えながら演奏する始末だから、身体で完璧に覚えきったとはとても言えませんね。

 このピーブロック自体が本当に素晴らしい曲であり、なんとかして習得するだけの価値は大有りなのですが、実は私にはその先にはもう一つの目標があります

 パイパー森が一番好きなピーブロック“Lament for Patrick Og MacCrimmon”のウルラールには Low G から High G に飛ぶ throw to High G という装飾音が繰り返し出て来て、そこが最高の聴かせ所です。
 でも、この装飾音は同時に最高の難所でもあり、それこそもう何年もの間、繰り返し繰り返し練習していますが、いつまでたっても満足できるような端切れの良い演奏ができず、未だにパイプでの演奏には自信が持てないままなのです。

  このようにある装飾音が上手く出来ないため、その曲全体を完璧には習得できとは言えない、というようなことは時々ありますが、そのような時でも、何故かそ の装飾音が出てくる別の曲なら上手く演奏できるようになる、ということがあります。多分それは、その装飾音の前後の音との関係だと思われますが…。
 そして、そのようにしてある曲でその装飾音ができるようになると、次にその前にはどうしてもその装飾音が上手く出来なかった曲においても、今度はすんなりと出来るようになっている、ということがあるのです。

 …で、実はこの“Lament for MacSwan of Roaig”のウルラールにもその throw to High G が出てくるのです。ですから、まずはこの曲を完璧にこなすことができれば、今度こそ、私の究極の目標である“Lament for Patrick Og MacCrimmon”ももう少しマシな演奏ができるようになるのではないか? という淡い期待を抱いているのです。


 マラソンの高橋尚子さんじゃないですが、連日標高1800mで演奏していると、この高度にも徐々に慣れて来ました。
 野外なのでついつい強く吹きすぎてしまうからか、いつも室内で演奏しているリードでは裏返ってしまうので、それよりちょっと堅いリード(といってもケー ンのリードに比べたらシンセティックリードは何とも吹き易い)を使っているせいもあり、最初は1曲がせいぜいだったピーブロックも、ここ2、3日は軽々と 2曲はOK。高地トレーニングの成果あり?

 …で、今日は、Patrick Mor MacCrimmon に敬意を表して出来損ないの“Lament for MacSwan of Roaig”に続いて“Lament for the Children”を演奏してきました。
 高度馴化の済んだ身体も、そして昨日に続いて十分に乾燥させたドローンも最高に良い調子なので、丁寧に丁寧に、そしてゆっくりとゆっくりと、20分近くかけて心を込めて演奏しました。本来そのように演奏すべきこの曲も
体調が悪いとテンポが早くなってしまって、短ければ15分程度で演奏を終えてしまいます。でも、それではこの曲の本当の良さは半減してしまいますので、体調さえよければゆっくりと演奏するに越した事はありません。

 久しぶりに晴れて湿度も下がった森のステージはシチュエーションも最高でしたし、今日は、この“Lament for the Children”に関してはこれまで最高の演奏ができたように思えました。

2003/9/18
(木)

プライベート・パイピングスポット

 今日は、とある場所にあるパイパー森のとっておきのパイピングスポットで演奏してきました。横浜のある農家の築100年を超すお屋敷の裏山です。
 横浜の農家とは言っても、決して住宅街の中ではありません。もちろん、目の前にまでは住宅街が迫っていますが、その見事に手入れされた自宅裏山に続いてのべにして100ha程の山が連なっていて他の民家は一切無いという、まさに奇跡のような場所なのです。

 なんともあきれるような1ヶ月遅れの真夏日が続いていますが、大きな木々の下、手入れの行き届いた裏山の高みに立って、吹き抜ける風を身体一杯に受けながらハイランド・パイプを演奏するのはなんとも清々しく、気持ちのよろしいものです。

 素晴らしい《音環境》を心ゆくまで堪能! 

