パイパー森の音 のある暮らし《2023年

2023/1/16
(月)

50周年!
 2003年1月16日のこのコーナーに「ピーブロックと出会っ て30 年」という事を書いてから早20年。今日で50周年、つまり半世紀が経過した事になります。20年前にも「30年はあっという間だった」 と書きましたが、それからの20年も正に同感。光陰矢の如しです。

 しかし、その前の30年間に比べて、この20年間の私自身の(演奏技量やレパートリー数はと もかく)ピーブロックに関する理解は確実に深まった事を実感します。

 特に、2021年秋、NPC による "Piping Times" "Piping Today" というったパイピング関連の雑誌類のデジタル化が完了した事によって、これまで、見えていなかった世界が容易に見える様になり、ピーブロックに関する理解 は加速度的に、かつ、日々深化しています。

 そして、深化を続ければ続ける程に、ピーブロックに対する愛着がますます増大。その魅力は果てる事がありません。

 死ぬまで、ピーブロック探索の旅を存分に楽しんで過ごしていきたいと思います。

2023/1/27
(金)

さらば、
Buffalo HDD
 2014年11月に購入した iMac 27(2013年秋モデル)の本体 HDD 部分が6年目でお陀仏になり、SSD に換装、Time Machine バックアップを外付け HDD2台体制にした経緯については、2020年3月30日に書い た通りです。
 その時、最後に HDD の寿命を考えて「将来的には少なくともバックアップの1台は SSD にしようと決意した。」と書きました。そして、それ以降は折に触れ外付け SSD の値下がり具合をチェックしていましたが、いつまで経ってもコスパが良い価格(2TBで1万円を切る程度?)には届きません。

 まあそんなかんなで、外付け SSD の導入はほぼ諦めていた今日この頃でしたが、昨日昼間、ゴゴゴゴ〜と、まるで屋根に積もった雪が崩れる様な音がします。でも、昨日降った雪は粉雪なのでそ んな筈は無い。窓の外でも屋根から雪が落ちている気配もありません。落ち着いて確かめてみると、なんと iMac 27 の Time Machine バックアップを取っている BUFFALO 2TB HDD が出している音でした。
 程なくして音は止まったのですが、もうこの HDD に頼るのはやめた方が良さそうだと直感。思い起こ せば、この HDD は、現在海外赴任している息子が数年前の離日時に残して行ったお下がりで、一体、ど れだけの年代物か判らない代物。クワバラクワバラ…。
 
 そこで、もう一台の I-O DATA 2TB HDD は 残す事にして、久しぶりにネットで 2TB SSD を検索しました。でも、まだまだ高いので、早々に諦 めムード。…ならば、と今度は HDD を検索。しかし、なんと、 HDD も値下が りしている気配は一切無し。
 仕方無しに、奥さんに相談した所、以前ビデオのバックアップに使っていて、今は使っていない IO-DATA 3TB HDD を譲ってくれる事になりました。現在自分が使っている  IO-DATA 2TB HDD と全く同じ駆体で、私が購入した翌年の 2018年に購入した由。
 そして、驚いた事に、当時は 9,000円代で購入したというこの機種が、きょう現在ではアマゾンで 19,800円という価格が付いていました。2倍です。コロナ、ウクライナ危機、半導体不足、円安 etc.…で、昨年、今年とあらゆるものが値上がりしていますが、これには驚いた。

  2017年、私が IO-DATA 2TB HDD を 購入入した時の価格が税込みで 9,000円を切っていました。2018年の IO-DATA 3TB HDD の購入価格もほぼ同 程度だったので、つまりは、1年間で、ほぼ同じ価格で容量が2TB→3TBにアップしていた訳で、実質的に1.5倍の値下が り率。振り返ってみると、コロナが勃発する前の 2019年頃までが、HDD 値下がりのピークだったと思 われます。様々な物が値上がりしている中でも、この値上がりが最も影響大だと思った次第。暫くは、SSD 化どころではありません。
 兎にも角にも早々に    BUFFALO 2TB HDDIO-DATA 3TB HDD に入れ替えて、Time Machine バックアップ用 HDD として登録し、数時間掛けて初回バックアップを完了させました。

 しかし、今どき、ローカルストレージだけのバックアップで安心しているというのも如何なものか? あらゆるクラウドスト レージのサービスが充実して来ているので、そちらにバックアップする方が安全では無いのか?…という考えも有ります。しか し、私はクラウドストレージについては、イマイチ全面的に信用していません。理由はいろいろ有りますが…。

 でも、フェイルセーフという意味でクラウドストレージを使う事に異存はありません。…なので、10万枚以上ある写真につい ては、既に iCloud にバックアップしています。私の iMac ストレージの中で最も大事にしているのは、何と言っても膨大な音源ファイル。今回の作業ついでに、音源ファイルについても、 念のため iCloud にもバックアップする事にしました。音源ファイルの総量は 90GB弱なので、実は iMac に元々 装備されていた 128GB SSD の方にもバックアップしています。つまり、iMac の本体の別々のストレージに2箇所、2台の外付け HDDiCloud という都合5箇 所に分散してバックアップを完了した次第。ちょっと、偏執狂的でしょうかね?

2023/2/1
(水)

さらば、
AirPods
 AirPods について書いた 2017年11月1日のこの コーナーで、ワイヤードのイヤフォンには「永遠に戻れない」と 書きました。しかし、現実は真逆。今は完全に戻ってしまいました。

 理由は単純。AirPods のバッテリー上がりが原因です。この場合の「バッテリー上がり」というのは、単に充電すれば戻る状態ではなくて、充電式電池の宿命である、劣化によって 「十分な 充電が出来なくなる」状態を意味します。今では、私の AirPods は100%充電というサインで使い始めても、1分もしない内にブチっと言って聴こえなくなります。購入してから5年で完全にお陀仏。

 実は、この数年間の内に、充電式の電気機器で同様な意味での「バッテリー上がり」を2つ経験しました。
 1つ目は、ダイソンのハンディクリーナー。
 この手の機器は使わない時は常に充電器と繋げておきます。ところが、ある時から、いざ使おうとしても数分と持たなくなり、 挙げ句の果てにはものの1分ほどで止まる様になりました。
 ネットで検索したところ、バッテリーが仕込まれたハンドル部分毎交換できると判ったので、そうしました。幸い、純正では無 い、あの国製のパーツが手頃な値段で手に入ったので幸い。それ以来、元通り活躍し続けてくれています。

 もう一つは、iPhone SE(初代)。
 私は 2023年の今現在でも 2016年5月に入手したこ の機種を使い続けています。振り返ってみれば、iPhone 3G(2008年)→ iPhone 4S(2011 年)と辿って来た歴代 iPhone の中でも最長(足掛け7年)の利用期間を更新し続けています。
 これも理由は単純。何よりもそのハンディさ、小ささです。初代 iPhoen SE は片手で持てて、親指1本で文字入力できる事が何よりも利点。その後の iPhone 肥大の歴史はご存知の通り。

 その様にして愛用し続けている iPhone SE も、ある時からやたらバッテリーの減り方が著しくなりました。最も顕著なのが低温下での消耗です。最初は、冬場にダウンジャケットのポケットに入れている 内に電池があっという間に減る事に気付きました。「これは温度だ」 と気付いたので、それ以来ジャケットを羽織る場合でも、インナーのポケットに入れる様にしていました。
 そうこうしている内に、昨年の春、暖かくなってビアンキでヒルクライムに出掛ける様になった折り、サイクリングスラックス の太 もも外側に付いているポケットに入れた状態で走行。20数分後にいつもの展望台に到着して、何気に景色を撮影しようとした時に、iPhone SE が完全に死んでしまっている事に気付きました。最初は壊れたと思ったのですが、戻ってから充電したら何事も無かったように元通り。これはいよいよバッテ リーがオシャカだな〜、 と 観念。本気で買い替えを検討しました。
 私は角ばったデザインが好きなので、iPhone SEの2世代、3世代目は対象外。その当時としても既に 型落ちの iPhone12 辺りを検討しましたが、その大きさ故にやはりどうしても踏み切れません。

 仕方無しに、バッテリー交換を検討した所、いつも出掛けるスーパーの入っているモールの一角に iPhone の バッテリー交換を請け負っている店がある事が判明。早速、対応してもらいました。またまた、純正では無いどこぞの国製かの交 換バッテ リーだったので、工賃込みで税込¥4,380 と極めてリーズナブル。それ以来、私の iPhone SE は何ら不自由なく元通り活躍してくれています。
 因みに、先日その店の前を通り掛かったら、既に撤退した後でした。確かに、 あの時もカウンターはガラガラで、直ぐに処理して貰えまたものでした。ヤレヤレ。

 では、AirPods もバッテリーを交換すれば良いのでは? …と検索すると、確かに可能ではあるようですが、Apple純正はともかく、非 Apple の業者でも両耳分で数千円掛かるようです。ワイヤード・イヤフォンが買えてお釣りが来ます。…という訳で、AirPods に関しては、この方法は断念。そして、この高価格にも関わらず数年で全く使い物にならなくなってしまうような製品の買い替え は、更に問題外。

