30年前の“Piping Times”《1984年》

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1984年1月号

January/1984

Vol. 36/No.4

PT8401contents 表紙写真に注目。ハイランド中部、スペイ川沿いの村 Laggan に建立されているという、Calum Piobaire(Malcolm MacPherson/1833〜1898)のモニュメント(Carin)です。
 Calum Piobaire に関する記事はパイプのかおり第14話第34話に詳しく。


 P13 London Contest は、ハロウィーンも過ぎて、いよいよケルト的には新年に入った最初のイベント、The Scottish Piping Society of London コンペティションのレポート。
 今回のレポートで初めて知ったのですが、このコンペティションで最も権威ある賞である“The Bratach Gorm(the blue banner)”を競う部門に参加できるのは次のような資格を要するとのこと。
 "previous winners of the Gold Medal competitions at Oban or Inverness, or the Dunvegan Medal, or the South Uist Open Piobaireachd and winners of the London Open Gillies Cup"
 確かにかなりの狭き門ですね。昨年のコンペティターは6人でしたが、今年はどうやら4人だけのようです。

 ちなみに、故 John MacFadyen が、1966年から1970年にかけての連続した5年間続けてこの The Bratach Gorm に輝いたのが空前絶後の記録として残っています。

 さて、1983年の The Bratach Gorm に輝いたのはかの Murray Henderson。曲は "Unjust Incarceration" でした。2nd 以下の結果と演奏曲は次のとおり。
2nd Iain MacFadyen“Corrienessans Salute”
3rd Andrew Wright“Lament for Donald Douaghal MacKay”(前年は同じ曲で覇者)
4th Colin MacLellan“Glengarry's March”


 P22 A Letter from Boreraig は Dunvegan 城に保管されている Clan MacLeod にまつわる様々な文書の中に保管されていた 1711年(or12年?)の手紙。その内容は「バグパイプの売却に関する歴史上最も古い記録」ということです。以下はオリジナルとそれを活字化したもの。

BoreraigLetterOriginalBoreraigeLetterT

  レポートでは、文中の Ronald とは誰か?ということを推察しています。手紙の相手としては、おそらく、MacCrimmon 一族のだれかの可能性が高いと思われますが、一方で Ronald という名は MacCrimmon 一族の中で知られていないそうで、どうやら謎は解けていないようです。

 興味深かっ たのは、ハイランド・パイプは1セットのバグパイプについては "a bagpipe" と単数扱いになるので、ここで "both the pipes" と複数形になっているということは、売却されたバグパイプは2セットである事を示しているという推測です。
 そう言われれば、確かにハイランド・パイプの場合は "Highland Pipe" と標記されます。一方で、アイルランドのイーリアン・パイプの場合は1セットのバグパイプを示す場合でも "Uillean Pipes" と必ず末尾に -s が付いて複数扱いになります。この辺の違いはどうしてなのでしょうね。

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1984年2月号

February/1984

Vol. 36/No.5

PT8402contents P11 The Echoing Beat on C はタイトルだけだと分かりにくいですが、実は Roderick Cannon によるピーブロックネタ。A lost gracenote というサブタイトルが付けられています。

 その内容は、1760年に刊行された "The Compleat Theory of Scots Highland Bagpipe" の中で筆者の Joseph MacDonald によって "shakes" と表記され、現代では "echoing beat" とか "double echoes" と呼ばれる装飾音について、その表記と表現の変化について紹介しつつ、特に現在では使われなくなったC音に於ける shake(double echo on C)に関して綴られたレポートです。

 shake(echoing beat)の表記と表現の変化の例として、Lament for Donald of Laggan の楽譜が挙げられています。下の2列の楽譜で示した内、上段が Joseph MacDonald 時代の表記、下段が現代のピーブロック・ソサエティー・ブックの表記です。

 後半の3小節については、大きな違いは見られませんが、最初の小節の表記とそれに伴う演奏は大きく異なっています。

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PT8402echoingbeat そして、Cannon は続いて shake on B(double echo on B)を例にとって(右図)ピーブロックが楽譜に表記されるようになった聡明期の頃の様々な楽譜集での表記法と具体的な表現の仕方の変遷について比較しています。
 (a)は Joseph MacDonald の時代の表現。実は上で紹介した Lament for Donald of Laggan でも同様なのですが、最初の B note が長く表現されている事に注目して下さい。レポートの前段で紹介されているのですが、Joseph MacDonald の楽譜では必ずしも装飾音を全部表記していないので、実際には(b)や(c)のように表記されています。(b)の場合は、頭に cadence gracenote が付けられる場合の表記です。(d)は、Angus MacArther & Donald MacDonald の楽譜の表記。(e)は Angus MacKay の表記ですがこれも含めて、それ以降の(f)William Ross の表記や(g)のピーブロック・ソサエティーの表記では、 最初の B note が短く表現されるようになっていることが指摘されています。その他、細かくは夫々の装飾音の尾っぽ(つまり長さ)の違いなどにも触れながら、重箱の隅を突くようないつものような Cannon 節が続きます。

PT8402echoingbeatonC そして、最後に現代のピーブロック演奏に於いては、Joseph MacDonald 時代の shake on C(double echo on C)(右図)については grip に取って代わられて現在では一切使われなくなった経緯が綴られます。
 この装飾音が何故使われなくなったかという理由については、それが does sound wrong であり unmusical だということ。下はその例として取り上げられている "Donald Gruamach's March" の楽譜ですが、確かに、上段の Joseph MacDonald の楽譜の double echo on C よりも、下段の現代の楽譜に於ける grip の方がクリアーかつ歯切れよく演奏することができるという事は言うまでもありません。

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 Cannon は「口承伝承される芸術については、とかくその内容が時間とともに徐々に変化することは避けられず、ピーブロックもその例外たり得ない。ピーブロックが楽譜に書き下ろされるようになった1820年代以降から現代までの間についても幾多の変化があった。この shake on C(double echo on C)に関しては 1760年時点ではまだ使われていたようだが、様々な楽譜集が書き下ろし出版されるようになる 1800年以降の時点ではもう既に使われていなかったと推察される。」とこのレポートを締めくくります。正にサブタイトルの通り。

 確かに、 "The Compleat Theory of Scots Highland Bagpipe" では、18個の音を挿入するといった様な超絶装飾音が解説されていますが、これらもまたその後の19世紀の楽譜集には一切出てきません。 Joseph MacDonald の時代から、19世紀に掛けてはピーブロックの装飾音について大きな変遷があった時期だったようです。

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1984年3月号

March/1984

Vol. 36/No.6

PT8403contents P13 Some mistakes in Angus MacKay's settings and where they came from. はタイトルからして明らかにピーブロックネタです。しかし、中身的には A. G. Kenneth による1ページ半程の軽い記事。

 Angus MacKay の楽譜集は基本的には父親の John MacKay を始めとするファミリーの誰かの手になる曲と、MacKay 家に伝承されてきた曲を収集したものです。しかし、中には Peter Reid Donald MacDonaldy の楽譜集から参照してきたものもあり、それらについてはあちこちに間違いが見受けられるとのこと。
 "I got a Kiss of the King's Hand" などの具体的な曲を例に挙げて、それぞれの出典とその楽譜の問題点について解説しています。