 抜けるような青空に向かって“The Desperate Battle of the Birds”を演奏してきました。

 《音環境》についてはここを…。

2003/9/22
(月)

キルトの話

 常々悩まされていることなのですが、私の演奏を聴いていただいたり、あるいは単に私が趣味でハイランド・パイプを演奏しているということを知った時に、皆さんが決まって「例のあのなんとかいうスカート?を履くんでしょう?」とおっしゃるのにはホトホト困ってしまいます。

 …で、私は「キルトですか? そうですね、私はハイランド・パイプの《音楽》が好きなのであって、《衣装》には特に思い入れがある訳ではないので、キルトは着ません。持ってもいませんし…。」と答えます。

 すると、大抵の人は何か困ったような、そして、妙に残念そうな表情をされます。
 多くの人にとって、「ハイランド・パイプ⇒キルト⇒男がスカートを履く⇒ちょっと変わっている趣味」とでもいったようなステレオタイプが出来上がっているようなんですね。

  実は私だって、ハイランド・パイプを始めた当初、まだピーブロックに取り組むまでには至らなかった未熟な頃には、パイプバンドの一員として、キルト&アー ミージャケット&プレード(肩に掛けるタータンの布)、そして、さらに格調が求められる時にはフェザーボンネット(ダチョウの羽で出来た大きな帽子)まで 被った、正にフルドレスに身を包んで、様々なイベントで演奏してきた経験があります。

 でも、それって本当に私の趣味じゃなかったですね。一度はいやと言う程にさんざん経験したからこそ確信するんですが…。

 …ま、でも、どうしても一度は私のキルト姿を見てみたいっていう物好きな方もいらっしゃるようなので、20年以上前の写真をスキャナーで取り込み、「パイプのかおり第3話」の当時の話に触れている場所に挿入しておきました。
 私が、決してやらず嫌いでキルト&ジャケットを好まないと言う訳ではないという証拠です。


 う〜ん、それにしてもいつ見ても本当にゾッとしない格好ですよね。

 大体、私は根が反体制でへそ曲がりなので、他の人と同じ格好をさせられる《制服》というものに対して強度のアレルギーがあるのです。まして、それが軍服となると…。

 まあ、あのような軍服ではなくて、いわゆる背広タイプのデイジャケット&キルトという服装もありますが、それにしても、ネクタイを締めなくてはならない。ところが、実は私はこの首を締め付ける理不尽な紐にもどうしても馴染めないときている。
 第一、ただピーブロックを演奏しているだけで酸欠で陶酔してくるのに、そんな窮屈な格好をしていたら、本当に倒れてしまいます。

 ま、色々あって、私は今後も無理してキルト姿でハイランド・パイプを演奏する気はありません。

2003/9/23
(火)

キルト話の続き

 さて、では私が絶対的にキルト姿に惹かれないのか? というと、決してそういうことでは有りません。

例えば、ここに示したような、古式ゆかしきパイパーたちの姿には、率直に心惹かれてしまいます。
 ピーブロックという音楽が生まれた、まさにその時代の古(いにしえ)のパイパーたちの姿には…。

 そして、スコットランドには実際にそんな格好をして演奏している人がいるんですね。
 そして、右下の写真を見て頂ければ、私がピーブロックを演奏する際に想い描いている「こう有りたい」というイメージが、直ぐにご理解いただけるのではないかと思います。

 さて、この写真の主の名は、Barnaby Brown

 実はこの人、単に格好だけではなくて、まさに↑左上の絵に描かれているような、18世紀に使われていたハイランド・パイプ(パイプの素材はもとより、今よりもキーが低い当時のチャンターのスケールまで)を復元した楽器を使って、さらにその当時のカンタラックで書かれた楽譜(つまり、文字だけで音符は使っていない)から、今では廃れてしまった曲を読み取って復元、そして自ら演奏している、という筋金入りの復刻主義者なのです。⇒ Pipes

 私は、彼のパイプを復元したパイプメーカー Julian Goodacre さんと、ローランドパイプのリードの件についてメールでやり取りした際に(リードの作成を依頼)彼を通じてこの Barnaby Brown さんを紹介され、この人がスカイ島の海辺の洞窟の中で、波の音をバックにしながら、その古式ゆかしきハイランド・パイプを使って、古式ゆかしきピーブロックを数曲演奏している自主制作CDを送ってもらいました。

 このアルバムの事については、以前からパイプのかおりのページに書こうと思っているのですが、その余りの素晴らしさに書きたいことが多すぎて、かえってなかなか手が付かないっていうのが正直なところです。

(Barnaby Brown の演奏はこのアルバムでも聴く事が出来ます)

2003/10/10
(金)