 事と左様に充電式バッテリーという代物は利用時間がそれなりに経過すれば「上がってしまう」という事が必至です。冬場は当 たり前の様に真冬日が続き、時には最高気温がー10℃という超真冬日とでも言いたい様な事もある場所に居を構 えている身とし ては、こんな事が明白 な中、EV などど言う危ない代物を使ってみたいとは思う程にバカではありません。

 さて、話を戻して、お釈迦になった AirPods の替わりに現在使っているイヤフォンはと言えば、AirPods が来る前からお世話になっていた、JLab Audio 製のワイヤード・イヤフォン J4 です。
 お気に入りだった JLab Audio 製イヤフォンの何代目かに当たる J4 を 最初に購入したのが 2012年。そして、2016年に2つ目の J4 を購入。コード周りが、際立ってヘビーデューティーな仕様と見立てただけあって、それ以来、結構な頻度で使い倒して来ましたが、1つ目は何と11 年目、2つ目で7年目に入っても問題無く使い続けられてこられました。これまで、使って来たあら ゆるワイヤード・イヤ フォンの中では、桁違いに長寿命だった事は間違いありません。
 ところがつい最近になって、その11年選手にいよいよ引退の時が来た様です。使っていると、時々音が途切れる。プラグの根 元辺りをグニグニすると治る。明らかにプラグ付近で断線している気配です。

 数年ぶりに Amazon.com のサイトに出向き、JLab Audio のイヤ フォンを検索。時代はすっかり変わっていて、JLab Audio でもメインはワイヤレス・モデル。ワイヤード・モデルもあるにはあるのですが、どうやらやる気は殆ど見られません。旧モデルを細々と売っているだけで、J4 の後継機種(コードがヘビーデューティーなタイプ)らしきものも見あたらず仕舞い。
 しかし、その他のメーカーも含めて世の中ではワイヤレス・モデルが主流になっているお陰で、ワイヤード・モデルは押し並べ て、極めて安価になっていると言う事は見てとれました。数年前には概ね$40前後だった私の買うクラスのワイ ヤード・イヤフォン の相場は今では半額程度、せいぜい$20前後のようです。

 そこで、何も JLab Audio に義理がある訳でも無いので、やる気が見えるワイヤード・モデルをあれこれ物色。Betron というメー カーの製品が良さげだったので、的を絞って品定め。B25というモデルを発注しました。
 価格は本体が何と$14.99、梱包&送料が$10.57のトータル$25.56、日本円 にして¥3,320でした。ちなみに、2016年に購入した JLab J4 は本体が$34.99、梱包&送料が$5.49のトータル$40.48、日本円にして¥4,941で した。昨年の円安が一服し円高基調に戻っていたのも幸いでした。
 

 今回は、梱包&送料が高めだと思ったので、思い切って2つ注文しようかとも考えなくもなかったのですが、初めてのメーカー なので躊躇。結果論で言えば、2つ買っても後悔しない様な満足すべき製品でした。1月19日にポチッて、ジャスト10日後の 29日に手元に届いたので、コロナ禍も一段落した現在では、アメリカからの配送所要時間もコロナ前と変わらずといった感じ。

 Enhanced bass performance なモデルという事でしたが、高音の再生も際立っていて、7年落ちの JLab J4 よりもずっとクリアな音質。コードもしっかりしていて、絡み難く、強度も十分に有りそうです。音楽鑑賞がまたまた楽しくなりそう。梱包&送料を除けば、日 本円換算で2000円にも満たない価格のイヤフォンとはとても思えません。恐らくソニーやパナソニックなどの1万円以上する 高級イヤフォンに遜色ない音質なのでは無いかと思います。
 因みに、届いたパッケージに何故かユニオンジャックが描かれている事で気付いたのですが、Betron というのは英国のメーカーでした。

 それにしても、以前も同様でしたが、同じ製品を Amason.co.jp で購入しようとすると、4千円代半ばになるというのはどうしてなんでしょう? 翌日配達されるから?

2023/2/17
(金)

 ピーブロック演奏はヨガ 行者の心境に通じる?

  "Piping Times" のバックナンバーを捲って いて、その記事タイトルに惹かれてちょっと印象的なエッセイに出会いました。筆者は恐らくフランス人のパイパー。5 年前にパイプを始めたこの人は、数ヶ月前に初めてピーブロックに出会ってその魅力に取り憑かれて以来、ピーブロック 演奏と研究を続けている様です。
 この様な、生粋のスコットランド人以外の人が、ピーブロックと出会った時に感じる印象については、同じ様な境遇 の身として、共感するところ大です。


Playing Piobaireachd :  Step by Step
into Beauty and Eternity


by Jean Marie Ponsoda

 "Piping Times" Vol.47/11-1995/08

原  文
日本語訳
 We read many very interesting and wise articles about piping, including piobaireachd, but rather few, comparatively, written for the students in their first years of learning when they experience the difficulties and feelings of young musicians when they launch into the study of that great and noble music.  Remember that piobaireachd asks for great technical and instrumental mastership to express the feelings contained in the Ground and to play correctly the embellishments.

 The first tune that I ever heard - when I began to listen to the soloists - was “The Cave of Gold” played by Murray Henderson.  I must say that it was not a deliberate choice because I knew absolutely nothing about piobaireachd at that time.  The first feelings that I had were mixed feelings of strangeness and curiosity for such strange slow repetitive music with strange and amazing sounds that I never heard before.

 I must admit that I also felt that I did not understand it.  I think that very few people in the world, and even among beginners know of the existence of such a music.

 Probably that rather obscure and difficult tune The Cave of Gold is not the best way to enter the world of Ceol Mor and get the love of it but I feel rather proud to learn and play that kind of music, remembering that among millions of people in my country we are only very few who know and play Ceol Mor, except in Brittany where, as a Celtic tradition country, many pipers live and play Ceol Mor very well.

 To begin with I think that one must learn to like and appreciate that sort of music by listening to some tunes well known for their melody and beauty, many times, until the specific rhythm begins to enter one’s mind and heart.  For instance, it is not so easy to appreciate at first hearing tunes like The Prince’s Salute, The Old Woman’s Lullaby, The Cave of Gold.  On the other hand one can easily be struck by the evident beauty of tunes such as Lament for Mary MacLeod, Lament for the Children, Lament for Donald Duaghal MacKay, Lament for Donald of Laggan etc.

 Regarding my own experience I came to learn Ceol Mor recently, only some months ago, after having assimilated all the aspects of light music.

 I just started to learn the pipes five years ago so I asked myself how one could produce such sounds and play so quickly the crunluath movements.  I didn’t realise the strictness and work needed to master the embellishments.

 Then after having listened to beautiful and well known tunes and the beauty of that music, I decided to learn piobaireachd and do my best to learn how to express correctly the feelings contained in the tunes.

 First I had to become familiar with the abbreviations and the little mental gymnastics necessary to read and understand the tune - the value of notes, common phrases to S and D parts etc, but this comes very quickly by listening to the tunes with the staff notation under the eyes.

 Then I have worked to get mastership of all embellishments which of course must be absolutely perfectly played (edre, embari, chedare, darodo, taorluaths, crunluaths, double beats).  It required several months of daily repetition and working during which I played and repeated these movements.  But the result is worthwhile, for week after week I could see the improvements of the movements.  The most spectacular and rewarding success is probably - in my case - the success in the crunluath movements.

 The student who wants to play Ceol Mor correctly must learn perfectly all the basic movements before trying to play any tune. Keep in mind that phrase in the Tutor “Your future as a piobaireachd player depends on being able to play a crunluath properly.”

 Then, having passed through that sharp but necessary period of technical apprenticeship you can launch into the study of tunes of more and more complex construction.

 I wonder whether one’s mind, when playing a piobaireachd, is rather near a yogi’s mind, for when one has got a sufficient ease and when one plays quietly without any spirit of competition one enters a different world of music.

 One of my British friends and tutor, a top player himself, established a relationship and comparison between Ceol Mor and the traditional Indian music, named Ragas.  We could perhaps find another analogy with the Indian and mystic culture by saying that the mind enters the pipes through the piper’s breath?  In the Indian Sanskrit language the breath is named “Prana” and among people who act yoga Prana is the most important way to bring energy and spirit into the body. So we can say that we put life and spirit into an instrument first by the breath until it takes beautiful forms through the fingers.

 It is evident that many tunes of Ceol Mor create such an emotion into the mind and body of an attentive listener.

