"Piping Times"《1989年》
PT8901contents.jpg この号には A. G. Kenneth による軽いピーブロック ネタが2つ有ります。

 1つ目は見開き1ページの P16 Origins of Corrienessan's Lament

 同じ曲が Lament と表記されたり、Slute と表記されたりする事も時々有りますが、この曲の場合は "Corrienessan's Salute" とは全く別の曲。"〜 Lament" は PS Book 14/P481、 "〜 Salute" は PS Book 8/P223 に収録されています。

 出だしがあの長大な "Lament for Harp Tree" とそっくりな(かつ、半分の長さの)"〜Salute" の方はそれなりにポピュラーで、著名パイパーの演奏音源をあれこれ聴くことができます。つい最近ではこんな動画も…。

 一方で、今回取り上げられている "〜Lament" の方は極めてマイナー。現在、私の手元には PS Sound Library に収録されている Dr. Angus MacDonald による演奏音源1つしか有りません。

 予習の為に「曲の背景は?」と Haddow の本をめくってもこの曲の解説は無し。一方 で、"Corrienessan's Salute" の項は3ページ半にも渡って詳細に記載されています。そして、その中に "Corrienessan's Lament" の文字も有りました。その部分は以下の通 り。
 
 "The famous poem by lain Dall Mackay, entitled Corrienessan's Lament was written in 1696, and there is an interesting and little known piobairiachd of the same name …"

 また、以前 bugpiper さんから頂戴した "Legendary & Historical Note on CEOL MOR by Roy Gunn" には両方の曲について簡略な解説が書かれています。"Corrienessan's Lament" の項は次の通り。

 "Various settings of this tune are recorded but the Piob. Soc. uses that of John MacColl and George MacKay as the most likely versions. It is supposed to be a composition by lain Dali MacKay who wrote a poem of the same name."

 ちなみに、PSサイトの解説は次の通り。これは概ね PS Book14 の解説文の抜粋です。

 "This tune is reputed to be a composition of Iain Dall MacKay who wrote the celebrated poem of the same name in which reference is made to the playing of "A Lament for the Corrie".  A full account of the provenance of the tune, and of "The Salute to Corrienessan" can be found in A J Haddow History and Structure of Ceol Mor p136 et seq. 
 Present day knowledge of the tune derives from two sources, one a manuscript left by John MacColl; the other a manuscript produced in 1939 by George MacKay, Sutherland. 
 The tune is also noted in Robert Maeldrum's manuscipt and by David Glen."


 何れにせよこの曲は、不世出のパイパー&バルド(bard/吟遊詩人)である Iain Dall MacKay が「同タイトルの詩と共に紡ぎ出した作品」と推測されている様です。
 
 この曲が収録されている Book14 のリリースは1986年の事。編集の中心となった A. G. Kenneth 自身がそれから3年 後の "Piping Times" 誌上に、わざわざ収録曲について投稿するというのは何かしら書き足りない事柄が有るという事なのでしょう。さて、それは何 か?とようやく本題に…。

 書き出しは "There has been quite a bit of mystery about this tune."  とあります。
 そのミステリーとは、この曲の作者に関する謎。それには諸説あり「ウルラールは作者による本物(authentic)だ が、バリエイションは Dr. C. Bannatyne の作」という説。または「ウルラールと1st バリエイションは本物だが、後半のバリエイションは David Glen 作」という説。さらには「曲自体が Dr. C. Bannatyne の創作である」という説などが入り乱れているとの事。

 その様な状況の中、最近のリサーチである歌の旋律(a song air)が、John MacColl のバージョンに極めて似通っている事が判 明。この事は、 少なくともウルラールと最初の2つのバリエイションについては本物だという事を指し示している由。そして、↓がその歌の旋 律。以下、短い記事なので、残りの本文を楽譜を含めてそのまま掲載します。

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 ピーブロックネタの2つ目が P47 Little Prince。これ は、実は P41 Ardvasar Seminar 1988 Part3の最後に付け足された記事です。
 因みに、この号は Part4/9 のはずですが、本文タイトル下には1988年12月号の本当の Part3と重複して Part3と 誤表記されています。ご丁寧にも、これ以降の毎号で1号づつズレて表記されます。

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 「Maclcolm McRae が10月号の Ardvasar Seminar の記事の中で述べている『"Little Prince" はこの様に演奏すべし。』という主張は大変 興味深い。」との書き出しでした。

 そこで、改めて1988年10月号の記事を振り返ってみた所、該当箇所↓が見つかりました。

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 目を通してみてびっくりしました。これは、正にパイプのかおり第38話Geroge Moss が述べている主張とそのまま重なる内容ではないですか。また、引用部分の冒で Malcolm McRae は「パイパー達は伝統的な演奏様式について学ぶ視点を持つべきだ。」とも述べています。さらに、この引用部分の半ページほど前には、Peter Cooke の名前も登場。どうやら、Ardvasar Seminer の議事録には、いつかきっちりと目を通す必要がありそうです。

 Campbell & Grant が1963年に相次いで亡くなった以 降のピーブロック・ソサエティーは、A. G. Kenneth が中心人物だったと思われます。PS Book 11(1966年)〜 PS Book15(1989年)の序文についは、全て A. G. Kenneth が 執筆している事からも、それは推し量る事ができます。

 A. G. Kenneth は PS Book 13/P431 "Lament for Donal Duaghal MacKay" の 楽譜として Simon Fraser の セッティングをトップに 掲げています。解説文では、続けて掲載した Angus MacKay、Donald MacDonald、Angus MacArthur のセッティングと 比較して「Fraser のセッティングが最 も優れて(excellent)かつ極めて音楽的(very musical)であり、全ての中で最も満足できるセッティングである。」と記しています。因みに、Kilberry Book のセッティングは Angus MacKay バー ジョン。

 また、PS Book 14/P449 "The Sutherlands' Gathering" の楽譜としても、Simon Fraser のセッティングをトップとし、続けて Donald MacDonald Jr. Peter Reid の セッティングを掲載。Angus MacKay は最後で す。楽譜掲載に先立って冒頭の序文の中でも、Fraser セッ ティングの引用について Dr. Barrie Orme が同意してくれ た事 に対して、丁寧に謝意を表しています。

 実は、Archibald Campbell of Kilberry も 1957年リリースの PS Book 9/P248 "Lord Lovat's Lament" の楽譜として Simon Fraser のセッティングをトップに掲載。解説文で も「 Angus MacKay よりも、おそらくより満足 すべきセッティングである。」としぶしぶ認めています。しかし、続けて「異なる見方もあるはずだ」と付け加えたり、タイトル 右下に出典名ではなくて作者名 David Fraser を表記するなど、なんとも煮え切らない紹介の仕方をしています。
 
 そんな Campbell(や Grant )とは対照的に、A. G. Kenneth は 極めて広い視野を備え た人物。だからこそ、↑の Malcolm McRae による「伝統的な様式(トラディショナル/オールド・スタイル)を大事にすべし」という主張を強くフォローする為に、間髪を 入れずにこの記事を書いたのだと思われます。

 A. G. Kenneth はしばらく前 に Malcolm McRae とこの件について話し合った事があり、実際にその様に演奏するのを聴かせて貰ったとの事。そして、似た様な構成である "The Lament for the Old Sword" についても、同様な解釈での演奏をぜひ聴いてみたいと伝えた由。また、この様な構成のピーブロックとして、この他にも "Lament for Castle of Dunyveg"、"Salute to Donald"、"Black Wedder's White Tail" といった曲名を挙げています。