プチライブ無事終了

 下北沢のヴィレッジ・グリーンでの10月4日のプチライブは無事終了しました。

 当初予定していたセットリストに加えて、遅れて来たリスナーのために更に1曲演奏したので、都合7曲のピーブロックを続けざまに演奏しました。

  のべ演奏時間およそ2時間にも及ぼうかというこれだけのピーブロックを完奏できるかどうか、正直なところかなり不安だったのですが、やってみたら(少々疲 れはしましたが)全く問題なく完奏できました。疲れもあくまでも心地よい疲れで、時間さえ許せば「まだ演奏できたかな?」ってくらい…。
 一番懸念していたドローン・リードのスティックもなく、予備のリードも使わずじまいでした。

 まあ、どちらにしても、この日本という国の中で、一時にこれだけのピーブロックという音楽が演奏されたというのは前代未聞だといういうことだけは確かでしょう。

 以下が当日の最終的な生演奏&ビデオのリストです。

1 Lament for Mary MacLeod (生演奏)約12分
2 Macleod's Salute (ビデオ/Iain MacFadyen)約10分
3 Prince's Salute (生演奏) 約14分
4 Lament for MacSwan of Roaig (ビデオ/Gavin Stoddart)約13分
5 Lament for MacSwan of Roaig (生演奏)約13分
6 Lament for Kinlochmoidart (ビデオ/Gordon Walker)約10分
7 Lament for the Earl of Antrim(生演奏)約17分
8 Lament for the Laird of Annapool (ビデオ/Jack Lee)約14分
9 The Vaunting (生演奏)約13分
10 Lament for the Children (ビデオ/Robert Wallace)約16分
11 Lament for the Children(生演奏)約19分
※追加演奏
12 The Despeate Battle of the Birds(生演奏)約11分


 ところで、このプチライブではオーナーの米山さん夫妻を除くと、純粋なお客さんは結局2人だけで、その他は私の高校時代の同期生たちでした。

 高校の同期生たちがやっているメーリングリストでこのライブへのお誘いをしたところ、非常にノリの良い仲間達が10人も集まってくれたのでした。
 彼等にとっては私が高校卒業後にこんな楽器に長年ハマっていたなんてちっともしらなかった訳ですから、つまりは衝撃のデビューって訳ですね。

 皆、ハイランド・パイプを生で聴くのも初めてな人ばかりなのですが、いくら「シンセティックリードは優しい音量」とはいっても、それは元来のケーンリードの 暴力的な音量を知っている人の話。ハイランド・パイプを初めて目の当たりにする人にとっては、閉鎖空間の中であの音量を体験するのはかなり強烈な体験だっ たはずです。そして、よりにもよっていきなり、どの曲も10分以上一切音が途切れることのない難解なピーブロックを立続けに聞かされたのですから。

  実はその時のレポートが我が高校同期生たちのHPに早々とアップされていますので、ピーブロックのみならずハイランド・パイプ初体験のリスナーが一体どの ような感想を持ったのか、興味の有る方はどうぞお読み下さい。右の写真にリンクを張ってあります。(なお、あくまでもそのようなHPに掲載されているレ ポートなので、身内向けの内容になっていることをご了承ください。)

 ところで、ライブに来てくれた同期生の1人はある寺の住職をやっていますが、彼は何度かのインド放浪の旅の経験があり、インド音楽が好きでシタールを弾くそうです。
 かねがね、「ピーブロックとインド音楽とは共通する点が大である。」と言われていますが、初めてピーブロックを聴いたこのシタール坊さんたる彼は「確かにそのとおりだと思う。」と言っていました。
 そして、興味深いことに、彼は初めて聴いたピーブロックの事を「元気が出る音楽だな〜。」と表現しました。上のリストでも分かるように、あの日に私が演奏した7曲の内4曲はラメントであるにも関わらずです。
 パイプのかおり第14話で触れたように、通常“Lament”と訳される“Cumha”というゲ−ル語の本来の意味は単なる「悲嘆に暮れた鎮魂歌」ではなく「悲しみの中にも力強さを秘めている曲」だということが、まさに実証されたような気がしました。

 さて、11月には我々の高校同期会MLでは、このシタール住職による「説法&シタール演奏会+インド音楽についての話」をオフ会として開催することになっています。
 これまで、ディジュリドゥやティンクリック、そして口琴やホーミーなどなど、色々なマイナーな民族音楽を生で聴く機会はありましたが、実は民族楽器としては一番知られているシタールを目の前で(それも解説付きで)聴くのは初めてです。

