30 年前の“Piping Times”《1990年》


1990年1月号

January/1990

Vol. 42/No.4

 ケルト暦的に言う所の新年(11月)最 初を飾るロンドン・コンペティションのレポート P19 Scottish Piping Society of London の記事から…。

 ObanInverness のゴールドメダル取得者及び、過去の London オープン部門優勝者のみを対象とする、最も映えある Bratach Gorm Piobaireachd 部門の結果は次の通り。
  1. Robert Wallace(Earl of Seaforth's Salute)
  2. Murray Henderson(The Old Men of the Shells)
  3. Willie MacCallum(Beloved Scotland)
  4. Roderick MacLeod(The King's Taxes)
  5. Ronald MacShannon(The Lament for Patrick Og MacCrimmon)
 そして、Open Piobaireachd 部門は次の通り。
  1. Robert Wallace(Park Piobaireachd No.2)
  2. Willie MacCallum(The Finger Lock)
  3. Murray Henderson(Rory MacLeod's Lament)
  4. Roderick MacLeod(Lament for Donald Duaghal MacKay)
  5. Ian Marcey(Lament for the Children)
  6. Allan MacDonald(The Young Laird of Dungallon's March) 

 ご覧の通り、上位4人は2位と3位が入れ替わっただけで同じメンツがほぼ同じ順序に並びます。そして何よりも、この 時は Robert Wallace が絶好調だった様子。

 それにしても、Glenfiddich チャンピオンシップと同様にこのコンペティションも各人が 全て異なった曲を演奏する、つまりはリサイタル形式の様です。…と言う事は、このコンペの聴衆は実に贅沢な時間が過ごせ る訳ですね。


 お馴染み「今月の Frank J. Timoney」 は、P54 Evening Post に登場。1989年9月号 P48 The Edinburgh Town Guard というタイトルの記事について投稿しています。

 この記事については、この号を読んだ時にはスルーしていました。しかし、新ためてググってみるとなかなか面白い。起源は16世紀の The Battle of Flodden(1513年)の頃に遡り、 1817年の正式な警察組織の誕生と共に解散したという、このエジンバラの街の自警組織に関する興味深い歴史が見えてきました。

 そもそもの記事は挿入されているイラストを抜くと1ページにも満たないごく軽い記事なのですが、Timoney の投稿はそれを超えた量となっていて、オリジナルの 記事を何倍も濃密に補完しています
 また、オリジナルの記事には「The Guard が1764年にバグパイプを購入した」という市の公文書記録に基づいて、現代のパイプ&ドラムの様なイラストが挿入されていたのですが、Timoney はその事に対して疑義を唱えています。曰く「恐ら く、その時に購入されたのは piob mor(GHB)ではなくて、lowland pipes ではなかろうか?」と…。The Guard のお好みの曲が "Jockey to the Fair" だったという事から推して「この曲はGHBで演奏する曲では無い」という解説も付け加えられています。

 この投稿によって Timoney が補完している内容と ほぼ同様の詳しい説明がここに書いてあります。参考までに…。

1990年2月号

February/1990

Vol. 42/No.5

  表紙写真のキャプションに注目。当代の MacLeod of MacLoed に仕える、第9代お抱えパイパー夫妻、Maria and Malcolm MacCrimmon との事。

 何故か目次からは抜けていますが、 Editorial の前に P6 Morning Mail が有り、2人の読者からの投稿が4ページ掲載されています。

 その一つが、ニューヨーク在住の Maurice Eisenstadt という人からの投稿。彼が友人が裏庭で飼っているアヒルの前でバグパイプを演奏した際の不思議な体験について書いています。
 このアヒルたちは、彼が "The Gathering of the Clan Chattan" を演奏している間中、静かにうずくまって演奏に聴き入っていたそうです。そして、彼がピーブロックの演奏を終えて、クイックステップの演奏に入った途端 に、立ち 上がってガーガー言いながらよちよち歩いて去って行ったとの事…。

 日頃から様々な場所で演奏する事を常としている彼は、この出来事から、これまで彼が経験したバグパイプの演奏に対する動物 たちの反応について3つの出来事を思い起こした由。