 トラディショナル/オールド・スタイル に対する再評価は、1960年代半ば以降徐々に動き出し、1980年代に入って急速に高まりつつあった様です。PS Book13 以降の編纂方針の変化や、1987年の Donald MacDonald Quaich のスタートも、其々その具体的な現れだと言えます。
 特に 80年代の再評価加速の起爆材となったのが、1982年の George Moss の音源のリリース、そして、Dr. Barrie Orme の Alt Red Book のリリース(初版1979年/再版1985年)であった事は、推して知るべし。

 その様に考えると、あのどうしようもない 1953年のリサーチ報告 "Cremona and the MacCrimmons" を35年ぶりに1987年11月号〜1988年4月号に再掲載したのと、1988年5月号に "The History of the Bruce" の記事を、"Alt Red Book" から(敢えてそれと分からぬ様に)抜き出して掲載した事には、共通した意図があったのかもしれません。つまり、当時はまだ多数残っていたであろう旧体制の 考え方に囚われている人々に対して、Fraser ラインの正統性を共通認識とする為の一連の啓蒙活動だったとい う事です。
PT8902contents.jpg P17 Angus MacKay's 'Specimens of Canntaireachd'Roderick Cannon によるピーブロックネタ。
 Part1
Part4の 4部構成の論文を 1989年4月号までに分割して掲載。この号には Part1 IntroductionPart2 Translation がまとめて掲載されています。

 Angus MacKay の著作としては、本として出版された Angus MacKay's Book こと "A Collection of Ancient Piobaireachd" (1838)が最も有名ですが、 彼はこの他にもいくつかのマニュスクリプト(MS/手書き草稿)を残しています。これはその内の一つ。現在は、エジンバラの National Library of Scotland(NLS)に収蔵。
 
 用紙の透かしから推して、執筆されたのは1853年とされ、1854年に書かれたとされる "Seaforth MS" と共に、彼の最晩年の作と考えられています。
 因みに、彼がビクトリア女王付きの Queen's Piper を務めたのは 1843〜1853年の10年間。その後、精神に異常をきたして入院。病院から逃げ出して川に身を投げ、自ら命を絶ったのは1859年の事。

 この MS には48曲のピーブロックについて、夫々のカンタラックの一部(…なので、specimens=標本、サンプル)が記述されています。

 2ページ余りの Part 1 Intorduction では全体の概要と共にこの MS が20世紀以降のピーブロック識者によってどの様に取り上げられて来たか説明。

 Part2 Translation (翻 訳/この場合は「楽譜化」)では、楽譜化されたカンタラックを基に、例の如く Cannon 視 点での重箱の隅をつつく様な解析が展開されます。今回は特に、個々の装飾音について、MacCrimmon、 MacArther、Campbell といった他のシステムとの比較考察が主たる内容。装飾音毎の解説が7ページに渡って連綿と続きます。専門的すぎる内容なので 紹介はしません。

 当時は、たとえこの様な(NLS の収蔵物などに関する)解説を目にしたとしても、到底現実味は感じられませんでしたが、それから 30年を経た現在ではこれらはいずれもウェッブ上で閲覧可能。いい時代になったものです。
 因みにこの MS も PSサイトに掲載されていますが、アップロードが未完了の様 で、各曲の Document のリンクをクリックしても(冒頭の同じ解説文が出てくるだけで)該当ページにはたどり着きません(2019/2現在)。

 P35 Deuchainn-ghleusda, 'a tuning-prelude' は純粋なピーブロッ クネタでは有りませんが、なかなか興味深い記事だったので紹介します。ページ数は6ページ。
 執筆者は Seán Donnelly という名から推してアイルランド系と思わしき人物。古今のゲール語に精通した人物らしく、アイルランドとスコットランド、ま た、年代に応じた夫々の綴りの 違いなどについて触れながら、"tuning-prelude" に関するゲール語表現について詳しく説明しています。

 大雑把に要約すると、"tuning-prelude(調律のための前奏曲)" というテーマについて、scribe(写本筆写者)、harper(ハープ演奏者)、piper(バグパイプ演奏者) の3者の例を紹介している記事です。後2者は音楽家なので直ぐに理解できると思いいます。でも、最初の scribe については何?といった印象。しかし、実はこれがこの記事の最も興味深かった点。
 
 中世の写本筆写者はいわゆる羽根ペンを 使って写本を筆写していた訳ですが、必然的に頻繁にペン先をナイフで削って整形し直す必要がありました。そして、その都度、 新たに削ったペン先の書き味 が、削る前のそれと同等に仕上がっているかを確かめる必要があったのです。その際、筆写者は書き写している写本の余白に試し 書きをして書き味を確かめたと いうのです。(不思議なのは、そんな落書きがそのまま写本に残っているのでしょうか?)

 後世のタイピストがキーの動作確認として "the quick brown fox jumps over the lazy dog" とタイプしたり、音楽家が音階を上下して鳴らして音を確かめたりする様に、筆写者もその際にいくつかの定型文を試し書きした のです。ごくありきたりな定型 文としては "promhadh pinn/a test of pen" とか、"féchain-glésa/trimming or set" などが最も一般的。しかし、その他にも、時には詩的であったり、また時にはその時に携わっている筆写作業の難しさに対する嘆 き節であったり、悲喜こもごも で大変興味深い欄外記述が残っている由。
 筆者は以下の様ないくつかの例(ゲール語&英語訳)を紹介しています。

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 1つ目の例は1430年代、2つ目は12世紀前半、3つ目は610年、4つ目は16世紀、5つ目は16世紀後半に書かれた 写本から引用との事です。

 この後、話題はハーパーに移ります。まずはアイルランドの例。1792年、音楽家で民俗音楽収集家でもあった Edward Bunting(1773〜1843)が最後の爪弾きアイリッ シュ・ハープ奏者とされる Denis Hempson(1695〜1808)の演奏から採譜した "Feaghan geleash/Try if it be in tune - an ancient Irish prelude" という曲が存在する由。Bunting の書き残した文章を引用しながら、派生する様々なアイリッシュ・ゲール語について解説されていますが、少々専門的すぎてつい て行けないので紹介は割愛。

 そして、次にスコティッシュ・ゲール語の例として、この記事のタイトルである "Deuchainn-ghleusda" について解説。何やら、格変化についても細かく解説されていますが、ちんぷんかんぷんです。1680年代に Iain Breach MacLeod at Dunvegan にハーパーとして仕えた Roderick Morison に関して書かれた詩の中に、次の様なスコットランドに於けるこのフレーズの最も初期の使用例が存在する 由。"Deuchainn-ghleusda Mhic O Charmaig/The Tuning-trial of Mac O Charmaig"。
 伝説によると、Mac O Charmaig というアイ ルランド人ハーパーは旅の途中で MacLeod の屋敷に立ち寄った際、主人の娘と恋に落ちてしまい、その娘と駆け落ちをするために、その主人を眠らせて殺害しようとして、 この魔力のある曲を演奏。間際になって主人の息子の1人がハーパーを説得して殺害を思いとどまらせた、というストーリー。
 この話は、Lord of the Isle たる John MacDonald の息子、Angus Og MacDonald が、1490年のクリスマスにインバネスでアイルランド人ハーパー Mac 'I Cairbre によって殺害された史実に基づいているとの事。
 その史実では、Mac 'I Cairbre は MacKenzie of Kintail を訪れた際に主人の娘に恋に落ちます。MacKenzie の主人は(敵対する?)Angus Og MacLeod を殺害したら娘をやると約束した、という顛末。(あれが伝説でこれが史実と言われても、どっちもどっちですが。)
 
 そして、最後にパイパーの例として、Joseph MacDonald"A Complete theory of the Scots Highland Bagpipe" に "Deachain ghleusih" という綴りで登場するメロディーや、Angus MacKay"A Collection of Ancient Piobaireachd" に於ける例などについても触れられています。

