パイパー森の音 のある暮らし《2022年

2022/1/20
(木)

Lament for Patrick Og MacCrimmon with Donald MacDonald Variations
 今朝起きて、 いつもの様にフォローしている Facebook ページをチェックすると、PSのページに新しい投稿が…。PS Facebook ページは 殆どの場合が告知物で、単独で読み物というのは稀です。しかし、何故か今回の投稿は一つの曲につい て掘り下げた記事。それ も、Lament for Patrick Og MacCrimmon について。…とあっては簡単にスルーするわけにはいきません。朝食前からボケた頭で目を通す事に…。

 まあ、ある程度予想して通り、長年この曲に取り憑かれて来た我が身にとっては特段の目新しい情報はありませんでした。しか し、それはあくまでも《文字》情報に関しての事。《音源》情報について、意外な掘り出し物がありました。

 PS会員がアクセス出来るPSライブラリー音源の一つ として、Jack Lee による "〜 with Donald MacDonald Variations" という音源が紹介されていたのです(4番目の音 源)。その他の8つの音源については既知のモノでしたが、これは初耳。この様に PSライブラリーには粛々と音源が追加され ているので、日頃からチェックを怠ってはイケナイと反省した次第。

 ま、そんな反省はさて置いて、早速にこの音源を聴いてみました。ストレートに "Donald MacDonald Setting" ではなくて、"〜 with Donald MacDonald Variations" って一体何?と…。

 因みに、この音源のオリジナルは Lee and Sons のサイトの中、Jack Lee の演奏音源を提供するライブラリー bagpipemusic.com に於いて $5.50/曲で販売されている音源だと思われます。通常のバージョンも併売されているのですが、レアなバージョン故、この音源については PS会員向けに無償提供してくれたのでしょう。

 さて、実際に聴いてみて、そのタイトルの意味する所については直ぐに納得できました。確かに紛れも無くタイトル通りの演奏 スタイル。
 要約して言えば、基本的には Kilberry Book でお馴染みの Angus MacKay Setting に従った装飾音や(エコービートの)タイミングで演奏されています。 Urlar に続けて最初のバリエイションとして、Donald MacDonald Setting Var.1(S&D) を挿入する、という形です。

 DMセッティングの Patrick Og の装飾音として特徴的な4連符は演奏されていませんし、3連符についても Run では無くて、ごく普通の Cadence として演奏されています。ですから、長年聴いて来たバージョンに単に Donald MacDonald Setting Var.1(S&D) が加わっただけ、とも言え ます。ですから、意識せずに聴いている限りに於いては、特段の違和感は感じられないでしょう。

 さて、この奇妙な構成を一生懸命解釈しようとしていて、ある時ふと気が付きました。何と Jack Lee が演奏していたのは、単に PS Book No.3/P83 に掲載されているスコア(カッコで MacDonald Var. と記されたラインを省略せず)そのものでした。



 PS Book の楽譜は、"from ○○○○ setting" と書いてあっても、その実オリジナルを勝手に改変している例が多々ある、という事はこれまでも度々触れてきました(例えば⇒)。このケースも正にその例に漏れずです。MacDonald Var. とされて挿入されている部分は、実は Angus MacKay Setting と前後が上手く繋がるように、3連符の装飾音表記のみならず、その他の装飾音も都合よく改変されています。

 例えば最初の1小節はこんな感じ…。(左がオリジナルDMセッティング、右がPSバー ジョン)







 つまり、言うなれば「トラディショナル・スタイルの BtoB taorluath について、redundant B(私の造語)を除いてモダーンスタイルの BtoB taoluath に変更」と言った所でしょうか。

 その一方で、この悪辣な手法が通じない Var.1の2ndライン最終小節については、その様な変更をしていません。…が、しかし、ちゃっかりタイミングだけは変えている。







 事と左様に、 PS Books に於ける Primary Sources のオリジナルな姿からの恣意的改変には、重々気を付ける必要があります。Archibald Campbell Kilberry が 編集を取り仕切っていた Book10(1961 年)までは、特に要注意。改変自体が行き当たりばったりで首尾一貫していない為、オリジナルとは似ても似つかない物になって いる例が多々見られます。


 この様に、Jack Lee が演奏したこの楽譜は、ある意味では2つのセッティングの良いとこ取りをした《中途半端な解釈》と言えます。ですから、これま での私ならば、切って捨てていたかも知れません。
 しかし今回、私はこの Jack Lee の演奏自体には大いに魅せられました。

 最大の理由がJack Lee の演奏テンポが徹頭徹尾スローで情感溢れている事」です。

 2018年 Donald MacDonald Quaich の動画の 中で、Callum Beaumont によるこの曲の演奏を観る事ができます。《DMセッティングに忠実》という意味ではこの演奏の方が好ましいのは言うまでもありません。しかし、《表現の深 み 》と言う意味では、私は今回出会った Jack Lee の演奏の方を好みます。

 Facebook の記事の中でも、この曲の Malcolm MacPherson の演奏音源(PSライブラリーの6番目の音源)を紹介する中で "a historic recording that shows a slower speed than is often heard now, in the 21st century. " と記述されています。つまり、この曲に関しても、以前は現代に比べてかなりゆっくりしたスピードで演奏されていたのです。

 Urlar に 2:40も掛けて悠然と演奏している Malcolm MacPherson のその演奏ほどではありませんが、Jack Lee は通常のバージョンでも、今回のDM バージョンでも Urlar を 2:10 掛けて演奏しています。一方で、Callum Beaumont 1:50 と 20秒もアップテンポ。
 そのテンポの差はバリエイションに入っても同様で、Callum Beaumont14:40で演奏し終えてしまう同じ小節数(※)を Jack Lee 16:15と、1分半以 上も多く掛けてゆっくり演奏します。
 【※ Jack Lee が最後に Urlar を最後まで繰り返したと計算し、(DMセッティングには含まれない)Crunluath-a- mach(0:40)を除いた演奏時間の比較】

 いずれにせよ、Jack Lee のこの曲の表現を、私は大いに気に入りました。特に、DM セッティング(もどき)の Var.1(S&D)〜 Var.2(S&D)の表現については、やたら突っ走ってしまっている Callum Beaumont のそれとは全く別の旋律とも思える程に、情緒豊かな表現が印象的です。

 以前、Sister’s Lament について書いたパイプのかおり第27話の最後に 2018年9月に追記した際、「William MacCallum の演奏は中途半端なものだと分かった」と、否定的なニュアンスで書きました。
 しかし、今回の《ごちゃ混ぜスタイル》だが情感豊かな Jack Lee の演奏に出会ってみて「セッティン グと装飾音表現を、あれこれ良いとこ取りして好きな様に演奏する」のも有りなん じゃないか、と思える様になりました。今更ですが、ピーブロックの要はセッティング云々よ りも「その曲を如何に情感豊かに表現するか。」という事に尽きます。

 この PSセッティングのメリットは、割合とコンパクトなこの名曲をより長く楽しめる事。  
 Facebook の記事の "Putting this extra variation in does add 3 or 4 minutes to the length of the tune, but for one of the “great” tunes it is not over-long anyway."(こ のバリエーションを入れることで、曲の長さは3、4分長くなるが、「名曲」のひとつとしては、とにかく長すぎるということは ないでしょう。)という記述には、共感する所大です。

 
 Facebook の記事には、この DMバリエイション付き PS Book バージョンが 2022年 ObanInverness のシニア部門の課題曲になっていると書かれていました。様々な達人たちがどの様に表現するか? 今年の秋が楽しみです。

 こよなく愛する名曲 Lament for Patrick Og MacCrimmon についてあれこれ想いを巡らせる事が出来て、今日は実に楽しい一日でした。あ〜、これ だからピーブロックはやめられません。

2022/1/24
(月)

Pibroch Network
  2019年9月の J. David Hester の突然の逝去後、ほぼ2年間の休眠 状態の末に2021年9月、Alt Pibroch Club のサイトが更新された事は、2021年10月18日のこのコーナーで報告済み。…ですが、 それ以 来、新組織としての目立った動きは見られませんでした。例によって Barnaby Brown ならではのごくごく緩いペース?と言った風情。

 しかし、いよいよ本格的な再始動の気配です。
 1月22日夜に主要関係者によるオンラインミーティングが催された事が、1月23日付 Bagpipe News "A fresh start for pibroch inclusion" というタイトルで報じられました。

 記事に挿入されたリンク先を辿ると、どうやら後継組織のホームページは Pibroch Network(pibroch.net)と いうURLに移行した様です。相変わらず Alt Pibroch Club のホームページ (altpibroch.com)も存在していて、下部の同じページ にリンクしている場合もあり、そうでない場 合もあります(相変わらずのカオス状態)。

