ハイランド・パイプに関するお話「パイプのかおり」

第22話(2004/10)

Ronald MacDonald of Morar's Lament

■ Bob Dunsire.com Piobaireachd forum  ■

 正確に数えたことはありませんが、優に300曲を超すピーブロックの中で一番多いと思われるのは多分ラメント(Lament)ですが、その中でパイパー森が勝手に「3大ラメント」と位置づけている曲があります。そして、その内の2曲は言わずと知れた "Lament for Patrick Og MacCrimmon" "Lament for the Children" だということは、これまで私の書いて来た文章を丹念に読まれてきた方はすでにお気付きのことと思います。

 …で、「最後の1曲は?」と問われれば、やはりそれは Patrick Og と比類すべき Iain Dall MacKay の名作 "Lament for Donald Dughal MacKay" というところでしょうか。でも、さらに選択肢を5本の指まで広げれるとすれば、"Lament for Donald Laggan" と共に今回のタイトル曲 "Ronald MacDonald of Morar's Lament" リストアップしない訳にいきません。

 な〜んて事をたった一人で考えているパイパー森ですが、身近な場所にピーブロックについての印象を語り合う相手が殆ど居ないので、実際にはこのような印象を共有することがなかなか出来ません。日頃からある曲、ある演奏に関する感動を誰かと共有したいという想いを果たせないままに悶々としつつ、読み人の宛の無い印象記を徒然に書き連ねているのがこのサイトなのです。

 ところが、ボブさんのところピーブロック・フォーラムでは、ピーブロックをこよなく愛好する人たちが様々な話題について侃々諤々やっていて、羨ましくて仕方ありません。あ〜、もっと英語が堪能だったなら、「そうそうそう、そのとおり」ってな感じでじゃんじゃん書き込みするんだがな〜、と思いつつ…。

 実は、このフォーラムがこんなに盛り上がっているということを知ったのは、このフォーラムが出来て2年半程経った2004年の春のこと。そのあまりの面白さにビックリした私は、それから毎晩少しずつ、過去ログ全部に目を通し始めました。
 まあ、その面白いこと面白いこと。結局、2、3週間掛けて数百を超すトピの4千数百の書き込み全てに目を通し、特に興味を引く書き込みについては、カット&ペーストで抽出して一連のテキストファイルにして保存する、なんてことまでしてしまいました。

 それぞれのトピのやり取り内容はごくごく低レベルのものから、混み入った技術面についての話題などとても着いて行けそうにないようなハイレベルのものまで様々ですが、特に私が感心してしまうのは、あるピーブロックについてその背景や表現の仕方までについて踏み込んだトピ。
 そのようなトピの一つがこの名曲 "Ronald MacDonald of Morar's Lament" に関するこのこのトピ "Difference between two performances of Ronald MacDonald of Morars Lament" です。


 どうです、ざっと目を通されましたか? 
 そうなんです! 以前から私はこのトピの話題提供者 gatormac さんが冒頭で言っていることとまるで同じことを感じていました。「John Burgess のドラマティックでエモーショナルなゆ〜ったりしたバージョンを聴いてしまうと他の人の演奏は聴けないね」って…。正に「我が意を得たり!」という感じ。

  I own two CDs with different performances of this tune. one CD is "The Great Highland Bagpipe, Piobaireachd- Ceol Mor: The Big Music" and it is performed by John Burgess, and the other CD is "Glenfiddich Piping Championship- Piobaireachd" and it contains a version by Alasdair Gillies.

 I love the version by John Burgess, and it is what inspired me to play this tune- and to a large extent the pipes. On the other hand I don't like the Alasdair Gillies version very much. The Burgess version is much slower. In fact, according to the liner notes the Burgess version is 13.13 minutes vs. 11.55, and Burgess doesn't even play the a mach variation- Gillies does. The Burgess version just seems "dramatic", and "emotional". The Gillies version is played faster and just doesn't seem to have the same emotion.

 しかし、何よりもこのボードを読んでいてワクワクしちまうのは、ちゃ〜んと正反対の意見が投稿されるということ。La La さんがすかさずこう続けます。

 I too thought the differnce between these two performances very interesting. However, I find I take the opposite position from you Gatormac.
 I thought
Alasdair Gillies really got hold of this most beautiful tune and controled the pace masterfully while I found John D's performance too slow for my liking. I would say a little "dragged".

