パイパー森の音
のある暮らし《2003年》
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お正月休みに昔の文章をアップロードしました。マクリモン一族の栄枯盛衰について書
いた Canntaireachd
No.17 です。オリジナルの原稿を書いたのは1998年3月ですから、もうほぼ5年も前のことですが…。
さて、いよいよこれで紙媒体に書いていた Canntaireachd (の内、デジタルデータになっているもの)は全てです。ネタ切れって訳だ。そろそろ新しい文章(Canntaireachd の名に相応しい真面目なヤツね)を書き下ろさなくてはなりませんね。書きたいネタは沢山あるのですが、なかなか集中できなく ていけません。ぐずぐずしてい る内に、老眼が進んで資料をおさらいするのが辛くなる。トホホ…、情けない。 ところで、今回アップしたマクリモン一族の物語はいかがでした? ピーブロックの歴史を知る上で、欠かす事の出来ない物 語なんですが…。 といっても、こんなお話、一体誰が読むんですかね? 多分、一番の読者は私自身なんでしょうね。 大体、このような文章ってのはピーブロックフリークたるパイパー森が、ピーブロックに関する様々な資料に目を通して知り 得た事実を、自分自身が忘れないようにまとめておくというのが一番の目的なんです。 なんせ、当然ですがそれらはみんな英語で書かれた資料なので、読んだその時には「へ〜、そうなんだ」って感心したとして
も、しばらくすると一体どの資料のどこに書いてあったかが分からなくなってしまう。 ですから、これらの文章はまさに私自身にとっての備忘録って訳。 今回も、久しぶりに自分の文章を読みながら、遠い国での遠い昔の出来事に思いを馳せ、一人で悦に入っていました。 ところで、あの文章の最後は、まるでマクリモン一族が消え去ってしまったかのような印象を与えたかも知れませんが、 それはあくまでもピーブロックという音楽に関する影響力に限ったこと。当然ですが、血のつながりとしてのマクリモン一族 はその後も永々と続いた訳です。 …で、世はまさにインターネットの時代。“MacCrimmon”で検索するとこんなサイトがあるんです。 すごいですね〜。なんと世界中に散らばったマクリモンの末裔たち、616家族、1969人の消息が全てデータベース 化されているんです。 もちろん、一族の歴史について書かれたセクションもありますが、私がさまざまな資料から読み取った以上には、特に目 新しいことは書かれていませんでした。 …と言いたいところでしたが、なんと驚いたことに、Family Tree of Piping の ページに目を通してみると、1825年に死去した Donald Ruadh 以来、途絶えていたクラン・マクロードの世襲パイパーの地位が、長いブランクの後にそれに続く第9代目として1942 年〜1978年までの間、まさに正統 なマクリモンの血を引く Malcolm Roderick MacCrimmon というパイパーによって受け継がれ、さらに1978年以降は第10代としてその息子である Iain Norman MacCrimmon によって引き継がれているというのです。 う〜ん、な、なんと、マクリモン・パイパーの伝統
は現代に復活していたのです。 |
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今日はパイパー森
がピーブロックという音楽に出会った日からちょうど30年目にあたる記念すべき日です。
その経過は「パイプのかおり」第3話のここに書いたとおり。 今では想像もできませんが、当時はFM放送ってのはNHK・FMとFM東京(その当時はまだFM東海といっていた頃かも しれませんが…)しかなかったんですよね。そして、そのNHK・FMで毎週火曜日の午後10時から、かの「世界の民族音楽」という名番組が放送されていた訳です。 その日は10時の時報に続いて、いきなりツウィードを紡ぐ女性たちのウォルキングソングが流れました。そして、そのまま その音楽をバックにあの小泉文夫さんのやさしい声で「皆 さん、ごきげんいかがですか? 小泉文夫です。今夜の世界の民族音楽は、今流れている音楽、ちょっと聴くとまるで日本の アイヌの民謡のように聴こえます が、実はこれはスコットランドのヘブリディーズ諸島の女性たちによる、糸紡ぎの歌なんですね。さあ、今日は皆さんと一緒 にこのヘブリディーズ諸島の音楽を 聴いていきましょう。」ってな感じで番組が始まりました。 いつ聴き直してみても、その晩のことがまるで昨日の事のように思い出されます。私がブリティッシュ・トラッドの道に足を 踏み入れるようになったのも、偶然にラジオから流れて来たペンタングルを聴いたことが きっかけでしたし、ピーブロックという音楽にこだわるようになったのも、やはりラジオで聴いたこの晩の音楽がきっかけでし た。現在のように様々なメディア を通じて、多くの情報が溢れんばかりに飛び交っている訳では無い時代だったからこそ、僅かな情報をつかみ取る鋭い感性だけが たよりだったのです。 その時に初めて聴いたピーブロック "MacGregor's Salute" は、その後、私の大事なレパートリーの一つとなり、演奏時間8分余りとピーブロックの 中では比較的短かめの曲だということもあり、パイプを手にするたびに毎回のように演奏しますが、何度演奏しても飽きる事のな い味わい深い曲です。
30年という年月はそれなりに長い時間でしょう。でも、私にとってピーブロックとの取り組みということから言うと、本当に
あっという間でした。ピーブロッ
クについてこれまで一体何ができたんだろう? 演奏の技術がどれほど上達したんだろう? 何曲のピーブロックを習得したんだ