 Pibroch Network サイトトップページの Learning Living PibrochAPCのそれと全く同じバナーと文章) をクリックすると、以前のブログページを引き継いだ Pibroch Network Community Pages というタイトルのブログにリンク。そして、リニューアル最初の投稿が1/22付けの "Pibroch Network Webinar #1: Our Draft Mission, Vision, and Values" で、その中ではオンライン・ミーティングの様子も YouTube 動画としてアップされています。

 例によってサイトの構成がカオス状態なのは以前とさほど変わりません。
 ただ、Pibroch Network のトップページに APC Guide to Pibroch のバナーが表示される様になった事は、僅かな改善点。その他にも、サーバーが変わったらしくて、トップページの読み込みスピードが速くなっているの で、毎回ハラハラさせられる事も無くなりました。
 Webサイト制作の協力者も呼び掛けている様なので、今後、徐々にサイト構 成が整 理されていく事を期待したいと思います。

【1/29追記】
 早々にトップページのデザインや記載内容が変わりました。下部のペー ジタイトルも "Musical MaterialsCurated Pages" "Learning Living PibrochCommunity Pages" に変更されています。
 残念なのは、再び APC Guide to Pibroch のバナーがトップ ページだけでなく何処かへと消えてしまった事。

 ヤレヤレ。この混乱、まだ暫くは続く事でしょう。

2022/2/9
(水)

The First Piper in Japan
  昨日、2022/2/8付け Bagpipe News に昨年7月に亡くなられた山根先生を回顧する記事が掲載されました。

 筆者はあの Jeannie Campbell。この方、 歴史を紐解く事に関しては当代随一。

 ご当人としては、日本との関わりは無いと思われますが、さすが長年 Seumas MacNeill の片腕を担っていた方。
 山根先生が世界のハイランド・パイプ界に果たした功績や日本に於けるハイランド・パイプ(バンド)育成の歴史について微に 入り細に入り詳細にレポートされています。

 ただ、山根先生のご逝去そのものについては、つい最近知られたのかもしれません。そのためか、記事中には「2022年2月 に91才で亡くなった…」と誤記されています。

 書かれている活動時期にかなり重なっている私としては登場する人々の名前が懐かしい限りです。

 1983年の Seumas MacNeill 初来日 の記事については "Piping Times" 1983年9月号で紹介しています。そこに書いてある様に、記事全文もアップしてありますので、どうぞご参照下 さい。(近日中にデジタル化されるので、著作権云々は今更無意味ですね。)

 BNの記事の冒頭の写真は "Piping Times" 1988年9月号Dr John N. MacAskill による記事からです。

 2番目のパイプバンドの写真は1980年代初頭の St.Andrews Night 出演時の記念写真です。後列中央は、当時まだパイプバンドの一員として活動していた私の様です。前列右端が山根先生。左端は夏目さんだと思います。

 この記事の中で山根先生が亡くなった時期については単純ミスでしょうが、それ以外にも「Seumas が1993年に再来日した」という下りは?です。

 Seumas の初来日以降、秋の日本ハイランド・ゲームに合わせて毎年の様に誰かしら一流パイパーが入れ替わり来日していましたが、1992年、1993年については ピーブロックに特別に詳しい Angus J. MacLellan さんが来日。
 私は当時すでに東京パイプバンドからは距離を置いていましたが、この2回については山根先生から同じピーブロック愛好者と して来日中の一日について Angus J. の面倒を見る(その見返りにピーブロックの手ほどきを受ける)事を頼まれた経緯があります。
 ですから、1993年に Sumas が再来日していたのであれば、私が会っていない訳は無いと思うのですが、私にはその記憶が有りません。…?

2022/4/9
(土)

ビアンキで
ヒルクライム
 春めいて来た この時期は、息子のお下がりのビアンキのロードバイクでのヒルクライムが毎朝の日課。標高の高い場所にある山荘前の国道は途 中から未だ冬季通行止め中。でも、流石に4月に入ると通行止めゲートの向こう側も早々に除雪は完了しています。つまり、通行 止め解除までの半月程は国道を独り占めしてのサイクリングという訳。

 今朝も目的地まで一気にヒルクライム。暫し休んで汗を乾かし下ろうと思った所、前輪の空気入れのバルブがシューシュー言っ ている。出掛けに空気を入れた際にバルブを締めるのを忘れていた?と、急いでキャップを外してバルブを締ようとするが、どう も締まってはいる様子。大体、バルブを締めなくても簡単に空気が抜けるとも考え難い。
 まあ、原因はどうであれ空気の抜けたタイヤでは走れないので、自分の脚で下る事に。下りオンリーなのでめげる事なく、ロー ドバイクのハンドルを支えつつ、ビンディングのクリートをカチカチ言わせながらのウォーキング。傾斜がキツい箇所では走って 下り、4.7km&標高差250mを37分で下り切った。

 通常、サイクリングではポケットに入れた iPhoneの万歩計は殆どカウントされないのだが、下りのウォーキング&ランで17,000歩以上カウント。いつもは運動にならないダウンヒルも、今日 に限っては良い運動になりました。

2022/5/9
(月)

Joseph MacDonald Memorial prize
 2022/5/6付け Bagpipe News"Ian K. MacDonald wins the inaugural Joseph MacDonald Memorial prize for piobaireachd" という記事が掲載されました。

 今まで聞いたことが無かった賞の名称なのでビビッと反応。

 アメリカ、サウス・カロライナ州チャールストンで新たに開催される様になった、ピーブロック・コンペティション(という か、リサイタル)のレポート。イベントは CDLT(Clan Donald Lands Trust)が 後援していて、ジャッジに Dr. Angus MacDonald が 来訪しています。記事中にリサイタル全体を収録した 2時間弱の YouTube 動画が張り付けられているのは有り難い限り。

 4人のパイパーが演奏していますが、各人とも素晴らしくチューニングされたパイプ、かつ演奏内容も非常に高レベルです。
 特に、好印象なのは各人とも最後の Urlar をきっちりお仕舞いまで演奏する事。恐らく、Dr. Angus MacDonald のアド バイスにより、彼が仕切っている Donald MacDonald Quaich で実践しているスタイルを踏襲しているのだと思われます。

 新しい場所での新しいイベントらしく、司会者の女性も含めて聴衆の多くがピーブロック初心者と想定されます。それ故なので しょう、この特殊な 楽曲の性格や、演奏前に何故チューニングが必要なのか等、解説も丁寧にされているのが微笑ましく感じられます。
 これまで何度も書いていますが、偏ったハイランド・パイプ音楽好きの聴衆よりも、この様な純真無垢な聴衆の方が素直にピー ブロックを鑑賞してくれるのが常。演奏後の温かな拍手からも、その場の和やかな雰囲気が伝わって来ます。

 なお、受賞した Ian K. MacDonald の曲は記事に書いてある Lament for Patrick Og MacCrimmon では無くて Lament for Donald Ban MacCrimmon です。

演奏者、曲目、演奏時間は次の通り。
  • Alex Gandy "Rory MacLeod's Lament" (9:06〜23:55)
  • Nick Hudson "Lament for the Laird of Annapool"(29:50〜47:40)
  • Ian K. MacDonald "Lament for Donald Ban MacCrimmon"(54:00〜1:17:45)
  • Ben McClamrock "Bells of Perth"(1:24:24〜1:38:38)
 各人とも、演奏前に5分間のチューニングタイムが与えられている様で、上記時刻の凡そ5分前からチューニングが始まりま す。チューニング自体も時間が限られているので、鑑賞していても退屈しません。

 最後の Urlar をきっちりお仕舞いまで演奏する事によって、それぞれの演奏は私の手元にあるその曲の音源の中で最も長い音源となっています。つまり、どれもたっぷりと楽 しむ事が出来るという事。

 特に Donald Ban に至っては24分超えとなり、ピーブロック最長の楽曲 "Lament for the Harp Tree" の各音源と並びます。Ian K. MacDonald のチューニングは 50分過ぎに始まりますが、Mary MacLeod 〜 Desperate Battle のバリエイションを淡々と奏でるそのチューニングから、Donald Ban の最後の Urlar まで、30分近くに及ぶ演奏を聴いていても全く飽きる事がありません。
 これまで、この曲は「いささか凡長に過ぎる」と感じていましたが、今回の演奏を聴いて、その様な印象がすっかり払拭されま した。甲乙付け難い今回の4人の演奏の中でも、やはり少しだけ頭抜けた名 演だと思います。

 また、Nick Hudson による Annapool ラメントも秀逸。これで14テイクになったこの曲の音源コレクションの中でも、トップ1か2レベルと思われる、情緒溢れる名 演奏です。

 ジャッジを務めた Dr. Angus MacDonald も、最後の授賞式の挨拶で「今回の4人の演奏は甲乙付け難かった」と言っていますが、それはお世辞などでは無く、率直な感想 だと思いました。