 The emotion arises from the beauty of the ground, from the contrast between the variations, also from the manner that one gives an equilibrium to the tune and from the manner that the musician ends the tune by cutting the last note, so that the cutting creates a sort of lacking, a rupture of the charm and awaiting the desire to listen more…

 These then are the feelings that I have got and still get while studying and playing Ceol Mor.
 ピーブロックを含むパイピングに関する大変 興味深く詳しい記事を多く目にしますが、この偉大で高貴な楽曲の勉強を始めたばかりの初心者の気持ちに なって、そのような人が、困難に陥った時に向けて書かれている記事は、比較的少ないようです。

 ピーブロックは、グラウンドに込められた想いを 表現し、装飾音を正しく演奏するために、技術的にも器楽的にも優れた能力を要求される事を忘れてはなりません。


 私が初めて聴いたピーブロックの曲 ー ソリストの演奏を聴くようになってから ー は、Murray Henderson が演奏した "The Cave of Gold" でした。当時、私はピーブロックについて全く何も知らなかったので、この曲を意図的に選んだわけではありません。私が最初に感じたのは、今ま で聴いた事の無い、不思議にゆっくりと繰り返される驚く様な音色に対する、《奇妙さ》と《好奇心》が入 り混じった感 情でした。

 正直な所、「良く分からない」という気持ちも有りました。このような音楽の存在を知っている人は、世 界中にも、パイプ初心者の間でも、殆ど居ないと思います。

 おそらく、この "The Cave of Gold" という曲は、Ceol Mor の世界に入り、それを愛するようになるための最良の方法ではないでしょう。しかし、私の国の何百万人もの人々の中で、ケルト伝統の国として、Ceol Mor を上手に演奏しているパイパーが多く住むブルターニュを除いては、Ceol Mor を知り、演奏する人はごく僅かであることを思い起こし、私はこのような音楽を学び、演奏することに誇りを感じています

 そもそも、このような音楽を好きになり、味わう為には、そのメロディーと美しさで、広く知られた名曲を何度も繰り返し聴いて、その特徴的なリズムが自分 の精神と心に入り込むまで学ばなければならないと思います。たとえば、"The Prince's Salute"、"The Old Woman's Lullaby"、"The Cave of Gold" の様な曲を最初に聴くのは、 そう簡単なことではありません。その一方、"Lament for Mary MacLeod"、"Lament for the Children"、 "Lament for Donald Duaghal MacKay"、 "Lament for Donald of Laggan" 等には、直ぐにその美しさに心打たれる事でしょう。
 私自身の経験について言えば、ライトミュージックのあらゆる側面を吸収した後、ほんの数ヶ月前に Ceol Mor を学ぶようになったばかりです。

 私は5年前にパイプを習い始めたばかりで、「どの様にしたらあの様な音が出るのか? crunluath の動きをあんなに 早く演奏できるのか?」と自問自答していました。私は装飾音をマスターするために必要な厳し さや鍛錬が何かを認識していませんでした。

 その後、よく名の知られた美しい曲を聴き、その音楽の素晴らしさに打たれて、ピーブロックを習い、曲 に込められた情感を正しく表現できるように最大限の努力を尽くす事を決意しました。

 
まず、私は省略形に慣れ、音符の長ささ、シングリングやダブリングパートに共通したフレーズなど、曲 を読んで理解するのに必要な ちょっとした頭の体操をしなければなりませんでした。しかし、これは五線譜を目の前にして曲を聴くことで、すぐに身 につきます。


 そして、もちろん完璧に表現しなければならない装飾音(edre, embari, chedare, darodo, taorluaths, crunluaths, double beats)をすべてマスターすることに努めました。これらの動きを毎日繰り返し演奏し、鍛錬するのに 数ヶ月を要しました。しかし、その甲斐あって、週を 追うごとに、運指の改善を認識することができました。 私の場合、最も目を見張る程で やりがいがあった成果は、恐らく crunluath の運指が出来る様になった事だと思います。


 Ceol Mor を正しく演奏したい生徒は、どんな曲でも演奏しようとする前に、すべての基本的な動作を完璧に学ばなければなりません。教則本の「ピーブロック奏者として の将来は、crunluath をきちんと弾けるかどうかにかかっている。」というフレーズを心に留めておくべしです。

 そして、厳しくも欠かす事の出来ない技術的な修行期間を経ることにより、より一層複雑な楽曲の持つ構 造の研究に入ることができる様になります。


 ピーブロックを演奏する時の心境は、むしろヨガ行者の心境に近いのかもしれません。心を十分に 安らかに保ち、 競争心を持たずに静かに演奏する事によって、音楽の別世界に入り込むことができるからです。


 私のイギリス人の友人の一人でチューターでもある人物は、トップレベルの奏者でもありますが、彼は、Ceol Mor とインドの伝統音楽である Ragas との間の関係性と比較対照を確立しました。パイプ奏者の呼吸を通して心がパイプの中に入っていく、というような言い方をす れば、インドや神秘的な文化とのもう一つの類似性を見出すことができるかもしれません。インドのサンス クリット 語では、呼吸は「プラナ」と名付けられ、ヨガを行う人々の間では、プラナはエネルギーと精神を身体に取り込 むための最も重要な方法です。つまり、楽器に生命と魂を吹き込み、それが指を通して美しい形になるま で、ま ず呼吸で行うのだと言えます。

 このように、Ceol Mor の多くの曲は、聴く人の心と身体に感動を与えてくれることが分かります。

 その感動は、グラウンドの美しさ、其々のバリエーションのコントラスト、曲に落ち着きを与える手法、 音楽家が最後の音をカットして 曲を 終わらせる手法などから生じるものです。最後の音の突然のカットによって、ある種の欠乏、魅力の断絶が生じ、もっと聴きたいと いう欲求が湧き起こる…。



 これらが、私が Ceol Mor を研究し演奏している時に感じたことであり、今も感じ続けていることです。
 
 特に下線部(引用者)の記述(及び、その次の段落)が印象的。正 に言い得て妙です。つまりは、そもそもピーブロックという楽曲はコンペティションという場で演奏される様な楽曲では無いので す。

 早速、下線部の文言をピーブロック名言集に追加し ようと思って作業し始めたら、エッ と驚き。何と既に引用していました。恐らく、名言集を最初に作った 20年程前にも同じ想いを抱いて引用したのでしょう。当時と少しも変わっていない自分の姿勢もさることながら、「確か、この 文章いつか読んだよな〜?」 と、つゆほども思わない今の自分に、複雑な気持ちになりました。

 最近流行の「リスキリング」どころか、まるでザル状態の脳味噌にいくら新しい(古い?)情報流し込んでも、ちっとも貯まら ないのは如 何なものでしょうか? でも、逆説的に言えば、いつまで経っても満杯になり様の無いこの脳みそ故に「これからも、一生学び続ける事ができる。」という風に 考える事にしました。

2023/2/20
(月)

 遡って確認作業

  "Piping Times" のピーブロック関連記事リスト作成の際、最後の方では相当疲れが溜まっていて、かなり雑な作業になっていた事は自覚しているので、改めて最終号から遡って 誌面をチェックしつつ、あれこれの記事に目を通しています。

 早速、2019年11月号Betty Allan という人による "Ceol Mor" というタイトルの、非常にウィットに富んだ素敵な詩が掲載されていたのでリストに追加。その記事には、この詩が既に 1986年4月号に一度掲載されている事が書かれていました。そして、その時 Seumas MacNeill は「この詩は私が永年の中 で出会った中でのベストだ。」と紹介した由。 1986年はとにかく毎号毎号ピーブロック関連の記事が溢れ返っていたので「スルーしてしまったのも仕方ないな」と 反省しつつ、遅ればせながら、当時の誌面紹介欄に追記し ておきました。

 一方で、33年後の 2019年にこの詩をこの時のエディターの Stuart Letfort に送ってきたのは、この詩の作者 Betty Allan の娘である、Madge Bray という女性。彼女はその時には名の知れたガーリック・シンガーとなっていた様です。そして、彼女が 2019年8月の "Piping Live!" のリサイタルで Allan MacDonald と共演した際のレポートが、2019年9月号に 掲載されている旨が紹介されていました。
  
 パイプのかおり第50話で Allan MacDonald"Dustirum" を詳細に紹介した際、アルバム9番目の曲 "A Lament"  の解説の中で、キーニング(keening)に関する大変興味深い話が書いてありました。宗教会議に よって禁止され、今では廃れてしまったという「キーニング」に興味が湧きましたが、ただただ想像するより外はありま せん。ところが、なんとこのリサイタルでは、この Madge Bray らのシンギングによって、"Park Piobaireachd No.2" をキーニング付きで再現した事が報告されていました。また、"Lament for Mary MacLeod" のシンギングも…。ありがたい事に、文 中にはその演奏の一部を紹介した Youtube 動画のURLが記載されています。本当に、Allan MacDonald の活動からは目が離せません。

 パイプのかおり第56話として、このリサイタルについ て詳報している "Piping Times" "Piping Today" の両誌の記事を紹介します。

2023/2/22
(水)

 ピーブロック

バロック音楽
の類似性

 ↑の2つの記事と相前後した2つの号に、前編&後編として掲載されてい た興味深い記事が有りました。パッヘルベルの「カノン」と、ヘンデルの「ハレルヤ」といったバロック時代の超有名曲 を、ハイランド・パ イプ用にアレンジした演奏が人気を博しているとの事。この記事ではそれぞれの曲について前編と後編に分け、パイプ・アレン ジの要点について詳細に解説されています。前編は14ページの内9ページ、後編は7ページの内3ページを費やして全 部 のスコアが掲載されるという筆者の親切さに感じ入ります。