 1つ目は、スコットランドのハイランドで演奏中にハイランド・カトルが後ろを付いてこられた経験。
 2つ目はニューヨークで 演奏中に、シャム猫が彼の皮膚に彼の爪を半インチも食い込ませて来た経験。
 そして、3つ目は、カルフォルニアにある Seal Island と呼ばれる島で演奏した際、彼らは演奏中ずっと吠え続けたという経験。

 動物たちが音楽を聴いた際にするまだ知られていないこう言った反応について、他にも何か知っていますか? と投稿を締めく くります。

 それに対して、Seumas は「オンタリオ州の Bill Livingstone の飼い猫は、彼の演奏を極めて楽しんでいるそうだ。」という事例を紹介していました。

 ちなみに、私の飼い猫はプラクティス・チャンターの音色でも、飛んで逃げ出します。



 P24 James Logan には PartIII と副題がついています。
 Part11987年9月号の Seumas MacNeill の記事Part21988年3月号の Frank J. Timoney による続編で す。そして、今回はまた別の人物による続々編という訳。

 その著者は、Part1の記事が掲載されていた 1987年9月 号で偶然にも MacLoed of Colbeck’s Lament に関して、1985年11 月号の Thomas PearstonTaylor による記事に対して続編を書いていた人物。 その時の署名は Ruairidh H. MacLeod, F.S.A. Scot. でしたが、今回は Ruairidh Halford-MacLeod, FSAScot, FSTS. という肩書きになっています。

 何やら聞いた事も無い肩書きが付いているのでググってみました。
 F.S.A. とは Society of Antiquaries of Scotland を意味する様です。日本語では「スコットランド好古協会」となっています。設立は1780年との事。会員の名前の後 に記載する略称として、FSAScot を使うと書いてありました。一方、FSTS の方はヒットしませんでした。

 読み返して頂くとお分かりの通り、この人の MacLeod of Colbeck’s Lament に 関する記事も、極めて読み難い文章でした。今回の記事も文章の展開が捉え所無くて読み解くのに難渋しました。面倒臭いので逐 語訳しようとも思いましたが、英文自体が難解なのでそれも中途半端になってしまいます。どうにか趣旨を汲み取った結果が以下 です。

 著者はまず「私は、James Logan Angus MacKay の Piobaireachd 本の2つのセクションの著者だ、と主張している件について、数年間研究してきた。」とこの件について一家言あるんだ、と自信たっぷりに書き出します。

 著者によると、Seumas MacNeill が拠り所 にした、James Logan の著書 "The Scottish Gael" に関する Alexander Stewart による記述には、特に Logan が Highland Society of London に関わっていた時期の出来事について、多くの間違いがあると指摘します。

 そこには、その当時大英博物館の図書館で事務員として働いていた Logan に対して、書記官の職が空席になった The Highland Society of London から声が掛かり、彼は直ぐに受け入れた。
 ところが、彼はその職に直ぐに飽きてしまい、僅か2、3年しか在職しなかった。彼はその職を辞した理由は「ソサエ ティーが初期の目標から外れてしまった事にある」と主張した、と記述されている。
 
 この記述は正確では無い、と指摘します。

 James Logan はソサエティーの書記官への推薦を受けた際、低姿勢ながらも自分の能力を過大にアピールしていた事を明らかにします。その具体的な証拠として、次の様な文 章を紹介。
 「私はソサエティー書記官への推薦を受ける栄誉を、どれほど有り難く感じているかを常々意識しています。そして、私の日々 の 研究によって、ハイランド・ソサエティーの利益を最大限に促進できるように、熱意と適切さをもって私の義務を果たします。私は、大英博物館の図書館に僅か な仕事を持っていますが、それはソサエティーでの業務を何ら邪魔するものではあ りません。」

 その様な過剰なアピールとともに、多方面からの強力な推薦状も功を奏して、Logan は1839年4月20日にソサエティーの書記の職に就くことができました。サラリーは4半期毎支払いの年俸£53だった由。
 