ろう? というように考えた 時、それは本当に僅かな歩みでしかありません。 イアン・L・マッカイの言葉を引用するまでもなく、ピーブロックというのは偉 大な奥深さを持った音楽だと思います。私もこれからの残された人生をかけてこの音楽を味わいあれこれ考察していきたいと思い ます。 もし、私が長生きの人生を歩むとしたら、これからさらに30年後もきっと同じような気持ちでいるような気がします。それ
ほどにも、このピーブロックという音楽は奥が深いと
思うのです。 |
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このところ、パイプのかおりシリーズを精力的にアップしています。
でも、実は第11話などは、最初はこの音 のある暮らしのコーナーに書いた文章なんですね。パイプに関する話としてちょっとまとまりそうだったので、加筆してあちらに 載せてしまいました。まさに、手抜きの極意! また、第
10話で挿入した、フランシス・コリンソンの“The
Bagpipe, Fiddle, and Harp”から
引用した記述は、デジタルデータになる前(つまり手書きってこと…)なのでこのサイトにはアップしていな幻の
Canntaireachd No.4 に使ったネタ。手抜きその2。 第
12話は、ピーブロックをコンパクトに説明した文章として重宝していたので、以前から英文の
まま人に紹介していました。 正直なところ、前半部分を日本語にしている時は、「ピーブロックの変てこな特徴を実に的確に暴き出しているな〜。」って
感心する反面、「いや〜、そんなに言う程難しくないんだけどな〜。」っていう気もして、この文章を紹介するのよそうかな?っ
て悩みました。 実はこの英文を日本語にするため、まずは大雑把な日本語訳が欲しかったので、インターネット上にある翻訳サイトで翻 訳してみました。もちろん、そのまま使えるとは思ってはいませんでしたけど、それにしてもけったいな訳が続出して笑えま した。 例えば、“Piping”は「配管 」、“The air of the
Ground”は「地面の大気」、“Chanter”は「歌い手」、ってな感じです。ならば、“Piper”ってのは「配管工」になるかなって思ってた
ら、ちゃんと「笛吹き」ってなっていました。 ス、スゴ〜イ! あまりにも凄すぎる。 |
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2003/2/10
(日) パイピングキャット |
ホームページの壁紙として使っているイラストは、イオナ&ピーター・オーピー夫妻の
The Oxford Nursery Rhyme Book に出てくるバグパイプを吹くネコの版画。「トマス・ビュウィッ
クについて」で書いたとおり、ウッド・エングレービングの真似事をして、見よう見まねで彫った版画の一つです。
それ以来、私の購入するバグパイプ関係の本や楽譜にはすべてこのパイピングキャットのスタンプが押してあります。蔵書 印って訳ですね。 ネコと言えば、我が家には「みいちゃん」というネコが います。数年前に隣の植木畑に捨てられていたのを拾いました。目も開かない位の小さな身体で「み〜、み〜」鳴いていたの で「みいちゃん」と名付けました。 昨年12月に、またまた、今度は隣の家との境の塀の上で鳴き続けていた子ネコを救出しました。「みいちゃん」に引き合わせたら、いきなり「は〜ッ!」と威嚇した ので、「はあちゃん」と名付けました。 2匹合わせて「ミーハー」です。 どうも…、(;^_^A アセアセ・・・でした。 |
東京は5月上旬のこの時期が一年中で一番清々しい。
その清々しい陽気につられて、多摩川辺のいつもの演奏場所に夕方出かけ、落ちていく夕日が川面に映る様を眺めながら、最 近のお気に入りの曲である "Lament for the Earl of Antrim" を演奏しました。 この日は風
が強かったので、岸辺で風に立ち向かい、葦が奏でるサワサワという音をバックに演奏するのはなんとも爽快! 他人に言われるまでもなく、つくづく「俺ってナルシストだな〜」と悟った次第。 ふと、気が付くと、小さな子どもを連れたお母さんが間近にしゃがんで私の演奏に聴き入っていました。多分、少し離れたと ころでバーベキューを楽しんでいた家族連れの一員だったのでしょう。耳なれない音色に引き寄せられ、葦原を漕ぎ分けてその場 所に来た様子。 でも、曲が曲だけにパイパー森としてはその親子に愛嬌を振りまく訳にもいかないので、例によって自己陶酔の境地で目を
瞑ったまま坦々と演奏していたら、その内に居なくなっていました。 だれだって、呆れるわな〜。 |
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2003/5/11
(日) ベータマックスがとうとう壊れた |
もうすでにお気付きのとおり、パイパー森はかなりのへそ曲がり。何事においても世の
中の主流となるものにはついては、何故か乗り切れないっていう困ったちゃんです。
ですから、愛用のパソコンがマックであると同様に、ビデオは当然ベータマックスだった訳です。 しかし、すでに生みの親であるソニーにまで見放されたベータマックスに未来はあるはずもなく、我が家でも現在使っている デッキが壊れたらそれまで…、という状態だった訳ですが、いよいよその時がやってきました。 先日、見終わったテープを取り出そうとしたら「ウギ〜ッ!」っという音共にテープが斜になったきり見事にスタック。 仕方がないので、どうしても保存しておきたい貴重な映像はVHSにダビングすることにしました。(へそ曲がりだけど、現 実的にはVHSがなければレンタルビデオだって見れない訳だから、当然、VHSも持っているのだ。) 貴重な映像ってのは、アンガス・マクレランさんの演奏風景を納めたもの(これは元々は8mmビデオで撮影したものをベータに ダビングしたものなのだが、や はりソニー製の8mmビデオカメラはとっくの昔にぶっ壊れているので、今ではオリジナルのテープは再生できない。)