 記事の最後に結論として次の様に書かれ ています。
 「ゲール社会(Gaelic Society)の3つの重要な専門職に於いては、業務の執行に先立つ試行について同じテクニカル用語を用いる。ゲール社会 に於けるプロのハーパーは(主 に盲目でアマチュアからプロになる例を除いて)詩人、写本筆写者、年代記編纂者、医者といった読み書きの出来る教養ある職業 人の階層から出る。そして、 ある特定の家系に於いてその様な職業は世襲される。歴史家や詩人が主な職業である家系に於いては、しばしばその他の職業に枝 分かれするのが常である。姓か ら推して、多くのアイルランドのハーパーは重要な教養ある家系の出身である。それ故、彼らは同じ概念について同じテクニカル 用語を用いるのである。
 
 しかし、パイパーはこれらの階層には属さない。古い序列が崩れ、ハーパーが少なくなった時に、代わってパイパーが高い地位 を獲得した。比較的遅れてゲー ル社会に登場したパイパーは、ハーパーたちの "tuning-prelude" を奏でる習慣を好んで受け入れたのだ。」 

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 P42 Ardvasar Seminar 1987 Part5/9。前号で書いた通りタイトル下表記は Part4と誤表記されている上に、さらにタイ トルが1987となっています。Seumas もかなりボケが来ている? 今回は本(楽譜)の代わりにテープ(録音)を使う事などについて論議されている様 です。
PT8903contents.jpg 表紙の女性パイパーに注目。1988年12月号の レポートで触れた 15th The Glendiddich competition に出場した、(おそらく)このイベント史上初の女性パイパーたる Amy Garson です。

 P17 Review は目次にはタイトルがありませんが、1988年にリリースされた  Roderick D. Cannon"The Highland Bagpipe and its Music" という本に関するレビューです。
 この本については、2006年5月5日の音のある暮らしに書いているので、まずはそちらにお目通 し下さい。
 つまり、これは私が "Piping Times" 講読を中断していた間に掲載されていたこの本の新 刊紹介記事です。

 このレビューを書いているのは A. G. Kenneth 御大。3ページ半という、新刊紹介にしてはボリュームのある記事で すが、その大部分は 4〜6章のピーブロックに関する記述に関して書かれています。

 新刊書レビューなのに何をそんなに書いているか?というと、この本の筆者 Cannon の常套の如く、まるで重箱の隅を突っつく様にあれこれ具体的に注文をつけまくります。例えてみれば「何章の何ページに書かれ ている○○という曲の○○の箇 所の○○の説明は○○の理由で間違っている。」といった感じの極めて辛辣な批評が、何曲分にも渡って延々と続くのです。

 Kenneth Cannon と は犬猿の仲なのか? 余程恨みでもあるのか? と思いつつ締めの文章にたどり着くと、いきなり「まあ、これまで指摘した様な ピーブロックに関するいくつか の点を別にすれば、その他の僅かな間違いと、一つの明らかなミスプリントを除いて、この本には広範囲にる研究に基づく情報が 詰まっており、綿密に書かれて いて、素晴らしい(excellent)!」との褒め言葉。どうやら、決して根っからの批判ではなくて、後輩に対する親心 (?)からのごく親しみ溢れたレ ビューだった様です。お二人が険悪な関係じゃなくてホッとしました。

  その Roderick D. Cannon による P20 Angus MacKay's 'Specimens of Canntaireachd' Part3 Transcriptions。 10ページに渡って全48曲のカンタラック付きの楽譜が一挙掲載されています。前号で書いた様に PS サイトの該当ページでは、アップロードが不完全で今の所閲覧できないので、纏めた PDFファイルをここにアップしておきます。

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 P39 Ardvasar Seminar - 5 は1号ずれはそのままで - 5 となっていますが実際は - 6/9。この号から、Andrew Wright のリードによる、ピーブロックの作曲をテーマにした ディスカッションが始まります。

 P48 The Battle of the Pass of Crieff or The Laird of Coll's Calley は久し ぶりにあの Thomas Peaston の記事です。ご存知の通り支離滅裂な英文を書く人なので、出来れば遠慮したいところですが、この記事は見開き2ページだけな ので、なんとか要点を抽出して紹介します。…と、真剣に取り組んでみましたが、やはりこの人の文章の読解は本当に骨が折れま す。

 そもそも、記事のタイトルから推して "The Battle of the Pass of the Crieff" と知られている曲は、"The Larid of Coll's Galley" という曲名でも知られている、という事らしいのですが、その様な説明は一切無し。
 その代わり、この曲がどの様な楽譜集(PS Book、Kilberry etc.…)に収録されているか記述される中で、Campbell Canntaireachd では "Bratach Ban" という曲名、Simon Fraser の楽譜集(Alt Red Book)では "The Battle of Bannockburn" という曲名で収録されている、と説明されます。さらに、Thomason's Ceol Mor からは "Coll's War Galley" "Laird of Coll's March"  "Salute to Inveraray" という曲名を引用。また、John MacKay は "The Laird of Coll's Barge" と呼んでいた、といった記述。一体、何を言いたいのか?

 この後、この曲が "rowing piobaireachd" である事、Urlar が "pentatonic in A" である事など、曲の構成について解説されますが、その折々にもあちこち話が逸れるので、主旨を追いかけるのに苦労します。

 唯一、興味深かった記述は「そもそも "Pass of Crieff(クリエフ峠)" などという場所は存在しない」という事。Angus MacPherson は常々この曲の正しいタイトルは "The Battle of the Pass of Grief or Gryffe" だと話していたそうです。その場所は、Dollar という街の南側を流れる谷間だとの事。

 最後の下りで、やっと "The Larid of Coll's Galley" の名前が出てきますが、そこには、このタイトルの同名異曲が2つあるとの記述。つまり、その一方が "The Battle of the Pass of the Crieff" という事の様です。…で、もう一方は? 何やらグダグダ書いてありますが、到 底追いついていけませんでした。…以上。

 P52 A Note on the Lament for Duncan MacRae of Kintail はもう1人の難敵、Frans Buisman。 ただ、この方の場合は正反 対に理路整然としていても内容が高度すぎて着いていけないというのが難点。今月は辛い月だな〜。

 この記事も見開き2ページと、この方としてはごく短い記事。その理由は、今回の記事は 1988年11 月号の Roderick Cannon による記事に 対するリアクション記事だからです。だからといって内容が軽いという事ではありません。やはり、難 易度はトップレベル。

 どうにか理解できたのは、この記事は、Cannon の記 事で抜けていた Washington's March の Edward Bunting のバージョンに関する考察だという事です。それは、Cannon の 記事に登場している Francis O'Neill のバージョンに酷似し ている由。
 それ以降の内容については、私の理解を超えているので、(残念ではなく)無念ながら割愛さ せて頂きます。
PT8904contents.jpg P17 Famous Pipers は著名なパイパーを紹介するシリーズもの(だった様な気がしますが、この前の記事がいつだったかは定かに思い出せません)。
 今回紹介されているのは表紙写真の Hugh A. MacCallum。 写真入りで約3ページの記事です。

 冒頭で、まずこの方のコンペティション・フィールドへの衝撃的なデビューの有様が紹介されています。
 それによると、1960年の The Argyllshire Gathering の Open クラスに初登場でいきなり優勝。なんと、彼はその前年にコンペティション・フィールドにデビューしたばかりの弱冠18才だっ たそうです。因みに、この時の Gold Medal クラス覇者は John MacFadyen でした。

 年長の兄から最初のパイプの手ほどきを受けた彼は、その後、地元出身のパイプ・メジャーからの指導を受けますが、指導の大 きな部分は従兄弟の Ronald MacCallum から受けました。Ronald MacCallum は Duke of Argyll のパイパーとして当時のスコットランドでは最も優れたパイパーの一人でとして、広く知られたパイパーでした。