 興味深い記述として John MacKay の作になる "Melbank's Salute" についての次のような下りがあります。
 「Angus MacKay は父親の作になるこの曲の混み入ったバリエイションを完璧に書き下ろすことに苦痛を感じたのだと思われる。それ故、この曲のダブリング・バリエイションに於いては、他の曲では見受けられないような大胆な改変が見受けられる。」

  つまりは、A. G. Kenneth はこの短いレポートの結論部分に書いた「ピーブロック楽譜集の中で最も権威ある存在である Angus MacKay の楽譜集については、実はこのような間違いが多々あることを認識して、丁寧に修正されていくべきである。」ということを強く訴えたかったようです。


 P28 The Nature of the Sound Field Surrounding the Piper in Open Air は、1979年8月号9月号とに連載された The Acoustical Enviroment of the Highland Bagpipe out of doors Part 1&Part2 の著者、Alex R. Carruthers による「野外に於けるハイランド・パイプ演奏時の音の伝わり方に関するレポート」第3弾。
 前回と同様にほぼ1ページ大の図を9枚も挿入しつつ、全部で14ページに渡る(前回の2回分とほぼ同量)力作レポートの一括掲載です。

 前回のレポートでは、主に空気や風、地面の状況や構造物といった外的要因がの音の伝わり方に与える影響についての解析でしたが、今回は主にパイパー自身の身体(肉体)が及ぼす影響についての解析です。
 同じ身体でも、チャンターのそれぞれの音階や2つのドローンによって、それぞれ発せられる音の波長が違うこと、また、伝わる方角によって位置関係が異な るなどの要因によって、さまざまな影響が与えられる、…というようなことが(多分?)書かれているようです。

 一つだけ、はっきりと書かれていることで印象的(意外?)だったのは、ハイランド・パイプから発せられた音が伝わる距離は、単純計算によると前方に 65.5km、後方に16.4km ということ。…???という感じもしない訳ではないですが、日頃 Google Earth で旅しているハイランドの風景の中であれば、さもありなんなのかな?というところ。

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1984年4月号

April/1984

Vol. 36/No.7

PT8404contents P16 The Brother's Lament (Campbell Canntaireachd)and the Lament for Donald Duaghal MacKay (長いタイトルなので目次では省略されています)は、前号に続いて A. G. Kenneth による軽いピーブロックネタ。今回は1ページと5行。共に Piobaireachd Society Book 13 に収録されているこの2曲についての考察です。

 Piobaireachd Society Book 13 のエディトリアル・ノートには、この2曲の Taorluath バリエイションの4行目がそっくりであることが書かれていますが、完全にそのままという訳ではなく、いくつか注目すべき点があるということ。

 ちなみに、Piobaireachd Society Book 13 の "Lament for Donald Duaghal MacKay” の項には Simon Fraser、 Angus MacKay、Donald MacDonald、Agnus MacArther の4通りのセッティングが7ページにも渡って紹介されています。

 今回のレポートで A. G. Kenneth が指摘するポイントの一つは、パイプのかおり第33話のテーマ "Park Piobaireachd No.2" に出て来る "Grip beat" について。

 「Taorluath バリエイションの何行目と何行目のどの部分は酷似しているが、その一方で、○○○のセッティングでは "Grip beat" が 書いてあるが、こちらには書いてない。でも、○○○のセッティングのこの部分には…、」という様な感じであ〜たら、こ〜たら解析が続きます。パイパー森的 にはそれなりに興味深い内容でしたが、多分他の方には余りにも専門的すぎるので、あえてこれ以上詳しくは紹介しません。ご興味が湧かれた方はご連絡下さ い。


 ピーブロック愛好家にとってはそれよりも P35 Boreraig の方がちょっと気になるタイトルだと思います。1982年10月号以来の Thomas Pearston によるフィールド(?)レポートです。

PT8404Breraig 当時の Clan MacLeod チーフ Norman MacLeod of MacLeod の求めに応じて1810年に Dunvegan岬周辺の地図が作成されました。Dunvegan城にあるオリジナルの複製として作成されたものが、現在 "The Scothish Record Office" に保管されているということ。この周辺の地図としては最古のものとされるこの地図には、Dunvegan城の8マイル北に位置する Boreraig も含まれており、当時の様子が伺い知れるというレポート。

 地図作成を依頼された測量技師の F. A. Chapman という人は Gael 語がしゃべれる人ではなかったので、"Boreraig" は "Burreridge" と、"Galtrigall" は "Galttiele" と誤表記されているとのこと。

 Angus MacKay Book(1838年)の "Acoount of the Hereditary Pipers" のページには当時の MacCrimmon College の建物に関して次のような記述があります。(これらのページは Piobaireachd Society の会員でなくてもアクセスできるので、それぞれリンクを張っておきます。)

 "The house occupied by the MacCrummens still remains, displaying thick walls, massy cabers or rafters, and other characteristics of old Highland habitations. It was divided into two parts built at right angles – one forming the class-room, and the other the sleeping apartments; and MacDonald, the present tenant, points out to strangers the localities of many transactions handed down in oral tradition. " 

 大きく拡大した地図からは、この記述のとおりの建物の配置が確かに見て取れるのがなんとも興味深いところです。レポートによると 1984年現在は現地にはこれらの建物の痕跡は全く無く、多くの石積みが残るのみということです。


 今月号には P47 にもう一つ古い印刷物が載っています。ジャコバイトの戦いが潰えた1746年の出版物。タイトルは "The Compleat Tutor for the Pastoral or New Bagpipe" と読めるような…。特に関連記事は見当たらないので、単にこの表紙だけの紹介のようです。

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1984年5月号

May/1984

Vol. 36/No.8

PT8405contents サマー・シーズンに入ると野外イベントたるハイランド・ゲームでのコンペティションが目白押しとなりますが、この時期はまだその前。この号には各地のインドア・コンペティションの報告が並びます。

 タイトルから想像すると、現地しかも野外でのコンペティションかと思わせる P12 Uist and Barra Contest は実は、Uist and Barra Association がグラスゴーに於いて開催するコンペティションです。歴史を重ねて今ではインドア・コンペティションの中では、最も由緒あるコンペティションの一つと位置づけらているとのこと。

 Bridget MacKenzie 女史の "Piping Tradition 〜シリーズ" の5冊目にして最終版である "Piping Tradition of the Outer Isles" (2013) によると、アウター・ヘブリディーズの Uist 島と Barra 島という場所は、このエリア独特の固有な演奏スタイルが伝承されていて、また、過去に数多くの傑出したパイパーを輩出していることが分かります。ハイラン ド・パイプの伝統に於いて大変重要な場所だと言えるのです。

 3月10日にグラスゴー郊外のある小学校(の講堂?)で開催されたこの年のコンペティション結果レポートの中である興味深い記述に気付きました。
 Piobaireachd 部門を制覇したのは Uist島出身の著名なパイパーの一人である Alan MacDonald。 彼は Strathspey & Reel 部門にもエントリーしていながら、所用のために旅立つ必要があり時間切れで参加出来なかったということなのですが、その理由が「東京に行く用事があったの で…。」ということ。う〜ん、何の用だったのでしょう? ビジネス?


 P20 Famous Pipers はいかにもシリーズ物というタイトルですが、紹介している1977年10月以降の号には初登場です。著しくインターバルの長いシリーズなのでしょうか?