 その少しだけ頭抜けた一人を称えつつ、その他には順位など付けない(付けられない)今回の授賞方法も、好ましい考え方だと 思いました。実質 的にはリサイタルなのですから…。

2022/8/4
(木)

信州ダントツ話
(その1)
 信州の山間部 にほぼ定住し始めて3年ほどが経ちます。日頃、食料品は生協さん、日用雑貨等はクロネコさんにほぼ全面依存しているので、 20kmほど離れた麓の市街地に出向くのは、たまの通院やホームセンターにあれこれ買い出しに出向く時だけ。

 ちなみに、通院先は、定期的に降圧剤や湿布薬を処方してもらう市営の診療所、胃カメラや大腸カメラを受けたり、コロナワク チン接種を受ける内科、間違って鎌で指先を切り込んでしまった時に飛び込んだ整形外科、ツタウルシで被れたり、虫に刺され過 ぎてアレルギーを起こした際に出向く皮膚科、跳ねた枝が眼球を直撃した際にお世話になった眼科、定期的にメンテナンスに行く ための歯科、etc. …といった具合に世の高齢者ならではのオールメニュー。この3年間でほぼ全ての診療科目に掛り付けのお医者さんが出来ました。

 さて、話はすっかり逸れてしまいましたが、その様にして時折、麓の街に出向いた際に気付かされるのは、この地の「横断歩道 で歩行者が待っていた場合、車は止まって歩行者を渡らせる」という清く正しいマナー。そもそも地方都市は、車社会故に街中で も歩行者はごく稀。だから可能とも言えますが、やはりドライバーの日頃の心掛けは東京人のそれとは確実に違うと思います。
もちろん、私も今ではこのマナーすっかり馴染んでいるのですが、小中学生を渡らせたりすると、その子たちは渡り終えた後に必 ずこちらを向いてお辞儀をしてくれるのです。いや〜、気持ち清らかになりますよ〜。
 そんな私でも、横断歩道で待っている人を発見するのが遅れてタイミングを逃し「アッ、ごめんなさい」とスルーした事があり ました。すると、なんとどこからともなく白バイが現れて、次の信号でストップした私の車の横に止まって(心臓バクバク)「運 転手さん、さっき横断歩道に待っている人が居ましたよね。今度から止まってくださいね。」と優しく指導(ホッ…)。世田谷ナ ンバーなのでその時は注意だけで見逃してくれた様でした。

 この様な清らかなマナーに慣れた自分は、たまに東京に帰った際に、自宅から出て直ぐの割と交通量の多い道路の横断歩道に 立った時など、絶対に止まらないで通り過ぎる車の数々に石を投げたくなります。(ちっちゃな人間だね〜)

2022/8/11
(水)

信州ダントツ話
(その2)
 実は(その 1)は巷ではある程度知られている事。前捌きとして紹介しました。本当はつい最近知ったこの(その2)の話題を紹介したかっ たのです。
某公共放送のローカル時間帯の番組から。
 なんと「長野県は制服の無い高校の割合がダントツ」との事。
 制服が無い事情を紐解くと、それはまるで自分が歩んで来た道そのものだったので、2度びっくりした次第。
 思い起こせば、都立新宿高校への最初の登校日、校長先生が前方の演台上から私たち新入生に挨拶している間、背後からはヘル メット姿の先輩たちが「君たちは〜! 何のため〜!  何たらかんたら〜!」と拡声器でアジっていましたっけ。うぶな私は一体どっちに耳を傾けるべきなのか?と、狼狽た覚えがあります。
 そして、一年生(1970年?)のある日のランチタイム、生活指導の先生が校内放送で「明日から制服は廃止されます」と突 然宣言。私の辞書から「制服」という2文字があっけない程にパッと消えて無くなった時の衝撃は、今でも忘れられません。この 記事にある長野高校の当時3年生だった方々と同様に、その前年に校長室を占拠した先輩たち(後日、それぞれの世界でかなりの 名の知れる様になった方々です)に「ありがとう!」というべきだったのか…。
 当時、同じ道を歩んだ地方は多かったはずですが、東京も含めて大きく揺り戻された中、信州では何故この様な状況が今も根強 く続いているのでしょうか? 報道の中では「信州には生徒の主体性を尊重する風土があった」とありますが、それだけの理由な のでしょうか? まあ、理由はどうあれ、この事実に関しても信州が更に愛おしくなりました。

【補足】信州あるある話
 長野県民にとって「長野」という言葉は、第一義的には「長野市」の事を意味し、県域を表現する場合には意図的に「信州」と いう言い方をするそうです。特に松本市民の前で「長野県の松本市」などという表現は絶対にヤメた方が良いとの事。信州では 「県庁所在地たる長野市」vs「国宝松本城と県内唯一の空港がある松本市」の深〜い溝は相当なモノ、らしいです。…なので、 私も最近は行政上の長野県域を指す際にはあえて「信州」という表現を使う様にしています。

2022/8/10
(水)

Piboch Network Launched New Web Site
 Alt Pibroch ClubPibroch Network と名称を変え再スタートした事については、2022 年1月24日のこのコーナーで報告しました。
 ただ、高らかに再スタートを宣言した割には、その実サイトの手直し作業も道半ばで、あれこれカオス状態。そして、その後も サイ トが根本的にリニューアルされる事も、Community Forum への新規投稿も一切無し。少なくとも実質的にはここ半年間以上、またもや休眠状態に入った感が有りました。

 ところがどっこい、実際にはこの間に、新たな運営体制(資金面&人的資源)づくりが着々と進んでいた事が判明しま し た。

 8月6日付けの Bagpipe News"The Pibroch Network launches with a £200,000 boost" というタイトルの記事が 掲載されました。要約すると Pibroch NetworkThe Louis Sterne Trust という基金から20万ポンド(現在のレートで約3,200万円)資金提供を受け、運営面に於いては Royal Conservatoire of Scotland(英国王立スコットランド音楽院/RCS)が 深く関わる、といった内容の様です。

 このニュースを読むまで見逃していましたが、当の Pibroch NetworkCommunity Forum に、ニュース前日の8月5日付けの "New site launched with a permanent endowment within the Royal Conservatoire of Scotland" というタイトルの投稿で、この事が報告されていました。また、RCS 自身も同日8月5日付けでこの方針についてのメディアリリースを発表して います。
 新たな運営体制、目的とする活動内容などについては、これらのメッセージや新しいサイトに目を通して、ご理解下さい。

 私の様な者が、その全体像と意義を完璧に理解したとは簡単には言うべ きではないでしょう。しかし、少なくとも、妙な固定概念に囚われる事なく、バイアスの掛からない思考であくまでも真摯かつ学 究的にピーブロックという崇高な文化を解析し、生かし、伝え、未来に繋げて行こうとした、故 J David Hester の崇高な志を受け継ぐ体制が確立された事、そして、その活動を支える財政的基盤と適切な運営体制が得られた、という事に心から賛辞を送りたいと思います。

 もしかしたら、これまでピーブロック文化保護伝承の唯一無二の主体として、1903年、当時の(実際の演奏者で は無くて、鑑賞する側の)権威筋によって設立された The Piobaireachd Society はいよいよその使命を終えて、今後はこの新たな The Pibroch Network にその役割を引き渡す時が到来したのかもしれません。もし、そうであるなら、故 J David Hester の膨大な尽力が見事に報われた、という事になるのではないでしょう か?

2022/9/1
(木)

   30年前の "Piping Times" シリーズの今後について
 2021年5月5日のこのコーナーで、NPCのクラウドファン ディングの話を書きました。資金集めの目的は "Piping Times" など、現在では入手困難となっている幾つかの古い定期刊行物のデジタル化を進める事、また、"The Piping Times Annual" という紙媒体の定期刊行物(年一回)のリリースでした。
 "The Piping Times Annual" の方はほぼ予定通り、2021年11月末にリリースされ、私の手元に12月中に届いた事も報告済み。そして、その哀しい内容につい ても年末に報告した通り です。

 一方で、過去の定期刊行物のデジタル化の進捗については、資金集めがスタートから一年以上経過しても、音沙汰がありません でした。まあ、特に "Piping Times" については、71.5年分(つ まり、858冊!)にも及ぶ膨大な量なので、そもそも一朝一夕に完了する事は期待していません。
 それどころか、これまで英国の方々と付き合って来た経験からすれば、計画立案から目的達成までに数年間掛かる事、挙げ句の 果てには達成未達で終わる、といった顛末になったとしても、特段、驚く様な事態ではありません。