 残りページの殆どを費やして1970〜80年代の様々なコンペティションに於ける Hugh MacCallum の華々しい戦歴が多々紹介されていますが、事細かに紹介しても仕方無いので割愛します。

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 P23 Ardvasar Seminar 1987 Part6 は1号ずれなので本当は 1988 Part7/9。この号では Tom Speirs のリードによるセット・チュー ンをテーマにしたディスカッションです。

 P41 Angus MacKay's 'Specimens of Canntaireachd' Part4 Conclusions。全48曲について、現代の曲名、それ以前のソースの 出所(A.MacKay 関連とその他別)、PS Book の該当ページ、を一覧にした表が掲載されているので↓に紹介します。本文では幾つかの曲についての細かい解説も書かれていま すが、それは割愛します。

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 出所の略称は次の通り
B : A Collection of Ancietn Piobaireachd or Highland Pipe Music/Angus MacKay 1938
I, II : Angus Mackay's MS Collection, volumes 1 and 2
A : Angus MacArthur MS
C : Campbell Canntaireachd MS
DB : A Collection of the Ancietn Martial Music of Caledonia/Donald MacDonald  1822
DM : Donald MacDonald MS
DJ : MS of Donald MacDonald Junior
DC : MS of Duncan Campbell
ER : MS of Eliza Ross
G : A Collection of Piobaireachd or Pipe Tunes as taken from John McCrummen/Neil MacLeod of Gesto 1828
J : John MacKay MS
R : Peter Reid MS
PS : Piobaireachd Socety Books volume and page number
CM : Ceol Mor, A new and abbreviated system/G. S. Thomason
PT8905contents.jpg タイトルから推して、P21 The Reflexive Shake : An Ancient  Piobaireachd Ornament 見紛う事なくピーブロック ネタ。しかし、この記事の著者はあの Frans Buisman.  その内容の高度さは推して知るべし。今号は Part1で10ページ。翌6月号 Part2の5ページ、8月号 Part3の4ページと合せて20ページに及ばんとする、いつもの通りの力作です。
 
 タイトルの "ancient piobaireachd" とは冒頭で "pre-MacKay" と言い換えられている通りで、つまりは、現代のピーブロック表現の規範となっている Angus MacKay 以外の様々な楽譜集やマニュスクリプトに書かれている表現を意味します。
 つまりは、もう一つのピーブロックとして Alt Pibroch Club が掘り起こし解説しているトラディショナル/オールド・スタイルの事。

 最初のページにいきなり Hannay/MacAuslan manuscript のタイトルが出 てきます。今では「おおっ!」と思いますが、1989年当時にこの記事を目にしたとしても、まるで意味不明だったでしょう。 また、興味が湧いたとしても、その実物を目にする事など夢のまた夢。

 例に漏れず、この筆者の論文内容を紹介する能力は私にはありません。ただ確信するのは、この方の論文を読めば読むほどに、 Alt Pibrock Club の現在の活動の嚆矢を放ったのは、紛れもなくこの Fran Bisman だという事です。

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  P41 Ardvasar Seminar - Part7 は1号ずれなので本当は Part8/9。この号では前号に続いてセット・ チューンをテーマにしたディスカッションです。
PT8906contents.jpg P19 From Humble Beginnings - The Story of The Army School of Piping はエジンバラ城に開設されているイギリス軍(British Army)直轄パイプ音楽学校の 20世紀初頭の様子を描いた記事。

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 私は思い込みとして「軍直轄のパイプ音楽学校=軍楽隊の音楽= パイプバンド
の音楽」というステレオタイプな捉え方をしていたのですが、どうやら実態はそんなに単純な構図ではなかった様です。

 今号だけでも10ページの記事で、さらに次回に続くというボリュームの文面には、"The Piobaireachd Society" の名前が連綿と登場。読み進めると、1903年に設立された The  Piobaireachd Society とこの当時の The Army School of Piping とは、密接な連携の下で運営されていた様です。…というのも、当時のピーブロック・ソサエティーの開催するコンペティションに於いては、軍に所属するパイ パーが主導権を握っていたからです。
 PS設立後最初のコンペティションである1904年の Argyllshire Gathering に於いて優勝した John MacDonald of Inverness、G.S.MacLennan、William Ross などは皆、いずれかの部隊に所属していたのです。

 詳しい内容紹介は省きますが、掲載されている多数の貴重な写真の中からピーブロック・ソサエティーの初代代表 Lord Lovat の肖像写真と William Ross の指導風景を転載します。

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 P37 Ardvasar Seminar - 8 は1号ずれで本当は -9/9、つまり最終回。

 P47 The Reflexive Shake : An Ancient  Piobaireachd Ornament Part2
PT8907contents.jpg 如何にも歌のタイトルと思わせる P16 The Fair Maid of Barra という見出しを見つけたので、興味深く該当ページを開いてみました。ところが、その記事はたったの4行。肩透かしを食らったと思いつつも「はてさて何が書 かれている?」と読んでみると…。
 『Barra 島在住の Morag MacAuley という麗しの女性は昨年11月にグラスゴーの病院に短い滞在をした由。齢85才の彼女にとって、本土に出かけたのはこれが生 まれて初めての事だった。』と いう内容。なかなか興味深い小話です。

 P17 The John MacFadyen Memorial Lecture は毎年春の恒例行事のレポート。この年は 4月21日(金)にいつもの通りスターリング城 の the Chapel Royal で開催された由(⇒1987年のレポート参照)。
 この年の講演者は、Clan MacLoed の現チーフテンである、John MacLeod of MacLoed。Clan MacLeod については、"which has been the principal patron of piping for the last five hundred years" という形容詞が冠されています。
 そして、講演者によるごく初期からのクラン・システムの変遷に関する分析、時のチーフとマクリモン一族との相互関係、内部 要素と外部要因によるその関係 性の変化、そしてそれら全てが相まって現在のパイピングの置かれている状況に到達した、といった内容の今回の講演がいかに興 味深いものであったかが強調さ れています。

 John MacLeod of MacLoed は(ガーリック・シンギングの)歌い手としても一流。講演に先立って、Rory Mor MacLeod に 関する "Tog orm mo Phiob" という歌を披露した由。パイプ演奏のパートは、Iain MacFadyenGavin Stoddart が担い、各々が2曲づつ計4曲が演奏されました。

PT8907JMM.jpg そして続く P18 The Satatus of the PiperJohn MacLeod of MacLoed によるこのタイトルの講演の講演録。次号と2回に分けて掲載されていますが、今月号だけでも10ページにも渡るボリュームで す。

 John MacLeod of MacLoed は Clan MacLeod の実に第29代目!のチーフ。始祖は12世紀のノルウェー (バイキング)に遡るという、自らのクランの 800年間の変遷を俯瞰しながら、その長い歴史のちょ うど中間点たる1600年代、ゲール文化が最も輝いた時代を築いた15代チーフ Ruairidh Mhor(Rory Mor) MacLeod の時代のザ・パ イパー、つまり、マクリモン一族のゲール社会に於ける立ち位置を振り返ります。

 長文かつ文学的な言い回しが多くてすんなりと理解できない箇所も多々あるので全体の紹介は無理ですが、いくつか印象的な箇 所を紹介します。

 その当時のパイパーのステイタスを伝える象徴的な例が披露されていました。彼が歌ったガーリック・ソングの中に次のような 歌詞があるとの事。

 "MacCrimmon, the piper, laments not only the death of a Chief, but the death of his friend, Ruairidh Mhor."

 その他、文中の表現では…、

 "〜 in terms of the society in which he (the piper) lived, the culture which he served, was never more securely established, or higher, than in the time of Ruairidh Mhor." 