 ところが、実際にはその James Logan の事 務能力は眉唾物だった。

 Logan は、ソサエティーの上司から命令された収支報 告書を取りまとめる事ができず、1840年の年次総会を開催する手配を完全に仕損じたとの事。その不始末に対して、Logan は次の様な極めて惨めったらしい言い訳を連綿と綴って詫びを乞います。
 「私は自分の行為を弁明する事なく罪を申し出て、人道的で慈悲深い配慮の前に身を投じます。私は、若い時に極めて大きな傷 を受け、私の頭蓋骨は文字通り砕けました。17ポンド(約8kg)のハンマー投げのハンマーが私の額を直撃したのです。この 不幸な出来事により、私は4インチ(10cm)角の頭蓋骨を失い、脳味噌を守るために金属板を頭蓋骨に固定する必要がありま した。(中略)私の不始末に対して、最大の罰をお与えになるのはあなた様の義務だとお考えになるのは当然ですが、どうか慈悲 深いご対応をお願いいたします。そうでなくては、私は完全に破滅に至ります。あなた様の忠実かつ慎ましいしもべ、James Logan」

 その結果、Logan はどうにか1年弱の猶予を与えられ ますが、結局その後解雇されます。

 一方で、並行して席を置いていた大英博物館の図書館の仕事に於いても、不真面目極まりなかった様です。彼は理事から何度も 注意を指摘されたのも関わらず勤務態度を改めなかった様で、ソサエティーを解雇されたわずか2ヶ月後に「Logan は時間を守らないだけでなく、仕事態度も熱心さに欠ける。彼は酔っ払っていて、やっている事を殆ど意識できていない。」と理事に報告され、結局、その職も 失ったのでした。

 以上が、概ね筆者が伝えたかった James Logan の真の姿。これが真実だとしたら、なんとも情けない人物ですね。




 パイピング関係の書物を読んでいると、頻繁に引用されるので否が応でもその名を知る事になる "The Oban Times" 。創刊は約160年前の1861年との事。日本で言えば明治維新の頃から続いている、実に息の長い週刊新聞です。地域情報に留まらず、 スコットランド全体の状況も詳しく伝えている様で、当時の世相やパイピングの状況を知る上では極めて有用である事は想像に難 くありません。

 P29 Piping in 1923 のリードによると Jennie Campbell は、昨年の The Argyllshire Gathering の折に、この The Oban Times の編集室を訪ねてバックナンバーを紐解いた由。そして、様々な記事から当時のパイピング・シーンを見渡したのがこの記事。

 筆者は冒頭の「何故に1923年なのか?」についての説明の中で「それは、The Norhern Meeting の Clasp 部門に関係している」という思わせぶりな記述に併せて、その他の理由としてこの年に起きた次の様な幾つかの事象を列挙しています。
 グラスゴーのパイプバンドが世界チャンピオンになった/ピーブロック・ソサエティーがアマチュア・ピーブロック・ コンペティションを初めて開催した/青少年(juvenile)対象のピーブロック・コンペティションが初めて開催された/The Glasgow Broadcasting Station が開業した/P/M William Ross が最初の楽譜集を出版した。
 
 記事は月毎に順を追って1923年一年間を概観。2回連載の今回は1〜6月を扱った前編ですが、量は6ページとそれな りのページ数です。以下、興味深い箇所をいくつか抜粋して紹介します。

 一年を通じての(パイピング関係 の)常連広告主としては "Highland dress and Bagpipes" を称えるお馴染みの R. G. Lawrie。もう一社は、現在ではその名は聞いた事ありませんが 1850年創業の Douglas & Son Ltd. という会社だそうです。この会社が扱っているのは "Bagpipes and all Accessories, Violins, Melodions, everything musical."

 2月の紙面にピーブロック・ソサエティー主催による初のアマチュアを 対象としたピーブロック・コンペティションのレポートが載っています。開催に尽力したのは、Mr Somerled MacDonaldMr Seton Gordon(後者の名前はよく目にします)の2人 のアマチュア。両者がジャッジとして依頼したのは、P/M William Ross、P/M Geo. M'Lennan、P/M John MacDonald, Inverness という豪華な3人でした。
 演奏の方はどうだったか?というと "some of the playing was quite good" と書かれている由。意訳すると「(所詮、貴族の手慰 みではあるが)中には悪く無い演奏も有った。」という所でしょう。
 実はこれに続けて "though each player had a certain amount of trouble with his pipes, due perhaps to the dry atmosphere of the hall." と 書いてあり、素人パイパーたちの多くが「パイプの調整すらままなら無い」という不様な状況だった事を、当人たちをなるべく傷付けない様留意しつつ、的確に 描写しています。
 コンペティション終了後には、3人のジャッジがお好みのエアーのセレクション(ピーブ ロックとは書いて無い)を演奏して、聴衆とアマチュア・コンペティターたちを大いに喜ばせたとの事。
 この様な純粋なアマチュア対象のコンペティションは極めて限られているので、今後は毎年の開催が期待されている、とも書か れています。