 ところが、2022年8月30日(火)夜、NPCの担当者から "Crowdfunder Update - Website now Live!" というメールが配信され、何とこの壮大かつ極 めて意義あるプロジェクトが無事に完了した旨が知らされました。
 それによると、当初の計画よりも更に広範な貴重な各種資料がデジタル化され、NPCのウェブサイトのアー カイブ・セクションとして、誰もが自由にアクセスできる様に設えられたとの事。
 ちょっと微笑ましいな思ったのは、このメールはクラウドファンド出資者宛で「まずは、誰よりも先に出資者だけにアクセス可 能になった旨をお伝えいたします。来週(9/5〜)になったら公にする予定なので、それまでは出来れば SNSなどで情報を拡散する事は控えて欲しい。」というお願いが書かれていた事。熱い心を持ったパイピング支援者たち(支援者一覧)が、この偉業達 成を知って、黙って居られる訳がありません。ですから、このお願いは殆ど無意味だと思いますが…。

 いずれにせよ、言葉通りに来週早々には、Bagpipe News 等で大々的に宣伝が始まる事だと思います。ですから、今となってはもう五十歩百歩なので、黙って居られない興奮気味の支援者 の一人としてフラ イングでお知らせしてしまいます。アーカイブの URL は次の通りです。今の時点で既に誰でもフリーアクセス可能です。ぜひ、ご覧あれ…。


 さて、30年前の "Piping Times" シリーズの インデックスページの冒頭に書いていた様に、私の手元に初めて届いた "Piping Times" 1977年10月号(Vol.30 No.1)は、創刊からジャスト30年目のスタート号。そして、本日 2022年9月1日に アップロードした 1992年9月号(Vol.44 No.12)は創刊44年目の 最終号。つまり、このシリーズでは、これまでに丸々15年分・180冊の内容を紹介した事にな ります(厳密に言うと入手不可だった1981年9月号除く179冊)

 実にキリのいいこのタイミングで、過去全ての "Piping Times" がデジタル化されて、誰 もが閲覧 可能になったという事には、何かしらの因縁を感じずにはいられません。
 冒頭文の最後に「シリーズが完結するのは 2029年9月1日で、その時の私は74歳。果たして、シリーズの完結が先か私の命が果てるのが先か、どちらでしょう?」と書きましたが、まさかそれまで の間に、この様な全く別の展開が有り得るとは、思いも寄りませんでした。

 このシリーズを始めた理由は次の2点に集約されます。
  1. (20世紀末までの)30年前の "Piping Times" の毎月号を概観し、興味深い記事や内容について紹介する。
  2.  特にピーブロックに関する記事については(英語力に乏しい自分は 英語で読んでだけでは内容を理解できたとは言い難いので)ある程度日本語化する事によって理解を 深め、また、いつでも読み返す事が出来る様にアーカイブする。
 この内、1. については、今回の NPCアーカイブの誕生によって完全 に意味が無くなりました。そこで、自分の命が続く限り 2029年9月号まで続けるつもりだった毎月号の誌 面紹介 は、予定よりも7年早く、今回の 2022年9月号をもって終了と致します。

 一方で、2. については、あくまでも自分自身にとっての価値は不変なので、インデックスページに掲載し ている「パイピング・タイムスのピーブロック関連記事一覧」のリストに沿っ て、読解&紹介(&アーカイブ化)が必要(かつ可能)と思われる記事については、今後もこれまで通りコンテンツを作って「パイプのかおり」シリーズの記事 等としてアッ プロードを続けるつもりです。
 更に、これまで手元に無かった 1948年10月号〜1977年9月号に於けるピーブロック関連記 事についても、同様の取り組みをして行こうと考えています。

 逆説的に言えば、残りの7年分に加えて、1977年9月号以前の30年分のピーブロック記事の読解に真剣に取り組もうとす るのであれば、毎号のコ ンテンツ作成に費やしていた労力と時間をそちらに振り向けない限り、この膨大な量の情報に、目を通すことすら叶わないと思う のです。

 結果として、30年前の "Piping Times" シリーズと称していたページは、今後は名称を変更 する事になろうかと思います。

2022/9/8
(木)

   NPC Archives Live!
 日本時間の今 朝未明(現地時間の9/7夕方)着のメーリングリストで、漸く NPCか らアーカイブに関する発表がありま した。何故か、News ページでの同時告知は有りません。(その後、9/10に記事掲載



  "Piping Times" のデジタル版、覗いてみましたか?
 お知らせし忘れていましたが、デジタル版は文字認識可能なフォーマットになっています。つまり、読みたい記 事に出会ったら、テキストをコピーして翻訳ソフトに掛けると(ちょっと怪しい)日本語になるので、原文と照らし合わせながら 読み進めば、かなり楽できます。

 早速試しに、あの超難解な Frans Buisman の記事を一つ選んでトライしてみた所、英語的には割とスンナリと理解できる感じがしました。でも、そもそもの楽理的知識の無 さはなんともし難い所。…ですが、この手を使って過去のこの方の記事に再トライしてみようかな? と思わないでも有りません。少々怪しくても文章だけでも直ぐに日本語化できるのは実に有難い限りです。

 テキストが文字認識可能だと気付いたのは、タイトルの下にいきなり検索窓が設けられていたから。説明として、全てを串刺し した検索が可能と書かれています。
 検索結果としては、左側に5つの冊子&資料それぞれのヒット数が表示されると共に、右側に個々の資料が表示されます。後 は、興味の沸いたヒット結果をクリックするだけ。
 検索ワードをあれこれ入れて、ヒットした記事に目を通す、という取り組み方も楽しそうです。

 いや〜、本当に良い時代になったものです。もう、ボケた頭で翻訳するためにウンウン唸る必要が無くなりました。



 早速、これまで「30年前の "Piping Times" シリーズ」と称していたページのタイトルを「 "Piping Times" を振り返る」と いうタイトルに変更。リード文を書き直しました。どうぞご確認下さい。

2022/9/27
(火)

A Piobaireahd Diary と Binneas is Boreraig の音源

 一昨日 9月25日はパイパー森の誕生日。その夜遅くなって配信された Robert  Wallace から届いた PS President's Newsletter に素晴らしい2つのプレゼントが込められていました。

 一つ目は、パイプのかおり第24話で紹介した Bill LivingstoneA Piobaireachd Dairy というCD4枚セットに収録された音源が全て、PSサウンドライブラリーに アップロードされたとの事。まあ、これは自身にとっては今更メリットは有りませんが、今では入手不可能になっているこの音源 を持っていなかった PS会員にとっては、大きな朗報のはずです。

 そして、自身にとって何よりも大きなプレゼントになったのは、パイプのかおり第14話で紹介している、楽譜集 "Binneas is Boreraig" の収録曲の Malcolm MacPherson 自身による演奏音源が全て揃った事。この音源について詳しく紹介しているパイプのかおり第34話に次の通り追記しました。
 2022年9月に NPCアーカイブが 開設され全ての "Piping Times" バックナンバーに目を通す事が可能になりました。そこで遡ってみると、1969年5月号に "BINNEAS IS BORERAIG - Details of Books and Records" という告知記事が掲載されていました。どうやら、その当時、6冊セットの楽譜集と併せてLPレコード11枚セットの音源集も販売された様です。レコードに 収録された各10曲づつ総計110曲のリストが掲載されています。

 つまりこの企画は、この LP11枚セットの音源を6枚のCDとしてリリースする予定だった様です。たかがそれだけの事を何故一気にやり切ってしまわないのか?とても不可解です が、兎にも角にも Vol.5とVol.6は、その後の13年間に渡って一切日の目を見る事はありませんでした。

 時は下って2022年9月、これらの音源は幸いな事に Robert Reid の音源集と同じ顛末を辿る事になりました。つまり、既に以前から PSサウンドライブラリーにアップロードされていた Vol.1〜Vol.4の77曲の音源に加えて、Vol.5とVol.6に収録される予定だった残り33曲が追加でアップされたのです。苦節13 年、これで漸く Malcolm R. MacPherson が残した音源が全て(※)揃いました。⇒ PSサウンドライブラリー(会員のみ)

 ※ 子細にチェックしてみると、楽譜集に収録 されている112曲の内 "Desperate Battle (of the Birds)" と "Castle Mezies" の2曲については何故か音源リストに載っていません。よりによって前者が無いのはちょっと残念です。

2022/10/1
(土)

 "Piping Times" を振り返る作業

 過去15年 間、毎月の後半は「 30年前の "Piping Times" の読み込み〜紹介記事のセレクト〜逐語訳、要約、抜粋、サジ投げ etc.…〜コンテンツ作成」という一連の作業を楽しんでいました。
 自身が置かれているその時々の状況や、その号のネタの多寡によって、盛り沢山な記事が あっという間に仕上がってしまう時もあれば、適当なネタが無くてスペースを埋めるのにやたらと苦労する時もありました。
 思い付くまま気の向くままにあれこれ書き散らしているこのサイトのコンテンツとしては、唯一定期的にアップロードする事 を自身に課した稀なページ。日頃、悠々自適な暮らしに終始している身にとって、この様なプレッシャーの存在も必要だったと言 えます。