 更に、情報として、The Simon Fraser University Pipe Band を始めとする、複数の音楽家よるそれらの曲の演奏音源&映像についての情報も示されています。私は、複数のパイプがユニゾンで合奏する(+ドラム)という 形式の演奏には耐えられませんが、この場合は、複数のパイプが違ったパートを奏でる形式なので、少しは我慢できまし た(い きなりオフにせず、半分ほど観れたという意味ですが…)。恐らく、この様な形式をお好きな方は多いと思います。

Pachelbel's Canon - Simon Fraser University Pipe Band at Royal Concert Hall 2015
Hallelujah - Simon Fraser University Pipe Band at Royal Concert Hall 2015 

 他の音源&映像も含めてどうぞお楽しみ下さい。

 これらの演奏を聴いても、やはり私自身はハイランド・パイプでピーブロック以外の曲を演奏する事には、イマイチ興 味が沸かないの で、アレンジの詳細な説明については省きますが、著者がバロック音楽とピーブロックの類似点について考察している箇所については、多くの示唆に富んで いて極めて興味深いので、以下に対訳で紹介します。お手数ですが、他の部分についてはオリジナル記事を参照願いま す。

 筆者の Jim Johnson という人についての情報は見当たりません。いずれにせよ、パイプのかおり第42話で 紹介した、Francis George Scott と同様に、西洋クラッシック音楽に精通しつつ、ピーブロックにも詳しい人による幅広い視点からの解説は、日頃、狭い 世界に閉じ籠っている身にとっては大変 参考になります。



Pibroch and Baroque music


by Jim Johnson

原  文
日本語訳
 "Piping Times" Vol.72/No.01 - 2019/10
 Johann Pachelbel composed a large body of sacred and secular Baroque music and is best known for his Canon in D.  Jim  Johnson discusses his own popular arrangement and discusses the similarities between Baroque music and ceol mor,  Johann Pachelbel は宗教的と世俗的なバロック音楽を大量に作曲し、"Canon in D" が最もよく知られている。Jim Johnson は人気を博している彼自身によるこの曲のアレンジについて述べ、バ ロック音楽Ceol Mor の類似点について考察している。
(former parts omitted)
 Firstly, though, I’ll discuss the links between this type of music and ceol mor.
 The golden period of pibroch composition, the late 17th century, coincided with the Baroque period; Johann Pachelbel and John Dall MacKay (foremost pupil of Patrick Og MacCrimmon) were contemporaries.
 One obvious similarity between both genres is that they that are slow and repetitive (which some perceive as boring/aggravating, others as meditative/transcendental).

 There’s more:
1. In Canon, the string quartet functions somewhat like a bagpipe, with the cello serving as the drones (bass continuo) and the violins as the chanter (treble melody).

2. Pachelbel explored many variation forms and associated techniques, which manifest themselves in his pieces.

3. The structure of Canon resembles that of pibroch in that the tone row of theme notes:
  • gets repeated multiple times, forming the piece’s organising principle;
  • is successively elaborated on and transformed using multiple rhythmic and melodic devices - in Canon through 14 different variations, 13 of which have a doubling, and in pibroch through four-seven different variations, many with a doubling, (sometimes a trebling);
  • is variably hidden vs. exposed. In pibroch, in the ground and early variations the tone row is hidden within the busy melodic material.  It becomes the explicit ‘main event’ only in the taorluath and crunluath variations.  In Canon, in the violin (or bagpipe) line the tone row is hidden within the busy melodic material, but in the cello line, which opens the piece, it’s exposed and omnipresent.  Thus, playing the violin and cello lines together is like playing the early and late variations of a pibroch concurrently
4. Both genres reserve something special for last. In Canon, there are the so called ‘blue notes’ (jazzy C-naturals) that appear in variations 11 and 12 whereas in pibroch there’s the crunluath variation and, especially, the crunluath a-mach.

5. Both pibroch and western classical music grew out of hierarchical societies.
 The wealthy, privileged class could support a cadre of elite professional musicians, providing them with the time and resources needed to create, refine, and master the execution of elaborate art music for their patrons’ amusement.  This is quite different from the simpler, foot stomping ‘people’s music’ of the lower class.  
 Wealthy patrons had time to savour extended meditative compositions, and desired such art to fill their leisure hours, in addition to banquets, formal gatherings, and militarly functions.

 It seems to me there is at least one point of difference: in Western Europe, art music also had an ecclesiastical role, with institutional patronage from the church (e.g.,J. S. Bach).  This does not appear so with pibroch.
(later parts omitted)
(前略)
 まず、この種の音楽と Ceol Mor の関連について述べておこう。
 ピーブロック作曲の黄金期である17世紀後半は、バロック時代と重なり、Johann PachelbelJohn Dall MacKayPatrick Og MacCrimmon の一番弟子)は同時代に活躍していた。

 この2つのジャンルの明らかな共通点は、ゆっくりとしていて繰り返しが多い、ことであ る(これを、退屈/悩ましいと感じる人もいれば、瞑想/超越的と感じる人 もいる)。

 まだまだある。
1. カノンでは、弦楽四重奏はバグパイプのように機能し、チェロはドローン(通奏低 音)、ヴァイオリンはチャンター(高音旋律)の役割を果たす。

2. Pachelbel は多くの変奏形式とそれに関連する技法を探求し、それが作品に現れている。

3. カノンの構造は、主題音の音列が何度も繰り返される点で、ピーブロックと似てい る。
  • 何度も繰り返され、曲の構成原理を形成する。
  • カノンでは14種類の変奏(うち13種類は2倍音)、ピーブロックでは4〜7種類の変奏、 多くは2倍音(時には3倍音)を通じて、複数のリズムや旋律の工夫によって次々と精緻に変形さ れる。
  • 隠されているもの、露出しているもの、様々である。ピーブロックでは、グラウンドと初期の バリエーションでは、音列は込み入ったメロディーの中に隠されている。それらは、 Taorluath と Crunluath のバリエーションに於いてのみ、明確に「メインイベント」となる。カノンでは、ヴァイオリン(またはバグパイプ)のラインでは、音列は込み入ったメロ ディーの中に隠されているが、曲の冒頭にあるチェロのラインでは、それが露出して遍在してい る。したがって、ヴァイオリンラインとチェロラインを一緒に演奏することは、ピーブロックの初 期バリエーションと後期バリエーションを同時に演奏するようなものである。
4. 両ジャンルとも、最後に何か特別なものを用意している。カノンでは、いわゆる 「ブルーノート」(ジャズ的な C-ナチュラル)が第11、12バリエーションに現れるが、ピーブロックでは Crunluath、特に Crunluath a-mach が現れる。

5. ピーブロックも西洋のクラシック音楽も、階級社会から育ったものである。
 裕福な特権階級は、エリート専門音楽家の集団を支える事が可能で、彼らに、パトロンの娯楽のための精 巧な芸術音楽を創作し、洗練し、その実行を習得するのに必要な時間と資源を提供する事が出来たのであ る。
 これは、より単純で、足を踏み鳴らすような、下層階級による「民衆の音楽」とは全く異なるものであ る。

 富裕層のパトロンたちは、瞑想的な曲をじっくりと味わう時間があり、宴会や公式の集まり、軍事的な行 事に加え、余暇を満たすためにこのような芸術を望んでいたのである。

 しかし、少なくとも1つだけ違う点があるように思う。西ヨーロッパでは、芸術音楽も教会的な役割を 担っており、教会から制度的なパトロンが与えられていた(J・S・バッハなど)。ピーブロックの場合は そうではないようだ。
(後略)
 "Piping Times" Vol.72/No.03 - 2019/12
(former parts omitted)
  “King of Kings, Lord of Lords” section. (This motif, incidentally, is vaguely reminiscent of Donald Mor MacCrimmon's iconic ‘run down’ to low G motif.)
(middle parts omitted)

Hallelujah vs. pibroch

 Hallelujah exhibits certain structural similarities to pibroch in addition to the above-mentioned Donald Mor ‘run down’.
 The opening section, “Hallelujah! For the Lord God omnipotent reigneth”, could be regarded as a ground equivalent, whereas the subsequent sections (“And he shall reign forever and ever” and “King of Kings, Lord of Lords”) could be regarded as variations on the ground.
 Following these variations, to conclude, “Hallelujah” returns to a restatement of earlier material, analogous to the pibroch convention of returning to the ground after the crunluath (and, in bygone days, perhaps repeatedly through the tune).  However, instead of returning to the ground per se, for its concluding statement, Hallelujah combines a theme from the ground (the repeated “Hallelujahs”) with the theme from the second variation (“And He shall reign forever and ever”).
 Pipers sometimes use an analogous approach when concluding Desperate  Battle of the Birds by returning not to the ground but to the (more dramatic) first variation.
(前略)
 "King of Kings, Lord of Lords"の部分。(このモチーフは、Donald Mor MacCrimmon の象徴的な Low G への "run down" をどことなく彷彿とさせる)。
(中略)

ハレルヤとピーブロックの比較

 ハレルヤは、前述の Donald Mor の "run down" に加え、ピーブロックと構造的に類似している部分がある。
 冒頭の "Hallelujah! For the Lord God omnipotent reigneth" という冒頭部分はグラウンドと同じであり、続く部分("And he shall reign forever and ever" と "King of Kings, Lord of Lords")はグラウンドのバリエーションと考えることができるだろう。