 3月の紙面には、The Glasgow Broadcasting Station の開業に際して、P/M John MacColl が招かれ、彼の演奏する "Johnny Cope" のメロディーがスコットランド全土にラジオ生放送された、と書かれています。

 4月の紙面からは、Angus MacPherson からのとても興味深い手紙が紹介されています。曰く、
 "The Crunluath a mach is an alien conception and was invented by the Piobaireachd Society from a false crunluath fosgailte doubling."

 6月の紙面には "Famous Piper Donald Cemeron, Successor of the MacCrimmons" という次の様な記事が掲載されています。
 Donald Cameron が、弱冠17才で1838年 The Edinburgh competition で2位に入賞した際に獲得したという Ferrara broadsword の写真と共に、彼の生涯と獲得した各種タイトルに関する概要説明。そして、彼が1859年の The Northern Meeting に於いて "MacIntosh's Lament" を演奏して Gold Medal を獲得した際の逸話が紹介されています。
 その時、ウルラールを終えた時に彼のドローンが肩から滑り落ちて腕で支える形になったのですが、そのアクシデント は彼の演奏に一切影響しなかった、という話。原文は "the drones began to slip off his shoulder and came to rest on his arm." とあるので「3本のドローンが全部滑り落ちた」という意味になりますが、そんな事が有り得 るのでしょうか?
 更に、その様子を見てある有名なパイパーは「たとえバッグを股で挟んで演奏したとしても、彼はなんら変わりなく演奏するだ ろう。」と言ったとか…。
 それから8年後の The Northern Meeting で彼は Champion of Champion or King of Pipers の称号を得たそうです。

 翌週の紙面では、週末の The Cowal Gathering に於いて初めての juvenile piobaireachd competition が開催される事が話題になっています。


 P42 Edinburgh Town Guard は、先月号で  Frank J. Timoney が補完していたオリジナル記事の筆者(George Robinson) 自身が、補完記事を載せています。今回もイラスト含めて3ページのごく軽い記事。全部を併せても、現代のネット上に書いてあ る様な内容なので、詳細は省きます。因みに、サブタイトルにある Reekie というのはエジンバラの俗称です。

 一方で「今月の Frank J. Timoney」 は、P51 Evening Post に登場。
 1962年に出版された "History of Highland Dress"(by John Telfer Dunbar) という本の中の "Some of them fight with broad Swords and Axes, and in the room of a Drum make use of a Bagpipe" という一文についての投稿。
 この一文の出典と思われる George Buchanan という人物によって1581年に出版された、ラテン語で書かれた "Rerum Scoticarum Historia" という本に目を通し てみたいが、自分では叶わないので、英国かアイルランドの読者が解明してもらえないだろうか?と呼びかけています。相変わら ず、研究熱心な御仁です。

1990年3月号

March/1990

Vol. 42/No.6

 P20 Piping in 1923前 月に続く後編の7〜12月分。分量は5ページ強。

 7月の紙面には、Charles Bannatyne が6月の The Cowal Gathering で催された juvenile competition に関して投稿しています。曰く、
 "No boy can make a good job of a piobaireachd until he is nearly 20 years old. As an artist he can make no show till 30 or over." とご意見。

 翌週には 'A Lover of the Old Music' という投稿名の人物が
 "There is far more to piobaireachd than just manipulating the fingers and playing the note correctly."
と同意しつつ、実に的を得た見識を書いています。

 一方でその翌週には、ある人物から
 "G. S. MacLennan could play at 20 so why shouldn't anyone of 20 play as well as at 40"
と、若干の反論が…。

 8月の紙面には更に両サイドの意見が続きます。

 "Boys can play, there are plenty of good boys in Glasgow and plenty of good teachers."