 う〜ん、なんとも楽しみです。

2003/11/13
(木)

説法&シタール演奏会

 坊さんの説法とシタール演奏を聴いてきました。

 彼は高校生の時から、妙に大人びて哲学者然としたところのあったヤツでしたが、正反対に軽々しかったパイパー森とは何故かウマが合いました。(というか、こちらが一方的にウマが合うと思っていただけかもしれませんが…。)

 この日は、彼が26歳の時に初めてインドに行った時の話から、最初はタブラの演奏をしていた彼が、何故かシタールを演奏するようになるに至った逸話や、タブラやシタールの仕組みなど、さらには、インド音楽の話など、いろいろと珍しい話を聞くことができました。

 例によって、高校の同期生たちのHPに今回は私がレポートを書きましたので、興味のある方はどうぞお目通し下さい。右の写真からリンクしています。ただし、例によってごく仲間内向けの内容になっているので悪しからず。


 このレポートに書かなかったことで当日実感したことが一つあります。それは、先月の日記でも書いた《ピーブロックとインド音楽とは共通する点が大である》というくだりについてです。
 実際にインド音楽の奥深さをかいま見た今となっては、シェーマス・マックニールが言うところのこの言い方はあまりにもおこがましい言い方じゃないかと感 じるようになりました。まあ、確かにこの言い方が全て間違っている訳ではありませんが、ピーブロックが似ているのはあくまでもインド音楽のごくごく一部の 面でしかない訳でして、比較対象とするインド音楽ってのはとんでもない程に奥が深い、ということに深く感じ入っている次第です。

関連記事⇒

2003/11/15
(土)

紅葉の森で本当のラメントを演奏

 今日は、横浜のとある森の中にある谷戸の田んぼで稲づくりをしている市民グループの収穫祭が催された、紅葉真っ盛りの山に囲まれた素晴らしいお屋敷の庭でパイプを吹いてきました。

  実は、このお屋敷の元当主とパイパー森は以前からの知り合いでした。数年前に彼が急逝した後、親族からこの長屋門付きのお屋敷や広大な山林が市に寄付さ れ、市ではこの屋敷などを含めた公園の整備計画を進めていますが、特にこの屋敷の活用策を市民を交えて検討中といったところです。

  死去の数年前に、彼は江戸時代末期に建てられたというその長屋門を半解体修理して立派に復元しました。復元された長屋門を訪ねたパイパー森は、彼と「いつ かこの長屋門の前でコンサートをやろうね。」と約束したのでしたが、その約束を果たせぬまま、彼は逝ってしまいました。

 今日は、そんな彼との約束を果たすために、彼が生前とても大切にしていたにも関わらず、彼の死後彼を追うようにして枯れてしまったという庭に植えられていた樹の、直径1mはあろうかという切り株の周りで、彼とその樹の精霊に“Lament for the Children”を捧げてきました。

 彼の死去からすでに何年か経過してしまっているのですが、長年胸につかえていた想いがやっと果たせたということで、ほっと一安心しました。

2003/12/12
(金)

Concert for George

 ジョージ・ハリスンの一周忌にあたる2002年11月29日に、ロンドンのロイヤル・アルバート・ホールで催されたトリビュート・コンサートのDVDが、このコンサートのほぼ一年後にあたる先月末にリリースされました。

  エリック・クラプトン率いるトリビュート・バンドに、リンゴ・スターやポール・マッカートニーを始めとする、ジョージゆかりの様々なミュージッシャンが参 加したトリビュート演奏は、ジョージの曲の素晴らしさも相まってそれはそれは感動的で素晴らしいコンサートでした。そして、リハーサルから通して終止和や かな雰囲気に満ちているその様子は、求心力となったジョージの人柄を偲ばせるものです。ジョンやポールではあのような雰囲気にはなり得ないでしょう。
 また、ほぼ全曲にギターで参加しているジョージの一人息子であるダーニ・ハリスンが、その風貌だけではなく、何気ない仕草やかもしだされる雰囲気までもがまるでジョージに生き写しであることに驚くとと同時に、何か胸にジーンと来るものを感じました。