 これらのバリエーションに続いて、締めの "Hallelujah" は前の要素の再奏に戻るが、これはピーブロックの慣習である Crunluath の後(昔は曲の中で何度も)グラウンドに戻ることと類似している。
 しかし、ハレルヤでは、グラウンドそれ自体に戻るのではなく、グラウンドの主題(繰り返される "Hallelujah")と、第2バリエーションの主題("And He shall reign forever and ever")とを組み合わせて、結びのパッセージとするのである。

 パイパー達も時々、"Desperate  Battle of the Birds" を締めくくるのに、グラウンドではなく、(よりドラマチックな)第1バリエーションに戻るという、似た様なアプローチを用いることがある。
  • 冒頭でいきなり、Johann Pachelbel(1653〜 1706)と John(Iain) Dall MacKay(1656〜 1754)が同時代に活躍していた、といった指摘をされると、オッと思ってしまいます。確かに、当時のスコットラン ド北部は海路で大陸と有機的に繋がっていて、決して文化的辺境の地などではありませんでした。音楽形式に関する相互 交流が有ったのも確かでしょう。それにしても、同時代性を引き合いに出す相手を Patrick Og(1645〜1730)の名を出しながら も、彼自身では無くて、一番弟子たる Iain Dall の 名を出しているのも好ましい。つまり、この人はピーブロックの作曲家としてどちらが優れているかについて、良く判っ ているのでしょう。
  • ゆっくりとしていて繰り返しが多い事を、退屈/悩ましいと感じる人もいれば、瞑 想/超越的と感じる人もいる。」という解釈は実に的を得ています。問題なのは、前者が圧倒的多数である 事です。
  • 音列の繰り返しの類似性についての解析も、言われて見れば納得。
  • 「ピーブロックも西洋のクラシック音楽も、階級社会から育った」という見方もストンと腑に落ちます。富裕層のパ トロンたちは、瞑想的な曲をじっくりと味わう時間が有った由。確かに…。
  • ハレルヤの解説では Donald Mor の "run down" まで引き合いに出してくるのも卓見ですね。
  • しかし、最後の "Desperate Battle of the Birds" の下りは?です。でも、私が知らないだけで、かの地にはその様な事をする人が居るのでしょう。興味深いですね。一度試してみましょう。

 因みに、カノンについては、オリジナル(弦楽四重奏?)のアレンジバージョンだとしたら、私は断然こちらの方を好みます。パイプの合奏という形式は、どうしても肌に合いま せん。

2023/3/14
(火)

 またまた、
War or Peace

  "War or Peace" については、この曲が PS セットチューンになった 2011年に、1981年4月号 "Piping Times" の記事紹介に際して大いに盛り上がった後、2017年に Jack Lee の極め付けの演奏動画に出会って、(個人的)興奮は頂点を迎えました。それ から暫くは落ち着いていましたが、つい最近になって、数年ぶりにこの曲の目新しい解釈の演奏音源に出会い、久しぶり に興味が再燃中です。

 その音源とは、この所で遡って読んでいた過去の "Piping Times" の記事の中で出会いました。その記事は、2015年11月号12月号2016年1月号で 3回連載された "College of Piping Lecture 2015" に於ける Roderick Cannon の講演録。Roderick Cannonこの年の7月号で逝 去が報じられているので、3月に開催されたこの講演が Cannon 大先生最後の講演という事になります。
 "The music of John MacCrimmon – the ‘Gesto Canntaireachd" と題されたこの講演では、これまで余り詳しい解説に出会った事が無 かった Neil MacLeod of Gesto の人物像、そして、この人のカンタラックの特徴や Colin Campbell のそれとの相違点などについて、詳細に解説されています。翻訳ソフトに掛け ながらザッと読んだだけで、スーッと頭に入ってくる程の理解力は有りませんが、これまで知らなかった内容ばかりで、 大変興味深く読みました。

 そして、この講演では、合間に当時の PS プレジデントたる Dr. Jack Taylor 御大が、講演で触れられている曲を模範演奏しています。その中の一つがこの "War or Peace" でした。
 …と言っても、当然ですが紙でリリースされた "Piping Times" の誌面では、演奏風景の写真が挿入されているだけであって、実際の演奏音源が聴ける訳ではありません。ところが、そこは良くしたもので、この3回の記事は その後 2021年4月11〜13日 付けの Bagpipe News にデジタル化されてアップされた際に、写真の代わりに音源ファイルがアップされているのです。

  Part1の最後にアップされている、Gesto カンタラックに忠実に沿って表現されたという、この "War and Peace" の演奏音源では、2つの点について、これまでに無い解釈による表現を聴く事が出来ます。
(→楽譜を参照しつつ読み進めて下さい/クリックで拡大)

 一つ目は、Tarluath Doubling の後の3回目の VIII Urlar に於いて(ここだけ)、グリップのタイミングが変わっている事。
 これは、もしかしたら Gesto カンタラックに忠実という事ではなくて、単に Jack Taylor 自身の解釈による表現のアレンジかもしれません。しかし、単調になりがちな延4回にも及ぶ Urlar の繰り返しの中で、ここだけに際立つ彩りが添えられた感じになり、思わず「おっ!」と耳がそば立ちます。

 そして、もう一つ、そして最大級に重要なのは、Crunluath-a-mach の表現。
 ご存知の通り、モダーンスタイルのピーブロックでは、Crunluath-a-mach は B、C、D のみです。しかし、パイプのかおり第39話で 紹介した様に、Simon Fraser に伝わっ ていたオールドスタイルでは、Low G、Low A、B、C、D というボトムハンドの音全部に於いて a-mach を演奏していた、という事が読み取れます。
 しかし、実はその事については、その他でその様な演奏スタイルが有ったという解説がされている文章にも、そして、 もちろんその様な演奏事例にも一切出会った事がありません。「果たして、あの演奏スタイルは本当に存在したの か?」という微かな疑念が拭い切れなかったというのが、正直な気持ちでした。
 ところが、Jack Taylor によるこの演奏音源で、遂にその様な表現を再び聴く事が出来ました。なんと、この演奏の XII Crunluath A mach バリエーションでは、赤ドットを付けた Low A も含めたこの曲のテーマ音全て(Low A、B、C、D)に於いて a-mach を演奏しているのです。つまり、このバリエーションは 100%が a-mach。そして、楽譜で示されている通りに、最後の最後に再び Urlar が演奏される事はありません。
 実に、32連続にもなる Crunluath-a-mach を一気呵成に《爆奏!》して、突然終わりを迎えるこのパフォーマンスは、Jack Lee Bill Livingstone による、B、C、D のみの 25回の Crunluath-a-mach と(Low A が4音続く)最終小節は通常の Crunluath となって締め括られるパフォーマンスの迫力を更に上回って、「パイパーの断末魔の叫び」を臨場感たっぷりに描き出している様に感じられます。鬼気迫る エンディング。 衝撃的です。

  オールドスタイル恐るべし、といった所。ピーブロック探究の奥深さ、そしてその楽しさは尽きる事があ りません。

 なお、Part3では、Gesto スタイルによる "Cille Chriosda" つまり "Glengarry’s March" の演奏音 源を聴く事が出来ます。オリジナルにも掲載されていた楽譜を見ながら、鑑賞してみて下さい。これもまた味わい深く楽 しむ事が出来ます。

2023/5/2
(火)

 ピーブロック

ヒルクライム

  2022年4月11月のこのコーナーに書いた様に、積雪の無い時期の早朝に、ロード バイクで国道をサイクリング(ヒルクライム)する事をほぼ日課にしています。《ほぼ》というのは、「天気が良い」 「特段の疲労感が残っていない」「交通量がさほど多く無い」という3条件が満たされていないと出掛けないから…。ス トイックな運動フェチでは無いので、無理はしません。特に最後の条件は、GW やお盆休み、秋の紅葉シーズンの週末には中々満たされません。そんなかんなで、日課といいつつ、シーズン中を平均すると実際には3〜4日に一回程度でしょ う か。

 ストイックな運動フェチでは無いとは言っても、そこは男の悲しい性。一応参考のためにストップウォッチでタイムを 計測するのですが、一旦走り始めると、どうしてもタイムが気になってしまいます。やれ、「前回より早かった」だと か、「新記録達成!」だとか…。

 話は急に変わりますが、朝夕1時間ほどの電車通勤をしていた頃は、常に耳にイヤフォンを突っ込んで、音源再生機器 (カセットウォークマン→CDウォークマン→MP3プレイヤー→iPod→iPhoneと変遷)で、膨大な量のピー ブロック音源を漫然と聴きながら過ごしていました。つまり、毎日必ず最低でも2時間はピーブロックを聴き続けていた 訳です。
 しかし、通勤から解放された現在の日常では、その様なシチュエーションが有りません。漫然とピーブロックを聴くと いう機会が無くなると、ある楽曲のそれまで気付かなかった側面、ある演奏のそれまで気付かなかった魅力に気付かされ る、という予想外の新たな発見のチャンスが減ってしまいます。その様なデメリットを感じるているので、最近は家に居 る時も、 《ながらアクション》が可能な時には、出来るだけ延々とピーブロックを流し続ける様、努めています。

 一方で、サイクリングに出ると短くて40分、たまに峠まで行く時は1時間半ほどペダルを漕いでいます。(正確に言 うと、ヒルクライムの帰りのダウンヒルでは、一切ペダルは漕ぎませんが…。)この間にピーブロックを聴くのはどう か?