 先月も当初は、そんなルーティン・スケジュールから解放され、何やら以前に勤めを早期退職した時にも似た解放感を感じまし た。しかし、NPCアーカイブには膨大な量の未読コンテンツが山盛り。いつまでもそんな解放感に浸っている暇はありません。 毎号のコンテンツ作成に費やしていた労力と時間を有効に使うのみです。

 9月後半からバックナンバーを遡ってめくり、ピーブロック関連記事のチェックする作業を開始しました。興味深い記事に出会 う毎に読み進めていたら、いつまで経っても作業が完了しないのは目に見えているので、中身を読みたい気持ちはぐっと抑えて、 まずは目次と全体をざっと閲覧して目ぼしい記事をセレクトしていく作業に専念。セレクトした記事は「ピーブロック関連記事一覧」リストに追加した後、通巻 No.&年月にアーカイブ該当号への直リンクを張りました。

 各号の目次をチェックしていて気付いたのですが、なんと目次の項目から該当ページへのリンクが張られているケースがありま す。正確に言うと、リンクが正常に機能するのは殆ど稀と言ってもいい程の割合いですが、少なくとも今回のアーカイブ化に際し て、その様な細かな作業にまで取り組んでいる作業担当者の真摯な姿勢には頭が下がりました。(欲を言えば、表紙写真が斜めな のが多いのはなんとかして欲しい所ですが…。)
 
 9月末までには、どうにか創刊号〜1977年9月号までの30年分・360冊!の チェックを終 え、リストを完成させる事が出来ました。並行して、既にリストが出来ている1977年10月号〜 1999年9月号についても、リストの左端の通巻No.&年 月にアーカイブ該当号への リンクを張りました。更に、誌面紹介済みの1977年10月〜1992年9月号の それぞれの紙面の表紙下に記載している年月&通巻No.にも同様の直リンクを張り、紹介ページ閲覧時にオリジ ナル誌面を簡単に参照できる様に設えました。

 さて、1977年以前の30年間というのは、自分の生年を挟んで更に 向こう の遥かな昔に至ります。ですから、誌面で目にする情報は、当然ながら歴史上の出 来事という印象です。その様な記事を目にして感じるのは、自分がこれまで読み知ってきたこれらの様々な歴史的出来事について、同時 代の視点で生々しく描かれている事から来る臨場感です。
 Malcolm R. MacPherson
Robert Reid John MacDonald of Inverness 等の著名パイパー達、更には Archibald Campbell of Kilbery といった権威筋の死去を知らせる追悼文からも、その様な感覚は湧いてきます。
 
 中でも特に印象的だったのは、かの John Burgess が弱冠16才でダブルゴールドメダリストに輝く衝撃的デビューを飾った1950年 Argyllshire Gathering & Northern Meeting の様子を報じた 1950年10月号。まだ中 身を詳しくは読んでいませんが、その後の号(ex.1950年12月号)からも、その当時のハイランド・パイプ界を揺るがした衝 撃の大きさがヒシヒシと伝わって来ます。

 しかし、何と言っても今回の発掘作業を通じた最大の驚きは、あの George Moss の投稿記事が3度(1953年4月号1956年8月号1957年5月号)も登場し ているという事です。これが何故意外なのかと言えば、1990年10月号のエディトリアルに 於いて、Seumas MacNeill は、当時亡くなったばかりだったはずの George Moss に対して、極めて辛辣な言葉で攻撃しているからです。当然ながら、その年のどの号にも George Moss の死去について一切触れられていません。

 この事から推測できるのは、当初は大きな偏見無く扱われた Moss のこれらの記事が掲載された後、その内容に反感を持った Archibald Campbell of Kilberry 等の権威筋から湧き起こった猛烈な Moss 攻撃の流れに、Seumas MacNeill も乗ってしまった。あるいは、立場上そうせざるを得なかったのでは無いでしょうか。
 いずれにせよ、極めて意外な "Piping Times" 誌面への George Moss の記事掲載の事実が発見できたのは、今回の 歴史探索の最大の収穫でした。

 因みに "Piping Times" 誌上で George Moss が完全に復権するまでには、彼の記事が掲載された頃から実に60年経過した2015年3 月号PDF版デジタル版)まで、待たなく て はなりません。

 今回、ここまでの作業をやり終えて思ったのは、一応1999年9月 で仕切りをしている "Piping Times" のピーブロック関連記事のリスト作りも、どうせなら 2020年3月の最終号までやるべきだろうな、という事。更に言えば、"Piping Today" に関 しても同様の扱いをするべきかと…。近年の "Piping Times""Piping Today" のピーブロック関連記事もそれなりに読み応えのある記事が存在する のも事実ですから。

 いずれにせよ、これからは、出来上がったリストに従い、来る冬の夜長にそれぞれの記事に目を通して行く歴史探索作業が、 楽しみで楽しみで 仕方ありません。

 あ〜、それにしても残された時間が足りそうに無い。これらの記事に目を通し終わるのが先か、自分の命が果てるのが先か、ど ちらでしょう?

2022/10/2
(日)

Fred Morrison
による
Lament for Patrick Og MacCrimmon


 10/1〜の Pipelineのピーブロックは Fred Morrison による "Lament for Patrick Og MacCrimmon(with Donald MacDonald variations)" です。先日開催された The Northen Meeting 2日目の Clasp 2nd の演奏。

 Gary West は特段触れていませんが、今年1月の音 のある暮らしで書いた様に、今年の PSセットチューンとして Patrick Og のこの PS Book バージョンが選ばれています。

 これで漸くこのバージョン2つ目の音源がゲットできました。それにしても、よりによって Fred Morrison とは…。この方の、この曲の音源はこれまで聴いた事が無かったので、それだけでも嬉しいのですが、なんとこのバージョンで聴けるとは…。

 そして、その演奏は期待に違わず素晴らしい。彼の十八番の "The Earl of Seaforth Salute" で魅せる悠々たる演奏と同様に素晴らしい表現です。Urlar も 2:25と、Jack Lee の それよりも更に悠然としていて聴き惚れます。早速、この曲をお気に入り音源として、プレイリストに追加しました。

2022/10/6
(木)

  "Piping Times" ピーブロック関連記事リスト完成

 9月半ばから 開始した、1948年10月創刊号〜2020年3月最終号、のべ 858冊"Piping Times" からピーブロック関連記事をリストアップする作業が終了しました。⇒ リスト

 「ピーブロック関連」とは謳っていますが、つまりは「私が読みたいと思う記事」のリストであって、厳密に言うと「何がピー ブロックに関連しているんだ?」という様な記事も多々あります。また、ピーブロック・ソサエティーの講演録や、例えば Jeannie Campbell の連載物など、後日きちんとした 印刷物や本になった記事などはあえて拾い上げていません。その他、毎年の PSセットチューンの解説&歴史背景の記事はリストアップしませんでした。そこに登場する全ての曲名を書き出していったら、それだけで更に100 件は超してしまうでしょう。また、歴史背景的を知る為には Haddow の 本など、他に参照する本が多数あるからです。

 その結果、リストアップされた記事のタイトル数はおよそ 570になりました。中にはこ の雑誌の長年に渡る歴史故に、後年になって二度目の掲載をされた記事もあります。既に紹介済 みの1977年10月〜 1992年9月号の記事数が 145件なので、未読記事は差し引き概ね 425件
 量の多寡は様々ですし、おおよそ、その様なタイトルの記事が有った事を記録する為にリストアップしただけで、今更敢えて丹 念に目を通す必要の無い記事も多々あります。

 そうは言ってもこの膨大な量の記事を前にすると、武者震いがして来ますね〜。人生、退屈している暇はありません。

 でも、今は敢えて "Piping Today" の記事リスト作りを一気にこなしてしまおうと考えて いる所。なんと欲張りなのでしょう。

2022/10/7
(金)

  "Piping Today" ピーブロック関連記事リスト完成

 ピーブロック 愛好家にとっては殆ど読む記事の無い "Piping Today" らしく、2002年10月リ リースの No.1〜2020年5月の No.101最終号までの延101冊に、ざっと目を通し て目ぼしい記事をピックアップする作業は、昨夜の内に早々に終わってしまいました。つまり、作業にはほぼ半日費やしただけ。⇒ リスト

 リストアップされたタイトル数は36件。101冊から36件というのはそれなりの数かという印象もあります が、分母となっている101冊の総ページ数は優に5,000ページを超え、判型も大きいのでトータルの情報量は半端無いハ ズ。目次だけ目を通して直ぐに閉じる号も多々ありました。
 また、一度読んだら2度と読まないであろうインタビューやレビュー 物、その時々のトピック的な記事など、 "Piping Times" の基準だったら直ぐにスルーしてしまう様な記事も無理して拾い上げています。そんな記事は、恐らく読んだ後にはリストから削除する事になると思います。