 ジョージが好きだったというモンティ・パイソンのステージも大いに笑えるとともに、テレビで見ていた70代当時を思い出して、とても懐かしくなりました。


 でも、何と言っても私がこのDVDで最も楽しめたのは、前半のインド音楽のセクションでした。

 1820年生まれということですからすでに80才を超しているはずのラヴィ・シャンカールの かくしゃくとした姿を見るのも驚きでしたが、なによりもラヴィが、この日のために特別に紡ぎ出した曲(インド音楽の場合、《作曲》という言葉は適当ではな いようです。)を、様々な民族楽器を駆使する多人数のインド人の楽団が演奏する「アルパン」という曲はとても印象的でした。
 東西融合と称して、クラシックの演奏者数人がところどころで加わるため、全体の調和をとるために、アヌーシュカ・シャンカールというラヴィの娘さんが指揮を取るのですが、それがものすごくカッコいい。西洋音楽と違って単純なリズムではなく変拍子だらけのインド音楽の指揮なので、その手さばき、身体さばき(?)が実に見ものなのです。

  まあ、当の西洋の楽器ってのはホンの付け足し程度で単なる話題づくりって感じですが…。なによりもインド人の楽師たちが空で覚えて恍惚と演奏している横 で、楽譜と首っ引きで引きつった顔をしてバイオリンやチェロを演奏している姿を見ると、《音楽=音を楽しむ》ってことの本質が対照的に明らかにされている ようで、西洋人のその姿には哀れさを感じてしまいます。

 曲のエンディングではエリック・クラプトンがアコースティック・ギ ターで短いインプロヴィゼーションを演奏しますが、インド人の楽師たちの多彩な楽器から繰り出される、創造力に富み自由奔放で変幻自在にリズムを変化させ ながら、さらに要所要所でコブシを効かせた、飛び抜けて卓越した演奏を「これでもか〜ッ!」っていう程に見せつけられた後では、ありきたりなアコース ティック・ギターの音色と、創造性のかけらも感じられないその陳腐な演奏はなんだかとても薄っぺらく聴こえました。このコンサートの総合プロデューサー役 であるクラプトンに花を持たせる仕掛けだったのでしょうが、皮肉なことにも結果的にはその両者の音楽の持つ魅力の圧倒的な差を見せつけられたという感じで した。(バート・ヤンシュやリチャード・トンプソン、あるいはジミー・ペイジならば、もうちょっとましなインプロができただろうとは思いますが…。)


 でも、さらに言ってしまうと、実は私が最も感じ入ったのは、楽団によるこの壮大な曲の前に行われた、アヌーシュカ・シャンカールのシタール・ソロ(もちろん、タブラとタンプーラの伴奏は付きます)による「ユア・アイズ」という曲でした。

  私はその昔(60〜70年代)、テレビでラヴィ・シャンカールの演奏を観たり、小泉さんの「世界の民族音楽」で度々インド音楽を聴いていた訳ですが、先 月、本物のシタールの演奏を真近に観てきたことが私のある種の脳内物質に火を付けてしまったようで、今回のこのシタールの演奏には完全に魂を奪われてしま いました。「う〜ん、やっぱり、シタールってスゴイ!」って感じ。

 それも、私にとっては初めて見る女性シタール奏者ってのもグッとくるものがありました。それも、このアヌーシュカって女性は典型的なインド的目鼻立ちくっきりの純粋アーリア系美女!なんです。

  ラヴィ・シャンカールが今も生きていたことすら知らなかった私は、当然ですがこのアヌーシュカについても全く知らなかった訳で、最初は「《美人&親の七光 り》で出てきてるんだろうな?」位にしか思ってなかったのですが、ネットで検索してみると、なんと、まだ20才をやっと越した年齢とは言え、13才からス テージに立って(座って?)いるということでなかなかどうしてすでに一流のシタール奏者だそうな。ソロアルバムだけでなく、カーネギー・ホールでラヴィと 共演したアルバムもリリースされていたり、2001年にはなんと日本でもコンサートが開催されていたようですね。

 それにしても、「齢80を超すラヴィに、20才の娘が居る!」ってことも驚きですよね。


 …で、何事についても直感的な印象に従う私は、早速、ネットでラヴィ・シャンカールのCDを3枚とくだんのラヴィ&アヌーシュカによるカーネギー・ホール・ライブのCDを注文してしまいました。

 実は、先日来、インド音楽愛好家のサイトでいくつかの推薦盤を見繕っていたのですが、そこにはラヴィ・シャンカールなど名の知れ過ぎた人は登場せず、どのアルバムもかなり玄人向けのような雰囲気が濃厚だったので、今ひとつ絞り込めなかったのでした。