 これまでは、「折角、自然豊かな樹林帯の中を駆け抜けるのに、樹々を抜ける風の音、鳥のさえずり等を聴かずにサイ クリングするのは如何なものか?」と躊躇。それ以上に、後ろから迫り来る車やバイクの音が確認できないかもしれない という危機意識もあり、イヤフォンを耳に突っ込んだままサイクリングする事は、決して前向きな選択肢ではありません でした。

 しかし、今年のサイクリング・シーズンに入った4月のある日、試しにイヤフォンでピーブロックを聴きながらサイク リングしてみました。そうした所、車やバイクの音というのは、音楽とは全く別物なので、近づいて来た際には、直ぐに 気付く事が判りました。そもそも、私がサイクリングする早朝には、殆ど車は走っていません。出くわしたとしても、ほ んの数える程でしかないのです。(ただし、サイクリング中に注意しなくてはならない、自転車の異常を察知するのが遅 れるのは懸念されます。)

 そんな訳で、それ以来、サイクリングする際には、必ずピーブロックを聴く様になりました。この行為、以前に通勤電 車の際にしていた行為と同じ様に見えますが、実際には大きな違いがあります。前者はある一定のリズムで身体を動かし ながらピーブロック を聴く。後者は身体はじっとしたままピーブロックを聴く、という違いです。

 ピーブロックの楽曲には、Donald Mor MacCrimmon 作の "MacLeod Salute" に代表される、いわゆる "Rowing tune" と呼ばれるジャンルの曲があります。ハイランドに多々有る入江や湖(つまり Loch)を横切って移動する際など、ボートを漕ぐ時にオールのリズムを保つのに適した曲です。
 それらの曲が、サイクリングのペダリングのリズムとマッチするであろう事は、大方想像がつきます。しかし、それら の曲でなくても、ピーブロックのバリエーションは、概ね一定のリズムでの繰り返しが続く箇所が多いので、ピーブロッ クを聴きながらのサイクリングは極めて楽しいという事に気付きました。
 ヒルクライムのペダリングは、その時々の勾配やカーブの曲率、その時点での脚力によって最適なギアを選ぶので、 折々リズムが変わります。しかし、気付くと、その時に耳から入ってくる曲のリズムにペダリングが絶妙にマッチ していて、やたらと気分がハイになる事が多々あるのです。また、ある時は、聴いている曲に合わせて通常 以上にペダルに力が入る事も…。
 
 ピーブロックを聴きながらヒルクライムするもう一つのメリットは、タイムが気にならなくなる事。その時々の曲に合 わせてペダリングするので、タイムを気にせず、以前よりもずっと《のたりのたり》とヒルクライムする様になった気が します。ところが、極めて興味深い事に、曲のリズミに載せられてヒルクライムしていると、意識しなくても却って良い タイムが出てしまう、という事もあるのです。

 正に "Rowing tune" ならぬ、"Pedalling tune" といった所でしょうか。

 また、これまで余り気付かなかった特定の曲のリズミカルな曲調の魅力に気付く事もあります。パイプのかおり第57話の中で、JKS Frater が「リズムそのものが魅力的な曲」として名を挙げていた Iain Dall MacKay による "The Blind Piper's Obstinacy" などはその典型例。たまたま、その時のペダリングがこの曲のリズムにマッチし たりすると、実に楽しく感じられ、思わずペダリングに没頭してしまいます。Iain Dall MacKay の曲と言えば、"Unjust Incarceration" もまた、ペダリングに絶妙に合いそうだという事は、直ぐに思い浮かぶ所でしょう。この曲など、普通に聴いている分には、バリエーションの繰り返しが少々単 調に感じられるかもしれませんが…。
 その他にも、お馴染みの曲のバリエーションが、妙にペダリングにマッチしていたりして、長年聴き親しんで来た曲の また別の側面に、新たに気付く事が多々あります。

 しかし、約250曲、総テイク数1,300を超す私のピーブロック音源の中には、どうしてもサイクリングに適して いない曲や、音質の酷い音源など、スルーしたい音源も時折出てきます。また、収録されている音源は、録音状態によっ て音量が微妙に異なるので、曲によっては音量を調整したい場合も…。
 電車の中であれば、iPhone を弄って画面をタップすれば良いのですが、流石に自転車のハンドルを握っている最中はそうはいきません。さりとて、先 日、購入した Berton B25 はコントローラーが付いていないタイプだったので、耳から下がったワイヤーを弄っても何も出来ません。そこで、サイクリング用にコントローラー付きのイヤ フォンを再度購入する事に…。

 前回と同様、Amazon.com で見繕います。幸い同じ Berton B25の マイク&コントローラー(音量調整、スタート&ストップ、曲送り)が付いたタイプが、何故か前回購入した物よりも更 に安価な $9.99!と何と $10を切っています。そのかわり送料が $11.44と アイテムの価格超え。それでも、合計して$21.43、日本円にして ¥2,903 と3千円切りで購入できました。前回、2つまとめて購入していたら、送料が半分になったので更にお安く手に入った事 でしょう。因みに、Amazon.co.jp ではこのアイテムを現在 ¥3,565で 販売中。つまり、入手まで1週間待つ事で 662円節約になったという訳。

 日米共に何故かボディが黒のモデルは品切れで、赤(&黒)モデルしか入手できません。しかし、息子のお下 がりのビアンキはフレームカラーが謂わゆるビアンキ独特のチェレステカラー(青緑色)ではなくて、赤&黒カラー。ヘ ルメットも合わせて赤&黒カラーを使っているので、耳から覗くイヤフォン本体とコードが赤いのは、色合いがシンクロ していて却って好都合。良い気分でサイクリング出来そうです。




 以上、ピーブロックを聴きながらサイクリングする事で見えてきた、ピーブロックの新たな楽しみ方に関する報告でし た。

2023/6/10
(土)

"The Highland Pipe and Scottish Society
1750-1950"

by
William Donaldson

 4 月にパイプのかおり第57話をアップして以来、ここ暫くの 間、新たなネタがアップできていません。その理由は、この 本を読み耽っていたからです。
  2000年春にリリースされたこの本、当然ながらタイトルだけでも必読と判断。直ぐに入手しました。例によって自身が表紙裏に記した日付から、購入日は 2000年5月26日と知る事ができます。そして、直ぐに読み始めたのでしょう、あちこちに黄色のマーカーは引かれ ています。しかし、ハードカバーで500ページを超えるボリュームにして、200年間を概観する膨大な資料の塊。途 中であえなく討ち死した様で、その内容について、殆ど記憶がありません。

 せっかく購入した事でもあるし、内容的にも読んでおいて損はなさそうな本なので、これまでも、「いつかは読破しよ う」と思わない訳ではありませんでした。しかし、老眼である上に、そもそも英語読解力が貧弱。今更ながら英語で書か れた少々難解な内容の《紙の本》に、根を詰めて目を通すという意欲はなかなか湧いてきません。そんなかんなで《積 読》のままに23年が経過してしまいました。

 ところが、昨年秋以降、デジタル化された "Piping Times" の記事をあれこれ読 む 中で、この本の内容があちこちに引用されている事に気付きました。特に、David Murray の記事に引用されているある記述には大きな衝撃を受け、「これは、どうしても不退転の決意でこの本に臨まなくてはならない。」と言う気持ちにさせられまし た。そこで、ここ1ヶ月ほど、日々眼をしょぼつかせながら、久しくしていなかった辞書(もちろんデジタルですが)を 引きつつ、読書に励んでいた、という次第。

 右の目次(クリックで拡大)にある様に、200年間を20章に分けて、事細かに描いた本なので、全てを一気に読ん だところで、どうせ読んだ端からどんどん 忘れてしまうでしょう。David Murray が引用していた部分が含まれる章を中心に、どうしても目を通したい章だけをセレクトして、どうにか読み切ったところ です。
 そして、その内容の深刻さに、これはどうしてもその章だけでも日本語化すべきだという思いに至りました。私はこの 種の文章は英語で読んだだけでは、細部まで十分には理解できません。そして、読後は時間と共にその内容が頭から抜け てしまいがちだからです。

 さて、紙の印刷物を日本語化するにはデジタル図書と違って少々手間が掛かります。でも、最近すっかりお世話にな りっ放しの翻訳ソフト DeepL では、PDFファイル(文字認識化の必要性も無し)をドラッグ&ドロップするだけで、あっという間にテキストを抽出して翻訳してくれます。

 そこで、久しぶりに ScanSnap SV600 を引っ張り出してきて、誌面をスキャン。日本語化したい章の PDFファイルを作成して、現在粛々と翻訳作業中です。該当の章の量は27ページですが、例によって翻訳結果がそのまま使える訳ではありません。また、や はり 英語で読ん だ時よりも、理解が数段深まるので、慌てず急がずじっくりと中身を噛み締めながら、熟読しつつ翻訳作業そのものを楽しんでいます。パイプ のかおり第58話としてアップできるまでには、まだ少々時間が掛かりそうですが、乞うご期待!