 想像は付いていましたが、残しておきたい記事の大半は Barnaby Brown の研究成果。更に言えば、その多くは以前からチェック済みで、既に PDFファイルが手元のフォルダに入っています。

 その様な呆れた状況の中でも極めて興味深い記事も発掘できました。それは、No.49〜No.51の3号に 渡って連載されている "The Piper’s House" というタイトルの記事。
 No.49の目次にはこのタイトルしか表記されていなかったので、うっかりスルーする所でしたが、該当ページを捲った 時、"by Hugh Cheape and Decker Forrest" という名前に「おっ!」と敏感に反応。リードのテキストをコピーして翻訳ソフトに掛けてガテン。The Mackays of Raasay に関する文化的&社会的背景に関する研究レポートととの事。シメシメ、これはかなり楽しめそうです。

 さあ、いよいよ秋の夜長にこれらの読み物にじっくりと目を通す、楽しい日々を開始する事にしましょう。

 蛇足ですが、2002年創刊の"Piping Today" は、この 20年間のハイランド・パイプ&その他バグパイプを取り巻く情勢の移り変わりを克明に記録しています。そんな101冊を次から次へと捲っていて、気付いた 事が あります。

 それは「現在のハイランド・パイプ&その他バグパイプを巡るムーブメントには、私は到底馴染めないな〜」と いう事。派手な ステージ写真や大嫌いなパイプバンドのお揃い衣装に溢れた誌面は、やたらギラギラしていて辟易。ページを捲る作業をしているだけで、やたらと眼が疲れまし た。…なので、なるべく早く作業を終えたい一心から、目をしょぼつかせながら夜更かしして作業を終えた、というのが事の顛 末。あ の派手な誌面から 解放されて漸くホッとしている次第。ヤレヤレです。

2022/10/10
(月)

  "International Piper" ピーブロック関連記事リスト完成

 今回のクラウ ドファンディングによる雑誌のデジタル化作業の成果として、当初告知されていた以上の刊行物が並んでいた事も予想外でした。

 "Piping Times" のバックナンバーから目ぼしい記事を拾い出す作業は、まずは当初から予定していた事ですが、それが終わると欲が出て、↑の様に "Piping Today" の記事探索をしてしまった次第。そして、自然な流れで、その前身の "Notes from the Piping Centre" にも目を通して、全18冊から6件の記事を拾い出してリストに追加しました。

 さて、もう一つ "International Piper" という雑誌がデジタル化されています。これはどんな雑誌だったのでしょう? 
 説明によると Captain John A. MacLellan と奥様の Christine さんが1978年〜1981年の3年間だけ刊行していた雑誌との事。確かに、当時の "Piping Times" 誌上かどこかでその名前は見掛けた事があった様な微かな記憶が蘇りました。しかし、そ の当時はタイトルから推して自分の守備範囲では無さそうだ、と勝手に思い込んでいました。
 しかし、今回その編集&出版したのが誰だかを知って俄然興味が湧き、同様の作業をする事にしました。

 昨日から作業開始したのですが、流石に John MacLellan だけあってピーブロック関連ネタ満載。結局、ほぼ2日間掛けて、全42冊 から80件以上の記事をリストアップ。平均して各号に2件はピーブロックネタが掲載されていた計算になり、なんと "Piping Times" よりも濃い濃度でした。⇒ リスト

 特に興味深いと思ったのは、Vol.03/05-1980年9月号の "Who Was Simon Fraser ? 1846 - 1934" という記事に続けてVol.03/07-1980年11月号〜Vol.04/06-1981年10月最終号まで9回に渡って Simon Fraser の書簡を掲載しているという事。
 同時期の "Piping Times" 誌上では、いわゆるオールドスタイル関係者の記事というのは余り見掛けない様な気がします。Seumas MacNeill よりも(パイパーとしては 明らかに優れている) John A. MacLellan の方がよりリベラルというか、偏見の無い公平な視点を持っていた? という事なのかもしれません。

2022/11/2
(水)

  "International Piper" 発行の趣旨

 先日来、古い "Piping Times" をあれこれ概観していて気付いた事があります。…と言うか、これまで折に触れ気付かされて来たある現実を覆っていた霧が徐々に晴れて来た、と言った方が当 たっているかもしれません。

 George Moss reassessed のタイトルが踊る 2015年3月号の記事の中 で、 "Piping Times" からは1957年5月号以降完全にパージされていた Moss が 1979年7月〜9月の "International Piper" の投稿欄で、他のパイパーとやり取りをしていた、と書かれていたという下りを読んで「あれっ?」と思いました。Moss "Oban Times" に盛んに投稿していた事については情報として知っていましたが、パイピング界のメディアに投稿が可能だった…?

 その時、この雑誌のピーブロック関連の記事を拾い上げている時に気付いた違和感、10月10日 の日記の最後に書いた「Simon Fraser の書簡を連載している」事に思い当たりました。そして次には、この "International Piper" という雑誌の立ち位置がにわかに気になり始めたのです。

 それを知るには、創刊号(1978年5月号)に 当然書かれているはずの「発刊の趣旨」を読むのが近道。目次ページに書かれている "IN OUR OPINION" がそれの様です。

原  文
日本語訳
IN OUR OPINION

CEUD MILLE FAILTE
A Hundred Thousand Welcomes

 The International Piper greets its readers with the age-old Highland welcome knowing that in whatever country this magazine is read the greeting is understood.
 We would like pipers of all standards and ages to use this outlet to comm unicate with each other, so that players in whatever part of the world are aware of what is going on in other areas any where and anytime so please comm unicate with the Editors.  Tell us of your problems, ideas and news so that we can help you share them with others.
 In this way much will be achieved in cementing and furthering the art of piping in whatever field it is pursued, be it individually or in concert.
 We make this particular plea for com radeship because we sense that all is not well with the piping scene.  Wherever one goes there is a distinct feeling that piping is in the throes of varying degrees of discontent and even frustration.  This manifests itself in different ways.

PROFESSIONAL JEALOUSY
 It may be that at the root of it all is professional jealousy among players, judges, administrators, and competitors.  There is this sense that 'he' should not be better than 'me' or that the judges are biassed in favour of one part icular competitor or band; that they have in some way, despite adjudicating with colleagues, managed to either fiddle the figures or influence their fellows.
 We also hear of judging ability being continually questioned by younger players who, in competitive experience, could be said to be still 'wet behind the ears' yet judges it is said, are too old, or were not the leaders of famous pipe bands, or have not won innumerable Clasps etc., and therefore have not the ability properly to assess a musical performance.
 Has this situation come about because so many of those who have become prominent in the art today still keep close links with competitors, and because of this do not earn the respect and status that those of previous generations enjoyed?

A QUESTION TO ANSWER
 We also sense that pipers and pipe bands furth of Scotland have a chip on their shoulders when required, particularly, to compete against those from Scotland. There is a distinct feeling that they feel, that they are at best categorised as second class, and that to gain a prize, particularly a first, they have to do twice as well as a native or long-term resident of Scotland.
 Indeed such sentiments were well voiced in a recent Canadian publication.
 The question that must be asked and answered then, — Is it all true?  Do judges wait until players not native to Scotland have proved themselves by dint of innumerable excellent performances, apparently judging either individuals or bands in a negative fashion and waiting for a more adventurous colleague to take the plunge in awarding that first prize which makes the recipient ''one of us"?
 And what of the situation when Scottish pipe bands visit and compete in other countries?  Is there a feeling on the part of the officials of "We'll show these guys"! ?