 曰く、John Burgess の演奏はゆっくり過ぎて "dragged"だ、と。う〜ん、確かにそう感じる人も居るだろうな〜、ということは私にも理解できる。
 でも、何よりもこの2人(と私自身にも)に共通した思いは「ピーブロックというのは同じ曲でもパイパーによってこうも表現が違うものか?」という、ピーブロックという音楽の奥深さに対する畏敬の念。
 …で、La La さんは次のように締めくくりつつ、a-mach については、Burgess version に賛成としています。

 It is very interesting just how differently these two top players approach the same tune.
However, I don't think an a-mach adds to this tune.


 一方、Chris Eyre さんは下の方で Gavin Stoddart によるもう一つ素晴らしい演奏例を紹介。

 There is another very good recording of this beautiful tune which you may not know of. It is played by Gavin Stoddart on his cassette. I think it was one of the 'Pipers of Distinction' series(これは Chris さんの勘違いで本当は "The World's Greatest Pipers Vol 3" ). His pipe was absolutely immaculate and the playing spot on throughout.

 この Gavin Stoddart のバージョンでは a-mach バリエイションも演奏されいますが、ここで Chris さんも書いているとおり、やたらに激しく盛り上げるのではなく、終始落ち着いたテンポを保ちつつも緊迫感を漂わせるその巧みな表現が何とも印象的です。

 Another thing I like about it is the timing on the crunluaths and crunluath-a-machs. There is not a hint of rushing throughout. The tune just flows quietly on right through to the end. In other tunes you might look for fire and excitement to finish it off but here he doesn't do that. He keeps the tempo down and the melody well-controlled and just lets the movements themselves provide the added interest and sparkle to the variations. And as a result, when those occasional closed crunluaths come along, they really stand out as special features, which is maybe what the composer intended.     


 それにしても、ここでの Chirs さんのこの曲の解釈がスゴイ。泣ける。
 私はまだまだこの領域にまでには到達してないから、頭を垂れるのみ…。さすがこの道35年というだけある…。(私は今年で29年ですが、あと6年でこの域まで到達できるものか?)

 The ground is a sombre statement of fact, a declaration that this colourful character is now no longer with us.
 
The first variation is rather like the first signs of getting over the initial shock of his passing. Little things start dropping into your mind about him and the mood of depression starts to lift a little and it shows in the way you play it.
 Then in
the 2nd variation you really start to remember him as he was earlier in life, full of energy and wit and full of the usual banter of life. The tune can actually start to ripple at this point and develop quite a lightness of step.
 But towards the end it slows down again as if I are gradually coming down to earth again and realising again the reality of our loss.
 The transition from this point into
the Taorluath singling, to me, (if I've got my approach right) always sends the hair on the back of my neck up.
 Suddenly I'm right back into the original sombre mood I started with. But something's different. For the first time in this long tune the note F has suddenly appeared, a note which doesn't belong in the pentatonic scale of G which the tune has been following so far. Why?
 From here on it's a gradually lifting up of the spirits again from a sad depression back to a full appreciation of just what an interesting guy this really was when he was still breathing.
 To me that justifies an
A Mach.

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■ ピーブロックの楽譜はホントに不思議だ…  ■

 さ〜て、こんなやりとりを読むと、 gatormac さんのいうとおり、俄然この名曲に取り組もうとする意欲が沸き上がります。

 この曲は、"Lament for the Children" "The Old Woman's Lullaby" などと同じく、Urlar〜Ver.1〜Ver.2 と進行するに従ってウルラールをほ〜んの僅かづつ変化させていく形式の、《真に味わい深いウルラールのメロディーを持つ曲》だけにみられる「ウルラールの美味しさを3回味わう」タイプの曲です。

 …なので、この曲に取り組もうとした際に頭をよぎったのは、「ウルラールを覚えてしまえば、後は簡単。特に Taorluath と Crunluath のメロディーの流れは自然と出てくるし…。」ということでした。

 ところが、実際に取り組んでみると何故か? 捉えにくい…。
 特に、ウルラール自体がなかなか覚えられない。私は元々音感が良い方じゃないので、覚えにくい場合は楽譜からパターンを読み取ってそのパターンを覚えるという方法を取るのですが、そのパターン自体がなんか捉えにくい。

 はてさて、どうしてこんなに覚えにくいのか? と首を傾げるばかりでした。

 何度も繰り返しますが、音楽的素養が殆ど無い私は正確な意味で「楽譜を読んでいる」訳ではなく、その行為は「耳で聴いたままの音の並びを楽譜をたよりにしながら再現している」ってところなので、その不思議の原因に気が付くまでに大分時間が掛かりました。