 それはともかく、この号で取り上げられているのは、1983年の The Grant's Championship で Piobaireachd & MSR の両部門を制覇してオーバーオール・チャンピオンとなった Gavin Stoddart (この号の表紙)です。1983年12月号のレポートには Piobaireachd 部門以外の結果については記載されていなかったのですが、つまりはこの年の Grant's は Gavin Stoddart のよる文句無しの完全制覇だったということなのですね。

 1948年生まれの Gavin Stoddart は12才の時から、Captain John A. MacLellan に師事してパイプの練習を始めました。1、2年の内にピーブロックの手ほどきを受けるようになり、最初に習った曲は "Clan Campbell's Gathering" "MacCrimmon's Sweetheart" "Hector's MacLearn's Warning" などでした。

 19才になった頃にはコンペティション成人部門に参加するようになり、いくつかのコンペティションに於いてそれなりの 成果を上げる様になりますが、程なくしてコンペティションへの参加は出来なくなります。1966年に Scots Guards に入り軍人としての活動に専念するようになったからでした。1970年代末にはパイプメジャーとして活躍。1983年には20年近くに及ぶパイプバンド活 動に関する貢献に対して B.E.M.(大英帝国勲功章)を授与されました。

 パイプメジャーの重責から開放された1980年から、 Gavin Stoddart は各地の著名なコンペティションに再び参加するようになり、直ぐに華々しい成果を挙げるようになります。
 Argyllshire Gathering に於いては1980年に Silver Medal、翌1982年には Gold Medal を獲得。1981年の Braemar で Gold Medal、1983年の The Northern Meeting で Gold Medal を獲得、といった具合。もちろん、ご他聞にもれず、Light Music に於いても同様な活躍でした。そして、冒頭で紹介したとおり、最も権威ある The Grant's Championship(現在の Glenfiddich Championship)に於いて、1981年のオーバーオールチャンピオン2nd を経て、1983年のチャンピオンに輝いた訳です。
 Gavin Stoddart のその後の活躍は普く知られるところですが、久方ぶりにコンペティション・フィールドに再デビューを果たせた丁度この頃は、長年の鬱憤を晴らすが如くブランクを一気に埋めているといった所でしょうか。

 Gavin Stoddart のその当時使っていたパイプは、彼と同様に Scots Guards のパイプメジャーとしての貢献に対して 1955年に B.E.M. を授与されたという似たような経歴を持つ、父親の George Stoddart から譲られた 1930年代の Sinclair 製だということです。

  Gavin Stoddart は 世界各地の、どちらかというとハイランド・パイプ文化の発展途上国に幅広くコネクションを持って居ると書かれているのですが、その例として挙げられている 国、U.S.A、U.S.S.R、Egypt、Israel、Corsica、East Germany、と並んで何故か Japan という名前が出ていました。私が1975年に東京パイピング・ソサエティーに参加してハイランド・パイプを始めて以降、George Stoddart が来日したという記憶はありません。もしかしたらそれは、彼が Scots Guards 在籍時代の 1970年代前半のことなのかもしれませんが、真相は定かではありません。それにしても上の記事の Alan MacDonald といい、結構有名なパイパーが日本を訪れた形跡があるのですね。

 この紹介文の最後の締めくくりの一文に、彼のお気に入りの曲として "Ronald MacDonald of Morar's Lament" と "Lament for the Only Son" の曲名が挙げられていました。やはり、そうなんですね。納得。


 


 P41 The Treatment of the Tritone In Piobaireachd はピーブロックネタである以前に楽理ネタであるので、楽理には疎い私の理解を完全に超えています。
 「トライトーン」というのが「全3音」という日本語の楽理用語に対応していること、伝統的にあまり好まれてきた響きではなく「音楽の悪魔(the devil in music)」と称されていることなどは、ウィキペディアなどを参照しつつ何となく理解できました。でも、それが意味するところはまるでチンプンカンプ ン…。
 ピーブロックにもこのトライトーンが登場していることが、ミクソリディアン・モードとメジャー・モードといった音階の違いと絡めつつ、いくつかの事例を 紹介しながら解説されていますが、正直に言って私は全然ついて行けません。しかし、楽理に通じている方にとってはきっと興味深い内容なのではないかと推察 されます。記事の量は4ページ程です。

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1984年6月号

June/1984

Vol. 36/No.9

PT8406contents 表紙の写真は、Calum Piobaire の長男にして、パイプのかおり第34話で紹介した Malcolm Ross MacPherson の一番上の叔父にあたる(大西洋航海を怖がって、カーネギー家のお抱えパイパーの座を Malcolm に譲った、あの)Jockan MacPhersonです。


 2008年に John Ban MacKenzie について書いたパイプのかおり第30話の中で、Manuscripts(写本)のフリー・ダウンロード・サイトについて触れた箇所があります。そこで書いたように、これらの楽譜写本が所蔵されているのはエディンバラの The National Library of Scotland(NLS)です。

 当然ですが、そもそもそれらが世に出た当初からこの図書館に有った訳はなく、ある時点で個人のコレクションが寄贈されるなどの経緯を経て所蔵物となる、というのがよくある話。
 P18 Music and her Preservatiion Archibald Campbell of Kilberry Colonel J P Grant of Rochiemurchus の2人が収集し所蔵していた貴重な楽譜写本(manuscripts)の NLS への寄贈を記念して催されたセレモニーについてのレポート。これらの楽譜写本がその後の "Kilberry book of Ceol Mor" や "Piobaireachd Society Books" のベースになったのです。

Archibald Campbell of Kilberry Colonel J P Grant of Rochiemurchus の風貌⇒

 1984年3月11日に NLS で催された記念式典に於いてこれらの貴重な楽譜写本はそれら全てを引き継いだ Archibald の息子である James Campbell から NSL に寄贈されました。式典では、The Royal Scottish Pipers Society の名誉パイプメジャーである Sir James Morrison-Low に手渡され、NLS 側を代表して Professor Denis Roberts から謝辞が述べられました。2ページ半のレポートの内2ページが James Campbell による当日の贈呈の言葉(講演)に充てられているので、その要約を箇条書きで紹介します。