MUTUAL RESPECT NEEDED
 This type of overt suspicion does not do the art of piping any good at all and we must endeavour to build a sense of well-being — something that can only be derived from recognition of each others ability and a mutual respect for integrity all round.
 We have to remember that despite the many please for the spread of the art through the recital platform, we still whet our performances by way of the competition platform and a place in the prize- list is still the criterion by which our standards are measured.
 Thus for a long time yet to come we will still have competitors who will place before judges their well practised art for assessment.  And if the present system of organisation falls short of the very necessary end products of contentment and advancement, then competitors, judges and organisers must produce a formula that will fill the bill.
私たちの意見

CEUD MILLE FAILTE 
十万人の歓迎

 インターナショナル・パイパーは、この雑誌がどの国で読まれても理解されるように、古くからあるハイラン ドの歓迎の言葉で読者を迎えます。
 私たちは、あらゆるレベルや年齢のパイパーが、この雑誌を使って互いに交流し、世界のどの地域のプ レーヤーも他の地域で何が起こっているかをいつでも知ることができるようにしたいと考えていま す。あなたの問題、アイデア、ニュースなどを教えてください。
 このようにして、個人であれ、共同であれ、どのような分野であれ、パイピングをより強固なものにし、さら に発展させることができるのです。

 私たちがこのように仲間作りを呼びかけるのは、パイピングの現場がすべてうまくいっていないことを 感じているからです。どこへ行っても、パイピングは様々な不満やフラストレーションに苛まれているよう に感じられます。これは様々な形で現れています。

プロの嫉妬
 その根底にあるのは、選手、審判員、運営者、競技者の間のプロフェッショナルな嫉妬心かもしれません。 「彼」が「私」よりも優れていてはいけないとか、審査員が特定の競技者やバンドに偏っているとか、同僚と一 緒に審査しているにもかかわらず、何らかの形で数字を操作したり、仲間に影響を与えたりしているという感覚 があるのである。

 また、競技経験ではまだ「未熟」とも言える若い選手たちが、審査員の能力を常に疑問視していることも耳に します。しかし、審査員は年を取りすぎているとか、有名なパイプバンドのリーダーではなかったとか、無数の Clasp などを獲得していないとかで、音楽の演奏を正しく評価する能力がないと言われているのです。

 このような状況になったのは、現在活躍している人たちの多くが、競技者と密接な関係を保っているために、 前の世代の人たちのような尊敬や地位を得ることができないからなのでしょうか?


答え合わせ
 また、スコットランド外のパイパーやパイプバンドは、特にスコットランド出身者と競争することを求められ ると、肩身の狭い思いをしているように感じます。彼らは、自分たちはせいぜい2流に分類され、賞、特に1位 を獲得するためには、スコットランド出身者や長期滞在者の2倍の成績を収めなければならない、と感じている ようなのです。
 実際、このような意見は、最近出版されたカナダの出版物でもよく聞かれた。
 では、それは本当なのだろうか?審査員は、スコットランド出身でない奏者が、数え切れないほどの素晴らし い演奏によってその実力を証明するまで待ち、明らかに個人またはバンドを否定的に判断し、より冒険的な同僚 が、受賞者を「我々の一員」にするために、その一等賞を授与することに踏み切るのを待っているのだろうか?

 また、スコットランドのパイプバンドが他国を訪問し、競技に参加したときの状況はどうだろうか。関係者に 「こいつらに見せてやる」という気持ちがあるのだろうか。?

相互尊重が必要
 このようなあからさまな疑心暗鬼は、パイピングの技術には全く役に立ちません。お互いの能力を認め合い、 誠実さを尊重し合うことでしか得られない幸福感を、私たちは築かなければなりません。

 リサイタルの場を通じての芸術の普及のために多くの依頼がありますが、私たちは依然としてコンペティショ ンの舞台の上で、演奏の腕を磨き、賞のリストに載ることが、私たちの水準を測る基準であることを忘れてはい けません。

 このように、これから長い間、審査員の前に練習を積んだ演奏技術を披露し、評価を受ける競技者がいるので す。 そして、もし現在の組織のシステムが、満足と進歩という非常に必要な最終製品に欠けているとしたら、競技者、審査員、主催者は、それを満たすようなを解決 法を創り出さなければならないのです。 
(下線部:引用者)

 お〜、何と…。これは意外や意外。パイピング界の王道中の王道を歩いている一人だと思っていた John A. MacLellan が、これ程までに当時のパイピ ング界を憂えていたとは…。どうやら、当時のパイピング界が抱えていた問題は極めて甚大かつ根深かった様です。そもそも、 晴々しいはずの雑誌の創刊に際しての冒頭の言葉に、これ程までに辛辣な言葉を並べるというのは、尋常ではありません。

 恐らく、当時の多くのパイピング関係者、特にピーブロックを正しく探求しようとする姿勢を持っているパイパーや研究者たち は、 Kilberrism が吹き荒れた 1910年〜凡そ1960年代半ばまでのピーブロック・ソサエティーがその後のパイピング界に残した大きな弊害に対して、かなりの危機感を持っていたので はないでしょうか。

 そういった状況の中で、メディアとしての "Piping Times" は余りにも PS と表裏一体で異議申し立てをする場になり得ない。 "Piping Times" の編集者は親友である Seumas MacNeill であるので、望めば彼の記事は掲載 されるでしょう。しかし、A.C,K の子息たる James Campbell が存命でまだまだ権勢があった時 代です、その場で辛辣な言葉を並べる事は親友の立場を危うくしかねません。
 John A. MacLellan はそういったフラス トレーションを持つ人達を代表して、この様な情報発信の場をス タートさせた、というのが真相ではないでしょうか。その事は、リストアップされたピーブロック関係の記事一覧のタイトルだけでも推し量れます。何故か創刊 号だ けにはピーブロック関連記事がなかったのですが、No.2 からは怒涛の様にピーブロック関連記事が続きます。

 記念すべきピーブロック関連記事第一号として、No.2とNo.3 にいきなり Peter Cooke"Changing Styles in Pibroch Playing" という記事が連載されているので、この雑誌の方向性がやんわりと判って来た所で、早速ざっと目を通してみました。

 執筆者の属性とタイトルから推してジェントルな正統的学術論文かと思って読み始めましたが、ちょっと違った雰囲気でした。 そ の中身 は Moss の主張をベースに、時間軸に沿ってあれこれの楽譜を解析して、一体誰が意図的な改悪の当事者であるかを詳かにして、問題点の所在を明らかにする。まるで、 過去の犯 罪者を特定して事件を解明する推理小説の如く(もちろん、この場合は全て周知の事実ですが…)。解析自体は、後年、APC J. David Hester が解析して いた内容とかなり重なりますが、気のせいか生々しく、執筆者の意図がヒシヒシと伝わって来るので、妙に刺激的です。

 もしかしたら、Peter CookeJohn A. MacLellan の2人は、事前にかなり入念に危機意識を共有した上で、ほぼ共同してこのプロジェクトをスタートさせたのかもしれません(35年後の 2013年に J. David HesterBarnaby Brown が共同して Alt Pibroch Club を立ち上げたのと同様に)。何故かと言うと、Peter Cooke の記事の中には、この雑誌が "International" という用語を使った意図について、そもそもの理由が書かれているからです。
 また、Peter Cooke が埋もれていた(埋められていた)George Moss を発見(再発掘)したのが 1970年代初頭。それから Moss の元に足繁く通った Cooke による Moss のインタビュー音源がリリースされたのは、正にこの雑誌が創刊された1978年の事。これらの事象の時系列が、シームレスに繋がり始めました。

 どうやら、権威筋に支配されていた当時の PS べったりだった "Piping Times" の誌面に、いつまでもうつつを抜かしている場合ではなさそうです。 "Piping Times" の振 り返り は一旦中断して、まずは "International Piper" の読み込みに取り組むべ し、と反省 した次第。
 取り急ぎ、近日中にパイプのかおりで、この Peter Cooke の 記事を紹介します。

パイプのかおり第46話 "Changing Styles in Pibroch Playing" by Dr. Peter Cooke
参考: "Piping Times" 1991年6月号John MacLellan 追悼文 by Seumas MacNeill PDF版デジタル版

2022/11/14
(月)

ヒルクライムで
「整う」?


 コロナ自粛が 続いていたこの2年間の反動で巷には人が溢れています。信州の山間部のここでもそれは同様。紅葉狩りのピーク、山荘前の国道 の車の往来はこれまで見た事がない程の多さでした。しかし、この所で木々の葉も殆ど落葉。4月下旬に開 通した国道も、もう暫 くすると再び閉鎖される時期になり、車の往来も漸く落ち着いた今日この頃です。通行量の多かった盛夏〜紅葉の時期は国道のヒ ルクライムもごくたまにしか行かず仕舞いでしたが、いよいよ国道独り占め時期の到来です。
 ヒルクライムは通常、標高1950mの場所にある展望台までの往復。距離にして片道4.8km、標高差270mを上りま す。しかし、月に1度か2度ほどは更に上の峠まで往復する事があります。山荘からの距離は片道9.1km、標高差450m。

 紅葉シーズンのピークも漸く過ぎた11/14、ほぼ2ヶ月ぶりに峠まで上りました。
 スタートした午前8時の時点で気温はほぼ0℃。気温に応じたウェアを着込んだ上に、帰路に着込むダウンベストをナップザッ クに入れて背負って行きます。昨日も展望台まで往復しているので、身体も軽くほぼ平均的なペースで進みます。暫くは冷え切っ ていた身体も徐々に温まり、ちょうど中間地点に当たる、いつもの展望台を通過する頃にはかなりの汗をかいていました。
 そのままノンストップで行こうと思って通り過ぎかけたのですが、更に気温の低いエリアに汗をかいたまま突入すると「汗冷え して危ない」と思い直し、一旦休憩する事に。展望台の駐車場の日向で上半身裸になって下着が含んだ水分と身体表面の汗を手早 く乾かします。火照った身体を冷たい空気があっと言う間に冷ましてくれます。