 実は最初はいつものとおり、Kilberry の赤本の楽譜を使っていましたが、ある時ふと、Piobaireachd Society Book をひも解いてみたところ、その違和感の原因がやっと判明したのです。

 これは、Kilberry Book のウルラールの部分

 

 そして、下が Piobaireachd Society Book の同じ部分です。

 

 まず、一見して異なるのは、Kilberry の方はC(つまり4/4)で書かれていますが、一方、Society の方は3/4で書かれていますね。
 …ま、でも、こんなのはピーブロックの楽譜ではごく当たり前のこと。ピーブロックの楽譜では、元々音の長さを音符で正確に表現しようとなんかしていないんだから。

 でも、なんといっても違うのは、Kilberry" の方はこのウルラールを 4: 4,4、つまり「4小節の繰り返し+4小節+4小節」という構成としていながら、Society の方では最後の段を7小節として、つまりは「4;4,7」という構成としていること。(ちなみに、A.J.Haddow の“The History and Structure of Ceol Mor”でも、この曲の構造は「4,4,4,7」とされています。)

 私の聴いているいくつかの音源で演奏されているのは全て後者の方。自分ではそれらを耳で聴いた通り演奏している訳ですから、つまりは、4;4,7 で演奏しながら、目では 4;4,4 の楽譜を追っかけている。これじゃ、どうしたって違和感は拭えないわな〜。元々正確に楽譜を読み取っている訳ではない私にとっても、いくらなんでも3小節分は多すぎる。

 そして、さらに、バリエイションは全て 4; 4,4 というパターンで構成されている。つまり。ウルラールとバリエイションは根本的にパターンが異なるってこと。
 こんなところも、「ウルラールを覚えれば、その後はちょっづつ変えて行けば…。」なんて思い込んでいた間違いの元が潜んでいました。

 これで、この曲に関するもやもやが晴れてすっきりしましたが、それにしても、「《ピーブロックの楽譜》ってのは普通の意味での《楽譜》じゃ無いよな〜。」ってことを改めて実感した次第でした。

■ 本当に難しいピーブロックとは… ■

 さて、実はそれ以来、私はもうすでに半年間近くこの曲に取り組んでいますが、やればやる程痛感するのが、この曲の難解さです。
 ウルラールとバリエイションが似ているようで似ていなので、非常に覚えにくい。そして、度々出てくる D からの E への“Dre”という装飾音や、ウルラールの2行目と4行目の最後に出てくる“Darodo”といった装飾音を的確に表現する難しさ、等々…。

 一つの装飾音が上手く出来ないとなると、必要とされる指のフィジカルトレーニング繰り返し行って指筋力を増強し、なんとかしても上手く出来るようにする必要があります。当然ですが短期間に指筋力が付く訳はありませんからこれにも時間が掛かる。

 でも、私がこのようにして少々難解な装飾音が出てくる曲にくじけずに取り組むのは、このような努力を重ねてそれを克服したときには、自分の(装飾音の)演奏技量が確実に高まっていることを知っているからです。
 その事は、その曲が上手く演奏できる様になった時点で、克服したその曲だけでなくそれまで上手く演奏できなかった他の曲までも、上手く出来る様になっていることから確認することができます。

 今回も、この曲への取り組みがかなり経過しそれなりに演奏できるようになった段階で、試しに例の超難解な "Lament for Patrick Og MacCrimmon" を演奏してみると、確かに以前よりも容易にかつ奇麗に演奏できるようになっていました。また、例の左指の魔法 "Lament for the Laird of Anapool" についても、同様でした。


 この曲が難解である理由は、もう一つ、まさに冒頭で紹介したボブさんのフォーラムで話題になっていたように、その解釈の仕方の幅の広さにもあるように思われます。同じピーブロックの中でもこの曲のように「ウルラールの美味しさを3回味わう」タイプの曲の場合、 Chris さんが説明していたように Urlar〜Ver.1〜Ver.2 の各々のテンポや間合い等を微妙に変化させつつ心情を表現しなくてはなりません。ピーブロックを演奏するに際しては、その辺のところが実は一番難しいことなのかもしれません。

 …ってなことを思っていたところに、ボブさんのピーブロック・フォーラムでまさにそんなトピが出てきました。題して、What is your most Difficult Ceol Mor Tune?