や、子ど もの幼稚園が一緒だった縁で ピーター・バラカンさんから借りてダビングさせてもらった、本国で放映されたままのオリジナル5時間ものの “Bring It All Back Home”など数点。 テープを出す時に介添えしながらだましだましダビングしていたけど、それらの数点をダビングし終えたところで、「もうい い加減にしてくれ!」とばかりに我が家のベータマックスはとうとうウンともスンとも動かなくなってしまいました。 仕方が無いので、残された100本以上のテープはこの際きっぱり諦め廃棄することにしました。多くは、BSで放映された エルキュール・ポワロやシャーロック・ホームズもので、今ではその気になりさえすればDVDで入手できるものも少なくはなく なりましたしね。 でも、ベルリンの壁崩壊を記念して1990年にロジャー・ウォータースが主催した“ウォール”のコンサートや、やはり同 じ年のマドンナの日本公演のビデオなど、繰り返し楽しんだものもあったのですがね〜。 それにつけても、昨今のオーディオ&ビジャルに関する記録媒体の進歩というか移り変わりの激しさには、なんともやるせな さを感じずにはいられませんよね。 ところで、そんな中、パイパー森が今一番心待ちにしているのは、レッド・ツェッペリンの結成35周年を記念して、日本で はこの6月11日に発売されるオフィシャルDVD&CDです。 これまで、映画「狂熱のライブ」しか無かった彼等のオフィシャル映像を5時間余り収めたDVD、そして、彼等がそのキャリア の中でも最強のパフォーマンス を披露していたと言われる1972年当時(つまりは私が武道館に見に行った頃)のロスでのライブを収めた3枚組CDが同時に リリースされるっていうのです から、巷のツェップファンの間ではこのところなんともまあ話題騒然なのです。 もちろん、私もとっくにHMVに予約を入れてあるのですが、それにしても「早く見たいな〜」と首を長くしてその日が来る のを待っている今日この頃です。 |
我がクラスは物好きが多いのか、全8クラスの出席者約120人のおよそ1/4を占め
る高出席率。 クラスの連中とは前回私が出席した12年前のクラス会以来だったけど、その他は本当に30年ぶりに会う友人ばかり。 でも、会わなかった年月にはあまり関係なく、その風貌が卒業時や12年前と変わってしまったヤツ(おっと女性にはヤツっ
ていい方は失礼)と、まるで変わらないのとがいるのが面白い。 でも、誰もが性格や行動はまるで変わらない。乱痴気さわぎになると、単なるおバカな18才のまま。 音楽好きだった友人と「お〜い、ちゃんとロックンロー ルしてるか〜?」と肩を叩き合い、「オ レは、ストーンズもに行ったゾー!」ってヤツには、「オレは息子とツェッペリンのトリビュートバンド見に行ったゾ。」と答 える。 う〜ん、万年ロックンロール少年バンザ〜イ! 何人かには、ロック魂でハイランド・パイプを演奏するパイパー森の勇姿を見てもらいたくて、このサイトのことを教えてお いたので、来てくれるかな? もし、このサイトにたどりつくようなことがあったら、遠慮なく掲示板に書き込みしてくれ〜! |
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待望のツェップの CD & DVD が届いた。
「凄い! 生きてて良かった!」としか 言い様が無い。 ツェップの活動初期から後期までにわたる演奏風景をあんなにくっきりとした映像で観られるなんてまるで夢のようだ。そし て、最盛期1972年の完璧なライブテイク…。(イントロに“LA Drone”っていう名を付けるところが泣かせるね〜) それにしても、ジミー・ペイジってなんてかっこいいんだろう。ネブワース・フェスで汗
を吹き飛ばしながら“Achiles Last Stand”の
演奏に没頭している姿は神々しいまでに感動的だ。 余りにも凄すぎる演奏ばかりで、どれがどうのって書くのは野暮だけど、ちょっと意外な発見が2つ程あったことについてだ け書いてみよう。 一つは1975年のアールズコートでの "Bron-Yr-Aur
Stomp" の演奏の中で、な、なんとボンゾが(ウッ
ドの)スプーンズを演奏しているということ。 1972年当時、あの界隈でスプーンズを演奏していたのはスティーライ・スパンのマディ・プライア位しか思い浮かばない ので、ことによったら彼女から伝授されたのかもしれないな〜、なんてミーハーなことを想像して楽しくなった。 それにしても、ボンゾのあの大きな身体にスプーンズってのはちょっと不釣り合いで笑えてしまう。やっぱりスプーンズって のはマディみたいなか細い女性にこそ似合うよね。 もう一つは、1970年のロイヤル・アルバートホールでのライブでのペイジのギターソロによる "White Summer" という曲。 この曲は、バート・ヤンシュの演奏するトラッドナンバー "Black
Water Side" をペイジが大幅にアレンジしパロッて "Black Mountain Side" て名付けた曲を含む
インスト・ナンバーなんだけど、これが凄い! 特に、後半でボンゾと一緒になってシタール&タブラの世界を完璧に再現し た部分はまさに圧巻! 確かツェップ本の中で読んだんだけど、世界中の様々な音楽に興味があるペイジは「当時のポップス界のだれよりも早く、シ
タールをインドから送ってもらっていた。」そうで「ラヴィ・シャンカールがファショナルブルになる何年も前から、彼を見に
行っていた。」ということ。 ペイジが言った通り、その後、ジョージ・ハリスンがビートルズのアルバム“リボルバー”の中でシタールを使ったのは御存 知のとおり。 …で、ギミックとしてシタールを使う事を良しとしなかった彼はこの "White Summer" というインストナンバーの中で、なんとエレキギターでシタールの音を表 現しようとした訳だ。 伝統楽器とその楽器が生み出して来た音楽を愛好はするけど、その楽器自体を安易に人前で演奏するようなことはせず、あく までも自分の最も得意とするギターで表現しようとする、ペイジなりの伝統音楽に対する敬意の表し方に感じ入った次第。 |