 "Good pipers were still good when they were young. Sandy Cameron got first at the Northern Meeting when aged 17."

 "Piobaireachd needs years of study. G.S. is a better player now than he was 20 years ago."

 "Good pipers were not as good when 18 or 20 as they are now."

 "John MacDougall Gillies missed from the list of Glasgow teachers."


 そして、この論争は次の投稿でトドメが刺されたとの事。

 "Some boys of 18 play better than some men who have grown old in the attempt" 

 確かにおっしゃる通りです。

 The Cowal Gathering での juvienile competition に 関する投稿としてもう一つ興味深い記述が目に着きました。
 それは、2人のコンペティターが crunluath バリエイションの前にもう一度ウルラールを演奏しようとしてジャッジから止められた事に対する疑義。原文は次の通り。

  "Two competitors in the juvenile event were stopped by the judges for repeating the ground before the crunluath although it is distinctly marked in the books to do so."  

 それぞれの曲は Angus MacKay's Book の "Glengarry's Lament" と、D. Glen Collection の "Little Spree" です。確認してもらえば分かる通り、どちらの楽譜にも確かにその様な指示が書かれています。そして、文章は "Were the judges right and should't a standard be fixed ? " とかなりの怒りを込めて締め括られています。

 George Moss に よるとこの当時は、ピーブロック・ソサエティーによる《標準化》が急激に進められた頃。しかし、これを読む限りでは、それらに対する異議の表明もまだまだ 盛んだった様です。
 
 9月の紙面にはまず、今と変わらず The Argyllshire Gathering のフルリポートが掲載。Gold Medal 部門には知らない名前が並んでいましたが、過去の Gold Medalist たちで競われる Open Piobaireachd 部門の順位は Robert ReidG. S. MacLennanWilliam Ross の順でした。ジャッジとしては Archibald Campbell of Kilberry 以 下、錚々たる貴族のお歴々が名を連ねます。
 
 9月下旬の紙面を飾るのは The Northern Meeting のフルリポート。
 Gold Medal 部門では Angus MacPherson が初優勝。そして17才の息子 Malcolm Ross MacPherson が 初出場で4位入賞したのはこの年です。(彼は翌1924年も再び4位、1925年に3位、 そして、1927年には弱冠20才にして優 勝。詳しくはパイプのかおり第34話を参照。)
 そして、過去の Gold Medalist たちで競われる Clasp 部門の内容が極めて興味深いもの。Jennie Campbell が前編の冒頭で示唆していた理由が 良く分かりました。

 資格のある6人の名手たちで争われたこの部門では、当初 William RossRobert Reid が タイで1位になりました。賞金については1位と2位の賞金を合わせて半分づつに分け合ったのですが、優勝盾を受け取る決着を 付けるために、2人がそれぞれ "The Unjust Incarceration" を演奏して優劣を競ったのです。その結果、Ross の方が より完璧な演奏をしたと判定。優勝盾は Ross が受 け取る事になったのでした。

 10月の紙面では、この年のパイピングイヤーに於ける RossReid のハイレベルな闘いについて振り返っている次の様な投稿がありました。
 
 "At Oban Reid carried off the first prize, and at Inverness he and Pipe Major W. Ross tied.  For a tune they were both asked by the judges to play "Cille Chriosd (Glengarry's March)" in the afternoon, and on the playing off of the tie they both played "The Unjust Incarceration".  Ross played the tune through without mistake.  Reid made a couple of slips in the first variation which allowed Ross to win the clasp to the gold medal.  But apart from the mistake, and perhaps a slightly hesitating start, Reid's playing was very fine indeed, his Crunluadh-Amach(原文通り)being brilliantly executed."
 