 "〜 just as Shakespeare is credited sometimes with having invented over half the English language, so it is no accident that the same might be said in relation to the MacCrimmons and pibroch."(シェイクスピアが英語の半分以上を発明したと言われることがあるように、マクリ モンとピーブロックに関しても同じ事が、言えるかもしれない。)


 この頃の広告ページはほぼ毎号同じものが掲載されていましたが、こ の号に珍しい宣伝が登場したので紹介します。ビデオの宣伝です。

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 この頃は、私自身にとって "Piping Times" 購読休止期間なので、この宣伝を同時代に見てはいません。もしも、見ていたら、おそらく入手していた事でしょうが…。
PT8908contents.jpg P21 The Status of the Piper John MacLeod of MacLoed によるこの年の The John MacFadyen Memorial Lecture に於ける講演録の後半。
 この年のリサイタルパートを担った Iain MacFadyenGavin Stoddart のお2人。前者は "MacLeod's Salute" と "Lament for MacLeod of Colbeck" を、後者は "HIs Father's Lament for Donald MacKenzie"、"Salute to James Campbell" を演奏した由。

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 P31 Top Pipers and Top Contests と P32/33 Top Piper's Opinions of the Top Competitions in 1988 は一連の記事です。
 CoP はスコットランドと北米のトップパイパー達に対して、1988年に英国で開催された9つのコンペティションに関するアンケートを実施。P31〜35に経緯 と結果報告、間の P32/33見開きに結果一覧表が掲載されています。
 
 アンケートは 21人に送付され、回答したのは14人。実は、同様のアンケートは前年も実施されたようPT8908Competitions_2.jpgで(そういえば昨年もそ んな記事が有った様な…)、アンケートに対して回答しなかった1人のパイパーは「そ の際の集計結果に対して不快感を感じたので、今回は回答しない。」と返信してきた、と正直に報告されています。そのパイパー は「ボランタリーな団体が運営 するイベントと、企業が潤沢な広告宣伝費を注ぎ込んで運営されているイベントを同列で比較するのは公平では無い。」と書き加 えていた由。

 結果の詳細な解析部分は省きますが、参考までに見開きの一覧表を掲載します。()内は1987年の点数。

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 P35 The Highland Bagpipe and its Music はかの Roderick D. Cannon によるこのタイトルの本の書評。この本に関しては 2006年5月5日の「音のある暮らし」に詳しく書いてありますので、参照し て下さい。そこに書いてある通りの経緯で、この紹介記事をリアルタイムで読んでいなかったので、私が実際に購入したのは20 年近く経ってからの事。
 この書評の著者は Alan B. Cameron と いう人物ですが、な にやら本の各章の内容から著者がインスパイヤされたやたらと高尚ぶった文学的文章の羅列でとても書評という体裁ではありませ ん。本の内容を知っているので さほど気にもなりませんが、リアルタイムで読んでいたらさぞかし戸惑ったと思います。それでも、なにはともあれ Roderick D. Cannon の名前だけでもすかさず購入していた事は間違いありません。…いや、もしかして、その当時は未だ Cannon の存在をさほど強く認識していなかっ たか…?

 P38 The Reflexive Shake : An Ancient  Piobaireachd Ornament Part3

 P46 The Origins of Highland Piping は当時の常連執筆者の一人 Keith Sanger による5 ページの記事。大まかな内容は Sumas MacNeill の BBC本 "Piobaireachd - Classical Music of the Highland Bagpipe" の 第1章 "History of The Bagpipe" に書いてある内容と重なります。ただ、遺跡や引用されている文献・資料に関する説明がやたら詳しいため、文章の雰囲気は大き く異なり、少々取っ付きにくい 文章。(今月号は似たような印象の記事が多いような…。)

 著作権の関係がどうなっているのかは判りませんが、Academia というサイトにこの論文が掲載されています。ログインすれば誰でも閲覧&ダウンロード可能。⇒ ここ
PT8909contents.jpg P17 Honour the Pipers はこの年の女王の誕生日に際して、2人のパイパーがパイピングに対する長年の功績を讃えられて MBE(Member of the Orders of the British Empire)に叙せられた、 という短い記事。
 1人は The Army School of Piping の代表責任者たる John Allan という人。
 そして、もう1人が我らが John D. Burgess で す。Wikipedia には「1988年に叙せられた」となっていますが…。 何れにせよこの頃だった訳ですね。

 P18 Boreraig Celebrations は毎年恒例の The MacCrimmon Cairn に 於ける "Penny and the Piobaireachd" セレモニーの記事。
 しばらくは、毎年気合を入れたレポートが続いていましたが、流石にルーティン化したのか、前年と同様にこの年も1ページ強 (その内半分はジュニアコンペティションの結果報告)のごく短いレポートです。今回に至っては写真すら有りません。
 6月20日に開催されたこの年のセレモニーで奉納されたピーブロックは Iain MacFadyen による "I got a Kiss of the King's Hand" と "Lament for the Children" だった由。

 P22 The Reflexive Shake : An Ancient  Piobaireachd Ornament Part4。相変わらず Frans Buisman による難解な解説が延々と続いています。

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 P28 Piobaireachd - The Song's The Thing についてはリードに出所が書いて有りますが、肝心の "the Ceol Mor Society" とやらについての説明は有りません。スコットランドの団体なのか、海外の団体なのか? 講演者も初めて聞く名前の2ページ強に短く纏められた講演録。
 講演の内容はタイトルから想像する通りです。強引に意訳すれば「ピーブロックは歌ってナンボのもの」と言ったところでしょ うか。
 
 講演者はピーブロックについて、演奏中のパイパーの歩みと同様にのらりくらりとしていて単調でのっそりとして退屈に感じら れた。曲の最終段階に差し掛か るまで、その曲がバリエイションの積み重ねになっている事に気付く事ができず、気付いた時にはバリエイションの基になってい るメロディーがどの様なもので あったか?を思い起こすには遅過ぎた、とピーブロックと出会った当初を振り返ります。

 しかし、そんな講演者はカンタラックと出会う事によって、この音楽を「楽譜だけから習得しようとするのは不十分である」と 気付かされます。カンタラックによって初めて、楽曲のタイミング、リズム、陰影や韻律などの表現が伝達され得る事に…。

 多くの西洋音楽は伝統的な楽譜表記のシステムで表記(計算)可能(calculable)に対して、ピーブロックには ー 他の例としてはグレゴリアン・チャントの自由な言語リズム(free speech rhythm)などに見られる ー 特定の歌唱表現(specific vocal idioms)でのみ表現可能なリズムのニュアンスが含まれている、と強調。そして、

 "Piobaireachd is a completely original form, unique to the pipe, which is a single-line instrument; yet, the ear can rcoginaize as much subtlety and variation as in contained in a fugue of J.S. Bach. "
 
 …とし、伝統的な楽譜表記ではその様なピーブロックの微妙なニュアンス、リズム、陰影を表現する事が不可能な中で、それぞ れの曲の正しい描写を理解する唯一の方法は歌唱による伝承方法だと、述べます。

 講演者自身の具体的なピーブロック習得の手順は、まずその曲を師匠から歌ってもらい、その内容をカンタラックの音節を表す 文字を使い書き取る。その際に フレージングや陰影や韻律を記するために句読点や発音記号の様なマークも書き加えるという手法。そして、講演者はこの手法 は、実は印刷された楽譜に於いて も有用であるとします。ただし、その際には「区切り線(bar line)は消し去るべし」と…。それによって、

 "Rather, each phrase can be written as a musical sentence,  thus freeing the reader from the bandage of bar lines and necessitating thinking in phrases." (太字引用者)