  • 19世紀後半の状況を振り返ってみると、伝統的なパイピングの伝承システムは徐々に衰え、古(いにしえ)のピーブロックの文化(the ancient culture of Ceol Mor)は滅亡の危機にあった。
  • コンペティションで演奏される曲はごく少数の限られたレパートリーになっていた。
  • 当時、既にいくつかの楽譜集は出版されていたが、一般的なパイパーにとっては到底手の届くようなものではなかったし、また、専門的なガイダンスとして理解し易いものでもなかった。
  • まして、楽譜写本(manuscripts)については特定の個人の所有下に有り、他のパイパーが自ら書き写すことは容易なことではなく、殆ど不可能だった。
  • 1890年以降のピーブロック救済行動の先駆的試みの第一歩は General G S Thomason による270曲のピーブロックを収録した "Ceol Mor" の出版である。これはあらゆる種類の効果をもたらしたが、しいて二つ挙げるとすると次のようなことが言える。
    1. ピーブロックに関して従来よりも遥かに幅広い研究の道筋が付けられた。より多くの曲が研究の対象として楽譜写本が収集され、研究され、作品の構造や成り立ちが解明されるようになった。
    2. 若い世代の熱烈な愛好家のインスピレーションを刺激した結果として、ピーブロックの研究と演奏を促進することを目的としたピーブロック・ソサエティーの設立(1902年)に繋がった。付け加えて、ハイランドの古(いにしえ)のピーブロック文化に関する知識の普及と伝播を促進した。
  • ソサエティーの出版物やセッティングがコンペティションに於けるパイパーのレパートリーを広げたが、それは普遍的な幅広い支持を得ることができた訳ではなく、ピーブロック・ソサエティーの設立当初は全てが順調に推移したとは言いがたい。
  • 分派集団が結成されソサエティーとの確執が始まった。
  • そのような状況を鑑みて、Archibald Campbell Colonel J P Grant の 2人はピーブロックを取り巻く様々な研究や論争に参加する者皆が納得できるような理論(説明)を導き出すため、Angus MacKay、Donald MacDonald、MacPhee、Glen、Ross、"Ceol Mor" といった出版物(楽譜)に加えて、1910〜11年に以下のような楽譜写本(manuscripts)の収集を行った。
    1. Campbell Canntaireachd
    2. Donald MacDonald's manuscript(オリジナルは General Thomason 所有)
    3. Angus MacKay's manuscript(オリジナルは失われているが General Thomason がコピーを所有)
    4. Angus MacArthur's and John MacKay's manuscript
    5. Peter Reid's manuscript
    6. Duncan Campbell's manuscript
  • 取り決めによりこれらは Campbell Grant 2人の共同所有とすることとされた。
  • 1963年に2人が続けて亡くなったが、父親(Campbell)よりも数ヶ月生きながらえた Grant の遺言により全てのコレクションは私(James Campbell)が引き継いだ。
  • 今回、これらのコレクションを寄贈できることは何よりも喜びである。

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1984年7月号

July/1984

Vol. 36/No.10

PT8407contents  キャプションに King and Piper - the Duke of Windsor とあるとおり、表紙写真は後の英国王「エドワード8世」(退位後の称号が Duke of Windsor)の若かりし頃、皇太子 Prince of Wales 時代の写真です。
 エドワード8世(1894〜1972)については、離婚歴のある平民のアメリカ人女性、ウォリス・シンプソンと結婚するためにグレートブリテン王国成立 以降のイギリス国王としては歴代最短の在任期間わずか325日(1936/1/20〜12/11)で退位した「王冠を賭けた恋」で知られています。詳しい 説明は Wikipedia でどうぞ。

 実は、この号の中に表紙写真についての説明や関連記事は有りません。ですから、当時の私がこの写真を見た時には「ふ〜ん、皇太子自身がパイプを吹くんだ…。」程度のリアクションしかできなかったのではないかと思います。

 しかし、10数年経って Jeannie Campbell さんの "Highland Bagpipe Makers"(2001年)を読んでいたところ、MacDougall のページにこの写真が掲載されている事とともに、MacDougall Pipe とその当時の英王室との関係が説明されている記載に目が止まりました。

 2001 年にリリースされたこの本の 1st Edition では、およそ100のパイプメイカーが紹介されていて、小さな文字でびっしり書かれたそのページは全部で180ページでした。それから10年後の2011 年に大幅加筆されてリリースされた 2nd Edition では、さらにその間にリサーチされた 30近いパイプメイカーの紹介が加えられ、総ページ数は 268ページにも膨れあがっています。

 この Duke of Windsor のパイプについても、今回の表紙写真の他に5枚の写真が追加され、説明文も大幅に加筆されていました。せっかくの機会ですから、 Jeannie Campbell さんのこの本からそのページの写真の縮小版とともに、関連する内容を簡単に紹介します。

 1890年代当時の MacDougall Pipe の評判は絶大で、常に注文が生産量を上回っていたとこのこと。1892/9/24付けの新聞 "Scotsman" には次のようなレポートが掲載されています。
 "Mr Duncan MacDougall, bagpipe maker, Dunolly, Aberfeldy, has been appointed by a Royal Warrant bagpipe maker to Her Majesty the Queen. Mr MacDougall recently made a magnificent set of Highland pipes for Her Majesty's piper."

 そして、ビクトリア女王の命により、後の Duke of Windsor 当時は皇太子 Prince of Wales に対して献上したのが写真のパイプ。5枚の写真の内3枚のパイプの写真とパイプケースの写真は「ニッケル&アイボリー」のパイプとそのケース。右下の写真 は「フルシルバー」のパイプということで、実用と見栄え用とで複数献上されたようですね。
 前者の「ニッケル&アイボリー」のパイプは2005年にエディンバラでオークションに掛けられて、今は在オーストラリアのある人が所有しているということです。「フルシルバー」のパイプは今何処に…?


"Highland Bagpipe Makers"(2nd Edition)by Jeannie Campbell 関連サイト
    1. グーグル検索結果
    2. 読み応えのあるお薦めレビュー
    3. Amazon.com の簡略な紹介

 P15 John MacFadyen Memorial Lecture/Recital の講演は "A Future of Piobaireachd" というタイトルで、新作ピーブロックの意義と位置づけがテーマです。詳細な内容は省きますが、これまでに新作ピーブロックのコンペティションは、この当時 を遡ること20年前と15年前に開催されたということ。
 ちなみに、20年前というのは、パイプのかおり第34話で触れている1965年に BBC が催した Competition for composers of pipe music のピーブロック部門のこと。そこに書いたとおり、その際の優勝曲は 1933年の MacCrimmon Cairn 除幕式に際して Angus MacPherson による "Salute to the Carin of Boreraig" という曲。そして、15年前(1970年?)のコンペティションの優勝曲は John MacLellan による "The Phantom Piper of the Corrieyairack" でした。


 関連する記事として、P37 Ceol Mor Composing Contest は、John MacFadyen Trast の主催により、この年久しぶりに開催された新作ピーブロックのコンペティションの結果報告。
 スコットランドのみならず、イングランド、ドイツ、カナダ、米国、オーストラリア、ニュージーランド、南アフリカから全部で34曲の応募が有ったということです。その中からトップ3が選ばれ、優勝は15年前と同様に John MacLellan だったとのこと。曲は "Salute to the Great Pipe" というタイトル。

 ちなみに、1973年1月16日のNHKのラジオ番組で19才の私が生まれて初めて耳にして、その後の私の人生を決定づけたピーブロック "The MacGregor's Salute" の演奏者はこの John MacLellan でした。

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1984年8月号

August/1984

Vol. 36/No.11

BruceEnigma P13 Boreraig Day の由来と内容については 1983年9月号をご参照下さい。

 今年奉納されたピーブロックは Seumas MacNeill による "Glen is Mine" と Iain MacFadyen による "Lament for the Children"、さらには初めて聞く名前ですが、Cameron MacFadyen という人によって "Lament for the Earl of Antrim" も演奏されたとのこと。 

 現地での奉納演奏の後は、定例の若手対象のコンペティションが最寄りの室内会場で開催され、丁寧なレポートが載っています。


 P16 The Bruce Enigma は "The MacCRIMMON PIPERS OF SKYE" (Duntroon Publishing)の著者である、Bruce Campbell による3ページの軽い記事。
 上記の本をつい最近(2014年6月)入手するまではこの Bruce Campbell の名前には全く馴染みが無かったのですが、知った途端に30年前の記事に遭遇。やはり、当時からいろいろと執筆活動していたのですね。ちなみに、彼が Duntroon Publishing を立ち上げたのは、この2年後の1986年のことのようです。