 この時の2人は本割りでも優勝決定戦でも同じ曲で競った訳です。当時の相当にハイレベルなパイピングシーンを彷彿とさせま すね。



 P30 James Logan も先月号から続く2回連載の後編。通算では Part IV です。
 先月号の Part IIIで は主に James Logan の情けない人物 像にスポットを当てていましたが、今回は本題。つまり「大英博物館に収蔵されている Angus MacKay's Book のオリジナルの一冊の "Historical Notes" の表題の下に "by James Logan" と書かれている事の真偽」について。…ですが、実はこの点については、Frank J. Timoney による Part2で 散々振り回されたので、正直な所もうどっちでもいいや、という感じがしています。

 "MacKay's Piobaireachd" とサブタイトルされた本題は、今回の3ページ半の記事の内ほぼ半分が費やされていますが、結論から言えば筆者は James Logan が Historical Notes を執筆したという点については否定的です。その理由として次の3点を指摘しています。
  1. Logan が自分の署名入りの Angus MacKay's Book を大英博物館に贈呈した1856年というのは、精神に異常を来たした Angus MacKayベドラム精神病院に収監された1854年の2年後。本の出版 から18年も経った後である。また、その時点で、Highland Society of London の関係者の中に大英博物館に深い関わりを持った者は居なかった。つまり、Logan が自分の署名入りの本をこのタイミング で大英博物館に寄贈したのは、自身の主張についてソサエティー関係者や Angus MacKay 自身に知られたく無かった為であった、と想像される。(因みに、 Angus MacKay は1859年にその後移送されたスコットランドの精神病院から抜け出して、近くの川で溺死します。)
  2. Logan は決して謙虚な人物とは言 えなかったにも拘らず、自身が Historical Notes の著者であると、公式に主張する事は決してなかった。
  3. Angus MacKay の文体と Logan の文体とは明らかに異なっている。
 その一方で、筆者は Angus MacKay 自 身が Historical Notes を執筆した事についても否定的です。Historical Notes はソサエティーの委員会が取り纏めたのではないかと推察して、執筆者と思しき当時のソサエティー関係者の名前を複数 挙げています。

 最後に「誰が Historical Notes の執筆者であったとしても、それが Angus MacKay's Book の価値を下げるという事は有り得ない。何故なら、この本はピーブロックの楽譜集(musical book on piobaireachd/太字筆者)なのだから。」と締め括っています。同感です。

 後半部分のサブタイトルは、"MacKay's Impact on the Piping Repertory"
 内容としては、Angus MacKay's Book 出版の前後のコンペティションに於いて、どの様な曲が申告されたか?(一般的にコンペティションでは、パイパーが事前に申告した複数の曲の中から、ジャッ ジが指定した曲を演奏する。)を集計して、出版前と後での当時のパイパーたちの嗜好の変化を比較しています。著者の 性格でしょうか、重箱の隅を突く様な細かいデータ分析なので詳細は省きます。
 兎にも角にも、著者の分析によれば、Angus MacKay's Book が当時のパイパーやジャッジたちに与えた影響は甚大だった事実。そして、それと反比例する様に、Donald MacDonald's Book 等、その他のセッティングの人気は徐々に低くなって行ったという事です。

1990年4月号

April/1990

Vol. 42/No.7

 P8 Morning Mail の投稿に、2 月号で紹介した「バグパイプを聴いた時の動物たちの反応」をテーマにした投稿に対して、2通の投 稿が掲載されています

  その内の一通、北米ラスベガス在住の学者から投稿には、複数のケースについて、1ページ半に渡って連綿と綴られています。
 
 冒頭で「バグパイプに対する動物の反応については膨大な多様性があるが、種別等による一貫性が見られる。」としています。 そして「有蹄類は概してパイピングに引き寄せられる。肉食動物は明らかに撃退される。そして、鳥類は変化に富んでいる!」と 総括。

 彼がアリゾナの砂漠地帯で地質学のフィールドワークを行なっていた時の事。ランチのために Palo verde tree(と言う名の樹)の木陰に入った際、 周辺には生物の気配は全く無かったそうです。しかし、ランチを終えて彼がパイプを演奏していると、樹の枝はどこから とも集まって来た賑やかに囀る鳥たちで一杯になった由。中でもオウムはバグパイプの音色を真似ようとしてしていたと の事。

 彼は人間嫌いのメスのビーグル犬を18年間飼っていたのですが、彼が初めてバグパイプを演奏した時には、彼女はな んとも惨めな顔をしてベッドの下に隠れたそうです。しかし、その後、彼はドローンがきちんとチューニングされている 限りに於いて、彼女は静かにしていてくれる事に気付きました。そして、ドローンのチューニングが外れて唸り始める と、彼女はたとえ寝ていたとしても、吠え始めるとの事。