 これは、パイプのか おり第14話で紹介したあの Binneas is Boreraig の表記方法に倣う考え方、そして、そこに引用した Angus MacPherson の次の言葉に通じます。
 
 "Once piobaireachd got imprisoned in bars that it lost its soul."(太字引用者)

 そして、講演は次の様な大変心打つ一文で締めくくられます。

 "Singing music, as a standard practice routine, makes the music your own.  Thus, the music is in you and a part of you, just as emotions or any other mental process. Therefore, since the song is part of you, rather than a part from you, the relationship of player and instrument can have an added dimension.  The instrument need no longer be a prosthesis, but rather, an extension of the player.  There are no clandestine secrets to the enjoyment of fine music. It is up to us, as musicians, to render our art in as complete a manner as possible. Great composers have passed on into history, but have left us an amazing legacy. As with all fine music, it has always been true, and always will be true, that the musicality of piobaireachd will live on for as long as there are young hearts to echoe the heritage, and fine musicians to sing it and do pass it on."(太 字も原文通り)

(音楽を歌うことは、標準的な練習のルーチンとして、その音楽を自分のものにする。その事で、感情やその他の精神的 なプロセスと同じように、音楽はあなたの中に入り込み、あなたの一部となるのです。 そして、歌はあなたからの一部ではなく、あなたの一部であるため、演奏者と楽器の関係は、さらなる次元を持つことができるのです。 楽器はもはや補綴物である必要はなく、むしろ演奏者の延長線上にあります。音楽を楽しむための秘訣はありません。音 楽家としての我々は、自分の芸術をできるだけ完全な形で表現することができるのです。 偉大な作曲家は歴史の中に消えていきましたが、私たちに素晴らしい遺産を残してくれました。すべての素晴らしい音楽がそうであるように、ピオバイヤックド の音楽性は、その遺産を受け継ぐ若い心と、それを歌い伝える素晴らしい音楽家がいる限り、今までも、そしてこれから も生き続けるのでしょう。)


※ 最初に引用した一文と共に、この長文のままピー ブロック名言集に 収録しました。

 P31 Judges'  Verdicts先月号で紹介した Top Piper's Opinions of the Top Competitions in 1988 のジャッジ・バージョンたる "Judges' Opinion of the Top Competition in 1988" の一覧表と解説。今回は一覧表の欄外にコンペティション名 の省略表記の参照が書いてあります。

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 7月号でビデオの宣伝を紹介しましたが、 今月号にも別のビデオのリリースが宣伝されていました。この当時、この MacKINNON production という会社から割と頻繁にビデオがリリースされていた様です。

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PT8910contents.jpg P17 The Silver Chanter は、8月9日に Dunvegan Castle で開催されたこの年の(正式名称) The 23rd MacCrimmon Memorial Silver Chanter Recital のレポート。(このイベントの詳細については過去のレポートを 参照願います。)

 この年の演奏者は6人。演奏者と演目は次の通り(演奏順)。

Iain MacFadyen "Lament for the Children"
Roderick J. MacLeod "The King's Taxes"
Gavin Stoddart "I got a Kiss of the King's Hand"
Mike Cusack "The Battle of Waternish"
Murray Henderson "Lament for MacSwan of Roaig"
William MacCallum "Rory MacLeod's Lament"

 ジャッジは John D. Burgess、Malcolm MacRae、Alasdair Milane.(最後の人物は主催団 体たる The John MacFadyen Memorial Trust のチェアマン)

 そして、映えある The Silver Chanter Roderick MacLeod に授与されたとの事です。
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 P24 The Argyllshire Gathering の結果は次の通り。
 Gold Medal は 1st Alasdair Gillies(Lament for the Viscount of Dundee)、2nd Gordon Walker(Lament for Patrick Og MacCrimmon)、3rd Colin MacLellan, Canada(Grengarry's March)、4th James Bayne(Black Donald's March)。

 Open Piobaireachd は 1st Mike Cusack(MacLean's March)、2nd  Roderick J. MacLeod(Port Ular)、3rd  John MacDougal(Hindro Hindro)、4th John Hanning, NZ(Sutherlands' Gathering)。

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 P34 Bagpipes in Greece は全ページに模式図、運指表、写真が入った総11ページに渡る力作。世界中のバグパイプがリバイバルしている現代、そして、 ネットでもバグパイプに関する情報が溢れている今日(例 えば⇒)では有り難みが無いかもしれません。しかし、バグパイプ全般がまだまだ暗黒時代だった当時としては、ギ リシャのバグパイプに関してこれほど詳細に記載された資料は(有名な Anthony Bains の "Bagpipes" も含めて見渡しても)極めて貴重だったと思います。
 版権的には少々問題有りでしょうが、ある意味文化財的なこの記事全部を PDFファイルにしてアップ。上の写真からリンクしてあるので、興味の有る方はどうぞお目通し下さい。

 P48 A. G. Kenneth は追悼記事。Archibald Campbell of Kilberry 亡き後のピーブロック・ソサエティーの中心人物であった、Archie G. Kenneth が1989年7月27日に亡くなった由。
 A. G. Kenneth は Piobaireachd Society Book 11(1966年)〜Book 15(1989年)編纂の中心人物。実に25年近くも中心的人物としてソサエティーの活動をリードしてきました。ちなみに最 新版の Book 16がリリースされたのはそれからほぼ25年間のブランクを経た 2015年の事です。彼はピーブロックに関する研究者、分析家として優れていただけでなく、優れた作曲者としての一面も持っ ていた事は、彼の自作曲を収め た何冊もの楽譜集で明らかです。

PT8911contents.jpg この号は2010年6月1日の日記で触れた3冊の「オリジナルの白黒コピー」の内の最 後の1冊(他の2つは1986年4月号1987年7月号)。

 ざっと目を通した所では目ぼしい記事が見当 たらないので、ネタを探して細かく読み込んでいたら、興味深い事に気づきました。

 上で紹介した「オリジナルの白黒コピー」である 1987年7月号で紹介した Frank J. Timoney は(その都度紹介はしていませんが)、その後、毎月と言わないまでも極めて頻繁に投書欄に投稿されていました。
 この号でも、P6 Mornig Mail に「アメリカ独立戦争に於けるある軍人パイパー」に関する1ページ余りの考察を投稿。「相変わらず博識だな〜」と思っていた ら、なんとにさらにもう一通の投稿が掲載されていました。

  P49 Evening Post の投稿は、6月号の S.P.A. Quiz の設問中の記述について。
 その設問では、Donald Cameron の生年が1810年となっていたとの事なのですが、 Frank J. Timoney はこの人は 1811年生まれのはずだ、と指摘。参照資料を示して説明しています。

 この当時の "Piping Times" はこの様な博識かつ精力的(に情報提供する)なバグパイプ愛好家(研究者?)に支えられていたのだな〜、と感心した次第。

 P17 The Northern Meeting の結果は次の通り。
 Gold Medal は 1st William MacCallum(Battle of Auldearn No.2)、2nd Scott MacAulay(Lament for Donald Duaghal MacKay)、3rd Wilson Brown(Hiharin dro o dro)、4th Gordon Walker(MacKay's Banner)、5th Michael Grey(MacCrimmon's Sweetheart)。

 Clasp は 1st Alan MacDonald(Lament for King Geroge III)、2nd  Murray Henderson (Lament for King Geroge III)、3rd  Jack Lee、4th Mike Cusak

 P20 The Donald MacDonald Quaich Competition は第3回目。この年は6月23日に開催された由。このイベントの詳細については、1987年の第 1回1988年第2回のレポートを参照して下さい。

 この年の演奏者と演目は Robert Wallace "MacDonald's Warning"、Ronald MacShannon "The Rout of Glen Fruin"、Murray Henderson "Angus MacDonald's Assault on the MacDonalds"、Roderick MacLeod "Black Donald's March"。
 ジャッジは初回から3年連続の John D. Burgess。 晴れて Donald MacDonald Quaich を授与されたのは Robert Wallace だった由。

 このレポートは Malcolm McRae によるもので、量的には写真抜きの1ページ半の極めてコンパクトな内容。通常私はこの手のレポートで「各人がどの様な演奏し た…、云々かんぬん」という部 分には殆ど興味は有りません。しかし、昨今のオールドスタイルの関心の高まりから Donald MacDonald Setting に強く惹かれる様になったため、このレポートについては深い関心を持って目を通しました。そして、以下の下りなどは特に興味 深く感じた次第。(太字:引用者)

 Ronald MacShannon の演奏について…
 "Ronald chose to lengthen some of the cadence E grace notes, at the expense of the following theme notes, so that the characteristic theme of the ground of the tune was lacking."