 そして、興味深いことに、この話題を持ち出した Ron Teague さんにとって最も難しいのは、Patrick Og でも Chldren でも Harp Tree でも無いと。ごくごくシンプルな“The Old Woman's Lullaby”であるというのです。

 I think I am having the most difficult time with one of them which I thought was one of the most simple. I can chunk through Lament for Patrick Og, the Children, Harp Tree. But what gives me the willies is the Old Woman's Lullaby.
  There is way to much
room in this tune to screw up. An Urlar and two variations, how hard can it be? No a-machs no fuss or feathers it should be a cake walk. HA! This beast is evil a hauting urlar and then where in the heck are you? The themal notes are postivly ativistic, rooted in the Collective Unconscious. Do they make rational sense NOOOO.
 So I have heard the tune played by just about everybody and I can't think of and I still can't get it. I know beauty when I hear it but it is beyond my ability to reproduce it. It think
this is the most zen of piobaireachd. Looks easy but it takes real skill and experience to pull it off.

 そうですね〜。やっぱりそうなんですね〜。深く共感します。
 確かにこの "The Old Woman's Lullaby" は、一度聴いただけでス〜ッと心に染み入って来るような、非常に馴染み易いメロディーを持っていますし、バリエイションとして Taorluath も Crunluath も出てこないので、一見ごく取っ付き易そうに見えます。しかし、その実、実際に取り組んでみるとマスター・パイパーたちのように表情豊かに表現することがなかなか難しいことに気が付かされます。抑揚が少なくてタイミングが取り難いのがクセモノなのですね。
  Ron Teague さんが書いているとおり、この曲に取り組むに上での最重要なポイントは《間》です。そして、そのような絶妙な《間》の取り方が求められる世界というのは、西洋の人たちにとっては正に《禅》の世界なんですね。

 そして、同じ事が "The Old Woman's Lullaby" と同様にこの "Ronald MacDonald of Morar's Lament" にもそのまま当てはまると思うのですね。…なので、ついつい、その旨を書き込みしてしまいました。

 いや〜、ボブさんのピーブロック・フォーラムがあれば、私がフラストレーションのはけ口としてこのサイトを開いている必要も無いな〜。
 それにしても、この曲、いつになったら完璧に演奏できるようになるのだろう? それもJohn Burgess のようにゆ〜っくりと情感たっぷりに…。

⇒その後の顛末


 ところで最後に、せっかく "The Old Woman's Lullaby" の話題が出て来たので、1997年の Piobaireachd Society Conference で行われた William MacDonald という人による "Tune and their Names" というタイトルのレクチャーの中で、この曲に関する興味深い話が報告されていましたので紹介しておきましょう。

 この曲の曲名は直訳すると「老婆の子守唄」ですが、内容からすると本当は「妖精の歌」と訳すべき、妖精に関するすごく次の様なファンタジックなストーリーのある曲です。
 曰く、「山岳地帯に住むある女の妖精(魔女)が、雌ジカの乳搾りをするときにシカたちに歌い聴かせていた子守唄を表現した曲」ということです。

 しかし、今回このレクチャーでは、この曲について、この話とはまた違った別のストーリーが紹介されていました。女の妖精(魔女)が登場するのは同じなのですが、その先がちょっと違う。要約してみるとこんな感じです。

 昔々、ある女の妖精(魔女)が Kinlochleven という場所に近い Bothan という丘の麓に住んでいました。
 その当時、スコットランド北方のその沿岸地帯には、バイキングたちがその特徴的な細長い船に乗って襲来しては、略奪を繰り返していました。
 その魔女はいつもバイキング船が入り江に錨を下ろし乗組員たちが上陸してしまうと、目前に小さな池がある丘の上の小屋の前に腰掛けて、葉っぱやら何やらでそのバイキング船のレプリカを作っては、その小さな池に浮かべるのを常にしていました。
 略奪を終えたバイキングたちが船にのって沖に出ると、彼女はおもむろに魔法の杖を取り出しその杖で池を波立てます(当然船は大きく揺れる)。そうすると、沖に出たバイキング船に同じことが起こるのでした。
 この時に彼女が歌うのがこの曲だったということです。

 お〜、コワ〜。魔女がこの曲を歌いながら、杖で池の水を波立ててバイキング船(のレプリカ)をもてあそんでいる様を想像すると何とも無気味だなあ〜。

 でも、これって、まさに「藁人形に五寸釘」と同じプロットですよね。洋の東西を問わず、魔法・魔術の世界では共通したイメージがあるのですね。

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