 結局、初心に戻って、30年来のお馴染みであるラヴィ・シャンカールの音楽を、でも、私としては生まれて初めて真剣に聴いてみることにした訳です。

2003/12/13

Let It Be... Naked

 ビートルズのラスト(にリリースされた)アルバム「レット・イット・ビー」から、当時プロデューサーであったフィル・スペクターが手を加えていた部分を取り除き、オリジナルの演奏に忠実に再現した、というのふれこみなのが11月にリリースされたこの「レット・イット・ビー...ネイキッド」です。

 「レット・イット・ビー」はビートルズのアルバムの中でも個人的には最も好まないアルバムでしたが、今回のリリースはその宣伝文句がちょっと気になりました。

 全般的に音がクリアーになり、それぞれの楽器の音色がはっきりと聴こえるようになっていることを除いて、あまり変わり映えしない曲もありますが、私がビートルズの曲の中で一番嫌いな曲だった“The Long And Winding Road”は、オリジナルとは対照的なシンプルなアレンジで聴くことによって、完全に曲のイメージが変わりました。
 今になって考えてみれば、私が嫌いだったのは、まるでマントバーニー楽団の様なイージー・リスニングミュージックを思わせる、フィル・スペクターの手になる“Wall of Sounds”の方だったのですね。


 でも、このアルバムの中で最も衝撃的だったのは、ジョンの手になる“Across The Universe”です。
 この曲はジョンがインド哲学に触発されて書いた曲で、オリジナルの伴奏はジョン自身のギターの他にタンブーラ だけだったということですが、私がこれまでなじんできた「レット・イット・ビー」バージョンでは、壮大なオーケストラやコーラス、ワウワウを効かせたエレキギター等が加えられていました。まあ、この曲の場合、曲自体が好きだったもので、それはそれなりに好んで聴いていましたが…。

  でも、今回のバージョンでは途中から「ビュワ〜〜ン…、ビュワ〜〜ン…、ビュワ〜〜ン…」と入ってくるタンプーラの通奏音がはっきりと聴こえるので、それ がなんともインド的な雰囲気をかもしだしていて、まったく別の次元の音楽を感じさせます。「オリジナルはさらにこんなに良かったのだ。」と、今さらながら いたく感心している次第です。

 「コンサート・フォー・ジョージ」からは「アルパン」アヌーシュカのシタール・ソロ「ユア・アイズ」「レット・イット・ビー...ネイキッド」からはジョンの「アクロス・ザ・ユニバース」。この組み合わせばかりを見聴きしている今日この頃です。


 ところで、この「レット・イット・ビー...ネイキッド」の日本盤はあのいやらしい CCCD なんですが、それでは私がいつもしているように、パソコンに取り込んでおいて文章を書きながら iTune で聴いたり、iPod を車のオーディオに直結して聴くという楽しみ方ができなくなります。ほんとに馬鹿げた話ですよね。
 でも、事前に調べておいたお陰で、実はアメリカ盤は通常のCDだということが分かっていましたので、私はそちらを購入して、いつものように楽しんでいます。

 様々なデジタル家電が広く普及してきて個人での音楽の楽しみ方が多様化している現在、こんな形でのコピーコントロールなんて笑止千万です。

 音楽の楽しみ方の自由を奪うな〜!

2003/12/30
(火)

インド音楽

 先日書いたラヴィ・シャンカールのアルバムはあの後すぐに到着。早速、ワクワクしながら聴いてみました。
 …が、やはり本格的なインド音楽はスッと身体に入ってくるっていう程に単純ではありませんね。

 もちろん、シタールの音色が心地悪かろうはずはありませんが、なんせ、まるでチューニングとしか思えないようなアーラープがいきなり10分以上も続いて…、ふにゃふにゃ…って感じになってしまいます。
 私のピーブロックの演奏も「どこまでがチューニングで、どこからが曲だかよく分からなかった。」ってことはよく言われることですが、その実、本格的なシタールの音楽に比べたら、ピーブロックなんて十分に分かりやすい音楽だと思いますね。


 でも、確かにピーブロックとシタールの音楽とは似ているところはあります。テーマをゆっくりと表現して始まり、次第にテーマを複雑に展開しながら盛り上がって行くというパターンは…。