 今回の記事、タイトルと著者の名前とが一致していますがそれはあくまでも偶然。タイトルの Bruce はスカイ島出身で Donald Ruadh MacCrimmon に直接教えを受け、後にオーストラリアに移住した Peter Bruce に代表される Bruce 一族のこと。
 詳細は省きますが、このレポートではこの Bruce 一族と一族を取り巻く多数のパイパーたちについて紹介するととともに、いくつかの謎を掘り起こし推測。
 さすが、後日マクリモンに関する立派な本を執筆するだけあって、優れた歴史研究家の片鱗が伺えます。短いレポートですが、中身が濃くて存分に楽しませてもらいました。


 P20〜24 Pipers' Pride Tension-X Bridles は途中の P22に↓この全面広告ページを挟んで、この製品の製作者である Northwest Highland Supply Ltd. Cameron J. Wylie という人が書いている、いわば宣伝とのタイアップ記事。

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 Andrew Lenz's Bagpipe Journey Identifying Drone Reeds のページでその歴史を振り返ってもらえれば分かるように、今ではごく一般的になっているシンセティックなドローン・リードが世に出回るようになったのは 1980年代もごく後半のこと。大げさに言えば、これによってバグパイプ創成期から延々と続いていたドローンリード調整に係る泥沼の闘いにほぼ終止符が打 たれた訳ですが、この↑製品はそんな安直な時代の到来を目前に控えた「ケーン・ドローンリード時代最後のあだ花」と言ったらちょっと失礼でしょうか…。

 タイアップ記事とは言っても、この記事には "The Drone Reed Story" というサブタイトルが付けられていて、ただただこの製品について推しまくるのでは無く、どちらかというとごく一般論としてドローン・リードの振る舞いとそれに対する対処法が丁寧に解説されています。
 ただ、その調整作業の際に伝統的なコブラーズワックスを染ませたヘンプのブライドルを緩めたり巻いたりする手間に比べると、この製品が如何に優れている か想像してみて下さい、ということをやんわりとほのめかす書き方。日本人以外には珍しくごく控えめで遠まわしな表現に終始しているので却って好感が持てま した。

PT8408ChanterCap そして、この当時の "Piping Times" 誌上によく掲載されていたチャンター・キャップの宣伝をよく見てみたら、なんとこれも同じメイカーの製品。 Cameron J. Wylie さんが自らの名を冠していました。さて、こうなるとこのメイカー Northwest Highland Supply Ltd. は現在どうなっているのかな?と気になります。

 そこで、まず会社名でネット検索してみましたがヒットしません。まあ 30年も経過しているので当然かな?…と。ところが念のため Cameron J. Wylie の名前で検索してみると、Cameron J. Wylie Bagpipe Clinic というサイトがヒット。どうやら会社の体裁はともかくも、ご当人は現在でもアクティブに活動中のご様子。

 サイトの About us のプロフィール紹介によると、プロフェッショナル・パイパーとして50年のキャリアがあるというこの方、そもそもはスコットランド出身。ロンドンで工作機 械の修行を積んだ後、航空工作機械デザイナーとしてキャリアを積んだとのこと。ある時点でカナダのトロントに渡ったようで、そこでは John Wilson の教えを受けたりいくつかのパイプバンドで活動したとのこと。その後、改めて米国に移住したのでしょう、30年前から現在まで米国ワシントン州 Lynnwood を拠点としています。

 その巧みな工作機械の技術を活かして、現在はオリジナルのブローパイプやバグパイプの制作もされているようです。その中でも、必ずしも高レベルに 加工されている訳ではないという一般的なドローンパイプのボアを、ライフルのそれと同様にスムースかつストレイトにリペアすることを謳っている "The Wylie Superfinish Process(TM)" と称しているサービスは、ちょっと他では聞いたことが無く興味深く思えました。

 そのキャリアからして御歳70才はとっくに超えていると想像されるのですが、ハイランド・パイプに対する深い愛に裏打ちされた創意工夫の熱意は少 しも衰えていないようにお見受けします。見ず知らずの方ですが、そもそもの記事の書き様も含めて現在もお達者な事が分かって何故かほのぼのとして良い気分 になりました。

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1984年9月号

September/1984

Vol. 36/No.12

PT8409contents P20 Record Review は Lismor レーベルからリリースされた 1983年の The Grant's Piping Campionship のライブ音源について。Ceol Mor と Ceol Geag は別盤で Ceol Mor 盤には上位4人の演奏がフルに収められています。演奏内容については既にレビュー済みなのでこの記事はレビューというよりリリースのご案内といった内容。

 この記事を読んだからかどうかは忘れましたが、私はこの音源をカセットで購入しました。記事によるとレコードもカセットも値段は £4.99 で同じですが、送料がレコードは 90pに対して、カセットは25pだったようです。もちろん英国内の価格です。
 日本にレコードを一枚だけ送ってもらうなんてことしたら送料の方が高くついてしまうということもありますが、そもそもレコード盤がダメージを受けずに着くことが保証されません。

 パイパー森は1970年代半ばに、当時の日本では入手が困難だと思われブリティッシュ・トラッドの中でもちょっとレアなアルバム(当然、LPレコード) 20枚を選りすぐって個人輸入した経験があります。LPレコード20枚といえば結構な重量になります。当時はまだ航空便は大変にコストが高い時代だったの で、当然ながら輸送手段は by sea つまり船便です。遠くイギリスから喜望峰を回って日本に到着するのには確か 2〜3ヶ月掛掛かりました。
 想像して頂ければお分かりのとおり、この航路だと赤道を2度またいで来るので、他の荷物と一緒に船倉に投げ込まれたレコード盤はその間ずっと熱と圧力が 掛けられている訳です。当然の結果として到着した 20枚のレコードの内数枚は酷く反っていました。そのままターンテーブルに乗せると針が飛んでしまうので、重しを載せて針が飛ばない程度に反りを戻して聴 いたものでした。

  録音メディアの進化の歴史を紐解けば、CDが商業ベースとして世に出回り始めたのは 1982年の事なので、30年前のこの時点では世の中は既に CD時代に突入していました。しかし、ハイランド・パイプのようなマイナーな音楽が、CDで何不自由なく聴くことが出来るようになるのはまだまだず〜っと 先の話。ですから10年の時を経て少しはリーズナブルになった航空便を使うにしても、1980年代半ばの時点ではこのような音源を入手する上ではカセット が最も現実的な選択肢。日本ではカセット・アルバムというのは余り馴染みがありませんでしたが、当時のイギリスではレコード盤と並行してカセットでのリ リースがごく当たり前だったのが幸いでした。

 その後、マイナーな音楽の世界でも遅ればせながらも CD全盛期が訪れますが、実はそんな時代はほんのひと時。あっという間に、どんなにマイナーな音楽でも別け隔てなくワンクリックでマイ・パソコンにデータ が転送されるような時代が到来しました。この 30年のテクノロジーの進化の凄まじさを痛感するとともに、文化面での民主化が飛躍的に進んだものだと感心することしきりです。