 続いて、友人宅で演奏した際に、酷く驚かせてしまった飼い猫が、逆毛を立てて飛んで逃げていった逸話や、ワイオミングの The Grand Tetons 国立公園 の キャンプ場で真夜中に彷徨いていたヒグマ(Blown Bear)を "Highland Laddie" を演奏して追い払った(パイパーならこの意味判りますよね?)逸話を紹介しています。

 最後に、南アリゾナの The San Pedro valley にある牧場でキャンプした際 の逸話が紹介されています。 彼は、牧場主の家でのランチの支払いを 済ませた後、家の前で演奏をし始めま した。暫くすると演奏を聴いていた牧場主たちが笑いながら彼に後ろを振り返るように促しました。彼が振り向くと、彼 の前にはおよそ15頭の牛、馬、山羊、豚が一列に並んで彼を訝しげに眺めてい たそうです。

 もう一通のバーミンガム在住の読者からの投稿は、右の写真付 き。文章は殆どありませんが、言わずもがなですね。

 P22 Pipe Major Jock Speirs は1ページの追悼記事です。この号の表紙写真の人物。名前で推測がつく通りあの Iain Speirs の祖父です(⇒1987年12月号)。1908年生まれとの事なので、享年82才 だった由。




 P25 Phrasing, The Key to Irreproachable は実に半年振りの純粋なピーブロックネタ。2回連載の今回は Part1。筆者は Ramsay Traquair という人。これまで 聞いた事の無い名前です。
 そもそも奇妙な姓なので英国人なのか?…とググってみると、20世紀前半に活躍した同姓同名のスコットランド 人建築家がヒット。紛れも無くスコットランド人のファミリーネームの様です。
 
 …で、その内容は?と言うと、次の様に始まります。楽理&英語に弱い私が無 理して訳すと意味が正しく伝わりそうも無いので、そのまま転載します。


 続けて個々の曲について、様々な楽譜集やMSの楽譜の表現の違いについて、次の様な手書きの楽譜を示しつつ解説さ れています。



 その内容は正直、私の理解を超えているので、申し訳ありませんが紹介はここまで とさせて頂きます。因みに、9ページにも及ぶ Part1で取り上げられている曲は、MacDonald of Kinlochmoidart's Lament/The Red Speckled Bull/Mary's Praise/MacCrimmon's Sweetheart/Lament for Donald Duaghal MacKay です。

 P35 Fred Morrison もこの号2つ目の追悼記事。やはり、記事は1ページ程ですが、こちらは記事に挟まれて右の写真が掲載されています。

 生年は書かれていませんが「1930年代にグラスゴー大学で学んだ」と書かれて いるので、恐らく1910年代の生まれだと推測されます。ピーブロックはマスターズたる Robert BrownRobert Nicol に師事した由。長年、Scottish Pipers Association の副代表を務めたとの事。CoP の教室に於いても長年指導者として務めを果たした人物でよく名前が出ていました。

 最後の段落に次の通り書いてあります。
  "Of his three sons, John Angus, Alasdair, Alfred, the last named is the only one who took up the pipes seriously, and he as most will know is one of the top young pipers at the present time"

 つまり、この人物があの Fred Morrison の父親である事は、ほぼ間違いないと思います。

 P38 Early Bagpipes - Part2Part1は何と遡る事8年前、1982 年11月号 P33 Bagpipes in Netherlands という記事。さすが大英帝国、実に気の長い話です。

 今回は、ドイツの有名な作曲家 Michael Praetorius"Syntagma Musicum"(音楽大全/シンタグマ・ムジクムに記載されているバグ パイプについて紹介されています。
 全部で8ページの記事の中に、ほぼ全ページ大の図版が6枚も引用されてい て、その合間に説明が書かれている、と言った具合です。
 現代では、インターネットのワンクリックで鮮明な図版の画像を見る事ができますが、当時としては次の様な図版 が掲載されていただけでも、随分有り難かったと思います。