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例年のごとく夏休みで蓼科の山荘に来ています。
今年は、まさに異常気象で梅雨明けを待たずにこちらに来ました。標高1700mのこの辺りはまさに山の天気なので、気まぐれ に抜けるような晴天になるかと 思えば、一転にわかにかき曇り天が抜けたかと思うような大粒の雨が降る、あるいは霧に煙る中でしとしとと弱い雨が降り続 く…、なんて風に雄大な自然を満喫 しています。 でも、晴れてしまうと黒ずんだベランダのカビをたわしでゴシゴシ落としたり、フローリングの水拭&ワックス掛け やら窓拭き、そして山荘周りの草刈やら落ち葉掻き、さらには、冬の間に雪の重さに耐えかねて折れて落ちている落葉松の枝をナ タで薪にするなどなど…、つい ついなんやかやと精を出してしまいがちです。 ですから、負け惜しみではなく、雨降りは決してイヤな事ばかりではありません。というか、昨年も書いたように、私はこのよ うな「雨降りの森」の中に居ることが大好きです。 落ち着いて音楽を聴いたり(決して静かな音楽ばかりとは限りません)、新しいピーブロックの習得に励んだり、本を読んだり (小難しい本じゃないですよ。今 年の夏はハリー・ポッターの最新作“The Order of The Phoenix”です)、サイトのページづくりに励んだりすることに集中できるからです。 …で、今日は最近カレッジ・オブ・パイピングから復刻・出版された古いピーブロックの楽譜集“BINNEAS IS BORERAIG”についてパイプのかおり第14話と してまとめ作業がはかどったので、無事アップロードすることができました。 |
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いつものパイパー森のパイピングスポットは山荘から車で2、3分の標高1800m程
の国道に面した広場にあります。
以前にも書いたと思いますが、そこは、国道が冬の間通行止めになるゲートのある場所にあり、冬はそこで車を停めてそこからは クロスカントリ−スキーに履き 替えて山に分け入ったり、国道を登って行きます。ですから、元々は冬場のクロスカントリースキーの基地のような位置付けで、 夏は単なる草っ原広場って感じ でした。 ところが、バブル経済華やかりし頃に突然、中腹にある某リゾートマンション専属の冬の遊び場としてログハウスのコテッジ
が数棟建てられ様相は一変しました。トイレ棟までパウダールーム付きの小さなログハウスだったりして…。もちろんウォッシュ
レット付きで。 …で、国道からは直接は見えない程にちょっと離れたところにある、レストハウス棟として使われていた一番大きなログ・コ
テッジのウッドデッキが、今ではパイパー森の専用ステージになっている訳です。 広場の入り口にはチェーンが掛かっているのですが、チェーンの外に数台分の駐車スペースがあるので、夏休み中の人出が多
い時などは、時々車を停めて広場で遊んでいる人がいたりします。 ウッドデッキのステージで演奏を始めて、ピーブロック特有のゆっくりした歩きで、原っぱの方に移動。 こんな、贅沢な音のある暮らしを堪能している人ってそんなに居ないだろうな〜、って思いつつ自己満足に浸っています。 |
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今日は午後4時に森のステージに行き、今回の滞在中に完全習得を目指して練習してき
た "Lament for MacSwan of Roaig" を
初めてパイプで演奏してみました。 この曲は、"Lament for the Children" の 作者である Patrick Mor MacCrimmon の 作とも、あるいはその父親である Donald Mor の作と も言われる曲で、シェーマス・マックニールはBBCのテレビ番組の中で「この曲は全てのハイランドラメントの中の最高傑作だと言 う人々もいる。」と解説している程に、妙なる美しいメロディーのラメントです。 ピーブロックには複雑そうに聴こえても割合すぐに覚えられる曲と、その反対にメロディーは馴染み易いのになかなか覚えら れない、という曲があります。パイパー森にとって、"Park Piobaireachd No.2" などはまさに後者の代表例です。 実はこの MacSwan of Roaig も大好 きな曲なのでメロディーはすっかり頭に入っているし、簡単に覚えられそうだと思って練習を始めたのですが、なかなかどうして 手強い曲でした。パターンがつかみ難い…。 …で、とりあえず今日は「ウルラールだけでも…」って感じで演奏を始めたのですが、極上に美しいそのメロディーを演奏し
始めたところで、一気に陶酔モードに入ってしまったら、あら不思議、ちゃ〜んと身体(指)が覚えているんですね〜。 ドローンも絶好調だし、それだけで止めてしまうのはもったいなかったので、休止なしで連続して "The Vaunting" を完奏。満足満足! |
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今日は、昨日から繰り返しクルンルアー・バリエイション(シングリング&ダブリング
ね)をおさらいした成果はいかに?って感じで、"Lament for