 P21 The Silver Chanter コンペティションの生い立ちと趣旨については、1978年9月号1979年10月号で紹介しました。ここ何年かはたまたまその号の他の記事との関係もあってレポートは載せていませんが、当然ながらコンペティション自体は毎年開催されています。

 今回のレポートで、Seumas MacNeill は18回目を迎えたこのイベントを "now become probably the most prestigious piping competition in the world" と書いています。想像するに、"prestigious" という言葉に Grant's Campionship の持つ「権威」とはちょっと違った意味合いを込めているのではないかと思われます。

 このコンペティションの参加者の資格は様々な理由で、今年から主催者側が一方的に招待するパイパーに限る "invitaion only" のシステムに変更されたとの事。しかしそれ故、例え招待されても様々な都合で参加できないパイパーが出ることは避けられず、結局この年は10人の招待者に 対して参加予定が7人だった由。さらに、その内の Angus MacDonald に ついてはコンペの数日前に鎖骨を折るトラブルに見舞われ、結局この年の参加者は僅か6人。「昼食を挟んで午前・午後各3人づつのパフォーマンスという、ハ イランド・パイプの熱烈な愛好家にとってはいささか短すぎるイベントになった。しかし、もしも演奏されるのがハイランド・パイプ以外の楽器であったとすれ ば十分に満足すべき長さの演奏会だろう。」と記されています。

 この年の結果は次のとおり

1st Jack Taylor "Lament for MacSwan of Roaig"
2nd Ian MacFadyen "Lament for the Children"

 以下順不同で
Andrew Wright "Macleod's Controversy"
Malcolm MacRae "The Battle of Waternish"
Gavin Stoddart "Lament for Donald of Laggan"
John MacDougall "Lament for the Earl of Antrim"  

 ジャッジは John D. Burgess、Seumas MacNeill、Alasdair D.G.Milne という面々。


 1984年7月号の表紙写真は元英国王エドワード8世が若かりし皇太子 Prince of Wales 時代にハイランド・パイプを演奏しているショットでした。
 その号には表紙写真と関連した記事がなかったので、 Jeannie Campbell さんの "Highland Bagpipe Makers"(2001年)の記事を引用して詳しく説明しましたが、2ヶ月遅れでこの号の表紙はその王室御用達のバグパイプのクローズアップ写真。そして、 P24 Royal Bagpipe がその関連記事です。クローズアップになっているのは、7月号に載せた5枚組写真の右下の「フルシルバー」パイプのチャンターストック部分。若干ピンぼけで暗いのがちょっと残念ですが…。

 7月号の記事の最後を「フルシルバー」のパイプは今何処に…? と締めくくりましが、その答えは今回の記事の冒頭に書いてありました。

 A bagpipe formerly belonging to the Duke of Windor was recently sold at Sothebys and is now owened by Eddie McLaughlin.

 つい最近(もちろん30年前の)サザビーズのオークションで競り落とされたとのこと。この Eddie McLaughlin という人がどこの誰なのかどこの国の在住者かといった詳細は書いてありません。当時としては有名な人だったのでしょうか? もっとも、それから30年経過しているので、その後またオークションに出されて既に今では所有者が代わっているかもしれません。

 続いて、このシルバーパイプについて大きな写真と共に詳しい説明が記されていました。
 MacDougall of Aberfeldy 作のこのパイプは Sterling Silver よりも純度が高く光沢が失われにくい Britannia Silver でマウント。エングレービングはアザミ模様。ドローンはメッキされたメタルでライニング加工。チャンターストックは the Prince of Wales の紋章で覆われている。 一面は Wales' feathers、その反対側は Welsh dragon。その下には、モットーの "Ich Dien" の文字。(⇒意味と由来)。パイプチャンターには D.MacDougall のスタンプが、通常のトップのみならずボトムエンドにも刻印されている。…とのこと。

 ここで記事は、1980年9月号(Vol.32/No.12)の The Art and History of the MacDougalls of Aberfeldy(続編)を参照しつつ、このパイプが皇太子時代のエドワード8世のパイプとして献上されてことを改めて説明しています。

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 このシルバーパイプに関する解説は以上ですが、続いてエドワード8世とハイランド・パイプにまつわる話が紹介されています。

  自叙伝 "A King's Story" の記述によると、この方は王室メンバーの中でハイランド・パイプを演奏した最初の存在だということ。ある時の Balmoral 城での晩餐会に際しては食後のコーヒーの前に、王様をバンドメンバーに迎えた the Balmoral Pipe Band がディナー・テーブルの周りを行進したそうです。

 The Royal Scottish Pipers Society の記録によると、1935年にはそれまでの100年間で初めて Prince of Wales が練習に参加。プリンスは "Green Hills of Tyrol" "Nut Brown Maiden" "Skye Boat Song" をチャンタープラクティスした後、それらの曲のバンド演奏に参加。最後にプリンスがソロでスローマーチを一曲、Euan Macdairmid という人がプリンス作の "Mallorca" というスローマーチを演奏。この曲は The Queen’s Own Highlanders Collection に収録されているとのことです。


 P34 Piobaireachd leaflet は、ピーブロック・ソサエティーによって、ピーブロックについて余り馴染みの無い人がコンペティションやリサイタルでピーブロックを聴く際の一助となるべく、ピーブロックの概要について解説したリーフレットが作成された、という半ページの短いお知らせ。
 著者は言わずもがなの Dr. Roderick Cannon. 一 枚のシートを二つ折りにした4ページの体裁で、ピーブロックの紹介と入門的な説明や、さらに詳しい資料の入手先を記載。コンペティションやリサイタルの会 場で主催者から無料で配布されたそうな。内容について改変しないことを条件に複製作成も制限なし、とのスタンス。現物は見たことがありません。

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1984年10月号

October/1984

Vol. 37/No.1

PT8410contents P24 Joseph MacDonald は、あの "The Complete Theory of Scots Highland Bagpipe" の著者に関する記事。
 言うまでもありませんが、当時の私はこの書物の事は知る由も無かったので、このタイトルの人名を読んでもそれが一体誰であるかを推し量ることが出来た訳ではありません。 
 1760年に書かれたハイランド・パイプの歴史上大変意義深いこの書物、極め付けの復刻版が、Dr. Roderick Cannonによってリリースされるのはこの号からさらに10年後の1994年のこと。この当時はまだ著者 Joseph MacDonald に関する生い立ちや出版に至る経緯について書かれた情報はごく限られていたようです。
 それらの情報の多くは、Joseph の兄である Parick MacDonald(1729〜1824)からの伝聞が多くをしめていました。Parick は執筆後長らく陽の目を見ることがなかったこの著作を、早逝した弟の遺志を継いで1803年に出版に漕ぎ着けただけでなく、自身でも、"A Collection of Highland vocal Airs" といった著作を出版しています。
 Joseph の父 Murdoch MacDonald(1696〜 1763)優れた音楽家として知られていただけでなく、8巻4,000ページにも及ぶ膨大な日記を残したことでも有名だったとのこと。この日記の存在が最 後に確認されたのは20世紀初頭の事で、その後行方がわからなくなってしまったとの事ですが、日記からの引用文などのいくつかは今でも残されているとのこ とです。
 この記事ではこれらの残された Murdoch の日記や知人との通信文を参照しつつ Joseph MacDonald の人となり等、この本のバックグラウンドに陽の目を当てています。ただし、その内容はかなりマニアックなので、詳細な紹介は避けます。