 Robert Wallace の 演奏について…
 "It is interesting to note that he played the 'hiharin' movement with the first low A long, whereas the Donald MacDonald setting shows both first and second low A's as semi-quavers."

 このイベントに招待される様な凄腕パイパーたちにとっても、Donald MacDonald setting の(装飾音の)表現については、この当時は未だ不慣れで戸惑っていたのではないでしょうか。

  表紙写真は、この年7月に亡くなった Archie Kenneth。 追悼記事は10月号に掲載さ れていました。

 P15 Editorial (当然ながら執筆者は Seumas MacNeill)に大変興味深い記述が有りま した。

 我々日本人にとって、英国の階級社会というのは、概念としては分かったつもりになっていても、その実情はなかなか掴み切れ ません。私自身はピーブロックが伝承されて来た経緯を長年に渡って辿る中で、うっすらとその一面が見えてきた(かな?)、と いう感じです。

 その様な印象を基にしつつ、4年前に(1)1985年7月号 の James Campbell of Kilberry による 50 Years of Judging と、その続編とも言える、(2)1985年9 月号の Seumas MacNeill による The Professional Pipers Association の2つの記事を紹介しました。
 特に、貴族階級の当事者の講演録である前者については、行間を読み解きながら、多分に自分なりの憶測も含めて記述しま した。
 そうした所、このエディトリアルの中で
、 それらの憶測を裏付ける様々な記述が目についたのです。

 冒頭の書き出しは次の通り、
 「最近のパイピング・シーンで喜ぶべき事柄の一つは、アマチュアとプロ フェッショナルの間の溝が、もはや越えられない程の深さでは無くなった事である。」
 
 そして、いわゆるプロフェッショナル・パイパーについて次の様に書かれています。
 「今世紀初頭の頃まで、全てのプロフェッショナル・パイパーは肉体労働者、 あるいは下級兵士〔司令官レベルという事は絶対に無く〕という時代であった。」

 続けて、アマチュア(貴族階級/ジェントルマン)については次の様な比喩が…。
 "As in cricket, gentlemen were expected to play, but no to play well."

 ほんの少し前まで、プロフェッショナル・パイパーが The Piobaireachd Society に加入する事すら考えられなかった、と書かれています。曰く、
 "There was a time not so long ago when it was unthinkable that a professional piper could even be a member of the Society, although there was nothing in the constitution to debar him. Gradually however one or two were invited into the fold." (太字、引用者)

 最後の一文では、その様な風潮も徐々に変化した旨が書かれています。つまりは P/M John MacDonald of Inverness John Macfadyen の事を指しているのでしょう。
 
アマチュアたちはその様な状況を渋々認めつつ も、委員の一人は「パ イプ・メジャー(= プロフェッショナル)に 支配権を握られる様な事があってはならない。」とあからさまに発言していた、という事も同時に紹介されています。

 更に別の団体の例の次の様な状況が紹介されています。
 「もう1つのアマチュアの牙城として、The Royal Scottish Pipers Society があるが、この団体のメンバーも徐々に "the gentlemen" "the player" には何ら差異はない、という事を認識する段階になってきている。
 近年、この団体の2人のメンバー Dr Roddy Ross(訳者注:"Binneas is Boreraig" の作者)Dr David Rainsford Hannay
プ ロフェショナル達を相手に Gold Medal(訳者補足:A.G. & N.M.)を 競っているが、この様な行為はほんの少し前であったら、ソサエティーからの除名に値する。
 ソサエティーの古いメンバーたちにとっては、パイピングでお金を得る(賞金を獲得する)というのは、極めて嫌 悪すべき行為である。それどころか、彼らにとっては必要経費(交通費など?)を受け取る事すら考えられない。
 主要メンバーの1人である David Murray は近年 BBC から報酬を得ている。おそらく、そのためには組合にも加入しているはずだ。他のメンバーから提出された『彼はもはや厳密に言えばアマチュアではない。 RSPS からの退会を求めるべきである。』という動議は極めて正当なものではあったが、審議の末に完全に却下 された。
 そして、『RSPS の全ての会員はアマチュアである "All members of the RSPS are amateurs."』という見事な決定がなされた。この奇妙な Catch 22 statement はもちろん完璧に正しい。それ以来、アマチュアとプロフェショナルに何 ら違いは無いと認識され、重箱の隅をつつく様な事も無くなった。」
(太字、引用者)
 
 続けて「しかし、パイピング界の様に幸運な展開になるばかりではな い。」として、次の様なアスリートの例が紹介されています。
 それは、1930年代に勇名を馳せたランナー Tom Riddell 陸軍中佐が、The Scottish Amateur Athletic Association の生涯会員資格を辞退した事が最近報じられた話。
 Tom Riddell 陸軍中佐は、この団体が偽善的とも思える "Amateur" という名称を下ろさない事に業を煮やして退会したとの事です。そして、「パ イピングの世界と同様にアスリートの世界でもアマチュアもプロフェッショナルも何ら実質的な違いは無い中で、Tom Riddell 陸軍中佐は状況を理に適ったものに変革するための明確な一歩を踏み出した。」と 高く評価します。 (Tom Riddell 陸軍中佐の生涯についてはここ⇒

 そして、
Seumas は エ ディトリアルを次の様に締めくくります。
 "Fortunately the word "amateur" does not appear in any of our piping societies, so our changes have been able to take place without any alterations to rules or constitution."
(太字、引用者)
 実際の演奏者たるプロフェッショナル・パイパーの参加はそもそも想定しない前提 で、 貴族階級のアマチュア・パイパー達が設立したピーブロック・ソサエティー。伝統文化を守る事を標榜したこの団体が、 皮肉な事に冒涜的な文化の破壊行為を多々行ったのも、考えてみれば当然の成り行きだったと言えるのかもしれません。

 P17 The Glenfiddich 1989 はタイトル通りの、16回目を迎えたこの催しのレポート。
 結果は以下の通り。(冒頭の印は過去3カ年の連続出場状況/★は出場/☆は初出 場/_は参加実績無し/順位はピー ブロック部門)

1st
★★★ Murray Henderson "Lachlan MacNeill Campbell of Kintarberts' Fancy"(ずっと連続出場、79、80、85年の覇者)
2nd ★_★ Alasdair Gillies "The End of the Great Bridge"
3rd _★★ Willie MacCallum "MacNeill of Barra's March"
4th ★_★ Mike Cusack "Lament for the Earl of Antrim"

5th _★★ Gavin Stoddart "Unjust Incarceration"(80〜84年出場、83、88年の覇者)

__★ Robert Wallace "Lament for the Children"(85年の初出場以来)

_★★ Roderick MacLeod "Craigellachie"
★★★  Iain MacFadyen "The Stewarts White Banner"(ずっと連続出場、77、81、84、86、87年の覇 者)
__★ Alan MacDonald "Mary's Praise"(84年の初出場以来)
__☆ Gorden Walker "Lament for MacSwan of Roaig"(この年唯一の初出場)