2023/8/25
(金)

 iPhone SE 1st

iPhone 12 mini

 2016年4月12日のこのコーナーに書いた様に、私 は基本的に「気に入ったものは出来るだけ長く使いたい」人です。2015年に購入したレンジ・ローバー・イ ヴォークは今年で8年目。2016年に揃って更新した iPad Pro 9.7 inch、iPhone SE は7年目に入りました。イヴォークは先代ボルボの 例からしても、あと何年先になるかは定かではありませんが、自身が所有する最後の車として免許証返納する時まで乗り 続ける車になるでしょう。iPad Pro も今は建物周りに取り付けてある防犯カメラのモニターとして使っている程度なので、性能的には何ら不自由を感じる事も無く、まだ暫くは使い続ける事になり そうです。

 一方で、一年毎にニューモデルが登場するサイクルの目まぐるしい iPhone については少々様相が異なります。我が iPhone SE 1st Gen. と同時期にリリー スされたメインストリームのモデル(iPhone7)は、7年の時を経て最新モデルは順当に iPhone14 に。更に、この(2023年)秋には 15 のリリースを控えている状況。SE についても、1st Gen. リリース4年後の 2020年に 2nd、 更にその 2年後の 2022年には 3rd がリリースされ、私の機種は今では 3周遅れ。iOS も既に最新バージョンの対象外で、一世代前の iOS15 で ストップです。

 …とは言っても、7年落ちの SE とて普段使いに特段の不便を感じる事も無く、新機種に買い 替えしようという気には中々なりません。その理由の一つ、というか最大の理由は、iPhone SE 1st Gen. のサイズ感です。持った片手の親指が全てのアイコンに届いて操作が出来るという事は、初代 iPhone の時から私が拘る使い易さの基本の基。iPhone 4S からの機種変更で悩んでいた 7年前と同様に、新しい機種が出る度に肥大化する iPhone は、私好みのこの最適サイズ感からどんどん遠のいて行くばかりです。

 しかし、世の中のスマホ活用に関する IT社会の進歩は留まることはありません。
 現在、我が家は最寄りのコンビニが14km程離れている程、極めて辺鄙な場所に暮らしています。ですから、食材の 殆どはそれぞれ週一回の生協と宅配で賄っており、その他の品々も Amazon で注文すればほぼ翌日に配達されるので、買い物に出掛けるという事は殆どありません。最も多い外出は運転の出来ない妻の通院のアッシー君と自身の通院とい う、如何にも高齢者夫婦ならではの日常生活。通院の帰りには、処方箋薬局が併設されている、最寄りのコンビニよりも 更に 1kmほど下ったところにある JA の食品スーパーに寄って、処方薬を受け取りついでに、主に焼きたてパンなどを購入する程度。

 その JA スーパーのレジはど田舎にしては進んでいて、2年ほど前からセミ・セルフレジになりました。商品の値札読み取りはレジ係が行い、支払いは客自身が各レジに 2台づつ設置された支払い専用の機械で行う形式。こんなど田舎でレジをセミ・セルフにしたの は、お客さんたちが支払いの際に現金を使う、それも、ほぼ全員が紙幣を出した後に財布の中のコインを弄って支払いを するのでやたらと時間が掛かるからだ、と言う事は推して知るべしです。超速で値札を読み取って商品を処理した凄腕の レジ係が、支払いの段になるとお客(殆どはおばちゃん)がお金を用意するのを、後ろに並んで待っている客(私)のイ ライラ をひしひしと感じつつじっと立って待っている、というシーンを散々目にしてきたので…。セミ・セルフレジになってか らも、多くのおばちゃんたちは相変わらず支払機に対峙して、財布を弄り紙幣とコインを投入して支払いをします。その 横で、どんなに少額でも必ずクレカで支払う自分は、一歩先に隣の支払機に向かっていた先客を追い越して支払い 完了する、というのがお決まりのコースになりました。

 ところが、1年ほど前から、荷札の読み取りが終わった後、客がとり出したスマホの画面をレジ係が読み取り機でス キャン。客は何事も無かったかの様に支払い機を素通りして商品袋詰め台に向かう、というシーンを目にする様にな りました。最初は意味が分からず、「何であの客は支払いしないのだ?」と、鳩豆状態だったのですが、ある時に、それ こそが最近流行のスマホ(QRコード)決済なのだと気付きました。いや〜、ど田舎の平均的おばちゃんにクレカ支払い で先んじていい気になっていた自分は、いつの間にか着実に浸透しつつある最先端の支払い方法にすっかり取り残されて いたのだ、という現実を否応なく突き付けられた次第。

 いよいよ年 貢の納め時と判断。後継機種の購入を真剣に検討し始めました。実は、 2022年の段階で既に後継機種は iPhone12 mini と決めていました。SE 3rd Gen. では無いの は、単純にデザイン。SE2nd & 3rd 共 に 1st とは異なり、角の丸まったラウンドシェイプな本体デザインを採用。以前所有していた 4S、そして その次の 5S までの iPhone は角のあるスクエアシェイプを採用していましたが、2014年リリースの iPhoen6 以降はラ ウンドシェイプを採用しています。
 私はこのラウンドシェイプが嫌いです。何故嫌いかというと、手にした時の収まりが悪い、サイドの各スイッチを押す 感触が悪い、等々、手の中で落ち着きが感じら れないのです。もちろん、ごく個人的な感覚ですが…。
 メインストリームのラウンドシェイプはその後、2019年リリースの iPhone11まで続き ます。その間に、唯 一、スクエアシェイプを採用してリリースされたのが、2016年の SE 1st Gen. だったのです。私が4S の次の機種を SE にした理由の1つ目はそのサイズ感。そして、2つ目がその当時、iPhone シリーズの中でこの 機種が唯 一のスクエアシェイプである事でした。

 2020年春リリースの SE 2nd Gen. は、その当時のメインストリームに倣ってラ ウンドシェイプでリリースされました。一方で、メインストリームの方は半年後の 2020年秋リリースの iPhone12か らスクエアシェイプに回帰。その流れは 2021年秋リリースの iPhone13でも踏襲された にも拘らず、その半年後の 2022年春リリースの SE 3rd Gen. は、メインスト リームの流れではな く 2nd Gen. のラウンドシェイプを引き継いだのです。

 この時点で、 私の SE の後継機種は SE 3rd Gen. では無く、スクエアシェ イプを採用しているメインストリームにする事に決めました。iPhone 12には SE 3rd Gen. よりもコンパクトな、サイズ感的に辛 うじて許容できる mini と いうタイプが誕生したので、これで決まりです。この mini サイズは 2021年の iPhone13に も踏襲さた上に 12mini も価格を下げて継続販売される事に…。最新の性能を求めている訳 では無いので、後継機種候補は iPhone12mini のままです。ただ、状況はまださほど切 迫していなかったので、2022年 秋に iPhone14が リリースされたら、更に価格が下がる事を期待しつつ、拙速に手は出す事はしません。
 ところが、何とその秋の、iPhone14のリリースに伴い、継続販売される iPhone12 は普通サイズのみとなり、mini サイズカタログから消えてし まったのです。iPhone14には mini は設定されなかったので、mini サイズは 13mini だけに…。

 そのような経緯を踏まえて、今年に入って何となく SE 後継機種を検討し始めた時、「何も新品にこだわる事も無いな。」と考えるようになりました。「世の中には、7年間使ってきてボロボロの SE 1st Gen. よりも、段違いに良いコンディションの中古品が沢山出回っているはずだ」と…。

 そこで 6月中旬のある日、地元の中古 iPhone 取扱店に出向き品定め。有りました、有りました。古くは初代 SE と同じ 2016年にリリースされた iPhone7辺りから、最新の現行 iPhone14ま でゾロゾロ…。お目当ての iPhone12mini もスト レージ 64GB、128GB、256GB の各グレードについて、各色ピカピカの中古品が取り揃えられています。もちろん、価格もリーズナブルな中古品価格。どこか拍子抜けする程の品揃えです。余 りの呆気なさに、「これなら、欲しい時にいつでも買えるワイ」と思うと共に、9月中旬であろう iPhone15の発表後の方が、価格が更に低下するのではなかろうか?という浅ましい魂胆も湧き、購 買意欲が一気に萎えて一旦店を後にしました。

 それからほ ぼ2ヶ月後の8月中旬、(ボルボのブレーキランプが点灯しなくなったと同様に)我が iPhone SE 1st Gen. にウォーニングランプが点灯し始めました。何の前触れも無 く SIM カードを認識しなくなるトラブルです。その度、再起動か SIMカードの抜き差しをすれば戻るのですが、何度か続くと流石に「いつかリカバーしなくなるのでは?」と、不安になります。