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1984年11月号

November/1984

Vol. 37/No.2

PT8411contents この年は早々にこの号で P16 Grant's Championship がレポートされています。このイベントもこの年で11回目です。

 例によってそれぞれの演奏について詳細な解説がされていますが、まあ、それはさておき、結果は次の通り。

1st ★★★ Iain MacFadyen "The Old Men of the Shells"(1977年と1981年の覇者)
2nd ★_★ Murray Henderson "Lament forthe Earl of Antrim"(1980年の覇者)
3rd ★★★ Iain Morrison "Lament for the Viscount of Dundee"
4th ★★★ Hugh MacCallum "The Unjust Incarceration"
5th ☆ Brian Donaldson "MacDougalls' Gathering"

★★★ Gavin Stoddart "Ronald MacDonald of Morar's Lament"(1983年の覇者)
★_★ Bill Livingstone "In Praise of Morag"
 __☆ Alan MacDonald "The Big Spree"
__★ Michael Cusack "Lament for MacSwan of Roaig"
__☆Jack Taylor "Scarce of Fishing"

(冒頭の印は過去3カ年の連続出場状況/★は出場/☆は初出場/_は参加実績無し/順位はピーブロック部門)

 オーバーオールウィナーも Iain MacFadyen でした。

 前年は初登場はゼロでしたが、この年は3人。現ピーブロック・ソサエティー会長である Jack Taylor がこの年デビューなんですね。Brian Donaldson はこのシーズンは大活躍だったとのことで、初登場5位入賞と健闘しています。

 Gavin Stoddart の "Ronald MacDonald of Morar's Lament" の解説の中で、ジャッジも勤めた Sumas MacNeill は改めて「この曲については "John Burgess's incredibly beautiful playing" を聴いてしまった人はだれもがその他の演奏に満足できなくなってしまうことだろう。」と書いています。(関連記事→

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 P28 Tune of the Month は、7月号で紹介した Ceol Mor Composing Contest の優勝曲、John MacLellan による "Salute to the Great Pipe" の楽譜が掲載されています。

PT8411Salute to the Great Pipee


 最後にちょっと珍しいページとして、目次のインデックスには出てこないある全面広告をご紹介。

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 由緒あるコテッジが売りに出されているのですね。£20,000ということは、数年ぶりの円安になって£が180円を超している現在でも360万円余り。数年前の£が120円の時だったら240万円ですね。でも、修理して住むとなると…。

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1984年12月号

December/1984

Vol. 37/No.3

PT8412contents "I am proud to play a Pipe" というピーブロックのタイトルに掛けたと思われる P30 I too, am proud to be a piperE. B. Sumerville という御歳84才(つまりジャスト1900年生まれということですね)の女性パイパーが自らのパイパー人生を振り返ったエッセイ。

 7才からパイプを始めたというこのおばあちゃん、年齢以上に小柄だったため用意されていた MacDougall のチャンターでは大きすぎたので、Glen の店で Ebony製の "baby Chanter" を入手して最初のレッスンが始まったとのこと。
 その後13才でフルセットのパイプを手にした彼女は、いくつかのパイプバンドの活動やハイランド・ダンスの伴奏をするなど、現地の若者が歩むごく一般的なパイパーとして人生を歩みます。
 また、彼女はバグパイプだけでなくピアノやバイオリンなどのクラシックの楽器のレッスンも受けていました。

 ある時、彼女は生まれて初めてピーブロックを耳にします。最初は「長くて退屈」と感じたそうですが、バンドメンバーの会話の中から、それが非常に重要な楽曲で「ピーブロックを演奏できない人は自らを『パイパー』と名乗る事は出来ない。"no one could really call himself a piper if he could not play pibrochs"という言い方を知ってからはより注意深く聴くようにしたとのこと。
 そして、16才の時に Roderick Campbell有名な人らしい)からピーブロックの手ほどきを受けるようになり、こつこつと勤勉に練習を積んだ結果、2年後に初めて公の場で "The Little Spree" を演奏する機会を得ました。

 演奏の後、聴衆の中から一人の年老いた人物が声を掛けてきて彼女に次のように言いました。「私は君の演奏が大そう気に入った。君にその気があるのなら、私は純粋に教える喜びから君にピーブロックを手ほどきしてあげよう。」その老人はなんとあの G.S.MacLennan の父親 Captain Ian MacLennan でした。
PT198412EBS 当然ながら彼女はその信じられないような申し出を受け入れて彼の元に通い、ピーブロックの歴史、意味、どのように演奏すべきかなど、その他ピーブロックに関するあらゆる事を学びました。
 「彼はピーブロックを深く愛していました。そして、あらゆる細かい点まで伝承することを通して、その愛を全て私に伝えてくれました。私は果ての無い喜びに満たされました。」
 彼女にとって師匠の言ったどうしても忘れられない次のような言葉がありました。「私はこのレッスンに対する対価は一切求めない。その代わり、もし君が (クラシックの)音楽家たちの前で演奏する機会が持てた時には、どうか彼らに『バグパイプがどんなに偉大な楽器』であるかを伝えて欲しい。」と。(言うま でもありませんが、この場合の「バグパイプ」には「ピーブロックを演奏する楽器としての…」という意味が込められています。)

 彼女はその思いを受け止め、フランスやドイツのクラッシック音楽家の前で何度かピーブロックを演奏する機会を持ち、その度に大きな驚きと深い興味を持って迎えられました。

 1936年のこと(つまり、彼女が36才の時)、自らはバイオリンのパートで参加したオーケストラの夏合宿に於いて、ピーブロックを演奏する機会を得ま した。その中にはチェロやフレンチホルンの世界的奏者が含まれていました(何人かの私の知らない名前が書かれています)。殆どの人にとってピーブロックを 聴くのは全く初めての機会だったにも関わらず、彼らはその演奏に大いに感じ入り深い関心を示しました。演奏の後にはパイプの周りに人だかりができ、矢継ぎ 早の質問攻めになったとのこと。その合宿の最後の集合写真では彼女が前列中央で(バイオリンではなくて)パイプを抱えて映っている姿を見て、師匠はきっと 誇らしいと思ってくれると確信したそうです。

 さらに30年後のある時、ハンガリーの有名なバイオリニスト(また知らない名前が書かれています)が主催する夏合宿で、そのバイオリニストと民俗 音楽について意見交換を行った際、彼女はプラクティス・チャンターで "Lament for the Children" を聴かせました。バイオリニストは大変に感動し、後日、自が出版した本を贈呈してくれる際、扉ページのサインに「バグパイプの演奏で私に新鮮な思い出を 作ってくれたあなたへ…」と書いてくれたそうです。
 2年後のその夏合宿では、英国のみならずヨーロッパ各地や米国からの多くの参加者の前で "Lament for the Children" を演奏する機会を得て、参加者たちに深い感動を与えることが出来たということです。