 でも、終わり方がちょっと違う。

 ピーブロックの場合は盛り上がって行っても最後は必ずウルラールに戻ってゆっくりと終わるのが常ですが、シタールの演奏では、猛烈に盛り上がって、パッ!と終わるというパターンが多いようです。

 実は、ジョージのコンサートでのアヌーシュカのシタール・ソロ「ユア・アイズ」って曲もそうなんです。
 最後にシタールとタブラによる超絶技巧のパッセージが何回か繰り返された後、どうやってあんなに息の合った終わり方が出来るのか?と思わせる程に「ダダダダッ、パッ!」と2つの楽器が同時に最後の音を出し終えて、一瞬にして静寂が訪れる。
 もう、それはそれは実に見事で、何度見ても笑っちゃう程に感動ものです。


 では、シタールを真似て、ピーブロックでもノリノリに盛り上がったクルンルアー・ア・マッハで終わるってのはどうでしょう?
 う〜ん、実はこれは全く不可能という訳では無いでしょうけど、でもかなり無理がありそうです。

 クルンルアー・ア・マッハというのはエアーの使用量が多いので、パイパーは非常に込み入った指使いをする傍ら、バッグに息を吹き込むのとプレスするのにも大忙しなんです。
 ハイランド・パイプでは通常、曲の演奏中は指使いと息の吹き込み&バッグのプレスを関連させることは全く無いのですが、唯一、双方を関連させなくてはならないのが曲の最後。終わりの音に合わせてバッグを絞り上げて終わる訳です。
 …で、ウルラールのようにゆっくりとした音の並びだとこれはなんてことないことですが、クルンルアー・ア・マッハでこれをやろうとしたら…? ちょっとと考え込んでしまいます。その挙げ句、上手く決まらなければかなりぶざまなことになるでしょう。

 …ってな訳で、シタールとハイランド・パイプの構造上の違いから、このような終わり方の違いも必然と言えそうですね。

2003/12/31
(水)

Lament for George

 ↑に書いた通りで、まあ、とりあえずは取っ付きやすいインド音楽として、ジョージのコンサートでのラヴィ・シャンカールの音楽を楽しんでいますが、併せてコンサートのメインであるトリビュート・バンドの演奏も繰り返し見入ってしまいます。

  前にも書きましたが、どの曲もウォーム・アット・ハートな演奏者たちによる感動的な演奏ばかり。…と同時に、これまでビートルズのアルバムからジョージの 曲だけを抽出して聴くなんてことはしたことが無かったのですが、このようにしてジョージの曲を続けて聴いてみると、その素晴らしさがひしひしと伝わってき ます。


 どれもこれもが素晴らしい演奏ですが、中でも特に印象的なのは“While My Guitar Gently Weeps”です。
 この曲では、ポールがピアノを弾き、リンゴがドラムを叩き、クラプトンがギター・ソロを演奏するということで、つまりはジョンを除けばビートルズとしてこの曲をレコーディングしたときのメンツがそのまま揃っているのです。
 間奏のギター・ソロではクラプトンが当時の自身のソロを完全にフォロー。さらにエンディングでは渾身のギター・ソロを展開しますが、これが本当に泣けます。まさにクラプトンがギターでウィーピングしている。

 DVDのディスク2に収められている劇場公開版の映画の中で、クラプトンは「ジョージを失って寂しくて仕方ない。彼の話になると感情を抑えられない。」と語っていますが、まさにその悲しみの感情がギターを通じてそのままほとばしり出ています。
 最後に渾身のギター・ソロを終えエンディングを迎えた時のクラプトンの顔が大写しになりますが、それはハイランド・パイパーが“Lament for the Children”を演奏し終えた時にも似て、全ての感情を出し切って気の抜けてしまった、という風情がありありと見て取れます。

 クラプトンは、幼くして亡くした息子の死に捧げて「ティアーズ・イン・ヘブン」という名曲を作曲したことは有名ですが、愛する者の死と言うものは残された者にかくも美しくも哀しい音楽を奏でさせるものなのでしょうか…。

 このギター・ソロはまさに“Lament for George”と もいえる名演奏でしょう。若きクラプトンが壮絶なギター・インプロヴィゼーションを披露したあのクリームの解散コンサートから30余年の時を経て、同じロ イアル・アルバート・ホールのまさにその同じステージの上で、クラプトンはまた違った意味での印象深い名演奏を聴かせてくれました。

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