MacSwan of Roaig" の完奏にチャレンジしました。 う〜ん、なんとかだまだまし最後まで演奏したけど、まだまだ完奏とは言い難い。まだ、頭の中で次のフレーズを考えながら演 奏する始末だから、身体で完璧に覚えきったとはとても言えませんね。 このピーブロック自体が本当に素晴らしい曲であり、なんとかして習得する だけの価値は大有りなのですが、実は私にはその先にはもう一つの目標があります。 パイパー森が一番好きなピーブロック
"Lament for Patrick Og MacCrimmon" のウルラールに
は Low G から
High G に飛ぶ throw
to High G という装飾音が繰り返し出て来て、そこが最高の聴か
せ所です。
このようにある装飾音が上手く出来ないため、その曲全体を完璧には習得できとは言えない、というようなことは時々あります
が、そのような時でも、何故かそ
の装飾音が出てくる別の曲なら上手く演奏できるようになる、ということがあります。多分それは、その装飾音の前後の音との関
係だと思われますが…。 …で、実はこの "Lament for MacSwan of Roaig" のウルラールにもその throw to High G が出てくるのです。ですから、まず はこの曲を完璧にこなすことができれば、今度こそ、私の究極の目標である "Lament for Patrick Og MacCrimmon" も もう少しマシな演奏ができるようになるのではないか? という淡い期待を抱いているのです。 マラソンの高橋尚子さんじゃないですが、連日標高1800mで演奏していると、この高度にも徐々に慣れて来ました。 …で、今日は、Patrick Mor MacCrimmon に
敬意を表して出来損ないの "Lament for MacSwan of
Roaig" に 続いて "Lament for the Children" を演奏してきました。 久しぶりに晴れて湿度も下がった森のステージはシチュエーションも最高で したし、今日は、この "Lament for the Children" に関しては これまで最高の演奏がで きたように思えました。 |
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今日は、とある場所にあるパイパー森のとっておきのパイピングスポットで演奏してき
ました。横浜のある農家の築100年を超すお屋敷の裏山です。 横浜の農家とは言っても、決して住宅街の中ではありません。もちろん、目の前にまでは住宅街が迫っていますが、その見事に手入 れされた自宅裏山に続いてのべにして100ha程の山が連なっていて他の民家は一切無いという、まさに奇跡のような場所なので す。 なんともあきれるような1ヶ月遅れの真夏日が続いていますが、大きな木々の下、手入れの行き届いた裏山の高みに立って、 吹き抜ける風を身体一杯に受けながらハイランド・パイプを演奏するのはなんとも清々しく、気持ちのよろしいものです。 素晴らしい《音環境》を心ゆくまで堪能! 抜けるような青空に向かって "The Desperate Battle of the Birds" を演奏してきました。 《音環境》についてはここを…。 |
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常々悩まされていることなのですが、私の演奏を聴いていただいたり、あるいは単に私
が趣味でハイランド・パイプを演奏しているということを知った時に、皆さんが決まって「例のあのなんとかいうスカート?を履くんでしょう?」とおっしゃるのには
ホトホト困ってしまいます。
…で、私は「キルトですか? そうですね、私はハイランド・パイプの《音 楽》が好きなのであって、《衣装》には特に思い入れがある訳ではないので、キルトは着ません。持ってもいませんし…。」と 答えます。 すると、大抵の人は何か困ったような、そして、妙に残念そうな表情をされます。 実は私だって、ハイランド・パイプを始めた当初、まだピーブロックに取り組むまでには至らなかった未熟な頃には、パイプバン ドの一員として、キルト&アー ミージャケット&プレード(肩に掛けるタータンの布)、そして、さらに格調が求められる時にはフェザーボンネット(ダチョウ の羽で出来た大きな帽子)まで 被った、正にフルドレスに身を包んで、様々なイベントで演奏してきた経験があります。 でも、それって本当に私の趣味じゃなかったですね。一度はいやと言う程にさんざん経験したからこそ確信するんですが…。 …ま、でも、どうしても一度は私のキルト姿を見てみたいっていう物好きな方もいらっしゃるようなので、20年以上前の写
真をスキャナーで取り込み、「パ
イプのかおり第3話」の当時の話に触れている場所に挿入しておきました。 う〜ん、それにしてもいつ見ても本当にゾッとしない格好ですよね。 大体、私は根が反体制でへそ曲がりなので、他の人と同じ格好をさせられる《制服》というものに対して強度のアレルギーが あるのです。まして、それが軍服となると…。 まあ、あのような軍服ではなくて、いわゆる背広タイプのデイジャケット&キルトという服装もありますが、それにしても、
ネクタイを締めなくてはならない。ところが、実は私はこの首を締め付ける理不尽な紐にもどうしても馴染めないときている。 ま、色々あって、私は今後も無理してキルト姿でハイランド・パイプを演奏する気はありません。 |
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さて、では私が
絶対的にキルト姿に惹かれないのか? というと、決してそういうことでは有りません。
例えば、ここに