 民俗楽器としてのハイランド・パイプの最大の不幸は、パイプバンドの音楽が世界中の人々に余りにも知られ過ぎているという事。そのため、クラッシックな どの音楽家たちは《ハイランド・パイプの音楽というのは所詮あのような単に騒々しいだけのもの》と思い込んでいるきらいがあります。ハイランド・パイプが 元来はソロ楽器であることすら知らない。ましてやピーブロックの存在なんて言わずもがな。いつの時代もピーブロックは遍く知られる事のない「隠れた崇高な 芸術」であり続けてきました。
 でも、大変僭越ですが私の未熟な演奏でもこの方と同様の反響を受けることは度々です()。ピーブロックを一度も聴いたことが無いのは却って変な先入観が無いという事。音楽や芸術に対して真に感性の豊かな人の心には、この崇高な芸術の素晴らしさは必ず伝わります。


SoKBCM  P35 Sidelights on the Kilberry Book はこの年にリリースされた右の表紙の本の紹介。

 Archibald Campbell of Kilberry によって1948年にリリースされたハードカバーの立派な楽譜本 "The Kilberry Book of Ceol Mor" は117曲のピーブロックの楽譜を収めていて、ピーブロックを志すパイパーには必携の楽譜集です。その表紙の色から俗に "The Red Book" とも呼ばれています。

 この "Side Lights 〜 " は Archibald の子息である James Campbell of Kilberry が父親が1916年頃に記した手書きのメモと楽譜を編纂し出版したもの。メモの部分は活字になっていますが、楽譜は手書きのものがそのまま収録されています。

 Archibald Campbell of Kilberry という人はその風貌を見れば分かるとおり、いわゆる貴族階級に属する人物です。ハイランド領主ならハイランド・パイプを愛好するのはごく自然な事ですが、一般的にはお抱えパイパーを囲うサイドの人ですから、自らがパイプを手にするのは稀な方。もちろん、国王ですらハイランド・パイプを演奏することもあるのですから、貴族が自らハイランド・パイプを演奏することが著しく奇異に映るという訳ではないでしょう。しかし、Archibald の場合は単に嗜みにハイランド・パイプを手にしたのではありません。
 彼は朋友の Colonel J. P. Grant General Thompson と共に《20世紀初頭の時点で消えなんとしている(と懸念した)》ハイランドの貴重な文化であるピーブロックの伝統をなんとかして保存・伝承しようと尽力します(6月号の記事参照→)。それ自体は貴族としてのメセナ(本来の意味「文化の擁護」)意識からの行動であり、社会の高い位置に立つものとしてある意味至って真当な姿勢だと思われます。しかし、Archibald Campbell of Kilberry が尊敬に値するのはそれを実行するために、貴重なマニュスクリプト等をコレクションするだけに留まらず、自らでハイランド・パイプの演奏を深く探究したことです。

 それも生半可にそんじょそこらのパイパーに教わったのではなく、ある意味では貴族としての立場をフルに活かして、当時のトップパイパーたちをアーガイルシャーの自らの屋敷に招き長期滞在させて直接の指導を受けたのです。
 貴族たちが客人を鷹揚に屋敷に招き滞在させる様は、正に同時代を描いているイギリスの大人気連続テレビドラマシリーズ「ダウントン・アビー」に描かれているような状況だったのでしょう。なんせ彼ら貴族たちにはお金だけじゃなくて時間も有り余っていたのですから…。

 1898年と1899年には John MacColl が、1990年には John MacDougall Gillies が滞在。Gillies の家にはそれ以後 Kilberry の方からも折に触れ教えを請いに訪ねました。1905年には John MacDonald が、1911年には Alexander Cameron がそれぞれ3週間滞在し毎日数時間の指導を受けました。
 中でも濃厚に指導を受けたのは各々が師匠&師弟関係にある当時のハイランド・パイプ界の歴代トップ3人、Alexander Cameron、John MacDougall Gillies、John MacDonald という面々(3人の師弟関係についてはこのツリー図参照)。

 "Side Lights 〜 " として編纂されメモと楽譜は、Archibald Campbell of Kilberry がこの3人のマスターパイパーたちから伝授された表現上の要点に関する詳細な記録です。Archibald は「誰が正しく、誰が正しくない」という視点を持たずに3人の微妙な表現のニュアンスの違いをそれぞれ漏らさず記しています。この本に収録されているのは20曲ですが、2年後の1985年にリリースされた続編 "Further Side Lights 〜 " にさらに30曲が収録されていて、併せて50曲のメモが本の形で公になっています。

 Archibald がこのメモを書き残した1916年前後というのは第一次世界 大戦の真っ只中。そもそもこのメモは公にすることを目的としたものではなく、自分の3人の息子たちが成長していつかピーブロックを演奏するようになった時 のため、そして、当時頻繁にインドと本国との間を行き来していた自分の身に万が一の事があった場合に備えて書き記したものだということ。あくまでも Kilberry 家の中で伝えることを意図したプライべートなメモでした。

 実際には、Archibald は1960年代まで長生きしたので、3人のマスターパイパーから教わった要点を息子達に直接伝える時間は十分に有りました。ですから、その時点でこのメモの役割は果たされた事になります。それにも関わらず、子息の一人である James Campbell of Kilberry が「このメモはピーブロックを愛する人々に遍く共有化すべきだ。」と考え、このような本として出版してくれた次第。そのお陰で、後世の私たちがこの貴重なメモを遍く目にすることができるようになったのです。

 私はこの本を 1992年に本体の "The Kilberry Book of Ceol Mor" と同時に入手していますが、正直言ってその当時はこの "Side Lights 〜 " の価値が全く理解できていませんでした。今回、自分がそれなりにピーブロックが演奏できるようになった段階で久しぶりに真面目にこの本と向かい合ってみて「これは極めて貴重な資料だ!」ということにようやく気付いた次第。
 それは、このメモがこれらの3人のマスターパイパーたちが現役として演奏していた当時に書かれたものであること、そして、それぞれの微妙に異なる演奏スタイルをバイアスを掛けずに比較しつつ紹介してくれていること、などからです。

 手始めにレパートリーとなっているいくつかの曲について、100年前のマスターパイパーたちはどのような点に留意して演奏していたのか、じっくり目を通していきたいと思います。
(↓は Lament for the Children のページ/クリックで左右のページ毎に拡大します)

 この2冊はこれまで CoP オンラインショップなどで販売されてきましたが、つい最近になってデジタル版がピーブロック・ソサエティーのサイトで無償公開されるようになりました。音 源以外の全てのPDFファイルは非会員の方でも閲覧可能です。さすが貴族のメセナ意識のなせる技?

 Piobaireachd Society トップページ → Library → Reference Library → Piobaireachd Collectioins → Sidelights on the Kilberry Book of Ceol Mor Volume 1 & Volume 2

 ご覧のとおりページ別にアップされているので、気になる曲をチェックしてみて下さい。特に、Volume 1 の General Remarks on Piobaireachd playing のページは大変示唆に富んでいるので、ピーブロックを志す方はぜひとも目を通されることをお薦めします。

 なお、デジタル版の無料公開開始に伴い、今後新たに Kilberry Book(紙の本)を購入すると漏れなくこの2冊の紙の本が付いてくるそうです。もっとも、このバーゲンセールについてはおそらく在庫処分が終わったら終了することでしょうが…。

⇒ Side Lights and Further Side Lights on The Kilberry Book of Ceol Mor 合体デジタル本

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