 Murray Henderson は MSR部門でも 1st を獲得したので、この年のオーバーオールチャンピオンの行方は言うまでも無しです。

 レポートの冒頭で、このイベント についてはこれまで BBC radio によって録音されるのが常でしたが、この年初めて BBC television が4台のカメラと照明器具など多くの機材を大勢のスタッフと共に持ち込んだ、との記述がありました。

 その時の映像がその後いつ放映されたかは分かりませんが、その当時はそれを観ることができたのは英国内か英連邦に限られた 事でしょう。ところが、それから4半世紀後には、世界中どこでも誰でも が生中継(ライブストリーミング)を観る事も、後日編集された録画を好きな時に観る事もできる様にもなりまし た。テ クノロ ジーの進化万歳!ですね。

 P27 The Hebridean Piper9月号で紹介したビデオのレビュー。
 7 月号で紹介した2本も含めたこれら3部作のビデオをプロデュースした Donnie MacKinnon という人は、それまで住んでいた米国カルフォルニアから母国スコットランドに戻って、これらのビデオを鋭意制作しているとの事。

 レビューの次の様な記述が気になります。
 "Apart from the piping itself the scenery is quite magnificent. For anyone who sees the spell-binding machairs and lonely exotic beaches will undoubtedly want to visit and explore these Outer Hebrides."
 ※ machair:
in Scotland, especially the Western Isles, low-lying arable or grazing land formed near the coast by the deposition of sand and shell fragments by the wind

 この当時リアルタイムで購読してこの記事を読んでいたら、この3部作を迷わず購入していただろうと思うと、ちょっと心残 りです。



 P30 James Reid, A Hero of the '45 の筆者はあの Thomas Pearston。途中見開き2ページ大の 参考資料が挿 入されていますが、実質的なボリュームは3ページとコンパクト。しかし、短くてもそこは相変わらずのピアストン節全開。様々な引用文が入り乱れ、直ぐに脇 道に逸れる上に、例によって文脈がメチャクチャなので読んでいる最中は主題は一体何なのか?と 惑わされます。なんとか読み解いた上で、この記事で筆者が訴えたかった事は…、

 1745年の Jacobite Rising で壊滅的な敗北を喫した後、数百人のジャコバイト兵士が捕らえられ、軍事裁判にかけられた。ある者は無罪放免、ある者は有罪で流刑、そして、ある者は極刑 の死刑(縛り首)となった。捕虜の中には何名かの従軍パイパー達も居たが、縛り首になった兵士の中で、唯一のパイパーが James Reid である。
 彼が有罪となった根拠は「いかなるハイランド連隊もパイパー無しには行軍は行われない。それ故、法に照らし合わせて鑑 みればバグパイプは武器(instrument of war)と見なされる。」というものである。しかし、この他の政府の決定の中でパイパーが縛り首になった判例は見当たらない。他のパイパーは無罪放免かせ いぜい流刑に処せられただけである。James Reid は単純に不運な例だったと言える。彼はハイランド・パイプの歴史の中で「パイパーである」という理由で死刑になった唯一 の存在である。
 ピブロック・ソサエティー・コレクションには Nameless チューンが18曲あるが、その内の一曲のタイトルを "Salute To James Reid" としても良いのではないだろうか。少なくとも、我々は彼の命日たる 1746年11月15日を決して忘れるべきではない。


 …以上、手短に纏めるとこの様な内容です。ところが、実際にはタイト ルに続けてリードも抜きで、いきなり次の様にある本の引用から文章が始まっています。



 なんじゃこの Grattan Flood "Story of the Bagpipe" って本は?と思って、ググってみると、現 物が Internet Archive(a non-profit library of millions of free books, movies, software, music, websites, and more)というサイトにアップされていました。(⇒ 表紙写真からリンク)
 概要によると1911年に出版された本の様です(つまり、英国の著作権保護期間70年が 過ぎているので収録可という訳)。右の表紙写真から該当ページにリンクしています。そのページで110年 前のオリ ジナル本のフォトコピー版を読むことが可能。ダウンロードして読みたければ、ページ右側の Download Options の中から様々なフォーマットでダウンロードも可能です。電子書籍フォーマットの EPUB版 をダウンロードすると、読み易いデジタル活字で読むことが出来、一方、オリジナルのフォトコピー・バージョンで100年前の 雰囲気を味わいたければ PDF版をどうぞ…。

 Pearston は、この引用文の最後に書いてある、"The contemporary Caledonian Mercury" を国立図書館でチェック。次の通り 1746年11月25日付の紙面を引用しています。



 ここで、早速話が逸れて原文ではこの Lord Ogilvy という人物についての詳細な解説に移りますが、本筋とは余り関係無いのでここでは割愛します。
 
 続けて、Prince Charles Edward に 仕えて捕虜になった数百人の兵士の名前とプロフィールが記録された "Prisoners of The '45"(1929 年出版)という3巻から成る本の中から、(James Reid 以外の)何人かのパイパーのリストを引用。



 ここで再び、最後に記されている Allan MacDougall と いう盲目のパイパーに話題が展開。軍隊に盲目のパイパーが従軍する理由は唯一つ。それは彼が飛び抜けた技量の持ち主だったか らに他ならない。その事から推し量って「彼は Angus MacKay MS の中で "Blind MacDougall"  として言及されている有名パイパーではなかろうか?」と、いきなり別の書物の記述に飛びます。

 盲目のパイパーについてさらに話題を続けた後、やっとリストに話を戻して「パイパーであったが故に死刑を宣告された」 James Reid の例がいかに異例なものであったかについて、次の様に文章を続けます。



 ここでは文中で紹介されているエピソードに注目。なんと、Prince Charles Edward が食事する際は、テントの外で32人もの パイパー が 演奏していたというのです。

 私が更に気になったのはこのエピソードの引用元。Manson"The Highland Bagpipe" って何だ?と再びググってみると…、やはりこの本も Internet Archive に収録され ていました。(⇒ 表紙写真からリンク)
 正式タイトルは "The Highland Bagpipe - Its History, Literature and Music" で、著者は William Laird Manson という人物。1901年出版との事で、先ほどの本よりもさらに10年前のリ リースです。

 以上の通り、今回の記事でも相変わらずのピアストン節に散々振 り回されました。しかし、内容的には大変興味深いものでしたし、およそ100年前にもバグパイプ関係の本が色々と出版されていた事が分かりました。幸いか な現代のテクノロジーがそれら100年前の書物を、現地の図書館に行かずとも、自宅に 居 ながらして目を通すことを可能にしてくれています。この際、この冬の読書ネタが2つゲット出来たので良しとしましょ う。


 まるで「今月の〜」という感じでこの号の P48 The Customers Always Write にも又、Frank J. Timoney が投稿しています。

 Timoney はこの年の8月になんと3冊の "Piping Times" を受け取ったとの事。通常の9月号に併せて1ヶ月遅れの8月号と一緒に、なんと1988年6月号が配達されたというのです。この号を U.S. Postal Service が14ヶ月も掛けて配達した理由は「神のみぞ知る」と書いています。
 私も以前、NPC の "Piping Today" を購読していた時に、同様の経験が有ります。インターナショナルな郵便事業に於いては、時としてこういう事が有り得る様です。

 さて、Timoney はその 1988年6月号の "The Elusive Appoggiatura" という記事について「このコメントが 遅きに失していない事を願う」と前置きしつつ、1ページ余りの詳細な追加情報を書き連ねています。中でも、Dr. Charles Bannatyne  と Simon Fraser とが 20世紀初頭にやり取りをしていた文書に関する下りなど、なかなか興味深い内容でした。
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