示したような、古式ゆかしきパイパーたちの姿には、率直に心惹かれてしまいます。 そして、スコットランドには実際にそんな格好をして演奏している人がいるんですね。 実はこの人、単に格好だけではなくて、まさに↑左上の絵に描かれているような、18世紀に使われていたハイランド・パイプ(パイプの素材はもとより、今よりもキーが低い当時のチャン ターのスケールまで)を復元した楽器を使って、さらにその当時のカンタラックで書かれた楽譜(つまり、文字だけで音符は 使っていない)から、今では廃れてしまった曲を読み取って復元、そして自ら演奏している、という筋金入り の復刻主義者なのです。⇒ Pipes 私は、彼のパイプを復元したパイプメーカー Julian Goodacre さんと、ローランドパイプのリードの件についてメールでやり取りした際 に(リードの作成を依頼)彼を通じてこの Barnaby Brown さ んを紹介され、この人がスカイ島の海辺の洞窟の中で、波の音をバックにしながら、その古式ゆかしきハイランド・パイプを使っ て、古式ゆかしきピーブロックを数曲演奏している自主制作CDを送ってもらいました。 このアルバムの事については、以前からパイプのかおりのページに書こうと思っているのですが、その余りの素晴らしさに書 きたいことが多すぎて、かえってなかなか手が付かないっていうのが正直なところです。 (Barnaby Brown の演奏はこのアルバムでも 聴く事が出来ます) |
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下北沢のヴィレッジ・グリーンでの10月4日のプチライブは無事終了しました。
当初予定していたセットリストに加えて、遅れて来たリスナーのために更に1曲演奏したので、都合7曲のピーブロックを続 けざまに演奏しました。
のべ演奏時間およそ2時間にも及ぼうかというこれだけのピーブロックを完奏できるかどうか、正直なところかなり不安だったの
ですが、やってみたら(少々疲
れはしましたが)全く問題なく完奏できました。疲れもあくまでも心地よい疲れで、時間さえ許せば「まだ演奏できたかな?」っ
てくらい…。 まあ、どちらにしても、この日本という国の中で、一時にこれだけのピーブロックという音楽が演奏されたというのは前代未 聞だといういうことだけは確かでしょう。 以下が当日の最終的な生演奏&ビデオのリストです。 1 Lament for Mary MacLeod (生演奏)約12分 ところで、このプチライブではオーナーの米山さん夫妻を除くと、純粋なお客さんは結局2人だけで、その他は私の高校時代の同期生たちでした。 高校の同期生たちがやっているメーリングリストでこのライブへのお誘いをしたところ、非常にノリの良い仲間達が10
人も集まってくれたのでした。 皆、ハイランド・パイプを生で聴くのも初めてな人ばかりなのですが、いくら「シンセティックリードは優しい音量」と はいっても、それは元来のケーンリードの 暴力的な音量を知っている人の話。ハイランド・パイプを初めて目の当たりにする人にとっては、閉鎖空間の中であの音量を 体験するのはかなり強烈な体験だっ たはずです。そして、よりにもよっていきなり、どの曲も10分以上一切音が途切れることのない難解なピーブロックを立続 けに聞かされたのですから。 実はその時のレポートが我が高校同期生たちのHPに早々とアップされていますので、ピーブロックのみならずハイランド・ パイプ初体験のリスナーが一体どの ような感想を持ったのか、興味の有る方はどうぞお読み下さい。右の写真にリンクを張ってあります。(なお、あくまでもそ のようなHPに掲載されているレ ポートなので、身内向けの内容になっていることをご了承ください。) ところで、ライブに来てくれた同期生の1人はある寺の住職をやっていますが、彼は何度かのインド放浪の旅の経験があ
り、インド音楽が好きでシタールを弾くそうです。 さて、11月には我々の高校同期会MLでは、このシタール住職による「説法&シタール演奏会+インド音楽についての
話」をオフ会として開催することになっています。 う〜ん、なんとも楽しみです。 |
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坊さんの説法とシタール演奏を聴いてきました。
彼は高校生の時から、妙に大人びて哲学者然としたところのあったヤツでしたが、正反対に軽々しかったパイパー森とは何故 かウマが合いました。(というか、こちらが一方的にウマが合うと思っていただけかもしれませんが…。) この日は、彼が26歳の時に初めてインドに行った時の話から、最初はタブラの演奏をしていた彼が、何故かシタールを演奏 するようになるに至った逸話や、タブラやシタールの仕組みなど、さらには、インド音楽の話など、いろいろと珍しい話を聞くこ とができました。 例によって、高校の同期生たちのHPに今回は私がレポートを書きましたので、興味のある方はどうぞお目通し下さい。右の写真 からリンクしています。ただし、例によってごく仲間内向けの内容になっているので悪しからず。 このレポートに書かなかったことで当日実感したことが一つあります。それは、先月の日記でも書いた《ピーブロックとインド音楽とは共通する点が大である》というくだりに
ついてです。 |
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2003/11/15
(土) 紅葉の森で本当のラメントを演奏 |
今日は、横浜のとある森の中にある谷戸の田んぼで稲づくりをしている市民グループの
収穫祭が催された、紅葉真っ盛りの山に囲まれた素晴らしいお屋敷の庭でパイプを吹いてきました。