 新型 iPhone の発表を待つ余裕は無くなりました。今度は本気で購入すべく先日のお店を訪ねます。
 ここでデジタル機器の相場の変化の激しさを実感。なんと、新型の発表を待つま でもなく、この2ヶ月の間に更に価格が低下していたのです。前回目星しを付けていた iPhone12 mini 128GB 53,880円(税込58,168円)が 52,800円と1,000円値下げした上に、何故かレジでの決済時には更に10%引きの 47,520円(税込み 52,272円)と、2ヶ月前よりも 6,000円も安価。
 どうやら、新型の発表後には3周遅れになって更に値下げせざるを得なくなるのが明白なので、その前にできるだけ売 り捌こうという魂胆 のようです。その証拠に、前回よりも明らかに在庫は減っていました。幸いな事に、希望していたストレージサイズと色 (グリーン)の組み合わせの個体が1つだけ(前回は3つ在庫)残っていたので、迷う事なくそれをチョイス。恐らく、 新型の発表を待っていたら、希望の組み合わせはゲットできなかったでしょう。

 中古の携帯電話を購入するのは初めてでしたが、大袈裟な箱、今更要らぬ充電器やケーブルなど一切無しに、でも、到 底中 古とは思えないピカピカの本体だけを、プチプチ緩衝袋に素っ気なく入れられた形で受け取る行為は、極めて簡便 で良いものだと思いました。

 帰宅後、早速 iPhoneSE のデータを12mini に移行。ここでここ 数年間の iOS の進化を実感しました。自分は、iMac に取り込んだ新たな音源を iPhone に同期する際、同時に iMaciPhone の完全バックアップをするように設定しているので、月に一回程度はバックアップを取っています。ですから、新しい iPhone を入手した時にはその iPhone iMac を ケーブルで繋いで、データを復元するのが常套手段でした。ところが、最近はより手軽なデータ移行の方法として、ク イッ クスタートという手法がお勧めだと…。いくつかの手順を踏んで新旧の iPhone を並べて置くだけで無線でデータが移行できるとの事。試してみると、確かにその通りで、あっという間に諸処のセッ ティングも含めて新旧のデータが完璧に移 行。ネット情報としては「LINE のトーク履歴は別途バックアップ&復元が必要」という解説されていましたが、結果的にはその必要すら無し。最後に SIMカードを差し替えて、いとも簡単に移行完了しました。

 SIMフリーが一般的になる以前、スマホショップの店頭で延々と要らぬ説明を受け「アクティベーションがどうたら こうたら」と、1時間以上拘束されていたあの時間は一体何だったんだ?という思いに至ります。

 ただ、後日判明した SIMカードに関するトラブルが一つ。それは、何故かインターネット共有、つまり、デザリングが出来ない事。共有しようとすると、「このアカウントでイン ターネット共有をオンにするにはドコモに問い合わせてください」というメッセージが出てそれ以上進めません。
 ネット でこのメッセージを検索すると、機種変更後、SIMカード挿入後の初期設定として、各キャリアの「APN構成プロ ファイルをダウンロードして設定する」必要があるという事。APNというのは「アクセス・ポイント・ネーム」の略。 「携 帯 電話網からインターネットへ接続する際の中継地点(ゲートウェイ)の役割を果たすもので、キャリアごとにインター ネットに接続できる中継地点が異なるため、その中継地点をスマホに教えこむための設定がAPN設定」と、詳しい説明 。契約しているキャリアのサイトの指示に従って事なきを得ました。
 
 新しい iPhone を手にして、そのハードウェアとしての進化を最も実感したのは、MagSafe 充電システム。iPhone にワイヤレス充電機能が装備されたのは、2017年の iPhone8以 降との事ですが、iPhone12か らは更に MagSafe という、iPhone 本体と充電器とを磁力でピタッとくっつける仕組 みが導入されています。
 iPhone を持ち帰ってから直ぐ、Amazon でスタンド式の MagSafe 充電器を見繕って注文。12mini がアクティブになった翌日から早々に使い始 めたのですが、これが実に便利。iPhone スタンドは以前から多々存在しましたが、それなりに重さもある iPad と違って、小型軽量で基本的に縦置きで設置する iPhone は、スタンドに置いても中々落ち着いてくれないのが常でした。しかし、MagSafe 充電器を仕込んだスタンドの場合は、iPhone 本体が磁力でピタッと固定されるので、びくともしません。そのステディな感覚が実に好ましい限り。充電中でもコードがブラブラしていないのも良い所です。


 
 もう一つ、ハードウェアの進化を実感させられるのは、イヤフォンジャックが無い事。iPhone で は、2016年秋りリリースの iPhone 7からイヤフォンジャックが廃止されています。つま り、2016年春リリースの SE 1st Gen. は最後のイヤフォンジャック搭載機種でもありました。まあ、自分自 身も含めて、世の中はその時点で既にワイヤレス・イヤフォンの時代に突入していたし、以前から Apple では機器の端子類を最新の物だけにシンプルにして行くのが定石なので、まあ、当然と言えば当然の話。
 しかし、今年2月の日記に書いたとおり、私は既に AirPods とはお別れしています。…ので、" Lightning - 3.5 mm ジャック 変換アダプター" という、余分なパーツを一つ購入せざるを得ませんが、まあ、これは仕方のない事。このパーツさえ有れば、充電に Lightning コネクターを使う事も無くなった現在の状況では、特段の不自由を感じる事はありません。

 さて、ソフトウェア(と一部ハードウェアも関係する)の進化を享受するために、スマホで決済する体制を整えます。SE 1st Gen.iOS15)もウォレット機能は備えていたので、クレカを登録して ネット上の決済に使う事は出来ましたが、(決済用の)通信機能が備わっておらず、店頭等の端末にかざしてクレカで支 払いす るタッチ決済 は出来ませんでした。PayPay、LINE Pay 等の QRコード決済については、それぞれのアプリを入れれば可能だったとは思いますが、そもそも使用機会が極めて限られている上に、支払ったお金の引き落とし 先の紐付け、あるいは後払いの手続きなど、煩わしい準備をするのが面倒で、これまでその体制を整えてはいませんでし た。

 一方、現行の iPhone であれば、ウォレットに事前にクレカ等を登録するだけで、Apple Pay というシステムで、タッチ決済が可能です。早速、手持ちのクレカを登録。ところが、勇んで店 頭で決済しようとすると、なんとクレカのタッチ決済(カード及びスマホ双方共)に対応している端末を備えているお店 が少な過ぎる。最も頻繁に訪れる(…といっても、1週間〜10日に一度程度ですが)JA スーパーのセルフレジも、 ガソリンスタンドのセルフレジも対応していません。両方とも、PayPay 等のスマホ(QRコー ド)決済には対応しているのは分かっているのですが…。
 仕方無しに、PayPay のアプリをダウンロードして準備し始めた所、なんと、つい今月(8月)1日から、紐付け出来るのは PayPay 名義の(クレジット)カードのみとなり、他社のクレカを新規に紐付けする事が出来なく なって いました。事前にクレカを紐付するには、新 たに PayPayカードを作らなくてはなら ない訳。 手持ちのクレカを出来るだけ最小限にしようとして いる自分としては、それは御免被ります。

 この理不尽な扱いについて色々調べて行くと興味深い事が判ってきました。PayPay は 2018年〜2019年にかけて、膨大な資金を投入して大胆なキャッシュバック・キャンペーンを繰り返し、一気に顧客獲得に出て、その目論見を達成した訳 ですが、他社クレカに手数料を払い続ける現在のビジネスモデルでは、そもそも黒字になり得ないのは明白との 事。その為、今年に入ってからは、顧客を自身の経済圏に囲い込み、かつ、黒字化を目指す為、付与するポイントの削 減、手数料のアップ、紐付け先を自前のクレカに限定する、といった諸処の改悪を連発し始めた由。2023年はス マホ(QRコード)決済サービスの転換点(メリット大幅減)になっている様です。

 一方で、VISA Master Card といった既存のクレジット カード発行元(銀行)は、無線通信機能を仕込んだプラスチックカードを発行し、ポイントも多く還元して、クレカによ るタッチ 決済を一気に広めようと攻勢に出ている様子。更に直近では、カード自体によるタッチ決済よりも、Apple Pay 等のスマホに仕込んだクレカによる、スマホタッチ決済の方がポイント還元率が高い、という状況になっています。スマホ決済の世界に於いて、クレジットカー ド業界の逆襲が始まっている様です。

 世界を広く見渡せば、公共交通機関の改札口など含めて、クレカのスマホ・タッチ決済が最も普及しているとの事。日 本はこれまで、様々な IT システムに於いて、先頭を走っているつもりだったのが、気付くと一周遅れだった、というガラパゴス状態に陥るケースが多々ありましたが、今回もどうやら同 様な結末になりそうな気配が濃厚です。

 私の住んでいる場所でも、徐々にスマホ・タッチ決済が可能な機器が増えて行く事を期待しつつ、今暫くは、財布から プラ スチック・カードを無くせない事を呪う日々が続きそうです。

 ちなみに、新しい iPhone12mini を使って、私が今日まで唯一タッチ決済できたのは、140円のお茶のペットボトルを、自動販売機の ID 支払いで購入した時だけです。