 展望台から上の道路は、傾斜も若干緩やかになり路肩の木々も低くなるので、これまでだと道路に陽が差して昨日の雨も乾き始 めているはずです。しかし、流石にこの時期にもなると陽射しが低く殆ど木陰になっていて路面も乾かず、所々では路面が薄らと 凍結しています。
 なんとか凍った路面で滑る事もなく、無事に峠に到着。展望台での休憩時間を除いた合計タイムは 52分余り。毎年、最速記録としては 42分台を出しているので、それよりも10分ほど余計に掛かっている事になります。凍った路面を避けつつ慎重に走行していたのですから、当然と言えば当 然。

 それでも、先ほど展望台に着いた時と同様にもうすでに身体にはびっしょり汗をかいています。いつもなら陽射しを浴びる位置 にある峠も、来た道と同様に今日は半分木陰になっていました。汗を乾かす為に陽射しのある場所に移動して、展望台での休憩時 間と同様に上半身裸になって下着と身体の水分を手早く乾かします。
 恐らく気温はマイナスのはずですから、早々に乾かした下着とその他のウェアを着込む必要があります。そして、ライニング付 きのウィンドブレーカーの下にはダウンベストを着込み、ヘルメットの下には往路では被らずにいたインナージャケットのフード を被ります。毛髪は限りなく少なくなっているとは言え、僅かな頭髪の下にかいた汗は直ぐには乾きません。サイクリングヘル メットというのは風通し良くできているので、そのままで下ると、急激に頭皮を冷やして頭痛を起こします。

 また、下りではシューズの足先も凍えます。一応、発熱靴下を履いていますが、ペダルをこがずにただただ足先に冷風を浴び続 ける下り道では、足先の汗が発熱するよりも先に、蒸発による冷却効果の方が勝るのです。対策として、一旦靴下を脱いで爪先部 分の水分を出来るだけ飛ばして履き直します。
 とにかく復路は約25分間の下り一辺倒なので、身体を冷やさない対策が最重要テーマ。

 その様な対策の上に、たっぷり着込んだウェアも手伝って終始ポカポカのダウンヒル。氷点下の風を顔に受けながら、9km 余りを一気に下って山荘に戻った時の爽快感は、何事にも代えがたいものでした。 
 
 居室に戻ってから、今日のサイクリングを振り返っていて思い至ったのは「0℃ 前後の冷気の中でヒルクライムして汗をかき、 裸になって汗を引かせるというプロセスを2度繰り返すというのは、サウナに入っては水風呂に浸かって《整う》のと、まるで同 じではないだろうか?」という事でした。確かに、そう思わせる程に爽快な気分になり得るのが、この時期の 寒風ヒルクライム& ダウンヒル・サイクリングの醍醐味だと実感した次第。

2022/11/21
(月)

  オシャレ暖炉から薪ストーブへ

 2008年8月28日の音のある暮らしで書いた様に、 蓼科の山荘には壁に埋め込まれた形の耐火煉瓦で出来たごくオーソドックスな暖炉が設置されていました。その後、30 年以上通い詰めたその山荘にほぼ定住し始めてから1年ほど経過した 2019年春、徒歩5分も掛からない所にある、別の山荘に引っ越しをしました。この山荘は1989年に建てられた建物で、当時のペンション等のインテリア 写真でよく見掛けた鋼板製のオ シャレな暖炉が設置されていました。そして、なんとこの暖炉は未使用。正にインテリアの装飾品として設置された証で す。

 引っ越し後、この30年間にすっかり 生茂っていたこの建物周りの、多数のカラマ ツ、ミズナラ、ヤマザクラ等を伐採しました。丸太は玉切りして薪割り。今度こそ本物の《薪》が沢山手に入った訳で す。当然ながら、折に触れこのオシャレな暖炉を焚く生活となりました。

 しかし、この手のオシャレな暖炉というのは、乱暴な言い方をしてしまうと「室内で焚き火を楽しむ為の器具」であ り、暖房機器としての機能はイマイチです。前面のネットから常に大量の空気が送り込まれるので、薪は常にボウボウと 大きな炎を上げて盛大に燃え続け、あっという間に燃え尽きます。そして、その熱量の多くは太い煙突から室外に放出さ れて行きます。鋼板製の躯体には蓄熱効果は殆ど無い為、炎が消えると直ぐに躯体は冷え始め、その後の室内にじんわり とした暖かさが保たれる訳でもありません。熱効率の悪さはピカイチ。

 ここ3年間は、そんなオシャレ暖炉での時折りの火遊びをそれなりに楽しんで来ました。しかし、今年に入ってのウク ライナ危機に伴う各種エネルギーの高騰を受けて、いつまでも悠長に火遊びをしている場合では無い状況に…。そこで、 オシャレ暖炉を実用的な薪ストーブに交換する事にしました。電気料金と灯油代の値上がり部分だけでも、無料で入手で きる薪でなんとか補おうという魂胆です。

 世の中には、多種多様なメーカーの薪ストーブが出回っているので、イチから機種選びをするとなると大ごとです。し かし昨年、近所に住む先輩定住者の山荘で見せてもらった薪ストーブの美しい炎に魅せられていたので、いつの日か我が 山荘に薪ストーブを設置するならそのメーカーの物、と密かに心に決めていました。早速、そのメーカーの最新カタログ を入手して機種を選びます。
 そもそも、オシャレ暖炉が似合う様な雰囲気のインテリアなので「いかにも薪ストーブ!」と言った無骨なタイプのス トーブは似合いそうもありません。確かに、世の中にはオシャレな薪ストーブもあれこれ出回っていますが、その様なタ イプの多くは躯体が鋼板製。でも、薪ストーブを導入するのであれば、蓄熱性から考えて、躯体が鋳物製である事は譲れ ません。

 そうした所、入手した最新カタログにドンピシャなニューモデル(ど うやら今年新登場したばかり?)を見つけました。迷わずそのストーブに決定。早速、近所の薪ストーブ屋さんに設置を 依頼。
 かくして我が山荘に「ネスターマーチン・M43」という薪ストーブが設置されました。

 「設置された」と簡単に書きましたが、実は薪ストーブ設置に掛かるコストのほぼ半分は煙突工事だというのが世の通 説。つまり、煙突工事には、薪ストーブ本体価格と同じか、時にはそれ以上のコストが掛かるのです。
 幸い、我が山荘の場合は既存のオシャレ暖炉の煙突がそのまま使えたので、ジョイント部分の部品だけで済み、値引き 分を入れるとほぼ薪ストーブ本体価格程度のコストで設置できました。
 設置工事も、オシャレ暖炉の撤去も含めて2時間ほどであっさりと完了。オーダーから納品までの日数もごく短かく、 極めて手際の良い超速工事で、本格的な寒さの到来に間に合ったのが幸いでした。

 ネスターマーチンのストーブは、特許取得の特殊な燃焼方式による「炎の美しさ」に対して
2016年のグッドデザイン賞 を受賞したという優れ物。空気の流れと流量調節が可能な為、通常だと燃焼温度が高くなってストーブを痛めるので嫌わ れる針葉樹も、低温で安心して燃やせます。つまり、山荘周りに沢山あるカラマツの有効活用が可能になるという訳。

 以来、薪ストーブ生活を存分にエンジョイしています。掃除好きな自分にとっては、着火前の灰の片付けや、薪を入れ る毎に散らかる木屑の掃除も楽し。溜まり過ぎている為、この所余りやる気の起こらなかった薪割りもまた楽し。昨年、 切り倒してそのままになっているミズナラの大木を玉切りするチェーンソー作業もまた楽し。薪置き場から薪を運ぶ為の キャリアーを工夫するのもまた楽し。でも、実際の薪運びは少々辛い…。

 何よりも薪ストーブの前に座ってユラユラと揺れる炎を、ボーッとしながら眺めているのが、最も至福の時間である 事は言うまでもありません。もちろん、ピーブロックを延々と聴きながら…。

 おっと、当初の崇高な目的「エネルギーコストの低減」はどうなったか? それはもちろん絶大な効果が期待出来そうです。蓄熱製の高い鋳物ストーブならではのメリットで、一旦暖まってしまったストーブからは常にじんわりとした熱 が部屋中に行き渡ります。お陰でこれまで寒い時期には一日中稼働させる事もあったFF暖房機の稼働時間は、早朝、暖 炉に火を起こすまでのほんの一時に限られる様になりました。この分なら、数年の内には元を取る事が出来るのでは無い かと、ほくそ笑んでいます。つまりは、少なくともそれまでは長生きしなくては、と切に思う今日この頃です。