実は、このお屋敷の元当主とパイパー森は以前からの知り合いでした。数年前に彼が急逝した後、親族からこの長屋門付きのお屋 敷や広大な山林が市に寄付さ れ、市ではこの屋敷などを含めた公園の整備計画を進めていますが、特にこの屋敷の活用策を市民を交えて検討中といったところ です。 死去の数年前に、彼は江戸時代末期に建てられたというその長屋門を半解体修理して立派に復元しました。復元された長屋門を訪 ねたパイパー森は、彼と「いつ かこの長屋門の前でコンサートをやろうね。」と約束したのでしたが、その約束を果たせぬまま、彼は逝ってしまいました。 今日は、そんな彼との約束を果たすために、彼が生前とても大切にしていたにも関わらず、彼の死後彼を追うようにして枯れ てしまったという庭に植えられていた樹の、直径1mはあろうかという切り株の周りで、彼とその樹の精霊に "Lament for the Children" を捧げてき ました。 彼の死去からすでに何年か経過してしまっているのですが、長年胸につかえていた想いがやっと果たせたということで、ほっ と一安心しました。 |
ジョージ・ハリスンの
一周忌にあたる2002年11月29日に、ロンドンのロイヤル・アルバート・ホールで催されたトリビュート・コンサートのDVD
が、このコンサートのほぼ一年後にあたる先月末にリリースされました。
エリック・クラプトン率いるトリビュート・バンドに、リンゴ・スターやポール・マッカートニーを始めとする、ジョージゆかり
の様々なミュージッシャンが参
加したトリビュート演奏は、ジョージの曲の素晴らしさも相まってそれはそれは感動的で素晴らしいコンサートでした。そして、
リハーサルから通して終止和や
かな雰囲気に満ちているその様子は、求心力となったジョージの人柄を偲ばせるものです。ジョンやポールではあのような雰囲気
にはなり得ないでしょう。 ジョージが好きだったというモンティ・パイソンのステージも大いに笑えるとともに、テレビで見ていた70代当時を思い出 して、とても懐かしくなりました。 でも、何と言っても私がこのDVDで最も楽しめたのは、前半のインド音楽のセクションでした。 1820年生まれということですからすでに80才を超しているはずのラ
ヴィ・シャンカールの
かくしゃくとした姿を見るのも驚きでしたが、なによりもラヴィが、この日のために特別に紡ぎ出した曲(インド音楽の場合、
《作曲》という言葉は適当ではな
いようです。)を、様々な民族楽器を駆使する多人数のインド人の楽団が演奏する「アルパン」という曲はとても印象的でした。 まあ、当の西洋の楽器ってのはホンの付け足し程度で単なる話題づくりって感じですが…。なによりもインド人の楽師たちが空で 覚えて恍惚と演奏している横 で、楽譜と首っ引きで引きつった顔をしてバイオリンやチェロを演奏している姿を見ると、《音楽=音を楽しむ》ってことの本質 が対照的に明らかにされている ようで、西洋人のその姿には哀れさを感じてしまいます。 曲のエンディングではエリック・クラプトンがアコースティック・ギ ターで短いインプロヴィゼーションを演奏しますが、インド人の楽師たちの多彩な楽器から繰り出される、創造力に富み自由奔放 で変幻自在にリズムを変化させ ながら、さらに要所要所でコブシを効かせた、飛び抜けて卓越した演奏を「これでもか〜ッ!」っていう程に見せつけられた後で は、ありきたりなアコース ティック・ギターの音色と、創造性のかけらも感じられないその陳腐な演奏はなんだかとても薄っぺらく聴こえました。このコン サートの総合プロデューサー役 であるクラプトンに花を持たせる仕掛けだったのでしょうが、皮肉なことにも結果的にはその両者の音楽の持つ魅力の圧倒的な差 を見せつけられたという感じで した。(バート・ヤンシュやリチャード・トンプソン、あるいはジミー・ペイジならば、もうちょっとましなインプロができただ ろうとは思いますが…。) でも、さらに言ってしまうと、実は私が最も感じ入ったのは、楽団によるこの壮大な曲の前に行われた、アヌーシュカ・シャンカールのシタール・ソロ(もちろん、タブラと タンプーラの伴奏は付きます)による「ユア・アイズ」という曲でした。 私はその昔(60〜70年代)、テレビでラヴィ・シャンカールの演奏を観たり、小泉さんの「世界の民族音楽」で度々イン ド音楽を聴いていた訳ですが、先 月、本物のシタールの演奏を真近に観てきたことが私のある種の脳内物質に火を付けてしまったようで、今回のこのシタール の演奏には完全に魂を奪われてしま いました。「う〜ん、やっぱり、シタールってスゴイ!」って感じ。 それも、私にとっては初めて見る女性シタール奏者ってのもグッとくるものがありました。それも、このアヌーシュカっ て女性は典型的なインド的目鼻立ちくっきりの純粋アーリア系美女!なんです。 ラヴィ・シャンカールが今も生きていたことすら知らなかった私は、当然ですがこのアヌーシュカについても全く知らなかっ た訳で、最初は「《美人&親の七光 り》で出てきてるんだろうな?」位にしか思ってなかったのですが、ネットで検索してみると、なんと、まだ20才をやっと 越した年齢とは言え、13才からス テージに立って(座って?)いるということでなかなかどうしてすでに一流のシタール奏者だそうな。ソロアルバムだけでな く、カーネギー・ホールでラヴィと 共演したアルバムもリリースされていたり、2001年にはなんと日本でもコンサートが開催されていたようですね。 それにしても、「齢80を超すラヴィに、20才の娘が居る!」ってことも驚きですよね。 …で、何事についても直感的な印象に従う私は、早速、ネットでラヴィ・シャンカールのCDを3枚とくだんのラヴィ& アヌーシュカによるカーネギー・ホール・ライブのCDを注文してしまいました。 実は、先日来、インド音楽愛好家のサイトでいくつかの推薦盤を見繕っていたのですが、そこにはラヴィ・シャンカール など名の知れ過ぎた人は登場せず、どのアルバムもかなり玄人向けのような雰囲気が濃厚だったので、今ひとつ絞り込めな かったのでした。 結局、初心に戻って、30年来のお馴染みであるラヴィ・シャンカールの 音楽を、でも、私としては生まれて初めて真剣に聴いてみることにした訳です。 |
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ビートルズのラスト(にリリースされた)アルバム「レット・イット・ビー」から、当時プロデューサーであったフィル・スペク