1990年5月号

May/1990

Vol. 42/No.8

  表紙に注目。41年×12ヶ月+8号=500号 という訳で、 "Piping Times" はこの号で目出たく通巻500号を迎えた由。
 …かと言って、誌面や記事に特段変わった所は有りません。しいて言えば、P8 Morning Mail 欄に The Scottish Pipers' Association のプレジデントたる、Angus J. MacLellan からのお祝いのメッセージが 投稿されている程度。まあ、これも殆ど身内みたいなもの。
 足掛け42年。悠々たる大英帝国的にはこの程度の年月は、単なる通過点の一つなのでしょう。淡々としたものです。

 その Morning Mail には先月に続い て、2 月号 「バグパイプを聴いた時の動物たちの反応」をテーマにした投稿に対する リアクションが1通掲載されています。

 この投稿者が飼っているスコッチ・テリアは、ハイランド・パイプの演奏は至って満足げに聴き入るそうです が、ノーサンブリアン・スモール・パイプ(言うまでもありませんが、イングランドのパイプ)の演奏が始まる と、落胆した表情で吠え続ける、との事。

 P36 Brien Boru Pipes とタイトルされた記事は、通常 Brian Boru Pipes として知られているパイプに関する記事。
 記事の量は下の一面のイラストを挟んだ2ページ弱。
 私自身はこのパイプについてこれまでは殆ど知識が無かったのですが、この記事を読んでみて初めて、この一風変わったバグパ イプが誕生した経緯、年代、さらには発明者(発想者?)、主に製作に携わったメイカー、また様々なバリエーションについても 知る事が出来ました。
 さりとて、今更30年前の記事を丁寧に翻訳しても余り意味が無さそうなので、手 抜きをしてググって見繕った次の参考ページを紹介します。
  1. Wikipedia ページ "Brian Boru bagpipes"(概要)
  2. The World of Bagpipes "Britain : Brian Boru Warpipes"(詳細な説明)
  3. YouTube ページ  "Brian Boru bagpipes"(実際の音色が聴けます)


 因みに、2.The World of Bagpipes のサイトに ついては今回ググっていて初めて知りました。サイトの主の Chris Bayley という人は 1975年からプロフェッショナルなパイプメイカーとして多種多様なバグパイプを製作して来た由。恐らく、サイト自体もそれなりに古くから運営されていた のでしょう。
 ネットの世界が急拡大した今世紀初め頃は、私もバグパイプ一般に関してあれこれネットサーフィンしていましたが、 そう言えばここ10数年はすっかりご無沙汰。恐らく、今の時点で真剣にネット検索すると、バグパイプに関しても凄い 事になっているということは想像して余りありますが、今の自分にはイマイチそこまでの探究心が有りません。




 P44 Phrasing, The Key to Piobaireachd は先月号に続く Part2
 量的には5ページ弱ですが、何故か Part1で展開されていた個々の曲のフレージングについて解説するのは一旦中断して、装飾音に関する解説が1ページほど展開されています。内容は推して 知るべしなので省きます。そして、続くのが次の章。



 3つのペンタトニック・スケールについては既知の内容ですが、それぞれのスケールの構成音が持つ性質とそれに起因 する「雰囲気」についてはっきりと言葉にして説明した文章は初めてです。
  • A スケール:bright and clear
  • G スケール:dark and rugged
  • D スケール:weak and plaintive
 そして、分かり易い様にそれぞれのスケールの例が幾つかあげられています。Gス ケールの曲としては "My King has Landed in Moidart"、Aスケールの曲としては "Black Donald March"、そして、Dスケールの例として名が挙げられていたのは、私が今一番入れ込んで練習している "Sister's Lament" でした。
 確かに、これら3曲についてだけ考えても「なるほどな〜」と思わされます。その他、ご存知の曲について思い浮かべ てみるのも一興かと…。

 この章の後は、バリエイションに関して1ページほどの解説が続いた後、Part1の後半と同様に個別の曲のフレー ジングについて、前回と同様手書きの楽譜を使った説明に戻ります。しかし、今回は "The Battle of Glenshiel" 一曲だけで、Part2は唐突に終わります。

 肝心のフレージングの解説には殆ど付いて行けませんでしたが、スケールの件について一つ得る物があったので良しと します。