ターが手を加えていた部分を取り除き、オリジナルの演奏に忠実に再現した、というのふれこみなのが11月にリリースされたこの「レット・イット・ビー...ネイキッド」です。
「レット・イット・ビー」はビートルズのアルバムの中でも 個人的には最も好まないアルバムでしたが、今回のリリースはその宣伝文句がちょっと気になりました。 全般的に音がクリアーになり、それぞれの楽器の音色がはっきりと聴こえるようになっていることを除いて、あまり変わり映
えしない曲もありますが、私がビートルズの曲の中で一番嫌いな曲だった
"The Long And Winding Road" は、オリジナルとは対照的なシンプルなアレ
ンジで聴くことによって、完全に曲のイメージが変わりました。 でも、このアルバムの中で最も衝撃的だったのは、ジョンの手になる
"Across The Universe" です。 でも、今回のバージョンでは途中から「ビュワ〜〜ン…、ビュワ〜〜ン…、ビュワ〜〜ン…」と入ってくるタンプーラの通奏音が はっきりと聴こえるので、それ がなんともインド的な雰囲気をかもしだしていて、まったく別の次元の音楽を感じさせます。「オリジナルはさらにこんなに良 かったのだ。」と、今さらながら いたく感心している次第です。 「コンサート・フォー・ジョージ」からは「アルパン」とアヌー シュカのシタール・ソロ「ユア・アイズ」、「レット・イッ ト・ビー...ネイキッド」からはジョンの「アクロス・ ザ・ユニバース」。この組み合わせばかりを見聴きしている今日この頃です。 ところで、この「レット・イット・ビー...ネイキッド」の
日本盤はあのいやらしい CCCD
なんですが、それでは私がいつもしているように、パソコンに取り込んでおいて文章を書きながら iTune
で聴いたり、iPod
を車のオーディオに直結して聴くという楽しみ方ができなくなります。ほんとに馬鹿げた話ですよね。 様々なデジタル家電が広く普及してきて個人での音楽の楽しみ方が多様化している現在、こんな形でのコピーコントロー ルなんて笑止千万です。 音楽の楽しみ方の自由を奪うな〜! |
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先日書いたラヴィ・シャンカールのアルバムはあの後すぐに到着。早速、ワクワクしな
がら聴いてみました。 …が、やはり本格的なインド音楽はスッと身体に入ってくるっていう程に単純ではありませんね。 もちろん、シタールの音色が心地悪かろうはずはありませんが、なんせ、まるでチューニングとしか思えないようなアーラー
プがいきなり10分以上も続いて…、ふにゃふにゃ…って感じになってしまいます。 でも、確かにピーブロックとシタールの音楽とは似ているところはあります。テーマをゆっくりと表現して始まり、次第に テーマを複雑に展開しながら盛り上がって行くというパターンは…。 でも、終わり方がちょっと違う。 ピーブロックの場合は盛り上がって行っても最後は必ずウルラールに戻ってゆっくりと終わるのが常ですが、シタールの演奏 では、猛烈に盛り上がって、パッ!と終わるというパターンが多いようです。 実は、ジョージのコンサートでのアヌーシュカのシタール・ソロ「ユア・アイズ」って曲もそうなんです。 では、シタールを真似て、ピーブロックでもノリノリに盛り上がったクルンルアー・ア・マッハで終わるってのはどうでしょ
う? クルンルアー・ア・マッハというのはエアーの使用量が多いので、パイパーは非常に込み入った指使いをする傍ら、バッグに
息を吹き込むのとプレスするのにも大忙しなんです。 …ってな訳で、シタールとハイランド・パイプの構造上の違いから、このような終わり方の違いも必然と言えそうですね。 |
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2003/12/31
(水) Lament for George |
↑に書いた通りで、まあ、とりあえずは取っ付きやすいインド音楽として、ジョージの
コンサートでのラヴィ・シャンカールの音楽を楽しんでいますが、併せてコンサートのメインであるトリビュート・バンドの演奏も繰
り返し見入ってしまいます。
前にも書きましたが、どの曲もウォーム・アット・ハートな演奏者たちによる感動的な演奏ばかり。…と同時に、これまでビート ルズのアルバムからジョージの 曲だけを抽出して聴くなんてことはしたことが無かったのですが、このようにしてジョージの曲を続けて聴いてみると、その素晴 らしさがひしひしと伝わってき ます。 どれもこれもが素晴らしい演奏ですが、中でも特に印象的なのは
"While My Guitar Gently Weeps" です。 DVDのディスク2に収められている劇場公開版の映画の中で、クラプトンは「ジョージを失って寂しくて仕方ない。彼の話
になると感情を抑えられない。」と語っていますが、まさにその悲しみの感情がギターを通じてそのままほとばしり出ています。 クラプトンは、幼くして亡くした息子の死に捧げて「ティアーズ・イン・ヘブン」という名曲を作曲したことは有名ですが、 愛する者の死と言うものは残された者にかくも美しくも哀しい音楽を奏でさせるものなのでしょうか…。 このギター・ソロはまさに "Lament for George" と もいえる名演奏でしょう。若きクラプトンが壮絶なギター・インプロヴィゼーションを披露したあのクリームの解散コンサートか ら30余年の時を経て、同じロ イアル・アルバート・ホールのまさにその同じステージの上で、クラプトンはまた違った意味での印象深い名演奏を聴かせてくれ ました。 |
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